人生の杖

ZARDの『心を開いて』という曲を聴いている。この曲はパートナーが好きな曲で、パートナーの不器用な生き方や、言葉にできない優しい思いを、曲を通して垣間見ることができる。「好きな曲だ」とパートナーが素直に言えるところまで含めて、なんだかキてしまう。言葉にできない思いを曲が代弁してくれている。

 

現在絶賛パートナーと喧嘩中なのに、この曲を聴くと、ピンと薄く張られた強がりが一瞬にして崩れそうになる。曲を通してパートナーのことが理解できてしまうから、私の心の癒えない傷を放り出して、許してしまいそうになる。

「愛情なんかくれてやりなよ」と、ラジオで聞いた言葉を思い出す。いくらでもくれてやりたい。愛情も、愛情じゃないものも、全てを投げ出して感情を思い切りぶつけたい。パートナーにも、パートナー以外の大事な人にも。

でもそれはなかなかできないから、その代わりに人の世界を浴びていたい。

 

パートナーに限らず、人の好きなものに触れ、人の人生に思いを馳せるたびに涙が出てしまう。

奥歯を噛み締めたり血反吐を吐いて踏ん張って生きてきた孤独の扉に指先が触れると風が吹いて過去が迫ってくる感じがする。一人で声をあげてギャンギャン泣いたとき、おかしくなりそうなほど怒りで頭がいっぱいになったとき、どんなに言葉を尽くしても人に理解してもらえなくて途方に暮れたとき、水のように澄んだ曲が身体に入り込んでスッと馴染んで心を容易く溶かしていく感じ。

そうやって過去を勝手に想像しては、どっと押し寄せる感情に押し出される形で涙がところてんのように出てきてしまう。

 

「この人はこの曲を人生の杖に生きてきたんだね」みたいな、心の支えを知るのがとても好き。音楽に限らず、なんでも。好きな理由が文字通り感覚で理解できる瞬間、その人の過去や子ども時代まで全部ひっくるめて、膝をついて抱きしめている気持ちになる。血肉になっているそれを味わうとき、その人と私の境界線がものすごく曖昧になる。私の存在がとても薄くなって、強烈に、その人に"成っている"感じがする。

 

大学生のとき、人とホテルにいるときにUSENZARDの『マイ フレンド』が流れてきて、立ち上がれなくなるくらい大号泣したことがある。なぜあのときこの曲がハマったのがよく分からないけれど、強張った心をあっという間に溶かしていってしまった。虚しさと寂しさとどうしても素直になれない自分、好きな人と一緒にいるわけでもないのに心が揺れてしまう愚かさ、生きづらさ、もっと遠くへ行きたい気持ちと今すぐにでも死んでしまいたい気持ち。

木枯らしが吹いて、心のすべり台をするりと通り抜けて、感情を一掃された感じがした。

(理由を聞きもせずにホテルの時間を延長し、抱きしめてくれたのが今のパートナー。当時は別に好きな人ではなかった、というのは蛇足情報)

 

曲を通じて人の人生を知ることは、暴力的で身勝手なことだと思う。でも、それでも知りたいという欲求が勝るときがあり、相手の一部を食べたいと思うときがある。同化したいんだと思う。その人に成りたい、その人に成り代わって世界を見たい。

一切説明されなくてもそれに触れれば好きな理由を感覚で理解できる人がいて、まだ知らないけど多分理解できるだろうなという人もいる。

別にその人の過去や今の生活についてそこまで知らなくても、その人と曲の強固な繋がりが見えるときに強く喰らってしまう、まさにこの人の人生そのものだと伝わってくるもの、自分の中にはない過去がインストールされる感じ。

もっと教えてほしい。

もっと知りたい、人のことを。

 

「好きな曲」って書いてきたけどこれだと少し表現が違うんだよな、好きという言葉では足らないほど、自分の人生の糧になっているもの。水のように当たり前に存在していて知らず知らずのうちに何度も摂取してきたもの。摂取に負荷がかからなくて、自然と身体が馴染んでいるもの。自分を形作るものでありながら、心を支える杖でもある。

 

私の杖はこれ

気が向いたら聴いて私のことを考えてね。

宇多田ヒカル『あなた』

森山直太朗『虹』

BUMP OF CHICKEN『Aurora』

ZARDマイ フレンド

みんなの人生の杖も教えてね