私のつらさを「大したことない」と軽視しないで

結婚して一年半、たびたびパートナーと喧嘩をしてきた。

 

 

「おれそんなに悪いことした?」

「なんでそんな些細なことで怒るの?」

「おれは同じことされてもそんなことでは傷つかない」

 

いつも言われる。この言葉にすごく傷ついてしまう自分がいる。傷ついたり悲しかったりした出来事そのものよりも、この私のつらさを軽視するような言葉にとてつもなく傷ついてしまう。

 

これまで何度もつらさや悲しみ、痛みに寄り添ってほしい、共感してほしい、と話しても理解してくれなかった。私がつらさを話すと「おれだってつらい!」と言ってきて、私のつらさに彼のつらさをぶつけてチャラにしようとしてきた。

 

つらさにつらさをぶつけてもチャラにはならないんだよ。

共感することと同感は違うんだよ、とAlan-sanとSakura-sanの動画を見せてもあまり響かなかった。

 


www.youtube.com

 

このまえも些細なことで喧嘩をした。

 

 

話の流れで(?)、なぜか「お前の米は古いから虫が湧いていると思う」と言われた。

※パートナーと私それぞれのお米があるため、"お前の米"という表現をしています。

 

私はこれまでパートナーのためにご飯を作ってもらいたい、という感情をずっと持っていて、でも、パートナーは「頼まれてないのに勝手に飯を作って食べてほしいと相手に期待するのは傲慢であり、『食べる?』と聞いたときに『要らない』と言われてもおれは全然傷つかない」と言うので、作ってあげたいなあ、おいしいと言ってもらいたいなあと思いながらも、要らないと言われるのが怖くて、ほとんどパートナーに対してご飯は作らないようにしてきた。

 

一方で、パートナーは私にご飯を作ってくれることがあり、私は断らずに食べるし、おいしいと言うようにしてきた(事実おいしかった)。

 

 

今まで私が作ってきたご飯はおいしくなかったと言われたのはショックだけど、仕方がないことだと思った。私に料理の腕が無いのがいけないのだから仕方がない。

ただ、「お前の米は古いから虫が湧いていると思う」と言ってくるようなひとにご飯など作りたくない。「作ってあげたいなあ、おいしいと言ってもらいたいなあ」という感情から、「もうあなたにご飯は作りたくない」という感情に変わった。

 

 

泣きながら布団に潜り込み、聞いていたラジオでこの言葉を聞いて、ああ分かるなあ~と思った。私は一人で生きていく能力も財力もあるのになんでパートナーとの結婚生活をずっと続けているのだろう。何度も何度も同じような喧嘩をして、何度も何度も「おれそんなに悪いことした?」「おれはそんなことで傷つかない」と言われてきて、それでも結婚生活を続ける意味ってなんだろう。結婚というステータスがなくなること、一人身になる寂しさ。そういう不安に耐えられないから、不幸を選んでいる。選び続けている。

 

そして、「そんなこと言われたらもう何も言えなくなっちゃうよ」というマイクロアグレッション的な物言い(言葉としては差別に関する用語らしい)も結構つらい。

 

一回目の話し合いのとき、「言わないと気づかない、いちいち言わなければ、気づいてもらえないことにうんざりしている」といった話をした。

例えば、レストランに行って「こちらへどうぞ」と店員さんに促されても彼は気づかずに、案内されたところとは全く別の席に座ったりする。(店員さんは困り、私は代わりに謝っている)

パン屋さんに行って「袋詰めしましょうか?」とレジで声をかけられたのを断り、トレイを持ってそのままどこかへ行こうとし、店員さんから「ここで詰めてください」と言われたりすること。

そういうことの積み重ねがつらいのだと話したら、「それが何なの?」と言われてびっくりした。店員さんを困らせたくないし、私だって謝りたくないのですが……。

でも、パートナーにとっては、「店員に案内された席に絶対に座るべき」「袋詰めはレジでするのが普通、前の人もそのようにやっていたので言わずとも分かる、当然のこと」といったように、私が「~~するべき」、普通・当然、といったことに囚われているように見えるとのこと。

 

私が言いたかったのは、そういうことじゃなくて、あなたの代わりに謝ってつらい、だからそのつらさに寄り添ってほしい、という話だったのに、いつの間にか「それが何なの?」と言われていた。「おれがそんなことに気づいてないんだったら、おれは記憶障害だよ!」とも言われた、が、人間には往々にして気づかないことだってあるだろう。だから、気づかないことは仕方がないけど、代わりに謝ってることを知っておいてね、というただそれだけを言いたかった。察してほしいわけじゃなくて、こちらがいちいち言わなきゃいけないのが結構しんどいのだということを知っておいてほしかった。

 

言葉が届かない絶望を感じる。

 

 

私が何でもかんでも傷つきすぎ、流行りの言葉でいうならHSPとでもいうのだろうか。私がモラハラ気質なだけなのだろうか。弱者仕草をかましている繊細チンピラなのだろうか。機能不全家庭で育ったアダルトチルドレンだからいけないのだろうか。

 

パートナーは、怒鳴ったり興奮しているときや頭の整理がついていないときはひどい言葉も言うけれど、基本的には言えば分かってくれる人間なのだ。そして、私のつらさが分からないなりに、つらさを取り除こうと「別れたほうがいいのでは」と言ってくる。悪意がないことは分かっているし、むしろ優しさからそういう発言になるのだろうということも分かっている。

 

でも、私はパートナーと一緒に生きていきたい。日々を過ごしていきたい。

仲良くしたいだけなのになんでこうも喧嘩ばっかり起きてしまうのだろう。

 

 

nikkan-spa.jp

 

あるとき、えいなかさんという方が書いたこの記事を読んだ。

尊敬するだいすきな方がこの記事をシェアしていたことがきっかけで読んだ。

 

「おれはそんなことで傷つかない」「おれそんなに悪いことした?」と言われることで悲しんだり、怒ったりするのは自然なこと。

つらいことが起きるだけでもつらいのに、そのあとで 「おれそんなに悪いことした?」とつらさを軽視・矮小化されることでさらにつらくなる。つまり二回つらい思いをしているということ。

 

 人は、悪意なく人を傷つけてしまうことがあります。だからこそ、「相手の傷つきから学ぶ」ことで、相手とより良い関係を築いていくきっかけにすることができます。

 

 しかし加害者は「感情的になられても困る」と、相手の感じ方が過剰だという姿勢でこの出来事を捉えています。しかしパートナーの「傷つき」はすでにそこにあるのであって「感情的である」「過剰だ」と考える意味が、ーー少なくともこの2者が愛し合う関係を持ちたいのであればーーありません。

 

 パートナーが悲しんだり怒ったりしているのに「大したことじゃない」「感情的すぎる」と捉えていませんか?

 大切な人が悲しんでいることをそのように軽んじるのは、その人の心に深い傷を付ける二重の加害です。パートナーの悲しみや傷つきを目にしたときに、「この人はどうしてこんなに怒っているのだろう」と目の前の事実について考えることがケアの始まりです。今からでも、いつからでも、愛することは始められます。

 

この記事をパートナーにLINEで送ったら、「自分に当てはまることが多いのでもっとよく読んでみるね」と返信が来て、それだけでも救われる思いになった。

 

つらいことが起きるのは仕方がないし、私も無自覚に他人を傷つけてしまうことはあるけど、でも、そのときに「つらい思いをさせてごめん」「気づかなくてごめん」と言える人間でありたい。言えないまま、自分のことだけを考えて「私はそんなことでは傷つかない、大したことない」と言ってはさらに他人を傷つける加害者になってしまう。

 

二回目の話し合いをした。

最終的には、私の古いお米は捨てて、お米を使いたいときにはパートナーのお米を使わせてもらう、ということで「お前の米は古いから虫が湧いていると思う」の件については話が収まった。

そして、パートナー自身が、「おれの価値観を相手に押し付けて精神的に暴力を振るっていた」と言ってくれて、本当に、やっと、やっと伝わったんだな、と思った。

 

 

 

えいなかさんの記事がなかったら、🕊さんがシェアしてくれなかったら、パートナーは気づいてくれなかっただろうなと思う。

 

 

***

 

3/12(土)の話。

 

パートナーが出かけるというので玄関で見送ろうとしたら、パートナーがBluetoothイヤホンを耳につけていて、それを見て私は悲しくなってしまった。Bluetoothイヤホンは、前々からパートナーが欲しいと言っていて、このまえのクリスマスにプレゼントであげたもの。

 

彼は以前から仕事から帰ってきたときもイヤホンをつけていて、「おかえり~」と私が迎えたときもイヤホンをつけていることには気づいていた。でもそれは仕事の荷物やお買い物をしてきたことで両手が塞がっているなどでイヤホンを外すタイミングがなかったのかなと思っていたからそこまで気にならなかった。

 

試しに「イヤホンつけてるのしょんぼりする」と言ってみたけれど、「音楽聞いてないよ?(聞こえてるよの意)」と返されてさらにしょんぼりした。

 

以前も同じようなことを伝えてみたけれど、「おまえがプレゼントしてくれたんじゃん」と言われて、ああ、私がプレゼントしたのがいけなかったのかと思い込んでつらさを流した。パートナーが欲しいと言うから、喜ぶと思ってプレゼントしたけれど、こんなことを言われるということはプレゼントした私がいけなかったのだ、だから仕方がなかったんだ、と諦めた。

 

それぞれの時間を過ごしているときは別にイヤホンつけていいんだよ。でも、一緒にいるときは、音楽を聞いている・聞いていない、外の音が聞こえる・聞こえないの問題ではなく、イヤホンをつけていることで疎外感を感じること、シャットアウトされているように感じること、話を聞く気がないように感じるし、私はいつも家に入る前にイヤホンを外しているんだよ。ということを話したら、「そうだったのか、気づかなくてごめんね」と言われた。これは、本当にすごいことで、なんかもうそれだけでもメチャクチャ泣いた。

悲しみを受け取ってもらえるだけでこんなに楽なのか。「おれはそんなことで傷つかない」「おれそんなに悪いことした?」と言われないだけで、こんなにも楽なのか。

 

これまでのパートナーであれば「聞こえてるよ?」「おまえがプレゼントしてくれたんじゃん」「そんなことでおれは傷つかない」「おまえだってスマホをいじってておれだってつらい」と言っていたと思う。でも、今回は違った。ちゃんと、つらさや悲しみを受け取ってくれた。軽視しないで、私の声を聞いてくれた。

 

別に改善を強制・強要したいわけじゃなくて、イヤホンを絶対につけるなと言ってるわけじゃなくて、ただ、私が疎外感を感じてつらかったと泣きながら話したときに「感情的にならないで」と言われずに話を聞いてもらえたことが、本当に嬉しかった。怖くなかった。今までみたいな二回目のつらさがなかった。やっと、初めて、このつらさがない。

やっと、一歩前進した気がする。

 

 

・これまで書いたパートナーに関する記事


aknynk.hatenablog.com

aknynk.hatenablog.com

aknynk.hatenablog.com