坂本真綾 LIVE 2022 "un_mute" に行った

子どもの頃の将来の夢は、「作詞家になりたい」、だった。色々な音楽を聴く中で、素晴らしい歌詞に出会うたびに、私も歌詞を書く人間になりたい、自分の言葉で何かを伝えたい、そう思っていた。お花屋さんになりたい、パン屋さんになりたい、それらの夢とおんなじで、あまり深く考えずに作詞家になりたいとささやかな夢を掲げていた。

 

子どもながらに歌詞をインターネットに公開して、知らない人から歌詞を書いてほしいと頼まれて書いたこともあった。できあがった曲はどこへ行ってしまったのだろう。依頼してくれたひとは私の何を知って頼んできたのだろう。よく分からない。

 

大好きな作詞家に連絡を取って、やりとりをしたこともあった。ああ、懐かしいな、こっそり応援していた作詞家が大ヒットアニメ作品に携わり始めて爆発的に売れたこと、懐かしいな……。

 

そういう時代がはるか昔のことのように思える。そして、作詞家になりたかったことを、私はいつしか恥ずかしく思うようになり、人には言わないようにして生きてきた。自己表現で金を稼いで食べていけるわけがない。才能もないやつが何を言っているんだ、と早々に諦めて、大学へ行き就活をし社会人になった。敷かれたレールに沿って生きてきた。

 

坂本真綾

 

坂本真綾の書く歌詞は、私の人生を救済してくれたし、出会った頃が高校生や大学生という少しずつ現実に向き合わなければいけない時期だったこともあり、心のお守りのような存在だった。それと同時に、なんというか、もうこれは敵わない、私が言いたいことは全部坂本真綾が書き記している、と少しずつ作詞家になりたいと思うこと自体が少なくなり、あるときその夢は影を潜めてしまった。

 

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というわけで、

真綾さんのライブに行きました、久しぶりに。

前回は横アリでした。さいたまスーパーアリーナで初めて生の歌声を聴いて立ち上がれなくなるほど泣いたときのことを思い出す。今回は国際フォーラムでした。2019年〜2020年の年越しライブ以来の国際フォーラム。

 

 

身体の隅々にまで音楽を行き渡らせて浸る音楽たちだった。

 

やっぱり生で聴いてしまうと泣いてしまう。胸が苦しくなって、叫び出しそうになる。気が狂いそうになる。坂本真綾、メチャクチャ強い人間だと思う。メチャクチャに意思がある、強い感情がある、それに胸ぐら掴まれて息ができなくなる感じがする。目の前の現実を見ろと言われている気になる。

 

まあこうやってライブに行って爆音と真綾さんの歌声を身体の隅々にまで行き渡らせた結果涙が出てくるというのもある種のコーピングのような気がしていて、泣くことで少し楽になった部分もあったと思う。最近つらいことが多かったから。

 

洋画を見ているときに字幕を見ている時間がもったいないと思うときがあるけれど、今回のライブは涙をぬぐっている時間がもったいないと思った。涙を流したまま真綾さんの強さを受け止めなければならない。記憶から立ち上る、自分で抱え込んだ痛みや悲しみとも向き合わねばならない。

 

 

『菫』と『言葉にできない』を聴きながら、これまで出会った人たちの、手の感触や、身体のあたたかさ、髪のしなやかさ、香り、そういうものをひとつひとつ記憶をたぐりながら思い出していた。

会うと魂が震えるほど嬉しくなるような人と、これからあとどれくらい出会えるだろう。誰もいなくならないでほしい。置いていかないでほしい。人の背中を見送りながら跪き泣く日がいつか来るような気がして怖い。誰も離れていかないでほしい。誰も、みんな、いなくならないでほしい。手を伸ばせば触れられるときに触れないで、離れてからもっと感触を確かめておけばよかったと後悔しそうな気がする。感触も何もかも全部覚えていられたらいいのに、それはできないことだから、私は言葉で残しておくんだと思う。いつでもあのときの気持ちを思い出せるように。

 

『プラリネ』、チョコレートだとナッツのキャラメリゼとかなんかそういうものがフィリングとして入っているから食べているうちに溶けて出てくるやわらかい部分が私はすごくおいしいと思う。焦がしキャラメルだからか少し苦味があって、周りのチョコレートの甘さを引き立てる感じがするし。

真綾さんの曲のプラリネは、あれはすごい軽やかな曲調だけど歌ってる内容がアツすぎる、溶け出した剥き出しの感情が強すぎる。

 

みんなが思う私って なんか違和感があって
それでもうまくかわせるから べつにいいと思った

でも寂しくて もどかしくて
行き場なくした気持ち
君だけがね すぐに見抜いて抱きしめてくれた

 

は?好きです。100億分かる、もう勘弁してほしい、分かる分かる分かる分かる。なんか、私としては別に隠しているつもりもない自分自身をちゃんと見つけてくれる人と会うと魂が震えるの、本当に、分かってくれる人なんて一人か二人でいい、それで私は安心して身体や心を委ねるから。

この曲、好きな人と行った場所がひとつひとつ思い出になり、共に過ごすうちに境界線が曖昧になって口癖とか笑い方の癖が似てきた、みたいな曲だけど、なんかリリースされた当時失恋したばかりだったからか、元恋人との思い出が多すぎて行けない場所が増えたなとか、似てきた癖とか自分に残された元恋人の痕跡を早く消したいなみたいな感じだった気がするのを思い出した。今聴くとなんかもうそれもいい思い出ですね、って感じ。

 

真綾さん、出産を経験したこともあり、毎日変化がある、同じ日なんて一日たりともない、昨日会ったあなたにはもう二度と出会えないということを話していた。10代の頃に歌った歌が40代になった今全然違うように聞こえる、真綾さん自身も変わってきたと言っていた。

 

ディーゼル』『カザミドリ』『Remedy』を聴きながら、なんというか、自分の手で触って確かめていきたい、変わることをおそれずに前に進んでいきたい、その中でひとりになったとしても寂しさは抱えて生きていきたい、忘れたい傷も忘れられない傷も山ほどあるし、忘れてしまった過去もあるけれどそれでいいんだよな、無かったことにはならないんだから、みたいなことを感じていた。なるようにしかならない人生だけれど、経験を味わい尽くしたい、苦しみも楽しんで生きていきたい、みたいな。なんか、最近そういう思いって自分の中でどこか擦り減っていたような気がする。感受性とかが劣化したというわけではなく、真綾さんが言うようにただその在り方が変化しただけなんだろうと思う。今の私もそれなりに地面を踏み締めて味わって生きていると信じたい……。

 

『空白』と『レプリカ』聞けたのでもう死んでいいと思いました。音楽を全身で浴びました。最近あった悲しいこと全部クソです。本当にどうでもいい。懸命に歯を食いしばって生きなきゃいけない、つらさも悲しみも噛み砕いて前に進みたい。他ならぬ私のために生きなきゃいけないのは分かりつつ今すんごいつらいんですけど!?スゲー血が出てるんですけど!?しかしこの曲くらい強い力で背中をバンと叩いてもらって目が覚める思いでした。真綾さんが大サビの入り間違えたところも含めてアアアア〜〜!!!!!って叫びそうだった。ちなみにライブはまだ声出し禁止だから、国際フォーラムの席に磔にされながら、とにかく涙をだらだら流し続けるしかない。地獄じゃん。なんでこんな苦しい曲をみんなで聴いて泣いてんの?何これ???

 

 

終盤の『クローバー』と『千里の道』でやっと救済される。明るいほうへと手を差し伸べてもらえる。なんなんだよこのセットリスト、最高につらくて最高に素晴らしくて、なんなの?感情を揺さぶりすぎです、本当に……。バンドメンバーと真綾さんの歌声のバトルみたいなときがあって音響おかしくなりそうだった、つーか国際フォーラム来るたびに音響もう少し良ければいいのにと思っている気がする。

 

出産をして、戻ってきてくれて、「これからも歌う気があると、証言をしたくて、このライブを開いた」みたいなことを話されていたのがすごく心に残っている。ああ、真綾さんの美しい水のような透き通った歌声をこれからも聞けるのね、ああ、じゃあまだかろうじて私は生きながらえるかもしれないね、よかったね。生き延びるのを毎日積み重ねて私たちきっと生きていくんだね。

 

ファンの年齢層や男女の割合が様々で幅広いにも関わらずみんなちゃんとしてるというか、お行儀が良いし、優しいし、隣同士知らない人たちで特に会話を交わすことがなくても一緒にライブを楽しんでる感があってよかった。みんないい人たち。変なキンブレ振り回す人たちなんかいない。恒例の旗を出す人は少しだけ見かけた、でも真綾さんは旗の歌は歌わなかった。それでいい、確信犯でわざとセトリに入れなかったんだろ、分かるよ、みたいな謎の共感をしつつ、まあ普通に淡々と帰ってきた。行ってよかった。