パートナーがご飯を作ってくれた

 

今日は、パートナーがご飯を作ってくれた。

パートナーは昨日料理教室に行って魚の捌き方を習ってきたらしく、その復習として魚料理を作ってくれた。

 

嬉しかった。美味しかった。

何のためらいもなく料理を振る舞えるのが羨ましかった。

悔しかった。美味しかった。作ってくれてありがとう。

私もそのような言葉をかけてもらいたかったと思った。

 

以前、私がパートナーに料理を作ってあげたところ、「今はいらない」と言われた。

「頼んでないのに勝手に世話を焼いてそれで感謝してほしい、おいしいと言ってほしいなんていうのはおまえのエゴだよ」と言われた。

今はその通りだと思うが、言われたときはショックでわんわん泣いた。

それでも作ってあげたいという欲望は残っていた。

 

しかし、その後「今まで作ってくれたご飯はおいしくなかった」と言われた。

そこで作ってあげたいという欲望はぷつんと切れ、むしろ、パートナーにご飯など作りたくないという気持ちに変わった。

 

 

 

別に私はパートナーに好かれるために料理はしなくていい。

そのままの私でも、パートナーは私のことを嫌いになんかならない。

作ってあげたい、あわよくばおいしいといってもらいたいなんてただのエゴ。

 

ほかにも、パートナーからはパスタのゆで方がおかしいと言われたり、おまえの米には虫が湧いているなどと言われてきたし、皿洗いに関しては雑だと言われ、食洗器導入を本気で検討していたところ「食洗機を買ってもおれは手洗いを続ける」と言われた。

 

それから、私は私のためだけに料理している。

一人暮らしをしていたときと同じように、作るのは私一人分のご飯。

最近はコウケンテツさんや鳥羽周作さんや渡辺康啓さんのYoutubeを見ながら料理を作る。

パン作りも好きなので、手ごねで作ったり、ホームベーカリーで作ったりする。

 

ただ、パートナーからの言葉の棘は未だ刺さったまま抜けない状態で、料理をするたび、食べるたびに 「これは私にとって美味しいものでも、パートナーにとっては不味いもの」と一瞬呪いに支配されてしまうようになった。パートナーの前で明るく料理したり食べていても、そういう思いに駆られてしまう。

 

これまでもこれからも 料理をするときに、そういう悲しい思いとか また同じようなことを言われるかもという恐怖なんか感じたくなかった。

 

そういうこともあり、料理の写真あげるのが怖くなった。

前まではインスタとかにあげてたのにね。

 

今は料理をしているときに「いい匂い!」ってパートナーから言われることがあるけど、それが本心からの言葉だとしても 「おまえの料理はまずかった」と言われたこともまた事実で、その板挟みで気がおかしくなりそうなときがある。

 

それでも料理をするのは、第一に料理をしたいからだし、パートナーの言葉に引きずられて 私ができることが一つ奪われるのもイヤだから、奪われてたまるかみたいな気持ちで、悲しみとか恐怖を毎回思い出しながら料理してる。でも、こんなこと感じたくなかった。

 

パートナーを黙らせるくらい料理の腕をあげたいとは思わない。もう食べてもらいたい気持ちがない。私しか食べない料理に対して散々酷い言葉を言われてきたので、食べてもらわなくて結構、私しか食べない料理には口出ししないでと祈りながら毎回料理をしてる。

 

そして今日、パートナーは料理を作ってくれた。

何のためらいもなく料理を振る舞えるのが羨ましかった。

悔しかった。美味しかった。作ってくれてありがとう。

私もそのような言葉をかけてもらいたかったと思った。

 

私は私一人分の料理を作るのさえ怖いのに、パートナーは料理を振る舞えていいな。

私もそれがしたかったな。

 

「ご飯作ったんだけど、一緒にどう?」

 

と声をかけられたとき、「頼んでないのに勝手に世話を焼いてそれで感謝してほしい、おいしいと言ってほしいなんていうのはおまえのエゴだよ」と言う選択肢が私にはあった。

 

「おいしい、ありがとう」

 

と言いながら食べた。「まずかった」と言う選択肢だってあった。

 

 

でも、私は過去の私が言ってもらいたかった言葉をパートナーに伝えた。

やられたことをやり返しても何の意味もない。

何の意味もないけど、悔しかった。

 

悔しくて悔しくて涙が出た。

 

私だって、あなたのようにいきなり料理を作って「一緒にどう?」とか言いたかった。「おいしい」と言って食べてもらいたかった。料理をするときに恐怖なんか感じたくなかった。

今日の食卓は、私がまさに喉から手が出るほど望んでいた光景だった。

 

 

ご飯を食べてるときに、「以前ご飯作ってくれたのにひどい言葉を言ってしまってごめんね」とは言われた。言われたけど、それだけじゃ全然足りなくて、今あなたの手料理を食べて感じているこの悔しさが分かるか、分かってたまるかって、思った。

 

 

前に進まねば、と思う。

これは私の問題で、私が過去のことを記憶しすぎ、引きずりすぎ、怖くても、それでも前に進めたらいいのになと思う。

パートナーに料理を作ってあげ、食べてもらって、そのときは「おいしい」と言ってくれても、またいつ「まずかった」と言われるか分からない恐怖。「これは私にとって美味しいものでも、パートナーにとっては不味いもの」という呪い。また同じことを言われるかもと思うと怖くてたまらない。

 

また「まずかった」と言われるくらいならいっそ食べてもらわなくて結構。

そう思っているけれど、今日みたいに料理を作ってもらうとまた思い出して泣いてしまう。料理を作ってない日も思い出してTwitterでグチグチ書いてしまう。

 

つらかったろう、悲しかったろうと過去の自分を抱きしめながら、このつらさや悲しみをどうにか癒してあげられるのは私だけ。私の問題だから。

パートナーには、ひどい言葉の数々を言った代償として、私の克服のために最大限サポートしてもらえたらいいなと思う。恐怖が弱まるような優しい声かけとか。それすらもエゴなのかもしれないけど

 

自分の人生を自分でよくしていくこと

今日は、一週間仕事を頑張ったご褒美に、初めてロイヤルホストに行こうと思っていた。

何せ初めてのことなので、昨日はメニューを1時間眺めて何をどのような順番で頼むか綿密な作戦を練っていた。

 

しかし、結局ロイヤルホストには行けなかった。

 

いま私は家出をしている。

28歳にもなってロイヤルホストに行けなくて大号泣したのは事実だけれど、ロイヤルホストに行けなかったから家出をしているわけじゃない。

 

またパートナーと言い合いになって、もうどうしようもなくなって、家出をしている。

 

先週末に喧嘩があり、ここ1週間ほとんど会話もしなかったし一緒に眠らなかったし一緒にご飯を食べなかったけれど、それでも、LINEで話し合いはしていたから仲直りの兆しはあったのに。それがいとも容易く崩れてしまった。

 

パートナーは、失敗や誰かを傷つけるようなことをしたときに「なんて自分はダメな人間なんだ」と考え続け、自分を責め続け、塞ぎ込むような人間である。

先ほどは「おれみたいな人と一緒じゃなかったら、おまえはこんな苦しまなくて済んだのに」というようなことを言われた。

 

私はというと、そんなたらればの話をしても仕方がないし、「なんて自分はダメな人間なんだ」と責め続けても何も生み出さないし何の意味もないと思っているような人間である。

 

夫婦と言えど他人同士なのだから、意図せず相手を傷つけることはある。他人同士なのだから、分かり合えないことはある。

 

それでも次同じような喧嘩や諍いをしないように、相手を傷つけたときは、どうして相手が傷ついたのか、どうして自分は相手を傷つけるような行動を取ってしまったのか、原因を探る、いま目の前で傷ついている相手に寄り添ったり慰めたりして心のケアをする、そして今後どうすれば同じことが起こらなくなるか再発防止策を考え、それでも再発した場合の暫定対処や恒久対処をそれぞれ考える。

原因追求、復旧対応、暫定対処、恒久対処、と私がインフラの運用SEだったからそのように思うのかもしれないが、人間関係もそのような感じで将来のこと(また同じことが起きないように、また起きたとしても被害を減らせるように)を考えながら対応していきたいタイプである。

 

別にパートナーの「なんて自分はダメな人間なんだ」と責め続ける態度をやめろとか、パートナーにも私のように対応をしてほしいと求めているわけじゃない。あくまで私個人の生き方としては、障害(喧嘩)が起きる前提で、仕組みを作り、対処をしていきたいと、考えている。

 

パートナーにこの話をしたら、パートナーは、正論で殴られて打ちのめされているようだった。「そうあるべきなんだと思う」とパートナーは言った。そんなことはない。私は自分の考えを強制したいわけでも正義を振りかざしたいわけでもなんでもない。

 

続けて、このように話していた。

 

パートナー「自分を責めて塞ぎ込んでても何も変わらない、意味はないのは、確かかもしれないけど、そういうふうに思って、自分を責めて塞ぎ込んでるときは、ただ話を聞いてもらいたかったり、聞いて寄り添ってもらえたら、嬉しいかな。」

 

パートナー「(自分を責めて塞ぎ込むということは)前向きな考えではないというのはよく分かるし、でもそういうふうに考え込んでしまうことは自分ではしょうがないと思っていて、それが『ダメだ!やめろ!』と言われても困るし、それを分かってもらおうとも思わないけど、そういう愚痴とか言葉にできない訳わかんない話でも聞いてもらえれば、嬉しい。嬉しいってだけで、批判されてもしょうがないなって思う」

 

言いたいことは分かる、分かるが……。 

 

私「自分を責めるときに寄り添ってほしいというのはすごく分かるし、今度からそうしようって思うけど、あくまで私が傷つけられてないときに限った話だなと。私が傷つけられたのに、それなのに、『自分はダメだ…』ってなってる人には寄り添えないです。なんで、傷つけてきた人に対して、そうだよねって寄り添わなきゃいけないのか分からない。それはイヤ。傷つけてきたくせに、寄り添ってほしいとか、それはムリ。そうじゃない場合だったら、できる」

 

どうしても、なんというか、うーん……。今回の喧嘩の発端は、

 

・過去にパートナーから言われた、料理に関するひどい言葉や行動の話をしたところ、パートナーにシカトされる(私はその言葉や行動が今もトラウマで苦しんでいる)(シカトされて悲しい)

・パートナー自身がその過去のこと忘れている(忘れられて悲しい)

・忘れていることに関して、自分で思い出そうとせず気軽に私に質問してくる(トラウマを私の口から話さなければいけないという負荷に関して無自覚)(トラウマを話すのはつらいししんどい)

・赤ちゃんをなぐさめるみたいに「悲しかったんだねえ〜つらかったんだねえ〜」とあやされる(パートナーの言動や行動によって傷ついたのだから、謝ってほしいときもあるし、もっと真面目に反省をしてほしいときもある)(つらいつらいと大声で叫んで訴えているのに、その声が全然届かなくて言葉も通じないという絶望感と悲しさ)

 

という感じである。

 

 

 

 

 

 

正直、こういう喧嘩というか話の流れがあって、それなのに、「相手を傷つけてしまった、なんて自分はダメなんだ」と塞ぎ込む自分に寄り添ってほしい?話を聞いてほしい?どういうこと?なんで私が?と思ってしまった。

そりゃあ仕事の愚痴とか、毎日のうまくいかなかったことや失敗の話は聞くし寄り添うよ、でも、なんで、今回のような、あなたが私を傷つけたというシチュエーションで、寄り添ってほしいとか甘えたこと言うんだよ、と思ってしまった。まず傷ついた私のケアをしてよ、と。

 

こういう、被害者ムーブはよくないんだろうなと思う。今日も被害者ムーブをかます人間は危険だから、注意してる、といったツイートも見た。でも、私は上記のようなことを思ってしまった。

 

「そんな些細なことで泣くの?」「おれはそんなことで傷つかない」「おれそんな悪いことした?」と散々言ってくるような人間に、思った本音をすぐ口に出して相手を傷つけては、それが本音なんだから仕方がないだろと言うような人間に、とにかく謝ってほしいと泣く私に対して「納得してないのに謝って何の意味があるんだよ」と言い 泣きながら私が彼を納得させられる言葉を出さない限り頑なに謝らない人間に、なんで私が……と。

 

全然ケアが足りてない。もっと真剣に謝ってほしい。私の傷は全然癒えてない。つらい。これは全部私のわがままなのかもしれない、モラハラなのかもしれない、求めすぎなのかもしれない。

 

***

 

他人同士分からないなりに分かろうとしたい。分かろうとしてほしい。これが私の欲であり執着である。

 

私には離婚するという選択肢もありながら、いま日々選択をし続けている「パートナーと一緒に生きていく」という選択肢を正解にしていくしかないと思っている。何事も、選択をしたときにはその道が正解かどうか分からないのだから、選択したあとでその道が自分にとって正解だったと、自分で正解にしていくしかない。

 

他人同士なのだから傷つけることもあるでしょう。自分を責めて塞ぎ込みたいときもあるでしょう。

相手を傷つけたときは、自分の気持ち(傷つけるつもりなんかなかったのに!そんな些細なことで?)や納得(なぜこの人は傷ついているんだろうという理解)は二の次で、とにかく傷つけてごめんねと謝る。その流れで、つらかったよね、傷つけたよねと相手に寄り添いながら、相手がなぜ傷ついているのか探っていく。そういうもんじゃないのかなあ。これは私の押し付けがましい考え方なのかもしれない。

 

例えば、不意に人と人とがぶつかり一人が膝から血を流して泣いている。そういうときはもう一人がまず謝り、血を止めて絆創膏を貼る。そういったケアをしてから次どうしようかと改善策を考えていきたい。

 

でも、パートナーと私の場合、私が血を流して泣いているとき、まず血を流している私がパートナーに謝ったり パートナーが納得するような言葉をかけるところから始めないといけない。私が「ごめん、不注意でぶつかってしまった」と。そうすると彼は納得して、謝ってくれたり、血を止めてくれたりする。

 

なんでだよ

 

まず血を止めるのが先だろ、といつも思っている。なぜ、血が出て痛くて痛くてたまらなくてつらくて泣いている私が、彼に必死に言葉を尽くして話さなければいけないのか、全然分からない。私にとってはものすごくつらい。つらくて泣いてるのに、さらに言葉を尽くしてパートナーが理解できるよう、事細かく状況を説明し、なぜ私がつらいのか言語化する、パートナーは同じ目に遭ってもつらくならないと言ったりもするので、いやそれでも私はつらいんだよと繰り返し何度も何度も何度も何度も言う。そうしないとケアをしてもらえない。

 

結局のところ、人に血を止めて絆創膏を貼ってもらうのではなく、私がひとりでに泣き止み、ひとりでに血を洗い絆創膏を貼るしかないのかもしれない。

別に、パートナーに理解してもらおうと言葉を尽くす必要などないのかもしれない。

ひとりで生きていけるし。

 

「一人でも大丈夫だけど、誰かに大事にされたい」

 

というのはドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』のセリフですが、うーん、一人で生きていけるけど、誰かに大事にされたい、そうなんだよなあと、思う。

 

以前友人から「あなたは自分の人生を自分でよくしていけるから大丈夫だよ」というようなことを言われたことがある。

そうなのかなあ、分からない、でもまずは自分で自分をケアしなければいけないと思う。自分を大事にできないひとは、誰かを大事にすることもできないと、Podcastジェーン・スー堀井美香の「OVER THE SUN」』でも言ってたはず。

 

ロイヤルホストのコスモドリア食べたかったなあ

その場にいるのに、いないものとして扱われることがつらい

夫とレストランで食事をし、テーブルでお会計をしようと伝票をもらう。

すると、伝票は必ずと言っていいほど夫に手渡されます。

 

またあるとき、夫と私、そして不動産屋さんの三人でテーブルを囲い、

賃貸の契約を結ぼうとするとき。

不動産屋さんは夫にばかり話しかけ、私のほうをあまり見てくれませんでした。

当然夫が契約者になるのだと不動産屋さんは頭の中で思い、夫に契約書を差し出します。

これまで不動産屋とメールでやりとりをしてきたのは私なのに。

 

 

こういったときに、私は疎外感を感じます。

その場に居合わせているのに、私ひとりが孤独を感じています。

夫と第三者のひと(不動産屋さんや店員さんなど)は全くの無意識です。

彼らには、傷つける意図も悪意も何もないですが、ただただ私が蚊帳の外にされているような感じがして、胸が少し痛みます。

 

 

先日、現在住んでいるマンションの立ち退きにあたり、管理会社の方と打ち合わせをしました。

その管理会社の方は、夫にも私にも平等に話しかけてくれ、目も合わせてくれました。

それにもかかわらず私は疎外感を感じました。

なぜか。

理由はふたつあって、

ひとつめは、夫は、管理会社 対 夫(自分)という構図で会話をしており、私はあくまで夫のフォローをする役回りだったからです。夫が疑問点を管理会社の方に質問し、話が混線してきたところで、私が道筋を整理するような発言をする。打ち合わせのあと、「フォローしてくれてありがとう」と夫は言いました。管理会社 対 夫という構図の、夫の一歩後ろに私がいるような感じがしました。

 

ふたつめは、夫が私のほうを向いてくれなかったことにあります。「ほかに気になったところある?」「これはどう思う?」などの声掛けはなく、夫は夫の疑問を管理会社の方にぶつけ、私のほうをあまり見てくれませんでした。二人宛てに渡された資料も、当然のように夫が受け取り、折りたたんで、家に持ち帰ってきました。

 

なんだかそういう、ほんの些細なところが、後からじわじわじわじわ効いてきて、つらくなってしまいます。

 

夫と管理会社の方だけで会話が進行していて、私もたまに疑問点を管理会社の方に投げかけてみますが、結局のところ対管理会社のやりとりになってしまい、本来あるはずの夫と私の関係性みたいなものがぶっつり切れているように感じます。

 

ただ、夫と私がふたりきりになると、ちゃんとその関係性は復活し、双方向のやりとりに戻るのです。

 

明日、弁護士に立ち退きに関する相談をしにいくのですが、また同じようなことになるのではないかと怖くなり、泣いてしまいました。

弁護士を探したのは私、弁護士に問い合わせたのも実際にやりとりをしたのも私、弁護士に相談する質問の草案を作ったのも私。

にもかかわらず、明日になれば夫と私と弁護士の三人の会話は、いつの間にか夫と弁護士の会話になり、私が蚊帳の外に、いないものとして扱われてしまうんじゃないだろうか。

 

この話をしたところ、夫は、「おれは二人のときだと普通にやりとりできるけれど、三人になるとうまく会話ができないのかもしれない」というようなことを言っていた。

三人での会話が苦手なのかもしれない。なるほど。

また、「自分がいないものとして扱われたときに、自分は感じるだろうか考えてた」とも言っていました。もうこれだけで正直十分ではある。私のつらさを蔑ろにすることなく、話を聞いてくれ、私の立場になって物事をイメージして考えてくれるだけで十分。

 

 

ただ、私たちには男女という性差があり、さらに、20歳という年齢差があります。

 

社会から私たち夫婦がどう見られるかというと、夫のほうが、力関係的に強いと見られるのではないか。夫婦は平等であるはずなのに、他人は無意識のうちに夫のほうが偉い、ご主人だから偉い、そういう謎の刷り込みが発動して、いつもいつも当然のように男を立てようと夫のもとに伝票が手渡される。

 

実際には私の方が稼いでいるのに。

私の方がお店や不動産や弁護士や何もかも調べて率先して問い合わせているのに。

それなのに女性で20歳年下というだけで、自然と視界から見えないものとして扱われる。

 

「それは人によるでしょう」

それはそう。

でも、実際に上述したようなことがあった。

みんながみんな私たち夫婦を平等に扱ってくれるわけではない。

 

だからこそ、夫には私の腕を引いて、妻である私の存在が第三者からも見えるように声を上げてほしいと願ってしまう。

男性であり、20歳年上であるというだけで、優遇されることや受ける恩恵に自覚的であってほしい。

私のことをフォローしてほしいと言っているわけではない。私は私の足で自立して生きていけるし、ちゃんと意見も言える。

でも、その、自分が当然のことのように受けているサービスが何であるのか、その裏で無視されているひと、蔑ろにされているひと、蚊帳の外で疎外感を感じているひとがいることを知っておいてほしいと思う。

 

別に誰も悪意を持ってるわけじゃない。

でも、誰しもが刷り込みやこれまでに培ってきた価値観があり、結果的にやんわりとした無視を生み出していることもある。

 

少し話がそれるけれどジェンダーフェミニズムに関する話をすると、

「女はそういうことを声高に言うよな」と以前夫に言われたことがある。

自分がどれだけ優遇された立場にいるか無自覚で、なんて乱暴な言葉なんだろうと思った。

「お母さん食堂がダメならお父さん食堂にすればいいだろ」

「レディースデーがあるのにメンズデーがないのはおかしい」

女性専用車両があるなら男性専用車両も作らないと不平等だ」

「おまえが会社の同僚にセクハラされたからって、おれはどうしろというわけ?おれが加害者を殺せばいいの?」←ヤバ発言

こういう、ジェンダーフェミニズムに関する理解が浅い夫だけれど、その夫と生きていこうと決めたは私自身である。

夫が生きてきた時代はまだ男性が外で働き、女性は主婦として子育てをするのが当たり前だった時代だから……などと時代のせいにすることもできるけれど、だからといって私は夫の言葉に屈するような人間でもないので、ひたすらに言葉をかけ続けるしかないのだろうと思う。

 

夫や妻や恋人やパートナーに加えて第三者がいるような状況において、あなたのパートナーはあなたのことを気にかけてくれていますか。

ナチュラルに無視されたり、いないものとして扱われてつらいときはないですか。

そういうことが聞きたくて、この記事を書きました。

 

おそらく、男性側が蚊帳の外だと感じるときの代表例として挙げられるのは、幼稚園や保育園といった、子どもに関する場所なのかなと思う。

幼稚園や保育園ではやはりママというのが圧倒的に立場が強いイメージがあるというか、先生対ママの会話になってしまい、パパは蚊帳の外として扱われてしまうことがあるんじゃないかなと思う。

そういう、その場にいるのに、いないものとして扱われるのはつらいよねという話でした。

 

 

 

金沢旅行記 初めて金沢へ行った

 

お盆にひとり一泊二日で金沢へ行った。

旅行の記録や写真を初めてブログにまとめてあげてみる。

 

 

訪れたところ

かいてん寿し 大倉

金沢五種盛(白えび、甘えび、ぶり、ばい貝、のどぐろ)

まぐろ三種(中落ち、中とろ、大とろ)

 

近江町市場にあるお寿司屋さん。

初めて食べたのどぐろが一番おいしかった。

他にも鯵やかじきのお寿司を食べました。

回転寿司と言いつつ、寿司は回転していなくて、湯飲みと醤油皿が回転していた。

注文票に食べたいものを書いて注文する方式で、注文票を職人さんに手渡すタイミングがなかなか難しくてドキドキした。

白い長靴を履いたひとがお店の奥でお魚を捌いてるっぽかった。魚の命……。

 

近江町市場

魚だけじゃなくて野菜もたくさん売ってた。

つやつやした大きくて逞しい感じの野菜ばかりだった。

大量のさかな

大量のたらこばっかり売ってる店とか、大量の貝だけ売ってる店とかもあってすごかった。

うなぎとかすごい分厚くてびっくりした。

 

いしかわ動物園

いしかわ動物園能美市にあって、とにかくアクセスが悪い。

金沢駅から出ているいしかわ動物園行きのバスは、平日1本、土日祝は3本しか出ていなくてヤバい。なので土日祝に行ったほうがいいです。

「絶対にこの時間のバスに乗るぞ!」と決めて、そこから逆算するように新幹線やら何やらの時間を決め、タイムアタック的に活動する必要があって、初めて行く土地でバスに乗り遅れないことだけに命を懸けた。

 

向かうまでの道中は緑が鮮やかな畑があったり小さな山があったりして、人も車もそこまで多いわけじゃなくて、絶妙にまったりしていてよかった。

 

そして、メチャクチャ暑かった。38度くらい。

動物も人間も伸びていて茹で上がりそうだった。

 

みんな伸びてた

最近好きになったオオハシ

エリアを自由に飛び回っては片目で人間のことを観察していた。

多分両目だとクチバシが邪魔すぎて見えないんだと思う。

多分プレーリードッグの子ども

すごく美しかったゴイサギ

きれいな鳥だな~と思って見ていて、パートナーに写真を送ったところ「これは紛れもなくゴイサギ」とのこと。

パートナーの職場にはたまにゴイサギが飛んでくるらしく、その可愛さをたびたび話してくれていたので、たまたま私がきれいだと思った鳥がゴイサギということでなんだか運命感じて嬉しかった。

国の特別天然記念物ライチョウ

トキ

めったに見られるものじゃない

 

カレーの市民アルバ

金沢旅行をしようと決めて金沢情報をツイッターのフォロワー内検索で情報収集していたところ、ゴーゴーカレーではなくアルバを推している方がいたので、教えに倣い行ってみた。結果、行って超よかった。メチャクチャおいしかった。

 

カツ、エビフライ、ウインナー、目玉焼きとかが載ってる名物のホームランカレーを食べようかと思ったけれど、量が多くて食べきれないような気がしたのでクリームコロッケカレーにした。

どろどろで濃厚でB級グルメ感が最高~

私の好きなタイプのカレーで、すごく美味しかった。

付け合わせの千切りキャベツが意外に合う。よかった

あと、接客に不慣れな学生っぽい店員さんがおもしろすぎてウケた。

 

こういう面白すぎるひととの出会いも、もう二度と会えないのかなと思うと少し寂しい。

 

ひがし茶屋街

2日目朝に行ったのでお店はほとんど閉まっていた。

デカいゴールデンレトリーバーを散歩させているひとや、フォトウェディングなのか和装で写真を撮っているひとがいた。

るるぶとかまっぷるの本で見た通りの景色だった。


兼六園

とんでもなく暑かった兼六園

木々の鮮やかな緑を肉眼で見たいけれど、日差しが強くてサングラスもしたい…みたいな状況で兼六園を回った。

石の上に流れる透き通った水と、土の上を流れる透き通った水の境界

木が木によって支えられている

兼六園、あちこちに人が手入れした気配がありよかった。

人の手入れによって成り立っている歴史。

観光客は大して兼六園について情報があるわけでも興味があるわけでもなさそうだったけれど、「あ、カモ」「サギだ」と動物を見かけるにつれ写真を撮っていたのが面白かった。

 

金沢21世紀美術館

今回の金沢旅行で一番楽しかった場所。

この美術館はやっぱり写真が撮れるというのが良くて、ひとりではなく誰かと来たのならたくさん写真を撮ってもらえるだろうなと思った。私も知らないひとの写真を撮ってあげたりしたし、そういう旅先での人とのコミュニケーションが発生している感じがよかった。

 

今回は『「ひとがた」をめぐる造形 / 特別展示:オラファー・エリアソン』という展示を見た。

 

 

チケットの仕組みや かの有名な『スイミング・プール』の地下部に入るための事前予約の仕組みが難しすぎて前日の夜ホテルで格闘した。

いくつかの展示があり、その中で自分が観たい展示のチケットを買う、そのチケットによりけり『スイミング・プール』の地下部に入れたり入れなかったりするし、全部が全部WEBでチケットを買えるわけではない、という仕組みなんだけど、公式サイトの情報が分散されていてまとまっていなかったこともあり、私にとってはすごく難しかった。

 

カラー・アクティヴィティ・ハウス

色彩がうつくしい

スイミング・プール

「ひとがた」をめぐる造形

アニメっぽくて馴染みやすい。

テラコッタでできており、肌の質感、衣服の質感が伝わってくるような作品だった。

 

特別展示:オラファー・エリアソン 《太陽の中心への探査》

これが一番見たかった展示。一生見ていられると思った。

とにかく美しかった。どこの角度から見ても美しい。

 

全体的な感想

金沢という街について

金沢、観光地としてよく知られているけれど、観光地ビジネスのためにそこに住む人を疎かにしている感じがあまりなく、金沢で働く人だけでなく、金沢で生活する人たちも観光客に優しくしようみたいな意識があるような感じがしてとてもよかった。

 

具体的には、「〇〇へ行きますか?」と行き先を尋ねられたバスの運転手さんが「行きますよ」と一言で返すだけじゃなくて、「△△を経由して〇〇へ行きますので大丈夫ですよ」というような返し方をしていて素晴らしいなと思った。

乗車中のアナウンスも、「このバスは1日フリー乗車券使えます」「Suicaは使えないです」「整理券があなたが乗った起点を示すものですので乗車時には整理券を取ってください」などたくさん声かけをしてくださっていた。

あと、金沢駅のバスターミナルでは、バスがいつ頃到着するか、現状どれくらい遅延しているか、ここへ行きたい場合は何番乗り場に行けばいいか、を逐一アナウンスしてくださっている方がいて、それが本当に感動した点だった。

また、金沢で生活をしている地元民らしい方がバスを先に乗るよう親切に譲ってくれたりして、21世紀美術館のチケット購入の複雑性も細かくアナウンスしている人がいたし、いちいち親切でなんだかほっこりした。嬉しかった。

初めて訪れた場所で知らない人に優しくされることで癒されるものがあった。

 

普通、というか、観光地化して随分経つと観光客にも観光地ビジネスにもうんざりして案内が雑になったりしそうなものだけれど、そういうのがなくて、新鮮だったし嬉しかった。

 

九谷焼のお店の若い店員さんも親切だった。そして、TwitterInstagramといったSNSを大活用しててすばらしかった。

 

あと、金沢はベンチがたくさんあってよかった。

金沢はメチャクチャ暑くて、炎天下の中2日間も10km以上歩いて足が限界のときに何度もベンチで休ませてもらった。東京ほどべたべたするような湿度というわけじゃないけど、熱がこもるような感じの暑さだった。

 

バスについて

金沢はすごいバスが発達していて、どこへ行くにもバスに乗った。金沢市内の周遊バスもたくさん出ているし、本数も多いので、お盆と言えどもそこまで混雑している印象は受けなかった。

 

私はバスに乗り慣れていないので、事前に整理券や支払いの方法等、乗り方をめちゃくちゃ調べた。あと、JR系列ではない北陸鉄道バス等のバスはSuicaが使えないので、小銭の用意をしておく必要があった。普段現金を使わない生活をしているので、これが地味に大変だったな。金沢市内は周遊バスのフリー乗車券を活用したけれど、いしかわ動物園は市外のためフリー乗車券が使えず、840円×2(往復分)を用意する必要があって現金で払いまくっておつりで小銭をもらいまくった。

 

あと、生まれてから今まで一度もバスの両替機を使ったことがなくて、今回初めて両替機を使った。今まで使ったことがなかったのは、両替するタイミングが、体育の授業でやった大縄に入るタイミングと同じくらい分からなくて難しくて緊張して怖くて近寄れなかったからでした。

「走行中の両替は危ないからバスが止まってから両替してください」とアナウンスをしているものの、赤信号でバスが止まっている時間がどれくらいだか分からないし、降りるときになって両替を始めると他の人を待たせたり邪魔することになるから落ち着かないし……。だから、とにかく両替機を使わないで済むように小銭を用意して、バスに乗った瞬間から小銭を握りしめ終点に着くのをひたすら待っていました。が、始発駅から乗り、出発までしばらく時間があるときにそっと席を立ち、初めて両替をすることができた、初めての経験……。私でも両替できた……。

 

今まで見かけたことのある両替機って、大抵千円札を100円玉10枚にするような両替機ばかりで、100円玉を10円玉10枚にしてくれる両替機を見かけたことがなかったので「バスの両替機では、100円玉を10円玉にすることができますか?」といった知恵袋を見ていたところ「それを両替と言うのですが」といった、冷たい書き込み(質問の回答にすらなっていない)を見かけてウワ~~~と思った。(金沢関係ない話)

 

 

 

既婚者のひとり旅について

パートナーは一週間以上の夏休み、私は4連休という中でそれぞれ好きなところへひとり旅をした。案外よかった。

パートナーとそれぞれの旅行の様子をLINEで共有できるのが楽しかった。

これまでパートナーとの旅行となるとホテルやレンタカーの予約、計画をすべてパートナーが先回りしてやってくれていたので、今回のひとり旅に際して自らホテルを予約し計画を練るという自分の頭を使って旅行ができたというのもよかった。パートナーにおまかせしていたけれど、私だって予約や計画をする能力はあるんだぞ!と自分に成功体験を感じてもらえた気がする。

 

結婚してしまうとひとりの時間が取れなくてしんどいと思うときもあるけれど、いざひとりになるとそれはそれで寂しい。でも、結婚してからでもひとりで旅行できるというのが経験として分かってよかった。

 

まず理解に徹し、そして理解される(by『7つの習慣』)

先日『7つの習慣』について学ぶ機会があった。同名の本にはその名の通り、7つの習慣が紹介されており、ものすごく雑に書くと、自分が目指したい将来像から逆算して今自分がやるべき行動・習慣を明確化し日々を変えていこうみたいな内容だった。

いつか自分が死ぬとき あなたは誰からどのようなことを言われたいですか、そのように言われるためにはこれからどのように行動をしていく必要がありますか、行動を習慣化させるためには最初は意識的に行動をする必要があり、無意識でできるようになるところまで持っていく(習慣化させる)のが大事、みたいなことを教わった。

 

特に第5の習慣「まず理解に徹し、そして理解される」というのが心に残っているので書いておこうと思う。

 

第5の習慣「まず理解に徹し、そして理解される」

第5の習慣は、「共感によるコミュニケーションの習慣」として紹介されている。

 

人間にとって肉体の生存の次に大きな欲求は、心理的な生存である。

理解され、認められ、必要とされ、感謝されることである。

 

分かる。

 

ざっくり言うと、自分の考えを理解してもらいたい、分かってほしい、知ってほしいという気持ちの前に、とにかく相手を心から理解することや相手を尊重する態度が大事で、それによってその相手に大きな影響を及ぼすことができるという内容だった。

 

人間には返報性という、接する相手から受け取ったものと同じものを返す特徴があるらしく、まずは自分から相手を理解しよう、共感しようと思う「気持ち(意図)」と「スキル」を使っていくことが、結果的に自分に返ってくるので大事らしい。

 

じゃあその「気持ち(意図)」と「スキル」って何なの?というと、以下の通り。

  • 意図:理解しようとして聴くこと
  • スキル:気持ちと内容を反映させること

これじゃあ分からないよっていう感じだが、とにかくスキルやテクニックを乱用すればいいというわけではなく、根本に相手の話を理解したいと思うことが大事で、この思いとスキルを併せて使うことが、有効だという話だった。

 

スキルとは

一体スキルとは何なのか。

それは、

「あなたは(内容、トピック、言われていることの意味)について、(感情)と感じているんですね」

と、とにかく相手の言葉を復唱するというものだった。

 

相手が悲しんでいたり怒っていたり感情が高ぶっていたり興奮状態にあるときは、「あなたは(内容、トピック、言われていることの意味)について、(感情)と感じているんですね」と言う。

例えば「あなたは恋人にキツい物言いをされて、拒絶されたように感じてショックを受けているんだね」「あなたは夫にこのような態度を取られて、自分の大切なものを傷つけられたと思って悲しいと感じているんですね」という、相手が興奮状態にありながらも話してくれた内容をとにかく復唱する。逆に、興奮状態にある相手に対してどんな正論も伝えてもそれは意味を成さないという話でもあった。

 

感情が高ぶっていたり興奮状態にあるときというのは、テキストでは信号に喩えて「赤信号」と表現をされていた。「黄色信号」は少しずつ感情の高ぶりが落ち着き始めているとき、「青信号」は相手が落ち着いて感情的ではなく、課題が明確で相互の理解があるとき。この青信号のときに初めて対策や改善点を話し合える状態になる。

 

なお、青信号のときに復唱をすると相手を苛立たせることもあるのでよくないとも言っていた。それはそう。お互いに冷静なときに復唱されすぎてもうるせー!ってなる。あくまで赤信号、黄色信号のときには徹底的に相手を理解したいという気持ち(意図)を持った上で、復唱スキルを発動されたい。

 

自分から見ると、相手が悲しんでいる理由や怒っている理由が一目瞭然だとしても、赤信号のときにそれを言ってはならない。

「おまえが悲しんでいるのは〇〇だからだよ」と言っても、「あなたは分かってない、別に指摘は欲しくない、とにかく私の話を聞いてほしいんだ」と相手はおそらく言う。

相手のためを思って、相手の悲しみや怒りの元となるものを取り除いてあげようという全くの善意で発言をしても、その言葉は相手に届かない。

 

悲しみや怒りの元となるものを取り除くよりも前に、まず、相手の気持ちに寄り添い、相手の発言を復唱する。相手の話を理解したいという気持ち(意図)に加えて、この復唱するスキルを使うことが結果的に相手を尊重することに繋がるし、相手も「このひとは私を尊重してくれるんだな」と感じる。

 

この復唱するスキル、簡単かと思うだろうが意外と難しい。

 

例えば、「あなたは恋人にキツい物言いをされたんですね」と出来事を復唱するだけではダメだし、「あなたは拒絶されたように感じてショックを受けているんだね」と相手の感情だけを復唱するのもダメらしい。

「あなたは恋人にキツい物言いをされて、拒絶されたように感じてショックを受けているんだね」と、あくまで出来事と感情をセットで言う必要がある。

 

上記のように復唱の仕方を間違えたり、夫婦喧嘩をしていて互いに感情が高ぶっているときに、自分はすっと冷静になって咄嗟に復唱するモードに入れるか?というと結構難しいような気がするし、復唱するモードが解除されてついつい本音や正論が出てしまいそうになるときもあるだろう。

 

自然と復唱ができるようになるには訓練が必要で、最初はうまくできなかったとしても、何度も何度も繰り返して習慣化することが大事なのだという話だった。

 

さらに、出来事と感情を復唱されることによって、相手も客観的に感情を観察できる。

「あなたは恋人にキツい物言いをされて、拒絶されたように感じてショックを受けているんだね」

「あなたは夫にこのような態度を取られて、自分の大切なものを傷つけられたと思って悲しいと感じているんですね」

と言われることで、そう、私は拒絶されたように感じてショックだった、今自分の大切なものを傷つけられたと思って悲しいと感じている、と客観的に考えられるようになり、徐々に冷静さを取り戻していく。多分、この冷静さを取り戻していく過程で、「このひとには私の気持ちを話しても大丈夫なんだ」と安心を感じていくのだと私は思う。正論で殴ったりせず、判断をせず、私情を挟まず、自分の悲しみや怒りを受け止めてくれる、ただただ話を聞いてくれる、それだけで傷が癒えていく。傷が癒えた状態だからこそ、「次はこういうふうにしよう」と対処法や改善策を考えられるのだと思う。

 

徹底的な寄り添い、復唱を繰り返すことにより、相手が少しずつ赤信号から黄信号、青信号へと落ち着いていく。それからようやく次への改善の話ができる。

 

自叙伝的反応について

人間は、ついつい自叙伝的反応をしてしまいがちで、自叙伝的反応はNGだとも教わった。

自叙伝的反応とは以下の4つ。

  • 探る:自分の視点や意図から質問する
    • 例:「どうしてそんなことを言ったの?」「誰と一緒だったの」
  • 評価する:賛成したり反対したりする
    • 例:「すごくいいじゃないか」「過剰反応なんじゃない?」
  • 助言する:問題に対して助言やアドバイスをしたり、解決策を出す
    • 例:「…してみたらどう?」「こう考えてみたら?」
  • 解釈する:相手を解説しようとしたり、分析しようとする
    • 例:「あなたがいつもそうする理由はね…」「それは怒るべきだよ」

 

意外なのが、「評価する」の中で、相手の言葉を否定するのはいけないというのは直感的に分かるけれど、賛成することもいけないとのことだった。

 

私自身、相手が感情的になっていて私が落ち着いているときはヨシヨシと慰めて話を聞く態度を取っているつもりだけれど、ついつい相手の話が飛躍していたり、理論的におかしい点が目に付くとどうしてもこの自叙伝的反応や正論で殴ったりしがちなので、相手の気持ちが高ぶっているときは、どんなに話の理論が破綻していようが飛躍していようがとにかく相手の話を聞いて復唱しまくろうと思った。(本当にできるか?そんなこと…)

 

私は普段、パートナーから「そんな些細なことで傷つくの?」と言われまくっているが(過去の記事を参照してください)、これは自叙伝的反応の「評価する」に該当するのでパートナーは今すぐ自叙伝的反応をやめてほしい。

何らかの出来事があり傷ついている状態で、さらに「そんな些細なことで傷つくの?」というてめえの勝手な評価で傷ついているので、合計2回傷ついていることになる。本当にやめてほしい。もういっそブログ読んでほしい。

 

(この『7つの習慣』の「まず理解に徹し、そして理解される」についてはパートナーに共有して会話をしたが、今もなお「そんな些細なことで傷つくの?」と言われています。つらい。「私はパートナーの行動が全然改善されなくてつらいと感じているんだね」、です。)

 

でもまあ相手に求めるよりも前に、まずは自分がパートナーのことを理解しようという姿勢が大事らしいので、今日もめげずに夫婦間の問題課題表の整備をしてパートナーへの理解を深めていきたいと思います。

おわり

 

高橋一生 一人芝居『2020 ニーゼロニーゼロ』を観た

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今年の目標のひとつに、「高橋一生さんを一方的に生で目撃する」というものがあったのですが、その目標(夢)が叶いました。

 

ライブや舞台に行くことを「会いにいく」と表現するのはあまりに烏滸がましいので「一方的に生で目撃する」と表現しています。お金を払って一方的に見させていただいた、という感じ。

 

とにかくすごかった。テレビの枠に収まらない、私が好きなように見ていい時間があったこと、それがたったの1万円、安すぎるのでは?

もう死んでもいいとさえ思う………。

 

***

 

私は『カルテット』というドラマがとても好きです。2017年の作品。高橋一生さんのことを初めて意識したのは、この『カルテット』のときで、彼が演じる家森諭高という人間も好きだった。

演技のことは全くの素人だけど、このひとの演技が好きだなと思った。

 

最初は『耳をすませば』の聖司くんの声のひとね、くらいにしか認識していなかった。

 

『カルテット』以降、なんというか高橋一生ブーム的なものが起きていて、ドラマや映画に出ている姿をたくさん見た。

 

彼が出演している作品について、好きなものとそうでないものがあり、全部を追いかけて見るということはしていない。

(全部を追いかけて見なくても好きでいて良いのだということは、昔から応援しているアイドルで学んだ)

私は『カルテット』以外だと『凪のお暇』と『岸辺露伴は動かない』が特に好き。そりゃみんな好きだろうという感じだが……。

 

かなり複雑な家庭で育ったことも、たびたび思い出す。私には到底理解できない、というのが私の高橋一生さんへの印象。

 

***

2022/07/23、PARCO劇場にて、『2020』を観た話。

 

客席から歩いて登場した彼は白い不織布マスクをしていた。歩くときの足音を聞いた。ああ、高橋一生ってマスクするんだ、足音するんだ、と些細なことにいちいち胸がいっぱいになった。

 

人間だから当然なんだけど、体重があり、身長があり、靴を履いているから歩くと音が出る。"体重を感じる"とか書くとキモいけど、ドラマや映画で観るのとは違い、重さとか質感を直に感じる。すごい。高橋一生さんって人間なんだ、みたいなことを改めて認識する。

 

幸運にもB列の席だったので、すぐそこに高橋一生という人間が立っていて、1m〜3m、本気を出せば触れられる距離に存在していた。生物(なまもの)だった。

 

白い肌、眉毛の一本一本、顔の筋肉、首もと、日焼けした腕、腕に生えた毛、太い血管、切り揃えられた爪、パーマがかかった茶色い髪と黒い髪の二色、ひたいの汗、シャツについた汗、目の動きが、よく見えた。肉眼ではっきりと見た。

 

首を傾けてわざとらしくクシャッと笑うときの顔、周りをやんわりとゆっくりと睨め付けながら台詞を言うときの声、まっすぐに客席に差し出された手(私に手を差し出されているように感じた)、手をだらんとさせて肩を揺らしながら笑う横顔。

 

舞台が終わって一番に思ったことは、「あなたは、こういうことがやりたかったんだね」ということと、「あなたは誰にも自分のことを分かられたくないのね」ということだった。

 

作品自体が難解なこともあるけど、こういうことがやりたかったんだ、そうだったのか〜と思った。

「自分で体験し感じたことなのに、すでに他の誰かが体験し感じている。他の誰かが見た景色がすでに存在している。誰の目にも触れていないものなど何もない」

「自分の中のモヤモヤが言葉として出たらそれはもうモヤモヤとは違うものになってしまう」

「色んなひとがいていい、おんなじひとがいたっていい、よく似ているけど少し劣るひとがいていい」

「人間はお直し(作品内では、悪いところやダメなところを良いものに交換するみたいな意味)をするのが今じゃ普通。でもおれはお直しを選ばなかった。生まれたままの、不完全なままでいい、不完全なままがいい」

 

自分の中の一部を切り出してくれて、教えてくれてありがとうという気持ちになった。

 

『カルテット』のときも、ダメダメなままでいい、不完全だから良いんだという話をしていたような気がする、

人間同士、他人だから完全に理解し合うことはできない、あなたが完璧を求めたとしても不完全なほうをおれは選ぶ。自分の内面をどんなに忠実に言葉にしても、内面と言葉にギャップがあり、さらにはあなたの言葉とおれの言葉は、おんなじ言葉でも定義が違うからギャップがうまれる。どんなひとがいたっていい、分かってもらわなくていい、ただ不完全な人同士が共に生きる、その状態がただ在るだけ。

 

舞台上で激しく動いたあとに「くたびれちゃうんだよコレ」と彼が言ったとき、ブームのときの怒涛の生活のことを思い浮かべずにはいられなかった。しんどかったのかな、とか、色々。

 

「他人の許されざる行為を容認する」「唐揚げにレモンかけて怒ってたくせに?」「あれはドラマの話、おれ自身はどっちでもいい、レモンかける派だし」

唐揚げにレモンかける派の高橋一生さん情報、ありがとうございました……。

自分の舞台を観にくるひとがおそらく『カルテット』も観ているだろうことを見越してのメタ台詞。客席でも結構笑いが起きていた。カルテットはみんな好きだし、それに、5年経った今でもお客さんや高橋一生の中で家森さんが生きてることがなんだか嬉しくてたまらなかった。

 

舞台上では、白い立方体のブロックがたくさん使われていて、暴れたり動き回ったりする過程でその白いブロックが客席にまで落ちてきていた。「うわーすごい落ちてる」と言いながら、客席に降りて拾ってくれるのも素っぽくてよかった。

 

ボルダリング的なことをしていたり、ボールを上手から下手に投げている様子を見ると、ウワーーーこのひとってやっぱり男性なんだなー!と思わずにはいられなかった。

私は男性を前にすると、このひとには力では敵わない、頑張ればこのひとは私のことを殺せるんだとたびたび思う。そういう物理的な力では敵わない感じを目の当たりにして、少し興奮した。

 

カーテンコールのとき、共に舞台に立っていた橋本ロマンスさんと向き合って、肩を揺らして笑っていたのがすごく良かった。肩を揺らして笑う仕草、好きです。

橋本ロマンスさんのモダンな踊りもしなやかで美しかった。鉄筋?に座っておちゃめに笑う姿もキュートでした。

 

とにかくそこに高橋一生さんが生きていて、動いていた。様々な声で滑舌よく言葉を発したり、歌ったり踊ったり高いところに登ったり走ったり転んだり……。よかったな………すごかったな………。

間の使い方が上手い、滑舌が良く聞き取れない言葉がない、自分の身体をコントロールして動かしているのがよく分かる。よかった、高橋一生さんが生きているのを肉眼で見られてよかつた。

 

 

パートナーからの暴力について警察等に相談した

 

パートナー(夫)が怖い。パートナーからDVを受けている気がする。

そう思い警察署や内閣府のDV相談+、東京ウィメンズプラザに相談しました。

 

 

 

前回までのあらすじ

これまで、私がパートナーに対して、「こういうことをされて悲しかった」「ああいうことをされてつらかった」と言うと、パートナーはいつも「そんな些細なことで?」「おれはそんなことで傷つかない」「おれそんなに悪いことした?」と私に言ってきました。

 

他人同士なのだから意図せず相手を傷つけることはあるけれど、相手が傷ついているとと気づいたときには相手の痛みや悲しみ、つらさに寄り添って謝ってほしい。散々そう言ってきましたが私の声は届きませんでした。

 

しかし、先日とある記事を共有したところ、「"おれそんな悪いことした?""そんなことでおれは傷つかない"って おれの価値観を相手に押し付けて精神的に暴力を振るっていた」とパートナーが気づき、謝ってくれました。また、気づきを得たあとに「こういうことをされてつらかった」と私が訴えると「ああ、そういうことでつらさを感じたんだね」と寄り添い話を聞いてくれました。

やっと私の声が届いた、やっと報われる、そう思いましたが、結局何も変わっていませんでした、むしろエスカレートしていました。というのが今回の話。

 

aknynk.hatenablog.com

 

 

喧嘩・暴力のきっかけ

元気が出たら詳細を書こうと思います(書けないと思う)
想像で補ってください…。

6/4(土) 

私は毎週土曜日に習い事のバレエに行っていて、この日はバレエの前にパートナーと二人でTSUTAYAにDVDの返却・貸出をしようと思い普段より早めに家を出ました。

先日、『トップガン マーヴェリック』を観たので、トム・クルーズ祭りと称し、先週借りた『カクテル』や『マグノリア』を返却し、『ライトスタッフ』を借りに行こうという話をしていました。

しかし、TSUTAYAに着いてからDVDは借りないとパートナーが言い出しました。

パートナーは、早めに家を出て余った時間は二人で買い物でもして時間を潰せばいいと思っていたようですが、私はこれからバレエがあっていつもクタクタになるから、これ以上歩き回ってバレエの前に疲れたくないという思いがありました。

返却するだけなら返却BOXに入れるだけなので、5分せずに終わる。

それを事前に一言言ってほしかったという、ほんの些細なことが喧嘩のきっかけでした。

 

私「予定が変わるなら事前に一言言ってほしかったなあ」

 事前に一言なかったのがイヤで、それまで繋いだ手を離してひとりで歩く私。

夫「おれが失敗することすら許されないのか!?心変わりしちゃダメなのか!?」

夫「そんなに借りたかったのなら、そのとき言えばいいじゃん!」

 

別に『ライトスタッフ』をすごく観たかったわけではなく、ただ二人でDVDを探す時間が楽しみだったし、バレエ終わりに疲れて帰っても一緒に観る映画があることが何よりの楽しみでした。(Netfrixにある映画を観ればいいだけだけれど、一緒に探すの込みで楽しみにしていました。)

 

結局「おれが失敗することすら許されないのか!?心変わりしちゃダメなのか!?」という言葉の裏には、「そんな些細なことで?」「おれそんなに悪いことした?」という本音が隠れていて、今まで通り私は悲しくなりました。結局何も変わってない。

 

後からパートナーに言われて知ったのは、それまで繋いでいた手を離してスタスタ歩いていく私の行動が、彼にとっては怒りをぶつけられている、と感じ彼は彼で傷ついていたこと。私は彼に怒りをぶつける意図はなかったとしても、彼はそのように感じ、傷ついていました。その点については謝罪をしました。

 

6/12(日)

パートナーはひどく共感能力が無いような気がする。

共感には認知的共感と情動的共感というものがあるらしいとネットの記事を見つけ、それをLINEで共有しました。以前記事を共有したときに自分が暴力をふるっていたと気づいたときのように、何か気づきを得てくれるかもしれない。そういう思いで共有しました。

しかし、パートナーにとってはそれが気に食わないらしく、LINEで共有した途端に大きい音を立てドアを開閉し、私の部屋に乗り込んできました。

いつもだったら「今話していい?」と声をかけてくれます。

 

「いつもおれから謝ってばかりだから、今回はおまえが謝ってくるのを待っていた。それなのに、ネットで都合よく書かれた記事を共有してきて、おれがしたいのはそうじゃなくてお互いの悪いところを認めて謝る話し合いをしたいんだ」

 

言葉ではそう言いながらも、大きい音を立てドアを開閉し部屋に乗り込んでくる時点で私は恐怖を感じました。彼は冷静ではないと私は思いました。

これまで散々「そんな些細なことで?」「おれそんなに悪いことした?」と悲しみを軽視されてきた過去があるから、自分から歩み寄ってごめんと謝ることがものすごく苦手です。申し訳ないと思う。謝りたい気持ちよりも恐怖のほうが勝つ。話しかけられない。自分から歩み寄れない。

 

また、LINEで記事を共有したのもよくなかった。

 

冷静ではないから今は話したくないとパートナーに伝え、部屋から出て行ってもらいました。

そのあと、いつも二人で書いているノート(対面だと口論になるからとお互いの思いをノートを書くことが度々あります)に、自分の気持ちを書き、リビングのテーブルに置いておきました。

 

すると、

夫「もう読む気ないから」

夫「自分が言いたいことだけ言って、おれの話は聞いてくれない」

夫「ゲームする余裕はあるんだな」

などと言いながら部屋に入ってこようとしました。

私の部屋は引き戸なのですが、入ってこないでと叫びながら戸を閉じようとしても、彼が力づくで戸を開けようとしてくるのでした。

この時点であまりの恐怖に「警察へ行く」と家を出ました。

半そで・短パンの寝巻の状態で、夜中0時に家を出ました。

パートナーからは家を出るときに「被害妄想だよ」と言われました。

 

相談先について

交番

家を飛び出してすぐに交番へ行こうと思っていました。

しかし、交番の近くまで行けても、中に入ることがどうしてもできませんでした。

ものすごく怖かったのです。私の悲しみを分かってもらえないのではないか。殴られたり蹴られたりしているわけではないから証明できる傷がない。もし家に警察が行ったら、パートナーが逮捕されたら、会社に知られたら、セカンドレイプ的に無理解な言葉をかけられたらどうしよう、そういった恐怖で何度も何度も交番に行こうと思ったけれど、行けませんでした。

 

交番に行けず夜中に街をうろうろしたり、公園で友人に泣きながら電話をしたりしました。友人からは、警察の生活安全課のこと、その他相談先のこと、今逃げることが今後のお互いのためになること、色々言葉をかけてもらいました。本当にありがとう。友人からは、今日はタクシーでどこかホテルへ行ったほうがいいと繰り返し言われました。

 

しかし、結局私は家に帰ってしまいました。逃げる元気がありませんでした。その日は0時頃に家を出て、2時過ぎに家に帰りました。彼からは何度も電話やLINEで連絡が来ていて、「そばにいて欲しいよ」「警察行ったけどいなかったよ」「どこにいるの?」「心配しています、連絡ください」といった連絡が入っていました。恐怖でした。

「怖いので今はもう話したくありません」とLINEで連絡をし、その日は部屋で眠りました。

 

警視庁総合相談センターへの電話

6/13(月)の朝、起きたら少しつらさが減っていて、「あ、もう大丈夫かも」と思い、午前中は普通に仕事をしていました。しかし、友人から警察署まで行かずとも生活安全課に電話を入れておくと良いのでは、といったDMをいただいて、勇気を出して仕事の合間に警視庁総合相談センターに電話をしました。

 

相談ホットラインのご案内 警視庁

 

03-3501-0110に2回ほどかけましたが繋がらなかったので、#9110に電話をかけました。

 

私「交番に相談していいのか分からなくて電話しました」

相手(男性)「え???」

私「夫からDVを受けているかもしれなくて、相談したくて…」

相手(男性)「DVの相手は夫ですか?具体的にどういった暴力ですか?お住まいはどちらですか?こちらの窓口ではDVにあたるかどうか判断はつかないので、区の警察署の番号をお知らせしますのでそちらに電話してください」

 

私がちょっと冷静ではないので変な相談の仕方をしてしまい、電話の相手に「え???」みたいなリアクションをさせてしまいました。申し訳ない…。しかしこの「え???」ですら心に鋭く刺さってくるのでした…。

 

警察署への電話

6/13(月)、警視庁総合相談センターに電話したところ、つらさや恐怖が蘇ってきてまた泣いてしまいました。朝起きて痛みが薄れてきたように思っていたから普通に午前中は仕事をしていたのにやっぱりダメだった。

 

友人が、「緊急ではなく、身の危険も現時点ではないので、あくまで今後のための相談として調書を取っていただきたい」「女性警官に相談したくて、女性がいなければまた後日かけなおします」といった例文を送ってくださったので、それをそのまま仕事用のPCのサクラエディタに書き起こして、それを読みながら、意を決して警察署に電話しました。

 

私「夫からDVを受けているかもしれなくて、相談したくて…」

警察署の方①(男性)「相談係にお繋ぎしますね」

 

警察署の方②(男性)「どうされましたか?」

私「緊急ではなく、身の危険も現時点ではないので、あくまで今後のための相談として調書を取っていただきたいです。夫が大きな音を立ててドアを開閉する、無理やり私の部屋に入ってくることが昨夜ありました」

警察署の方②(男性)「女性のほうがいいですか?」

私「可能であれば女性の方がいいです」

 

警察署の方③(女性)「どうされましたか?」

私「(先ほど話したことを繰り返し伝える)」

 

警察署の方③から、調書を取るにあたり(?)以下のようなことを聞かれました。

  • 氏名
  • 住所
  • 生年月日
  • 夫の生年月日
  • 結婚したのはいつか(結婚してどれくらいか)
  • どこで夫と知り合ったのか
  • お子さんはいるか
  • 喧嘩が起きたのはいつか
  • 喧嘩の頻度
  • あなたの実家はどこか、実家の住所
  • 実家に避難することはできるか(実家とは折り合いが悪く避難はできない)
  • 別居・離婚は考えているか(可能なら仲良く円満に暮らしていきたい)
  • 家に行ったいいか?(家には来ないでほしい)
  • 夫の連絡先(夫に知られたくないないので、あえて分かりませんと答えました)
  • 性被害はあるか

 

不安なことがあったらいつでもお気軽に電話してほしいこと。

緊急だったら110番でも良いこと。

来月目途で様子確認のため再度警察署から電話をすることなどを伝えてもらいました。

 

ちなみに、その日はパートナーは仕事を休んだらしく、すぐ隣の部屋にパートナーの気配がありました。そんな中で電話できた私すごくえらかったよと褒めてあげたい。頑張ったよ。パートナーに警察の方との電話が聞こえるかもしれない、またいつ部屋に無理やり入ってくるかは分からない、そんな中で、会社の週次ミーティングをこなしつつ電話できたのは本当にえらかったと思う。

 

警察署へ訪問

6/13(月)、電話が終わってすぐにまた警察署から電話がかかってきました。

「本当にDVを受けていないか顔を見せてほしい」とのことでした。

警察が家に来るか、もしくは警察署に私が行くか。

とにかく家に来てほしくないので、私から警察署に行くしかありませんでした。

 

私「何時までに行かなければいけないといった決まりはありますか?」

警察署の方③(女性)「今日私は夜勤なのでいつでも良いですよ」

 

その日は仕事も結構炎上していてヤバかったのですが、無理やり仕事を終わらせて警察署に向かいました。家から警察署がすごく遠くて、徒歩20分、往復40分くらい歩きました。坂があるので自転車もキツいし、何より交通手段を考える元気はありませんでした。

 

警察署では、小さな部屋に通されて以下のような話をしました。

警察の方ひとりと私の二人だけで静かに話せる場所でした。

 

  • 喧嘩のきっかけ、詳細、私から謝らないことに夫は腹を立てていること
    • 私たち夫婦も頑固だから謝らないですよ~(笑)みたいな話を警察の方からされました。
  • "東京ウィメンズプラザ"という相談室の紹介
  • 避難場所(ホテル・実家)に行けそうか、実家を頼れそうか
  • 今日は夫と話したか
  • 今日は被害はないか
  • いつもどうやって仲直りをしているか(喧嘩の2,3日後にノートやLINE、話し合いをして仲直りをしている旨回答)
  • 調書はあなたにしか見られません、あなた以外の方は見ることはできません
  • ただし、警察の中で共有することもあるので、あなたの顔写真を撮らせてほしい
  • 夫の顔が分かる写真も撮らせてほしい
  • 電話番号が分かる写真も撮らせてほしい
  • 「これ以上やったら逮捕されますよ」と夫に警告することもできること
  • 「電話してくれたら飛んでいきます」
  • 交番もそんなに敷居が高いものじゃないので頼ってほしいこと

 

 

会社が提携しているEAP(従業員支援プログラム)へカウンセリング依頼

6/16(木)、会社でもカウンセリングやDV相談ができる窓口があったような気がすると思い、メールにてカウンセリング依頼をしてみた。6/16(木)午後にメールをしたけれど、返信は翌日6/17(金)で、なんというか返信のペースが遅いので、なかなかタイムリーにはやりとりできなかった。

また、「カウンセリングは本メールから一週間以降の日付を指定してください」といった記載があり、今すぐに相談したいんだよ!みたいなことは難しそうに感じた。まだカウンセリング日は決まってない。

 

 

結果的にメールで予約できるっぽくて、それはよかった。

 

内閣府 DV相談+へのチャット相談

6/19(日)、チャットで相談をしてみた。

以前もチャット相談はしたことがあったけれど、そのときはただ寄り添ってくれるだけで何も解決しなかったんだよなあという印象があった。今回は、警察署の方にも案内された東京ウィメンズプラザを最終的に紹介してもらった。

 

soudanplus.jp

 

聞かれたこと、話したこと

  • 結婚前からDVの兆候はあったか
  • DVのきっかけに心当たりがあるか
  • どのようなことで喧嘩になるか
  • 子どもはいるか
  • あなた自身はどうしたいと考えているか
  • 他にどこかに相談したことはあるか
  • 警察や医師からどのようなアドバイスがあったか
  • 実家を頼ることは難しいか
  • 東京ウィメンズプラザへの相談

 

チャットの中で、以下のようなことを言われました。

 

「夫さんはあなたの気持ちを想像することが苦手、もしくはできないように感じますがいかがでしょうか」

 

「彼に暴言をやめるよう説得することは難しいように感じますがいかがでしょうか」

 

「あなたが我慢するということは、あなたらしく生きることをあなたご自身が手放すことになります。そのような自分をあきらめるような選択はしてほしくないです」

 

「かなり深刻なDVのような気がします」

 

パートナーが変わることは難しい、だからこそ私自身がパートナーから離れるかどうか、自分の安全を守ることを最優先に考えてほしいといったことを言われました。

私としてはパートナーと仲良く円満に暮らしていきたいけれど、どうしても離れるほうを案内されてしまう。彼から離れるためのエネルギーが全然無いから困ってる。

 

 

東京ウィメンズプラザへの電話

6/19(日)、電話をしてみた。

ここが、すごくよかった。

毎日21時まで電話を受け付けている。30分ほど話した。

 

www.twp.metro.tokyo.lg.jp

 

私は電話がすごく苦手で、なるべくならメールやチャットでやりとりしたいと思う人間です。だから警察の方に東京ウィメンズプラザを紹介されたときもなんとなく億劫で、電話することができていませんでした。しかし、先のDV相談+でも案内されたので電話をしてみました。

 

 

 

話してもらったこと。ちょっとあんまり粒度がそろってなくて、箇条書きの意味がなくて気持ち悪い…元気があったらまたあとで直すけど多分ムリ…。

 

  • 彼は、大きい音を立てたり怒鳴ったりというのを手段として使っている。
    あなたを従わせるために分かってやっている。
  • 警察に相談したことを話しても夫は「警察に売りやがって」と言うだろう。
  • そんな人に誰が何を言っても耳を貸さないだろう
  • あなたがDVについて勉強して正論を夫に伝えても、夫は自分が正しいと思っている。
  • 「暴力をしてしまって申し訳ないと思うけれど、おまえがおれを怒らすのが悪いんだ」と夫は思っている。
  • 妻の首を絞めて殺しかけた人ですらそうやって平気で言いますよ
  • このままつらいことが繰り返されると思います
  • 喧嘩してないときは優しいと言うけれど、DVにはサイクルがあって、優しいとき→ピリピリしているとき→どかんと爆発しているとき、そういったサイクルがある。サイクルを繰り返しながらエスカレートしていく。そのうち手が出るかもしれない。
  • 優しいとき、怒鳴っているとき、どっちが夫の本当の姿なのか見極める必要がある
  • あなたが彼を支えてあげようだとか、変えてあげようだとか思う必要はない。彼自身が気づいて反省しなければいけないこと
  • 彼の問題なのだから、あなたがご機嫌を取る必要はない、あなたは彼の母親じゃないのだから。対等な立場でいることが大事。上と下の関係ではいけない
  • 仮に「死ね」「くたばれ」とか互いに言い合ってる夫婦がいたとしたら、それは対等に言い合える関係だから良い。でもあなたは違う。
  • 対等であることが大事です
  • あなたを怖がらせる手段を使ってくるひとと、人生80年、この先一緒に暮らすのか、よく見極めてほしい。
  • 彼と円満に過ごしていきたいならトライしていけばいい。あなたも彼も負担なく、彼の根本が変わらなくても。方法がないわけじゃない。あなたが我慢すると言うのはダメ。
  • 離婚・別居ってそんなあっさり決められない。今日明日決められるものではない。それでもあなたには安全でいてほしい
  • もう少し一緒にいて、彼が変わるのか変わらないのか見極めてほしい。変わらないのならまた考えればいい
  • いざとなったら助けてくれるところがいっぱいある。役所も警察も、色々。そこは安心してほしい
  • 日本は被害者が離れないことには物事進まないようになっている
  • しかし、経済的な事情や、それでも愛しているからといった理由で、DVを受けているみんながみんなパートナーから離れているわけではない。天秤にかけて選択をしている
  • 委縮して暮らすのはよくない。夫を恐れて生きるのはあなたらしく生きられないということ
  • 夫とはいえ他人なのだから、互いに自立していなければいけない。支配されてはいけない
  • 経済的に自立していることはすごく大きい
  • 「"実家を頼れますか?"と毎回聞かれるけれど、私は実家と折り合いが悪いから難しいといつも答えるんです」「仕事してて経済力があるんだから、実家を頼らなくてもなんとでもなるでしょう。家だと冷静に考えられないからと、プチ家出やマンスリーマンションを借りるひともいますよ」
  • 「ごめんね、でも…(怒らせるおまえが悪い)」と言うひとは反省していない。あなたが気づかせてあげるのはダメ。夫自身が気づかなければいけない。
  • 今後も一緒に暮らしたいなら、自分のダメージを極力減らす方法を考えてほしい。これ言ったら怒るだろうなということを抑えてみるとか。夫のご機嫌を取るためじゃない、あなたが安全でいるために。

 

あなたは成人女性だから、あなたがどうしたいか、その意思が尊重される。

あなたが彼を変えようと努力する必要はない。

夫婦は対等な立場でいなければいけない。

どのような選択をするにせよ、あなたには安全でいてほしい。

自分で見極めてほしい。

 

そういったことを繰り返し言われた。

血の通ったコミュニケーションがやっと成された感じがした。

パートナーは変わらない。だからといって今日明日すぐに離婚を決めなければいけないわけじゃない。一緒に暮らす選択をしてもいいし道がないわけではないけれど、私の尊厳は損なわれてはいけない。

 

自分の意思。

私は離婚せずに円満に暮らせたらいいなと思っている。

でもパートナーは変わらないのだから離れたほうがいいというのも分かる。

ゆっくり考えたい。いまだに私の部屋に無理やり入ってきたのが怖すぎて、今日パートナーと少し会話したときも恐怖で身体が震えたし、すぐに涙が出た。また、引き戸が開けられたらすぐ気づけるように、突っ張り棒ではないけれど、こう、掃除機とか洗濯カゴとか、ごみ箱を置くようになりました。怖い、どうしてもすごく怖い。

今日パートナーと少し話してみたけれど、「ごめんね」と言いながらもやっぱり言葉の裏には「そんな些細なことで?」「おれそんな悪いことした?」「おまえだって同じことをやっているだろう」みたいな、「ごめんね、(でも…)」という感じだったので、パートナーは変わらないんだろうな。