お気に入りの喫茶店に行きたかった話。
去年のゴールデンウィークに久しぶりに車の運転をした。大学生のときに免許を取って、それ以来の運転だった。行き先は私の住んでいた街で、助手席にはパートナーに座ってもらい適宜フォローをしてもらった。
もともと私のお気に入りの喫茶店に行こうという話をしていた。彼も同意してくれていたし、久しぶりに喫茶店に行けることを楽しみにしていた。しかし、当日街についたらラーメン屋に行き商店街をひやかすのみで、お気に入りの喫茶店には行けなかった。
店の前を通り過ぎたときに、「あ、ここお気に入りの喫茶店だ」ってパートナーに言ったけれど、私たちはそのまま通り過ぎた。パートナーは単に喫茶店に行くという約束を忘れていた。私もパートナーに「あの喫茶店に行きたい」と強く言えなかった。
喫茶店は、まだ私がその街で一人暮らしをしているときによく通っていたお店で、パートナーと一緒に来たことがある。そして、私は喫茶店がお気に入りであることを何回か話していたし、大事にしていることは知っていると思っていた。しかし、私たちは喫茶店には行かなかった。
この話をパートナーにしたところ、「(そんなに行きたい店だったのなら)じゃあそのとき言えばいいじゃん」「俺そんなに悪いことしたかなあ?」「お前が、俺の大事にしてる店を忘れることは絶対にないんだな?」と言われた。これが今日(9/19)の第一声。
「私だって忘れることはある、そういうときはごめんねって言う」
「おれだってそうだよ」
「違うじゃん」
「あなたの第一声は、ごめんね、じゃなくて、『じゃあそのとき言えばいいじゃん』だよ」
ごめんね、よりも先に自分のことが一番に出る。それが本音。そのときに言わなかったお前が悪い、おれはそんなに悪いことはしていない。それが本音。
何を今更、去年のゴールデンウィークの話を蒸し返してるのか、と自分でも思う。そのときに言えなかった自分が悪いだろうと分かっている。だから今日まで我慢していた、我慢している気持ちもなかった、水に流せたつもりでいた、けど流せていなかった、とようやく気づく。
喫茶店に行けなかったのが悲しい、というより、私が初めて一人暮らしをした街の、大事にしている喫茶店のことをパートナーが覚えてくれていなかったこと、行こうという約束を忘れていたことが悲しかった。それに、「じゃあそのとき言えばいいじゃん」と言われてしまうことにも涙が出る。
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お気に入りのグラスを割られたときの話
去年の7月にグラスを買った。私はクリームソーダが大好きで、自宅でもクリームソーダを飲めたらなんて素敵だろうかという思いで買ったきれいなグラスだった。買う前は、Amazonやヨドバシ、その他グラスを取り扱う小さなECサイトや店頭を色々巡って買おうかどうしようか何度も何度も迷った。その末に買ったグラスだった。
今年の7月にグラスをパートナーが不注意で割ってしまった。一年の命だった。パートナーは謝ってくれたし、何よりパートナーに怪我がなくて本当によかったと思った。直近に聞いていたラジオで「食器が割れないと食器屋さんが儲からないから」と食器を割ってしまった子どもを叱らないでいたおばあちゃんのエピソードを聞いたから、グラスが割れてもまた新しいものを買えばいいと思った。
グラスを割ってしまったその日、私が仕事から帰るやいなやすぐさまパートナーはAmazonでグラスを探し始めた。「安いしこれがいいんじゃない?」と30分もしないで言ってきた。安さじゃない、と思ったけど言えなかった。安くてもいいものがあるはず、何よりパートナーが選んでくれたものだから、試しにそれを使ってみよう。そういう気持ちがあったから、お詫びとして、新しいものを買ってもらった、はずだった。あのときは納得していた。「これでいいんだ」と思って買ってもらった。決して「これがいい」とは思ってなかった。ベストではないけど、ベターだった。最初に自分で買ったあのグラスのほうが素敵だと思っていた。でも、同じグラスを買ったとしても、もうそれは別物で、割れてしまったグラスは戻らない。
「おれは安さで判断してないつもりだし、割ったその日に買わなくても一旦待ってほしいと言うなら待った」
と今日言われた。
私が最初のグラスを買うのにかかった時間は、少なくも二週間はかかったと思う。買おうと決めたあとも、本当に買ってしまっていいのだろうかと何度も悩んで「まだ買ってないの!?」とパートナーに言われたこともあった。パートナーは私がグラスを買うかどうか迷っていたことをちゃんと知っていたはず。
パートナーは、グラスを割った罪悪感から早く逃れたいというように、30分で決めた。しかもAmazonでしか探してない、他のどこのお店も見てない、Amazonでしか探していないところが無性に悲しかった。私のほしいものは必ずしもAmazonにあるわけじゃないのに。私が最初に買ったグラスはこれだよ、ってメーカーと品番も言ったのに。パートナーだって私がどれだけ悩んで買ったものだったか知っているはずなのに、それなのに。
自分が楽になりたいだけだったの?
あのときだって納得して買ってもらったつもりだった。自分の中でモヤモヤしたことではあったけど、もう水に流せたつもりだった。
でも痛みがぶり返して今日話してしまった。
「もう一回時間をかけて新しい納得のいくものを買おう。そんな思いをさせてるって知って、おれだっていやだから」
「安直なもので済まされた、って過去は変わらないの、新しいのを買って、楽になりたいだけでしょ」
「そうだよ、自己満足だよ」
「そういうのはいらないの、あのときちゃんと言えばよかったのに、言えなかったっていう気持ちを抱えて生きていくの」
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新しいヘアクリップがほしい話
旅行先で温泉に入る際、ヘアクリップで髪をまとめることがある。今まで使っていたヘアクリップは、大学生のとき新横浜のホテルでアメニティとしてもらったヘアクリップで、特にお気に入りでもなんでもないが、ただ在るので使っていた。それがこのまえ壊れた。クリップのプラスチック部分が割れて、金属バネの部分が取れてしまった。
新しいものを買おうと、食事のついでにパートナーと駅ビルに行った。私は「駅ビルのアクセサリー屋さんや3COINSを見たい」と言ったと記憶しているが、パートナーは3COINSにしか行ってくれなかった。私は、安くなくても、欲しいものを買いたい。そりゃあ安く、すぐ決められたらいいと思うけど、そういうことができない。本当に欲しいのか悩んだ末に物を買う。なんというか、パートナーは、何か欲しい物があったときにとりあえず100均に行く習性がある。でも、今回の買い物は私が買うものだし、値段なんてどうでもいいと思っていた。
言えばいいじゃん、他のお店も見たいって言えばよかった。でも言えなかった。なぜか。過去のこと(喫茶店やグラスのこと)を突然思い出して悲しくなってしまったから。安いもので、適当なものでいいだろうとパートナーに思われているのかもしれないと考え始めたら、色々な気持ちに潰されそうになって言えなくなった。
帰り道、気まずくなって、「私は、安いものが欲しいんじゃなくて、欲しいものが欲しい」って言った。パートナーは「おれが3COINSに誘導したから嫌だった?それならそのとき言えばいいじゃん、今から行く?」「ケチくさくてごめんね」と言った。
ちょっと違った。
私の言いたいことは、ちょっと違った。