2023年、『アナと雪の女王』を見返した

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ディズニー創立100周年を記念して『ディズニー 100 フィルム・フェスティバル』というものが開催されている。ディズニーの過去作品を映画館で上映するイベントで、私は『アナと雪の女王』を見にいった。

 

アナと雪の女王』が日本で上映されたのは2014年のことで、「ありのままで」ブームから約10年も経つのかと思うと結構驚く。私は当時19歳の大学生だったが、もうすぐ30歳になる。

 

放映当時、吹替版を映画館で観て、感動のあまり一週間ほど一言目には「アナ雪めちゃくちゃよかった」と言いまくっていた。映画館で音に圧倒されて自動で涙がドバドバ出てくる体験というのをアナ雪で初めて知った。爆音で素晴らしい音楽が脳に直接"刺さる"ような感覚で、感情を介さない反応として私は映画館で泣きっぱなしだった。

 

あまりに良かったので2回目を字幕版で見た。場所は横浜のムービルだったと思う。ムービルのスクリーンは学校の視聴覚室じみていて、音に圧倒される体験は若干薄れるものの、それでも泣きまくっていた気がする。

 

2014年当時の感想ツイート↓

 

当時の私は異様にハンス王子が好きで、彼には彼の事情と苦しみがあり、それは同情するし、自分の欠落を他人で埋めるようなことをする人間に育つのも致し方が無いよねという気持ちを抱いていた。アナには、エルサばかり気にかける親のもとで育ったから、出会った初日に結婚を決めるほど愛に飢えてしまうのも致し方ないよねとも思っていた。

 

2023年、私も十分に大人になり、結婚し、今改めて『アナと雪の女王』を見たところ、随分と自分の考え方・感じ方が変わったことが分かった。製作陣の意図もようやく少し分かった気がして、改めて感想を記しておきたいと思う。

 

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エルサの愛着が健やかに育たなかった生育環境について

 

エルサの能力って別にエルサが望んで得たものではないのに、人を傷つけないよう能力を隠せと親からメチャクチャ言われてて、それによって健やかな愛着が育たなくて、自分の家・家族が全く安全基地ではなかったんだと思う。本当につらい。

 

親は何の悪意もなく、むしろエルサのためを思って、人を傷つけないように部屋のドアを閉め、アナからも遠ざけ、人との関わりを断絶し、結果エルサは一人ぼっちになってしまう。

 

しかし、エルサが置かれている立場上、アレンデールの民を守るためには、いつか手袋をはめずに自力で能力を抑えられるようにならないといけないというプレッシャーが常についてまわり、それもエルサの首を絞める材料になっている。

 

一人孤独に部屋の中に閉じこもっているときのエルサは、人に迷惑をかけてはいけない、人を頼ってはいけない、人を傷つけてはいけないという思いが強烈に育っているのが目に見えて分かって、それもまた苦しかった。

そばにいてほしかった親も船に乗って死に、戴冠式といった助けてほしいときに「助けて」とすら言えない状況があまりに苦しい。

アナはエルサの能力のことを何も知らないから、そばにいるのに一人ぼっちだという感覚に陥る。

 

後述するけど、こういった生育環境によって、「私がなんとかしなければならない」と全部を背負って、自閉傾向に拍車をかけたのかなと思った。

 

映画のオープニングから戴冠式のシーンは歯を食いしばっていないと倒れそうなくらい私はずっと泣いていた。つらい。

 

アナとエルサの発達特性について

エルサについて

結婚して発達障害カサンドラや愛着のことを学んだ結果、アナ雪の見方が少し変わった。改めてアナ雪を見ると、ASDADHDの物語に見えてしまい、「ありのまま生きるために、社会から離れて一人でいたい」というエルサの思考ってメチャクチャ自閉なのでは……?と思わずにはいられなかった。

 

医学的なことを理解していない私がこういうことを書くのはあまりよくないとは思いつつ、普段私がパートナーのASDっぽい行動にひどく傷つき、私がカサンドラっぽい行動(医学用語ではないことは重々承知しています)に陥った状況を重ね合わせて見てしまい、19歳のときには分からなかった新しい見方を発見した。

 

放映当時「ありのままで」という言葉が「世界に一つだけの花」みたいなきれいな言葉として大流行していたが、よくよくあの歌が歌われているシーンや歌詞に意識を向けてみると、「ありのまま生きるために、社会から離れて一人でいたい」という歌っぽいんですよね。

 

 

人を傷つけるし、自分はずっと苦しいままだし、それなら人と共生することを諦めて、ありのままで生きたい、一人でいれば自由になれる、能力のせいで人を傷つけるくらいなら一人でいたい、もう疲れたから放っておいてくれ、もう決めたんだよ、と言わんばかりにドアを自ら力強く閉めている。

 

今まで親や周囲の人間が彼女の心のドアを閉じてきて、ついにエルサは自分のドアを積極的に閉じるような人間になっちゃった。

親から言われてきた言葉が呪いになって、自分自身に魔法をかけて、自分で変身していく姿はとても美しいが、あまりに独りよがりで、閉じこもって「ありのままで」を高らかに歌ったところで、そこに残るのは巨大な虚しさでしかなかった。

 

私のパートナーもたびたび言う。「もう疲れた、もう一人でいきていきたい」「あなたのことが嫌いになったわけじゃないんだ、でも共に生活するのが難しい」「人と生きるのが難しい」と離婚を切り出してくる。

 

もちろん私とパートナー間の関係性については私にも十分に問題があることは分かっていて、でも、エルサもパートナーも、人と関わることを避けて積極的に一人になることを選択することで誰も傷つけないようにするという、そういう思考回路をしている。

 

自分の思い通りに、能力を開放して何も我慢せずに生きるには、一人になるしかない、そう思い込んでいる。自分のことは全部自分でどうにかしなければならない、自分の能力や特性のことで絶対に他人を巻き込んではいけないと、どこか完璧主義めいていて、他人を頼るといった選択肢は全く浮かばない。周りには助けてくれる人がたくさんいるのにね。

 

不完全である自分、ときには人を傷つけることもある自分というのを受け入れて生きることこそが、ありのまま生きるという言葉の正体なんだと思うんだけど、そうではなくて人を傷つけないために一人になることを選ぶところが、うーん、なんとも……。

 

パートナーも似たようなところがあり、私はパートナーのことを助けたいのに、頼ってくれないという悲しさがある。ただ、エルサやパートナーが「人を頼る」という選択肢が思い浮かばないほど追い込まれた人生を送ってきたことを思うと、安易に「私のことを頼ってね」とも言えず、ただただ心が痛む。彼らは誰かを頼りたくても頼れなかった時間があまりに長すぎるんだろう。

 

エルサは終始「私が、私が」って感じで、アナがなぜ出会ったばかりの人と結婚しようと思ったのか、それほどまでに愛情に飢えていたという背景まで想像することはできてなくて、自分のことで精いっぱいで、誰も頼らず一人閉じこもってるから結果的に大事な人まで傷つけちゃうんだよな~~ということも思った。

 

アナについて

一方アナについては、終始落ち着きがなくバタバタ走り回ったり暴れ回ったりしていてADHDのように見えた。たまたまハンス王子にぶつかったところを優しくしてくれたくらいで「運命の人かも?」と思考が飛躍し、すぐあとに戴冠式があることを思い出し走り去っていく。

 

アナはエルサがこれまで抱えてきた苦しみや孤独のことを全く理解しないまま、「アレンデールの氷を早く溶かしてほしい、夏に戻してほしい」「行かないで、私から離れないで」と自分のニーズの押し付けばっかりしていて、そういう関係性ってマジで離婚するしかないから地獄なんだよね……という目で見ていた。そんなこと言われたら私だったら荒れ狂っちゃう。城壁をより強固にするエルサの心がよく分かる。

 

「氷を溶かして夏に戻すことはできない」とはっきり言葉にするエルサに対して、「エルサなら絶対できるよ!」と無邪気に言うアナは、エルサを傷つけていることに無自覚だし、余計にエルサの孤独を深めていることにも気づかない。きっとこのことを追及したら、「傷つけるつもりなんかなかった、ただエルサのためを思って」みたいなことを言うんだろうなと思うともうそれだけで項垂れてしまう。圧倒的な断絶、分かり合えないことの証明でしかない。

 

でも『雪だるまつくろう』の歌のとき、幼少期のアナはめげずにエルサの部屋のドアをノックし続けていて、成長するにつれ エルサに反応してもらえないことが分かると、ドアの前に足を運んでも ノックする気が失せて声をかけるのを諦めてしまっていた。声をかけたい気持ちはあるのに 心が折れてしまうこと、よく分かるよ。

 

……というように過去に心が折れていたときもあったけれど、ガンガン話しかけにいくアナはそれだけでもう偉いと思う。私にはできない。拒絶され続けても積極的に人に話しかけにいくようなこと、私にはできない。

相手のことを傷つけようが邪険にされようが、話しかけたいから話しかける、そういうシンプルな強さがアナにはあって、そういうアナの性格にエルサはいくらか救われているんだろうなと思った。

 

誰もが完璧じゃない それを補うために必要なものが本物の愛

放映当時はあまり響かなかったトロールたちの『愛さえあれば』という歌が響くようになった。大人になったものだなと思う。「誰もが完璧じゃない それでいいのさ」「それを補うために必要なものは本物の愛」だということ、結婚してからようやく分かりつつある。もはやアナ雪が描いている一番大事なテーマってこれだったんだ!と今更実感を持って理解できるようになった。今まで私は何を見てきたんだろう……。

 

「愛っていうのは、自分より人のことを大切に思うことだよ」 とオラフが雪の身体を溶かしてアナの身体を温めるシーンがある。そのときに「これが暑さなんだね」とも言っている。人のために行動することによって初めて得られるものがあり、一人では得られることができないものこそが自分を育てるんだよなと思った。

 

エルサが能力をコントロールできるようになったのは、アナとの関係性が改善し、アレンデールがアナとエルサにとっての安全基地になり、ありのまま生きられる環境になったからこそだと思う。人のために行動するためには、自分のことを否定されない安全基地が必要で、能力を誰にも否定されないこと、心に痛みを抱えながら「少しも寒くないわ」と言わなくてもいい環境であること、「能力を隠せ」などと言われないこと、赤子を遠ざけ奇異なものを見るような眼差しを向けられないこと、そういった小さなことの積み重ねが、結果的に愛を育んだという話だった。

 

その他 思ったこと

  • トロールの「頭は簡単に丸め込める」という、記憶の改竄は容易いという言葉が結局よく分からない。アナとエルサの幼少期の思い出はアナにとって改竄されたままなんだろうか。エルサに傷つけられたこと、思い出せないままなんだろうか。そこが若干有耶無耶になっているのが気がかりだった
  • 反復の描写が気が利いていて良い
    アナ雪の後に放映された『ズートピア』は反復の描写がこれでもか言わんばかりにふんだんに盛り込まれていて、あれはあれで最高だけど、アナ雪の細やかな反復も寒いときにココアを飲むような温かさでとてもよかった
    • 冒頭はエルサが部屋に閉じ込められて孤独になり、後半ではアナが部屋に閉じ込められる。ドアを背もたれにして途方に暮れるシーンの反復が、アナはエルサの立場に立って考えたんだな、同じつらさを味わったんだな、というのが描写として分かるのが良い。
  • 冒頭の子どもってクリストフだったんだ!と何度見ても思ってしまう。スヴェンと生きてきて、トロールに育てられてきたんだということを何度見ても忘れてしまう

  • ピエール瀧さんから武内さんに声優が変更になったバージョンのアナ雪を見られてとてもよかった。瀧さんのオラフの雰囲気が可能な限り踏襲されており、瀧時代の世界観を無いものとして扱わずにそれもひっくるめて尊重されている感じがしてとても良かった

  • 神田沙也加さん(涙)

 

思えばわりと自分の価値観を育んだ作品のひとつで、これを改めて映画館で見ることができてよかった。結婚してパートナーとの生活において試行錯誤しているからこそ理解できる感情があり、よりアナ雪のことを好きになった。