今日は、パートナーがご飯を作ってくれた。
パートナーは昨日料理教室に行って魚の捌き方を習ってきたらしく、その復習として魚料理を作ってくれた。
嬉しかった。美味しかった。
何のためらいもなく料理を振る舞えるのが羨ましかった。
悔しかった。美味しかった。作ってくれてありがとう。
私もそのような言葉をかけてもらいたかったと思った。
以前、私がパートナーに料理を作ってあげたところ、「今はいらない」と言われた。
「頼んでないのに勝手に世話を焼いてそれで感謝してほしい、おいしいと言ってほしいなんていうのはおまえのエゴだよ」と言われた。
今はその通りだと思うが、言われたときはショックでわんわん泣いた。
それでも作ってあげたいという欲望は残っていた。
しかし、その後「今まで作ってくれたご飯はおいしくなかった」と言われた。
そこで作ってあげたいという欲望はぷつんと切れ、むしろ、パートナーにご飯など作りたくないという気持ちに変わった。
私が過去に抱いていた、"夫にご飯を作ってあげたい"という欲望は、前時代的な 妻は家で家事をして夫を支えるという勝手な幻想 理想から出た欲望でしかなくて、別に私は無理して彼に料理を作ってあげなくても、私は私らしくここにいるだけで、夫は私のことを好きでいてくれると分かったから呪いが解けた
— 赤埜よなか (@_ynk) 2022年9月6日
頼んでないのに勝手に世話を焼いてそれで感謝してほしいなんていうのはおまえのエゴだよ、とパートナーから言われて、そのときはメチャクチャ泣いたけど 今思うとその言葉は正でしかなくて、別に何も無理して頑張る必要とかなかった
— 赤埜よなか (@_ynk) 2022年9月6日
別に私はパートナーに好かれるために料理はしなくていい。
そのままの私でも、パートナーは私のことを嫌いになんかならない。
作ってあげたい、あわよくばおいしいといってもらいたいなんてただのエゴ。
ほかにも、パートナーからはパスタのゆで方がおかしいと言われたり、おまえの米には虫が湧いているなどと言われてきたし、皿洗いに関しては雑だと言われ、食洗器導入を本気で検討していたところ「食洗機を買ってもおれは手洗いを続ける」と言われた。
それから、私は私のためだけに料理している。
一人暮らしをしていたときと同じように、作るのは私一人分のご飯。
最近はコウケンテツさんや鳥羽周作さんや渡辺康啓さんのYoutubeを見ながら料理を作る。
パン作りも好きなので、手ごねで作ったり、ホームベーカリーで作ったりする。
ただ、パートナーからの言葉の棘は未だ刺さったまま抜けない状態で、料理をするたび、食べるたびに 「これは私にとって美味しいものでも、パートナーにとっては不味いもの」と一瞬呪いに支配されてしまうようになった。パートナーの前で明るく料理したり食べていても、そういう思いに駆られてしまう。
これまでもこれからも 料理をするときに、そういう悲しい思いとか また同じようなことを言われるかもという恐怖なんか感じたくなかった。
そういうこともあり、料理の写真あげるのが怖くなった。
前まではインスタとかにあげてたのにね。
今は料理をしているときに「いい匂い!」ってパートナーから言われることがあるけど、それが本心からの言葉だとしても 「おまえの料理はまずかった」と言われたこともまた事実で、その板挟みで気がおかしくなりそうなときがある。
それでも料理をするのは、第一に料理をしたいからだし、パートナーの言葉に引きずられて 私ができることが一つ奪われるのもイヤだから、奪われてたまるかみたいな気持ちで、悲しみとか恐怖を毎回思い出しながら料理してる。でも、こんなこと感じたくなかった。
パートナーを黙らせるくらい料理の腕をあげたいとは思わない。もう食べてもらいたい気持ちがない。私しか食べない料理に対して散々酷い言葉を言われてきたので、食べてもらわなくて結構、私しか食べない料理には口出ししないでと祈りながら毎回料理をしてる。
そして今日、パートナーは料理を作ってくれた。
何のためらいもなく料理を振る舞えるのが羨ましかった。
悔しかった。美味しかった。作ってくれてありがとう。
私もそのような言葉をかけてもらいたかったと思った。
私は私一人分の料理を作るのさえ怖いのに、パートナーは料理を振る舞えていいな。
私もそれがしたかったな。
「ご飯作ったんだけど、一緒にどう?」
と声をかけられたとき、「頼んでないのに勝手に世話を焼いてそれで感謝してほしい、おいしいと言ってほしいなんていうのはおまえのエゴだよ」と言う選択肢が私にはあった。
「おいしい、ありがとう」
と言いながら食べた。「まずかった」と言う選択肢だってあった。
どのツラさげててめえは私に料理を作ってんだよ私も「求めてないのに勝手にごはん作って美味しいと言ってほしいなんて傲慢!全部まずい!」って言ってやろうか!?!?と思ったけど「おいしい」と言ったら涙がぽろぽろ出た。喉から手が出るほど言ってもらいたかった言葉を私が言うのがつらくて
— 赤埜よなか (@_ynk) 2022年9月25日
でも、私は過去の私が言ってもらいたかった言葉をパートナーに伝えた。
やられたことをやり返しても何の意味もない。
何の意味もないけど、悔しかった。
悔しくて悔しくて涙が出た。
私だって、あなたのようにいきなり料理を作って「一緒にどう?」とか言いたかった。「おいしい」と言って食べてもらいたかった。料理をするときに恐怖なんか感じたくなかった。
今日の食卓は、私がまさに喉から手が出るほど望んでいた光景だった。
くるしい pic.twitter.com/EwgAMTfSeb
— 赤埜よなか (@_ynk) 2022年9月25日
ご飯を食べてるときに、「以前ご飯作ってくれたのにひどい言葉を言ってしまってごめんね」とは言われた。言われたけど、それだけじゃ全然足りなくて、今あなたの手料理を食べて感じているこの悔しさが分かるか、分かってたまるかって、思った。
過去のことだし 謝ってもらったけど 私にとってはまだ全然傷が癒えていない私の問題で、パートナーのせいだとか パートナーに今もずっと謝り続けて寄り添い続けてほしいというわけじゃなくて、パートナーの助けを得ながら私自身で克服できたらいいのにな〜全然過去のこと忘れられない
— 赤埜よなか (@_ynk) 2022年9月25日
前に進まねば、と思う。
これは私の問題で、私が過去のことを記憶しすぎ、引きずりすぎ、怖くても、それでも前に進めたらいいのになと思う。
パートナーに料理を作ってあげ、食べてもらって、そのときは「おいしい」と言ってくれても、またいつ「まずかった」と言われるか分からない恐怖。「これは私にとって美味しいものでも、パートナーにとっては不味いもの」という呪い。また同じことを言われるかもと思うと怖くてたまらない。
また「まずかった」と言われるくらいならいっそ食べてもらわなくて結構。
そう思っているけれど、今日みたいに料理を作ってもらうとまた思い出して泣いてしまう。料理を作ってない日も思い出してTwitterでグチグチ書いてしまう。
つらかったろう、悲しかったろうと過去の自分を抱きしめながら、このつらさや悲しみをどうにか癒してあげられるのは私だけ。私の問題だから。
パートナーには、ひどい言葉の数々を言った代償として、私の克服のために最大限サポートしてもらえたらいいなと思う。恐怖が弱まるような優しい声かけとか。それすらもエゴなのかもしれないけど