結婚して一年半、たびたびパートナーと喧嘩をしてきた。
いつもね、私が悲しかったつらかったって話すと、「おれはそんなことで傷つかない」「おれそんなに悪いことした?」「それが何なの?」って言われて、感情的に泣いたりしてしまうと「感情的にならないで」って言われるの、それが本当につらい
— 赤埜よなか (@_ynk) 2022年3月1日
「おれそんなに悪いことした?」
「なんでそんな些細なことで怒るの?」
「おれは同じことされてもそんなことでは傷つかない」
いつも言われる。この言葉にすごく傷ついてしまう自分がいる。傷ついたり悲しかったりした出来事そのものよりも、この私のつらさを軽視するような言葉にとてつもなく傷ついてしまう。
これまで何度もつらさや悲しみ、痛みに寄り添ってほしい、共感してほしい、と話しても理解してくれなかった。私がつらさを話すと「おれだってつらい!」と言ってきて、私のつらさに彼のつらさをぶつけてチャラにしようとしてきた。
つらさにつらさをぶつけてもチャラにはならないんだよ。
共感することと同感は違うんだよ、とAlan-sanとSakura-sanの動画を見せてもあまり響かなかった。
このまえも些細なことで喧嘩をした。
昨日はパートナーに「お前の米は古いから虫が沸いてると思う」って言われて言葉が強すぎて寝込みました 私はこれからも虫が沸いた米を食べます…
— 赤埜よなか (@_ynk) 2022年2月26日
なんでそんな言い方するの???と思って泣いちゃった
— 赤埜よなか (@_ynk) 2022年2月26日
今まで作ってきたご飯もおいしくなかったと言われたので なんか彼に料理を作っておいしいと言ってもらいたいという欲望にも諦めがついたし、私だけが食べるご飯を作っていても口出しされて傷つくので彼がいるときには料理はしない……そうやって自衛・自傷するほうが楽なので………
— 赤埜よなか (@_ynk) 2022年2月26日
話の流れで(?)、なぜか「お前の米は古いから虫が湧いていると思う」と言われた。
※パートナーと私それぞれのお米があるため、"お前の米"という表現をしています。
私はこれまでパートナーのためにご飯を作ってもらいたい、という感情をずっと持っていて、でも、パートナーは「頼まれてないのに勝手に飯を作って食べてほしいと相手に期待するのは傲慢であり、『食べる?』と聞いたときに『要らない』と言われてもおれは全然傷つかない」と言うので、作ってあげたいなあ、おいしいと言ってもらいたいなあと思いながらも、要らないと言われるのが怖くて、ほとんどパートナーに対してご飯は作らないようにしてきた。
一方で、パートナーは私にご飯を作ってくれることがあり、私は断らずに食べるし、おいしいと言うようにしてきた(事実おいしかった)。
「本音で話そう」って聞こえは良いけど、相手を傷つけると分かっていながら拳を振りあげるわけだから、てめえも傷つく覚悟しろよなってなっちゃうナ…
— 赤埜よなか (@_ynk) 2022年2月28日
「本音で話そう!お前の米は古いから虫が沸いてると思う」「ここにある米を見てください 事実誤認なので謝って」「思ってしまったんだから仕方ない 思うことさえダメなわけ?」「思うことと言うことは違う」「本音で話そう」「本音で話すという体裁で、相手が傷つくと分かっていながら発言してるだろ」
— 赤埜よなか (@_ynk) 2022年2月28日
今まで私が作ってきたご飯はおいしくなかったと言われたのはショックだけど、仕方がないことだと思った。私に料理の腕が無いのがいけないのだから仕方がない。
ただ、「お前の米は古いから虫が湧いていると思う」と言ってくるようなひとにご飯など作りたくない。「作ってあげたいなあ、おいしいと言ってもらいたいなあ」という感情から、「もうあなたにご飯は作りたくない」という感情に変わった。
不安よりも不幸を選ぶ(不安に耐えるくらいならいっそ不幸に身を置いた方が楽)というの、体感としてよく分かる
— 赤埜よなか (@_ynk) 2022年2月26日
泣きながら布団に潜り込み、聞いていたラジオでこの言葉を聞いて、ああ分かるなあ~と思った。私は一人で生きていく能力も財力もあるのになんでパートナーとの結婚生活をずっと続けているのだろう。何度も何度も同じような喧嘩をして、何度も何度も「おれそんなに悪いことした?」「おれはそんなことで傷つかない」と言われてきて、それでも結婚生活を続ける意味ってなんだろう。結婚というステータスがなくなること、一人身になる寂しさ。そういう不安に耐えられないから、不幸を選んでいる。選び続けている。
そして、「そんなこと言われたらもう何も言えなくなっちゃうよ」というマイクロアグレッション的な物言い(言葉としては差別に関する用語らしい)も結構つらい。
一回目の話し合いのとき、「言わないと気づかない、いちいち言わなければ、気づいてもらえないことにうんざりしている」といった話をした。
例えば、レストランに行って「こちらへどうぞ」と店員さんに促されても彼は気づかずに、案内されたところとは全く別の席に座ったりする。(店員さんは困り、私は代わりに謝っている)
パン屋さんに行って「袋詰めしましょうか?」とレジで声をかけられたのを断り、トレイを持ってそのままどこかへ行こうとし、店員さんから「ここで詰めてください」と言われたりすること。
そういうことの積み重ねがつらいのだと話したら、「それが何なの?」と言われてびっくりした。店員さんを困らせたくないし、私だって謝りたくないのですが……。
でも、パートナーにとっては、「店員に案内された席に絶対に座るべき」「袋詰めはレジでするのが普通、前の人もそのようにやっていたので言わずとも分かる、当然のこと」といったように、私が「~~するべき」、普通・当然、といったことに囚われているように見えるとのこと。
私が言いたかったのは、そういうことじゃなくて、あなたの代わりに謝ってつらい、だからそのつらさに寄り添ってほしい、という話だったのに、いつの間にか「それが何なの?」と言われていた。「おれがそんなことに気づいてないんだったら、おれは記憶障害だよ!」とも言われた、が、人間には往々にして気づかないことだってあるだろう。だから、気づかないことは仕方がないけど、代わりに謝ってることを知っておいてね、というただそれだけを言いたかった。察してほしいわけじゃなくて、こちらがいちいち言わなきゃいけないのが結構しんどいのだということを知っておいてほしかった。
言葉が届かない絶望を感じる。
「もうおれのこと嫌になっちゃったんだろ?」「なんでしんどいと感じる相手と結婚したのか理解できない」「そんなに泣いて悲しいと言うなら一緒にいてつらいだけじゃん、一緒にいるメリットって何なの?」と言われるのですが、周りは早く逃げてって思ってるし 私も自覚してるけど足が動かない
— 赤埜よなか (@_ynk) 2022年3月1日
「おれは離婚したいと思ってないけど、離婚したほうが相手のためになるんじゃないかと思うときがある」と言われて、これは進研ゼミで学んだやつだ!となりました。悪気があるわけではなく、目の前で妻が苦しんでるその原因を排除しようとして言った発言なのだと頭では理解する、ただただ悲しいだけで pic.twitter.com/0KDv0LSdww
— 赤埜よなか (@_ynk) 2022年1月3日
前のツイートだけど、本当に 悪意があるわけじゃなくて むしろ優しさから 目の前の問題を解決しようとして「別れたほうがいいのでは」って言ってくるんだよね そうじゃなくてただ感情に寄り添ってくれるだけでいいのに つらさを除去しようとしてくるのがキツい
— 赤埜よなか (@_ynk) 2022年3月1日
私が何でもかんでも傷つきすぎ、流行りの言葉でいうならHSPとでもいうのだろうか。私がモラハラ気質なだけなのだろうか。弱者仕草をかましている繊細チンピラなのだろうか。機能不全家庭で育ったアダルトチルドレンだからいけないのだろうか。
パートナーは、怒鳴ったり興奮しているときや頭の整理がついていないときはひどい言葉も言うけれど、基本的には言えば分かってくれる人間なのだ。そして、私のつらさが分からないなりに、つらさを取り除こうと「別れたほうがいいのでは」と言ってくる。悪意がないことは分かっているし、むしろ優しさからそういう発言になるのだろうということも分かっている。
でも、私はパートナーと一緒に生きていきたい。日々を過ごしていきたい。
仲良くしたいだけなのになんでこうも喧嘩ばっかり起きてしまうのだろう。
あるとき、えいなかさんという方が書いたこの記事を読んだ。
尊敬するだいすきな方がこの記事をシェアしていたことがきっかけで読んだ。
「おれはそんなことで傷つかない」「おれそんなに悪いことした?」と言われることで悲しんだり、怒ったりするのは自然なこと。
つらいことが起きるだけでもつらいのに、そのあとで 「おれそんなに悪いことした?」とつらさを軽視・矮小化されることでさらにつらくなる。つまり二回つらい思いをしているということ。
人は、悪意なく人を傷つけてしまうことがあります。だからこそ、「相手の傷つきから学ぶ」ことで、相手とより良い関係を築いていくきっかけにすることができます。
しかし加害者は「感情的になられても困る」と、相手の感じ方が過剰だという姿勢でこの出来事を捉えています。しかしパートナーの「傷つき」はすでにそこにあるのであって「感情的である」「過剰だ」と考える意味が、ーー少なくともこの2者が愛し合う関係を持ちたいのであればーーありません。
パートナーが悲しんだり怒ったりしているのに「大したことじゃない」「感情的すぎる」と捉えていませんか?
大切な人が悲しんでいることをそのように軽んじるのは、その人の心に深い傷を付ける二重の加害です。パートナーの悲しみや傷つきを目にしたときに、「この人はどうしてこんなに怒っているのだろう」と目の前の事実について考えることがケアの始まりです。今からでも、いつからでも、愛することは始められます。
この記事をパートナーにLINEで送ったら、「自分に当てはまることが多いのでもっとよく読んでみるね」と返信が来て、それだけでも救われる思いになった。
つらいことが起きるのは仕方がないし、私も無自覚に他人を傷つけてしまうことはあるけど、でも、そのときに「つらい思いをさせてごめん」「気づかなくてごめん」と言える人間でありたい。言えないまま、自分のことだけを考えて「私はそんなことでは傷つかない、大したことない」と言ってはさらに他人を傷つける加害者になってしまう。
二回目の話し合いをした。
最終的には、私の古いお米は捨てて、お米を使いたいときにはパートナーのお米を使わせてもらう、ということで「お前の米は古いから虫が湧いていると思う」の件については話が収まった。
そして、パートナー自身が、「おれの価値観を相手に押し付けて精神的に暴力を振るっていた」と言ってくれて、本当に、やっと、やっと伝わったんだな、と思った。
例の日刊SPA!のえいなかさんの記事を読んで、やっと、やっとやっとやっと、「"おれそんな悪いことした?""そんなことでおれは傷つかない"って おれの価値観を相手に押し付けて精神的に暴力を振るっていた」とやっと気づいてくれて、号泣してる
— 赤埜よなか (@_ynk) 2022年3月4日
誰でも間違えるし失敗するし無自覚に他人を傷つけるけど、そのあと「おれそんな悪いことした?」「そんなことでおれは傷つかない」って言われるのが本当に本当につらくて、だからつらさは理解できないでいいから寄り添ってほしい、共感してほしいと何度も何度も言ってきたけど全然伝わらなくて
— 赤埜よなか (@_ynk) 2022年3月4日
ただ、今回自分の押しつけや暴力に気づいたからといって、いきなり押しつけや暴力をやめられるわけではないと思うから、押しつけてしまったとき、暴力を振るってしまったとき、後からでもいいから今回みたいに気づいてくれれば嬉しい、今回気づけてよかったね(遅すぎるだろうがよ)と伝えました
— 赤埜よなか (@_ynk) 2022年3月4日
でも今の私の感動に包まれたツイートのように人生はうまくいくわけないことも分かっており、また繰り返し傷ついて泣いて私の痛みを軽んじられて心がおしまいになるであろうこともまあ分かってはいる
— 赤埜よなか (@_ynk) 2022年3月4日
「おれはそんなことで傷つかない」「おれそんなに悪いことした?」発言の根幹には、『男ならそんな些細なことで傷つかない、それがかっこいい』と刷り込まれてきた、全部が全部その刷り込みを理由にするわけではないけど そうやって痛みを感じないようになってきた、と言ってて、そうなんだ〜と思った
— 赤埜よなか (@_ynk) 2022年3月4日
「そんな些細なことで泣くの?」と思うのは自由、だけど「おれはそんなことで傷つかない(だからおまえも傷つくな)」「おれそんな悪いことした?(してないんだから勝手に傷ついておれを責めるのは理不尽だろ)」と押しつけるのは違うよね、って本人が言葉の文脈 言外の意味まで自覚しててよかったです
— 赤埜よなか (@_ynk) 2022年3月4日
結構いろいろ驚いた あんなに言っても通じなかったのに ちゃんと自分で気づけたんだな〜って(この発言にある程度の見下しのニュアンスが含まれてるのも分かってはいます)
— 赤埜よなか (@_ynk) 2022年3月4日
人に夫婦喧嘩の話をすると いつも周りは自分の味方をして慰めてくれる。それでおれは間違ってないんだって安心しちゃう。誰もおれの悪い部分を指摘してくれない。「そりゃ彼女が気にしすぎだね〜」と肯定してもらえてしまう、とパートナーが言ってて、
— 赤埜よなか (@_ynk) 2022年3月4日
味方がいるのはありがたい一方で、ヨシヨシされる分だけ自分の目を曇らせることもあるよね と私も気づかされました。私の視点からしか話してないんだからそりゃみんな味方になってくれるよね
— 赤埜よなか (@_ynk) 2022年3月4日
えいなかさんの記事がなかったら、🕊さんがシェアしてくれなかったら、パートナーは気づいてくれなかっただろうなと思う。
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3/12(土)の話。
パートナーが出かけるというので玄関で見送ろうとしたら、パートナーがBluetoothイヤホンを耳につけていて、それを見て私は悲しくなってしまった。Bluetoothイヤホンは、前々からパートナーが欲しいと言っていて、このまえのクリスマスにプレゼントであげたもの。
彼は以前から仕事から帰ってきたときもイヤホンをつけていて、「おかえり~」と私が迎えたときもイヤホンをつけていることには気づいていた。でもそれは仕事の荷物やお買い物をしてきたことで両手が塞がっているなどでイヤホンを外すタイミングがなかったのかなと思っていたからそこまで気にならなかった。
試しに「イヤホンつけてるのしょんぼりする」と言ってみたけれど、「音楽聞いてないよ?(聞こえてるよの意)」と返されてさらにしょんぼりした。
以前も同じようなことを伝えてみたけれど、「おまえがプレゼントしてくれたんじゃん」と言われて、ああ、私がプレゼントしたのがいけなかったのかと思い込んでつらさを流した。パートナーが欲しいと言うから、喜ぶと思ってプレゼントしたけれど、こんなことを言われるということはプレゼントした私がいけなかったのだ、だから仕方がなかったんだ、と諦めた。
それぞれの時間を過ごしているときは別にイヤホンつけていいんだよ。でも、一緒にいるときは、音楽を聞いている・聞いていない、外の音が聞こえる・聞こえないの問題ではなく、イヤホンをつけていることで疎外感を感じること、シャットアウトされているように感じること、話を聞く気がないように感じるし、私はいつも家に入る前にイヤホンを外しているんだよ。ということを話したら、「そうだったのか、気づかなくてごめんね」と言われた。これは、本当にすごいことで、なんかもうそれだけでもメチャクチャ泣いた。
悲しみを受け取ってもらえるだけでこんなに楽なのか。「おれはそんなことで傷つかない」「おれそんなに悪いことした?」と言われないだけで、こんなにも楽なのか。
これまでのパートナーであれば「聞こえてるよ?」「おまえがプレゼントしてくれたんじゃん」「そんなことでおれは傷つかない」「おまえだってスマホをいじってておれだってつらい」と言っていたと思う。でも、今回は違った。ちゃんと、つらさや悲しみを受け取ってくれた。軽視しないで、私の声を聞いてくれた。
別に改善を強制・強要したいわけじゃなくて、イヤホンを絶対につけるなと言ってるわけじゃなくて、ただ、私が疎外感を感じてつらかったと泣きながら話したときに「感情的にならないで」と言われずに話を聞いてもらえたことが、本当に嬉しかった。怖くなかった。今までみたいな二回目のつらさがなかった。やっと、初めて、このつらさがない。
やっと、一歩前進した気がする。
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