まず理解に徹し、そして理解される(by『7つの習慣』)

先日『7つの習慣』について学ぶ機会があった。同名の本にはその名の通り、7つの習慣が紹介されており、ものすごく雑に書くと、自分が目指したい将来像から逆算して今自分がやるべき行動・習慣を明確化し日々を変えていこうみたいな内容だった。

いつか自分が死ぬとき あなたは誰からどのようなことを言われたいですか、そのように言われるためにはこれからどのように行動をしていく必要がありますか、行動を習慣化させるためには最初は意識的に行動をする必要があり、無意識でできるようになるところまで持っていく(習慣化させる)のが大事、みたいなことを教わった。

 

特に第5の習慣「まず理解に徹し、そして理解される」というのが心に残っているので書いておこうと思う。

 

第5の習慣「まず理解に徹し、そして理解される」

第5の習慣は、「共感によるコミュニケーションの習慣」として紹介されている。

 

人間にとって肉体の生存の次に大きな欲求は、心理的な生存である。

理解され、認められ、必要とされ、感謝されることである。

 

分かる。

 

ざっくり言うと、自分の考えを理解してもらいたい、分かってほしい、知ってほしいという気持ちの前に、とにかく相手を心から理解することや相手を尊重する態度が大事で、それによってその相手に大きな影響を及ぼすことができるという内容だった。

 

人間には返報性という、接する相手から受け取ったものと同じものを返す特徴があるらしく、まずは自分から相手を理解しよう、共感しようと思う「気持ち(意図)」と「スキル」を使っていくことが、結果的に自分に返ってくるので大事らしい。

 

じゃあその「気持ち(意図)」と「スキル」って何なの?というと、以下の通り。

  • 意図:理解しようとして聴くこと
  • スキル:気持ちと内容を反映させること

これじゃあ分からないよっていう感じだが、とにかくスキルやテクニックを乱用すればいいというわけではなく、根本に相手の話を理解したいと思うことが大事で、この思いとスキルを併せて使うことが、有効だという話だった。

 

スキルとは

一体スキルとは何なのか。

それは、

「あなたは(内容、トピック、言われていることの意味)について、(感情)と感じているんですね」

と、とにかく相手の言葉を復唱するというものだった。

 

相手が悲しんでいたり怒っていたり感情が高ぶっていたり興奮状態にあるときは、「あなたは(内容、トピック、言われていることの意味)について、(感情)と感じているんですね」と言う。

例えば「あなたは恋人にキツい物言いをされて、拒絶されたように感じてショックを受けているんだね」「あなたは夫にこのような態度を取られて、自分の大切なものを傷つけられたと思って悲しいと感じているんですね」という、相手が興奮状態にありながらも話してくれた内容をとにかく復唱する。逆に、興奮状態にある相手に対してどんな正論も伝えてもそれは意味を成さないという話でもあった。

 

感情が高ぶっていたり興奮状態にあるときというのは、テキストでは信号に喩えて「赤信号」と表現をされていた。「黄色信号」は少しずつ感情の高ぶりが落ち着き始めているとき、「青信号」は相手が落ち着いて感情的ではなく、課題が明確で相互の理解があるとき。この青信号のときに初めて対策や改善点を話し合える状態になる。

 

なお、青信号のときに復唱をすると相手を苛立たせることもあるのでよくないとも言っていた。それはそう。お互いに冷静なときに復唱されすぎてもうるせー!ってなる。あくまで赤信号、黄色信号のときには徹底的に相手を理解したいという気持ち(意図)を持った上で、復唱スキルを発動されたい。

 

自分から見ると、相手が悲しんでいる理由や怒っている理由が一目瞭然だとしても、赤信号のときにそれを言ってはならない。

「おまえが悲しんでいるのは〇〇だからだよ」と言っても、「あなたは分かってない、別に指摘は欲しくない、とにかく私の話を聞いてほしいんだ」と相手はおそらく言う。

相手のためを思って、相手の悲しみや怒りの元となるものを取り除いてあげようという全くの善意で発言をしても、その言葉は相手に届かない。

 

悲しみや怒りの元となるものを取り除くよりも前に、まず、相手の気持ちに寄り添い、相手の発言を復唱する。相手の話を理解したいという気持ち(意図)に加えて、この復唱するスキルを使うことが結果的に相手を尊重することに繋がるし、相手も「このひとは私を尊重してくれるんだな」と感じる。

 

この復唱するスキル、簡単かと思うだろうが意外と難しい。

 

例えば、「あなたは恋人にキツい物言いをされたんですね」と出来事を復唱するだけではダメだし、「あなたは拒絶されたように感じてショックを受けているんだね」と相手の感情だけを復唱するのもダメらしい。

「あなたは恋人にキツい物言いをされて、拒絶されたように感じてショックを受けているんだね」と、あくまで出来事と感情をセットで言う必要がある。

 

上記のように復唱の仕方を間違えたり、夫婦喧嘩をしていて互いに感情が高ぶっているときに、自分はすっと冷静になって咄嗟に復唱するモードに入れるか?というと結構難しいような気がするし、復唱するモードが解除されてついつい本音や正論が出てしまいそうになるときもあるだろう。

 

自然と復唱ができるようになるには訓練が必要で、最初はうまくできなかったとしても、何度も何度も繰り返して習慣化することが大事なのだという話だった。

 

さらに、出来事と感情を復唱されることによって、相手も客観的に感情を観察できる。

「あなたは恋人にキツい物言いをされて、拒絶されたように感じてショックを受けているんだね」

「あなたは夫にこのような態度を取られて、自分の大切なものを傷つけられたと思って悲しいと感じているんですね」

と言われることで、そう、私は拒絶されたように感じてショックだった、今自分の大切なものを傷つけられたと思って悲しいと感じている、と客観的に考えられるようになり、徐々に冷静さを取り戻していく。多分、この冷静さを取り戻していく過程で、「このひとには私の気持ちを話しても大丈夫なんだ」と安心を感じていくのだと私は思う。正論で殴ったりせず、判断をせず、私情を挟まず、自分の悲しみや怒りを受け止めてくれる、ただただ話を聞いてくれる、それだけで傷が癒えていく。傷が癒えた状態だからこそ、「次はこういうふうにしよう」と対処法や改善策を考えられるのだと思う。

 

徹底的な寄り添い、復唱を繰り返すことにより、相手が少しずつ赤信号から黄信号、青信号へと落ち着いていく。それからようやく次への改善の話ができる。

 

自叙伝的反応について

人間は、ついつい自叙伝的反応をしてしまいがちで、自叙伝的反応はNGだとも教わった。

自叙伝的反応とは以下の4つ。

  • 探る:自分の視点や意図から質問する
    • 例:「どうしてそんなことを言ったの?」「誰と一緒だったの」
  • 評価する:賛成したり反対したりする
    • 例:「すごくいいじゃないか」「過剰反応なんじゃない?」
  • 助言する:問題に対して助言やアドバイスをしたり、解決策を出す
    • 例:「…してみたらどう?」「こう考えてみたら?」
  • 解釈する:相手を解説しようとしたり、分析しようとする
    • 例:「あなたがいつもそうする理由はね…」「それは怒るべきだよ」

 

意外なのが、「評価する」の中で、相手の言葉を否定するのはいけないというのは直感的に分かるけれど、賛成することもいけないとのことだった。

 

私自身、相手が感情的になっていて私が落ち着いているときはヨシヨシと慰めて話を聞く態度を取っているつもりだけれど、ついつい相手の話が飛躍していたり、理論的におかしい点が目に付くとどうしてもこの自叙伝的反応や正論で殴ったりしがちなので、相手の気持ちが高ぶっているときは、どんなに話の理論が破綻していようが飛躍していようがとにかく相手の話を聞いて復唱しまくろうと思った。(本当にできるか?そんなこと…)

 

私は普段、パートナーから「そんな些細なことで傷つくの?」と言われまくっているが(過去の記事を参照してください)、これは自叙伝的反応の「評価する」に該当するのでパートナーは今すぐ自叙伝的反応をやめてほしい。

何らかの出来事があり傷ついている状態で、さらに「そんな些細なことで傷つくの?」というてめえの勝手な評価で傷ついているので、合計2回傷ついていることになる。本当にやめてほしい。もういっそブログ読んでほしい。

 

(この『7つの習慣』の「まず理解に徹し、そして理解される」についてはパートナーに共有して会話をしたが、今もなお「そんな些細なことで傷つくの?」と言われています。つらい。「私はパートナーの行動が全然改善されなくてつらいと感じているんだね」、です。)

 

でもまあ相手に求めるよりも前に、まずは自分がパートナーのことを理解しようという姿勢が大事らしいので、今日もめげずに夫婦間の問題課題表の整備をしてパートナーへの理解を深めていきたいと思います。

おわり

 

高橋一生 一人芝居『2020 ニーゼロニーゼロ』を観た

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今年の目標のひとつに、「高橋一生さんを一方的に生で目撃する」というものがあったのですが、その目標(夢)が叶いました。

 

ライブや舞台に行くことを「会いにいく」と表現するのはあまりに烏滸がましいので「一方的に生で目撃する」と表現しています。お金を払って一方的に見させていただいた、という感じ。

 

とにかくすごかった。テレビの枠に収まらない、私が好きなように見ていい時間があったこと、それがたったの1万円、安すぎるのでは?

もう死んでもいいとさえ思う………。

 

***

 

私は『カルテット』というドラマがとても好きです。2017年の作品。高橋一生さんのことを初めて意識したのは、この『カルテット』のときで、彼が演じる家森諭高という人間も好きだった。

演技のことは全くの素人だけど、このひとの演技が好きだなと思った。

 

最初は『耳をすませば』の聖司くんの声のひとね、くらいにしか認識していなかった。

 

『カルテット』以降、なんというか高橋一生ブーム的なものが起きていて、ドラマや映画に出ている姿をたくさん見た。

 

彼が出演している作品について、好きなものとそうでないものがあり、全部を追いかけて見るということはしていない。

(全部を追いかけて見なくても好きでいて良いのだということは、昔から応援しているアイドルで学んだ)

私は『カルテット』以外だと『凪のお暇』と『岸辺露伴は動かない』が特に好き。そりゃみんな好きだろうという感じだが……。

 

かなり複雑な家庭で育ったことも、たびたび思い出す。私には到底理解できない、というのが私の高橋一生さんへの印象。

 

***

2022/07/23、PARCO劇場にて、『2020』を観た話。

 

客席から歩いて登場した彼は白い不織布マスクをしていた。歩くときの足音を聞いた。ああ、高橋一生ってマスクするんだ、足音するんだ、と些細なことにいちいち胸がいっぱいになった。

 

人間だから当然なんだけど、体重があり、身長があり、靴を履いているから歩くと音が出る。"体重を感じる"とか書くとキモいけど、ドラマや映画で観るのとは違い、重さとか質感を直に感じる。すごい。高橋一生さんって人間なんだ、みたいなことを改めて認識する。

 

幸運にもB列の席だったので、すぐそこに高橋一生という人間が立っていて、1m〜3m、本気を出せば触れられる距離に存在していた。生物(なまもの)だった。

 

白い肌、眉毛の一本一本、顔の筋肉、首もと、日焼けした腕、腕に生えた毛、太い血管、切り揃えられた爪、パーマがかかった茶色い髪と黒い髪の二色、ひたいの汗、シャツについた汗、目の動きが、よく見えた。肉眼ではっきりと見た。

 

首を傾けてわざとらしくクシャッと笑うときの顔、周りをやんわりとゆっくりと睨め付けながら台詞を言うときの声、まっすぐに客席に差し出された手(私に手を差し出されているように感じた)、手をだらんとさせて肩を揺らしながら笑う横顔。

 

舞台が終わって一番に思ったことは、「あなたは、こういうことがやりたかったんだね」ということと、「あなたは誰にも自分のことを分かられたくないのね」ということだった。

 

作品自体が難解なこともあるけど、こういうことがやりたかったんだ、そうだったのか〜と思った。

「自分で体験し感じたことなのに、すでに他の誰かが体験し感じている。他の誰かが見た景色がすでに存在している。誰の目にも触れていないものなど何もない」

「自分の中のモヤモヤが言葉として出たらそれはもうモヤモヤとは違うものになってしまう」

「色んなひとがいていい、おんなじひとがいたっていい、よく似ているけど少し劣るひとがいていい」

「人間はお直し(作品内では、悪いところやダメなところを良いものに交換するみたいな意味)をするのが今じゃ普通。でもおれはお直しを選ばなかった。生まれたままの、不完全なままでいい、不完全なままがいい」

 

自分の中の一部を切り出してくれて、教えてくれてありがとうという気持ちになった。

 

『カルテット』のときも、ダメダメなままでいい、不完全だから良いんだという話をしていたような気がする、

人間同士、他人だから完全に理解し合うことはできない、あなたが完璧を求めたとしても不完全なほうをおれは選ぶ。自分の内面をどんなに忠実に言葉にしても、内面と言葉にギャップがあり、さらにはあなたの言葉とおれの言葉は、おんなじ言葉でも定義が違うからギャップがうまれる。どんなひとがいたっていい、分かってもらわなくていい、ただ不完全な人同士が共に生きる、その状態がただ在るだけ。

 

舞台上で激しく動いたあとに「くたびれちゃうんだよコレ」と彼が言ったとき、ブームのときの怒涛の生活のことを思い浮かべずにはいられなかった。しんどかったのかな、とか、色々。

 

「他人の許されざる行為を容認する」「唐揚げにレモンかけて怒ってたくせに?」「あれはドラマの話、おれ自身はどっちでもいい、レモンかける派だし」

唐揚げにレモンかける派の高橋一生さん情報、ありがとうございました……。

自分の舞台を観にくるひとがおそらく『カルテット』も観ているだろうことを見越してのメタ台詞。客席でも結構笑いが起きていた。カルテットはみんな好きだし、それに、5年経った今でもお客さんや高橋一生の中で家森さんが生きてることがなんだか嬉しくてたまらなかった。

 

舞台上では、白い立方体のブロックがたくさん使われていて、暴れたり動き回ったりする過程でその白いブロックが客席にまで落ちてきていた。「うわーすごい落ちてる」と言いながら、客席に降りて拾ってくれるのも素っぽくてよかった。

 

ボルダリング的なことをしていたり、ボールを上手から下手に投げている様子を見ると、ウワーーーこのひとってやっぱり男性なんだなー!と思わずにはいられなかった。

私は男性を前にすると、このひとには力では敵わない、頑張ればこのひとは私のことを殺せるんだとたびたび思う。そういう物理的な力では敵わない感じを目の当たりにして、少し興奮した。

 

カーテンコールのとき、共に舞台に立っていた橋本ロマンスさんと向き合って、肩を揺らして笑っていたのがすごく良かった。肩を揺らして笑う仕草、好きです。

橋本ロマンスさんのモダンな踊りもしなやかで美しかった。鉄筋?に座っておちゃめに笑う姿もキュートでした。

 

とにかくそこに高橋一生さんが生きていて、動いていた。様々な声で滑舌よく言葉を発したり、歌ったり踊ったり高いところに登ったり走ったり転んだり……。よかったな………すごかったな………。

間の使い方が上手い、滑舌が良く聞き取れない言葉がない、自分の身体をコントロールして動かしているのがよく分かる。よかった、高橋一生さんが生きているのを肉眼で見られてよかつた。

 

 

パートナーからの暴力について警察等に相談した

 

パートナー(夫)が怖い。パートナーからDVを受けている気がする。

そう思い警察署や内閣府のDV相談+、東京ウィメンズプラザに相談しました。

 

 

 

前回までのあらすじ

これまで、私がパートナーに対して、「こういうことをされて悲しかった」「ああいうことをされてつらかった」と言うと、パートナーはいつも「そんな些細なことで?」「おれはそんなことで傷つかない」「おれそんなに悪いことした?」と私に言ってきました。

 

他人同士なのだから意図せず相手を傷つけることはあるけれど、相手が傷ついているとと気づいたときには相手の痛みや悲しみ、つらさに寄り添って謝ってほしい。散々そう言ってきましたが私の声は届きませんでした。

 

しかし、先日とある記事を共有したところ、「"おれそんな悪いことした?""そんなことでおれは傷つかない"って おれの価値観を相手に押し付けて精神的に暴力を振るっていた」とパートナーが気づき、謝ってくれました。また、気づきを得たあとに「こういうことをされてつらかった」と私が訴えると「ああ、そういうことでつらさを感じたんだね」と寄り添い話を聞いてくれました。

やっと私の声が届いた、やっと報われる、そう思いましたが、結局何も変わっていませんでした、むしろエスカレートしていました。というのが今回の話。

 

aknynk.hatenablog.com

 

 

喧嘩・暴力のきっかけ

元気が出たら詳細を書こうと思います(書けないと思う)
想像で補ってください…。

6/4(土) 

私は毎週土曜日に習い事のバレエに行っていて、この日はバレエの前にパートナーと二人でTSUTAYAにDVDの返却・貸出をしようと思い普段より早めに家を出ました。

先日、『トップガン マーヴェリック』を観たので、トム・クルーズ祭りと称し、先週借りた『カクテル』や『マグノリア』を返却し、『ライトスタッフ』を借りに行こうという話をしていました。

しかし、TSUTAYAに着いてからDVDは借りないとパートナーが言い出しました。

パートナーは、早めに家を出て余った時間は二人で買い物でもして時間を潰せばいいと思っていたようですが、私はこれからバレエがあっていつもクタクタになるから、これ以上歩き回ってバレエの前に疲れたくないという思いがありました。

返却するだけなら返却BOXに入れるだけなので、5分せずに終わる。

それを事前に一言言ってほしかったという、ほんの些細なことが喧嘩のきっかけでした。

 

私「予定が変わるなら事前に一言言ってほしかったなあ」

 事前に一言なかったのがイヤで、それまで繋いだ手を離してひとりで歩く私。

夫「おれが失敗することすら許されないのか!?心変わりしちゃダメなのか!?」

夫「そんなに借りたかったのなら、そのとき言えばいいじゃん!」

 

別に『ライトスタッフ』をすごく観たかったわけではなく、ただ二人でDVDを探す時間が楽しみだったし、バレエ終わりに疲れて帰っても一緒に観る映画があることが何よりの楽しみでした。(Netfrixにある映画を観ればいいだけだけれど、一緒に探すの込みで楽しみにしていました。)

 

結局「おれが失敗することすら許されないのか!?心変わりしちゃダメなのか!?」という言葉の裏には、「そんな些細なことで?」「おれそんなに悪いことした?」という本音が隠れていて、今まで通り私は悲しくなりました。結局何も変わってない。

 

後からパートナーに言われて知ったのは、それまで繋いでいた手を離してスタスタ歩いていく私の行動が、彼にとっては怒りをぶつけられている、と感じ彼は彼で傷ついていたこと。私は彼に怒りをぶつける意図はなかったとしても、彼はそのように感じ、傷ついていました。その点については謝罪をしました。

 

6/12(日)

パートナーはひどく共感能力が無いような気がする。

共感には認知的共感と情動的共感というものがあるらしいとネットの記事を見つけ、それをLINEで共有しました。以前記事を共有したときに自分が暴力をふるっていたと気づいたときのように、何か気づきを得てくれるかもしれない。そういう思いで共有しました。

しかし、パートナーにとってはそれが気に食わないらしく、LINEで共有した途端に大きい音を立てドアを開閉し、私の部屋に乗り込んできました。

いつもだったら「今話していい?」と声をかけてくれます。

 

「いつもおれから謝ってばかりだから、今回はおまえが謝ってくるのを待っていた。それなのに、ネットで都合よく書かれた記事を共有してきて、おれがしたいのはそうじゃなくてお互いの悪いところを認めて謝る話し合いをしたいんだ」

 

言葉ではそう言いながらも、大きい音を立てドアを開閉し部屋に乗り込んでくる時点で私は恐怖を感じました。彼は冷静ではないと私は思いました。

これまで散々「そんな些細なことで?」「おれそんなに悪いことした?」と悲しみを軽視されてきた過去があるから、自分から歩み寄ってごめんと謝ることがものすごく苦手です。申し訳ないと思う。謝りたい気持ちよりも恐怖のほうが勝つ。話しかけられない。自分から歩み寄れない。

 

また、LINEで記事を共有したのもよくなかった。

 

冷静ではないから今は話したくないとパートナーに伝え、部屋から出て行ってもらいました。

そのあと、いつも二人で書いているノート(対面だと口論になるからとお互いの思いをノートを書くことが度々あります)に、自分の気持ちを書き、リビングのテーブルに置いておきました。

 

すると、

夫「もう読む気ないから」

夫「自分が言いたいことだけ言って、おれの話は聞いてくれない」

夫「ゲームする余裕はあるんだな」

などと言いながら部屋に入ってこようとしました。

私の部屋は引き戸なのですが、入ってこないでと叫びながら戸を閉じようとしても、彼が力づくで戸を開けようとしてくるのでした。

この時点であまりの恐怖に「警察へ行く」と家を出ました。

半そで・短パンの寝巻の状態で、夜中0時に家を出ました。

パートナーからは家を出るときに「被害妄想だよ」と言われました。

 

相談先について

交番

家を飛び出してすぐに交番へ行こうと思っていました。

しかし、交番の近くまで行けても、中に入ることがどうしてもできませんでした。

ものすごく怖かったのです。私の悲しみを分かってもらえないのではないか。殴られたり蹴られたりしているわけではないから証明できる傷がない。もし家に警察が行ったら、パートナーが逮捕されたら、会社に知られたら、セカンドレイプ的に無理解な言葉をかけられたらどうしよう、そういった恐怖で何度も何度も交番に行こうと思ったけれど、行けませんでした。

 

交番に行けず夜中に街をうろうろしたり、公園で友人に泣きながら電話をしたりしました。友人からは、警察の生活安全課のこと、その他相談先のこと、今逃げることが今後のお互いのためになること、色々言葉をかけてもらいました。本当にありがとう。友人からは、今日はタクシーでどこかホテルへ行ったほうがいいと繰り返し言われました。

 

しかし、結局私は家に帰ってしまいました。逃げる元気がありませんでした。その日は0時頃に家を出て、2時過ぎに家に帰りました。彼からは何度も電話やLINEで連絡が来ていて、「そばにいて欲しいよ」「警察行ったけどいなかったよ」「どこにいるの?」「心配しています、連絡ください」といった連絡が入っていました。恐怖でした。

「怖いので今はもう話したくありません」とLINEで連絡をし、その日は部屋で眠りました。

 

警視庁総合相談センターへの電話

6/13(月)の朝、起きたら少しつらさが減っていて、「あ、もう大丈夫かも」と思い、午前中は普通に仕事をしていました。しかし、友人から警察署まで行かずとも生活安全課に電話を入れておくと良いのでは、といったDMをいただいて、勇気を出して仕事の合間に警視庁総合相談センターに電話をしました。

 

相談ホットラインのご案内 警視庁

 

03-3501-0110に2回ほどかけましたが繋がらなかったので、#9110に電話をかけました。

 

私「交番に相談していいのか分からなくて電話しました」

相手(男性)「え???」

私「夫からDVを受けているかもしれなくて、相談したくて…」

相手(男性)「DVの相手は夫ですか?具体的にどういった暴力ですか?お住まいはどちらですか?こちらの窓口ではDVにあたるかどうか判断はつかないので、区の警察署の番号をお知らせしますのでそちらに電話してください」

 

私がちょっと冷静ではないので変な相談の仕方をしてしまい、電話の相手に「え???」みたいなリアクションをさせてしまいました。申し訳ない…。しかしこの「え???」ですら心に鋭く刺さってくるのでした…。

 

警察署への電話

6/13(月)、警視庁総合相談センターに電話したところ、つらさや恐怖が蘇ってきてまた泣いてしまいました。朝起きて痛みが薄れてきたように思っていたから普通に午前中は仕事をしていたのにやっぱりダメだった。

 

友人が、「緊急ではなく、身の危険も現時点ではないので、あくまで今後のための相談として調書を取っていただきたい」「女性警官に相談したくて、女性がいなければまた後日かけなおします」といった例文を送ってくださったので、それをそのまま仕事用のPCのサクラエディタに書き起こして、それを読みながら、意を決して警察署に電話しました。

 

私「夫からDVを受けているかもしれなくて、相談したくて…」

警察署の方①(男性)「相談係にお繋ぎしますね」

 

警察署の方②(男性)「どうされましたか?」

私「緊急ではなく、身の危険も現時点ではないので、あくまで今後のための相談として調書を取っていただきたいです。夫が大きな音を立ててドアを開閉する、無理やり私の部屋に入ってくることが昨夜ありました」

警察署の方②(男性)「女性のほうがいいですか?」

私「可能であれば女性の方がいいです」

 

警察署の方③(女性)「どうされましたか?」

私「(先ほど話したことを繰り返し伝える)」

 

警察署の方③から、調書を取るにあたり(?)以下のようなことを聞かれました。

  • 氏名
  • 住所
  • 生年月日
  • 夫の生年月日
  • 結婚したのはいつか(結婚してどれくらいか)
  • どこで夫と知り合ったのか
  • お子さんはいるか
  • 喧嘩が起きたのはいつか
  • 喧嘩の頻度
  • あなたの実家はどこか、実家の住所
  • 実家に避難することはできるか(実家とは折り合いが悪く避難はできない)
  • 別居・離婚は考えているか(可能なら仲良く円満に暮らしていきたい)
  • 家に行ったいいか?(家には来ないでほしい)
  • 夫の連絡先(夫に知られたくないないので、あえて分かりませんと答えました)
  • 性被害はあるか

 

不安なことがあったらいつでもお気軽に電話してほしいこと。

緊急だったら110番でも良いこと。

来月目途で様子確認のため再度警察署から電話をすることなどを伝えてもらいました。

 

ちなみに、その日はパートナーは仕事を休んだらしく、すぐ隣の部屋にパートナーの気配がありました。そんな中で電話できた私すごくえらかったよと褒めてあげたい。頑張ったよ。パートナーに警察の方との電話が聞こえるかもしれない、またいつ部屋に無理やり入ってくるかは分からない、そんな中で、会社の週次ミーティングをこなしつつ電話できたのは本当にえらかったと思う。

 

警察署へ訪問

6/13(月)、電話が終わってすぐにまた警察署から電話がかかってきました。

「本当にDVを受けていないか顔を見せてほしい」とのことでした。

警察が家に来るか、もしくは警察署に私が行くか。

とにかく家に来てほしくないので、私から警察署に行くしかありませんでした。

 

私「何時までに行かなければいけないといった決まりはありますか?」

警察署の方③(女性)「今日私は夜勤なのでいつでも良いですよ」

 

その日は仕事も結構炎上していてヤバかったのですが、無理やり仕事を終わらせて警察署に向かいました。家から警察署がすごく遠くて、徒歩20分、往復40分くらい歩きました。坂があるので自転車もキツいし、何より交通手段を考える元気はありませんでした。

 

警察署では、小さな部屋に通されて以下のような話をしました。

警察の方ひとりと私の二人だけで静かに話せる場所でした。

 

  • 喧嘩のきっかけ、詳細、私から謝らないことに夫は腹を立てていること
    • 私たち夫婦も頑固だから謝らないですよ~(笑)みたいな話を警察の方からされました。
  • "東京ウィメンズプラザ"という相談室の紹介
  • 避難場所(ホテル・実家)に行けそうか、実家を頼れそうか
  • 今日は夫と話したか
  • 今日は被害はないか
  • いつもどうやって仲直りをしているか(喧嘩の2,3日後にノートやLINE、話し合いをして仲直りをしている旨回答)
  • 調書はあなたにしか見られません、あなた以外の方は見ることはできません
  • ただし、警察の中で共有することもあるので、あなたの顔写真を撮らせてほしい
  • 夫の顔が分かる写真も撮らせてほしい
  • 電話番号が分かる写真も撮らせてほしい
  • 「これ以上やったら逮捕されますよ」と夫に警告することもできること
  • 「電話してくれたら飛んでいきます」
  • 交番もそんなに敷居が高いものじゃないので頼ってほしいこと

 

 

会社が提携しているEAP(従業員支援プログラム)へカウンセリング依頼

6/16(木)、会社でもカウンセリングやDV相談ができる窓口があったような気がすると思い、メールにてカウンセリング依頼をしてみた。6/16(木)午後にメールをしたけれど、返信は翌日6/17(金)で、なんというか返信のペースが遅いので、なかなかタイムリーにはやりとりできなかった。

また、「カウンセリングは本メールから一週間以降の日付を指定してください」といった記載があり、今すぐに相談したいんだよ!みたいなことは難しそうに感じた。まだカウンセリング日は決まってない。

 

 

結果的にメールで予約できるっぽくて、それはよかった。

 

内閣府 DV相談+へのチャット相談

6/19(日)、チャットで相談をしてみた。

以前もチャット相談はしたことがあったけれど、そのときはただ寄り添ってくれるだけで何も解決しなかったんだよなあという印象があった。今回は、警察署の方にも案内された東京ウィメンズプラザを最終的に紹介してもらった。

 

soudanplus.jp

 

聞かれたこと、話したこと

  • 結婚前からDVの兆候はあったか
  • DVのきっかけに心当たりがあるか
  • どのようなことで喧嘩になるか
  • 子どもはいるか
  • あなた自身はどうしたいと考えているか
  • 他にどこかに相談したことはあるか
  • 警察や医師からどのようなアドバイスがあったか
  • 実家を頼ることは難しいか
  • 東京ウィメンズプラザへの相談

 

チャットの中で、以下のようなことを言われました。

 

「夫さんはあなたの気持ちを想像することが苦手、もしくはできないように感じますがいかがでしょうか」

 

「彼に暴言をやめるよう説得することは難しいように感じますがいかがでしょうか」

 

「あなたが我慢するということは、あなたらしく生きることをあなたご自身が手放すことになります。そのような自分をあきらめるような選択はしてほしくないです」

 

「かなり深刻なDVのような気がします」

 

パートナーが変わることは難しい、だからこそ私自身がパートナーから離れるかどうか、自分の安全を守ることを最優先に考えてほしいといったことを言われました。

私としてはパートナーと仲良く円満に暮らしていきたいけれど、どうしても離れるほうを案内されてしまう。彼から離れるためのエネルギーが全然無いから困ってる。

 

 

東京ウィメンズプラザへの電話

6/19(日)、電話をしてみた。

ここが、すごくよかった。

毎日21時まで電話を受け付けている。30分ほど話した。

 

www.twp.metro.tokyo.lg.jp

 

私は電話がすごく苦手で、なるべくならメールやチャットでやりとりしたいと思う人間です。だから警察の方に東京ウィメンズプラザを紹介されたときもなんとなく億劫で、電話することができていませんでした。しかし、先のDV相談+でも案内されたので電話をしてみました。

 

 

 

話してもらったこと。ちょっとあんまり粒度がそろってなくて、箇条書きの意味がなくて気持ち悪い…元気があったらまたあとで直すけど多分ムリ…。

 

  • 彼は、大きい音を立てたり怒鳴ったりというのを手段として使っている。
    あなたを従わせるために分かってやっている。
  • 警察に相談したことを話しても夫は「警察に売りやがって」と言うだろう。
  • そんな人に誰が何を言っても耳を貸さないだろう
  • あなたがDVについて勉強して正論を夫に伝えても、夫は自分が正しいと思っている。
  • 「暴力をしてしまって申し訳ないと思うけれど、おまえがおれを怒らすのが悪いんだ」と夫は思っている。
  • 妻の首を絞めて殺しかけた人ですらそうやって平気で言いますよ
  • このままつらいことが繰り返されると思います
  • 喧嘩してないときは優しいと言うけれど、DVにはサイクルがあって、優しいとき→ピリピリしているとき→どかんと爆発しているとき、そういったサイクルがある。サイクルを繰り返しながらエスカレートしていく。そのうち手が出るかもしれない。
  • 優しいとき、怒鳴っているとき、どっちが夫の本当の姿なのか見極める必要がある
  • あなたが彼を支えてあげようだとか、変えてあげようだとか思う必要はない。彼自身が気づいて反省しなければいけないこと
  • 彼の問題なのだから、あなたがご機嫌を取る必要はない、あなたは彼の母親じゃないのだから。対等な立場でいることが大事。上と下の関係ではいけない
  • 仮に「死ね」「くたばれ」とか互いに言い合ってる夫婦がいたとしたら、それは対等に言い合える関係だから良い。でもあなたは違う。
  • 対等であることが大事です
  • あなたを怖がらせる手段を使ってくるひとと、人生80年、この先一緒に暮らすのか、よく見極めてほしい。
  • 彼と円満に過ごしていきたいならトライしていけばいい。あなたも彼も負担なく、彼の根本が変わらなくても。方法がないわけじゃない。あなたが我慢すると言うのはダメ。
  • 離婚・別居ってそんなあっさり決められない。今日明日決められるものではない。それでもあなたには安全でいてほしい
  • もう少し一緒にいて、彼が変わるのか変わらないのか見極めてほしい。変わらないのならまた考えればいい
  • いざとなったら助けてくれるところがいっぱいある。役所も警察も、色々。そこは安心してほしい
  • 日本は被害者が離れないことには物事進まないようになっている
  • しかし、経済的な事情や、それでも愛しているからといった理由で、DVを受けているみんながみんなパートナーから離れているわけではない。天秤にかけて選択をしている
  • 委縮して暮らすのはよくない。夫を恐れて生きるのはあなたらしく生きられないということ
  • 夫とはいえ他人なのだから、互いに自立していなければいけない。支配されてはいけない
  • 経済的に自立していることはすごく大きい
  • 「"実家を頼れますか?"と毎回聞かれるけれど、私は実家と折り合いが悪いから難しいといつも答えるんです」「仕事してて経済力があるんだから、実家を頼らなくてもなんとでもなるでしょう。家だと冷静に考えられないからと、プチ家出やマンスリーマンションを借りるひともいますよ」
  • 「ごめんね、でも…(怒らせるおまえが悪い)」と言うひとは反省していない。あなたが気づかせてあげるのはダメ。夫自身が気づかなければいけない。
  • 今後も一緒に暮らしたいなら、自分のダメージを極力減らす方法を考えてほしい。これ言ったら怒るだろうなということを抑えてみるとか。夫のご機嫌を取るためじゃない、あなたが安全でいるために。

 

あなたは成人女性だから、あなたがどうしたいか、その意思が尊重される。

あなたが彼を変えようと努力する必要はない。

夫婦は対等な立場でいなければいけない。

どのような選択をするにせよ、あなたには安全でいてほしい。

自分で見極めてほしい。

 

そういったことを繰り返し言われた。

血の通ったコミュニケーションがやっと成された感じがした。

パートナーは変わらない。だからといって今日明日すぐに離婚を決めなければいけないわけじゃない。一緒に暮らす選択をしてもいいし道がないわけではないけれど、私の尊厳は損なわれてはいけない。

 

自分の意思。

私は離婚せずに円満に暮らせたらいいなと思っている。

でもパートナーは変わらないのだから離れたほうがいいというのも分かる。

ゆっくり考えたい。いまだに私の部屋に無理やり入ってきたのが怖すぎて、今日パートナーと少し会話したときも恐怖で身体が震えたし、すぐに涙が出た。また、引き戸が開けられたらすぐ気づけるように、突っ張り棒ではないけれど、こう、掃除機とか洗濯カゴとか、ごみ箱を置くようになりました。怖い、どうしてもすごく怖い。

今日パートナーと少し話してみたけれど、「ごめんね」と言いながらもやっぱり言葉の裏には「そんな些細なことで?」「おれそんな悪いことした?」「おまえだって同じことをやっているだろう」みたいな、「ごめんね、(でも…)」という感じだったので、パートナーは変わらないんだろうな。

 

 

 

『コーダ あいのうた』を観た

『コーダ あいのうた』を観た。

 

今年『パワー・オブ・ザ・ドッグ』に勝つ形でアカデミー賞作品賞を受賞した映画。Apple 配給の、初めての配信業者が作品賞を受賞した映画。

 

簡単に(乱暴に)言ってしまえば、主人公ルビーは、自分以外の家族が全員ろうあ者のヤングケアラー。ルビーは歌うことが好きで、才能もある。歌うために大学へ進学するか、家族のために大学進学を諦めるか、という物語。

 

一昨日映画館で観たらあまりにも自分の過去と重なるものがあり、嗚咽し、目を真っ赤にして帰ってきた。別に私の家族にはろうあ者がいるわけではない。彼女が大好きな歌も、仕事である漁も私はやっていない。要素的には何も重なる部分がないのに、私が地元に置いてきたあらゆる地獄が、主人公の生きる町には確かに存在していて、結局何も解決しないまま生きていく様子をまざまざと見せられて息をするのが本当に苦しかった。

 

ルビーは夜中の3時に起きて漁に行き、そのあと学校へ行く。学校ではクラスメートから、ろうあ者の家族であることを笑われる。学校が終わると港へ行き、家族と家族以外のひとを繋ぐ通訳者として働きながら、歌のレッスンに通い、眠る。

 

本当に何も解決していない映画だと思う。

 

学校でクラスメートから笑われることも、自分以外の家族だけで漁に出た場合、無線を受け取っても耳が聞こえないため気づけないこと。ろうあ者であること、障害があることから獲った魚を安く買いたたかれること、それに伴いお金がなく貧しいこと。大学進学しても奨学金で生活が賄えるか分からないこと。主人公が大学進学すると家族の通訳者としてヤングケアラーや搾取されるひとが再生産される可能性があること(お金がないから通訳を雇うようなお金がない)。

 

本当に、何も解決していない。

それに、誰も家族のために理解を示したり変わってくれやしない。

クラスメートがろうあ者とその家族に理解を示すこともなければ、漁師仲間が気を遣って手話で話してくれることなんかない。夜中3時に起きて学校へ行き仕事をしながら歌のレッスンに行くためにはどうしても遅刻してしまうときがあることを、歌の先生は理解してくれないし、慰めてくれるひとなんて誰もいない。

唯一マイルズの存在が救いになっていたけれど、彼は無邪気に「きみの家族は仲が良くて羨ましい」と言葉をかけてくる。ルビーの事情なんて何も知らないくせに。彼には彼の地獄がある。けれどマイルズの言葉すら鈍い痛みとなって残る。

 

現実ってそういうもの。何も解決しないまま進んでいく。時が経てば自然と解決することなんか何もない。過去の悲しみで痛みや傷がまだ治っていないのに次々と地獄が押し寄せてくる。いま目の前に広がる地獄があってもそれでも生きていくしかない。

 

加えて、母親からは「私たちが耳が聞こえないからあなたは歌をやるのね。もし私たちが目が見えなかったらあなたは絵を描いていたわ」と言われるような生活。主人公はただただ歌うこと、音楽が心の支えなのに、それすら家族に理解してもらえない。家族は耳が聞こえないから理解できなくて仕方がない……本当にそうだろうか?仕方がないと諦めるしかないのか?そんなことない、そんなことないはずと自分の意思を絶えず言葉にして伝え続けるルビーの強さがたまらなく愛しかった。

 


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終盤に主人公が歌う『Both Sides Now』という曲。

日本語では『青春の光と影』と訳される。

 

この、風景が目に浮かぶ歌詞とまっすぐな歌声を前に泣かずにいられない。

彼女の青春に影を落としていたもの。

誰が悪いというわけでもない、もちろん彼女が悪いわけでもない。

仕組みで解決できることもたくさんあるだろうけれど、それ以上に彼女が知らずのうちに背負った、背負わされた家族の重さ。愛の重さでも、負担の重さとも違う、10代の少女が背負うには厳しすぎる現実の重さ。

彼女には彼女の人生があり、家族にだってそれぞれ人生があるはずなのに、共に生きるうちにその境界線がどんどん薄まって、いつの間にか同化してしまいそうになる。

どんどん腕をつかまれて引き込まれてしまう。自分の道を進みたいのに進めない、「助けて」とも叫べない。叫んでも声が届かない。

 

立ち止まって一瞬、自分の人生、本当にやりたいことは何かを考える。

歌いたい。言葉で表せられないほど、歌うことが自分の一部になっている。

誰のために歌うというわけではない、自分のために、ただ自分のために歌いたい。

そういうことをこのシーンを見ながら感じた。

 

何も解決してなくても、そばにだれか一人いるだけで救われることがある。

現実から目を背けているわけではなく、逃げているわけでもなく、自分が二本足でかろうじて立てるくらいの、ほんの些細なことでも本人にとっては大きな救いになることがあるよなあと思う。

 

私は学校でいじめられたことがあるし、ゴミ屋敷の実家では両親が怒鳴り合っているのが日常茶飯事だった。4畳もないであろう自室は普通に虫が湧くような部屋で、身体は常にかゆくアトピーは悪化し肌はボロボロだった。それによりいじめも悪化した。バレエに行けば親の代わりに私が謝り、親にだけ話したことが一瞬で他人に広まるような息苦しい田舎。

お小遣い制度も無いに等しく、自分で何かを選び取る、そういう自由が本当になかった。「これが欲しい」と親にねだれば買ってくれるけれど、私が欲しかったのはそういうものではなかった。自分で選びたい、自分の意思で決めたい、と切望していた。間違ったもの、不必要なものを選んだとしてもそれすら経験にしたかった。でも、できなかった。

大学生になり、マッチングアプリと出会い系サイトで不特定多数の男性に若さを消費されながらも、若い女というだけで優しくしてくれるひとがいること。大事にしてくれるひとがいること。家に帰らないためにそういうことをやっていた。あのときの私に会ってくれたひと全員に感謝している。私の人生に関わってくれて本当にありがとうと思っている。

別にそれで何かが解決したわけじゃないけれどやり過ごすことはできた。

やり過ごして、蓋をして、家を出て、就職して自分の金で生きていくんだと思い続けた。

そういう過去を映画を観て全部思い出した。いきなり胸ぐら掴まれて、捨てた記憶と大嫌いな地元の人たちを無理やり思い出させられた。

 

正直観る前はありきたりな青春群像劇だろうとナメていて、パートナーと週末に銀座でご飯を食べて映画デートしようくらいの軽い気持ちだったのに、映画観ている間中ずっと歯食いしばってないと倒れそうだった。

 

一見ハッピーエンドでライトな青春群像劇に見えるけれども全然違っていて、「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです」(魔女宅のキャッチコピー)みたいな感じでもなくて、さわやかな潮の香る海沿いの青春の話でもなく、もうただの地獄、ああ私はこれが嫌で嫌で仕方がなくて地元を出たんだった、私は私の二本足で生きていくことを決めたんだったと思い出させる映画だった。

 

終盤に、着たくなかったら着なくていいわよとコンサート用のドレスを母親が持ってくるシーンがある。そのときに母親が言う。

「あなたを産んだとき、耳が聞こえなければいいなと願った。けれどあなたは耳が聞こえると知り、理解し合えないような気がした。子育てに失敗するかもと思った」

つらい。「耳が聞こえる聞こえないの問題じゃない」と返すルビー。そのあと母親に膝枕で頭を撫でてもらうあのシーンが、仲睦まじいように見えるけれども私としては物凄くしんどくて、狂いそうだった。

 

映画を観ていて、今すぐそこから逃げなさいとルビーに叫びたい気持ちになったり、家族に甘えたり縋りったりわがままを言って通したい気持ちになったり、でもなんかこのつらさやしんどさを分かるひとと分からないひとがいるのだろうという絶望を感じたり、色々だった。

 

ストーリーとしてはありきたりで、驚くような展開はない。手話をしながら歌うシーンがあるだろうな、耳が聞こえない側の家族目線のシーンもあるだろうな、と容易に予測できる。それでも刺さるものがあったし観てよかった。

 

自分の過去があるからこそ嗚咽するほど泣いたんだろうし、こういうひとつひとつの経験が糧になっていくんだと思う。観てよかった。過去の自分は頑張っていたよねと褒めてあげたい、認めてあげたい、あのとき死ななくてよかったねと抱きしめてあげたい。今このタイミングで観られてよかった。

 

自立した人間になりたい

実家にいた頃、母に「ホットケーキ作りたい!」と言ったところ、台所にはホットーケーキミックスに加え、計量された牛乳とバター、すでに割られた卵と、ホットケーキを作るために必要なボウル、フライパン、お皿などすべてが用意されていたことがある。

 

21歳のときの出来事です。

 

当時すでにアルバイトをしていてホットケーキの材料を買うくらいの財力はあったし、材料を用意してほしいと頼んですらいない。ただ、私の実家はゴミ屋敷なので、台所には一人、せいぜい二人しか立てず、母が台所を使わないタイミングで、ひとりのびのびと台所を使いたい、そういった意味で「ホットケーキ作りたい!(だから私が台所を使っていいタイミングを教えてほしい。)」と言ったんだと思う。言葉足らずだったと思う。

 

家がゴミ屋敷のため人間が立つスペースが限られていることや、台所という場所は専業主婦の母の領域であるという認識だったため、当時は全くと言っていいほど料理をしたことがなかった。そういった状態の中、21歳にもなって、たかだかホットケーキごときで、「はい、どうぞ」と言わんばかりの(すべての材料を計量し、調理器具まで用意された)台所の光景を見て、私は本当に悲しくて腹立たしくて、母に対して泣いて泣いて怒った。

 

 

母は私のためを思って材料や調理器具を用意してくれたんだろうけど、21歳にもなってこんなことをしてもらっているのがものすごく恥ずかしかったし、私にはできないと思われているような、ナメられているような感じがしてすごく悔しかった。

 

私は、材料を買い、牛乳を計量し、慣れない台所で調理器具を探すところからやりたかった(ゴミ屋敷の整理されていない棚からがらがらと色々調理器具が崩れ落ちてくるとしても)。生地を作り、焼いた末に半生でもコゲコゲでもそれすら経験にしたかった。準備や失敗まで含めた一連の体験をしたかったのに、母は大事な娘が転ばないように先回りして石を拾ってくれるようなひとだった。

 

ホットケーキなんか母の許可なく作ればいいだろうと思うひともいるだろうけれど、実家では「テレビつけていい?」「エアコンつけていい?」とすべて許可を取りながら生きてきたので、まあ、察してください。

 

そういったいきさつがあり、一人暮らしを始めたときの嬉しさと感動はひとしおだった。裕福でないにしろ、誰の許可もなく自由に生活ができること。下手でも要領が悪くても時間を気にせず料理がひとりでのびのびとできること。自分で稼いだ金で生きられる嬉しさ。

 

 

これは2014年のツイートで、つまり20歳のときのこと。

最近は少しずつ変わってきてはいるけれど、パートナーに対しても「それ言われてつらかった」と自分のつらさを主張しても、言葉が届かなくてつらい思いをしていた。人生同じことを繰り返してばかり。でも、ときどき変化が訪れるときもある。しんどいけれど、絶えず他人とコミュニケーションをやっていくしかない。

 

***

 

結婚して、また実家にいたころのような自分に戻っているような気がする。

 

旅行の計画ひとつにしても、パートナーが先回りして全部旅行の予定を決めてくれる。行く場所も、ホテルも、レンタカーの手配も何もかも全部。

 

 

今回のゴールデンウィークは浜松~伊勢・鳥羽~松本へ旅行に行った。

何度も「私は何もしてないから」と口にした。旅行の計画・予約から、車の運転まですべてパートナーがやってくれて、私は本当にただついていくだけ。何も貢献できていない、ただ行きたいところに連れていってもらって、助手席でおしゃべりするだけ。

 

パートナーは「このホテル予約しておいたよ~、もし支障がある場合はあとでキャンセルすればいいから」とわりと私に相談なくパパッと予約をして事後報告をしてくる。

そういうことの積み重ねで、旅行の日が近づくまでほとんど旅行の日程を把握していないケースがある。パートナーから口頭では都度どこの何を予約したと共有はされているけれど、その全貌が私には見えないため(パートナーの頭の中にはイメージがしっかりある)、旅行が近づいてやっとノートに書き起こして整理して、そのときに初めて私の理解が追い付くことがたびたびある。

 

本当はもっと良いホテルに泊まりたいと思っていたり、別に温泉はついてなくてもいいと思っているけれど、温泉好きなパートナーが予約をしてくれているから何も言えない。去年パートナーが仕事をいきなり辞め年収が格段に下がったこともあり、値が張るような要望も出しづらい。そしてその値段が高い理由が目に見えないサービスのケースが特に難しい。本当は星野リゾート的な、宿泊先にもお金をかけて心を癒したいと思うけれど、いつもドーミーインとかルートインとかになりがちである。

 

それでいい、相手に任せて甘えてしまったほうが楽だと頭では分かっていながらも、それでも自分の無力さや役に立たない感覚が身を刺すようにつらい。

 

 

あまりに私が計画フェーズに参加していないために、なかなか旅行自体に興味を持てないし、覚えてもいられない。どういう思いでこのホテルを予約したのかとか、どんな道路で行くとか、何時に出発するとか、そういうものを全く理解できないのが悲しい。理解したい。全部やってくれてありがたいけどしんどい。

パートナーが悪いという話ではなく、私の旅行に対するエンジンがかかり始めるのが遅かったり、もっとグイグイ計画に割り込んでいけばいいだけなのに、面倒くさくてパートナーが決めてくれたものをわざわざ覆す気にもならない。

 

 

私としては、パートナーと相談しながら予定を立てていきたい。どこのホテルに泊まるか、どこに行き何を食べ、どんな観光をするか、そういうことを考えている時間を楽しみたい。計画フェーズから参画したい。中途半端に参画するとそれはそれで揉めるので、やるなら休日に時間を取って取り組みたい。(まじめ)

 

この話をパートナーにしたところ、「あとでキャンセルすればいいからと全部予約するのはやめる、予約する前に相談するね」と話していた。事後報告が事前報告になっただけでは意味がなく、そうじゃなくて一緒に探すところからやりたいんだけど…と、絶秒に意図が伝わっていない気もする。また次の旅行の計画のときにちゃんと話す必要がある…。

 

↓浜松で食べたうなぎ。(つらい話が続くので、食べ物の写真ででほっこりしたい意図があります)

 

 

旅行だけではない。料理に関しても同様で、稀にパートナーと一緒に料理をしようというときも、ほとんどパートナーがすべてやってくれる。(基本的にお互いばらばらにご飯を用意して食べる生活をしているが稀に一緒のときもある)

 

 

aknynk.hatenablog.com

 

この記事にも書いたけれど、「お前の米は古いから虫が湧いていると思う」「今までおまえが作ってきたご飯はおいしくなかった」「おまえはおいしくしようとする努力をしていない」みたいなことを散々言われてきたので、その言葉を思い出して怖くて足がすくむ。同時に、パートナーに全部任せて私は何もしてあげられない、無力だ、みたいな感情で病む。

 

以前一緒に料理をしようということになり、麻婆豆腐を作ったこともあるけれど、それもパートナーがお膳立てしてくれていた。パートナーが材料を買ってきてくれて、パートナーが豆腐を切ってくれ、私が肉と豆腐を炒めていた。なんか違う。一緒に料理ってそういうことじゃない。

パートナーは、私の「一緒に料理をしたい」という欲望を満たすために動いてくれたに過ぎない。そうじゃない、そうじゃないんだよ……。

 

我々夫婦は一緒に何かをしようとすると揉めるので、相手に任せて口出ししないほうが平和に行く気もしており、なかなか難しい。パートナーからこれまで言われてきた言葉の数々も足枷になっており、都度怖くなる。

 

お膳立て(材料の用意とか、旅行全部予約済とか)はされたくない、けれど、これまで言われてきたこと、やられてきたことの数々が思い出されて怖い。

結果、病む!!!!!

 

  • 料理関連
    • 「お前の米は古いから虫が湧いていると思う」→料理するの怖い
    • 「今までおまえが作ってきたご飯はおいしくなかった」→料理するの怖い
    • 「おまえはおいしくしようとする努力をしていない」→料理するの怖い
    • 「おまえが皿洗いすると汚れが残ってる」→なるべくパートナーの皿洗いはしない。するときは一度洗ったあと目視で確認し、必要に応じて二度・三度洗う→食洗器があればいいのにな→「食洗器を買ってもおれは手洗いを続ける」→食洗器ほしいけど、怖くて買う決断ができない
  • 旅行関連
    • 私が事前に計画したルートをパートナーに伝えておいたにも関わらず、当日知り合ったレンタサイクルのおっちゃんが教えてくれたルートを採用される→普通に悲しい。しかも特に合理性とか効率性とか理由がなかった。おっちゃんのルートの方が行きやすい、とか理由があれば全然納得できた。

 

一人暮らしをしていたころ、結婚をする前は、友人との旅行や食事の予定は私が率先して探して予約をしていた。そういった能力はあるのに、現状できていないのがもどかしい。どんどん能力がなくなっていく気がして怖い。

 

そして、これまで言われてきた言葉の数々に足がすくみ、何もかもパートナー任せになり、パートナーに依存するような状況になっているのがとてもつらい。最終的に自分じゃ何もできなくなり、何も決められなくなり、脳死状態になってしまう気がする。

 

ついにパートナーに貢献できることが金銭面だけになる(転職して給与がバカみたいに増えた)。そういった状態が続いていくと、「誰の金で生きてると思ってるんだ!?」という父のようなモンスターに私もなってしまうような気がして怖い。

モンスターはこうやってできあがるんだとやっとイメージができた。金でしか威張れない、金でしか頼られない、だからそういう発言が出てくる、かわいそうな生き物。

 

どうしたらいいんだ~~~~!!!

 

相手に任せて甘えるというのもある種の自立だと思う。相手に任せたくせに、自分の無力さに不安になってしまうようじゃまだまだ甘え能力が足らんと思う。

パートナーから言われた言葉に縛られずに、自由に動きたい。思い出したくない。

もう少しお膳立てされないような工夫をしたい。どうしたらいいか分からないけれど。

お膳立てされる前に何か自分から先手を打てればいいのだけれど。

MicrosoftのFundamentals試験(AZ-900/PL-900/AI-900/SC-900/DP-900)に合格した話

 

いきなりタイトルの主旨から脱線して恐縮ですが、私はパンが好きです。
自分で焼くのも、パン屋さんに行くのも好きです。

今回の話は、様々な街のパン屋さんに行きたくて、そのついでにテストセンターで試験を受けたらなんか合格できました、という話です。

決して資格を取得して今後仕事に役立てよう!Azureゴリゴリ使っていくぜ!みたいな最もらしい理由は全くなく、ただ無料で試験受けられるし、様々な街に行き(私は知らない街でひたすら散歩するのも好き)、テストセンターを見に行こう、そしてパンを買いにいこうという適当なノリでやっています。

 

自宅受験もできるけど、あえて電車賃と移動時間をかけてテストセンターへ行き、その後習い事のバレエへ行くというのを定期的にやっていました。

 

結果として受かったのは以下の5つ。
どうしてこの5つかというと無料で受験できるからです。
今のところ無料で受験できるMSの試験はすべて合格したはず、多分…。

  • Microsoft Azure Fundamentals(AZ-900)
  • Power Platform Fundamentals (PL-900)
  • Azure AI Fundamentals (AI-900)
  • Security, Compliance, and Identity Fundamentals (SC-900)
  • Azure Data Fundamentals (DP-900)

 

AZ-900については以前の記事。このときはちゃんと勉強していた模様。

aknynk.hatenablog.com

 

 

概要


各試験の概要は各自で調べてください。

試験 AZ-900: Microsoft Azure Fundamentals - Learn | Microsoft Docs

試験 PL-900: Microsoft Power Platform 基礎 - Learn | Microsoft Docs

試験 AI-900: Microsoft Azure AI Fundamentals - Learn | Microsoft Docs

試験 SC-900: Microsoft セキュリティ、コンプライアンス、ID の基礎 - Learn | Microsoft Docs

試験 DP-900: Microsoft Azure Data Fundamentals - Learn | Microsoft Docs


MSのバウチャー付きのVirtual Training Daysに申し込んでバウチャーをもらっておく。

www.microsoft.com

 

結果


合格ラインはすべて70% (700/1000点)です。
AZ-900が一番点数低かった。謎にDP-900だけ9割取れてた。

試験 受験日 点数
Microsoft Azure Fundamentals(AZ-900) 2021/4/30 745
Power Platform Fundamentals (PL-900) 2022/2/12 793
Azure AI Fundamentals (AI-900) 2022/2/26 880
Security, Compliance, and Identity Fundamentals (SC-900) 2022/3/19 828
Azure Data Fundamentals (DP-900) 2022/4/16 921

 

勉強方法

AZ-900以外は勉強時間は3~4日くらい。1日1時間も勉強してないと思う。
それくらい超簡単試験なのでわざわざ記事にするのを躊躇しています…。

AZ-900の勉強方法はここに書きました。

AZ-900以外の勉強内容。
まずは試験を申し込む。とにかく試験を申し込まないと重い腰があがらないタイプなので、申込試験を突破することが大事。

次に、あまり堂々と言えたものではないけれどexamtopics を使って暗記する。
無料で解ける範囲の問題を合計4周くらいやる。試験の3~4日前くらいから勉強始めて、1日1回1周する。
英文での問題しかないけどGoogle 翻訳を使えば何の問題もないです。
正答率は9~10割くらいの精度にしておく。当日は全然知らない問題も出てくるので、合格ラインの7割より上の点数を取れるようにしておいたほうが無難。

何回も間違えるところはMicrosoft Learn(上記概要のリンク先)を使ってイメージを掴む。
それだけ。

個人的には、AZ-900から勉強したほうがいいように思う。
というのも、ほかの4つの試験でもAzureのRBACやポリシーに関する問題や、BLOBやFile等を使うためにはまずストレージアカウントが必要だよね、みたいな前提の問題が結構出題されたため。


結局まだ受験してないけど、Microsoft Azure Administrator (AZ-104)というAZ-900のひとつ上(?)のランクの試験の勉強もしていたので、そういった知識も活用されていたような感じがする。
AZ-900がAWSのCloud Practitionerなら、AZ-104はAWS Solutions Architect Associateなイメージをしている。

 

最後に


パン屋さんに行くというのがメインの目的ではあったけれど、それとは別に、尊敬している方がバリバリ子育てしている中で、キャリアチェンジをする形でMSに転職して色々試験を受けているのを見て少し刺激されたというのもあり、また、私自身も転職して新しい会社で落ち着いてきたこともあり、人生の暇つぶしとしてやっていた取り組みの一つでした。

 

 

また人生の暇つぶしを探さなくてはならない…。
おすすめ暇つぶし情報をお待ちしています。

嬉しいはずなのに つらい

 

これまでパートナーから「おれはそんなことで傷つかない」「おれそんなに悪いことした?」と散々言われてきたけれど、そういった発言が精神的な暴力にあたること、他人の悲しみや傷つきをそういった言葉で軽んじることは二重の加害であることをようやくパートナー自身が気づいてくれた、ということをこの前書いた。

 

 

この記事では省略していたけれど、「お前の米は古いから虫が湧いていると思う」と言われたときに、併せて「今までおまえが作ってきたご飯はおいしくなかった」「おまえはおいしくしようとする努力をしていない」と言われていた。

 

今日書くのは、加害性に気づいたパートナーが話を聞いてくれ寄り添ってくれるようになって嬉しいはずなのに、過去のパートナーによる暴力的な発言は私の心に刺さったままなので、感情がグチャグチャになってつらい、という話です。

 

✳︎✳︎✳︎

 

私はこれまでパートナーのためにご飯を作ってあげたい、という感情をずっと持っていて、でも、パートナーは「頼まれてないのに勝手に飯を作って食べてほしいと相手に期待するのは傲慢であり、『食べる?』と聞いたときに『要らない』と言われてもおれは全然傷つかない」と言うので、作ってあげたいなあ、おいしいと言ってもらいたいなあと思いながらも、要らないと言われるのが怖くて、ほとんどパートナーに対してご飯は作らないようにしてきた。

 

パートナーは『要らない』と言われても傷つかないタイプの人間なので、「『要らない』と言われるのが怖い」という感情は持ち合わせていない。そういう怖さや躊躇いを感じないで無邪気に料理を作るパートナーを、私は羨ましく思っていた。

 

このあと、「今までおまえが作ってきたご飯はおいしくなかった」「おまえはおいしくしようとする努力をしていない」と言われたことによって、パートナーに食べてもらうかどうかに関わらず、料理をするたびにこの発言を思い出し、つらくなるようになってしまった。

 

先に書いたように、パートナーはこれまで精神的な暴力を振るってきたということや、二重の加害をしてきたことにようやく気づいてくれて、そのこと自身は本当によかったと思っている。

最近のパートナーは私の話を聞いてくれ、寄り添ってくれるようになった。優しく接してくれるようになった。つらさを受け止めてくれるようになった。

 

今日は、ガパオライス、かぼちゃのサラダ、きゅうりの浅漬け、大葉とミョウガしらすの味噌和えを作っていて、料理ができたときには、いい匂いだねえ、おいしそうだねえとパートナーに言われた。

 

「今までおまえが作ってきたご飯はおいしくなかった」

「おまえはおいしくしようとする努力をしていない」

 

作っているときには過去の発言を思い出してつらくなっていて、私がどんなにおいしくなるよう努力をしていても、私自身おいしいと思って食べていても、他人にとっては努力をしていないことになるし、結果としておいしくないものができあがる。

 

そんな他人の評価など、パートナーの感覚などどうでもいい、私がおいしいと思えばそれでいいじゃないかと頭では分かっているのに、

 

いい匂いだねえ、おいしそうだねえとパートナーに言われたとき、頼むから料理を見ないで、と思った。

恥ずかしくて、惨めな気持ちだった。

 

別にパートナーは気を遣っていい匂いだねえ、おいしそうだねえと言ったわけじゃない。

 

だからこそ恥ずかしくて惨めな気持ちになる。

 

おいしくないとパートナーが言ったことは事実で、いい匂いだなあと言ってくれたことも事実。

いい匂いでおいしそうであっても、おいしくない、ということは全く矛盾なく両立する。

 

結局自分の気持ちの問題でしかない。

 

あんなに話を聞いてほしい、寄り添ってほしいと、喉から手が出るほど切望していたはずなのに、いざ話を聞いてくれ、寄り添ってくれるようになると、感情がグチャグチャになってしまう。

 

今までだったら「おれそんな悪いことした?」「同じことされてもおれは傷つかない」と言われ続け、どんなに言葉を尽くしても届かなかった思いが、今は届いてしまう。

話を聞いてくれている、寄り添ってくれている。

 

結局自分の気持ちの問題でしかない。

 

私の料理に対して気を遣ってコメントをしてほしいわけでも、コメントを控えてほしいわけでも、料理を見てほしいわけでも見てほしくないけでもない。好きにしてくれて構わない。

 

ただ、過去にパートナーに言われた言葉をまだうまく自分の中で昇華できていなくて、優しくなったパートナーの態度も受け入れる方法がよく分かっていない。

 

急に優しくされるとどうすればいいのか分からなくて困る。どう処理したらいいのか分からない。どうすれば恥ずかしくて惨めな気持ちにならなくて済むのか、パートナーの過去の暴力的な発言と、今の話を聞いてくれる姿勢の折り合いをどうつければいいのか分からない。

つらい。嬉しいはずなのにつらい。