音楽を聴いて泣けるくらい

星野源さんの『うちで踊ろう (大晦日)』を聴くたびに泣いてしまう。

 

とんでもなく怖くて冷たい感情に触れる感じがして、もう自然と涙が出てしまう。

 

昨日、鍼灸の治療を受けてからぐっと身体が楽になり、視界が開けた感覚があった。感情が戻ってきた感じがした。身体がほどけて初めて、身体が硬直していたことに気づく。痛みがなくなって初めて、「私って痛いと感じてたんだ」とようやく気づく。つらくなくなって初めて、怒りがなくなって初めて、そうやって気づくことが往々にしてある。全然気づけない、自分のことなのに、分からない、何も。

 

転職のことや夫婦関係のことや勉強のことや将来のことや、言葉にできない諸々、自分では認識していない何か、よく分からないことがたくさんあって、無意識に姿勢が悪くなって視界も狭くなって身体が硬直して、寒くて布団から出られなくてエアコンの乾いた暖かさに慣れて、息がつまるのを全然自覚できてなった。

 

やっと呼吸がほどけた感じがする。昨日まではもしかして私は苦しかったのかも、たぶん、でもよく分からない。

 

久しぶりに音楽が染みる。音楽を聴いて涙が出るくらい、何かが戻ってきた感じがする。冷たく凍てついた朝の空気の中歩いていても結局何も変わらないんだろみたいな感じ、お風呂に入って温まったつもりでもすぐ冷めて何も変わってない感じ、今はちゃんと溶けた感じがする。染みる余地がある。

 

もううんざり、色々なことがうんざり、つらいも悲しいも死にたいも言葉としてはちょっと違う、いまいち当てはまってない部分がある、うんざり、本当に。

毎日楽しく暮らしてるつもりでもふとした瞬間に陰に射抜かれる瞬間があって、そのとき一瞬だけ死ぬ。一体毎日なんなんだよと思う、色々、全体的に、もうどうだっていいよと思う。

 

文章を書こうと思った、以前みたいに。外に出て散歩してみようとも思った、何かがほどけた今ならちゃんと感じられる気がするから。昨日まで何にも感じられてなかった、仕事をしていない間もずっと勉強したり、映画やPodcastを消費して、でもそこに何の意味もなくて、ただただ手持無沙汰に耐えられない、自分を顧みる暇も与えないくらい、動いていないと気が狂いそうになる。すべてを1.5倍速で消費しないといけない気になっている、全然そんなことないのに。1.5倍速で消費した結果見落としてきたもの、気づけなかったこと、今更振り返ったって分からないと思う。

 

これまでに何度も何度も、身体や感情が硬直してはほどけて、というのを繰り返している。いつの間にかおかしくなってしまう、気づけるようになれたらいいのに。

 

TikTokで、他人の子どもがトランプに負けて悔しくて泣いたり怒ったりしている様子を見て、私だ、と思う。大きな身体の大人に抱きしめられ撫でられながら「すき、しあわせ、いとしみ、いちばんだいすきだよ」と声を震わせながら涙を流す子ども。その光景自体とても愛しい。でも、それをインターネットのコンテンツとして配信されていることにすっと冷める自分もいる。「いっぱいだいすきだよ、いちばんだいすき」と撫でられ眠れたらなんて幸せなんだろう、子どもはほしくない、妊娠したくない、それでもかわいい。子どもがかわいいんじゃなくて、光景がかわいい、馬鹿みたいに、と思う。私だ、と思う。結局何も変わってない。

 

やっと泣けるまで戻ってこられてよかった。今日の日記おしまい。