私は能天気

「整理がつくまで時間がほしい」と言われたその日はバレエのレッスンがあった。夜は感情が膨張しやすいけれど、お昼ごろに連絡が来たからか妙に冷静な自分がいて、静かな悲しみが心にあるまま踊った。悲しい反面身体の調子は良く、先生からは「絶好調じゃん」と褒められた。

両足が磁石のように引き寄せあうからこそ、高く上げられた脚は元の場所に吸い寄せられ収まる。

 

本当は嵐の『途中下車』を聞きながら薄く涙ぐんでスタジオに向かった。

 

名前も忘れるほど 遠くなってしまうなら
ネクタイをはずし 途中下車したまま
この街の思い出が なにげない1日が
守るべき何か そっと包んでゆく

 

本当は「恋人 気持ちの整理」とかなんとかでググって知恵袋やら小町を読み漁った。今月は『孤独のグルメ』にハマって通勤中に観まくってしまったから、月の半ばだというのに通信制限でいつまでたってもWebページひとつ読み込むのに時間がかかる。深くて重い意識を彼に向けないよう、本を読み音楽を聞いていつもであればお菓子を買って食べながら帰るのに一目散で家に帰った。

 

今日は私の家に来るはずだったらやたら部屋が片付いていて、笑えた。

 

冷静に考えて、今は彼のことを待つことしかできない。「わかった、きみのことを大切に思ってる 待ってる」と、そのような返事をして、やはりあのときの喧嘩のようなもので我々の関係性はギクシャクしていて、元に戻ったかのように毎日連絡を取り合い食事をしても、どこかで目を背けている部分が確実にあった。私が強引に食事に誘い、許しを乞うように手土産を渡し、何気ない話をして笑う、それで自然治癒していけばいいなと私はいつまでも能天気に考えていて、今日だって約束通り彼が家に来てくれるだろうと、会えるであろうと思っていた。

 

今日会えない理由を先の通り話すその誠実さが彼の本当に尊敬できるところで、私は私で能天気すぎて変なところで妄想力がたくましくポジティブに考えている脳みそを取り外して土に埋めたいくらいだった。

 

人生はなるようにしかならず、人は選択した道を正解にしていくしかないと、自分に言い聞かせながら、なんとか今日も生きてきた一方で、色んなことに目を背け続け曖昧にし続けている。これまでの人生で起こったあらゆることは、すべてそういう私の性質によるものなんだろうな、と思う。付き合っていると思ったら付き合っていなかったり、なんかそういうこと。大事な話を口にして相手に伝えることができない。相手が大切であればあるほどその名前を呼ぶことができない。

 

夜のツイッターは感情が膨張するからよくない。頬が冷たいせいであたたかい涙が流れると異様に顔が熱く感じられる。指から出る言葉が燃え上がってしまう。

寝る前にこうしてブログを書きながら少しずつこぼす涙は、あたたかい布団にくるまっているから大丈夫。大丈夫でありたい、大切な他人がいると弱くなってしまうのをやめたい。