分かってもらいたいと思わない関係

昨日の続き。彼に自分の気持ちを伝えたあとぐったりしてしまい、自室でぼんやりしていると「明日夜中から雨だよ、洗濯物」と言われた。ひとしきりぐったりしたあと、洗濯物を取り込んだ。ついでに彼の部屋にバレンタインの袋を置いていった。彼は寝ていたし直接渡すのも気まずかったから、手作りのフロランタンとクッキー、あとはミッシェル・ブランのチョコを入れた紙袋を適当に机に置いておいた。ホワイトデーのお返しは市販のチョコと手作りのご飯を要求している。

 

しばらくして彼が起きてわざわざありがとうを言いに部屋に来てくれた。先程取り込んだ洗濯物は、まだ乾いていないにもかかわらず私にはもう部屋干しする気力も体力もなかったためそのままベッドにハンガーごと置いていた、それを見かねて彼が洗濯物を部屋干ししてくれた、大丈夫だよと言っても「まだ乾いてないから」と言い、丁寧に干してくれた。優しいひとだなと思う。

 

今日は一緒に寝ない。

 

月曜日は出社しようと思っていて、6時40分に起きたのになんかだめだった。

 

高校の卒業式の夢を見た。窓側の左から2列目2行目の席、クラスでややいじめられ気味だったオグラくんの隣で、私の前にはタカハシくんがいた。「私の席ってここだっけ?」と聞いても誰も私の席など覚えてくれていないし、卒業式前だからどこに座ってもいいよねという感じだった。卒業式のあと、私の高校の卒業式は随分と昔のことだったのでは、というかオグラくんもタカハシくんも中学の同級生で高校の同級生じゃなかったじゃん、と思った。

 

仕事、とある問い合わせ対応が終わらない。私はお客様からの問い合わせを製品ベンダーに質問するという、対応の仲介役をやっているわけだが、製品ベンダーは大変だろうなと思う。いつも誠実に回答をくれて頭が下がります。日本語が通じる、何で困っているかを汲み取ってくれるとそれだけで嬉しくなる。早く解決するといいな。日本語が通じなくて、情報を渡してこないくせに、至急回答願いますとか言ってくるひとがきらいだ。そのボールの宛先は、生身の人間なんだぞ。

 

今日は一日中すごい雨だった。家に私の食料はなく、仕事終わりにコンビニでも行くかと思っていたら、パートナーがオリジン弁当の山賊焼き弁当を買ってきてくれた。こういうのを愛と呼ぶのだと思う。相手のことを思って行動する能力、私は本当に欠如している。お弁当、おいしかったな。

 

 

今日は一緒に寝よう、と言われた。

今日は一緒に寝る。

 

clubhouse、招待をしてもらったはいいものの、怖くて話す気になれない。「フォローしてるひとが部屋を作りました!参加しましょう!」みたいな通知が来て、いざアプリを開くと、「部屋に参加している人:2人 話している人:2人」と表示され、仮に私が参加したら話さなければならないのだろうか…‥と思い悩んで参加できない。

結局、インターネットストーキングツールと化し、元恋人や会社のひとを調べ尽くしている。すぐツイッターやインスタグラム、LINEと同じID、同じアイコンでアカウントを作り、SNSの連携を気軽に行うのは特定を早めるだけなので危険ですよ、と思う。

セフレだった既婚者は身体によさそうな健康食品の会社で社内ラジオをやっているらしい、フォロワーを辿っていくと、元恋人にたどり着く。世界が狭い、というか好きになる男の傾向が偏っていただけかもね。まあいいんです、彼らが私の預かり知らぬところで元気に生きているのであれば。ちなみに(?)マルチをやっていた元々々恋人は京都と横浜でノマドをやっているらしい。相変わらずインスタグラムで無断転載の画像と共に意識高い系の投稿を続けていた。朝井リョウの『何者』をいの一番に読みやがれ。

 

clubhouseで話したいなーと思うひと、2年ほど絶縁しているインターネットの(元)友人で、あいつとだったら楽しく喋れるのになーと思う。

今日の『ジェーン・スー 生活は踊る』の相談コーナーで、20代の方から「結婚、引っ越しを機に学生時代の友人と疎遠になって悲しい」というようなおたよりが採用されていた。特に理由はないけど疎遠になる友人たちっているよね、それでも縁があれば5年後10年後「元気してる?」と連絡がきてまた仲良くやれるもんだよ、ただその「元気してる?」の連絡役が、自分にはできるのか、無理ならやらなくていいけど、そういうまとめ役というか引っ張り上げてくれるひとの存在は大事だよ、というような回答だった。

 

私はその役ができるのだろうか、なかなか勇気と体力がいる役回りだよなと思う。試しに相手にLINEスタンプをプレゼントできるか試してみる、これは相手にブロックされているかどうか確認する手法で、私は彼女からブロックされている。何度目かの確認。

 

話したい相手、私と同じくらいの分量で話してくれるひと、なかなかいない。バレエの発表会に来てくれる元インターネットのひとのこと、一度会う約束をしたのに私の仕事が忙しすぎて結局会えないままになっているインターネットのひと、大好きなんだけどな、話したい、話したいと思っています。インターネットじゃなくて、普通に現実でも構わない。

 

別に友人がいなくても死にゃあしない。だけど、だけどなんなんですか?自分、死にゃあしないけど、何?っていう。友人がほしい、という表現はいまいち違う気がする。話せる相手がいたら人生もっと楽しかったかもしれないなー、って感じ。それを友人がほしい、と言うんですよ、とイマジナリー猫が囁いてくる。

 

ツイッターに書くことを数日やめてみて、リプライをくれるひとやブログを読んだよと反応してくれるひと、ありがたい。仲良くしたい、したいけどなんでこんなに億劫なんだろう。だるい。

 

お笑い芸人のオードリーのことが大好きなのですが、以前若林さんがインスタのストーリーで、「結婚して変わったことは何ですか?」という質問に、「1日に話す言葉の量です」と返信していたのがすごく心に残っている。私も結婚して1日に話す言葉や量がものすごく増えた。最初は実家にいるときのようで鬱陶しく思う気持ちもあったけど、おそらく話し相手がいるだけでずいぶん寂しさが紛れている。これがひとりになったらもっと一生懸命に話し相手を探すと思う。

 

また、若林さんは結婚した際、パートナーのことを「(価値観が合うとかじゃなくて)自分のことを分かってもらいたいっていうふうに、不思議と思わないんですよ」とも言っていて、思わず泣いてしまった。分かってもらいたいと思わない、そういう相手。ただ一緒にいるだけでいいと思える相手。こういうのも、愛と呼ぶのだと思う。

 

ソファに寝転がって文章書いてないで今すぐ行動しろよ!って思う。そういう自分のところが嫌いだな。