力では敵わない相手と共に生きること

 

何か悲しいことや傷つくことがあると、私は黙り込んでしまう。

するとパートナーが怒り出す。毎度のことだ

 

 

人には人の傷つき方がある。私は黙り込むという方法で、パートナーは怒り出すという方法で、傷つきを表出させている。

 

怒りは二次感情で、その裏には傷つきや悲しみがある。だから怒る人というのは傷つき悲しんでいるのだ

 

先日も些細なことで私は黙り込んだ。

パートナーの報連相が遅いこと、ならびに報連相が遅くなったことに対する謝罪が私にとっては十分でないと感じられたこと、同様の事象が直近であったことなどが原因であった。

いきなり思ってもみない角度から報告をされてびっくりして黙り込む私。それに対して怒って怒鳴り出すパートナー。

 

パートナーからしてみれば私の黙り込みというのは、単なる黙り込みではなく、不機嫌をぶつけるという暴力だと幾度となく言われてきた。

 

パートナーが怒るほど傷つくことなのであれば、黙り込むという暴力はやめたい。そう思う一方で、私には私の傷つき方があるのに、とも思う。パートナーは私の黙り込みに傷つき怒るという行動に出る権利があるのに、なぜ私は黙り込むという行動に出る権利がないのかと、理不尽に感じる。実際には、権利はある、けれどパートナーが怒り出すから黙り込む権利が無いように私には感じられる、というのが正確なところだ。

 

冷却期間を設けるべく、自室に行き、扉を閉める。

しばらくするとパートナーが自室の前で謝っている声が聞こえる。

このような状況において、お互いに冷静ではないので、距離を置くほうがいいとこれまでの経験から痛いほど理解している。

 

応答しないでいると、パートナーが何度も扉をノックしてくる。そのうちガチャガチャと扉を開けるパートナー。叫ぶ私。「暴力でもいい!」と部屋に入ってくるパートナー。ベッドの後方に後退りする私。私の手を掴み、肩を引き寄せ抱きしめてくるパートナー。ひっぺがそうとパートナーの肩を掴み押し返そうとするもびくともしない。力では敵わない。私は女で、パートナーは男だから、私はこの人に力では敵わない。抵抗は無意味だと諦め、されるがままにして項垂れる私。腕がだらんとする。心が死ぬというのはこういうときのことを言うのかもしれない。スイッチが切れたように、心がシャットダウンして真顔になってしまう。それなのに涙は止まらないままなぜか流れ続けている。抱きしめられたまま、数十分経過する。

 

レイプ事件において、「どうして最後まで抵抗し続けなかったんですか」といったことを言う人がいる、らしい。抵抗してもさらなる力で押さえつけてくるような相手に対して、最後まで抵抗し続けることなんかできると思いますか?無駄ですよ、もうどうでもいい、殺されてもいい、抵抗したほうがより悪い結果をもたらす可能性がある、抵抗するということは能動的に相手の身体に触るということで、それも気持ちが悪い、触りたくもない、関わりたくもない……と別に今の私はレイプされているわけではないのだが、レイプ被害者ってこんな気持ちなのかもしれないな、という思考の飛躍が脳内で始まる。ちょっとした解離状態なのかもしれなかった

 

ふと、ベッドに散らばっていたスマホや本のことを思い出し、パートナーから無理やり離れる。案の定スマホや本を踏んづけたままパートナーは私のことを抱きしめていたようで、急いで踏んづけているものを退かす。私の物を大事にできない人が、私のことなんか大事にできると思うなよ、と思う。

 

物を退かしたあとも、パートナーはそこにいる。抱きしめていたはずの私の形だけがそこからすっぽりなくなって、パートナーはそのままの体勢でベッドの上に存在していて、私は立ち尽くしている。

 

考える。どうすれば距離が取れるのか。土下座だ。土下座しかない。私は子どもの頃から親に土下座をしていた。許されるにはこの方法しかない。許されなかったとしても、兎にも角にも土下座しかない。膝から崩れ落ちるように力なくしゃがみこんで、土下座をし、「一人にさせてください」とお願いをする。「ごめんね、出ていくよ」と言い、パートナーは土下座している私を跨いで部屋を出ていった。

 

***

 

以前のこと。

喧嘩になり自室に行ったらそのときも無理やり扉を開けて部屋に入ってこられたことがあった。

怖いので、すぐに部屋を出た。寒い冬の日だった。パートナーは追いかけてきた。靴も履かずに。走って逃げたが、パートナーも走って追いかけてきた。あのときの形相が今も忘れられないでいる。瞳孔が開いていて、顔が、とても恐ろしかった。そのときももう無理だと逃げることを諦めた。そうしたら警察に呼び止められて、警察沙汰になった

 

それよりも前のこと

寝室で喧嘩が起きたので、自室に行こうとしたところ、それを阻まれた。通せんぼされた。無理やりかいくぐって寝室を出ようとするも、パートナーは私のお腹を押して、出ないようにしてきた。ついに手が出た、と思った

 

***

 

翌日パートナーはリビングでテレビを見ていた。同棲・結婚をするにあたり、一人暮らしのときに使っていた私のテレビはリビングに置いた。パートナーのテレビは寝室に置いた。

 

あんなことがあった翌日、パートナーは2〜3回洗濯機を回して(洗濯機も私が一人暮らしのときに買ったもので、仲が良いときは「使わせてもらうね」と一言言ってもらっている)、リビングでテレビを見ていた。かっと腹の熱が上昇するのを感じた。怒りが出てきた。

どうしてテレビが見られるの?どうしてそんな余裕があるの?私は昨夜全く眠れなくて昼にようやく起きたというのに、どうして無理やり部屋に入ってきて無理やり抱きしめた側の人間が、洗濯といった生活の営みはさておき、テレビを見るという娯楽に時間を費やせるの?と不思議でならなかった。何の気が済むわけでもないけれど、パートナーがリビングでいなくなったのを見計らってテレビのコンセント抜いた。リビングに置いてある私のテレビを使ってほしくなかったから。そんなに見たいなら寝室のパートナー自身のテレビを使えばいい。悲しみや怒りの矛先がおかしな方向に向かっている自覚はあったが、無性にイライラしてテレビのコンセントを抜いた。

 

***

 

あれから数日が経った今も、自分の感情がわからない。力で敵わない相手から暴力を振るわれた、という気持ちと、色んなものをかなぐり捨ててでも抱きしめてくれて私は嬉しかったのか?とか、パートナーが発した「暴力でもいい!」って何?とか、そういうことを考えている

 

ことの発端は、パートナーの報連相が遅いこと、ならびに報連相が遅くなったことに対する謝罪が私にとっては十分でないと感じられたこと、同様の事象が直近であったことだ。

 

直近、似たようなことで喧嘩をした際に、パートナーは「びっくりするようなこと言ってごめんなさい。予定の相談はなるべくはやく事前に伝えようと思ってきたし、これからもそういう心がけでいたいと思います。思いつきで言うときは、相手の気持ちを考えて言葉を多くしたり、急にいま思いついたんだけど、など言えるようになれたらいいなと思う」とメッセージをくれた。

あのメッセージはなんだったのか、と思う

 

いきなり予定が変わったっていい。報連相が遅くなったって構わない。私が唯一欲しいのは、報連相が遅くなったことに対するフォローだ。

そういったフォローをしないで、びっくりする私に対して「予定変更をしなければよかったわけ!?」とか「もっと事前に言っていればよかったわけ!?」と怒り出して、私の部屋に無理やり乗り込んで抱きしめることは、私は求めていない。

 

一昔前のドラマや小説でありがちな、「帰り遅くなるから夕飯いらない」という夫からの急な連絡にキレる妻もこんな気持ちなのだろうな、と思う。急に帰りが遅くなることもあるだろう、急に夕飯がいらなくなることもあるだろう、でも妻は夕飯が必要な前提で、前々から予定を組んで行動しているわけで、それに対する思いやりの言葉がほしい、そういった言葉が無いから、"前々から予定を組んで行動している"ということを軽んじられ蔑ろにされているように感じ、傷つき、怒りが出てくるのだと思う

 

***

 

5日後。パートナーから「冷静に距離を置かなかったこと、勝手に部屋に入って抱きしめたことごめんね」と簡単なメッセージが来ていた。なんでこんなに短文なんだろう。パートナーにとっては、ごめんなさい、ではなく、ごめんね程度で済ませられるほどのことで、言葉を尽くして何かを伝えたいものなど無いのだと思うと涙が出た。

 

パートナーにも、熊とか、力で敵わない相手に無理やり部屋に入ってこられて抵抗しても効かなくて数十分抱きしめられ続けるという経験をしてもらいたい。そうすれば、私が体験したことがどれほどの恐怖だったのか、分かるかもしれない。

命の危険を感じた、心がシャットダウンした、逃げられなくてとても怖かった、そういったあらゆる私の感情を、「ごめんね」の一言で済ませられることがイヤだった。

 

ことが起きた翌日にテレビを見るほどの余力があり、5日後に「ごめんね」と言えてしまうこと、そういった数々のパートナーの行動が、私の感じた恐怖を矮小化しているような気がしてならない。

もしくは、私がパートナーのいきなりの報告にショックを受け、黙り込むという行動に対する罰なのだと思った。私の黙り込むという行動と、力で敵わない相手に無理やり抱きしめられるということは、私にとっては全く天秤が釣り合っているようには感じられないけれど、パートナーにとっては、釣り合っていることなのかもしれない。私の不機嫌に黙り込むという行動はそれほどまでにパートナーを傷つけた暴力だったのかもしれない

 

でも、ことが起こる前段で何があろうとも、力で敵わない相手に力で支配するのは絶対に許せない、という気持ちもある

 

今の私の気持ち

暴力を振るう人と一緒にいたら私もそのうち暴力を振るったり、暴力を振るわれた人に対してそれを矮小化するような発言をしてしまいそうで 私はそんな生き方をしたくない、というのがまず第一にある。


その次に、そもそもあれは暴力だったのか?ということもある。力で敵わない相手に叫んでもやめてと言っても肩を押し返しても離れてくれなかったことを、"暴力"という言葉の枠に押し込んで物事を簡略化しようとしている気配が私の中にある気がする。被害者のポジションを取りたいのだ。私だって黙り込んでパートナーを傷つけた加害者のくせに、分かりやすい"暴力"に縋ってかわいそうな自分でいたいのだ

 

***

 

また、私が今この文章を書いているように、私が感じた恐怖がどれほどのものだったか、言葉を尽くして説明をしないと、パートナーは理解をしないだろうということも分かりきっている。それにも腹が立つ。少しは自分の頭で繰り返し考えて反省しろよと思う。なぜ私が、あなたの理解や納得のために説明をしないといけないのか、本当に理解ができない。

でも思えば、別に説明をしないといけない、ということは無いんだよな。私が説明しなければ、パートナーも深く考えることはなく、テレビを見て、「ごめんね」ってメッセージを送って、それで終わりになるだけ。それで終わりになることを私が許していないからこそ、私が説明をしなくてはいけない、という気分に勝手になっているだけだ。

 

今、一穂ミチさんの『恋とか愛とかやさしさなら』を読んでいる。プロポーズしてくれた婚約者が盗撮で逮捕された。そんなとき別れるという選択をするのか、許すのか許さないのか、そもそも許すって何?といった話で、今の自分の気持ちに寄り添ってくれている

 

 

その中で、いくつも共感できる文章が出てくる

 

一回謝ってもらってもそれで気が済むとか納得できるって話じゃないから

 

あなたにどうしてほしいのかなんて、わたしがいちばん知りたいのに、わたしが頭を絞って考えて結論を出さなきゃいけないの? 不公平じゃない?

 

自分が悩んだのと同じ時間、啓久にも葛藤してほしかった。明確な答えが出ないとわかっている自問を、何百回、何千回でも繰り返してほしかった。それが、あなたがわたしに示せる唯一の愛情なんじゃないの?

 

わかる〜〜〜………

 

パートナーの理解や納得のために説明したくない、考えたくない、状況の整理とかしたくない、という私の気持ちと重なる。なんで当の本人は深く考えずにとにかくごめんって言ってきているんだろう、とも思う

 

まだ読んでいる途中だけど大事だなと思ったのは

 

わたしは彼をわかりたいの

 

という台詞だった

分かってからでないと、許すも許さないも無い。どうしてパートナーが衝動的な行動を繰り返すのか、どうして私を一人にしてくれないのか理解してからでないと判断ができない

自分がどうしたいのかも分からない

分からない

 

作中、まずは盗撮をした婚約者自身が自分のことを理解するためにワークショップに行くことを彼女から薦められると、婚約者は怒り出した。

「分かったよ おまえに許してもらうためならワークショップにいくよ」「違う そういうことをしてほしいんじゃない あなた自身に考えてほしいんだよ」「それは違うだろ お前が納得のできる物語がほしいだけだろ、わかりやすい動機や生い立ちがあれば納得するの?」といった喧嘩に発展していく

 

身に覚えがありすぎて頭が痛い

どうしてこういう会話になってしまうんだろうね

あなたのことを知りたい、分かりたい、というのは、私が納得できる理由や物語を欲しているだけで、単なる傲慢なのかな

 

分からない、分からないこそ分かりたい

つらい

そして一人になれる居場所が無いということが、今、とてつもなくつらい

 

 

 

私と嵐 ARASHI LIVE TOUR 2026 「We are ARASHI」最終公演に行った

小学5年生〜中学1年生の頃の私は『まごまご嵐』を熱心に見ていた。土曜日のお昼の放送だったから、ひとしきり朝のアニメなどを見終えてお昼ごはんを食べるか食べないかの時間で、ダラダラしながらリビングで『まごまご嵐』を見ていた。

 

『まごまご嵐』というのは、2005年〜2007年にフジテレビで放送されていた嵐のバラエティ番組で、嵐のメンバーが一般のおじいちゃん、おばあちゃんの家に行って、その日1日だけ孫になって、家事だの庭仕事だのを手伝う番組だった。他にも色々企画はあったけれど、番組名からしてこの企画が一番のメインだったように思う。

 

妙にこの番組が好きだった。特段「嵐」として認識していたわけではなかった。「ジャニーズ」ということもおそらく認識していなかった。ただ若くて元気な男の人が、孫として愛されている様子がおもしろかった。今日初めて会ったおじいちゃん、おばあちゃんに対して、孫としてワガママを言うところもあったし、家事や庭仕事に不慣れで失敗するところもあったが、それを見たおじいちゃん、おばあちゃんはイヤな顔をしていないどころか、むしろ嬉しそうにニコニコ笑っていた。番組の最後におじいちゃん、おばあちゃんへの感謝を込めてニノがアコギ片手に歌をプレゼントするところも好きだった。

 

いま思い返すと、土曜日に小学校の授業がまだあった時代で、学校から帰ってきてこの番組を見ていた気もする……と思ったが、Wikipediaを見ると2002年には学校週5日制になっていたようなので、これは記憶違いのようだった。

土曜日の学校から帰って見ていたのはモー娘。のオーディション番組だったかもしれない……(2002年までテレビ東京で『ASAYAN』が放送されており、おそらくこの番組を見ていたのだと思う)

 

2005年、私は小学5年生だった。『花より男子』が始まったのはその頃だった。ハマった。この当時の小学生女児はみんな花男を見ていた。主題歌の『WISH』が好きだった。シャンシャンというベルの音や、嵐が着ている赤い衣装から勝手にクリスマスのことを思い、胸が高鳴った。

 

初めて買ったCDは、翌年2006年にリリースされた嵐の『きっと大丈夫』だった。正確に言うと、自分で買ったのか、親に買ってもらったのか、覚えていないけれど、とにかく能動的にCDシングルを買ったのはこのときだった。

C1000のCMに使われていた。カップリングの『春風スニーカー』は8×4のCMに使われていた。「ドコイク?ナニスル?8×4」というキャッチコピーを覚えている人がいるかもしれないが歌詞の中にも「ドコイク? ナニスル?」が入っていた。

 

そこから嵐のことが好きになりはしたものの、ファンクラブに入ったのは2008年のことだった。『花より男子2』とその主題歌の『Love so sweet』は2007年。『Love so sweet』が完全なる決定打となりファンクラブに入会をした。それまでファンクラブに入る意味とか、ライブに行く意味とか、必要性とかそういうものをあまり感じていなかったし、誰かを熱心に応援する、ファンになるということもよく分かっていなかった。

それが段々とCDを聴くだけじゃ飽き足らず、過去のライブDVDを見るうちにどんどんと好きになってきた。その頃から松本潤担当だった。

 

2008年というのは私が中学2年生の頃のことで、人生においてつらかった時期の上位に入るほど、過酷な日々を生きていた頃だった。学校でいじめられたり、実家がゴミ屋敷で父親に怒鳴られ土下座し続ける日々にうんざりしてきたり、とにかく家も学校も最悪だった。

そんな中で嵐と、習い事のクラシックバレエのスタジオは、私にとってのシェルターだった。

 

学校と実家の中間地点にTSUTAYAがあって、通い続ける日々だった。CDには初回限定版と通常版があって、初回限定版を買うにしても、通常版を買うお金が無いときは、TSUTAYAでレンタルをした。通常版にしか入ってないカップリング曲目当てだった。また、レンタル落ちの棚もチェックして、安く通常版のシングルを買うこともあった。それまでにリリースされたアルバムもチマチマ借りてコンプリートしていった。

当時、お小遣いなんてものは我が家には無かった。お年玉を切り崩すか、習い事のピアノで1曲合格するごとに何かひとつだけ物を買ってもらえるシステムだった。

買ったり借りてきた曲をパソコンに取り込んで、My Bestと言わんばかりのドヤ顔でセットリストを組んでCD-Rに焼いたり、ポータブルプレイヤーに曲を入れて、延々と聴き続けていた。

 

初めて買ったアルバムは『Time』だった。いまでもこのアルバムが一番好き。『Time』の中では『太陽の世界』が一番好き。Aメロを聴くたびに涙ぐんでしまう。「切なさも優しさも全部 胸にあるから 知らず知らずに積み重ねた時を彩る」という歌詞が好き

 

Time (通常盤) - 嵐

Time (通常盤) - 嵐

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  • Storm Labels
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ファンクラブに入ってから、何度もライブに行った。

『Time』ツアーの次の『ARASHI Marks 2008 Dream-A-live』が初めての嵐のライブだった。というか、ライブ自体が初めての経験だった。初めての国立も行った、楽しかったな。そこからどんどん嵐が人気になって、チケットが取れない年もあった。まだお金がなくて、遠征は難しくて、どうしても東京ドームでチケットを取る必要があった。『ARASHI Anniversary Tour 5×20』は、ファンがみんなライブに行けるようにと50公演も開催してくれたおかげで参加することができた。ありがたかったなあ……

 

***

 

今回のライブのチケットの応募をするとき、ラストの5/31(日)を第一希望に入れた。4月の東京公演は平日で仕事があったけど、第二希望・第三希望に入れた。4月に当選した場合はなんとしてでも有給を取って参加しようと考えていた。

5/31(日)、ラストなんてみんな行きたいに決まっているし、東京ドームというみんなが行きやすい会場なんて、どうせものすごい倍率で当たらないだろうと思っていた。

だから当たったときは、嬉しさよりも動揺の方が勝った。

 

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大変なことになった、と思った。

私自身が、嵐の幕引きに耐えられるのかという不安が大きかった。

 

ライブに行く前の一週間で、嵐Movieというファンクラブ限定の動画を見たり、過去のライブDVDを見返した。また、セットリストのネタバレを踏みたくないから、SNSでは細心の注意を払った。

 

過去のライブDVDを見返しているとき、パートナーから「嵐の好きな一番好きな曲は何?」と聞かれて、『できるだけ』『君のために僕がいる』『きっと大丈夫』『感謝カンゲキ雨嵐』と答えた。去年MY BEST ARASHI作ったときもほぼ同じチョイスだったから自分の変わらなさがちょっと嬉しかった

 

 

ライブの前日、眠れなかった。「もし明日、重大発表があって、やっぱりまだ嵐続けます!って発表だったらどうしよう?」「もし明日、大きな地震があっってライブが続行不可能だったらまだ嵐は続くのかな?」「もし明日、テロとか爆破予告があってライブができなかったらどうしよう」「もし明日……」と延々とパートナーに話し続けているうちに涙が出た。

私って嵐のこと、好きだったんだなあ

 

そして翌日、実感のないまま当日を迎えてしまった。

 

ロビーデコレーション、略してロビデコの写真を撮るために朝10時頃に東京ドームへ行った。10分くらいで撮り終わったので拍子抜けした。

というのも、4月の公演のときに、ペンライトなど物販だけは事前に購入していたのだが、そのときにもロビデコの写真を事前に撮っておこうと並んだことがあった。あのときは2時間くらいかかってようやく撮れた。本当に気が狂いそうなくらい長い時間だった。雨だったし他人の傘の先端が目に入りそうで怖い思いもした。並んでいる人も、整列をさせているスタッフも、なんだか殺気立っているような気がしてイヤだった。またあの狂いそうな時間待つのかと思うと後ろ向きな気持ちになるところが正直あった。

けど、運営側も改善をしてくれたようで、5/31(日)は20秒制限をかけて、サクサクと列が進み10分で撮ることができた、ありがたかった。

一旦家に帰る予定だったので、ミラーレスを持参してきれいに撮った。

 

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並んでいる最中『風』が流れてきて泣いてしまうかと思った。思えばこれもアルバム『Time』収録曲だったね。『Time』好きすぎる、本当に……。

並んでいるとき、声かけをしているスタッフの方が、「緑の線から撮るときの倍率は0.5、後ろから撮るときの倍率は1がおすすめです。20秒と時間が短いので、動画で撮ることをおすすめしています」と撮るときのテクまで親切に案内してくださっていて、なんかもうそれだけで胸がいっぱいだった。

 

朝からありえないほどの人が殺到しているのかと思っていた。蓋を開けてみると意外とそうでもなかった。普通のライブのときに加えてちょっと多いくらいの混雑具合だった。というのも、5/31(日)にチケットを持っていない人は東京ドームに来ないようアナウンスがあったし、「#531はおウチで嵐」というハッシュタグができており、見逃し配信を家で楽しもうね、という雰囲気があったおかげだと思う。

ドーム周辺にいる人も心なしか穏やかな雰囲気があった。ドームのビジョンに流れているメンバーの広告を写真に撮ったり、流れている嵐の楽曲に合わせて身体を揺らしている人がいたり、終わりの日なのに、とても穏やかだった。

一旦家に帰って休み、16時の開場の時間に合わせて再度家を出た。

 

嵐のライブ、入場するそのときまで座席が分からない。入場ゲートだけ事前に知らされていて、顔認証やら手荷物検査を抜けた先でようやく物理的なチケットが発券され、そこで座席が分かる。結果、1塁側のスタンド席だった。

 

この席の何がよかったか、というと、『迷宮ラブソング』の大サビの「僕がきっとその手を 強く引くよ」の跪く振りを目の前で見れたこと。5人全員が1台のムービングステージに乗って、私の目線の高さで踊ってくれたこと、あれは完全に幸福という類のものでした。びっくりした。あれは完全にキャー!です

 

また、気球の演出のとき、まだ真っ暗な状態のときから、ニノが気球の筒の中で立っているのを見られたことに異様に興奮した。「え!!!????ヤバ!!!すご!!!」と声が出た。右手にはニノの気球、左手には潤くんの気球があって、目が足りなかった。潤くんを見たいけどニノのほうが近いから、ニノのほうを多く見ていた。ニノって結構手振ってくれるんだな……みたいなことを謎に思ったりもした。気球に乗っての『果てない空』はディスプレイの演出も相まって実質空に飛んだ(?)。ディズニーランドのフィルハーマジックのピーターパンのパートのようだった。空に飛んでいる感覚があった。すごい

 

『A・RA・SHI』の後半をメインステージの上手側でやったことに目ん玉が飛び出た。なんで真ん中でやらないんだよ、なんでデビュー曲でその英断ができるんだよ。そして1塁側の席だったから上手側で踊る彼らをよく見られて本当に嬉しかった。

 

『CARNIVAL NIGHT part 2』で潤くんがジュニア紹介をするとき、トロッコに乗っていた櫻井翔さんがトロッコ内でしゃがんでちんまくなっているのを私は見ました。ちゃんとジュニアに目が行くようにしゃがんでくれているんだよね、良い。またファンがC&Rをやるたびに両手を上にしてマル!〇ってしてくれる櫻井翔さん、保護者のようで嬉しかった、ありがとうね

また、ステージからバックステージに行くために人力爆速トロッコで駆け抜けていく大野智さんに笑った。あのスピード感、マジ残像だった(?)

 

ところで嵐って、ものすっごく歌や踊りが揃っている集団、というわけではないと思っていて、だけどそれが嵐の味なんだよね。でも歌や踊りが下手な人は誰もいない。1塁側からメインステージを見ていると、お手本のような美しいダンスをする大野さんの周りにせっかちな相葉さんを始め、みんな個性のあるダンスをしていて、なんか笑ってしまった。そこが好き。愛しい。

また、縦一列で並ぶ振り付けのときに、後ろの4人がどう並んでいるかが私の席からはよく見えて、それが嬉しかったなあ。

 

***

その他、雑記

 

「上のほう調子はどうだ!」といつも嵐は上のほうを気にしてくれていて、アリーナが疎かになっているまである(無い)

それほどまでに繰り返し上に声かけをしないと届かないほど遠い、ということを彼らがちゃんと分かってくれているのが嬉しい。

 

見逃し配信で見たら『Lucky Man』のときのペンライトこんなことになっていたんだ!「LUCKY」「MAN」と文字が浮かぶようにペンライトが制御されていて楽しかった

 

大野「この曲が聞きたいんだろォ~?」の映像→からの謎のフェードアウト→リーン♪ゴーン♪というベルの音からもう確実に『Monster』だと分かって絶叫、そして始まる『Monster』『truth』、マジヤバかった。釣りに行きすぎて真っ黒に日焼けしていた大野さんが懐かしい

 

『Yes?No?』はやっぱりブチあがる。『Troublemaker』のイントロのダンスも最高。『P・A・R・A・D・O・X』というタイトルにかけて炎と水を使う演出よかった。こちらまで炎の熱気が来た。見逃し配信を見る前にかんそうさんのpostを見て大爆笑してしまったので、まだの方は探して読んでみてください。『a Day in Our Life』は「WAY」「上」「ねえ」のC&Rをディスプレイに表示してくれるのがなんかよかった。もうここにいるのはファンクラブ会員だけなんだから、歌詞がなくてもC&Rできるのに、それでも表示してくれる愛。

 

 

***

 

最後の挨拶について

挨拶が30分もあったのだと後から知った。

 

松本潤さんの挨拶で泣いてしまった。

「それぞれ人によって僕らと交わったタイミングは、あのドラマがきっかけ、とかあの番組がきっかけ、とかそれぞれ違うと思うんですけど、俺らと縁があって、つながってくれて、ありがとうございます」

これは、ライブを見ていて思っていたことだった。私にとっては『まごまご嵐』と『花より男子』がきっかけだった。そのあともドラマや映画、CMのタイアップとして曲が多く使われ、その曲が歌われるたびに、そのときの作品のことを必ず思い出す。

パートナーと見逃し配信を見ているときに「これは松潤が竹内結子さんと月9のドラマをやったときの曲で」「これは大野さんが忍者の映画をやったときの曲で、布袋さんに曲を作ってもらったやつ」「これはauのCMの曲で、当時auにパンフレットをもらいにいっていた」と自然と解説をしていたけれど、これって当たり前のことじゃないのかもしれない。というか、嵐全員がドラマの主役をやっていたのって当たり前じゃないんだよね。それに、普段のバラエティー番組の収録もありながらドラマも映画もCMもやるって本当に尋常じゃない忙しさだったんだろうなと思う。

 

「普段の私を知っているみんなは、ここにいる人間と別人だと思うだろうし」

これも、そうだろうな、と思った。見せてくれていない部分があるのだろうな、と思う。

ただ、彼の心の中にある繊細さと、全然本当の彼が俺様でもなんでもないことを少なからず知っている。こだわりが強いところ、そのために限られた時間を使って人も巻き込むところ、作品作りに熱心なところ、そういう熱い魂の持ち主であるからこそ、私は松本潤のことが好きだ。

 

挨拶の最後にメンバーひとりひとりにハグをしにいっている様子が末っ子そのもので、そこでも泣いてしまった。ようやくお家に戻ったというか、元の彼に戻れたというか、『化物語』の八九寺真宵の「ただいまっ、帰りましたっ」のシーンをなぜか思い出してしまった。浄化ってこと?

 

ニノ。「ジャニーズ」を連呼したニノ。ライブに際して「感謝を伝える」とか、「最後まで5人で立ちきる」といったタスクを掲げていたと話すところも、「今日でジャニーズ人生を終える」と話すところも、「できるからやるんじゃない、できないからやらないんじゃない。やるんです」と話すところも、何もかもがニノらしくて笑った。松本潤の挨拶で出た涙が一気に引っ込んだ。最後のライブで、配信もされていて、映像化することも決まっている中で確信犯的にここまで言うところ、それほどまでに裏に怒りや傷つきがあるのだろうと思ったし、この挨拶をもって、一区切りつけられたならいいなと願ってやまない。

 

「またどっかで会いたいなと思ってますよ、なんか寂しいと思ってる。それが一番寂しい。また会えるようにさ、私も頑張るから、みんなも頑張りましょう」と言ってくれて、そこでまた泣いた。「だいすきだよ」と早口に言い逃げする様子もニノらしくてよかった。

 

相葉さんの「何度生まれ変わってもこの景色は絶対に見れない」と話すところの、相葉さんの謙虚さが現れていたように思う。ライブが始まってからずっと泣きそうな顔をしていたくせに、(裏や暗いところでは泣いていたのかもしれないけれど)明るいライトの下では決して泣かなかったところに相葉さんらしさを感じてしまってそれが胸にキた。泣けているといいな

 

大野さんは「ここまで持ち上げ続けてくれて、本当にありがとうございました」と言っていたけれど、私のことを持ち上げて、支え続けてくれていたの嵐のほうだよ。

また、「では!」と去るところも、ああ、この人たちはできない約束は絶対しない人たちだった、だから「またね」とは決して言わないで「では!」って言うんだ……と思って苦しくなった。

MCでも「メンバーからお金を借りている状態が怖い」と話し、借りたお金はすぐに律儀に返すような人たちで、休止期間中はファンクラブもやめよう、お金を取るのはやめようと思っていたところに、休止期間中も継続してほしいという声が多くて継続になったこと。なんというか彼らのそういうところが私は好きだったし、救われていたんだよなと思った。

 

櫻井さん、「嵐が支えでした、嵐に救われました、嵐が生きがいでした、そんなメッセージを見ると胸がいっぱいになりました。なぜならば、ファンのみなさまが支えで、ファンのみなさんに救われて、ファンのみなさんの生きがいであることが、自分の生きがいだったからです」「支えてください、というのはちょっと、おこがましくて言えませんけれども、温かくそれぞれ見守ってくれたら嬉しく思います」「松本潤、二宮和也、相葉雅紀、……大野智、櫻井翔、僕たちが、嵐でした。いや、僕たちは、嵐です」

すべての言葉に泣いたんじゃないかな、泣かせてきやがる、本当にやめて。「宝箱」や「ゴールテープ」という比喩表現に泣いてしまう、もはやそれが比喩でもなんでもなく、私の心の中では実際にその景色が見えていて、もうこの宝箱の蓋が閉じてしまう、ゴールテープを切って終わりになってしまう、そのことがとてつもなく寂しかった。

大野智の名前を呼ぶところで詰まって、口を思いっきりヘの字にして涙をこらえる櫻井翔の姿が、なんかもう、この人にとってどれだけ大野智は支えだったんだろうかと思うと涙が出た。

 

30年くらい生きてきて、こんなに「ありがとう」って叫んだ日はほかには無いと思う。人生で一番「ありがとう」を言った日だった。挨拶のとき、すすり泣きと、「ありがとう」の声がたくさん聞こえた。

 

あと、前は予習なんてしなくても踊れたはずの『GUTS!』とか『One Love』といった踊りをちょこちょこ忘れてしまってごめんね。『ハダシの未来』みたいなライブの定番曲は忘れないのに、逆にシングル曲のほうを忘れてしまうことってある。予習をちゃんとしない不勉強なファンでごめんね

 

ペンライトについて。

嵐のペンライトは制御されていて、要所要所で推しの色に制御されるときもあった。私は紫だったし前の潤が好きな人も紫になっていた。隣のニノが好きな人は黄色になってた。偶然じゃないと思う。おそらくファンクラブに登録している「好きなアーティスト」欄が反映されているようだった。運営側が、会員とその「好きなアーティスト」をデータベース化しているのかと思うと、なんかもう頭が上がらない。

一方で、最後の挨拶のときはみんながベチョベチョに号泣してるのに、せっせとペンライトの色を挨拶している人のメンカラに手動でポチポチ変えていて、なんだかそれも良かった。みんなちゃんと色を変えててすごくきれいだった

 

 

***

 

セットリストのネタバレを踏みたくなかったから、アンコールがないことも知らなかった。

 

 

祈るように「あーらーしー!」と叫んだ。アンコールはなかった。粘っても無理だった。銀テープももらえなかった。スタッフの方も行き届くように後から拾ってくれてはいたけれど、手には入らなかった。隣の人は運よくキャッチしていた。正直羨ましかった。でも大丈夫、配信を買ったから銀テープは届くはずなのだ。嵐、配慮の塊すぎる。

 

 

***

 

そういえば、ライブが始まる前に、しきりにペンライトの設定について案内をしてくださっていたスタッフのお姉さんがいた。「みなさんのお大切なお時間のために、ペンライトの設定をお願いしています」「ピンクに光らなかった方は遠慮なく手をあげてください、私が向かいます、もしくは周りの方たちがご協力してあげてください」と何度も何度も声を張り上げて伝えていた。マイクも通さずに。

周りのファンの方たちもお姉さんの声に耳を傾けて、うんうんと頷いたり、ピンクに光ったら「おお~!」とリアクションをしたりして、あれもなかなか楽しい時間だった。

 

あと感動したポイントは、歌詞がずっっとディスプレイに表示されているところ。あれはすごくありがたいこと。もしかしたら耳が不自由な方も見ているかもしれないという配慮もあるんじゃないかと勝手に思ったりした。事情があって音声付きで見れない人もいるかもしれないし。他のライブに行くと全然歌詞なんか出ないから、ささやかな配慮がすごいなと改めて思った

 

***

 

嵐のライブが終わって東京ドーム出てからXを開いたら、ライブの配信を見ていない人たちが、「嵐のライブと通夜・葬式がかぶったときに前者を優先するのはいかがなものか」的な議論を繰り広げていて本当にインターネットって最悪になったんだなって心から思った。申し訳ないけれど、そういった議論を熱心にRTしている人のフォローを外した。

 

アイドルを長く応援することとか、アイドルを好きでいることとか、大人になるとみんな自然とそういうことから離れてしまって、結婚したり子どもがいたりマンション買ったりしている。生活の中には、インターネットも存在している。

私も結婚して、中学生のときの熱みたいなものは薄れてしまったけれど、今は穏やかな波のような形となって「好き」が在るな、と思う。パートナーが、「嵐、終わっちゃった」と泣きながら帰宅する私を抱きしめて、「青春だったよね」と言っていた。青春だったのか。もはや「好き」とか「青春」じゃなくて、人生の支えだし、道しるべだし、自分の精神に溶け込んでいるものですらある。これからも何度も曲を聞いたりして救われることになるんだろう。そのたびに、私って嵐が好きなのかもしれない、と思い出すのだと思う。

 

現に、ライブの翌日の私は嵐の曲を流して、歌いながら、泣きながら仕事をしていた。寂しいというよりも、爽やかなお別れができたようにも思う

大丈夫、これからも生きていけそう

 

2008年、死にたくてたまらなかった中学2年生のときから一年も休むことなくファンクラブ入っていた私、グッジョブでした。おかげで最後のライブに行くことができた。あのとき嵐に救われ、自殺しなかったおかげで、自分の目で嵐の幕引きを見ることができた。東京ドームに入れたこと、ありがたく思う。生きていてよかった。

 

あとは、ライブの前後でパートナーが積極的に嵐の曲を聴いてくれていたのがとっても嬉しかったな。見逃し配信も、私の好きなものを押し付けているのではないかと不安になる私に「むしろ見たいまである」とかなんとか言って、一緒に見てくれたのが嬉しかった。中学生の頃、隣にはいなかったパートナーが今は隣にいること、とても幸せだった

 

正直なところファンクラブの会報動画なんてまるで見てなかったし、潤くんや翔ちゃんの生配信も見たことなかった。けどライブのあとに「やっぱり私って嵐のことが好きだったんだ!」と堰を切ったように見ていなかった動画や配信などを一気に見た。安定感がすごいし安心感がヤバい。まだまだ余韻は長く続きそうです

 

***

 

この幕引き、潔さ、解散ではなく活動終了という言葉選び、「嵐でした」ではなく「嵐です」という言葉選び、FC会員だと配信がありえないくらい安くてしかも銀テープまで送ってくれること、活動再開してもテレビには5人揃って出ず、ただただファンのほうを向いてくれていたこと、CDも5/31(日)に届くように手配をしてくれていたこと、6/1(日)にはさらなる贈りものを届けてくれたこと、ひとりもメンバーが欠けることなく今日までいられたこと、本当にすごいと思うし、感謝しかない。

 

オルゴールの蓋を彼らはこうやって閉めるんだな。

結婚して子どももいるメンバーもいて、結婚していない人もいて、結婚だけに限らず生き方の多様性を尊重したうえであの世界観を守るということがどれほど大変なことか私には分からないけれど、本当に尊敬する。

 

 

5人対5万人の喧嘩、楽しかったよ。

あなたよりも大きな愛はどこにもないんだよ

嵐、いままで本当にありがとう

劇団四季『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観た

自ら予定を入れると日々が楽しくなるという当たり前の気づきがあり、このGWは本当に楽しかった

なのでこのゴールデンウィークの思い出のひとつを未来の自分に申し送り的に書き残しておこうと思う

 

ネタバレもあるのでご注意ください

 

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チケットを取ったのは去年の7月だった

10か月も先の予定を決めるなんて、未来の自分が生きている保証なんてどこにもないのに、というかパートナーと私ふたりで仲良く行ける保証すらもないのに、こんな先のチケットを買ってもいいのだろうか、と思ったけれど結果的には本当に買ってよかった。過去の自分に感謝したい

 

チケットを取ったきっかけは、私がマンチェスターのオリジナルキャスト版の『Back to the Future: The Musical』を聴いたことがきっかけだった。音楽が最高すぎる、と思った。映像を見たことがない段階から踊り出したくなる音楽で、英語の歌詞も分からないのにそれでもなんとなく伝わってくる単語から映画のシーンを想像していた。

Youtubeで動画を漁り、ブロードウェイも含む数少ないパフォーマンス動画を何度も見て、仕事中は延々と英語の歌詞を口ずさむほど大ハマりをしていた。

 

これはぜひチケットを取ろうと思い立ち、劇団四季のサイトを見ると2025年内はもうチケットはほぼほぼ完売で、売れ残っていたとしても2階席の後ろの方やはじっこの席だったように思う。それならば!と2026年5月のGWのチケットを購入した。本当にいいの?本当に大丈夫?絶対この日仕事休みだよね?と何度も不安に襲われ何度も確認をしながら購入をした。こんな先の未来の約束なんて今までしたことなかった気がする。購入した当時は2026年5月の自分を全く想像できなかった。2026年5月現在の私は、2025年7月の自分と比べて何か変わっているようで何も変わっていないようにも感じる。

 

チケットを購入した1か月後である2025年8月には劇団四季版のCDの発売と配信が始まったが、聴かないようにしていた。

これを聴いてしまうと歌詞が分かりすぎてしまうし展開を知りすぎてしまうから、実際に見るまでのお楽しみに取っておこうと思った。

 

観劇の前日、映画を見返した。一番最初のシーンが大好きで、大量の時計がチクタクと鳴り、犬の餌がベチャベチャになっていて、エレキギターを弾いたらバーン!と爆風に飛ばされるマーティのシーンで何度でも笑ってしまう。

ミュージカルのオリジナルキャスト版を聴いていると、映画の中のすべての英語の台詞は分からずとも「It Works」や「Future Boy」といった台詞が耳に入ってくるようになる。ミュージカルは映画を踏襲して作っているんだ、という当たり前のことに気づかされる。そういう、「分かる!」や「聞こえる!」の破片を集めるとそれが宝物のように思えてとても嬉しくなる。

 

 

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そして当日、入場してキャスト表を見てガッツポーズをし、会場内のパネルの写真を撮りまくり、パートナーと交代で写真を撮り合い、中に入ると広がる真っ青な照明とチッチッチッチッという時計の音に胸がいっぱいになった。ついに来たんだ!10か月後の未来に私は来たんだ!

 

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早々に席について30分以上チッチッチッチッという時計の音を聞いているとなんだか急ぎ立てられているような気分になって、尿意がしてきた。なので直前に再度トイレに行った。こわい。気が狂うかと思った。

 

客先は心なしかほかの四季の作品と比べて男性や年長者が多いように感じる。去年のGWにアナ雪を見たときはキッズが多かったように思うから、やはり作品によって客層が違うのだなと思う。

アナ雪のときはキッズがアナやエルサのバウンドコーデをしている子が多かったけれど、今回BTTFでは別にダウンベストを着ている人はいない、スケボーで劇場にやってきた人もいない、どこかの映画評論家みたいにデロリアンを持っていてそれで劇場に乗りつける人もいない、ユニクロや四季のグッズで売られているBTTFのTシャツを着ている人は多く見かけた、あと心なしかナイキのスニーカーの人も多いように感じた、気のせいかな。

正直なところ、心配だった。ゴールデンウィークだし、BTTFという人気作品に観劇に慣れていない人が来るだろうと思っていたから。観劇マナーのなっていない人が近くにいたらどうしよう、といった不安もあった。けれど、席の前を通るときには必ず「すみません」「ありがとうございます」とみなさんが言ってくださって、これだけでとても嬉しい気持ちになった。一緒に観劇する仲間なのだから、やさしい気持ちで一緒に観たい。

 

また、前に座っていたおばあちゃんがすごく楽しそうに声を出して笑っていたのもよかった。隣に座るおじいちゃんはおばあちゃんを見て何か言いたげだったけれど、席についてしまえば舞台と自分の1対1の勝負だから、真正面から舞台を受け止めているおばあちゃんがなんだか輝いて見えた。

 

 

そしてようやく待ちに待った幕が上がり、立崇なおとさんの第一声で、ああマーティがいる!と思った。声だけじゃない、なんというか骨格や背格好がマイケル・J・フォックスに似ているのだと思う。すばらしかった。ドクの野中万寿夫さんも金八先生やら志村けんや他の四季作品のネタも取り入れつつの演技ですばらしかった

 

何よりすごいと思ったのは舞台演出

舞台装置、音楽、SE、照明など様々なテクノロジーが融合してあのアトラクション的な体験を生み出しているように感じた。生オケなのも本当に本当に嬉しい。生オケであるというだけでもうチケット代の元は取れている。

 

 

アラジンのときのような、ここにいるはずの人がいなくなっている!というマジック的な演出にすらいちいち感動してしまう。

デロリアンのタイムトラベルのシーンは嬉しくて震えた。この劇場ってスター・ツアーズじゃないじゃん、観客席が映像に合わせて揺れたり斜めになったりしないじゃん、なのになんでこんなに爆速移動している感覚が味わえるの?すごすぎる。

本当にこういった技術のことが大好きだから本を読みたい。知りたすぎる。技術の実態を知ったとしても夢から醒めることはなく、技術者の腕に完膚なきまでに打ち震えるだけである。

 

 

この動画を見たら、単なる音作りではなくゲームエンジンを使って作っているということが話されていた。また、当たり前のことだが車、デロリアンは舞台上では走れない。だからどうするかというと周りを動かすんだということ。うしろの映像で遠近感を出し、車ではなく映像を動かす。映像の中で雷や大雨を降らすだけでは臨場感が足りないから照明で補う。車がこちらを向いているときはエンジンの音が大きく聞こえるようにして、回転すると排気管の音を大きく聞こえるようにする。

すごすぎる……。これは体感した人にしかわからないからみんな見て!と言いたい。私はすぐ自分が良いと感じたものを他者におすすめしたくなる。とにかくみんな見てほしい……。

 

また、もうひとつ感激したところは、映画を補完する形で追加のストーリーが加えられていたこと。

お金の使い方、その描き方がとてもよかった。ゴールディが夜間学校へ行くための資金をどのように稼ぐか、あとはクロックタワーの修理代の集め方について、その描かれ方が本当によかった。

 

まずゴールディの夜間学校へ行くための資金をどのように稼ぐか、について。

床掃除からいきなり市長になることはできない、悲しいことだけれど現実の問題としてあの時代の黒人が市長になるなんて、作中でも描かれていたことだけれどそんな夢みたいなこと言ってるんじゃないよというようなことを、実際にどのように実現をするか、点と点を繋ぐ線、道を作ったのがあの追加されたストーリーだった。

クロックタワーにあの紐をくくりつける単発バイトでドクからお金をもらって夜間学校に行くというストーリー。

ドクは常々「成せば成る」と言っていた。その言葉のバトンが正しくゴールディにも伝わっている。というかゴールディも『Gotta Start Somewhere』で成せば成る的なことを歌っているわけで、二人の価値観はとても似ているのかもししれない。

 

作中に『Cake』という曲がある。マーティが1955年に来たばかりのときに、ヒルバレーの商工会議所を始めとした街の人たち歌う曲で、タバコは身体に良い、住宅の断熱材にはアスベストが良い、加工肉が最高だ、家父長制も最高だ、ユートピアの国、これ以上は望めない、みたいな歌詞で、明るい曲調で歌われるから一層ヤバい曲なんだけど、これは成せば成るの対極にある考え方だと思う。今が一番豊かで何も考えずに甘い蜜を啜っていればそれでいいんだ、これ以上は何も望めない(望まない)という価値観が蔓延る街で、ドクやゴールディのような考え方の人間はさぞかし浮いていただろうと思う。

 

でもその価値観のバトンが30年後のマーティに渡ることで、結果的にドクの命も助かるわけだから、本当に本当にありがとうという気持ちになる。

 

話が逸れたので戻すと、お金の使い方について、次に、クロックタワーの修理代の集め方について。映画の中では募金を募っているおばちゃんが出てきてそれで終わりだが、ミュージカルになると、未来が変わったあとのマーティの父ジョージが大好きなSFの小説家としてデビューしており、ジョージとロレインの夫婦ふたりから(?)小切手を市に贈呈するという形でこのお金をクロックタワーの修理代にあてる、というストーリーになっていた。

これもすばらしかった。

 

映画版では現代に戻ってきたマーティの家の家具や両親の服装がとんでもなく高級なものに変わっていて驚く、という内容だったけれど、家の内装を見せるのではなく、舞台を家の外に移し、さらに金持ちになったあとにどこにお金を使うのか、を見せるストーリーになっていたのがよかった。

 

自分で稼いだお金をどのように使うかは自分で決める。自立と自己決定の話のようにも感じた

学生時代は気弱でマーティの指示なしではロレインに話しかけられなかったジョージが、大好きなSF小説を書いているけれどそのことを誰にも知られたくないとコソコソしているジョージが、(まあおそらくロレインと二人で話して決めたのだろうが)小説家になることを決めたこと、そしてそれで稼いだお金をクロックタワーの修理代にあてようと決めたこと、そのひとつひとつに感動した。

 

***

 

オリジナルキャスト版のときから特に『Gotta Start Somewhere』や『Pretty Baby』、『Something About That Boy』という曲が好きだった。実際に見られて本当によかった

 

『Gotta Start Somewhere』はいずれ市長になる黒人ゴールディの曲で、今から始めよう、とりあえず始めよう、一生懸命働くことは何も恥ずかしいことではないんだ、自分は床の掃き掃除から始めるんだ、小さいことから本気で取り組めばいつか届くんだ、という前向きな歌詞で仕事中に聴いて何度も励まされてきたから、実際に生で見ることができて涙ぐんでしまった。

私はこんなふうに仕事に向き合えているだろうか?仕事がイヤだ、早く終わりたい、と思いながら逃げることばかり考えているのではないか、そういう自分が浮かび上がってくるようで痛くもあり、ゴールディの姿が眩しくもあり、泣きそうになる一曲。

 

四季に限らずミュージカルや何らかのダンスを見るともう身体が勝手に動きたくなってしまうんだけど、みんな本当にじっとして観られていてすごいと思う。私も頑張ってじっとしてるけど家に帰ると鏡の前で踊り倒す異常者になってしまう

特に『Pretty Baby』は私が一番踊りたい曲。マーティに迫るロレインの肉食的なところとマーティにメロメロな愛らしいところの両面が見られる曲で大好き。一人で風呂場の脱衣所でこの曲流してクネクネ踊ってる。

 

ミュージカルに出られたらさぞかし楽しいだろうなと思う。家で一人ミュージカルするときの楽しさも、音楽を聴きながら外を歩いているときに歌わないまでも口や身体を動かしてなりきる(※はるな愛さんをイメージしてください)ときの楽しさも、たまらないから、やってみたいなあと思う。

一方でバレエをやっているときは「喋らなくていいから便利だな、身体で踊りとして全部表現すればいいからそれがいいところだ」と思ったりもする。よくわからない

 

『Something About That Boy』はロレインチーム、ビフチームで男女それぞれに歌ったのちに、最終的に男女が混ざり合って歌う曲でこれも大好き。マーティ、あの子は何か違う、あいつは何か変だ、という歌詞で、男女それぞれの考えていることは違うものの、最終的に男女ペアになってリフトしているところが楽しい、嬉しい。あとミュージカルだから当たり前かもしれないけれど、敵役のビフすらも歌がうまいのが笑ってしまう。

 

 

***

 

映画と違うところの多くは車が絡むところのように思う

  • リビア人が車で追いかけてこない、そもそもリビア人は出てこない
  • ビフがジョージの車で事故らない
  • 木から落ちて車に轢かれそうになったりしない
  • マーティがスケボーに乗り、ビフが車で追いかけ回して肥料がドサーッ!となる展開はない

など。

 

でも、ロレインとマーティが深海パーティの前に車内で二人きりになるシーンは車が必須で、このときは暗い車内での二人のやりとりということで二人のシルエットが見える演出になっていたのもすっごくよかった!シルエットが出ることによって夜の、二人きりの、背伸びした、ドキドキ感が増すように感じた。

 

また、ジョージがロレインの下着姿をのぞくところや、ロレインがマーティの後をつけてドクの家を訪ねてくるところなどはなんだか犯罪みがあるから変更が加えられていたんだなと思う

 

***

 

あとは、本当にセットの転換がすばらしくて感動した。

ロッカーがぐわっと回転して後ろにあった食堂が出てくるところの映像とセットの転換のコンビネーションや、ロレインの家の裏に行ったはずのマーティがいつの間にかロレインのベッドの中に"ズボンを脱いで"(これがすごい)入っていること、ロッカーに入ったはずのマーティとジョージが一瞬いなくなること(裏にも扉がありそこから出ている or 床が抜ける方式で一瞬舞台の下に出ている ことは容易に想像できるけれどそれでも新鮮に驚いた)、センターにいたはずのドクがいつのまにかドクの部屋の上手にあるカウチにもたれていること、など。

単なるセットが回転して転換するのではなくて、映像とのコンビネーションも相まって良さを生み出していたように思う。

 

あとコンダクターからほうきが投げ込まれたのも楽しかった。舞台が拡張されているように感じた

 

***

 

その他雑記

  • オープニングぶちあがった
  • ロレイン歌うまい
  • スターウォーズネタ、パックマンネタ、版権どうなってるんだ
  • 幕間に流れている『Mr. Sandman』が嬉しい これも映画で流れていたよねえ
  • アンサンブルのツェザリモゼレフスキーさんが目を引いた。調べたところバレエ経験がある方のようだった だからか……と思った
  • 『Johnny B. Goode』の日本語訳そのまんまっぽくてメチャいい 「それはルイジアナとかニュー・ オーリンズ」と全然音と文字数が合ってなくて真っ平らに歌う感じにちょっと笑ってしまった
  • ドクの家でのシーンで何か光がチラチラするのが少し鬱陶しかった。おそらくドクの時計かゴーグルだと思う。ドクが動くたびに舞台のどこかがチラチラ反射してそれが何か意図があるものではないかと気になってしまった
  • 沈黙が長い瞬間が何度かあり、不安に襲われた

 

 

とここまでで約7000字も書いてしまった。余韻がすごいんだよ、昨日観たばかりだから興奮が冷めない。


昨日家に帰って感想を話しているときに、パートナーが、「30年って長かっただろうね」とつぶやいた。「風の噂でジョージとロレインが結婚したことや、マーティが生まれたことも聞いていただろうにね」と続けて言った。瞬時に意味を理解して思わず泣きそうになってしまった

ドクがマーティにいつ出会ったのかは分からないけれど、30年前の出来事を胸に抱えながら、それでも誰にも言ってはならず、日々マーティとの時間を過ごしてきたのかと思うと泣ける。

ドクとマーティの関係性について、友達だとか家族だとか仲間だとか師匠と弟子だといった表現は映画でもミュージカルでもなされていないように思う。この名前のない、けれど強く繋がっている二人の関係性がとても愛おしい

 

 

【合格体験記】独学でCISSPの試験に合格した

試験には合格した、というだけで、認定手続きはまだ完了していません。

エンドースメント(推薦状)は提出済でいま審査中というステータスのためです。

→2026/04/24追記:昨日無事認定されました!嬉しい!!

 

知らない方向けに説明すると、CISSPは試験に合格するだけではなくエンドースメント(推薦状)を提出してそれにパスしないと正式認定されません

 

 

CISSPとは

詳細は試験の概要を読んでください

  • 出題範囲 以下の8つのドメインについて問われる
    • セキュリティとリスクマネジメント
    • 資産のセキュリティ
    • セキュリティ アーキテクチャとエンジニアリング
    • 通信とネットワークセキュリティ
    • IDおよびアクセス管理(IAM)
    • セキュリティの評価とテスト
    • セキュリティ運用
    • ソフトウェア開発セキュリティ
  • 試験情報
    • 受験方法:コンピュータ適応型テスト(CAT)
    • 出題数:100 〜 150問
    • 出題形式:選択方式
    • 合格点:1000点満点中700点
    • 試験時間:3時間
    • 受験費用:749ドル(Peace of Mindという1回目落ちても2回目の受験を保証するサービスを利用すると998ドル)
    • 日本語で受験可能
    • ※以前は6時間で問題数が多いコースもあったようがだが今は無い
  • CISSP経験要件
    • 実務経験:現行CISSP認定試験概要の8つのドメインのうち、2つ以上のドメインで5年以上のフルタイムの累積実務経験が必要。CISSPに必要な経験がない受験者でも、CISSP試験に合格することでISC2 Associateになることができます。ISC2 Associateでは、必要な5年分の経験を積むために6年間の猶予が与えられます。
    • ISC2 承認リストに掲載されている資格(MicrosoftやCiscoやAWSの資格なんかもある)や、IT系の学士または修士を持っていれば、必要な経験年数のうち最大一年間まで免除できる

www.isc2.org

受験のきっかけ

仕事でセキュリティに関わることが増えてきたため、というのが一応の体裁。

会社の先輩がCISSPホルダーで、私も前々から受験したいと思っていて、PMPやCCNAのあとはCISSPを勉強しようかな~と思っていた。

受験のきっかけはさしてない。

セキュリティが大好きというわけでも興味がものすごいあるというわけでもない。

気軽な気持ちで勉強を始めてしまったばっかりに、こんなに範囲が広くて大変なのかよ!ということを後から思い知らされる羽目になる。

 

そして別に受験が終わったあともセキュリティ大好き!という感じでもない。普通。でもセキュリティの大事さは痛感している。

 

aknynk.hatenablog.com

 

試験前の知識レベルについて

セキュリティ系の知識はほぼ無かったと思う

持っている資格は、応用情報、ITIL Foundation、AWS SAA、PMP、CCNAなど。

 

結果

合格

 

勉強方法

勉強のルール

これまでの勉強とルールは変わらず。いつものルール

  • 平日は2時間勉強する
  • 基本的に土日祝は勉強しない(してもよい)
  • 旅行・飲み会・食事のなどの予定がある日は勉強しなくてもよい(できれば1時間勉強する)
  • 夫と喧嘩したときや精神的につらいときは勉強しなくてもよい
  • 前借りはしない、しかし借金をしたら返すというルール
    • 目標時間を達成したらそれ以上勉強しない(前借りはしない)
    • 勉強できなかった日や、その日の勉強時間が目標時間に満たなかったときは、後日その分の勉強をする(借金したら返す)
  • なるべくお金はかけない(その代わりに手持ちの教材でたくさん勉強する)

 

勉強のコツ

チートシートを作りましょう!

って思うじゃん?でも範囲が広すぎて最初は無理です。

私はこれまで資格試験の勉強をするときはNotion 1ページに全ての情報をまとめて、それだけを見ればいい、ということにしていたのですが、CISSPは範囲が広すぎて、Notionが重すぎて、結局ドメインごとにページを分けました。

するとどうなるかというと、段々とNotionを見るのが億劫になってきました

「あれ、これってどこのドメインだろう?」と探しているだけで時間を浪費してしまう

 

なので、最終的に私がやり始めたのは、最後の1か月あたりでノートに簡単なチートシートを作る、ということでした。

RPO/RTO/MTDとは何なのか、インシデント対応のDRMRRRL(ドラムロール。検出、対応、軽減、報告、回復、修正、教訓)の順番、SW-CMM、RMF、AAA、フェイガン検査の順番、ベルとビバのこと…。今ノートを振り返るとこれくらいしか書いていません

 

勉強を始めた当初、分からないことが多すぎてそれをひとつひとつNotionにまとめていたのですが、あれって意味あったんだろうか、結局Notion見直さなかったけど……。ただただ激重のNotionのページが8ページできた。でも意味があったと思いたい、結構大変だったから……。

 

あとはChatGPTに壁打ちをすること。これは大変便利な世の中でありがたかった。必ずしもChatGPTが出してくる解説が正しいわけではないけれど、よき相棒でした。

 

まずやったこと

合格体験記を読みまくる

合格者のみなさんが何の教材を使ってどれくらいの勉強時間で合格したのか調べるためです。このステップで、使う教材と、勉強時間をある程度定めました。

 

ISC2 Candidateになる

なぜかというと「認定試験の公式問題集や公式テキストを含むWiley出版物を50% offで購入」できるようになるからです。

会員登録をして簡単なフォームを書いて提出すれば簡単にCandidateになれました。

 

私はとにかく金をかけたくないのと英語が読めないのと物理的な本を買ってもどうせ読まないという人間なので、WileyでStudy Guide(教科書)とPractice Tests(問題集)を買いました。

 

どうせ買うなら最新版がいいやん♪でも自分大して英語読めないじゃん♪→ブラウザの翻訳機能で解決すればOK♪というソリューション

 

ISC2 Japan

 

仲間を見つける

合格体験記を読み漁る中で、かうさんのdiscord サーバーの存在を知り、参加しました。みなさんの勉強の様子や合格体験記などを読んで参考にさせていただいた点も多くあり、またモチベ維持にも繋がりました

 

 

使用した教材・アプリ

  • ISC2 CISSP Certified Information Systems Security Professional Official Study Guide, 10th Edition

Study Guideは辞書的に使おう!と思って買いました。が、ほとんど使いませんでした。

でも、問題がたくさん載っていて、良い勉強になりました

 

 

  • ISC2 CISSP Certified Information Systems Security Professional Official Practice Tests, 4th Edition

上述のStudy Guideと併せて、Online Test Banksでこちらをとにかく解く。

 

 

↓Practice Tests、Study Guide、後述のLearnzapp含めての実績はこんな感じ

試験が近づいても70%取れないときも普通にあって、都度ChatGPTに解説してもらっていた

 

  • 暗号技術入門 第3版秘密の国のアリス - 結城 浩

図書館で借りました。

私は公開鍵暗号の仕組みを分かっていない人間だった(基本情報や応用情報を受験するときに一瞬理解した気になるものの、すぐ忘れてしまってよく分からなくなる人間だった)のですが、この本を読むことでもう二度と忘れられないだろうなと思うくらいちゃんと理解することができました。腹落ちした。

 

今までなぜ分かっていなかったかというと、共通鍵暗号の話を理解しないまま、公開鍵暗号の話を理解しようとすることに終始していたので、分からなかったのだと思う。

共通鍵暗号だと、鍵の配送問題があり、そこから、漏れても大丈夫な鍵(公開鍵)で暗号化をして、復号化するときは絶対に誰にも漏らしてはいけない鍵(秘密鍵)で復号化するんだ(ざっくり解説)、ということをようやく理解しました。

 

また、使い捨てパッドに関する説明の文章がかっこよすぎたのが印象に残っています

使い捨てパッドを使って暗号化すれば、暗号文だけから平文を解読されることは絶対にありません。ですから、暗号文はもう守る必要はありません。しかし、平文を守る代わりに、平文と同じ長さの鍵を守る必要が生じます。鍵を削除して捨てるわけにはいきません。捨ててしまったら、暗号文を復号化することはできなくなってしまうからです。鍵を捨てることは、平文を捨てるのと同じことです。すなわち、「平文を守る」という問題が「平文と同じ長さの鍵を守る」という問題に置き換わったにすぎません。

 

家の鍵が家と同じくらいデカかったら、どんなに家が安全であろうとも鍵の意味ないもんね。家の鍵が家と同じくらいデカいって何?

 

 

  • CISSP 勉強ノート晴耕雨読

みんなこれ使ってる。

私もNotionに自分用ノートを作り始めたときは、こちらを参考にさせていただきました。が、こんなにこの勉強ノートほど簡潔にまとめられなくて、分からないことが多すぎてどんどんノートの分量が増えていきました。

この勉強ノートは、必要なものが簡潔にまとめられていて、本当にすごいなと思ったのでした

tex2e.github.io

 

  • LearnZapp: ISC2 Official App

2026年の年始に入って、New Year Saleと称して50%オフのキャンペーンをやっていたので3か月プランに入った。

 

アプリは英語版しかないのですが、ブラウザでも利用することができ、日本語訳できるので便利。ただ、私の環境だけで起きる事象かもしれないが、日本語訳にすると、例えば125問中1問目は「1/125」、2問目は「2/125」と表示されるところがなぜかずっと「1/125」表記のままで(伝われ)、今何問目まで解いたのか分からないのが難点だった。なので、カウントWeb で問題をカウントすることで、何問目まで解いたか把握するようにした。

 

こんな感じでずっと「全1/125」の表記で何問目まで解いたか分からない

 

最終的なOverall Readiness Scoreは85%でした。まあこの値がグリーンになったところで必ずしも受かるわけではないしな、という感じで安心はできなかった。

 

 

  • CISSP 8ドメインガイドブック

https://japan.isc2.org/files/MAR-CISSP_Guidebook-JP-RB-2023.pdf

公式のドメインガイドブック。10問ほど問題が掲載されている。

 

  • 各種YouTube

この3つの動画の方たちにはお世話になった

2個目の動画ははてなブログ上では再生できないようですが、Inside Cloud and SecurityのCISSPの動画です。このチャンネルのCISSPのプレイリストをざっと見ました。簡単な暗記の方法とかも教えてくれてありがたかった

 


www.youtube.com

 


www.youtube.com

 


www.youtube.com

 

 

使用したけど私には合わなかった教材やツールや勉強方法

  • Anki

英単語を勉強するためにAnkiを愛用しています。

しかしCISSPの勉強には不向きだと思いました。なぜなら、「なぜこれが正解/不正解なのか」を考えるよりも、「正解したい」という欲に引きずられてしまうからです。

問題の答えを暗記してしまう。ゲームのようにパッパッと解いて、勉強した気になってしまう。

めちゃくちゃ目がすべってしまい、問題文や選択肢が頭に入ってこなくなりました

CISSPはそういう試験ではなくて、「なぜこれが正解/不正解なのか」を腹落ちしないといけない試験だというのは分かっていた。でもAnkiに逃げたくなる自分もいた。

勉強の最初から最後まで使っていたツールでしたが、これが役に立ったという実感はあまり無いです。

勉強に行き詰ってしんどいな~というときに、ゲーム感覚で適当に解いて、勉強をした気になって、安易に自己肯定感を上げるにはよかった。でもこれじゃあいけないと思った。

 

↓この方の動画の概要欄のリンクから、Ankiの問題集がダウンロードできる。内容は英語だけれど、Anki Webで日本語翻訳しながら解くことができる。

あとはAnkiには共有デッキというものがあり、謎に共有されている野良のデッキをインポートして解いたりもした

 

www.youtube.com

 

  • Notionにノートにまとめるということ

晴耕雨読さんの勉強ノートをベースとし、以下サイトの単語集をエクスポートして、ノートを肉付けしようと試みましたが、量が膨大すぎて途中で挫折しました。ノートの量が膨大すぎると、探すのが億劫になり読み返さないということが分かった

 

qiita.com

 

 

使用しなかった教材

合格体験記を読み漁る中で、他の方たちが結構使われていたものの、私は使用しなかった教材たち

 

 

 

 

猫とCISSP

 

実績・金額

実績

  • 勉強期間:2025年7月~2026年3月(約9か月)

  • 勉強日数:123日(実質約4か月)

  • 勉強時間:

    • 目標:250時間

    • 実績:222時時間(-28時間)

 

仕事が忙しかったり仕事の都合上急ぎ取らなければいけない試験などが発生してあらゆる割り込みがあったため、勉強期間と勉強日数に乖離がある。割り込みが無ければ4か月で合格できていたか?というと微妙で、ゆっくり理解が熟成されて、点と点が線で繋がってちゃんと理解するためにはやっぱりこれくらいの期間は必要だったんじゃないかなと思う。

 

金額

項目 価格(¥)

教科書+問題集 ※ISC2 Candidate特典による50%オフ

・ISC2 CISSP Certified Information Systems Security Professional Official Study Guide, 10th Edition 

・ISC2 CISSP Certified Information Systems Security Professional Official Practice Tests, 4th Edition

¥6,841

($44.98)

LearnZapp: ISC2 Official App ※50%オフセール時 3か月分 ¥2,402
受験費用(Peace of Mind付き)

¥163,869

($998.00)

合計 ¥173,112

 

た、たけ~~~!

なるべくお金を使わずに勉強をしたい気持ちはありますが、こういう資格や勉強にお金を使うことが嫌いではないです

 

試験予約から認定手続きまで

試験予約

ISC2のサイトで試験の予約を進めていきます。

私は1回749ドル(これを書いている今は日本円で約12万)もする試験で落ちてしまったら二度と立ち直れなさそうな気がしたので、Peace of Mindという1回目落ちても2回目の受験をするサービスを利用をしました。998ドル。それにしても高い。手が震える。

 

誰にもCISSPを受験しろなんて頼まれてないし、全部自費だし、なんでこんなことやってるんだろう?という気になる。まあ自分の未来への投資ということで……。

 

勘違いして一度サポートに問い合わせしたことがありました。

「私はPeace of Mindを買ったはずだが2回目のバウチャーが来ない、なぜだ?」という問い合わせでした。Peace of Mindを買って、1回目の試験予約をしたあとに、あれ?2回目のバウチャーって来るものなのでは?という勝手な思い込みでした。普通に来ないようです。「1回目受験前は2回目受験用のバウチャーは表示されないよ、1回目の受験が完了したあとに適宜表示されるよ」という回答でした。意味不明な問い合わせをしてしまってすみませんでした……。

 

受験

西新宿のピアソン・プロフェッショナル・センター 新宿で受験した。

PMPのときも同じ試験会場だったので怖くなかった。

受験時は身分証明書を二種類持っていく必要がある。免許証とマイナンバーじゃダメなはず。私は運転免許証とサイン付きのクレジットカードを持っていった。

サインをする際は「クレジットカードの署名の通りに名前を書け」とスタッフの方に言われ、私はその意味がよく分からず、姓名を逆で書いたり(Taro Yamadaと書くべきところをYamada Taroと書いたり)、すべて大文字で書いたり(TARO YAMADAと書いたり)して、「そうじゃなくてクレジットカードの通りに書いてください」というようなことを言われた。失礼しました……。

 

試験の詳細は書かないけれど、本当に1問目から100問目まで、自信のある回答はひとつもありませんでした。マジでハ???ってなりながら解いていました。全部自信がないまま、「多分これかなあ?」と解いていたら100問目になっていて、「ヤバい、このまま50問延長になったら死ぬ……」と思っていたら延長戦には持ち込まれず、終わりました。

テストセンターで受験する系のほかの資格試験は、大抵受験後に「Pass!」だの「Congratulations!」だの画面に表示されるものですが、CISSPは確かそういうのが表示がされなくて、「ああ、絶対に落ちたね、延長戦をするまでもなくおまえは不合格ってことだよね……」と思いながら試験室を出ました。

 

その後渡されたスコアレポートには「暫定で合格だよ~」と書いてあり、「なんだよ暫定って……」と思いながらピアソンを後にし、その後すぐにメールで「あんたは合格だから次のプロセス(エンドースメント)に進めや」という返信が来て、「ああ、暫定じゃなくて本当に合格したっぽいな…」となりました。

 

なので、なんというか、喜びどころが分からない試験だなと、これを書いている今も思っています。

問題を解き終わったあとの画面を見ているとき、スコアレポートを受け取ったとき、「次のプロセスに進め」のメールを受け取ったとき、いずれも微妙な感じで喜びきれませんでした。どちらかというと「エンドースメントが面倒だなあ……」の気持ちのほうが強かったです

 

認定手続き

前述の通り、会社の先輩にCISSPホルダーの方がいたので、エンドーサーになってもらいました。

また、職歴を記載する欄に上司の名前、電話番号、メールアドレスを記載する必要があったので、上司にその旨を伝えて許可をもらった上で記載をしました。

肝心の職務経歴のところはChatGPTに「ねえ私って何のドメインに該当する仕事をしてるかな?」とか「何文字くらい書けばいい?」「ドラフト作ったから添削して」とすべてをChatGPT任せにして文章を作りました。

雇用を証明するドキュメントは、私の場合は必須のアスタリスクマークがついていなかったので、任意提出でよかったようですが、ネットで調べれば調べるほどみんな提出しているような気がしたので怖くなって私も提出してみました。提出しないで監査対象になるよりは、提出してみたほうがいいかなと思いました。

 

現在エンドーサーの承認は終わっていて、ISC2側での審査をしているステータスです。

この記事を長々書いているわりに、エンドースメントで落ちたり(そんなことはないと思うが)監査対象になったら笑えない……。

→2026/04/24追記:昨日無事認定されました。監査対象にもならずに一安心です。ようやく合格した実感がわいてきました。

 

最後に

自分よく頑張った!おつかれ!

これから受験する方にとって参考になれば幸いです

また、CISSPは合格して終わりではなくCPEを貯めて資格を維持する必要があるので、引き続き頑張っていきたいです

 

つらいときに黙り込むという特性で困っている

つらいことや悲しいことがあったとき、私は声が出なくなる。黙り込んでしまう。しかし、そのときの私はつらいとか悲しいという感情に自分で気づくことができない。

 

声が出なくなって初めて、黙り込んで初めて、「あ、いま自分の身に何かが起きたのだな」と分かる。そして「自分の身に何かが起きたということは、つらいことや悲しいことが起きたのだろうな」と連想することにしている。

 

そのときは何がつらく、何が悲しいのか分からない。随分時間が経ってから、つらさや悲しさの理由が分かる。

 

つらいことや悲しいことがあったときに、声が出なくなり、黙り込むんだな、ということを私は経験から知っている。

知っているけれど、対処ができなくて困っている。

今回はそのことについて書こうと思う。

 

私は黙り込んでいるときのイメージを、船から海に飛び込んで深海に向けて潜水しているようなイメージをしている。

泳いでいるというか、沈んでいるというか、とにかく冷たくて深くて息のできないところに潜っているような気持ちになる。

 

一旦落ち着いて今起きたことの映像を振り返ってみる。私が何を言って、パートナーが何を言ったか、パートナーがどのような行動をして、私がどのような行動をしたか。脚本を作るかのように、スマホにそれぞれの台詞とどのような状況であったのかト書きをメモに書き始める。そのように整理をしている。メモには私の感情についての記載はまだ無い。

 

すると、「黙り込んで、不機嫌アピールをして、他人をコントロールしようとするな」とパートナーからは明らかに怒気を含んだ声色で言われる。

 

私は、深く潜っていたところから海面に顔を出す。メモをする手を止め顔をあげる。パートナーは怒っている。怒涛の勢いで何かを言われる。段々と私も怒りがこみあげてくる。

 

私は不機嫌アピールをしているわけでも、他人をコントロールしようとしているわけでもない。そんなつもりはない。

しかし、パートナーから私の行動を見ると、そのように見えるのだと思う。

「そんなつもりはない」というのが当たり前である。悪意を持って人を傷つけてやろうなんて人はそういない。私に限らず、「そんなつもりはなくても」他人を傷つけてしまうものである。ましてや大事なパートナーを傷つけてやろうなんて思いは私には無い。しかし私は今とても困っている。傷つけるつもりがなくても、パートナーを傷つけてしまう私自身にとても困っている。

 

一緒に暮らし始めてから5年ほど経ち、パートナーから何度も言われてきた言葉である。

どうにかしたいと思って色々な対処をしてきた。

 

精神科に行き、生理のPMSやPMDDに由来するものではないかと言われて症状を軽減する漢方を処方してもらったり、

ピルからジエノゲストに切り替え、そもそも排卵が来ないようにしたり(これは今も継続している)、

カウンセリングに通ったり、

機能不全家庭で育ったPTSDが原因なのではないかと思いトラウマ治療を受けてみたり、

発達障害やカサンドラ症候群やアダルトチルドレンやマインドフルネスやアンガーマネジメントなどの本を読んでみたり

色々やった

 

でも、私の声が出なくなる、黙り込むという行動は変わらなかった。治すことができないでいる。

 

つらいときや悲しいときの表現の仕方は人それぞれであり、黙り込むというのは、私の表現の仕方なのではないか、ということをカウンセラーの先生に言われたことがあって、それはそう、と思う。

しかし、私の表現の仕方によって傷つき怒りを感じる人がいるときはどうしたらいい?

これは私の表現の仕方なのだから尊重してくれと何度言っても届かない。どうしようもなくパートナーが嫌がっていることで、傷ついていることで、怒っていることであるから、私はどうにかして黙り込むことをやめたいと思っている。

 

せめて、黙り込み始めたときに、それ以上パートナーに悪影響を及ぼさないよう、自室に行くようにしても、パートナーは追いかけてきて、何らか怒気を孕んだ声で色々と言ってくる。私も潜水を邪魔されて不愉快になってきて、「お願いだから一人にさせてください!!!」と怒鳴ってしまう。

 

あるときには、リビングから自室に行こうとした際に腕を強く掴まれたことがある。なんとか自室に行っても、パートナーが自室のドアを開けて、延々と怒りのこもった声色で話しかけてくるため、部屋着のまま家を出たところ、パートナーは靴も履かず、靴下のまま走ってものすごい形相で追いかけてきた。恐ろしかった。私ってこうやって簡単に殺されるかもしれないな、と思った。今もあのときのパートナーの般若のような形相が脳裏に焼き付いている。そして色々あって警察のお世話になったりもしている。普通にヤバい

 

これは、私の問題と、パートナーの問題が混ざっている状態だと思う。私は黙り込んでしまう一方で、パートナーは瞬間湯沸かし器のようになっている。双方怒りをコントロールできなくなっているがゆえに、このようなことになっている。

パートナーの瞬間湯沸かし器の事象については、パートナー自身の問題であるため一旦置いておくとし、まずは私自身の問題、つまり黙り込んでしまう、ということに対しての対処をどうにかして考えていきたい。

 

トラウマなど強いストレスに対する反応というのは「3F」というものがあり「Fight(戦う)」「Flight(逃げる)」「Freeze(凍る)」の3種類があると以前勉強した。

黙り込んでしまうのは、「Freeze(凍る)」による解離症状が起きていたり、「Flight(逃げる)」モードになっているのではないかなと考えている。

 

そういう学術的なことはさておき、黙り込んでいるときの私はどうしたいのか、周囲の人間にどのように振る舞ってほしいかというと

 

・一人になりたい

・そっとしておいてほしい

・感情が整理できるようなるまで、話せるようになるまで、待ってほしい

・話せる準備ができたらその旨をお伝えするので、そのときに聞いてほしい

・怒らないでほしい

・怒鳴らないでほしい

・「何が起きた?」「何が悪かった?」と私自身が整理できていないことを根掘り葉掘り聞かないでほしい

・潜水に集中したい、潜水の邪魔をしないでほしい

 

こんな感じである

 

こういったことが尊重されないとどうなるかというと、怒りが出てくる。怒鳴られて、怒鳴り返してしまう。泣いてしまう。イライラしてしまう。

パートナーがため息をつき、足音を立て、大きな音を立てて扉を閉め、煙草を吸いに行くとその途端に私はスマホをつかみ、メモ書きの続きを始める。今度は明確に感情を持った文章を延々と書いている。書き殴っている。止まらない。これをLINEで送りつけてしまうこともある。こういうことをしたくないから、黙り込んでブレーキをかけている。話すにしても敬語にして距離を取ろうと試みる。「普段敬語じゃないのになんで敬語?気持ち悪い」と言われる。距離を取るためだ、と伝えても、通じない。

 

 

「黙り込んで、不機嫌アピールをして、他人をコントロールしようとするな」と言われることに対して、『あなたは自動車で誰かを轢いたときや轢かれて血を流している人を目撃したときに、「何が起きた?」「何が悪かった?」と聞いて、無理やり状況説明をさせますか?させないでしょう。まずは止血をして、救急車を呼ぶでしょう。事象の整理や解決はそのあとでしょう』という例え話をパートナーにはしてきた。

するとパートナーからは「おれは轢いてない。むしろおまえが当たり屋である。おまえが轢かれに来ている」と返ってくる。

パートナーから見えた世界はそうなのだろう。おれは何もしていないのにいきなり妻が黙り込み始めた。おれは何をやった?何もしてない。なぜ、突然、急に黙り込むんだ?というこのような感じである。

私からしてみれば別に突然のことではなく、経緯があってこのようなことになっているのだが、パートナーにはそれが見えていないのである。

 

また別の例え話。「足の小指を箪笥の角にぶつけたときって、痛すぎて声も出なくて痛いことしか考えられないよね」

これは明確に"痛い"ということがぶつけた瞬間に分かるから、私の理由が分からないまま黙り込むという行動とは若干違うのだけれど、この痛くて蹲っている状況を不機嫌アピールとは捉えないでしょう?ということを伝えたい。これに対してパートナーは「分かりやすいね」と言ってくれた、が、私が黙り込むとパートナーが怒るというお決まりの構図は何一つとして変わっていない。

 

以前、パートナーの特性について、私とパートナーで一緒に対策を考えて実践しているという話をブログに書いた

 

 

私は、この逆をやってほしいのだと思う。

私の特性について、パートナーと私で一緒に対策を考えて実践していきたいのだと思う。

仲の良いときに一緒に対策を考えたこともあった。

何も言わずに手を繋ぐとか、「黙り込んでいるときの顔が見えると怖い」とパートナーが言うので抱きしめて顔が見えないようにするとか、「話せるようになったら話してね」と声をかけてもらい距離を取るとか、対策を考えはした。

しかし、それがどうにも実践に移せない。

パートナー自身も瞬間湯沸かし器状態になっているので、そのような対策を取れる状態にない。

 

 

何がつらいかって、これである。

毎回毎回「黙り込んで、不機嫌アピールをして、他人をコントロールしようとするな」と言われるのがつらい。

私はパートナーの特性に傷つきながらも一緒に考えたのに、私の特性については一緒に考えてもらえないことがとてつもなくつらい。

 

これは私の問題で、私がどうにかしなければいけないものである。それは分かっている、分かっている、けど……という感情がぐるぐると出てきてしまう。

 

どうしたらいいんだろう

 

もう少し、アンガーマネジメントの本を読んだりなんらか勉強したいと思う一方で、疲れ果てている自分もいる。もう、双方変わらないだろうからもういいや、もうやめよう、と思う自分もいる。

 

何らか病名とか名前がほしい。名前が分かれば検索して同じ状況で困っている人の文章に触れることができる。名前がほしい。名前が分かれば安心する。私の"コレ"はなんなんだ?どうしたら治るんだ?治らないものなのか?なんだ?本当に困っている。

 

感情の遅延に由来する、黙り込み。真正面から浴びてしまうと自分が壊れてしまうから自己防衛機能が働き心を逃がしている、解離。そこまでは分かっている。

しかしそれをどうすることもできない。せめて今置かれている環境が安全基地だと分かれば、感情の遅延も軽減するように思われるが、私が黙り込むことによってパートナーを傷つけ、安全基地を自らの手で壊している。

 

今、家庭内別居中というか、同じ家にはいるけれど顔も合わさない 会話もないという状態が2週間ほど続いている。顔を合わさないよう、会話もしないよう、お風呂の時間や食事の時間をずらせている時点で十分仲良しではないか?と会社の同僚から言われて笑った。そうかもしれない。

 

週末に私がリビングの掃除をすると、呼応するようにパートナーがお風呂とトイレの掃除をしてくれている形跡を見つけると、まだそこに愛があるのかもしれないと思ってしまう。

少し前に買ったパートナーにプレゼントする用のバレンタインデーのチョコレートが今もまだ冷蔵庫で眠っている。それも渡せたらいいけれど、無理かもしれない。

 

なんとかしたい気持ちと、もう疲れたという気持ちのの狭間で今日も自室で眠ることになる

(我が家には、自室のベッドと寝室のベッドがあり、喧嘩中は自室のベッドで眠ることにしている)

 

 

『ズートピア2』を見た(ネタバレあり)

 

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一番心に残った台詞は「違うのはイヤだ」というオオヤマネコのパウバートの台詞だった。
たしかにな、と噛み締めるように思った。
違いを認め合おう、多様性の社会の実現を、というきれいな言葉が蔓延る世の中で、私も少なからず、「違うのはイヤだ」と思っていることが丸裸にされた瞬間だった。
仲間になりたいよな、みんなと一緒でいたいよな。おまえはダメだと除け者にされてきた側が、それでも、違いを認め合おうと生きていこうだなんて言えるかよ、そんなこと言えるとしたら、除け者にしてきた側にとってあまりに都合が良すぎる、迎合が過ぎる

 

「人と違う」を自ら主体的に選ぶことができるかどうか、その選択肢があるかどうか。「人と違う」「人と同じ」という選択肢があった上で「人と違う」を選べる側と、主体的に選んでいないにもかかわらず「人と違う」になる側は大きく違うわけで、そういう人たちを一緒くたにして「違いを認め合おう」なんてことはあまりに乱暴が過ぎる。

 

先日読んだ村田沙耶香さんの『信仰』において、以下のような台詞があった。

 

どうか、もっと私がついていけないくらい、私があまりの気持ち悪さに吐き気を催すくらい、世界の多様化が進んでいきますように

 

「多様性」をもてはやすけど、みんな自分の想像の範囲内の多様性しか結局のところ受け入れていないわけで、ガチでヤバい理解の想像の範疇から超えた存在のことを「多様性」だとたやすく受け入れてくれる社会じゃないじゃないか、というふうに私は読み取った。

 

「多様性」という言葉の気持ちよさに負けて、自分と同じ苦しみを抱える人を傷つけた

 

これも痛いところを刺してくる一文で、「多様性」を謳うなら、多様性を認めない人のことも受け入れるべきだと私は思うし、「違うのはイヤだ」「みんなと一緒がいい」と思うパウバートのような人のことも受け入れる世の中であってほしいと私は思う。

 

パウバートは他人の大事なものを傷つけた。それはよくないことだ。でも、と思わずにはいられない。

 

オオヤマネコの家族たちはなんらかコンプレックスがあるのだろうし、ことの発端であるパテントの捏造の罪を働いたやつだって最初から悪人だったわけじゃなくてなんらかの被害者だったのではないかなと思う。
それこそ逮捕後にセラピーを受ける機会を設けて、彼ら自身の弱さに向き合って少しでも生きやすくなればいいなと願ってやまない。

 

パウバートのような家庭で育った子どもが『ズートピア2』を見て、何を学べばいいのだろう。
結局機能不全家庭で育ったやつは社会でうまくやっていけなくて牢獄行きか、と肩を落として帰るのはあんまりじゃないか。

 

前作『ズートピア』において、ニックはジュニアレンジャースカウトの一員になりたいと言い出し、入ったはいいが同じジュニアレンジャースカウトの子どもたちからひどい仕打ちを受けた過去があると描かれていた。
その中で、ジュニアレンジャースカウトに入りたい!と言ったニックを親は快く送り出していたように思う。お金をかき集めて、新品の制服を買ってくれた親がニックにはいた。親がしっかりと描かれていたわけではなかったけれど、スカーフをニックに結んでやり、親子ふたりで軽くじゃれるシーンがあった。制服を買うためのお金をかき集めるほどに裕福ではないが、親子で幸せに生きる家があった。

 

「ジュニアレンジャースカウトに入ってもあなたはキツネというだけでひどい目に遭うから入るのはやめなさい」と引き留めるのではなく、快く送り出すことを選択できる側の家庭だったのだと思う。それか、ひどい目に遭うことは想定内であったとしても、それも経験のひとつだと心を鬼にして送り出していたか。
どちらにせよ、ニックの魂はそういった、あたたかな家庭で育まれたもので、やっぱりパウバートの家庭とは大きく違うと思う。

 

ニックが育ったようなあたたかな家庭を、口から手が出るほど望んでも手に入れられない人はこの世の中にはたくさんいる。

 

結局、"家"かよ、"育ち"かよ、と思ってしまう自分がいる。

 

パウバートのような人間でも幸せに生きられる社会であってくれよ。

 

一歩間違えたらニックだってパウバート側だったと思う。今そうならないで済んでいるのは家族やジュディの存在に加えて、やっぱりニック自身の努力によるものだと私は思う。でも、ニックのように努力できない人間はどうなる?ニックのような家庭で生まれることができなかった人間はどうなる?

 

パウバート、ほぼアナ雪のハンスでは?ハンスも兄弟がたくさんいて、王位継承順位が低いことも要因のひとつでヴィランになったと私は思っていて、パウバートの家庭環境には大いに問題があったように思う。つらい

 

家庭環境に問題があった人が、主体的に選択をして、健やかに、幸せに、生きられる世の中であってくれ。親は選べないんだから。

 

***

 

「世界は変わらないよ」「命を懸ける必要なんかないよ」というのはニックの本心であっただろうし、本心だからこそそれを言われたジュディは傷ついた。
私とパートナーを見ているかのようでとてもつらかった。
私のパートナーは、「無理をしない」とたびたび口にしていて、私は自分の正しさの行使に必死になっている。
私は無理を"したい"のであって、その心はやっぱりどんなに突き詰めても結局"自信の無さ"に起因するものだと思う。そのままの、ありのままの私ではダメで、何か世界がより良くなるように努力をしていきたい、と心の底からそう思うこと。そうして自分の自尊心の低さを埋めるために承認欲求を満たす何かを求め続けること。それがゆえに自分を蔑ろにするところがある。パートナーの「無理しないで」と言う言葉、ニックの「命を懸ける必要なんかないよ」という言葉が突き刺さって痛い。

 

ジュディの命には替えが利かないから、あなたより大事な存在は他にはいないから、だからこそ「命を懸ける必要なんかないよ」と言ったこと、ニックが発言した瞬間に私は分かった。
本心はこうなんだ、とぽつぽつと話し始めるシーンなんかなくとも痛いほどよく分かった。
でもそれと同時に、否定された気持ちになって、「私たちは違い過ぎる」と言ってしまったジュディの気持ちもよく分かる。なぜなら自分の大事な仕事まで否定された気持ちになったから。埋められない自尊心の埋めようとし続けることを諦めろ、と言われた気持ちになったかもしれない。

 

自尊心を埋めることに躍起にならなくていい、承認欲求を求めるバケモノの気持ちなんかわからないであろうニックの魂の眩しさに焼かれてしまいそうになる。

貧しくて、ジュニアレンジャースカウトであんなつらい思いをして、それでもいま目の前にある幸せを見逃さずにいられること。一番大切なものがちゃんと自分自身で分かっていること。それは本当にすごいことだよ。

 

ただそれと同時にキツネだからと幸せな高望みをしないニックだから、無謀にも思えることに手を伸ばして前向きに生きているジュディの存在が眩しく見えるのだろう

 

***

 

冒頭はなんだこの退屈な映画は……と思ってあまり集中できなかった。字幕版を選んだのが悪かったのか?ウォータースライダーのシーンは前作『ズートピア』のドーナツと列車のシーンの繰り返しじゃないか、結局前作の繰り返しだなあ……と思いながら時間が過ぎた。


その上で「裏があるはず、必ずどんでん返しがあるはず」と思って、ストーリーに乗れなかった。こんなにシンプルな話なわけがない。こんなにみんなが嘘をつかない世界なわけがない。そして「やっぱりな」となったときにニヤけが止まらなかった。でも、そのタイミングが少し遅かったようにも思う、それか振りのシーンの退屈さがちょっと際立っていたように思う……。

 

***

 

以下雑多な感想など

 

・音楽がいい。映像も賑やかで楽しい。アラジンやアリエルやアナ雪の世界観、レミーも出てきたりして、あと『SING』…だよね…?違う…?

 

・デカい車たちが最高!ジュディがデカくてゴツい車を運転するシーンは『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』でポム・クレメンティエフがニッコニコでデカくてゴツい車を運転するシーンを思い出す。
そして最後だけニックが運転するときのカタルシスがすごい

 

・おいジュディ、ちゃんと謝ったのか?謝れな

 

・Permission to hug?
「ハグしてもいいですか?」と同意を取ること
ハグしよう?じゃなくて、ハグしてもいい?イヤだったから断っていいからね、という心理的安全性のある関係性の形成のためにもやっぱり確認、同意を取るというのは大事だよなあと思った

 

・ペンのシーンの反復はずるい
一度大事なニンジンのペンを粉々にしてしまった過去があるから、同じようなことになったらと思うと手が伸ばせない恐怖感がある
それでも大事な人のために手を伸ばすこと そういうことができるニックの魂の気高さよ

 

・アナ雪
今回もウィーゼルトンいた。
ドアのノックもアナ雪だったね

 

***

 

なんでもかんでもバディじゃなくていい、と私は思った
みんながみんなバディじゃなくていいんだよ
ひとりで生きていったっていい、みんなで生きたっていい、「みんな違って、みんないい」と思わない人だって息のしやすい世界であってほしい それこそが多様性だと思うから

大阪旅行記:SEVENTEEN イルツ 大阪3日目に参戦&食・食・食!の1泊2日

SEVENTEENのライブに参加するため大阪に遠征をした。

 

 

1日目

新幹線、荷物を置いてトイレに行けない

新幹線で大阪へ向かう。 SEVENTEEN、通称セブチのライブでのかけ声を、動画を見つつ必死に覚える。

 

途中、富士市避難訓練の緊急速報が入ってみんなのスマホが爆音で鳴り出す時間があった。そのあとすぐに「右手に富士山が見えます、お楽しみください」みたいなアナウンスが車内に流れてワロタ。こっちは爆音スマホの対処に追われてやっと一息ついたところなのに、そんな悠長に富士山を楽しめるわけないだろ!でも周りの人はみんな「わ〜!きれい〜!」と言ってパシャパシャ富士山の写真を撮っていた。私は通路側の席に座っていたので富士山は特に見えず、かけ声練習に戻る。

 

そうだ、今回は行きも帰りも通路側の席を購入した。これがいつもの新幹線での旅行と違うところだった。今まで私は景色が楽しめるからという理由で窓側の席を選んでいた。でもそうするとトイレに行きづらいので、今回は通路側の席にしてみた。景色よりも実利を優先するところ、大人になったな……と地味に感じる。しかし後々分かったことだが、私は通路側の席に座ったとしても、トイレには行けなかった。私は、荷物を置いて、トイレに行けないのだった。いつ誰に盗まれるか分からない。人間の善意を信じて貴重品だけ持ってトイレに立つとか、逆に誰も信じられないから全ての荷物を持ってトイレに立つとか(大荷物でトイレに行くのを見られるのが恥ずかしい気持ちもある)、色々シミュレーションをしたけど普通にとにかくトイレに行けなかった。

 

ディズニーランドとかフードコートとかカフェで、席取りのためにハンカチとか傘とかを置く人がいるけど、私はああいうことができる人の気が知れない。このようなケースにしろ、新幹線の車内にしろ、別に盗まれることはほぼ無いのだろうし、盗まれても大丈夫な物をみんな置きっぱなしにしているのだろうけど、私は「盗まれるかもしれない、もし盗まれたとしたら、大事な物でなくても私はショックを受けるだろう」という考えが最優先にあり、結局身体は座席に縛られたまま一歩も動けなかった。普通に一人旅に向いてない。

 

10時にグッズの会場受取サービスの予約をする。トレカとインスタントフォトを買う。ただの推しが印刷された紙、こんなの私が死ぬとき棺に入れないだろうになぜ買うのか、それは見知らぬ人との交換が楽しいから。

 

ホテルが遠すぎる

10時15分に新大阪に到着。エスカレーターの右乗りに思いのほかナチュラルかつ迅速に順応する。JRおおさか東線大阪駅まで向かう。新幹線の乗車券は大阪市内で使えるものだったので、新大阪から大阪までこの乗車券を利用した。ちょっと得した気分。

 

ホテルは大阪駅から徒歩10分のところ。予約したときは10分くらい歩けるだろ、のつもりでいたけど全然遠くて、荷物が重いしいきなり心が折れそうになる。徒歩10分なのは別にいい。Google Mapが示した通りに進みたいのに、今私の目の前にGoogle Mapが示す道が存在しない。地下道なわけですね。こちとら方角が分からず地図が読めない人間なのだからもう少し優しくしてほしい。道がなくて途方に暮れることが今回の大阪旅行で度々あった。

 

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大阪って変な建物がたくさんあるから好き

 

一旦京セラドームへ行く

ホテルに荷物を預け、徒歩10分歩いて大阪駅に戻る。JR大阪環状線大阪駅から大正駅に向かう。これは東京で言う山手線みたいなものかしら、知らんけど……。

 

京セラドームでグッズの受取りをする。トレカとインスタントフォト。早速開封して傷がつかないようにスリーブに入れる。推しのトレカは大事なものなのでさっさとバッグにしまう。推しのトレカをコンプリートすべく、推しではない方のトレカを持ち、交換を呼びかける。

もう慣れたものだ。このトレカ交換という謎の文化を初めて見たときは困惑したけど、推しのトレカがほしいので手段は問わなくなった。

ライブの開場は16時、開演は18時のためまだ人はそこまで多くない。だからかなかなかトレカ交換も成立しづらかった。グッズの受取りやトレカ交換などをあわせて1時間半程度京セラドームに滞在する予定だったけど1時間程度で一度離脱。

 

途中リハーサルの音が漏れ聞こえてきて嬉しかった。私の推しはもうこの会場にいて、今日のライブのために練習をしているんだなと思うと、さらにライブが楽しみになった。

 

『ル・シュクレクール 北新地』

バスで境川駅から堂島駅へ向かう。

私はパンが好きだ。『ル・シュクレクール』は大阪に行ったらぜひ行こうと思っていたところだった。平野紗季子さんの『味な副音声』というPodcast で生江史伸さんがゲストのときに、この『ル・シュクレクール』の岩永さんの話が出ていたように記憶している。生江さんと岩永さんの『ブリコラージュブレッド&カンパニー』、ぜひ行きたいと思っているけどなかなか機会がなくて行けてない。

 

店先には木々が美しく生えており、鳥の鳴き声も聞こえた。よく聞くヒヨドリの鳴き声とはちょっと違う声がしたのでスマホで録音をしてみると、シロガシラクヒヨドリとのこと。初めて知った。クセのある鳴き方だった。

 

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さてパン屋。トングでパンを掴みトレーに載せる方式でははない。利き手にビニール手袋をつけてパンを直に掴んでトレーに載せていく方式である。初体験

 

私はクロワッサン、ショコラ、エピ、クグロフを購入。半分はお昼ごはんとしてイートインで、もう半分はテイクアウトにしてもらった。イートインの場合はワンドリンク制のようで、唯一ペットボトルで提供されるというシャンピンウーロン茶にした。シャンピンウーロン茶とは、東方美人とのこと。嬉しい。また、グラスとかで飲み物が出てくるとその場で飲み切らないといけないから、あんまり飲み物が飲めない民としてはつらいので、ペットボトルでの提供は大変ありがたい。

 

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店員さんのかけ声は細やかでよかった。「ウーロン茶はペットボトルでの提供ですが大丈夫ですか?氷いりますか?」など色々聞いてくれた。

 

クロワッサンはバターの風味がすごかった。重くなりすぎない感じがありつつも、バターをかじってるような多幸感がある。朝早くからの活動で疲れていたから甘さが脳に染みる。元気になってくるのを感じた。

ショコラはかたくてむぎゅっとしていてチョコチップがたくさん入っていた。噛み締めるほどに小麦の味がするパンでおいしかった。

 

食べている途中、「このあと食べ終わったらトレーをどこに戻すのだろうか…?」を考え始めてしまいパンの味が分からなくなる。周りをキョロキョロするけどまだ先に食べ終わっている人がいない……。食べログで内観の写真を見てどこかにトレー置き場があるのではないかとくまなくチェックするも、無い。私はこういうのが本当に苦手。

しばらくすると食べ終わってお店を出ていく際に店員さんにトレーを預けているのを見てようやく安心する。私も続くようにトレーを店員さんに預けてお店を出た。

 

新幹線のトイレに荷物を置いて立ち上がれない件に続き、イートインでのお作法が分からず困惑するという、私らしいムーブが炸裂している……。

 

『パティスリー アクイユ』

パンを食べ終え、OsakaMetro 御堂筋線淀屋橋駅から心斎橋駅へ向かう。

パティスリー アクイユは月曜休みなので、日曜である今日行かなければならない

 

チョコ系やパイ系が強そうだと事前に調べていた。1番人気のノクチュルスを狙っていたけど売り切れていたので、ノブレスにした。お持ち帰りにショーソンオポムも購入。小さなイートインスペースがあり、ケーキと飲み物を運んできてもらう

 

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↑奥にある小物たちが本当にかわいい。ケーキを待つ間ずっと眺めていた

 

ノブレス。公式サイトには

赤ワイン風味のチョコレートムース

いちじくのコンポートとオレンジのクリーム

チョコレートのパンドジェンヌ

と記載がある。

 

クッキーがメレンゲのような甘さをしており、チョコは深みのあるビターな味わいをしている。チョコはパリパリで、サイドにはナッツが混ぜ込まれていて食感が良い。サイドだけでなく下にもパリパリのチョコが敷かれているのがありがたい。

 

いちじくのつぶつぶ感と酸味、とろっとしてる感じと、クリームの軽やかでふわっとしている感じ、しかもクリームの上にシナモンがかかっているのが特別感があって嬉しすぎる。

お酒に漬けたレーズンとかチョコレートボンボンを食べてるときみたいな、お酒の風味がはっきりするところや、口に入れたときのつぶつぶパリパリという食感のギャップや、じゅわっとした熟しきった果実を丸ごとかじってるような感じがしてとってもおいしかった。

 

持ち帰って食べたショーソンオポムも本当においしかった。生地うんまー!りんごの量がほどよくて、これはパイを食べるためのアップルパイだなと思った。りんごを食べるためのアップルパイと、パイを食べるためのアップルパイがあり、アクイユのは後者でした。小さく切られたりんごがよく煮られていて、時間が経ってもおいしいアップルパイだった。

 

店員さんが優しくてありがたかった。他のお客さんの対応をしているときに、私が店を出ようとしたところ、目線を合わせて「ありがとうございました」って言ってくださったのが嬉しかった。あなたの存在をちゃんと認識していますよ、みたいな、ここにいて大丈夫ですよ、という安心感のあるコミュニケーションで心が落ち着く。

 

京セラドームへ、アリーナ神席へ

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OsakaMetro 長堀鶴見緑地線に乗り西大橋駅ドーム前千代崎駅で降りる。京セラドームに戻ると人がものすっごく増えていた。時間は15時くらいか。さすがに開場の時間が近くなると人が増えるんだな。

 

再度トレカ交換を始めると、わりとすんなり交換が決まり推しのトレカはコンプリートした。Twitterでも交換を呼びかけており、運良く交換をしてくださる方がいらっしゃってありがたかった。

16時開場のところ、16時半にはトレカ交換を終え、トイレも済ませ、会場に入場していた。ランダムで本人確認をやっているらしいスタッフの方に声をかけられ対応をした。

 

ライブ、メチャクチャ楽しかった。去年は福岡で初めてセブチのライブに参加し、今年の埼玉でのファンミーティングはアリーナでそれはそれで楽しんだ、が、何よりかけ声をちゃんと覚えたことによる一体感というか、一緒に参加してまっせ!という感じが本当に楽しかった。

 

今回もありがたいことにアリーナ席のチケットを取ることができたのですが、アリーナとはいえ後方のブロックだった。しかし、そこはムービングステージがやってきて、セブチのメンバーの表情を肉眼で見られるほどの近さで楽しめるという神席なのでした。

 

し!か!も!ヤバかったのが、我が推し、THE8という、ミンハオという、方がいらっしゃるのですが、ミンハオからファンサをもらえることができて なんかもう「え、ヤバ……(低音)」という声がぽつりと出た。ミンハオは8を名乗ってるだけあって、8のポーズをよくしているのですが、私がペンライト片手に8のポーズをしていたら、ウンウンと頷きながら手を振ってくれたのでした。

 

ライブが始まってから左隣のミンギュペンの女性が話しかけてくれたり、右隣のスングァンペンとスンチョルペンの女性2人組とも楽しんでいたのですが、ミンハオからファンサをもらったときに「えーー!!!今のあなたですよ!あなたにやってくれてましたよ!!!」と言ってくれた。

 

今までファンサはどれだけ自分にやってくれていたのか思い込むのが大事!と思っていたのですが、私自身の認識としてミンハオと目が合ったし、私に対して手を振ってくれているのが分かったし、周囲の人たちが「あなたに対してファンサしていたよ!」と言ってくれた後押しもあり、ああ確実に今のは私だったんだ、と思い、なんだか妙に現実感がなかった。あの瞬間を目に焼き付けたいのに、いまだ見上げたムービングステージの上で、すぐそこにミンハオがいて今もウロチョロしている。巻き戻させてくれ。ていうか今MC中だろうが。ミンハオはメンバーとの会話に参加せず、ムビステから色んな方向に向かって手を振っている。8のポーズをやってくれたり、なんか可愛いポーズをしてくれるわけではないのだが、ただゆったりウロチョロしながら微笑み、静かに手を振っている。一人一人味わうように見ている気がする。ア〜〜〜ありがとう、感謝、とにかく感謝、一瞬でも私の存在がミンハオの目に入ったというだけで感謝の気持ちになる。手を振ったそばからきっと忘れているだろうし、ライブが終わってホテルに帰ったらすっかり記憶になんてないほどの些細な記憶なのだろうけど、私にとっては宝物みたいな一瞬で、冗談ではなく本気で、この世も捨てたもんじゃないな、という気持ちになるのでした。

 

ミンハオという人間は、彼自身が木々でファンは鳥だと例えていたことがある。僕は変わらずにここにいるから、ファンのみんなはこの木にとまって休んでもいいし、木から飛び立ってもいい、というようなことを言っていた。なんかこの例えを思い出すたびに泣きそうになる。安全基地、という言葉を思い出す。安心して帰ってこられる場所のこと。

単にかっこいいだけじゃない、考え方や生き方が尊敬できるから好きになった。

 

京セラでのライブでは体調が悪かったこともあるのだろうけど、前のライブやファンミで見たときもそうだったけど、とにかく無理をしない、というのを感じる。疲れたら休む。自分を大事にする。やりたくないことはやらない、やりたいことはやる。

私もミンハオのように自分を大事にしながらも人を愛する、ということができたらいいなと思う。

 

今回はメンバーが少ないということもあり、ひとり1曲ソロがあった。ディノは真っ赤に燃えている、ジュンは概念としてルーブル美術館、ギターを弾くバーノンはドアップのバーノンの顔のカットが多く、「おまえらはおれの顔が見たいんだろ?」と言わんばかり。スングァンはピアノを弾いてしんみりと歌い上げている、ジョシュアはきれいな都市の街並みがディスプレイに映し出されており「ジョシュアの頭の中ってこんな感じっぽいな〜〜!」と妙に納得し、ミンハオは非常に抽象的で艶やかな概念だった。

 

ふとKアリーナでやっていたNo No Girlsの最終審査を思い出した。みんなが思い思いに届けたいステージの演出や構成を考える。だから自ずとその人らしいステージができあがる。まさに今回のセブチのソロ曲もそんな感じだった。みんな「っぽいな〜!」っていう感じで、あまりに「っぽすぎる」から、笑ってしまう瞬間もあった。

ミンギュが豹柄ジャケットを着てサングラスをかけ女を侍らせているのが成金にしか見えなかったり、クプスがパリピ感満載でズンチャズンチャ♪してるのウケた。

なんだこいつら、個性的すぎるだろ、みんな向いてる方向性が違いすぎるだろ。

(決して貶しているわけではありません、CARATのみなさんこれを読んで怒らないでください)

 

そして一番感動したのがドギョムのソロ。ディスプレイには歌詞付きで映像が流れていたんだよね。一緒に歌ってほしいとか、歌詞が伝わってほしいとか、そういう思いがあるんじゃないのかなあ。もちろんアルバムは予習した上でライブに参加しているわけですが、ライブ会場だとなかなか歌詞が聞き取りづらかったり、そもそも英語や韓国語だから意味が瞬時には分からないということがあるのですが、歌詞をディスプレイに出してくれるだけで格段に歌詞の意味を取れるようになる。ドギョムは本当に配慮の人だなあと思った。冒頭のドラマに挑戦して、ドラムスティックをぽーーん!!!と放り投げるのには爆笑したけど(笑)

 

最後のメントでディノが「ドームの奥の方まで席が埋まるということは当たり前ではないこと 分かっています」というようなことを話していて泣きそうになった。そうだよな、当たり前のことじゃないよな。それを分かってくれていること、そしてそれを言葉にしてくれることが嬉しかった。どうやら彼らは国立競技場を目指しているらしいので引き続き応援していきたいなあと思った。

 

センターステージと花道をフルで使った『HIGHLIGHT』は感動した。力強いパフォーマンスと揃ったダンスの迫力はすごかった。

 

みんなで歌ったイマセカも幸せだったな。泣いちゃった。この曲ほんとうに良い曲だなあ。

みなさんも見てください。

 

 

あと日本語が上手なウォヌが今回は不在だったわけですが、バーノンがかなり日本語を頑張っていてすごい!と思った。発音もきれいだし、滑らかに話していた。最後のメントは確か全部日本語だったんじゃないかな。すごい。練習してくれたんだなあと思う。

 

ライブが終わり、急いで向かいたいところがあった。

 

『烈志笑魚油 麺香房 三く』へ、しかし閉まっている

 

22時頃に京セラドームを出て、大正駅から福島駅に向かい、『烈志笑魚油 麺香房 三く』というラーメン屋さんに向かう。福島駅を降りてから、地図の読めない私は全く違う方向に歩き出してしまったが道がなくて引き返せないので遠回りしてお店に向かう。食べログによると23時までやっているらしい。お店に着いたのは22時37分。もう閉まってた!残念!よくよく公式SNSを見たら22時39分まで営業している、と書いてある。"三く"という店名だから39にかけている。正直分かりづらい、ていうか食べログ情報間違ってるから誰か訂正しておいて……。まあ私が道を間違えずにもう少し早く着いていたとしても、おそらくスープが品切れでもう閉まっていただろうなと思う。次の機会に来れたらいいな

 

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夕食難民、満身創痍でホテルへ帰還

 

さて、福島駅から大阪駅に戻り、徒歩10分のホテルへ戻る。しかし満身創痍だし、駅のダンジョンが全く理解できず、向こうの道に渡れない。歩道橋や地下道はある、地上にいる私はどうやって向こうの道に行けばいいのか、上か下のどちらかで渡るしかない。意味が分からなすぎてキレそうになる。景色はきれい、ライブ終わりの高揚感もある、だかしかしホテルが遠すぎる。

 

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帰り道にデイリーヤマザキがあり、味付け海苔を使ったエビマヨおにぎりがあったのでそれを1つ買った。デイリーヤマザキでは何をどれくらい買えばいいのか全然わからなくてぐるぐる店を周回したが買ったのはおにぎりたったの1つだった。

『ル・シュクレクール』で買ったエピとクグロフを合わせて夜ごはんにすることにした。

 

ホテルに帰ったのは23時頃。お腹が空いているはずなのに グダグダし始めてしまい、一向に夜ごはんが食べられない。私は旅行に行くと、ホテルで全ての荷物をバッグから出して、明日のチェックアウトまで使わないものだけを閉まっていくという作業が好きだ。荷物を全部出して、もう使わないものをしまっていくことにある種の快感がある。

使うものが減っていく喜び、使うものだけが出されている状態、それは感情的にはプラスである一方で、ホテルの部屋に荷物が散乱してメチャクチャになる。疲れていてもうあまり動けない。荷物に囲まれながらおやつとして持ってきていた歌舞伎揚をとりあえず食べた。

 

テレビをつけるとスケートのグランプリファイナルのエキシビションをやっていた。島田麻央さんが『Wicked』の『Defying Gravity』で踊っていた。ああ、これは非常に感情を込めやすい踊りだなあと思った。演技もすばらしかった。

 

夜ごはんを食べ始められたのが0時頃。疲れすぎているのかアドレナリンが出ているのかなんだか分からないけどとにかく食べ始めが遅かった。

 

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エピは今まで食べたエピの中で一番重く、クミンの味がよくした。クグロフはじゅわじゅわのレーズンがたくさん入っていてとてもおいしかった。

デイリーヤマザキの味付け海苔のエビマヨおにぎりは、普段のおにぎりとは違って味付け海苔だからか味がはっきりとパキッとしていて結構おいしかった。

 

頑張ってシャワーを浴びて2時頃に寝た

 

2日目

 

朝の大阪城公園、鳥とねこ

8時に起床してJR大阪環状線に乗って大阪駅から大阪城公園に向かう。この日は月曜日だったので、みなさん仕事に向かっている様子。朝の大阪駅って無秩序で本当に最悪!と思ったけど、JR大阪環状線は東京の電車ほど混雑していなくて過ごしやすい。

大阪の電車って、広告が垂れ流されてる騒がしいディスプレイがないなあと、ふと気づく。車内の紙の広告も非常に少ない。東京、てめーはなんだ、やかましすぎるだろ。

 

さて大阪城公園には鳥が色々といた。

しかし圧倒的に土鳩とヒヨドリが多かった。

ハクセキレイシジュウカラがいて嬉しい気持ちになるけどとにかく土鳩が大量にいすぎ。

 

 

↓これ朝井リョウの『正欲』の表紙に似てない!?!?!?と撮ったときに思ったけどあんまり似てなかった

 

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謎にねこもいる

 

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逃げもしないし近寄りもしない

お堀をバックにねこがいて、きれいだった

 

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ちょうど紅葉の時期でもあり、赤や黄色に色づく木々もきれいだった

 

『エクチュア からほり「蔵」本店』

 

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長堀鶴見緑地線大阪城公園駅→松屋町駅へ。11時開店の『エクチュア』へ向かう。11時ちょうどに店前に到着するも、いきなりお店に入るのは緊張するのでそばでウロウロして周りの人の様子をしばし観察……。落ち着いたところでお店に入った。どのチョコもおいしそう。創業祭ということで少しお値引きをしてくださった。ラッキー!ここでパートナーへのお土産も買った。次から次へとお客さんが来ていて人気の高さがよく分かった。

 

↓駅で見た鍵の受渡しサービス。なんじゃこりゃ。初めて見た。

 

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大阪の横風カレー『カルダモン.』

 

松屋町駅→天神橋筋6丁目駅へ向かう。長堀鶴見緑地線に乗り、長堀橋駅で乗り換えて堺筋線に乗る。長堀鶴見緑地線はピンクと黄緑のカラーリングがかわいい。

 

これから行く『カルダモン.』は現金支払いのみのようなので駅前の銀行でお金を下ろした。店が商店街の途中にあるので、商店街を歩いているそばからカレーの匂いがした。あと商店街がなんか狭い。東京の商店街は人通りが多いから道幅が広いけど、ここの商店街はキュッとしている

 

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カレー屋さんの前に到着するも、やっぱりお店の入り方とか並び方が分からないので3mほど離れたところからしばし観察……。ようやくルールが分かってきたので店前に並ぶ。狭い道なので車が通ろうとするときに「車来てるよ〜!」とおっちゃんが教えてくれてここに来てようやく大阪っぽさを感じた。ありがとうな、おっちゃん。

あっという間に店内に入り、あっという間にカレーが手元に来た。

 

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牛肉厚切カレーを頼んだ。メニュー表に「当店は中辛仕上げです」と書いてあり、たしかに中辛だった。あまり辛いのが得意ではないけど、辛味を感じつつも、舌が麻痺して味が分からなくなるほどの辛さではない。この見た目でもスパイスはしっかりきいていて、牛肉は甘くて柔らかく、おいしかった。飲むように食べた。

 

『パネ・ポルチーニ

予定より随分と巻きで進行している。

今度はJR大阪環状線天満駅から福島駅へ向かう。福島駅、前日の夜ラーメンを食べそびれた駅である。

 

『パネ・ポルチーニ』は木南晴夏さんが『キナミトパンノホン』で紹介されていたお店だった。人気の塩ふぉかっちゃとチーズカレーパンをお土産に買う。

自宅に帰ってから食べたがどちらのパンも大ぶりで食べ応えがあった。チーズカレーパンはゴロゴロ具材入っていて、特にパプリカがいい味を出していた。パプリカって結構はっきりと味がするよね、それがいい、カレーに染まらない存在感がある。カレーはまあまあ辛い。じゃがいもが煮崩れてなくてよかった。おいしい。塩ふぉかっちゃはほんのりオリーブオイルの風味がしてガッツリ油!という感じではなかった。食べやすい、これは1つをふたりで分けたほうが良さそうなサイズ感だったけど、全然ひとりで1つ丸ごと食べた。

 

ボーナスタイム 中之島公園

さて、当初の予定では『パネ・ポルチーニ』に行ったらあとは新大阪駅に戻ってお弁当を買って終わり、という旅程だった。しかし時間にかなり余裕があったのでさてどうするか、となったときに中之島公園が選択肢に浮上した。

 

中之島公園は以前友人と訪れたことのある公園で薔薇がとてもきれいだったから、まあ季節から少しズレている気もするが行ってみようと思った。

 

時間が余ってるので歩こうかなという気になり、歩き始めた。20〜30分はかかるようだった。散歩は好きだから別に30分は苦ではない。しかしもう肩が折れそうになっている。ホテルに荷物を預けずに、全ての荷物を肩にかけて歩いているからであった……。

しかも大阪城公園でバードウォッチングをするべく通常のカメラに加えて望遠レンズもバッグに入っているため余計に重い。昨日使ったペンライトも入っている。もういらない。あとは今ゼオスキンという激しいけどその激しさの先に美しい肌が待っている、というドクターズコスメを使っており、その化粧水と乳液を丸ごと持ってきているからそれも相まって重い。バカか?私はバカなのか?こんな思いをするくらいなら電車に乗ればよかったのではないか?と思うもののもう歩き始めてしまっているから引き返せない。

 

でも良かった点がひとつあって、私の好きな大阪の変な建造物や道路を見られるのはとても楽しかった

 

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二階建ての道路。高速道路のすぐそばにある高層ビル。新しいビルばかりかと思いきや歴史のある建物。しかも川が流れている。このゴチャゴチャした感じが大阪っぽいなあと思う。必要だから後から取って付けたみたいなアクロバティック建造物がいたるところにあって楽しい。変なところからエスカレーターが生えていたりする。

 

そして散歩中は上坂あゆ美さんのPodcast、『私より先に丁寧に暮らすな』を聞いていた。いい天気だった

 

中之島公園に着いたときにはもうこれ以上一歩も動けないよ〜!という感じで疲れていた。しばしベンチに座って休憩。からの薔薇園へ

 

 

薔薇園はよく手入れされていてすごい。近くにあるカフェだかレストランからEDMみたいなズンズン系の音楽が爆音で流れていて、これが大阪だよな……と思う。普通に静かに薔薇を見たり鳥の鳴き声を聞いたりしたいのだが全然音楽がうるさくてギャップがヤバい

 

新大阪駅で『空心 伽藍堂』の「海南鶏飯弁当」を入手

中之島公園で薔薇を見ながら一休みし、そろそろという頃合いで淀屋橋駅から新大阪駅に戻った。

JR新大阪 新幹線改札内で購入できる『空心 伽藍堂』の海南鶏飯弁当を買いたかった。以前Twitterでバズっていたから私が行く頃にはとっくに売り切れているかもしれない!!!と思ったがそんなことはなかった。助かります

 

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私はいつか『空心 伽藍堂』に行くことはできますか?でもまあまだ私が行ってもこのお店の良さは分からないかもしれない。もう少し勉強してから行きたいなあと思う

 

海南鶏飯弁当はお家に帰ってから夜ごはんとして食べた。おいしかった。ただの鶏肉ではなくて、骨付きの肉でそれがまたよかった。レモングラスのソースも爽やかでおいしくてね……焼豚も味が濃くてね……ご飯もジャスミンライスで本格的なのよ……よかったです。これはおいしかった

 

おわりに

今回Yahoo!の乗換案内アプリをすごく活用した。駅だけではなく、目的地に場所を設定することも可能で、どの駅のどの出口から出ればいいのかも表示してくれるので地図読めない人間としては大変重宝した。
公式サイトが示す出口とは異なる場合もあるけど、ある程度の方向性が分かるだけでも十分だった。

 

なんだかんだで1泊2日とはいえ大阪を満喫したと思う

本当はもっと行きたいケーキ屋さんもカレー屋さんもあって、今回旅程を組み立てるところで難しかったのは日曜日と月曜日を休むお店の多さがゆえだった。でも十分に楽しかった!ありがとう大阪!