パートナーと同棲を始めて来月で一年になる。
この一年の間に何度も喧嘩をしたし、何度も傷つき傷つけられ、そのたびに言葉を尽くして仲直りをしてきた。パートナーの母親に、「この子の何がそんなによかったのか」と聞かれたときは、「喧嘩をしても、その度に話し合いをして仲直りができたことが一番の決め手。今まで付き合ってきたひととはそんなことできなかった。喧嘩したらそれで関係性がおしまいになってしまうから、喧嘩しないように怒らせないように気をつけて生きてきた」というようなこと伝えた。本心だった。
ふたりの間に何があっても、立て直せることができるのであれば、今後も関係性は続けていけるだろう、そう思ってパートナーと結婚した。
『サイコだけど大丈夫』のムン・ガンテとコ・ムニョン、そしてガンテの兄のムン・サンテは最初は喧嘩などしていなかった。それは、仲が良いというわけでもなんでもなくて、ただその関係性が無かっただけである。
ガンテは幼少期から、ASD(自閉症スペクトラム障害)の兄サンテの世話をして生きてきた。母からもサンテの世話役を期待されていた。ガンテは「自分は兄さんのものじゃない」と思いながら、ときには「兄さんなんか死んでしまえ」と願いながら、それでもサンテと共に生きてきた。そのためサンテを優先して生きる癖がついていて、感情的になることなど決してしない。
一方、欲しいものは「欲しい」と我慢することを知らず、感情の制御が効かないコ・ムニョンは怒鳴りながら車を運転し、叫び、思うままに生きている。父は入院生活をしており、母は死んだ。幼少期は支配的な母に従順に生きており、友人も少なく孤独だった。
ムニョンの母は、ムニョンの一番大切なものを奪うことで、自分に従わせるよう厳しく躾けた。
ムニョンは唯一の友人であるジュリと仲良くしたいがために、他の友人たちを奪いジュリを孤独にさせた。母のやり方しか知らないムニョンはそうすればジュリは私の元に来るだろうと思った。けれどジュリはムニョンの元には戻らなかった。ムニョンは孤独な女性だ。
物語が進むにつれ、ガンテは感情的になるし、ムニョンは人間のあたたかさを知るようになる。サンテと3人で食事をし、共に眠る。生活をするようになる。
『サイコだけど大丈夫』は、「カッとなる前に3つ数えてから行動しろ」「つらいなら自分の幸せだけを考えて」「自分は自分のものである」というメッセージを繰り返し伝えてくる作品だ。
具合が悪いときは赤ちゃんになっていい
あまりに身に覚えがありすぎて、サンテのこの台詞を聞いたときにどっと涙が溢れた。私は他の誰にも見せたことのないような甘え方をパートナーにはしてしまう。赤ちゃんになってもいいと心から思える場所や思える相手の存在がかろうじて私を生かしているだけだと、本当にそう思う。つらいときにパートナーがそばにいてくれるだけで心が軽くなって、救われる。
どんなに大切な人でも喧嘩したときや相手を許さないとき「お前なんか死んじまえ」って思ってしまうときがあること自体を肯定してくれるような作品だった。死んじまえと思ってしまうその感情は大切に持っておきなさい、と肯定してくれる作品だった。だからといって他人を傷つけていいわけではないけれど、甘えてもいいのだと優しく慰めてくれた。
「過去に縛られたひとがいたらその紐を切ってあげて」というようなメッセージも要所要所で出てきて、そのために人は寄り添って生きていくのだよなあと思った。
逃げ恥の百合ちゃんが「自分に呪いをかけないで。そんな恐ろしい呪いからは、さっさと逃げてしまいなさい」と言っていたけれど、ひとりではどうしても呪いから逃げられないときがあって、それを断ち切る他人がいてくれること、そのことの尊さを痛感した。
むかし、むかし、気持ちを隠してばかりの子犬がいました。
木の下に繋がれていて性格はとても明るく、春の日の犬と呼ばれていました。
ところが昼間は楽しそうに遊んでいても、夜になるとクーン、クーンと人知れず泣くのでした。
本当は春の日の犬は、首ヒモを切って野原を走り回りたい思っていました。
でも、それができないので、悲しそうに泣いていたのです。
ある日、心が春の日の犬に囁くように訊ねました。
どうして君はヒモを切って逃げないの?
すると犬は言いました、余りにも長く繋がれていたから、切り方を忘れちゃった。(『サイコだけど大丈夫』 7話より引用)
最後に私の好きな台詞たちを引用しておしまいにします。
ムニョン、むやみに順位をつけるべきじゃない。誰かを好きで大事で心配する気持ちは、比べられない。
必要な時に現れればそれが運命の人だと。
僕には君が必要だ。