坂元裕二 朗読劇2021 『忘れえぬ 忘れえぬ』を観劇した

私は嬉しかったり楽しかったり好きだなあと思ったり幸せだったりするときに、声がまるくなる。口角があがってるからか、口の形がまるくなって、喉からやわらかくてまるい感情が出てくる。うまく言葉で表現できないのだけれど、そういうまるい声は、甘ったるいような上擦ってるような猫撫で声のようななんというか自分で聞き返してみると気持ちの悪い発声の仕方をしているなと思う。そういうときがたまにある。

 

 

坂元裕二さんの朗読劇2021 『忘れえぬ 忘れえぬ』、4/21(水) 13:00の風間俊介さんと松岡茉優さんの回を観劇した。

 

なんと2列目の席を引き当てたので、震える思いでお二人の姿と声を心に焼き付けてきた。

3m先に風間俊介さんと松岡茉優さんがいる喜びたるや、何もかもかなぐり捨てて舞台によじ登り警備をかい潜ることができたのならば、私はあの生身の人間に触れられたのだということを何度も妄想しては震えた。思いとどまった。何度芸能人を見ても、「ああ、このひとって実在するんだな」と思う。ちゃんと人間として器があって、人間として稼働しているのだなと思うと不思議な気持ちになる。ありがたいような恐ろしいような。

 

今回の朗読劇は、坂元裕二さんの『往復書簡 初恋と不倫』に収録されている、『不帰の初恋、海老名SA』『カラシニコフ不倫海峡』に加えて書き下ろしの『忘れえぬ 忘れえぬ』が上演されている。

私は『往復書簡 初恋と不倫』は読了済で、書き下ろしの『忘れえぬ 忘れえぬ』だけ内容を何も知らなかったので一番に観たいと思っていた。

 

 

以下ネタバレが含まれるのでご注意を。

 

松岡茉優さん、黒混じりの緑の髪の毛でビッッックリした。いま、『生きるとか死ぬとか父親とか』の撮影中なのではないですか!?あのジェーン・スーさん原作のドラマ、スーさんから吉田羊さんという女優の解を導き出した上に、その吉田羊さん演じるトキ子の若き日を松岡茉優が演じていてあれもあれですごい、その答えの出し方エグすぎて大好き、キャスティングしたひと天才、という感じなのだけれど話を戻すと松岡茉優の髪の毛が緑だった。すごい、あと着ていたワンピースがかわいすぎ、ファッションに疎いのでうまく表現できないのですが、胸元から襟周りが白くて、それ以外は黒のすとんとしたワンピースを着ていた。それにブーツを履いていた。松岡茉優さんの骨格、好き。

 

風間俊介さんは髪が伸びててかわいかった。風間俊介さんは、私の座る席の真正面に存在していたので、前の席に座るお客さんの頭で正直洋服を細かくチェックすることはできなかったのだけれど、それにしても髪が伸びている。頭のてっぺんがよく見える。松岡茉優さんが背筋をぴんと伸ばして朗読する一方で、彼は足を開き前傾姿勢で朗読していた。衣装はチェックのシャツにジャケット、パンツという格好だったかな、スマートカジュアルな感じでした。

 

風間俊介さんといえばディズニー好きとして有名ですが、最近オープンしたディズニーのフォレストシアターという観劇型アトラクションが不具合によるシステム調整に次ぐシステム調整でついに一週間くらいアトラクション休止しますみたいな通知が公式から出ててすでにパークチケットや飛行機やホテル予約しちゃったひとがかわいそうとやや呆れ気味、かわいそうな感じになっています。風間俊介さんはコロナ禍で年パスも払い戻しになるような状況でどのようなディズニーライフを送っているんでしょうか。Dオタ以外にはどうでもいい話。

 

話を戻して

 

朗読劇、ただ読み聞かせをされているわけでは全然なくて、声の震えや本をめくる音、しゃくる音、鼻をすする音、細かく拾って耳に届いてすごかった。まばたき、流れた涙を拭っているところ、右手で髪をかき上げるところ、椅子に座り直すところ、前傾姿勢から後傾姿勢になるところ、目から入る情報量もすごくて、普段であれば画面越しにカメラで切り取られた俳優としての姿を見ているだけなのに、自分の肉眼で、好きなように生身の人間ふたりを一方的に見尽くしていいという最高に贅沢な時間だった。ありがたき幸せ。

 

風間俊介さんが左手で鼻を掻くこと、松岡茉優さんが右手で髪をかき上げること、風間俊介さんが右足をひっかけて椅子に座ること、朗読が終わり袖にはけるときに松岡茉優さんを先に通してから、客席をぐわんと見回してから退場する風間俊介さんのこと、そのとき彼の目に滲む感情が複雑なものであろうこと、単純な嬉しさや悲しさをたたえている目ではなくて、他人には分からないようなそういう目をしていたこと。

 

風間くんは最里(もり)くん、松岡茉優さんは木生(きお)ちゃんという11歳の子どもを演じている。11歳から物語がスタートして、少しずつ時が進んでゆく。

 

好きだった台詞うろおぼえ(ニュアンスで記憶)

「恋とは自分たち以外の存在を遠ざけて触れてくれるなと憤ること」

「最里くんの言葉は最里くんに似ています」

「今日もきみのことが好きでした 腹が立つ」

「私たち問題児が一緒に帰るようになって、先生たちは戦々恐々としていたけれど、先生たちの予想に反して私たちはおとなしくなった。おとなしくなったんじゃなくて、彼らにさよならをしただけ」

「太陽が溺れる夕方」

「お父さんとお母さんになんで僕を捨てたのと怒りたい、噛みつきたい、殴りたい、叩きたい」

「窓を閉めて甘夏を食べて」

「届かないから祈り」

 

特に、上からひとつめとふたつめの台詞が印象的で、確かに恋とはふたりの世界とそれ以外を線引きして敵に回すことだなあとか、坂元裕二さんもご自分の言葉はご自分に似ていると思っているのかな、私の言葉も私に似ていると思うんだよね、という気持ちになった。

 

意識不明で植物状態にある「ゆっくりさん」の額にコンビニのコーヒーのカップを置いて笑った医者と看護師の描写、「このひとの命の価値は0円なんだよ」という医者の台詞、憤りのあまり怒りの怪獣になってしまった最里のこと。

 

あの、『問題のあるレストラン』における、男性ばかりの会議室で女性を裸にさせて土下座を強いるシーン、物語の中にものすごくショッキングな描写を挿入することで観ている側の怒りを引き出して、登場人物の怒りに寄り添えるよう促すというのが今回の作品でも使われていた。あれは怒って当然だ、怒ってしまう自分に苛まれたとしても、怒りは正当なものである、怒りのあまり罪を犯したとしても、それでもおまえの怒りは大事におまえが抱えておくべきなのだと言われている気持ちになる、

 

「ゆっくりさん」が意識を取り戻したとき、最里は「ゆっくりさん」のそばにはいられなかった。なぜなら怒ってしまったから。それで木生が「ゆっくりさん」のそばにいて最里に近況報告をするわけですが、それが最里を慰めようとしている、美しい物語に感じてしまって、「ゆっくりさん」が目を覚ますなんて信じられない、信じたくない、信じてしまったら自分を今かろうじて支えている何かがもろく崩れ去る予感があるから、届かないから祈りなのだ、届いてしまってはそれは祈りではなくなる、そういう葛藤が伝わってきてウウウーッとなりました。

 

 

最後に松岡茉優さんの話。

 

松岡茉優さん、「どうしてもどうしても自分が演じたかった、自分が救ってあげたかった役なのに、オーディションに落ちてものすごく悔しい思いをした、それがずっと心に残っている」というようなことを先日のA-Studioで話していたのを思い出した。

 

松岡茉優さんも嬉しかったり楽しかったり好きだなあと思ったり幸せだったりするとき、まるい声をしていた。『問題のあるレストラン』『おカネの切れ目が恋のはじまり』『コウノドリ』『ちはやふる』『勝手にふるえてろ』、色々観たけど、彼女の演技というか、首の動きというか喉の震えというか、口の中の空気のかたちが、幸せなときは幸せだと表していた。幸せがあふれて、こぼれてしまうのがよく分かって、泣けた。