人生の杖

ZARDの『心を開いて』という曲を聴いている。この曲はパートナーが好きな曲で、パートナーの不器用な生き方や、言葉にできない優しい思いを、曲を通して垣間見ることができる。「好きな曲だ」とパートナーが素直に言えるところまで含めて、なんだかキてしまう。言葉にできない思いを曲が代弁してくれている。

 

現在絶賛パートナーと喧嘩中なのに、この曲を聴くと、ピンと薄く張られた強がりが一瞬にして崩れそうになる。曲を通してパートナーのことが理解できてしまうから、私の心の癒えない傷を放り出して、許してしまいそうになる。

「愛情なんかくれてやりなよ」と、ラジオで聞いた言葉を思い出す。いくらでもくれてやりたい。愛情も、愛情じゃないものも、全てを投げ出して感情を思い切りぶつけたい。パートナーにも、パートナー以外の大事な人にも。

でもそれはなかなかできないから、その代わりに人の世界を浴びていたい。

 

パートナーに限らず、人の好きなものに触れ、人の人生に思いを馳せるたびに涙が出てしまう。

奥歯を噛み締めたり血反吐を吐いて踏ん張って生きてきた孤独の扉に指先が触れると風が吹いて過去が迫ってくる感じがする。一人で声をあげてギャンギャン泣いたとき、おかしくなりそうなほど怒りで頭がいっぱいになったとき、どんなに言葉を尽くしても人に理解してもらえなくて途方に暮れたとき、水のように澄んだ曲が身体に入り込んでスッと馴染んで心を容易く溶かしていく感じ。

そうやって過去を勝手に想像しては、どっと押し寄せる感情に押し出される形で涙がところてんのように出てきてしまう。

 

「この人はこの曲を人生の杖に生きてきたんだね」みたいな、心の支えを知るのがとても好き。音楽に限らず、なんでも。好きな理由が文字通り感覚で理解できる瞬間、その人の過去や子ども時代まで全部ひっくるめて、膝をついて抱きしめている気持ちになる。血肉になっているそれを味わうとき、その人と私の境界線がものすごく曖昧になる。私の存在がとても薄くなって、強烈に、その人に"成っている"感じがする。

 

大学生のとき、人とホテルにいるときにUSENZARDの『マイ フレンド』が流れてきて、立ち上がれなくなるくらい大号泣したことがある。なぜあのときこの曲がハマったのがよく分からないけれど、強張った心をあっという間に溶かしていってしまった。虚しさと寂しさとどうしても素直になれない自分、好きな人と一緒にいるわけでもないのに心が揺れてしまう愚かさ、生きづらさ、もっと遠くへ行きたい気持ちと今すぐにでも死んでしまいたい気持ち。

木枯らしが吹いて、心のすべり台をするりと通り抜けて、感情を一掃された感じがした。

(理由を聞きもせずにホテルの時間を延長し、抱きしめてくれたのが今のパートナー。当時は別に好きな人ではなかった、というのは蛇足情報)

 

曲を通じて人の人生を知ることは、暴力的で身勝手なことだと思う。でも、それでも知りたいという欲求が勝るときがあり、相手の一部を食べたいと思うときがある。同化したいんだと思う。その人に成りたい、その人に成り代わって世界を見たい。

一切説明されなくてもそれに触れれば好きな理由を感覚で理解できる人がいて、まだ知らないけど多分理解できるだろうなという人もいる。

別にその人の過去や今の生活についてそこまで知らなくても、その人と曲の強固な繋がりが見えるときに強く喰らってしまう、まさにこの人の人生そのものだと伝わってくるもの、自分の中にはない過去がインストールされる感じ。

もっと教えてほしい。

もっと知りたい、人のことを。

 

「好きな曲」って書いてきたけどこれだと少し表現が違うんだよな、好きという言葉では足らないほど、自分の人生の糧になっているもの。水のように当たり前に存在していて知らず知らずのうちに何度も摂取してきたもの。摂取に負荷がかからなくて、自然と身体が馴染んでいるもの。自分を形作るものでありながら、心を支える杖でもある。

 

私の杖はこれ

気が向いたら聴いて私のことを考えてね。

宇多田ヒカル『あなた』

森山直太朗『虹』

BUMP OF CHICKEN『Aurora』

ZARDマイ フレンド

みんなの人生の杖も教えてね

 

弁護士に相談したら立退料が200万円増えた話

昨年夏頃、住んでいるマンションから立退くよう管理会社から言われました。理由は再開発のため建て壊すからとのこと。

弁護士さんに相談したところ当初提示されていた立退料から約200万円増え、合計約300万円の立退料をいただくことができました。

立退きに関する実体験を記したブログが少ないので、今後誰かの役に立てばいいなという思いもあり、記録として書いておきます。

 

 

前提

  • 物件情報
    • 東京都23区内の築年数約30年のマンション
    • 2DK/家賃約12万(管理費別)
    • 2020年2月 賃貸借契約を締結。(当時はまだ恋人だった)夫と住み始める
    • 2022年2月 契約更新
  • 登場人物
    • 夫(借主/入居者)
    • 私(入居者)
    • オーナー(貸主)
    • 管理会社
    • 弁護士

タイムライン

8月上旬 管理会社が変わった旨の連絡と立退きに関する頭出し

インターホンが鳴りドアを開けると新しい管理会社の者と名乗る人間がそこには立っていた。休日だったので夫と二人で対応する。管理会社の変更通知書をもらう。立退きに関して口頭で頭出しをされる。再開発のためマンションを建て壊す予定とのこと。「立退きというのは退去してほしい日の6か月前に通知すればよく、6か月分の家賃相当の立退料は支払われるであろう」というようなことを言われる。「ただ我々(管理会社)も頑張りますので家賃1か月分くらいは上乗せできます」といったことも言われた気がする。そういうものなのか~と思う。

立退きに関しては別途打ち合わせをしたいとのことだった。数週間後に打ち合わせをすることが決定した。

 

8月下旬 管理会社との初めての打ち合わせ、立退料の提示

近くのマンションの一室に呼び出され、以下3点について説明を受ける。

  • 今後のスケジュールの説明
    • 打ち合わせ→合意書へのサイン→立退料の振込み→引越し先の決定→退去立合いといったスケジュール
  • 合意書の説明
  • 立退料の明細に関する説明
    • 明細の内容については省略するが、合計約100万円を提示された

管理会社はその場で合意書にサインをしてもらいたい雰囲気を出していたが、とりあえずサインはせずに持ち帰る。

 

8月下旬 調べまくる

「立退料は家賃6か月分が相場である」といった情報がインターネットには散見されるがそれは果たして本当なのか?何を根拠に?判例があるのか?と疑問に思って、色々インターネットを漁る。

  •  参考にした記事
    • 『賃貸の立退交渉で200万円以上もらった体験談』
      • この記事が一番リアルに近く、この記事に出会ったおかげで弁護士さんを探そう、弁護士さんにお願いをしようと思った。
      • こちらのブログにも書いてあるが、借主が住み続ける正当な理由と、貸主が借主を退去させる正当な理由の綱引きで立退き交渉は進んでいく。
        • 例えば子どもがいるなら幼稚園・小学校を転園・転校させなければいけないとか、近所に老いた親がいるなら出向いて介護をする必要があるとか、そういう分かりやすい理由があるといいなと思った
        • 私たちはそういう理由がない。ここに住み続けなければいけない理由なんてなかった。でも立退き交渉なんて早々経験できるものじゃないので頑張ってやってみようという気持ち
    • レオパレスを追い出されそうな人たちへ』

      anond.hatelabo.jp

        • 弁護士さんへの依頼というのは「美容院や床屋の予約を入れるのと一緒だ」という文章に背中を押された。
    • 『借家契約における借家人との立退き交渉(立退料の算定)』

      www.retpc.jp 

    • 『老朽賃貸住宅の立ち退きのポイント』

      homes.panasonic.com

    • 『立退料の算定方法』

      www.ac-law.jp 

    •  5chの立ち退き交渉スレ、立ち退き料交渉成功例スレ
      • 法定更新、借家権などの言葉を知る
      • なんだかよく分からないが不動産や立退きに異常に詳しい人間が集っていてすごい

8月下旬 弁護士ドットコム で弁護士を探す

以下の条件で探した

  • 「不動産・建築」ー「建物明け渡し・立ち退き」というカテゴリー
  • 料金表あり
    • 初めての弁護士さんへの相談のため、費用が高額だと困るな~という思いがあり、ある程度の費用感を把握するために料金表が提示されている弁護士さん/弁護士事務所が良いと思った
  • 解決事例あり
    • 解決事例がないよりはあったほうがいいと思った
    • 解決事例ありの場合でも、借主目線の事例ではなく、貸主側に弁護士がついて、「居座る入居者に対して 安い立退料で迅速に立ち退いてもらうことに成功しました!」といった事例もある
    • 借主目線の解決事例がある弁護士さんを選んだ
  • 初回相談無料
    • まずは色んな弁護士さんに気軽に相談してみたかった
  • 感謝の声(クチコミ)の記載があること
    • 実績を確認して安心感・信頼感がある弁護士さんに頼みたいと思ったから
  • ZoomやLINE などオンラインでも連絡が取れること
    • どんなに良い弁護士さんと出会えても仕事終わりに夫婦揃って弁護士事務所に行くのが難しいケースがあるかもしれない
    • であればオンラインで打ち合わせができるほうがベターだと思った

 

8月下旬 弁護士ドットコム経由で弁護士に問い合わせをする

  • 現在の家賃や提示された立退料を併記した上で、立退料の増額交渉を依頼したいが対応可能かどうかを弁護士さん二名にお問い合わせをした 
    • 一人は業務量の関係で依頼を受けられないと断られた
    • 一人は増額交渉は可能である旨の返信をしてくださった
      • このときに、立退料は法的な算出方法があるわけではなく、増額交渉はケースバイケースであること、建替えの場合は大体不動産業者がバックについていること、着手金・報酬金など様々な情報を共有いただけたので、弁護士さんに対する印象がよかった

 

8月下旬 弁護士への初回無料相談

事前に弁護士さんに聞きたいことを夫と二人でEvernote にまとめておく。賃貸借契約書を始めとした諸々の書類を持って夫と二人で弁護士事務所へ赴く。メールで事前に連絡いただいていた通り、増額交渉は可能であろうという話を伺う。事前にまとめておいた質問を弁護士さんに投げる。例えば、インターネットで拾った知識(借地権に基づく算出方法はアリなのか?等)について質問する。

 

8月下旬 弁護士に頼らず自力で増額交渉を頑張ってみる

すぐに弁護士さんに依頼してもよかったけれど、せっかくなら自分たちの力がどれくらい通用するものなのか確認したくて弁護士さんに頼らず自力で頑張ってみることにしました。やったことは以下3つ。

 

  •  目標額を決めた
    • 根拠を持って増額交渉をしたいと夫と考えていた
      • 根拠とは・・・
        • 2022年2月に更新をしたので、立退きがなければ2年住めるはずだった
        • 大手引越し業者のおまかせパックを土日に使った際の値段
          • 引越しというのはお金だけではなく、時間も体力も使うものであり、立退きがなければそういったコストを払わずに済んだはず。
          • 共働きで土日しか休みがない中で引越しをするのは大変な苦労である
          • おまかせパックを使ってもいいはず(突然の飛躍。背景は色々あるけど割愛)
        • 引越し先の敷金・礼金・家賃1か月分もほしい
        • 敷金や更新料の返還、火災保険料や保証料その他諸々
    • 諸々計算した結果、目標額は250万円~280万円に決定
  • 目標額に至らない場合は弁護士さんに依頼しようと夫と決めた
  • 上記根拠を提示の上、立退料を増額してくれと管理会社にメールする
    •  最初に結構な額を吹っかけて、妥協点を探っていく形で目標額にたどり着けたらいいな~という思いで対応を進めた
    •  いかにこの物件を気に入っているかのお気持ちも併記した
      • 夫婦揃って通勤がしやすいこと
      • コロナ禍で移動が制限される中・・・(以下割愛)
      • 複数の駅が徒歩圏内であること
      • スーパーやコンビニが充実していること
      • 治安が良く住みやすいこと
      • 別に今のマンションは今すぐにでも倒壊しそうな雰囲気じゃないこと

 

10月中旬 音沙汰がないので管理会社に催促をする

初めての立退きなのでスケジュール感というかスピード感がよく分からないので1か月ほど放置してしまったが季節は秋になりいよいよヤバそうということでメールにて催促をする。再度打ち合わせをしたいとのことだったので、日時を決める。

 

10月中旬 管理会社との二回目の打ち合わせ

オーナー側の動きや、賃貸借契約書の文言を盾に増額交渉は厳しいかも、といったことを管理会社から言われる。賃貸借契約書の文言を盾にってなんでやね~んという感じ。管理会社はこちらの不安を煽ってきていたのかな、よく分からないです。妥協点を探っているようではありました。平行線のまま、ただ時が過ぎたという印象。

 

10月中旬 弁護士事務所との委任契約の締結

埒が明かないので弁護士さんに委任することに決める。弁護士さんに目標額と現在の状況を整理して伝える。弁護士さんは依頼を快諾してくださる。ありがたい。

弁護士事務所にて委任契約を締結する。物件の契約者は夫なので、弁護士事務所との委任契約も夫がしなければいけないとのこと。

持ち物は印鑑と着手金のみ。

 

その後

あとは全て弁護士さんに任せっきり、というわけでもなく、細々とした情報共有や確認事項が弁護士さんから届くので、それを都度確認し夫と相談して返信するという作業を行った。増額に応じてきたこと、条件を提示してきたこと、退去までのスケジュールなど、都度進捗を共有してくださる弁護士さんでとてもありがたかった。私たちも疑問点がある場合は質問をし回答をいただいていたし、新居探しの進捗状況も共有していた。11月中旬に修正版の合意書を締結し、結果的に約300万円、つまり最初の提示額から約200万円増の立退料をいただくことができた。

 

合意書締結後、引越し先を探し始める。年末、引越しシーズンで不動産屋の繁忙期。実は8月頃にすでに"不動産屋探し"はしていたので、この不動産屋に行こう!と決め打ちで不動産屋へ行き、そこで物件探しをした。そして無事1月上旬に引越しが完了。つつがなく終了した。共働きで円滑に物事を進められただけで100点満点だと思う。わりとフラフラ色んな人に会って遊びまくってましたが実は結構大変だった。

 

11月20日 不動産屋で物件探し・内見・審査申込み

11月27日 内見

12月1日 引越し業者の選定開始 32社ピックアップし9社に絞り込む

12月5日~6日 引越し業者のオンライン見積もりを受ける(合計4社)

12月11日 引越し業者の決定、申込み

12月17日 不動産屋で賃貸借契約を締結/引越しの段ボールが届く 箱詰め開始

翌年1月某日 引越し

翌年1月某日 退去立合い

 

ここには書いてないが、当然のように住民票の異動や、水道・ガス・電気・インターネット・郵便・ヤマトの転居手続き、免許・マイナンバーカードの書換え、会社への報告、Amazon楽天の住所変更など引越しに伴うタスクも並行してこなしていた。マジでえらいのだが……。そして立退料の入金もあり、これにて立退き交渉と引越しイベントは無事完了した。

 

結果

  • 立退料が200万円増えた
  • 弁護士さんに支払ったのは着手金+成功報酬(立退料の増額分の数%)
  • 弁護士さんへの支払いを差し引いても十分な大金がいきなり手に入ってすごい

 

所感

意識していたこと

  • エビデンスを残すこと
    • 日中帯は仕事をしており電話は取れない、メールでやりとりさせてくれと事前に伝えておく
    • ex.「大変恐縮ですが、当方通話可能な時間帯が限られているため、 当面は電話でのご連絡はご遠慮いただきたく思います。<mailaddress> 宛てまでお手数ですがメールにてご連絡お願いいたします」
  • 根拠を提示すること
    • 根拠を提示するためにはそれなりに調べなければならないし、計算をしなければならない
    • それらしい根拠があることで強気に出られた
    • 結果的にその根拠が役に立ったかというと微妙だけれど、目標額の指標にはなった
  • 目標額を定めること
    • 〇円を下回ったら弁護士さんに依頼をする
    • 〇円もらえることが確定したらそこで一旦ストップをかける
  • オーナー側が用意している予算を探ること
    • いきなり1億円ほしい!と言ってもオーナー側がそこまで用意しているはずがない。
    • 最初に提示された立退料はあくまで最低額として、どれくらいの幅を持って予算を取っているのか探ることでより目標額に近づけると思う
  • 弁護士さんに感謝の言葉を大げさなくらい伝えること
    • 気持ちよく仕事をしてもらうために感謝の言葉は繰り返し伝えるようにした
    • 最大限のパフォーマンスを出してもらうためには気持ちを伝えることは重要だと思う
    • また今後何かあったときに再度依頼をするかもしれないし……

 

大変だったこと

  • 〇月までに退去をしなければならないという退去日のデッドラインは決まっているが、決着がつくまでは新居の賃貸借契約ができないこと
    • 別に新居の賃貸借契約をしても良いのだが、「引越しの意思があるのなら立退料払わなくていいじゃん!」とオーナー側に思われる可能性があったので、決着がつくまで(合意書締結まで)は新居を決めないほうが良いと思った
    • 「やらなければならないが今はそのときではない」というタスクが個人的には苦手で、脳のメモリをずっと消費している感じがしてイヤだった
    • そして決着がついたのが年末で、繁忙期のため物件が少なかった。
      • 本当はペット可物件がよかったが断念せざるを得なかった
  • 立退きに関する情報が少ないこと
  • 夫婦間でゴール設定を共有すること、夫婦間で連携を取ること
    • 実はこの立退き交渉をしていた期間の半分以上は夫婦喧嘩をしていた
    • 弁護士さんに相談しようと言い出したのは私、弁護士さんを探しコンタクトを取ったのも私、弁護士さんや管理会社とメインでやりとりしていたのも私、という状況が続いた(私がそういうのが好きだから夫は任せてくれていた)
    • にもかかわらず、賃貸借契約の契約者は夫だったため、弁護士事務所との委任契約も夫名義で締結する必要があり、なんだかこれまで頑張ってきた私の手柄を取られるような気持ちになり少しショックだった
    • それを伝え夫に慰めてもらいながら、一緒に目標額の計算をした記憶がある
    • 弁護士さんや管理会社とのやりとりは後半はほとんど夫に任せたが、メールをする際は必ず互いに文面のレビューをした
      • 夫はメールを書く習慣がないため、ビジネス用語やCC、転送機能などを都度教える必要があった。
      • 新卒のOJTみたいで楽しくもあり、つらくもあった
        • 夫にメールの返信を任せたところ、CCに私のメールアドレスを入忘れたり、HTMLメールをテキストメールで返信したために改行が崩壊するといった事件があって、その他の出来事も重なって大泣きしてしまった。
        • このような事件を繰り返さないためにOJTをやった
        • 全て私がやったほうが効率的ではあったが、契約者である夫にも当事者意識を持ってもらいたくて、このような手段を取った
  • 私と夫と第三者でコミュニケーションを取ること
    • 不動産屋や管理会社というのは大抵契約者である夫に対して説明をする。夫の隣に私という存在がいるにもかかわらず、いないように扱う
    • 夫も管理会社に対して話をして、私のほうを見て話してくれないときがあった。それはとても寂しくてつらく感じるから、隣にいる私のほうをたまには見て、一緒に話をしてほしいと夫に伝えた。
    • 一方で、弁護士さんは初回無料相談の際に、夫と私それぞれに一枚ずつ名刺を渡してくださった。これは私にとって初めての経験で新鮮だった。大抵は夫に対して一枚しかくれないから。弁護士さんは夫と私の両方を見て話してくださった。人間の一人としてカウントしてもらえて、すごく嬉しくて幸せだった。
    • こういう男女の扱いの差みたいなものは、幼稚園においてママがメインで先生と話し、パパがいないものとして扱われるといったこともあると思う。ブライダル業界とかもそうなのでしょう。性別関係なく、その場にいるにもかかわらずいないものとして扱われることや添え物のように扱われるのはつらいよね

よかったこと

  • お金が増えたこと
    • 引越し代を立退料でまかなうことができ、実質無料(?)だったこと
    • 立退料が入ったことが嬉しくて、食洗器やロボット掃除機、低温調理機とか色々爆買いした
  • 法学部卒なので法律や契約書などを読むのに抵抗がなく、立退き交渉というレアイベントを楽しめたこと

 

その他

  • 改善点①、夫婦共用のメールアドレスやメーリングリストを持っておくと良いと思った
    • CCの入れ忘れ防止のため
    • 立退きから少し話は逸れるが、「<夫のmailaddress>と<私のmailaddress>宛てに連絡をください」と伝えたにもかかわらず、どちらか片方にしか送ってくれない不動産屋がかなり多い
      • その場合は候補から切った
      • 私がIT企業で働いているから当たり前だと思っていたけれど、CCを入れる文化や全返信する文化って当たり前じゃないんだと思った
  • 改善点②、中途半端に自分たちで対応せず、最初から弁護士さんに頼めばよかった。私たちが中途半端に手をつけてしまったあとで依頼をしても快く引き受けてくれ、対応してくださった弁護士さんには感謝しかありません。
  • 住んでいたマンションが建て壊しになり、物理的になくなってしまうというのは正直悲しい。引越しをしても物理的にマンションが残っているのなら、外から見て懐かしさを感じたりできる。Google Mapで過去の景色が見られる時代で本当によかった。

近藤聡乃『A子さんの恋人』を再読した

 

きっかけは ゆとたわ YUTOTAWA podcast にて『A子さんの恋人』感想回を聞いたからで、初めて読んだのは2021年6月だから、1年以上ぶりの再読だった。

 

 

‎ゆとりっ娘たちのたわごと:Apple Podcast内の第7回「モブは身軽だけど 〜『A子さんの恋人』より」

↑ぜひ聞いて

 

最初に読んだときと全然感じ方が違って驚いたし恐ろしかった。私の周りにはA太郎くんやA君のような人間がいるなと思い当たる節があり、それは 懐に入るのが上手な人間と、懐が大きな人間という二種類の人間いるよねみたいな簡単な話ではなかった。

 

私だったら間違いなくA太郎くんを選ぶ、と心では思いながら、現実では(どちらかというと)A君のような人間と結婚をしたのだった。

 

答えは出ているくせに迷っている(そして何に迷っているか自分でも分かっていない)私のような人間を正確に刺しに来る漫画で本当に恐ろしかった。

 

 

初読時に好きだったシーンのこと

 

f:id:aknyonaka:20230103130430j:image

『A子さんの恋人』4巻より抜粋

違うでしょ!
そんな ひと言で言えるほど
簡単な気持ちの人なんていないでしょ!
身軽なところも好きだけど
もっと好きになってもらいたいっていうのも
どっちも本当のことなのよ!

 

2021年に読んだときはこのシーンが一番のお気に入りだった。A太郎くんにずっと片思いをし続けてきたあいこちゃんが、A太郎くんの恋人であるA子ちゃんを叱るこのシーンが一番好きだった。私もこのように誰かの人生に踏み込んでいきたいと最近考えていて、なんか、このシーンは女同士の愛のシーンだなと思ったのでした。

 

人の気持ちというのは、矛盾していることもあるし、理にかなっていないこともある、複雑な気持ちがあって当然で、どの気持ちも本当なのだと、大声で叱ってもらえる人生がよかった。

 

先日、実家に帰る道中で、私は父親から「笑うな」「泣くな」と感情の発露を制限されていたことを思い出していた。多感な学生時代に何かを見て何かを感じていたにもかかわらず、気持ちを表すという出力は制限されていたのであった。だから表情には出さず、指先から感情を出力して文字を書いてきたしその名残が今もある。今の私はよく笑うしよく泣く。誰にも出力を制限されることなく気持ちを出力することができて嬉しい。でも書くのはやめられない。

 

A太郎くんのこと

A太郎くんは、いろんな人に好かれるけど、いろんな人に怖がられている人という印象で、あれは本人は不本意だし孤独なんじゃないのかなと思う。いるよね、A太郎くんみたいな人。何でも器用にこなして人から好かれる人間が私は本当に恐ろしいです。

 

「君は僕のことそんなに好きじゃないから(僕は君のことを好きになったんだ)」みたいなことを言ってしまうA太郎くんの性格が本当に怖くて興奮する。破壊衝動に駆られるというか、そういうことを言って他人を巻き込んだ自傷行為をするなーーッ!!!って肩をつかんで揺さぶりたいです。

 

多分A太郎くんのことをズブズブに信頼しきって大好きになってしまったら、A太郎くんに飽きられるんだろうなと思う。ずっと怪訝な目でA太郎くんの目を見る余地を残しておいた方が、関係性は長続きするんだろうと思う。でもふとした瞬間にズブズブに好きになってなんか溺れる瞬間がスッと過ぎるのがまた怖い、いつの間にか抜け出せなくなっている感覚がなんとなく分かります。

 

 

A太郎くんに無理やり貸し付けられたコートを、A子ちゃんがもう知らね〜って捨てられたら『A子さんの恋人』の物語はすぐ終わってしまう。

片付けの際には要るものと要らないものに仕分けするのではなく、大切なものだけを残しておくというのがA子ちゃんのスタイルなのに、それでも捨てられないA太郎くんのコート、あれは呪いですよ。ずっと脳のメモリ食ってるんだもん、怖すぎます。

 

また、いかに相手に好きになってもらうかというのは、いかに相手に自分のことを考えさせる時間を増やすかにかかっているという話も、ちょっと個人的にタイムリーな話でウッッッとなるのでした。

 

一緒にいるときは当然相手のことを考える。一緒にいないときも相手のことを考えるように仕向けるにはどうしたらいいか、お願いをする、贈り物をするなど 相手に少し寄りかかったり 相手に自分のことを思い出すよう細工をすることが大事だと書いてあって、ウワーーーッとなりました。人からいただいた贈り物を使う瞬間に相手のことを思い出している、恐ろしい……。

 

阿佐ヶ谷や谷根千のこと

阿佐ヶ谷や谷根千周辺の街に対する憧れがあります。あまり行ったことがないから憧れているのだと思います。パートナーが育った街でもあり、パートナーの友人が商いをやっている街でもあり、友人たちが住んでいる・住んでいた街でもあります。おいしいご飯屋さんもたくさんあることでしょう。

 

憧れはあるのに、うまく入り込むことができない街です。結局、住んでいる人にしか見えない景色がたくさんあるのだろうと思います。どの街であろうとそういう住んでみないと見えない景色というのはあるのでしょうが、阿佐ヶ谷や谷根千は特にそう感じます。歴史というか、街の積み重ねをすごく感じます。その街に住んでいる友人はやわらかく馴染んでいるのに、横で歩く私はものすごい異物感で、見えない何かで線引きをされているような気がしてなりません。

 

商店街など、ふらっと立ち寄った観光客にはビジネス臭が漂ううわべのところだけを見せて楽しませ、そこに住まう人たちにはビジネスではない人間関係が色濃く見えるところもあるのでしょう(勝手なイメージです)。私はそれを見たかったのかもしれないです。

 

以前パートナーにGoogle Mapで学生時代の通学路を案内してもらったことがあります。本郷三丁目駅根津神社の案内などをしてもらいました。学校は人口芝生の校庭だったり、プールが屋上にあったりして驚いた記憶があります。

東京生まれ・東京育ちコンプレックスをひどく刺激されました。しかし東京生まれ・東京育ちは「帰省」という概念がないのだとジェーン・スーさんが話していたこともまた思い出すのでした。

 

 

東京というのは上京した人間が作った街である。上京組には帰省先があるけれど、東京生まれ・東京育ちにはそれが無い。私が東京生まれ・東京育ちの人たちにひどくコンプレックスを感じるように、東京生まれ・東京育ちの人たちも何らかコンプレックスに感じていることもあるのかもしれないと気づいた文章です。

 

ちょっと何が言いたいのかよく分からなくなってきたけれど、人が生きてきた街をGoogle Mapで案内してもらうのはすごく楽しいのでおすすめです。

 

 

そして『A子さんの恋人』を読んで東京への憧れも強く感じたのでした。

イナムラショウゾウのモンブラン食べたい。

シンチェリータのアイスも食べたい。

愛玉子にも行ってみたい。

 

誰と生きていくか選ぶこと

 

f:id:aknyonaka:20230103140458j:image

『A子さんの恋人』7巻より抜粋

あなたと一緒にいると
私は私でいられない
君と一緒にいても
僕は変われない
このままではいけない
それでも手が放せない。
……もう少し
もう少しだけ 一緒にいたい

 

読んでて死んじゃうかと思った。

 

先日最終回を迎えたドラマ『silent』では、女の子をキラキラさせる男と、女の子をぽわぽわさせる男の話がありましたね、あったんです。で、何でもかんでも二元的に物事を考えるのではなくあらゆるものがグレーゾーンだというのがドラマ『カルテット』の話だったわけですが、まあここでは二元的に考えると、A子ちゃん以外の女の子をキラキラさせる男はA太郎くん、A子ちゃんをぽわぽわさせる男はA君みたいな印象を私は持っています。そして、私はぽわぽわさせる男を選んで結婚をしたのでした。『silent』は、多分高校時代には女の子をキラキラさせる男だった佐倉想くんが、少しずつぽわぽわ側に変容していき、青羽紬ちゃんはその佐倉くんを選んだんだと思います。湊斗くんは一貫してぽわぽわ側の男だった。

 

先にも書いた通り、私だったら間違いなくA太郎くんを選ぶ、と心では思いながら、現実では逆の選択をしました。今も、喧嘩中ではありながらも、パートナーと共に生活することを毎日選び続けています。

 

 

私は、パートナーといられるときの自分は自然体だなと思います。が、そういう自分が好きかというとまた別だなと最近は思います。甘えたり怒ったり泣いたりと自由に感情を出しても咎められない居場所というのはとても居心地がいいです。

でも、パートナー以外の人と一緒にいるときの、まさにA子ちゃんがA太郎くんといるときに見せる少し意地悪で性格がひん曲がってケケケと笑う そういうときの自分が楽しく好きなときもあるのです。ふざけあいながら、じゃれあいながら自分を見つめ直し、人の価値観を知り、そうしていくことで自然とアウトプットが増えるのです。

 

どちらも本当の私です。

誰と生きていくか選ぶというのは、人によって見せる顔が変わる自分を受け入れ その顔を選ぶということでもあります。

自然体でいられるから好きというわけではないのだと『A子さんの恋人』を読んで感じた。それが分かっただけで良かった。

 

軌道修正のこと

物事に行き詰まったときは 軌道修正しようとしてもどうにもならないから一度白紙に戻してやり直すんだという話が作中で何度も出てきた。

 

私でいう白紙に戻すとは、一体何なのだろうと考えている。2か月まともに話していないパートナーとそろそろ向き合わねばならない気がする。

直近の喧嘩のことだけではなく、最初のことから話さないと軌道は修正できない気がする。例えば、冷蔵庫や電子レンジや炊飯器などあらゆるものが2つずつある状況から直せないのか、もしくは離婚することで白紙に戻すか。

 

家電を始めとした何もかもが2つずつある状況というのは、いつでも別れてもいいようにと、始まってもいないのに終わりを見据えて怖がっていた結果でしかないような気がしている。

パートナーには1つにまとめようと提案したのにパートナーのこだわりで断られた。それでも私の物を捨てるという選択だってできたはずなのに、私はそれをしなかった。私のほうがスペックが高い家電を使ってるからとかそういう理由で捨てられていなかった。人に踏み込んでいきたいと先日のブログでは書きながら、踏み込む勇気がなかったのは私なのではないかと思い始めている。

 

 

大晦日

人の不幸を願ってしまう自分がいる。

 

不幸、というか、自分の幸せの代わりに犠牲になってほしいと願うものが明確にある。自分のあまりの醜さにびっくりする。自分の欲望、自分の幸せ、その輪郭はぼんやりとしているくせに、人の不幸は具体的にコレというのがある。人が幸せのゴールに辿り着きませんようにと日々祈っている。

struggleという単語 もがくとかあがくとかそういう意味だけど、私にぴったりだなといつも思う。私はもがいて生きている感じがする。本当に幸せになりたいだなんて思っているのだろうか?思っていないような気がする。

不安よりも不幸を選んでいる。選び続けている。不安に耐えるくらいならいっそ不幸に身を置いた方が楽。2022年学んだ言葉のひとつ。会社の会議で「あの人らは幸せになる勇気がないんですよ」と誰かが言っていた。石橋を叩きまくって壊して、幸せになれたはずの橋を渡らずにその場に留まり続ける人たちのこと。停滞。

 

幸せになるにも勇気がいる。覚悟がいる。

来年はこれについてもう少し考えていきたい。

 

以下、言葉の供養

 

***

 

・2022/12/27

3年ぶりに実家に帰ったときのメモ

東海道線に乗ったあたりから着実に具合が悪くなっている。『A子さんの恋人』を読みながら、坂本真綾の音楽を聴きながら、たまに車窓の眺めを見ている。よく晴れていた。ボックス席、向かいに座る人も車窓の眺めを見ている人でよかった。
正直懐かしいとは思わなかった。初めて見る景色だとも思わなかった。私が意図的に消した記憶たち。何とも思わない。色褪せたショッピングモールの看板を見て、色褪せたままでいいの?とは思った。
最寄駅で降りて、キャリーケースを持った同年代くらいの女の子を見かけた。帰る家があっていいなと思った。
バスに乗った際には涙ぐんだ。どういうふうに感じているのか名前はわからないけど涙ぐんでいた。感情の名前はおそらく後から追いついてくる。

祖母に「身体だけは気をつけて」と1万円を握らされた。金。
「一人じゃなくて二人で帰ってきて、家建ててもいいんだから、あなたは長女なんでしょう」

緑内障の手術したの、でも背中だけは曲げないようにしてるの、毎日土いじりをしているの」

もうすぐ死ぬんだろうなと思った。

これが最後になる気がしてiPhoneで祖母の写真を撮った。

もう当分帰らなくていい。

 

***

 

人は別に誰の所有物でもないというか、自分のものなのに、それを分かっていても ふとした瞬間に自分の傲慢さがヒュッと首のあたりを過ぎ去っていくのがちょっと怖い。もう少しでこの傲慢さを人に振りかざすところだったと怖くなる。

 

イライラする。

本当は振りかざしたい、もっと乱暴に人に当たりたい。大事な人を傷つけて、どんな反応をするのか見てみたい。

 

 

昨日はイライラして夜中に散歩した。

 

なんて自分は傲慢なんだと理解しつつ、否定はしない、辻褄の合わない感情が自分の中にはあるのだと認めて、それでクソ!と口にして、歩いて、泣いて、歩いたら、妙に心が静かになった。

 

年末年始の雰囲気に飲まれたくなくて、部屋に引きこもってインターネットをしている。今の所飲まれずに済んでいる気がする。年末年始、自分の意思に関わらず、自分の感覚の上辺のところだけを掴まれるというか、自分の中の少量のメモリが消費される感じがイヤなのだ、消費するなら一思いにガッツリ奪っていってほしいのに、上辺のところだけをさーっと撫でられていくのが気持ち悪い。

 

今日はお湯の温度や時間をキッチリと計測してコーヒーを淹れた。ちゃんとおいしいものができあがった。冷めても酸味が出てこない。

心とかの問題ではないのだ、科学の問題なのだから、最初から全て計測し尽くせばいいのにそれをしないで雑に生きている。その選択肢を選び続けているのは他ならぬ自分。

 

もっと自分の幸せのために生きたい、そして、それと同じくらい人に尽くすこととか、人に与えることで得られる幸せについても身をもって知っていきたい。もっと人のために生きたい

 

2022年振り返り(主に食べ物と美容の話)

2021年に引き続き2022年も毎月新しいことに挑戦するという目標を立てて色々やってきたのでその振り返り。おいしかった食べ物のことや、美容のこと、買ってよかったものとか、コンテンツの話とか色々雑記。挑戦と言えるほど大それたものじゃないのも多々ある、単に初めてやったことの記録たちという説もある。

 

1月

浅漬けを初めて作った

突然浅漬けブームが来たのでとにかくきゅうりを始めとした野菜を切って揉んで漬けていた。食事は基本的に一皿で済ますことが多いけれど、小皿に浅漬けを盛って、あとは白だしと乾燥わかめとか乾燥みそ汁の具をお湯と共にお椀に入れたら丁寧な暮らしっぽい雰囲気が出てよかった。なお2022年12月現在浅漬けブームは終了しております。

 

初めてコンビニのラーメンを食べた

パートナーはラーメンが好きで、コンビニラーメンもちょくちょく食べているのだけれど、私はそもそもコンビニに行く機会があまりなくて、コンビニラーメンの食べ方も分からないレベルだった。疲れて自炊もできないなあというときに、なんとなくセブンイレブンに行ってなんとなくすみれ監修のラーメンを買って食べた。食べ方はパートナーに教わった。普通においしかった。

ただ、私はすみれの店舗に行ったことがないので、セブンイレブンのすみれ監修ラーメンがどれほどの再現度なのか分からないという問題があったので、機会があれば行ってみたい気持ち。

あと関係ないけど↓のツイートは私のお気に入りのラーメン屋さん情報です。

 

 

2月

歯科矯正を始めた&親知らずを抜いた

ずっと歯科矯正をしたいと思っていた。笑ったときに見える歯並びがもう少しきれいだったら、私はもっと可愛く見えるのになと思っていた。子どもの頃に歯科矯正をやらせてもらえる家庭のことをずっと羨んでいたし、私はそういったことをしてもらえなかった側の人間なのだという劣等感があった。子どもの頃にやらせてもらえなかったけど本当はやりたかったことを、自分で自分にしてあげようと思って最近は生きていて、歯科矯正もその一つだった。

転職をして給料が上がったこともあり、コロナ禍でマスクをつけている時間が多いこともあり、重い腰をあげて歯医者に説明を受けにいったのが2月のこと。親知らずを抜いて初めてロキソニンを飲む生活を送った。

歯科矯正、まだまだ全然進んでいなくて道のりは長そう。

 

aknynk.hatenablog.com

 

3月

初めて眉毛サロンに行った

表参道の全然予約が取れない人気店にて初めて眉毛スタイリングをしてもらった。仕上がりがプロすぎて施術後はずっと自分の眉毛を鏡で見ていた。眉毛が整っているととても嬉しい。にこにこする。

ただ、サロンに行くまで最低でも数週間~1ヶ月は眉毛を伸ばし続けなければいけない(伸びてくる毛を放置しなければいけない)のが心理的にしんどいという問題は常に付き纏う……。

 

ネイルマシンを買った

昨年からジェルネイルに取り組み始め、それまで100均のテクスチャがゆるいものを使っていたのだけれど、もう少し粘度やツヤがあるもので立体感を出したいなと思ってジェルネイルを色々買った。また、それまでは爪に負荷をかけたくないしオフが面倒くさいのでピールオフジェルをベースに塗っていたけれど、普通のベースジェルも買った。これに際してオフのためにはネイルマシンが必要ということでネイル工房のネイルマシンを購入した。まだ全然使いこなせていないけれど、楽ではある、粉塵がすごい。

 

item.rakuten.co.jp

 

紅茶ブームが来た

f:id:aknyonaka:20221229165241j:image

 

私はコーヒーか紅茶だったらコーヒーのほうが好きで、ミルで挽いてペーパードリップする生活を数年前まで送っていたけれど、単純にコーヒーを淹れるのが面倒くさいのと、カフェインを摂取するとお腹が痛くなるという問題があり、飲む機会が減っていた。というところで、以前贈り物でいただいたKINTOのワンタッチティーポットの存在を思い出し、突如紅茶ブームが来た。

TWGの紅茶はマジでおいしい。TWGは以前交際していた人が初対面のときに贈ってくれたという、ちょっと切ない思い出付きではあるけれど、とにかくおいしいからメチャクチャ飲んだ。つーかKINTOのワンタッチティーポットが便利すぎる。

 

 

Amplitude ロングラスティング リキッドファンデーションを買った

コロナ禍になりマスクに口紅がつかなくなると話題になったAmplitude クリア リップコートを買った際に、このファンデーションのサンプルをいただき、あまりのツヤ感に感動して購入を決めた。

今はクリニークのリキッドファンデーションも使っており、しっかり毛穴とかを隠したいときはクリニークをウォーターパフで塗る、ツヤのある陶器肌っぽく見せたいときはAmplitudeをブラシで塗るという使い分けをしている。

 

f:id:aknyonaka:20221229170038j:image

 

4月

りんごジュースブームが来た

あれは忘れもしない3月のこと、『ザ・バットマン』をTOHOシネマズ 日比谷で観ようと休日の有楽町駅に降り立ったときのこと。喉が渇いたなーと思ってJRの自販機 acureで何の気なしにりんごジュースを買った。acureが独自の飲料を販売していることはTBSラジオジェーン・スー 生活は踊る』を聴いて知っていたし、まあなんというか単純に自販機でジュースを買ったというだけの話だった。

しかし、そのとき飲んだトキのりんごジュースがすごくおいしくて、acureでは色んな種類のりんごジュースがあると知り、たくさん買って飲み比べをした。

私はそもそもコンビニにも行かなければ自販機で飲み物を日常的に買うような人間ではなく、たまに自販機で飲み物を買うとき本当はモバイルSuicaとかiDでピッとやりたいのにすんごいもたついて上手に飲み物すら買えないときがあります。だから現金で買うときもあります。昨日も友人と一緒にいたから上手に買えなかったらどうしようと恥ずかしくて現金で買いました、そんな人間が3月~4月は自販機をたくさん利用しました。

スーパーの西友でもacureのりんごジュースが売り出されていたり、ふるさと納税でワイナリーが作るりんごジュースを頼んだり、あとは蕎麦屋で頼んだ葉取らずりんごジュースがおいしくておいしくて蕎麦屋に問い合わせて商品名を教えてもらって取り寄せたり、そういう異常行動をしていました。

 

 

f:id:aknyonaka:20221229170827j:image
f:id:aknyonaka:20221229170830j:image
f:id:aknyonaka:20221229170834j:image

f:id:aknyonaka:20221229170844j:image

f:id:aknyonaka:20221229170847j:image
f:id:aknyonaka:20221229170837j:image
f:id:aknyonaka:20221229170840j:image


 

5月

初めて浜松~伊勢・鳥羽~松本へ行った

鳥羽水族館とスーパー ツルヤが楽しかった。

りんごジュースとぶどうジュースを買い込んだ。

うなぎがおいしかったし、松本城も楽しんだ。

伊勢神宮は人生経験的に行けてよかった。

パートナーとのドライブデートが楽しかった。

でもやっぱり旅行やレンタカーの予約をパートナーが全部やってしまうことが少し悲しかった。

 

 

aknynk.hatenablog.com

 

映画 『コーダ あいのうた』を観た

別記事で書いた。

しんどくてたまらなくて爪の跡が残るくらい拳を握りしめたし気が狂いそうなほど泣いた。

aknynk.hatenablog.com

映画 『トップガン マーヴェリック』を観た

トップガンの一作目を予習してから、公開初日にパートナーと観た。

客層がおじさんばかりで同窓会っぽくて、なんというか、「おれたちそれぞれ違う人生を送ってきたけれど同じだけ年を重ねて今同じ映画館に集まっているよね」みたいな連帯感がすごく愛おしくてたまらなかったです。

世の中での盛り上がりも祭りっぽくてよかった。

一作目を彷彿とさせるシーンをわざと入れ込んで、物事が繰り返されている気持ちよさを感じさせながらも、現代の価値観に作品をアップデートさせているのがすごくよかった。トム・クルーズがかっこよすぎるのがズルい。

 

 

 

6月

ホームベーカリー パナソニック SD-MT4-W を買った

4月に旧モデルのSD-MT3-WをRentioでレンタルし、ついに買ってしまったホームベーカリー。パンが大好きなので致し方ない。材料をぶちこんで放置しておけばパンが生成されるというのは魔法みたいですごく嬉しい。でも最近はホームベーカリーで焼けるパンの味に満足できなくなっており、生地はホームベーカリーにこねてもらって、焼くためのスチームオーブンレンジを買おうかなと検討している。

 

 

 

 

初めてペッパーランチに行った

アラサー女がフードコートでペッパーランチを食べるのは大変趣がありました。

家でも作れそうだなと思ってその後たびたび家でペッパーランチごっこをしましたが、あれはバターの罪悪感に勝てるものだけが食べられる食事です。

 

 

初めてADDICTIONでアイシャドウを買った

ここ数年クレ・ド・ポー ボーテのアイシャドウを使ってて、SUQQUを買ってみたりCLIOを使ってみたりしたけど結局クレドに戻ってきてたので、そろそろ新しいものをと思ってADDICTIONのアイシャドウにチャレンジした。

もともと買う予定じゃなかったTiny Ballerina(ツイート写真左上)、色味がきらきらでかわいすぎて買ってしまった。バレエをやっているのでバレリーナと名がついているそれは大変かわいく見えた。おれのまぶたでキラキラが踊ってて最高です(???)

 

 

7月

初めて花鳥園に行った&初めてフクロウを腕に乗せた

みなさん人生において一度はフクロウを腕に乗せたほうがいいです。

多幸感で胸がいっぱいになります。

腕に乗るだけじゃなく、カメラのほうを向いてくれ、しかも撫でさせてくれる。

フクロウの頭にスーッと指先をすべらせて撫でたところ、羽がふわふわでどこまでも指が入って埋もれそうな感じがしてちょっと怖かった。でもいい子でかわいかった。

静岡の掛川花鳥園に行ったのですが、この日は台風が来ている日で大雨のなか行きました。鳥を撫でたあとにずぶぬれになってさわやかのハンバーグを食べたのも良い思い出です。

シロフクロウのぬいぐるみは我が家の家族の一員です。

 

 

初めて生で高橋一生さんを見た

 

まさかこの目標が叶うとはね。前から2列目で、本気を出せば触れられるくらいの距離で、たった1m、2m先に本物の高橋一生さんがいました。一人芝居を観ました。

質感がえげつなかった。靴に体重が乗るときの体重移動の音が聞こえた。唾を飲み込む喉の動きとか、髪の毛の生え際とか、ああこの人も怪物のようでいて生きている人間なんだなと思った。遠くにいるのに胸ぐら掴まれてるみたいに目でメチャクチャ縛り付けられる感じがして怖かった。

感想は別記事で書きました。

 

aknynk.hatenablog.com

 

Nature Remo 3 を買った

Nature Remo とかSwitchBot とか欲しいな~とずっと思い続けて買わない人間だったのですが、友人に背中を押される形でついに購入。家が突然便利になった。

iOSのショートカット機能とかもそうなんですが、私はオートメーションの設定を作るのが好きで、作り始めるとつい夢中になってやってしまう……。

 

 

以下のツイートは、パートナーと喧嘩して家出をしたときに、ただでさえ空腹と睡眠不足で判断能力が低下している中で一人寒空のもとで時間を潰して心身ともに消耗したので、食事やお風呂など体温を上げる行動ができるように通知を出すようにしたオートメーション。

 

 

8月

結婚後初めて一人旅行をした

別記事で書いた。

aknynk.hatenablog.com

 

一人アフタヌーンティーに行った@ラウンジ サウスコート

アフタヌーンティーに一緒に行くような友人が私にはおりません。

なので一人で行きました。

一人アフタヌーンティーは、喋る相手がいないので2時間制で予約しててもすぐ食べ終わっちゃいそうな気がしてタイムマネジメントに苦労しました。でも、私より随分あとに来た二人組の女性たちがお喋りしながらも私より早く食べ終わって帰っていったのを目撃し、タイムマネジメントなどせず人数に関係なく好きなペースで食べていいんだ…!という気づきがありました。どうしても2時間で予約しているとその時間を目いっぱい使わなければ…という思いに駆られるけどそんなルールはない、好きにしてよかったんだ。

 

初めて完全遮光日傘を買った

数年前から欲しいなと思いつつも買ってこなかったシリーズ。サンバリア100の3段折の傘を買いました。コロナ禍で外出も減っているので使う頻度はそこまで高くないけど、買ってよかったものではある。しかし畳むのは面倒くさいし普通に重い。

 

結婚2周年だった

結婚して2年が経ったようです。早いような短いような。

色んなことがあって泣いている日のほうが多いんじゃないかとも思うけれど、楽しく幸せな日々があることもまた確かなことです。

 

 

初めてApple Store に行った

iPhone SE 第二世代のバッテリーが死んできてついにバッテリー容量が80%を切ったので、Genius Barを予約してApple Care+を使って無料でバッテリー交換をした。おしゃれな空間なのに、スタッフはラフな感じでそのチグハグした雰囲気がちょっと怖かった。

 

 

9月

初めてサブウェイに行った

私は注文方法が分からないお店が苦手です。ラーメン屋に行くときでさえ、食べログで食券の場所を確認し事前に何を食べるか決めてからでないと行けません。スタバは行けます。モバイルオーダーの仕組みがあり、人と喋らずにゆっくり注文ができるからです。

私はパンが好きで、バインミーとかそういう類の食べ物が大好きなので、サブウェイにも興味があったのですが本当に注文方法が分からなくて困っていました。たまたまTikTokでサブウェイ公式アカウントが注文方法を紹介している動画を発見し、これを何度も見てついに初めて行けました。

生ハム&マスカルポーネをハニーオーツとバジルソースでいただきました。おいしかった。買えたときの達成感がすごかった。

 

 

フルーツサンドに目覚めた

フルーツサンド、今まで大して意識してこなかったのですが、平野紗季子さんの『生まれた時からアルデンテ』にフルーツサンドに関する文章があり、これはぜひ食べてみたい!!!と思って一人で『ホットケーキパーラー フルフル』に突入したのでした。

すんごくおいしかった。

私は「これ一緒に食べる必要ある?」と思うような調和していない食べ物が嫌いなのですが、このフルーツサンドはフルーツとパンとクリームがちゃーんと調和してました。一緒に食べる意味のある食べ物でした。よかった。

 

 

 

↓は横浜の水信フルーツパーラーで食べたフルーツサンド。これもおいしかった。

個人的にはフルフルの方が好き。調和度が高かった。

 

f:id:aknyonaka:20221229184408j:image

 

10月

初めてオイコスを食べた

最近はPodcastゆとりっ娘たちのたわごと』をよく聴いている。

パーソナリティーのかりんちゃんがオイコスを食べている話をしていたので、初めて食べてみた。プロテインを摂取しているな……!という感じの味と食感で、こう、喉に詰まって窒息しかける感じがとても好き。ガトーショコラとかスコーンとか物質としての密度が高くて喉に詰まって窒息しかける食べ物大好き……。

 

 

初めて眉毛を脱色した

3月の眉毛サロンのところで、伸びてくる毛を放置しなければいけないのが心理的にしんどいと書きましたが、脱色して色を薄くすればなんかそのしんどさは少し和らぐ感じがした。すっぴん状態でも眉毛が髪の毛と同じ茶色というのはなんだかそれだけで垢抜けて見えるので良かった。染料がなんか目にしみてシパシパする問題が付き纏うけど……。

 

 

賃貸の立退きと、初めての弁護士さんへ依頼をした

8月頃に今住んでいる賃貸から立ち退くよう言われ、私とパートナーで管理会社と直接立退料について交渉をしていたのですが思うように進まず、弁護士さんに依頼をした。結果、立退料が最初に提示された額より200万ほど増えた。よかった。

立退料が増えたこともよかったし、弁護士さんに依頼をするという実績を解除できたのもよかった。

この話はまた別記事に書こうと思う。

 

ドラマ 『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』を観た

今年一番ハマったドラマ。別記事で書いた。

aknynk.hatenablog.com

 

11月

シュウ ウエムラのメイクレッスンへ行った

別記事で書いた

aknynk.hatenablog.com

 

坂本真綾 LIVE 2022 "un_mute"へ行った

別記事で書いた

aknynk.hatenablog.com

 

初めてペリカンのパンを食べた

ふるさと納税の返礼品にペリカンのパンがあると知り、すぐに頼んだ。

かっこいい箱に丁重に扱われたパンが入っていてウキウキした。

小麦とバターの味がする、シンプルなのにおいしくて、ペリカンのパンが家にあるうちは在宅ワークが捗った。一人で全部食べました。

 

 

12月

初めて劇団四季を観た

前職でお世話になった方に連れて行ってもらう形で観にいった。もともとバレエのスタジオの子に「ディズニー好きなら劇団四季はおすすめですよ!」と言われていたのだけれど、チケットの予約方法が分からなくて困っていたところ、前職のその方が劇団四季が好きであることが判明し、連れて行ってもらった。『アラジン』を観た。まんまとハマってサントラをずっと聴いている。劇団四季って日本のブロードウェイだったんだ、と今更気づく。演出や照明や美術や衣装の工夫があちこちに見られたし、少ない出演者で舞台を回していてすごかった。

私もあの舞台で踊りたいと思った。毎年発表会で舞台に立っているとはいえ、劇団四季のように仕事として毎日舞台で歌い踊るというのはどういう気持ちなんだろうか。

 

 

f:id:aknyonaka:20221229190236j:image

 

 

その他

毎月ブログを書いた

毎月ブログを書いてアウトプットをしたのでえらかった。来年も継続したい。

 

パンをたくさん食べた

パン大好き、パートナーからは小麦の子だと言われました。

家で作るパンたちも、イーグル、リスドォル、キタノカオリなど強力粉にこだわり始めていて自分でもちょっと怖い。

 

 

 

f:id:aknyonaka:20221229190449j:image

f:id:aknyonaka:20221229190456j:image

f:id:aknyonaka:20221229190507j:image

 

以上、2022年の振り返り終わり!

他人の感情を舐めたい

 

 

痴漢に遭った話

先週久しぶりに痴漢に遭った。

触られたくないタイミングで見知らぬ男性に身体を触られた。

なんでもTwitter に書く私が、痴漢の詳細はTwitter には書けなかった。

知り合いが少ないMastodon に書いた。

書くことでやっと悲しいという感情が出てきて、そこで初めて泣いた。

悲しいと感じていたんだと、そのとき初めて気がついた。

 

誰にも助けを求められなかった話

悲しいと感じていた。同時に恥ずかしいとも感じていた。

痴漢に遭ってしまうような私の弱そうで抵抗しなさそうな態度や雰囲気が恥ずかしい。

そこそこの容姿、そこそこの身体、手が届きやすいスペック。

高嶺の花ほどレベルが高いわけでもない。

そういうちょうどよさが私にはあると自覚している。だから痴漢に遭うんだろ???

 

パートナーや友人たち、誰にも助けてほしいだなんて本気では言えなかった。

悲しいとか、つらいとか、指先ひとつで簡単に打って、大変だったよねと簡単な慰めをもらった。

でも本当は悲しくて気が狂いそうだった。

痴漢に遭った日はずっと触られた感触や見せられたものの生々しさが何度も何度もフラッシュバックしておかしくなりそうだった。

ベッドでうずくまって一人で泣くしかできなかった。

 

人間関係の冷たさの話

なんで本気で助けを求められなかったのか。

助けを求めた結果、関係性が崩れることを何より恐れているからだと思う。

そんなことで崩れる関係性なんて最初からいらないのに、相手が抱えきれないほどの強い話や重い話をして相手を壊してしまったらどうしよう、と思ってしまう。

 

私は脳内で「この人はこれくらいなら助けてくれるだろう、これくらいの重さなら話を聞いてくれるだろう」と塩梅を考えながら弱みを見せている気がする。

スマホを指先でタップしながらどれくらいの文章量にしようかとか、感情と事実のバランスはこれくらいにしておこうとか、そういうことを無意識レベルで考えている気がする。

 

相手が抱えられる重さでしか渡さないようにしている理由は、抱えられない重さを渡すと途端に相手が潰れるから。その結果関係性がおかしくなるのなら、最初から助けなど求めなくていい。私は一人で勝手に助かるから。

私の重さで相手を壊したくない。

相手が抱えられる重さで適度にもたれかかることで、相手には頼られている感を感じてもらい、気持ちよくなってもらえる。本当はそんなことするのイヤなのにな。

 

心の中では「甘えてほしいとか頼ってほしいとかよくも簡単に言ってくれたな、本気で助けてほしいときは助けてくれないくせに」と思っている。

忍野メメの「人は一人で勝手に助かるだけ」という言葉もいつも思い出している。

 

人間関係は結局頼れる範囲でしか頼れないような気がする。

本気では頼れないような気がする。

相手の良いところだけを都合よく利用して仲良くしてきたような関係性の人とは特に、利害が一致しているから仲良くしてくれているだけのような気がしてしまう。

 

本気で手を差し伸べ合ったりはしない、

そういう冷たさが人間関係には普通にある。

だからこそ私はぐずぐずの膿んだ弱いところは見せずに、平気で笑って楽しいところだけを見せているような気がする。

孤独だし、しんどいことだな。

 

誰も私の中に踏み込んで手を差し伸べてくれるわけじゃないと本当は頭では分かっている。そんな面倒ごとに自ら首突っ込むなんて誰もしてくれない。

私だって他人に対してそういった行動を取っていない。

だからTwitter を始めとしたインターネットに全部書いて、私だけは覚えておかなければならないと思って書いている。

 

悲しいことがあったとき、誰かから傷つけられたときに、「今私は痛みを感じているな」って 冷静に感じられるような、そんな皮膚に爪を立てたくらいじゃ全然ぬるくて、もっと、指が身体にめりこむくらい 冷静でいられないくらいの痛みを感じて叫んでいるときの、生の感情をちゃんと書き残しておきたいと思う。

あとから見返したときに追体験できるのはいい。感情の味を舐めて思い出せるからいい。

 

東京事変の『群青日和』、「教育して叱ってくれ」という歌詞は、相手の中に一歩踏み込むことを意味しているんだと思う。これを私はずっと求めている気がする。

 

相手のことは好きだけど、その人の前では自分らしくいられないという話

自分らしくいられない。

頑張って元気な自分を演じているときが、特にそう思う。

仲良くしている人だけど、その人の前では猫をかぶっているなと思うときがある。

それは先に書いた、本気で手を差し伸べあうような関係性ではないからだと思う。

頼れる範囲でしか頼らない関係性だからだと思う。

 

相手と私の間に明確に境界線がある。

境界線を越えてはならないと、いつのまにか暗黙の了解になっている。

お互いに踏み越えないように慎重にやりとりをしている。

 

たとえば私が悲しんでいるとき、相手も私が悲しんでいることを分かっていて、言葉では慰め寄り添ってくれながら、決してその境界線を踏み越えたりはしない。

私も相手がつらいときに、心配するような、寄り添うような言葉をかけながら、心では何とも思っていない。

相手のことは大好きなのに、相手の前では泣き崩れられない。ヒステリックにはなれない。理性をずっと保っている。

それでいいんだっけ。

 

パートナーに対しては、自分らしくいられていると思う。

 

 

私の中には何だか激しい感情が明確にあって、

パートナーの前では激しい感情の自分のままでいられる。

他の人には見せられないグチャグチャで理性的ではない自分の姿を見せられる。

他の人には見せたいとも思わないし、見せ方が分からない。

 

パートナーの前では自分らしくいられるのはなぜか。

パートナーはちゃんと降りてきてくれているからだと思った。

 

 

パートナーは、ちゃんと私の悲しみの穴を覗き込んでくれているような気がする。

不器用なりに、全然言葉が通じないなりに、何度も同じ加害を繰り返すわりに、パートナーも私と同じくらい傷ついているような気がする。

傷つくのなら改善すればいいのに改善はされない、それでも痛みを抱えていて、私以上に泣いているときがある。

「なんであなたがが泣くんだよ、あなたが私を傷つけなければこんなことになってないのに、なんであなたが泣くんだ、おかしいだろ」というようなことを言うと、

「おかしいよね、でも涙が出てきてしまう、自分がひどい言葉を言ってきたこと、痛みや悲しみを我慢するよう言われて育ってきて、それを相手にも押し付けていたことが悲しいんだ」と言う。

なんなんだろうと思う。でもこれが私の本心で、パートナーの本心。

 

そもそも寄り添いとは何なのか

 

職場の寄り添い営業をしている先輩を見て感じて書いたツイート↓

 

 

ヨシヨシしながら相手が疲弊するのを待っている。泣き止むのを待っている。

そういうことが結構ある。

 

そして、相手のことをずっと赤ちゃんのように扱って、成長を妨げているような気がする。もちろん、相手が傷つき涙しているときに絆創膏を貼ってやるような寄り添いは必要だと思う。けど、それを延々と続けて何になるんだろう。寄り添う側だってサンドバッグになって擦り減ってしまう。人間は壁打ちの壁じゃない。

 

パートナーから傷つけられたとき、散々寄り添ってくれない!話を聞いてくれない!と何度も怒って泣いたけど、今はもう寄り添いや話を聞いてもらうことを諦めていて、なんだかそれはそれで身軽になった思いでいる。

私はパートナーのことが好きだからこそ、パートナーに傷つけられたとしても、パートナーに寄り添ってもらいたかったし話をきいてもらいたかったはずなのに。

 

これまでも何度も書いてきたけれど、絆創膏を貼って相手が泣き止んだあと(復旧対応後)には、暫定対処と恒久対処を一緒に考えたいと思う。そうしないと同じことが何度でも起こるから。同じことを繰り返さないためにも暫定対処と恒久対処を考えたいのだ。

 

赤ちゃん扱いを続けてはいけない。

赤ちゃんのままでいてはいけない。

命が続く限りは、お互いに成長していかなければならない。

成長のために互いに対処を考えていければいい。

背中をさすり 相槌を打ち 共感をしながら 宥め続けて むやみに時間を流してはいけない。

本当に愛する相手であるならば、相手が二本足で立って歩けるような支援をするべきだし、それをサボってはいけない。

自立できた暁には背中を押して送り出すことが、私が望む関係性である。

 

私はどうしたいのか、どうしてほしいのか

 

以前このようなツイートをした。

 

 

たとえ「おまえなんか大嫌いだ」と叫ばれて暴れられても、何度も何度も手を伸ばして落ち着くまでずっと一緒にいるみたいな、抱きしめて離さないみたいな、お互いがグチャグチャのボロボロになって境界線がなくなるようなことを求めている、気がする。

腕を振り払われても力ずくで止めてほしい。

 

もっと、踏み込んできてくれと思う。

もっと、踏み込んでいきたいと思う。

 

私は相手のことを本気で引きずり込みたいと思っているし、それくらいつらいんだって本当は叫び出したい。けど、そこまで面倒を見てくれるほど優しい人間なんていない。隣の家が火事になっても、「ああ、燃えてるな」「でもまあ自分の家に関係ないならまあいいか」って窓を閉める。煙が入ってこないようにさっさと窓を閉めて、いなくなってしまう。そのときに私はきっと膝をついて声にならない叫び声をあげているだろう。

 

相手が傷つき悲しんでいるとき、傷つけてでも相手の中に入り込んで痛みを取り除いてやれるものなら取り除いてやりたい。でもそんなことは到底できない、なぜなら他人同士だから。だから、傷ついている相手の胸ぐらを掴んで、馬乗りになって、悲しみから目を逸らすなよと、言いたい。目を逸らさずに味わった結果出てきた言葉を、私も味わいたいから教えてくれよ、そういう思いでいる気がする。

なんか、そうやって相手が感じた苦しい味の飴を一緒に舐めることが、私が求めていることで、私がやりたいことのような気がする。

 

そういうことが、こう、相手の心に降りて悲しみの穴を覗き込んでやるようなことに繋がっている気がする。

 

これは復旧対応中の話。

赤ちゃん扱いしてヨシヨシして疲弊するのを待つだけじゃなくて、自ら相手の中に踏み込んで自分も何かを感じたい。復旧したら先に書いた通り一緒に対処を考えられたらいいなと思う。

坂本真綾 LIVE 2022 "un_mute" に行った

子どもの頃の将来の夢は、「作詞家になりたい」、だった。色々な音楽を聴く中で、素晴らしい歌詞に出会うたびに、私も歌詞を書く人間になりたい、自分の言葉で何かを伝えたい、そう思っていた。お花屋さんになりたい、パン屋さんになりたい、それらの夢とおんなじで、あまり深く考えずに作詞家になりたいとささやかな夢を掲げていた。

 

子どもながらに歌詞をインターネットに公開して、知らない人から歌詞を書いてほしいと頼まれて書いたこともあった。できあがった曲はどこへ行ってしまったのだろう。依頼してくれたひとは私の何を知って頼んできたのだろう。よく分からない。

 

大好きな作詞家に連絡を取って、やりとりをしたこともあった。ああ、懐かしいな、こっそり応援していた作詞家が大ヒットアニメ作品に携わり始めて爆発的に売れたこと、懐かしいな……。

 

そういう時代がはるか昔のことのように思える。そして、作詞家になりたかったことを、私はいつしか恥ずかしく思うようになり、人には言わないようにして生きてきた。自己表現で金を稼いで食べていけるわけがない。才能もないやつが何を言っているんだ、と早々に諦めて、大学へ行き就活をし社会人になった。敷かれたレールに沿って生きてきた。

 

坂本真綾

 

坂本真綾の書く歌詞は、私の人生を救済してくれたし、出会った頃が高校生や大学生という少しずつ現実に向き合わなければいけない時期だったこともあり、心のお守りのような存在だった。それと同時に、なんというか、もうこれは敵わない、私が言いたいことは全部坂本真綾が書き記している、と少しずつ作詞家になりたいと思うこと自体が少なくなり、あるときその夢は影を潜めてしまった。

 

f:id:aknyonaka:20221127205021j:image

 

というわけで、

真綾さんのライブに行きました、久しぶりに。

前回は横アリでした。さいたまスーパーアリーナで初めて生の歌声を聴いて立ち上がれなくなるほど泣いたときのことを思い出す。今回は国際フォーラムでした。2019年〜2020年の年越しライブ以来の国際フォーラム。

 

 

身体の隅々にまで音楽を行き渡らせて浸る音楽たちだった。

 

やっぱり生で聴いてしまうと泣いてしまう。胸が苦しくなって、叫び出しそうになる。気が狂いそうになる。坂本真綾、メチャクチャ強い人間だと思う。メチャクチャに意思がある、強い感情がある、それに胸ぐら掴まれて息ができなくなる感じがする。目の前の現実を見ろと言われている気になる。

 

まあこうやってライブに行って爆音と真綾さんの歌声を身体の隅々にまで行き渡らせた結果涙が出てくるというのもある種のコーピングのような気がしていて、泣くことで少し楽になった部分もあったと思う。最近つらいことが多かったから。

 

洋画を見ているときに字幕を見ている時間がもったいないと思うときがあるけれど、今回のライブは涙をぬぐっている時間がもったいないと思った。涙を流したまま真綾さんの強さを受け止めなければならない。記憶から立ち上る、自分で抱え込んだ痛みや悲しみとも向き合わねばならない。

 

 

『菫』と『言葉にできない』を聴きながら、これまで出会った人たちの、手の感触や、身体のあたたかさ、髪のしなやかさ、香り、そういうものをひとつひとつ記憶をたぐりながら思い出していた。

会うと魂が震えるほど嬉しくなるような人と、これからあとどれくらい出会えるだろう。誰もいなくならないでほしい。置いていかないでほしい。人の背中を見送りながら跪き泣く日がいつか来るような気がして怖い。誰も離れていかないでほしい。誰も、みんな、いなくならないでほしい。手を伸ばせば触れられるときに触れないで、離れてからもっと感触を確かめておけばよかったと後悔しそうな気がする。感触も何もかも全部覚えていられたらいいのに、それはできないことだから、私は言葉で残しておくんだと思う。いつでもあのときの気持ちを思い出せるように。

 

『プラリネ』、チョコレートだとナッツのキャラメリゼとかなんかそういうものがフィリングとして入っているから食べているうちに溶けて出てくるやわらかい部分が私はすごくおいしいと思う。焦がしキャラメルだからか少し苦味があって、周りのチョコレートの甘さを引き立てる感じがするし。

真綾さんの曲のプラリネは、あれはすごい軽やかな曲調だけど歌ってる内容がアツすぎる、溶け出した剥き出しの感情が強すぎる。

 

みんなが思う私って なんか違和感があって
それでもうまくかわせるから べつにいいと思った

でも寂しくて もどかしくて
行き場なくした気持ち
君だけがね すぐに見抜いて抱きしめてくれた

 

は?好きです。100億分かる、もう勘弁してほしい、分かる分かる分かる分かる。なんか、私としては別に隠しているつもりもない自分自身をちゃんと見つけてくれる人と会うと魂が震えるの、本当に、分かってくれる人なんて一人か二人でいい、それで私は安心して身体や心を委ねるから。

この曲、好きな人と行った場所がひとつひとつ思い出になり、共に過ごすうちに境界線が曖昧になって口癖とか笑い方の癖が似てきた、みたいな曲だけど、なんかリリースされた当時失恋したばかりだったからか、元恋人との思い出が多すぎて行けない場所が増えたなとか、似てきた癖とか自分に残された元恋人の痕跡を早く消したいなみたいな感じだった気がするのを思い出した。今聴くとなんかもうそれもいい思い出ですね、って感じ。

 

真綾さん、出産を経験したこともあり、毎日変化がある、同じ日なんて一日たりともない、昨日会ったあなたにはもう二度と出会えないということを話していた。10代の頃に歌った歌が40代になった今全然違うように聞こえる、真綾さん自身も変わってきたと言っていた。

 

ディーゼル』『カザミドリ』『Remedy』を聴きながら、なんというか、自分の手で触って確かめていきたい、変わることをおそれずに前に進んでいきたい、その中でひとりになったとしても寂しさは抱えて生きていきたい、忘れたい傷も忘れられない傷も山ほどあるし、忘れてしまった過去もあるけれどそれでいいんだよな、無かったことにはならないんだから、みたいなことを感じていた。なるようにしかならない人生だけれど、経験を味わい尽くしたい、苦しみも楽しんで生きていきたい、みたいな。なんか、最近そういう思いって自分の中でどこか擦り減っていたような気がする。感受性とかが劣化したというわけではなく、真綾さんが言うようにただその在り方が変化しただけなんだろうと思う。今の私もそれなりに地面を踏み締めて味わって生きていると信じたい……。

 

『空白』と『レプリカ』聞けたのでもう死んでいいと思いました。音楽を全身で浴びました。最近あった悲しいこと全部クソです。本当にどうでもいい。懸命に歯を食いしばって生きなきゃいけない、つらさも悲しみも噛み砕いて前に進みたい。他ならぬ私のために生きなきゃいけないのは分かりつつ今すんごいつらいんですけど!?スゲー血が出てるんですけど!?しかしこの曲くらい強い力で背中をバンと叩いてもらって目が覚める思いでした。真綾さんが大サビの入り間違えたところも含めてアアアア〜〜!!!!!って叫びそうだった。ちなみにライブはまだ声出し禁止だから、国際フォーラムの席に磔にされながら、とにかく涙をだらだら流し続けるしかない。地獄じゃん。なんでこんな苦しい曲をみんなで聴いて泣いてんの?何これ???

 

 

終盤の『クローバー』と『千里の道』でやっと救済される。明るいほうへと手を差し伸べてもらえる。なんなんだよこのセットリスト、最高につらくて最高に素晴らしくて、なんなの?感情を揺さぶりすぎです、本当に……。バンドメンバーと真綾さんの歌声のバトルみたいなときがあって音響おかしくなりそうだった、つーか国際フォーラム来るたびに音響もう少し良ければいいのにと思っている気がする。

 

出産をして、戻ってきてくれて、「これからも歌う気があると、証言をしたくて、このライブを開いた」みたいなことを話されていたのがすごく心に残っている。ああ、真綾さんの美しい水のような透き通った歌声をこれからも聞けるのね、ああ、じゃあまだかろうじて私は生きながらえるかもしれないね、よかったね。生き延びるのを毎日積み重ねて私たちきっと生きていくんだね。

 

ファンの年齢層や男女の割合が様々で幅広いにも関わらずみんなちゃんとしてるというか、お行儀が良いし、優しいし、隣同士知らない人たちで特に会話を交わすことがなくても一緒にライブを楽しんでる感があってよかった。みんないい人たち。変なキンブレ振り回す人たちなんかいない。恒例の旗を出す人は少しだけ見かけた、でも真綾さんは旗の歌は歌わなかった。それでいい、確信犯でわざとセトリに入れなかったんだろ、分かるよ、みたいな謎の共感をしつつ、まあ普通に淡々と帰ってきた。行ってよかった。