土曜の夜に地震があった。私たちはピザをたらふく食べたあとの夜だった。長く大きい揺れに思わずテレビをつけ、まあこんなもんかとテレビを消した。「ふたりなら大丈夫だよ」と彼は言った。「人間死ぬときは死ぬし」とも言った。「死ぬときは一緒に死ぬ」と私は言った。どちらかがひとり残されるのがいやだ。彼は私より20歳も年上なので何事もなければ私が残される側なのだと思うたびにかなしい。
父親が死んだという内容のnoteを読んだ。遺体安置所で父と対面する様子が書かれていた。そのときふと、私の大事なひとが亡くなって遺体安置所で対面したとき、私はいつもご飯を食べる前のように、スマホで遺体の写真を撮ってしまうような気がしていきなり怖くなった。この最後に会ったときの顔をパシャっと撮っていつでも見返せるように、それってアリなのだろうか。死者に対する冒涜なのだろうか。人間相手じゃなくてもいい、これから飼いたいと思っている猫が死んだとき、どこかに埋める前に写真を撮るのだろうか。撮らねばならないという病。自分の記憶をはなから諦めている。
『問題のあるレストラン』で山梨の道の駅なるさわが出てきて懐かしかった。そこが道の駅なるさわだということは後から調べて分かったことだが、映像を見た瞬間に「ここに行ったことがある」と思った。何でも調べれば出てくる時代、ありがたい。行ったことがある、というのはあたかも主体的に意思を持ってその土地に行ったかのような表現で、正しくは「(親に)連れて行ってもらったことがある」だった。清里でおいしいジャムを食べ、牧場に行き、ソフトクリームを食べた。その道中に立ち寄る道の駅、景色がよく建物も美しく、楽しかった記憶がいきなり思い出された。
先の通り懐かしいこと思い出したので、母親のインスタグラムをネットストーキング的に確認したところ、製菓学校に通う妹が今年はバレンタインに本格的なチョコレートを作っていることを知った。私は無印良品のキットを利用してフロランタンとクッキーを作った。少しかなしい、惨めな気持ちになる。
また、先月は妹の成人式で、私が成人式のときに買ってもらった白地に金の模様が入った帯をつけていた。と思ったら全然違った。妹は妹の、振袖と帯を身に纏っていた。でも、私も妹も、黒の振袖に白と金の帯を選んでおり、よく似ていた。妹が私に寄せているのかどうか知らないけど、他の選択肢もある中で同じような色を選ぶことが嬉しかった。私がまだ実家にいた大学生のころ、たまたま妹とおそろいのローリーズファームのマフラーを買ってしまったことがあり、去年か一昨年会ったときもその同じマフラーをふたりでつけていてウケた。
昨日食べたピザ、3枚目が少し余っていたので起き抜けにひと切れ食べた。いつもピザを頼むときは3枚頼んで3枚目はお腹いっぱいで少し残す。翌日パートナーが残りを全て食べてしまうので、仕事帰りに帰ってきても私の分の残りピザは無い。それなのに今日は「残りのピザ食べなさい」とパートナーに言われた。いつもは何も言わずに食べてしまうくせに。「もういらなくなっちゃったの?」と聞くと頷いていた。私は彼の残飯処理係なのかよ、と少しの怒りと少しの悲しみが出てきてしまい、ぴえん状態になった。いつも残ってれば私だって食べたいと思っているのに、ピザの箱はゴミ袋に捨てられていて、悲しかったのだ。以前から少し気になっていたことが今日明確になる、目を逸らしていた悲しみにようやく気づく、そういうことが多い。パートナーも今朝からなんとなく不調のようで、ふたりしてぴえんである。
ツイッターで週明けから爆弾低気圧だという情報を見て、何もかも気圧のせいだなと思うように意識に力を入れている。それと私は来週から生理なのでそのせいでおかしくなっている気配もある。引き続き、私は無印良品のキットでクッキーを作る。
作った。
お風呂に入ろうと思ったらパートナーが仕事から帰ってきて、「何か言いたいことがあるなら言って」と手を洗いながら言ってきた。彼もピザのことでつらくなっていることに気づいている。
いつも3枚目の残りは全て食べてしまうくせに、今日に限って自分は要らないからと私に食べるよう促してくるのが悲しかった、今まで残りは全部食べてもらって構わないと思っていたけれど、実はそれは違っていて、本当は私の分も残しておいてほしかったし、全部食べるなら一度聞いてほしかった、公平に 一緒に買ってるはずなのに、譲り受けるような、上から下に食べていいよと許可を出されるような、残飯処理をさせられるような感じがして嫌だった、そういうようなことを伝えた。彼は、昨日から精神的に不調だったし、昨日の時点で彼自身の分を全て食べ終えていて、残ってるのは私の分だから食べて、という意味で言ったという。今までだって私の分も残っていたはずなのに全部食べてたじゃん、その理論は通らないよ、と思ったが言えなかった。「言い方がいけなかったね、今度は最初から半分にしておくのがいいのかもしれないね、もしくはおれが多く食べるならその分多くお金を払ったほうがいいかもね、そのへんルーズにならずに気をつける」というようなことも言っていた。「お金の話ではないよ」とは言えた、けど「お金のこともあると思う」と返された。
違うんだよ、私は、私の意思を無いことにされて、何かが損なわれることが嫌なんだよ。
母親に預金を勝手に使い込まれていたとき。
一言言ってくれれば私はお金を貸してあげたのに。
一緒に行く予定だったのに、相手の都合で勝手にキャンセルされたとき。
勝手に、ではない、一応会話上私の許可は取ってくれた。「ごめんなさい、〇〇が△△で今から行かなければならなくなった、次回埋め合わせはします」と。仮に私が許さなかったら相手は行かなかったのだろうか?あれは許さざるを得ない状況だった。許すことは、私の本意ではなかった。蔑ろにされていると思った。
ピザ、たかがピザも、「残りは全部食べていい?」と聞いてくれれば、残しておいてほしい、とか食べてしまって構わないよとか返せた。でも、何も聞かれなかった。
私の意思を無いものにしないでほしかった。
そういうことで自分は怒り悲しくなるんだと理解していく、傾向を知り積み重ねていく作業。
ある程度対策は打てると思う。相手に聞かれるよりも前に主張をしておくとか。
口座を使い込まれるとかは、まあ思ってもみないことなので防ぎようがなかったかもしれないけど………。
私は、同じチームにおいて 同じ行動を共にしている組織において、私の感情を無視して何の断りもなく(もしくは断りを入れるポーズだけ取って)勝手に行動する他人が許せない傾向が強い気がする 一言でも断りを入れてくれれば許したのに、その一言がない というのがつらいんだと思う
— 赤埜よなか (@_ynk) 2021年1月24日
親に貯金を使い込まれていたことが今思い出しても本当につらく、「あなたなら許してくれると思った」と母親に泣かれたことも含めて、私の人生の縮図って感じがする 縮図というかトリガーというか、ナメてかかってくるやつを殺すという強い意志
— 赤埜よなか (@_ynk) 2021年1月24日
それはズルいじゃん、っていうことを立場が上の人間に言えなくて でも傷は一向に癒えないままで、他人の足音とか扉の開け閉めの音が怖かった実家のころの自分がまた蘇ってきている
— 赤埜よなか (@_ynk) 2021年1月24日
亡くなった祖母にもらったお年玉を預金していて、いつか何か大事なときに使おうと思っていたのだけれど、親にいつの間にか使い込まれており、使い込まれた分だけ返金されたとは言えもうそのお金は汚れてしまっているんだよ、っていうことを何度も何度も思って、つらくなる
— 赤埜よなか (@_ynk) 2021年1月24日
今はこうやって生きづらいまま生きてる自分のことが好きだよ これが私なんだって思ってる どうしようもできない
— 赤埜よなか (@_ynk) 2021年1月24日