他人に心を砕くこと

子どもの頃、母親に「ついてこないで!」と言ったことがある。

母親と並んで歩きたくなかったからだ。

母親はいつも申し訳なさそうにへこへこしていて、娘の私と歩くときでさえ、まるで召使いのように腰を低くして狭い歩幅でコソコソと歩くような人間だった。母親がそのような行動を取るから、普通に歩いているだけの私が母親の主人のように偉そうに周りに見られそうな気がしてイヤだった。だから「ついてこないで!」と言った。私が偉そうに見られるのがイヤだから一緒に歩きたくない、そういう意味で出た言葉だった。

当時の私は自分のことしか考えていなかった。母親がなぜそんな召使いのような行動を取るに至ったのか、その背景を子どものときの私は想像すらしなかった。

 


母親は二世帯住宅に住まう専業主婦で、家庭内での地位が一番低く、片付けが全くできず家をゴミ屋敷にすることから、常に罵られ虐げられる存在だった。母親は、生存戦略として、積極的に下手(したて)にでることで、積極的にひれ伏すことで、自分の居場所を確保していた。そうするしか生き残る術がなかったんだと思う。

 


娘である私も母親に「頼むから片付けをしてくれ」だとか「あなたに大事な物があるのは分かっているが、あなたが死んでからその大事さが分からない私のような他人が遺品整理をするくらいなら、生きている今のうちに自分の大事なものは自分で片付けをしてほしい」だとか「あなたの物が多すぎて、妹の部屋が無いのはかわいそう」だとか散々言ってきた。私も罵っては虐げる側の人間だった。

母親が私と歩くときに召使いのようにコソコソと申し訳なさそうに歩くのも無理はなかった。

 


私が「ついてこないで!」と言ったとき、母親はその言葉に従い、私から数メートル離れたところを歩いた。それからというもの、母親は私から数メートル離れたところを歩くようになった。「いやがらせか?」と当時は思った。数メートル離れたところでもなお、申し訳なさそうに腰を低くしてコソコソと歩く様が、子どもながらに恥ずかしくてたまらなかった。

 


何より嫌だったのは、母親が私の言葉に従って行動したところだった。

「自分の意思はないのか?」と心底思った。

 


このエピソードの他にも、バレエの発表会のとき、終演後、周りの友人たちは親に「きれいだったよ」「すごくよかったよ」と声をかけられ花束などを渡されている中、私の親だけ楽屋に来てくれなかったことがある。発表会が終わったという解放感と達成感で周囲が騒々しい中、淡々と衣装を脱ぎ、メイクを落とし、発表会を見にはきてくれていた親と車で帰った記憶がある。「なんで楽屋に来てくれなかったの?」という言葉が喉元から出そうになった。悲しみのあまり言葉にして言ったかもしれない。ぶちギレながら、「なんで楽屋に来てくれなかったの!?!?!?」と絶叫したかもしれない。

 


また別の話で、とある家族旅行のときに私が「行きたくない」と行ったことがあり、それ以降、家族旅行には二度と誘ってもらえなくなったこともある。両親は、私抜きの妹との三人での旅行を楽しんでいた。そもそも私は旅行好きではなかったけれど、実の親に誘ってもらえすらしないことが悲しかった。私のためにお金も時間も言葉をかけるコストも、何もかもを費やしてくれないことが腹立たしかった。実の両親ですら、私と本気でコミュニケーションを取ろうとしない、そういうところが本当に嫌だった。

 


怒りと悲しみのあまりぶちギレると、母親は決まって「あなたが悲しむと思って」と言ってのけた。

 


「あなたが悲しむと思って」 魔法の言葉だと思う。

 


私の気持ちなんか関係なく、私がどんなに拒否したとしても、どんなに嫌がったとしても、母親がどのように行動したいか、娘と一緒に歩きたい、楽屋に行って声をかけたい、今回こそは旅行に一緒に行きたい、お前の意思はどこに行ったんだよ、なんでお前は私の言葉に従うんだよ!とずっと思っていた。

 


私の言葉に従う、私のことを尊重するという体裁をとりながら、母親が保身をしているのが透けて見えて、そのことにたまらなくズルさを感じていた。卑怯だと思った。そうした体裁をとりながら、私の心を無視したり、私の気持ちに気づいてもらえないことがただただ悲しかった。母親自身の意思で行動をしてほしいと強く思っていた。「私を尊重する体裁をとりながら、コミュニケーションをサボるんじゃねえよ」と思っていた。

 


人間は、言葉や字面だけでコミュニケーションを取るのではなくて、表情や息遣い、態度からもコミュニケーションを取るのであって、「ついてこないで!」と言ったときの私の態度、旅行に行きたくないと言ったときの私の態度、その心意にちゃんと耳を傾けてとことん話を聞いてほしかった。母親が召使いのような行動を取る理由を、私は想像すらしなかったくせに、私は母親に私の心の内を想像することを強く求めていた。なんで分かってくれないの?と思っていた。傲慢だった。

 


ただ、娘の私の言葉に従うというのも母親自身の意思で選択したことで、そこには「これ以上娘を怒らせてはいけない」とか「悲しませてはいけない」とか 「怒っている娘を見るのが怖い」とか「娘を怒らせてキツイことを言われたくない」とかそういう思いがあったのではないかと今なら想像できるし、何より生存戦略として積極的にひれ伏すことで自分を保つ生き方をしてきた母親にとって、母親自身は自分の意思など価値がないもので、相手の言葉に従ったほうが得策だと思っていたのかもしれない。従わなかったとき何をされるか分からなくて怖いから、従うほかなかったんだと思う。

 


大人になると分かるが、いちいちタイマン張ってとことん話し合うことは物凄く疲れるものである。子どもの頃の私は、今もそう変わらないけど、いちいちぶつかり稽古をしてちゃんと話し合って落としどころをきっちり決めたいと思っていた。流れに身を任せるのではなく、嫌なことは嫌と言ってちゃんと闘いたかった。でもそんなことしてたらキリがない。分かる、頭では分かるけどね……。

 


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先日『テレフォン人生相談』の過去回で、自分の娘が実の子(相談者から見たら孫)にDVをしているというおばあちゃんからの相談を聞いた。回答は幼児教育研究家の大原敬子さんで、「お嬢さんの感情はあなたに向かってるんですよ」「今まで積もり積もった苛立ちをお母さんにはぶつけられないんですよ」「だから自分より弱い子どもに向けているんですよ」というような回答をしていた。

 

本当にこのお嬢さんが求めているものは、あなたが動かないことなんですよ。「どいて」って言ったら「ここお母さんこの椅子好きだから動けない」って。「でも、どいてよ」「なぜなの?」ってことです。言い訳も一切しないで。そして「お母さんこれ食べなよ」って言ったときに、「お母さんこれ食べたくない」って、ちゃんと自分の意思を言うことがまず第一条件なんです。

 


自分の意思を示す、という話だった。

 

「あなたはいつもこうして私を無視して」って幼児期の話が出ます。彼女は幼児期の話がしたいんです、実は。因縁をつけて、「私をこういう子どもにしたのはあなたなんだ」って、怖くて言えなかったチャンスを狙ってるんです。でもあなたはその幼児期の話を聞くチャンスを作るんです。繰り返し、繰り返しなんです。

そしてね、一番言ってはいけないことは、「そう、あなたそんなに苦しかったの、ごめんなさいね」がダメなんです。
たった一言ね、「ごめんなさいね」で私のこの37年間返すなんて、それだけ苦しかったことをお母さんは気づかなかったことなんですよ。
つらいんです。一言で終わってしまうことは。そういうことではないんだって、優しい子ですから根は。「ごめんなさいね」をやってしまうと振り上げた私の怒りが出ていかないんです。

それだけ苦しんだことを気が付かなかったお母さん、つらかったんでしょうね、って。つらいとか、どれだけ我慢したんだろうかとか、「こんなに気づかなかったお母さん、どうしたらいい?」って聞いてほしいんです。「どうしたらいい?」って言うとね、「どうしたらいいってね、ただ聞いてくれればいいんだ」って収まってきます。「私はこれだけ我慢したという娘の気持ちを理解して」って言ってるんです。

 


この相談を聞いたとき、DVをする娘の気持ちに共感して涙が止まらなくなった。気づいてほしかったけど、気づいてくれなかった悲しみが怒りとなって蓄積していること、分かりすぎるほどよく分かる。

私も、私の言葉に母親が意思を持って行動してくれるのをずっと待ってた。でもそういうことをしてくれなかった。私の言葉に従った、それが死ぬほど嫌だった。

 


テレフォン人生相談を始め、色々なラジオの相談コーナーを聞いていると、結局他人とはよく話すしかない、というシンプルな結論に行きつく。ただ、他人とよく話すというのはとても骨が折れるので、ついつい見て見ぬふりをしたり、適当にやり過ごしたりしてしまう。でもそれだといずれ辻褄が合わなくなって、しわ寄せがどこかで来てしまう。「よく話すしかないよなあ~……」ということを、最近はよく考えている。

 


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『違国日記』の最終巻、11巻を読んだ。大事に読んだ。

 

 

…何かを美しいとか 愛らしい 大切だ 大切にしたい 何か伝えたい そういうことを感じるたびに とんでもなく疲弊する いやになる 今いちばん後悔してるんだ こんな気持ちになるはずじゃなかったって

 

…そのしんどい努力をしなきゃいけないんじゃないの …それがさ それが 心を砕くっていう言葉のとおりなんじゃないの

 

『違国日記』は、なんていうか、大人が若い世代の人間に何をしてやれるか、何を残してやれるか、餞(はなむけ)みたいな、そういう作品でもあって、でも、一対一の人間として見返りのない愛情を向ける傲慢さとか暴力性とかの話でもあって、で、最終巻で上述の引用の言葉でズドンと撃ち抜かれて私は死んでしまいました。

 


ああ、今日はこんな楽しいことがあったよ、つらいことがあったよ、そういう一喜一憂を誰かに伝えたくなればなるほど、本当にうんざりして、疲弊して、もういい加減やめたいって思うけど、懲りずにそれでも伝えたい、話したい、会いたい、と思う人間がいて、苦しいな、と思う。面倒くさいからいっそ死ねたら楽なんだろうかと思う。

 


私がおいしそうにご飯を食べるとき、涙を流しながら何かを話すとき、黙って相手の目を見つめるとき、相手は一体何を考えているんだろう。誰かが私に弱くて温かい部分を見せてくれたとき、好きなものの話をして笑っているとき、私はちゃんと受け取ることができているんだろうか。

 


心を砕くって一体なんなんだろうと思った。

 


いちいちタイマン張って闘いたがるけど、それとは別にもっと優しくて穏やかな方法があるのではないか、と思う。

落ち着いて素直に心を開くのが、とても怖い。

心を開いて剥き出しにすると、風に晒された心が熱を孕んで、痛くなって涙が出る。

 


こう、心を開かずに心の内と脳を直結させて思いをうまく言語化して伝えられたらいいのかもしれないけど、きっと多分そういうことではなくて、言語化がへたくそでも、懸命に心を開けば伝わることがあって、そういうことがきっと大事なんだろうな。それがすごくしんどいことなんだよな。

 

きっと、開いた心が誰かに届くように、歌にしたり詩にしたり絵にしたり、あとは手を握ったり抱きしめたりセックスしたり、そうして弾を込めて撃つんだろうな、撃つというか、遠海に向かってボールを投げるみたいな、届くといいなっていう祈り、だと、私は思う。

分かってもらえたらいいな、届いたらいいな、の連続に、打ちのめされて挫けながら、それでも、それでもやっていくしかないんだろう