好きなひとの好きなものを知るということ
好きなひとの好きなものを知るという行為は、好きなひとを知ることに直結している。
好きなひとを好きなひとたらしてめている、「好きなもの」。
好きなひとがどのようなもので構成されているのかを知るということ。
私は、パートナーであれ友人であれ好きなひとの好きなものを知ることが好きだ。
映画や本や音楽など何かをおすすめしてもらったとき、何かが好きだと聞いたときはなるべく触れるようにしている。
好きなひとがどうしてそれを好きになったのか理由を探り、理由が分かると嬉しくなる。あなたはこういうものに心が動かされ、目が輝き、胸が躍るのね、と、感覚で分かる。
好きなひとの好きなものに触れるということは、好きなひとの目線に立つというか、好きなひとの脳で世界を見るような気持ちになる。思考をお裾分けしてもらってる気持ちになる。好きなひとが好きなものを好きな理由を知る糸口になるから、好きなのだ。
Netflixで『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』を見た。
ウ・ヨンウはASDの弁護士でクジラが好きである。
ウ・ヨンウのそばにはヨンウを気にかけてくれるイ・ジュノという人間がいる。
ヨンウによるクジラの話をジュノは興味を持って聞いてくれる。一緒に海まで行ってくれるし、水族館で窮屈に暮らすクジラを開放するようデモ活動まで一緒にしてくれる。
だけど、逆に、ジュノが(ヨンウ以外の)好きなひとやものについてヨンウに話すシーンは描かれていなかった。ジュノが仮に何かのオタクでその話をヨンウに聞いてもらいたい、知ってもらいたい、一緒に現場に行ってもらいたいと思っても、おそらくそれは叶わない、叶ったとしてもヨンウにとってはすごくストレスがかかるものなのだろう、ジュノは自分の好きなものを知ってもらえない孤独を抱えることになるのだろうと容易に想像できる。
なぜ孤独になるのか。
好きなひとが自分の好きなものを知ってくれないから。
自分は好きなひとの好きなものをたくさん知っているのに、好きなひとは自分のことを知ってくれないから。
だから孤独になる、寂しいと感じる。
別に、好きなひとは自分に興味がないわけじゃないのに、自分の好きなものを知ってくれないのは寂しいと思う。好きなひとに悪意がないことは頭では分かっている。
「あなたの好きなものを知りたい、教えて」という気持ちをお互いが持ち、好きなひとのことを知り、自分のことを知ってもらう、そういった双方向のやりとりが愛を育んでいく。
私の話をすると、私はパートナーが好きな海外ドラマをSeason5までひとりで見たことが2回ある。段々と作品を好きになっていくとしても、あまり気乗りしないものを長時間見続けるのは結構大変なことだと思う。おすすめされた映画や音楽だって触れたことがある。
でも、パートナーは私の好きな海外ドラマをSeason5とかまで見てくれたことなどない。映画は見てくれたことがあるけれど、大抵私と一緒に見ている。パートナーが能動的に、ひとりで、私の好きなものに触れてくれたことなんてほとんど無い。
私ばかりがパートナーの好きなものに触れ、パートナーは私の好きなものには触れてくれないことが、たまに悲しい。
さて、ウ・ヨンウの話。
好きなポイントをいくつかあげていく。(ネタバレがあるのでご注意を)
『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』の好きなところ
法律への愛
ウ・ヨンウは弁護士であり、法律を愛している。
私は法学部卒で、法律と法律を学ぶことが好きである。
社会人になるまでは実家に住んでいた。
父はたびたび大声で怒鳴り、母も私も土下座をするしかなかった頃があった。
何がおかしいのか、どうすればこの父を裁けるのか、法律を知ることが自分の武器になるであろうと思い法学部へ行くことを選択した。
法は気持ちを重視します、気持ちによって罪名が変わります
ウ・ヨンウの一話の台詞である。この台詞で一気にこの作品のことが好きになった。
法律を愛している人間全員に見てほしいと思った。
また、ヨンウではない別の登場人物が、自分を救ってくれた法律をタトゥーとして身体に残すシーンがあり、最高だった。かっこいい。自分を救ってくれた法律をいつも手元に置いておき、気が向けば何度でも見返せるような近いところに肌身離さず抱えておくこと。愛じゃん……。
おうむ返し
ヨンウは相手の言葉をおうむ返し癖がある。おうむ返しのシーンを初めて見たとき、うちのパートナーもやってる!おうむ返しをしたときの周りの反応もすごく共感する、分かる…と思った。
私のパートナーは会話をしている中で「スズキ???」「ミスド???」みたいなはてなマークがたくさん付く単語の聞き返しをよくやっていた。パートナーは、言葉は聞こえているのに内容を理解していないときに単語聞き返しをよくやっていた。この単語聞き返しをされると、私はパートナー自身が考えることを放棄して私に丸投げして安易に聞き返しているような気持ちになりつらくなってしまう。そういった丸投げの聞き返しは寄り添い感がないよねとパートナーも気づいてくれたので、最近はそのような聞き返しをしたときは気づいて「ごめんねえ」「ミスド…?って思ったんだねえ」など単語のあとに言葉を付け足して話してくれている、ありがたい。
周りの人々の優しさ
上司であるミョンソクと同僚スヨンが好きだ。
ミョンソク役のカン・ギヨンさんは、かつて私が好きで付き合ってると思ったけど確認したら付き合ってなかったひとに酷似していて具合が悪くなる、好きになってしまう。ヨンウの突飛な行動も広い心で受け入れる鷹揚さと笑顔が好きすぎる。私が中学生だったら、ミョンソクのことが好きすぎて、ミョンソクの闇落ちSSを書いていたと思う、好きすぎて……。
仕事中に意見が合わず問題が生じたら 話して解決すべきでしょう
いちいち賞や罰を与えるのは 私のやり方じゃない
そして、こういう仕事に対してひたむきな姿勢が胸を打つ。
仕事に熱心だからこそ元妻を孤独にさせたこと。
そしておそらく元妻も仕事に熱心なところが少なからず好きで彼と結婚したのであろうということ。仕事に注がれる熱い眼差しを自分にも向けてほしかったこと。
そしてスヨン
あなたは 春の日差し見たい
ロースクール時代から思ってた
講義室の場所や休講情報 試験範囲を教えてくれて
私がからかわれないようにしてくれた
今も(ペットボトルの)フタを開けてくれて
のり巻きの日は教えると言ってくれる
あなたは明るくて温かくて
思いやりにあふれた人なの
春の日差し チェ・スヨン
愛の詩か!?
スヨンは、ヨンウに法律の知識では全く勝てないことを分かりながら、ヨンウに張り合ったり蹴落としたりせず、むしろヨンウに寄り添って声をかけてくれる。
ヨンウの発想や記憶力の強さに太刀打ちできない自分自身が歯がゆいときもあっただろうに、ロースクール時代から優しく、正義感にあふれ、障害者差別はダメなんだと怒り声をあげられる強くて優しい春の日差し。
正義感が強すぎると法律を振りかざしたり濫用したり武器として使うおそれだってあるのに、スヨンはそんなことはしない。いつもクライアントのために、自分の正義を貫いて闘っている。
ヨンウが「私は障害者だから…」と弱気になるシーンでもちゃんとヨンウを「こら!」と叱ってくれる。障害者差別はいけない、あなたは差別されず一人の人間として尊重される、と力強く背中を押してくれる。
「教育して叱ってくれ」
誰かのために叱ってくれるひとを見るといつもこの曲を思い出す。
春の日差し、チェ・スヨン。
ジュノとの恋愛
先に書いた通り、ジュノはヨンウのクジラの話に日々付き合ってくれている。
ヨンウの好きなものを知ろうとしてくれている。
それに加えて、
自閉症の人は…感覚過負荷の時 体を圧迫すると 落ち着くんですよね
と、ASDについて学んで行動に移してくれている。
やはり、自分のことを知っておいてくれるというのは、ほかならぬ愛だなと思う。
そしてヨンウもジュノのために道路側を歩いたり、椅子を引いてあげたりと精一杯の愛を手渡している。ヨンウには自分の世界があり、あっという間に自分の世界のことで頭がいっぱいになるので、意識的に行動しよう、行動しようと思い続けていないといけないのだと思う。それはヨンウにとってはすごく難しいことだと思う。
"他者と自分がいる世界"ではなく
"自分だけの世界"に慣れているからです
他者は自分と考えが異なりうること
ウソをつく可能性もあることを
頭では分かっていてもすぐ忘れます
だまされないためには常に意識しないと
私と一緒にいて 孤独を感じたことは?
私の頭の中は自分のことでいっぱいで
そばにいる人を孤独にさせます
いつ なぜそうさせたかも気づかず
どうすべきかも分かりません
意識していないとすぐそばにいる人を孤独にさせてしまう、そのことに自覚的であるだけで十分すばらしいことだと思う。ジュノは、「一緒にいるだけで幸せです、僕の幸せに必要不可欠な人なんです」と言うけれど、本当に?と思う。ヨンウは好きなひとを孤独にさせることを理解し、ジュノもヨンウと一緒にいるのに孤独を感じることを覚悟する。それって正直すごいしんどいことだと思う。
ヨンウの言語化してもらわないといけない察することが苦手で自分のことで頭がいっぱいになる特性と、周りの人たちがわざわざ言語化しないといけない手間や、言語化しないと伝わらない寂しさ、悲しさがすごく分かるので、ついつい のめりこんで見ていました。
ジュノは意識してるときは言語化して何でも伝えようとしているけれど、「ヨンウのことが好きだな、ヨンウもおれのことを好きでいてくれるんだろう」というときに 「あなたは私のことが好きですか?」と今更な質問をされるとウッてなる、おれの思いは伝わってなかったのかという悲しい表情をしていて、分かるーーーーッ!てなりました。
ただ、ジュノは「おれを孤独にさせないで」だなんて言わないし、孤独でシュンとする表情を見せることはあっても、私のように感情的に怒ったり泣いたりメンヘラみたいに長文LINEを送ることもない。ヨンウの特性を理解し受け入れ、その特性を変えようとしない、立派な大人なひとだ。私もそうなりたい。
この2枚目の画像みたいに、「一緒に歩くのを楽しみたいからゆっくり歩いてほしい」と言っても「ゆっくり歩いてほしい」しか向こうにはインプットされずに、なぜ私がゆっくり歩いてほしいと言ったのはその真意が全然伝わってなくて同じことを繰り返すのが100個ある https://t.co/2GTFOvMLwt
— 赤埜よなか (@_ynk) 2022年10月5日
なんというか、極端に言うと、行動が変わらなくても真意が伝わっていれば満たされるものはある一方で、行動は変わったが真意が全く伝わっていないときの 孤独感って凄まじいんだよね。相手は「行動を変えたのになんで悲しむの?」って思ってるし、私は何度言っても真意が伝わらなくてキツイ
— 赤埜よなか (@_ynk) 2022年10月5日
上記のツイートの通り、パートナーに自分の真意が伝わらないときにも、私は孤独感を感じる。一緒にいるだけで幸せ、それはそう、そうなんだけど、一緒にいるために何かを諦めたり仕方がないことだと我慢することってきっとゼロじゃない。それは他人と生活していく中で当たり前のことだけれど、それでいちいち悲しむな、傷つくなっていうのもおかしい。
孤独を感じないようにできればいいかもしれないけれど、私は、孤独も寂しさもつらさも悲しさも全部鮮やかに感じていたい。積み重なった孤独と、それでも一緒にいたいんだという思いを天秤にかけて、生きていくほかないのだろうか。
自分の人生を自分で選び、肯定すること
どんな人生でも等しく価値があること
ヨンウは障害者だからといつも誰かに守られて生きてきた。父親がヨンウが失敗しないようにと先回りして足元の石を取り除くような、そういう生き方をしてきた。
ちゃんと挫折したいです
挫折すべきなら私1人で ちゃんと挫折したいです
大人だから
お父さんが毎回私の人生に立ち入って 挫折まで防ぐのは イヤです
失敗でもなんでも自分の人生なのだから経験したい。
それが痛みを伴うものでも、大人だから、経験をしたい。
そのようにヨンウが実の父に言うの、すごいなと思う。
先回りして足元の石を拾うような親って、そんなこと言われてもきっと手出しすることをやめられないんだと思う。でも、ヨンウの父はちゃんとできうる限りの力でやめられる。それもまたすごい。
私は みんなと違うからなかなか溶け込めないし
嫌われることも多いです
それでも平気です
これが私の人生だから
私の人生は
おかしくて風変りだけど
価値があって美しいです
自分の人生をこんなにも爽やかに肯定できるの、すてきだなと思う。
自分の人生、酸いも甘いも存分に味わい尽くして、命の炎を燃やして生きていく。
人に嫌われようと、挫折をしようと、どんな人生でも等しく価値があることを示してくれる作品で、見て良かったなあと改めて思う。
自分の感情を自分で決める
先に書いた「法は気持ちを重視します、気持ちによって罪名が変わります」という台詞は、つまり、原告/被告の両者が自身の気持ちを言語化し決定する必要があるということだとも思う。「嫌だった、つらかった」「殺すつもりはなかった」「被告を愛している」などなど……。それは、障害者でも同様に適用される。
でも障害者でも 悪い男に恋する自由はあります
シンさんの経験が愛なのか 性的暴行なのか
判断するのはシンさんです
お母さんと裁判所に決めさせては――
いけません
他人に否定されれても 自分が愛だと言えば――
愛です
自分の感情は誰に縛られるでもなく自分で決めていい。
シンプルなようで案外難しいことだと思う。
自分の心が感じたものを、そのまま言葉という枠組みにぴったり当てはまることなんてないだろう。感じたものをすぐ言葉にすることも難しいだろう。
言葉という枠組みに当てはめることは暴力性を孕むと私は思う。
でも、人間には言葉があるからこそ伝えられるものがある。
だから必死に言葉を駆使して相手に自分の思いを伝えようとする、それが人間という生きものだと思う。
最後に
このように、私とパートナーの生活と重ね合わせながらヨンウたちの生活を見ていました。ジュノが抱えているつらさをもっと醜くグチャグチャにしたのが私の感情なのだと思います。それでもフィクションであれ私の心に寄り添うものがあって救われる気持ちになったのは確かでした。
パートナーに『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』を見てほしいと何度か言ったけれど、結局未だ見てくれていない。
私はパートナーにも見てほしいと思うけど、そんなのおまえもウ・ヨンウと同じASDだって言って聞かせるようなもので、つらい思いするかもしれない。私を慰めるドラマとして見る分にはいいのかもしれないけれど、これをパートナーに見せるのはだめなのかもしれないと思っていた。
そうやって自分の言葉を使わずにこのドラマを見て私の気持ちを分かってほしいなんていうのは烏滸がましいのだと思う。それでも伝えたいのであれば、ドラマを見て私が日頃から感じている孤独感やつらさを自分の言葉で伝える方が良いのだろうと思った。
自分の好きなものを知ってもらえないのは少し寂しいけれど。
作品内で出てきた안 도현 (アン・ドヒョン)の『練炭一枚』という詩が刺さった。
愛する人を温めるために、愛する人に温かいご飯を食べてもらえるように、身を粉にして燃え続けるという詩が すごく好きですごく刺さった。
考えてみれば 人生とは 自分を粉々に砕くことなのだ
雪が降り滑りやすくなったある日の早朝
私ではない誰かが安心して歩けるよう
道を作ってあげることも知らなかった
今、私はパートナーに何をしてあげられるのだろう。
「好きな人がいるなら離しちゃダメだ、たとえ離してももう一度つかみにいくんだよ」というミョンソクの言葉を胸に、パートナーとの生活をこれからも続けていきたいと思う。