人生の手綱を親に握られることについて

親元で暮らしていたときの私は、「やりたい!」と思ったことをやらせてもらっていたほうだと思う。学校の友人たちと比べると、ピアノ、水泳、ビーズといった習い事や、旅行や展示やイベントごとによく連れて行ってもらった。

 

今月19年目に突入するクラシックバレエだって、私の記憶にはないが私自身がやりたいと言ったから見学と体験レッスンに連れて行ってもらえた。それで今月24歳になる私は今も同じ先生のもとでバレエを習っている。

 

我ながらよく続いたなと思うし、これだけは自信を持って自慢できることの一つ。上手いかどうかはさておき、幼稚園生から社会人になるまで一度も長期的な休みを取ることなく継続的に踊り続けてきた。これからも身体が壊れるまで踊れたらいいなと思う。

 

ただ、子どものころの不満の一つは、"親を含む大人がお金をくれないこと"だった。

お年玉は親と祖母と叔母と近所のおじさん、合わせて4人からもらっていたが、年末年始に親の実家に帰るということはなく他の親戚からもらうことはなく、年明け早々の自分がいかにお年玉をもらったかというお年玉マウンティング大会には相当気分を悪くしたものだった。

 

夏休みや冬休みの長期休暇だって帰省などしないからお小遣いをもらうことはなかった。

日常的にお小遣いをもらい始めたのは高校生のころからで、5000円を毎月もらっていた。大学生のときは1万円。

 

話の本題とはズレるけど、大学4年生の3月にお小遣いとしてもらった1万円札を私は未だに使えないまま財布にしまっている。どうしてもこの1万円札が使えないのだ。同等の価値のある他の1万円札では意味がない、私が社会人になる前の、最後の3月に母親から手渡された1万円札を、どうしても手放すことができない。

 

母親が勝手に私の銀行口座からお金を抜いて使っていた事件が発覚したときも、「あなたなら許してくれると思った」と申し訳なさそうに言った母親に対して、「同じ額のお金を返せばいいっていう問題じゃない!この銀行口座には今はもう死んでしまった(母方の)おばあちゃんがくれたお年玉だって入っていたのに!貸してって言ってくれたら貸したかもしれないのにどうして貸しての一言が娘である私に言えないんだ」と激怒した記憶がある。今思い出しても泣けてくる。

 

もちろん銀行口座に預けている時点でATMから引き出したお金はポチ袋に入っていたときのように三つ折りの跡が入っているわけでもなんでもなく、ただ同等の価値があるお金がATMから吐き出されるだけなのだが、そうじゃなくて、私のお金を、土足で踏み込んで勝手に使って勝手に返すなと、そういう、なんていうか親も完璧ではないと理解したこと、理解させられたこと、キューブリックの『時計じかけのオレンジ』のように眼球を拘束されて目を背けられない状況下で強制的に理解させられたことが何よりつらいことだった。

 

本題に戻る

 

高校生のころにはもうアルバイトを始めて自分で使えるお金を手にしていたから少しは苦しい思いをせずに済み始めていたけれども、親による「◯◯しないとバレエ辞めさせるわよ!」という、あの脅迫がとても苦手だった。

脅迫。

 

勉強しないと、片付けしないと、早く寝ないと、いい子にしていないと、親の機嫌を取り損ねると、私はバレエを辞めさせられるんだという、その恐怖が本当に本当に嫌いだった。

 

子どものころは、親に自分の人生の手綱を握られていた。

 

経済的に自立していないから、親に頼るほかないのだ、小・中学生は働くことができないから。ああいう取引の仕方はフェアではないと思う。そんな言い方するなんて卑怯だと思う。

私が「◯◯してくれないなら自殺する」と言っても本気で取り合わないから余計に腹が立つ。

万が一、自分が親になるとしても絶対にこんな言い方はしたくないと思う。絶対に嫌だ。

 

今のバレエのスタジオにも、親からの脅迫で苦しんでいる子がいて、「模試で高得点を取らないと、成績がオールAでないと、バレエを辞めさせる」と言われて必死に勉強をしていて、頼むから早く時が過ぎて自分で稼げるような年齢になってくれと祈るほかない。

 

門限もあるから学校帰りに遊ぶこともできない、ゲームセンターもプリクラもコンビニもカフェもショッピングセンターのフードコートも何も知らない。何も知らないまま、ただひたすらに勉強に勤しんでいる。その間にバレエもやっている。

 

その子としては勉強なんかやりたくなくて、良い学校に入ることもさして興味はない、ただ私はバレエをやりたいと思っているらしいがそれを親が許さないという、そういう状況らしくて、見ていてつらい。それでも親の期待に応えようとしながら自分の好きなバレエを続けられるようひたむきに努力しているその姿が眩しくて仕方ない。彼女の人生に幸あれ。

 

対照的に、親からは学校に関するプレッシャーを受けずにのびのびと生活しているマイペースガールもスタジオにいる。

 

 

マイペースガールは最近おしゃれに目覚めたのか髪を染め、ピアスを開け、口紅を塗り、まつエクをつけ、ひたすら鏡とにらめっこをして、自分の今後の学校の成績なんかひとつも考えてないみたいな態度で、ブランドのロゴが入った偽物でもブランド品を持っている気分になれるお気楽な性格で、みんなから愛される。

 

スタジオの中でもとりわけ対照的な二人で、マイペースガールは「あんなにバレエ的な身体の条件が良くて、しかも頭が良くて本当に羨ましい」と言い、真面目ガールは「おしゃれができて、バイトができて、友達と自由に遊べる時間があって羨ましい、勉強はしたくない、親は嫌いだ」と涙ぐむ。

 

今日マイペースガールと会ったときに、「あの子はこんな頭の悪い私にも、親のことを話すときに涙ぐんでる」と言っていて心が締め付けられる思いだった。

勉強せずとも、脅迫をされずとも自分のやりたいことができる子はいいなと、羨ましく思ってるんだと思うと泣きそうになった。

 

「でも、こんな頭の悪い私ができるのは、あの子が普段買ってもらえないようなものをプレゼントするくらいしかできない」

 

そうやって笑っていたマイペースガールの姿が本当に眩しくて、全くタイプの異なる二人の関係性が見えて、今日話せてよかったなと思った。

 

今度誕生日だから普段買ってもらえないものをプレゼントをするのだと言っていた。親から没収されない程度の、彼女が喜ぶであろうプレゼントを考えるというその行為自体も尊くて、マイペースガールなかなかやるじゃんと見直してしまった。

みんなから愛される理由の一つはここにあるんだと思った。

 

人生の手綱を親に握られている子どもが、外で築く関係性によって救済されるパターンはたくさんあって、私だってバレエの先生のアドバイスのおかげで、高校生のときからレッスン代の全てを自分で払うことでバレエに関する口出しを一切禁止した。

「もうバレエに関するお金は自分で払うので、何も口出ししないでください、お金を払ってないのに口出しされる謂れはないから、今後一切何も言わないでほしい」と自分で手綱を断ち切ったことで今の自分がある。

 

周りの友人たちから救済されるパターンもあるし、もうそこは運と人間関係によるんだろうけど、親からの脅迫によって子どもの人生の選択肢が狭められることが、私は何よりも我慢ならないので、こうして長々と文章を書いたのでした。

 

今子どもを育てている人、まだ実家暮らしで親からの脅迫を受けている人、一人暮らし始めて物理的に親と距離が取れている人、色々いるんだろうけど、わりとそういうことで苦しんでいる子どもは近くにたくさんいるので、何か支えになってあげたいなと思うのでした。