AWS 認定 ソリューションアーキテクト – アソシエイト(SAA-C02)に合格した話

2020年11月にAWS 認定 ソリューションアーキテクト – アソシエイト(SAA)に合格した。

2021年4月、いまさら合格体験記を書きます。

 

 

AWS 認定 ソリューションアーキテクト – アソシエイト(SAA)とは

AWSの認定試験は、基礎、アソシエイト、プロフェッショナル、専門知識の4つのカテゴリに分けられます。また、アソシエイト、プロフェッショナルはアーキテクト、運用、デベロッパーの分野で試験が用意されています。

 

その中でもソリューションアーキテクト – アソシエイトの試験とは、公式に以下の説明がありました。

 

AWS 認定ソリューションアーキテクト – アソシエイト試験は、AWS における分散システムの可用性、コスト効率、高耐障害性およびスケーラビリティの設計に関する 1 年以上の実務経験を持つソリューションアーキテクト担当者を対象としています。*1

 

試験の形式:65 問 (複数選択または複数応答のいずれか)

実施形式:テストセンターまたはオンラインプロクター試験
試験時間:130 分間

受験料金:15,000 円(税別)/ 模擬試験 2,000円(税別)

言語:英語、日本語、韓国語、中国語 (簡体字)

 

今回私が合格したソリューションアーキテクト – アソシエイトは中級くらいでしょうか。そこまで難しくもないが簡単でもない、事前にハンズオンを含む勉強をしっかりすれば合格する試験だと思っています。

 

aws.amazon.com

 

試験前の知識レベルについて

法学部を卒業し、ITスキル0のまま2017年に今の会社にエンジニアとして入社、現在までクラウド環境の運用・運用設計の業務を担当しています。

社会人一年で基本情報技術者試験(FE)と応用情報技術者試験(AP)に合格、ベンダー試験としてはMicrosoftWindows Server 2012 のインストールおよび構成(70-410)を取得しています。

 

現在はWindows Server 2016やWindows 10、Red Hat Enterprise Linux Server(RHEL)の運用を担当しています。WSUSやLanscope Catを利用したQU・FUのパッチマネジメント、vSphere上での仮想サーバの自動構築、Powershellシェルスクリプトを利用した自動化・効率化が得意領域です。

 

AWSは業務でEC2やRDS、S3を触ったことがあるくらいですが、AWSの技術問い合わせ対応(お客様からの問い合わせをAWSに投げるだけ)の経験が3年半程度あります。

 

弊社の親会社がAWSプレミアコンサルティングパートナーとして登録されており、これからAWSの技術者を増やしていこうという動きの中で私もAWSに関する研修を受講させていただいたので、せっかくなら試験に合格して業務でも習得した知識を生かしていきたいと思ったのが受験の経緯です。

 

これから紹介するUdemyで購入した講座の演習テストは、1回目の正解率64%という状態でした。

 

使用した教材・研修

研修

テキスト

  • この1冊で合格! AWS認定ソリューションアーキテクト - アソシエイト テキスト&問題集

     SAAに合格した会社のひとがおすすめしていたのでメルカリで購入しました。
    2019年に出版された本なのでSAA-C02版には対応していません。演習を解いて分からなかったところをこのテキストで確認していました。どのような試験勉強でもそうですが、テキストは教科書的に使って、とにかく演習を解きまくるというのが私の勉強方法です。

 

 

インターネット教材

模擬試験

  • AWS Certified Solutions Architect - Associate Practice
    公式の模擬演習で、私は本番の5日前に受験しました。結果が合格点に満たず、それまでUdemy中心で勉強をしていましたがWhizlabs中心の勉強方法に切り替えました。

 

勉強方法

毎日1時間程度勉強することを目標としていましたが、仕事で疲れて勉強できない日ももちろんありました。気が向いたときに勉強していましたし、本番5日前に受けた模擬試験の結果が惨敗だったので焦って勉強時間を2時間に増やしました。動画教材を見ながら、ハンズオンをしながら、解き終えた問題を確認しながらEvernoteに各サービスの特徴を書いては見返していました。

 

  • 2020年9月より本格的に試験勉強を開始、11月1日に合格(勉強期間は2か月)
  • Udemyの動画教材を見終え、「これだけでOK!~」は10/4に完了
  • 1か月後に受験日を設定し、申し込みをする ←自分を追い込むために重要
  • その後、UdemyとWhizlabsの問題集をひたすら解く
  • 間違えたところはテキストや動画教材で振り返り、Evernoteに書き残す
  • 本番5日前に模擬試験を受験、結果は惨敗、焦って勉強時間を増やす
  • 本番11/1受験、合格

 

モチベーションを保つコツは、演習問題の正解率を記録して、繰り返し解くことで点数があがってることを数字で"見る"ことでした。

Evernoteに記録していた正解率の表です。10月中旬~下旬たくさん問題を解いて正解率があがっているのが分かります。

演習問題は3回~4回は必ず解くようにしていました。また、「演習問題を暗記してしまい頭で考えずとも答えがわかるようになる」という事象をなるべく避けるため、気持ちとしてはまんべんなく演習問題を解くようにしていました。

 

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結果・さいごに

1000点満点中761点、つまり76%の正解率で合格しました。合格ラインは72%なので、ギリギリでした。演習問題でいくら80~90%の合格率に達していても、本番では早々うまくいくものではないのです。特に、AWSの試験は過去問が公開されているわけではない(サンプル問題は公開されている)ので対策の立て方が難しかったです。まあ合格に変わりはないので一安心でした。

 

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試験に合格してから5か月ほど経ちますが、AWSサービスに対する解像度があがっていることを実感しています。最近CLIを利用してサーバに格納したファイルをS3にコピーし、S3にファイルが格納されたことをトリガーにLambdaをキックしてごにょごにょ動かすということをやりました。資格を取る前では苦労したであろうことも、結構簡単に実現することができました。自分で作ったものが正常美動くというのはそれだけですごく達成感があります。

また、今はAzureの勉強をしているのですが、AWSとAzureのサービスを対比して見ることでそれぞれのメリットや違いを理解することができ、この資格は取ってよかったなあと思っています。

おそらくブログ記事として技術的なことを書くのは初めてなのですが、何かのお役に立てればと思います。

心のお守り

尊敬しているひと。

私のパートナー、坂本真綾坂元裕二松たか子、嵐

 

子どものころの将来の夢。

お花屋さん、バレリーナ、作詞家、ディズニーのキャスト。

 

3/21、坂本真綾さんの25周年記念LIVE「約束はいらない」に行ってきた。

 

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この日はとてつもない暴風雨で、何度も何度も傘がひっくり返ってはその度に傘の端っこをなんとか持って戻すという作業を繰り返し、横浜アリーナに着くころにはスニーカーは浸水、靴下もビチョビチョで、誰が好き好んで日曜日の暴風雨の中外出するんだよ……というようなひどいお天気でした。強欲なので、なかなか行かない新横浜、近所にないニトリとおいしいと有名なパン屋さんに行くぞ!と気合で行ったら足がビチャビチャのビチョビチョでおしまいになったのでした。

 

真綾さんのことを何がきっかけで好きになったのかあまり覚えていないけれど、真綾さんの音楽を聴き始めたのは2011年2月頃、好きになってよく聴くようになったのは2011年8月頃のことだったらしい。last.fmに記録されていた。2011年の私は嵐とGRANRODEOとサンホラ、あとは鈴村健一さんの音楽をよく聞いていたみたい。入野自由くんとか、Kiramuneが元気に活動してるときなのかな。キャプチャのVALUE1700というのは英語の参考書についていたCD。カリガリP-MODELサブカルを理解したくて頑張って聴いてたけど全然馴染めなかった。

 

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なんとなく思い出してきた。鈴村さんと真綾さんが2011年8月に結婚したのをきっかけに聴くようになったんだ。鈴村さんが真綾さんのことをとてもリスペクトしていて、歌詞も影響を受けているというのを知って聴き始めたような気がする。

 

それからもう10年も真綾さんのことが好きで、何回かライブも行った。真綾さん繋がりで知り合った友人もできた。

今回のライブは、2019/12/31-2020/01/01のカウントダウンライブ以来の参加でとても楽しみにしていた。感想、ちょっとだけ書く。

 

  • CLEAR

ライブ、いつも自分が想像してた以上の大音量で行われるので耳が慣れてない最初のほうはいつも涙が勝手に出てきてしまう。嬉しさと感動と大音量に泣かされる。しかも今回は2曲目が『CLEAR』だったので思いがけず泣いてしまった。お家でずっと読んでいた坂元裕二の『Mother』に出てくる継美(親に虐待されていたところを学校の先生に誘拐される形で助けられ、先生を母として生きようとする子どもの話)のことを思い出して泣いてしまった。

 

夢って 愛って 本当はよく知らない

どんな色 どんな形 どこからやってくるの

 

愛も夢も自分の内からこみ上げてくる感情の名前すら知らず、それでも自由に飛び立とうとする景色がこの曲を聴くといつも浮かんでくる。『CLEAR』がクリアカード編の主題歌だったカードキャプターさくら、タロットカードに憧れていた私も大きくなったよねえという気持ちも相まって涙がドバドバ出た。

 

真綾さんが着ていたドレスがとっっってもすてきで、真綾さんはルンバみたいと言ってたけれど、なんというか淡いパープル色の二段のホールケーキ(結婚式でケーキ入刀するようなやつ)で、しかも髪の毛バッサリ切っちゃってるからより露出している肩や首のラインが美しく見えました。

 

 

  • オールドファッション

2019年の私の大大大失恋ソング。表参道の喫茶店でそのとき大大大好きだったひとに別れたいと言われ、別れるのが嫌すぎて縋り付いて銀座の喫茶店で話し合いをしたことを思い出して泣く。表参道も銀座もおしゃれすぎて吐き気がしたわ。

 

この曲が終わるまで君を独り占めさせて
好きだったところだけずっと覚えていたいの

 

この曲が終わるまで君の恋人でいたい
楽しかった思い出に今は乾杯しようよ

 

破局する前後でちょうどリリースされたアルバムのうちの一曲で、本当に救われた。坂本真綾分かってんな〜〜〜!!こんなタイミングで失恋ソングなんて!メッチャ分かってる!ありがとう!まあ別れたあと12月でクリスマスも近いというのに死んだ目でマッチングアプリをやり続けていたし、あんまり救われてなかったかもしれないけど、私の2019年の失恋イメージソングとして繰り返し再生して爽やかに別れを受け入れることが少しずつできるようになって、その年のカウントダウンライブでも聴いて大号泣したけど今は別のひとと結婚してハッピーです!よかったですね、という感じ。

 

最近リリースされた『Duets』の一曲。堂島孝平さんの明るくて飄々とした感じが真綾さんの素顔を引き出していてすごく良かった。楽しかった。ライブに"参加"した感が強い一曲。それでいて音楽というよりも短い演劇を見ているような感じもした。『真綾さんが「お客さん一人残らず幸せにする」って言ってたけど、皆さんは幸せにしてもらうだけでいいんですかー!?皆さんが一番幸せにしたいのは誰ですかー!?」っていう堂島さんの声かけが、ファン心理をよく把握してる人間のそれで、コロナでせっかくのライブに声を出して応援できずもどかしい中、観客の心の中を代弁してくれるのはありがたかったな。『あなたじゃなければ』は、喧嘩してるカップルの曲で、真綾さんではなく堂島さんが作詞・作曲しているので、普段真綾さんが選ばないような言葉選びが新鮮で、こう、二人向き合って言い合う様子がありありと目に浮かぶ。今回ライブで二人の言い合いを見て、よりシーンが目に強く焼き付いて曲を聞くたびにあの日の横アリのことを思い出すだろうなと思う。いやもう全部よかった、パフォーマンスの全部が超最高だった。

 

相手にしてもらえてるだけラッキーだと思えよ

 

そっちが先に 謝ればいいだけ
その口に接着剤でも塗ってるの?

 

  • ループ

無条件に涙が出てしまう曲。真綾さんが、MCの中で「25年間活動してきた中でずっと私と一緒にいたひとはいない、私の25年間は私しか知らない。共に音楽を作る仲間も、応援してくれるひとたちも。私の人生において、そういう支えてくれるひとたち 点のひとつひとつが私を見守ってくれてた」というようなことを言っていて、坂本真綾はずっとずっとこのテーマで歌ってるんだよなあと改めて感じた。真綾さんの『ループ』も、鈴村健一の『シンプルな未来』も、ずっと、人生において誰かと交差するその瞬間の集まりこそが奇跡であり愛であり普遍的なことである、みたいなことを言ってて、私の価値観の基礎にもなっていると思う。

 

  • 誓い

もっと強くなりたい
もっと優しい人に
君が そうだったように
もっと、もっと

 

パートナーがいなくなったときのことを想像して泣いた曲。勝手に愛するひとを死んだことにして泣くなんてどれだけ自己憐憫?が過ぎればいいんだよ、不謹慎すぎるだろって感じだけれど、私はパートナーと20歳年の差があるので順当に行けば親の次に私のパートナーは死ぬ。そういうことを日々淡々と考えながら生きている。おそらく私はパートナーがいなくなっても踏み越えて生きていくだろうけど、この曲の歌詞にあるように、要所要所、ほんの些細なことでさえパートナーを思い出して胸がグッとなったり喉がギュッとなったり指がふるふる震えたりするのだろう。パートナーのように優しいひとになりたい、強いひとになりたいと思えば思うほど、そんなことは到底無理なような気がして余計に悲しくなる。

 

 

真綾さんが終盤の挨拶の中で、「今回ライブに行けなかった人たちは、ライブ行けなくて寂しい、悔しいって思わないでほしい」と将来映像化されて今回のライブを観た人に向けてメッセージを送っていた。もともとライブの映像化に前向きでなかった真綾さんが、今回は形に残すことを決めた。このご時世で参加を自粛したひと、行けなかったひと、17000人入る横浜アリーナで5000人しか客を入れず、それでもライブをやると決めた真綾さん。ライブに参加しなかったひとたちにも観てほしいなと思う、あの素敵な空間を味わってほしい。よいライブだった。

 

今回、音楽の片隅にパートナーのことを思い出すことが多かった。尊敬しているひとのこと、子どものころの将来の夢のことを思い出すことも多かった。これまでの人生を振り返るような、音楽を聴きながらも自分を見つめ直すような時間だった。

真綾さんの曲は水のようにすっと喉を通って身体に沁みる。だから好きだし、気がつけば聴いてしまう、聴くことに対して負担がないところが良い、疲れないから良い。心のお薬のようなお守りのようなもの。しばらくはライブの余韻に浸りながら私はどうにか生きていく。

 

Duets

Duets

Amazon

 

優しい無視

習い事。

お金を親に出してもらっている子どものうちは、ありがたみはそこまで感じてなかったけれど、そのうち親がお金を出していることを良いことに「<任意の理由>であるなら辞めさせるよ!」と頻繁に脅してきて、理不尽だなと思いながらも従うのが常だった。

 

私は5歳からバレエを習っていて、親は、勉強、他の習い事、親の機嫌、私の態度、何もかもを脅迫の材料に使ってことあるごとにバレエを辞めさせようとしてきた。脅迫されるたびに大人しく従う(ポーズ)しか生きる道が残されておらず、親の庇護下でないと生存できない子どもという立場がものすごく憎かった。こんな生活から早く抜け出したいと、小学生〜中学生のころはよく思っていた。

 

高校生になっても脅迫は続き、その破綻して理論的ではない脅迫に我慢の限界がきて、「これからは私のお金でバレエを続けますので、口出しは一切しないでください」と親に宣言をした。最初はお年玉を切り崩しながら、次にショッピングモールのパン屋でアルバイトを始め、毎年の発表会に出るだけで10万は余裕でなくなってしまうことを初めて知った。高校生は平日学校終わりにアルバイトに行き、22時くらいには退勤しなければならないのでそもそも働ける時間が限られていた。高校生の身分では全然お金が貯まらなくて、コツコツ貯めたお金で初めて出た発表会はすごく達成感があった。こんなにお金がかかっているのだから頑張らなければならない、月謝を払っているから一回でも休んだらもったいない。あのときの自分は本当にえらかったなあと思う。

 

今日、バレエの先生から「あなたはやりたいって意思があったから続けられたしえらかったよね」と言われ、思わず泣いてしまうかと思った。日頃の行いから関係ないことでもいきなり結びつけられて辞めさせるよ!って言われてたことも先生は分かった上で言ってくれていた。

 

昔、本当に辞めさせられるかもしれないというときに、先生が私ひとりと話す時間を作ってくれて、「色々辞めていった子はいたけれど、あなたが辞めたくないと思っているのならば、辞めてほしくない」と言ってくれたときの、何が何でも私はバレエを続けたい、先生と一緒にいたい、先生のレッスンを受けたいと奮い立つような強い強い感情、今も鮮明に思い出せる。

 

子どものころ、私はバレエをやりたいと本当にそんな意思はあったんだろうか、と考えても今はもう思い出せない。バレエが好きとか嫌いとかいう感情はなくて、バレエをやるのが当たり前、無いのはおかしいという感覚だったと思う。声が小さくて引っ込み思案で発言なんて全然できない子どもだったけれど、バレエであれば表現できるし ちゃんと先生は見ていてくれておかしかったら指導をしてくれたしよくできたら褒めてくれた。そういう居場所を失いたくないと思っていた、多分。

 

周りの子たちは進学や受験勉強、スタジオの移転などを理由に次々にバレエを辞めていった。いま、5歳のころから一緒に続けている仲間はひとりもいない。続ける中で知り合ったひとたちと一緒にレッスンを受けている。20年以上バレエをやっている。同じ先生に毎週指導してもらって、お互い20歳も年を重ねたのかと思うと不思議な感じがする。親よりも先生のほうが好きだ。いなくなったら困る。

 

 

今日、小学生の生徒のひとりがあまりやる気が無くて伸び悩んでいるという話を聞いた。周りの子たちはやる気に満ち溢れていて活発だからどんどんスキルアップをしているけれど、その子だけどうしても暗い顔をして踊るのだという。両親は「辞めたいなら辞めてもいいんだよ、休みたいときに休めばいいんだよ」という甘やかしのスタンスらしく、それって本人を尊重しているようでいてあまり真剣に向き合っていないのでは?と思ってしまった。

欲しいと思う物は何でも買い与えられ、嫌なものは親が避けてくれて、思い通りに生きることができる、親を思うままに動かせられるお姫さま。裕福だけど豊かじゃない、しかもそれに親も子も気づけていない。置かれている環境自体に問題があるのにそれが当たり前になっているから問題に気づけない。外で子どもが厳しい指導を受けている様子を親が見て「かわいそうだ、そんなにきつく言わなくていいのに、かわいそうにヨシヨシ」という感じで、子どもも子どもですぐに泣く。別の子の親は「厳しくて細かいレッスンの積み重ねで結果があるんだね、よくがんばったね、あなたの糧になっているんだよ」とポジティブに言っている一方で、「つらいなら辞めてもいいんだよ」ってそれは本当に子どもに向き合っているんですか?「厳しいことを言われても私はバレエを続けたいんだ!」と子どもに意思があればいいけど、なかなか子どもに意思を求めるのって酷だと思う。意思、無いことのほうが多いと思う。甘やかしの親は、子どもに意思があれば喜んで金を出すだろうし本人を尊重するというていで従うだろうけど、どうすれば意思って育つんだろうと考えてしまった。

 

私の場合は親の理不尽な行動や言動に振り回されるのが嫌すぎて反発する形で自我というか意思が芽生えたと思うけど、その子のように親が甘やかしてくれるパターンって何をトリガーに育つのだろう。

 

「辞めたいなら辞めてもいいんだよ、休みたいときに休めばいいんだよ」って親なら子どもが辞めたいと思っているか続けたいと思っているか、少しくらいは分かるんじゃないのかなと思う。家を出るとき、帰ってきたとき、その表情を見ても分からないものなのだろうか。子どもの気持ちを決めつけたり、気持ちを無視して強制させるのは違うけど、気持ちを形にする、輪郭を与えてやるくらいのフォローはできるような気がしてしまう。私が親じゃないからそう思うのだろうか。気持ちから意思を決めていく。そういったこともせずに、子どもを尊重するふりで自分の子どもを知ろうともしない、優しい無視を決め込んで、ぶつかりあうこともない。そっちのほうが疲れないだろうけどちょっと怖い気がする。

その子がやる気がないことよりも、置かれた環境のことが心配になってしまって、どうにか救いあげたくなってしまう。小学生じゃまだ自分の気持ちがどういう形をしていて、その理由が何かとか、整理できないこともあるだろうから、なんかこう、きっかけがあるといいなと思う。

なめらかな演技

彼は煙草を吸うときベランダに出る。私は彼の帰りを布団の中で待つ。今朝、おひるね前の一服、私は中島みゆきの『糸』を歌いながらジェラートピケの靴下を履いていた。「あたためうるかも〜しれないよ〜」と謎のアレンジを入れながら。ベランダから彼が帰ってきて、「靴下履くときいま何か歌ってなかった?」と言われる。まさか靴下履いてる様子を見られてるとは思わず恥ずかしかった。「元気よく歌いながら靴下履いて、ご機嫌な幼児なの?」とも言われる。彼の前では幼児になるし、赤ちゃんにだってなる。今まで自我が芽生えてから、誰にも見せていなかった自分の甘えたでくっつきたがりな幼児なところを、彼の前では見せている。

 

このまえ推しの美容師さんには「分かりやすい」と言われた。「前髪これくらいの長さでいいですかね?」「そうですね…」「もう少し切りましょうか、これでどうですか?」「ハッ…!これがいいです!」みたいなやりとりをしたからだ。すぐ態度や顔に出る。私は本当は分かりやすい人間なのだ。平凡な、ありふれた、普通の人間。

 

推しの美容師さん、ベラベラ喋るでもなく、自分が喋りたいときに喋っている感じがしてとても好感が持てる。ありがちなうわべだけの虚無トークはせず、自分の気持ちを話してくれる。彼は陰キャ寄りの美容師でさりげなく毒づくことが多い。話さなくても別に何も思わない、何より技術が高いのでいつも仕上がりが最高にイイ女って感じになるのが精神的に良い。

 

推しの美容師に結婚の話をする。「一人暮らしは自由が利いたけど、共同生活は自由がなくなりますよ、と。喧嘩の話もした。相手が悪かったとしても、私の指摘の仕方、言い方が悪かったなってときがある。余裕がないときはふたりとも病んで別居生活になるときもあるけど、お互いに納得するまで話し合ってそれで生活を立て直せる、それがよかったと自分の本音を話す。すごくシンプルに受け止めてくれて居心地がいい。

 

 

最近よく夢を見る。

 

3/5(金)-3/6(土) 夜の夢

スーパーに買い物に行く夢。カオマンガイを作る予定だったが、かたまりの鶏肉がないため挽肉を購入しガパオライスに予定変更する夢。また、春巻きを作るために諸々の材料を買って帰る夢。

 

3/6(土) おひるね時の夢

ツイッターでフルーツサンドのツイート見てフルーツサンドが食べたくなる。パートナーと買いに行こうという話になりコージーコーナーに行った夢。彼がお金足りないと言うので私が一万円札出したところ、彼はありがとうも言わずに店員の女と仲良く話していた。むかついてその場を離れるという夢。

 

3/6(土)-3/7(日) 夜の夢

美容室で金髪にしてもらったはいいが、毛先に茶色が残っており、まだら模様だからとお直しで再度美容室に行く夢。お直しのときはホットペッパービューティーから予約するわけにもいかず、とりあえずお店に行ったものの勝手が分からず苦労した。

 

3/7(日)、おひるね時の夢

脱出島というゲームの夢で、宇宙空間から脱出するという内容。大きい螺旋階段妹を降りると妹と妹の幼馴染に会う。どうやら卒業式終わりのようで、また、これから入社する会社の社員証タイランド製であることに驚愕していた。
何者にもなれなかったひとたちの集まりにぼんやり馴染めないまま、近くにいたおじいさんに一番簡単な脱出の仕方を教えてもらった。9通りある脱出の仕方のうち、何万年後に移動してから、タクシーを拾って戻るのが一番簡単とのことだった。

 

私が夢を見るときは、大抵疲れが出ているときなので、今もおそらく疲れているのだと思う。

 

 

最近永山瑛太さんのことが大好きになりつつある。『それでも、生きていく』を見た後、『若者たち2014』という昭和っぽいドラマを見終わり、今は『最高の離婚』を見ている。瑛太さん、何見ても瑛太だな〜!って思うときがなくてすごいなーーと思う。何見ても同じ演技だな〜!って思う俳優さん、それはそれで良いのだけれど、瑛太さんの役への馴染み方、浸透の仕方、にいまさら感動している。台詞がとても聞き取りやすくて、表現が繊細で、無理のない感じが素晴らしい。

 

『若者たち2014』は、若者たちが観るドラマというより、若者ではないひとたちが観て若い頃を懐かしむようなドラマで、妻夫木聡が「理屈じゃねえんだよ!」と大声を出して瑛太柄本佑野村周平満島ひかりといった弟妹たちと懸命に生きていく、とても裕福とは思えないどちらかというと貧困層側の物語で、瑛太はムショ帰りの次男という役どころで、最終的には長澤まさみとくっつくわけですが、この大人の恋愛の演技がメチャクチャすてきですてきで仕方がなかった。瑛太がいなかったら『若者たち2014』、見終わることができなかった。ふとした会話の流れで「おれたち一緒になるか?」って一歩距離を詰めてドキッとさせるような、あ、これマジのやつだ、マジのトーンの話だな、って空気をガラッと変える技術。相手に一歩踏み込んで、抱き寄せて、内面を引きずり出して、追い詰めて、それでいて不快じゃない、彼の襟を正して整えられた演技。不快じゃない演技のすごさ をどう伝えたらいいのか分からない。水のような感じで、飲んでいて喉に引っかからない、スーッと染み込んで自分の体温に戻るようなそんな感じがする。私は 水のような ひと、ものが好きです。自分の身体の一部になる、豊かでいて不純物がないような、なめらかなもの。瑛太のなめらかな演技、4月からは『リコカツ』が楽しみ。

それはそうと2021年春ドラマ、観るもの多すぎませんか!?今回のブログはあんまりまとまりがなかったな。感情がうまく乗らなかった。

 

 

あたりまえに思うなってこと

『それでも、生きていく』を歯を食いしばりながら見ている。現状維持で生きていきたいひともいる、目を逸らさずにちゃんと向き合って痛みを感じて生きていきたいひともいる、私はどちらかというと後者のほうだ。大竹しのぶ満島ひかりの演技に揉まれる風間俊介が良すぎる。あのときこの仕事できてよかったねえと誰目線なのか分からない感想が出てくる。

 

 

 

 

風間俊介、『フライパンと拳銃』という2008年にG2が作・演出していた舞台に出ていたときから好きで、あの演技、風間俊介の演技としか言いようがないあれが好きで好きでたまらない。2008年、私は14歳だったらしい、14歳で長野博風間俊介と、富田靖子の演技を肉眼で見たことがある、肉声を聞いたことがある人生、本当によかった。私の今の豊かさを育んだひとつ、舞台で生の演技を感じること。

 

舞台。

『グリーンフィンガーズ』で平幹二朗を遠くから見たことのある人生、ペンギンプルペイルパイルズで奥菜恵、劇団AUNの公演で吉田鋼太郎大塚明夫と谷田歩、キンキーブーツの三浦春馬小池徹平。なんだかんだで様々な舞台を観てきて、また行きたい公演が出てきた。

 

坂元裕二 朗読劇2021 「忘れえぬ 忘れえぬ」、「初恋」と「不倫」公式サイト

 

はー、畳みかけてくる。花束からいつ恋、『問題のあるレストラン』ときて『それでも、生きていく』を観ているが、もう少し坂元裕二祭が続くらしい。去年は応募しても抽選が当たらなかった朗読会、今年は当たるといいのだけれど……。『不帰の初恋、海老名SA』『カラシニコフ不倫海峡』はすでに本で読んでいるけど、『忘れえぬ 忘れえぬ』は何も知らない。死にたいけど生きる希望がまた少しできたので生きることにした。

 

 

2/28(日)

坂元裕二のパートナーって森口瑤子なんだよ」とパートナーに話したら「誰それ?、もう寝るから」といきなり会話が終了してつらくなった。自分の興味のあることにしか反応せず、興味がなくなった途端にぶった切るの何?興味がない話題のとき私は興味あるふうに返してるのに何?ってなっちゃって夜ごはん何も食べないまま寝たらぼんやりエネルギー切れで立てない。ホットケーキ用の卵を買いにいきたい、マクドナルドを食べにいきたい、昨日行けなかった本屋によつばと!を買いに行きたい。

 

たんぽぽの川村さんのASMRを聴いておひるねし、午後13時、やっと起きて図書館と本屋とセブンイレブンマクドナルドに行った。部屋でメロンソーダをつくり飲みながらダブルチーズバーガーを食べる。録画していた『ボクらの時代』を見た。

 

夜ご飯は揚げ物パーティーをした。パートナーがいきなり揚げ物に目覚め、道具を一式揃えたのちカレーパンを作り出したのが先週のこと。今日は牡蠣とコロッケとペコロスを揚げた。本当はカジキも揚げたかったけれどお腹がいっぱいになり明日に持ち越しになった。揚げた牡蠣は少し縮んでいて、ふたりして かわいい〜〜〜!を連発した。デザートにアーモンドのアイスを食べた。

 

『それでも、生きていく』の最終回を観てふたりで泣いた。「凧、高いね」という子役の独特なセリフから、「ノモ、うまいね」という存在しないセリフを作り出してひたすらに笑った。シリアスなドラマだけど、笑えないシーンが無いわけではなくて、人々のぎこちないコミュニケーションの細部に愛を感じた。やっぱり時任三郎演じる加害者の父親が最初から最後までずっと狂ってて、大竹しのぶの目のきらきらと風吹ジュンの真っ黒な深い闇のような瞳が対照的で、瑛太満島ひかりが最後まで敬語で話しているのがよかったと思う。風間俊介が出ていたので放送当時も観ていたはずだけれど、日向夏の印象が強すぎて、他のことをあまり覚えていなかった。なので見返すことができてよかった。辻井伸行さんの、湖畔に静かに響くようなピアノがとてもすてきでした。

 

そのあと『若者たち2014』の1話を観て、「2014年の設定なのにこんなべらんめえな感じの人間って存在するの!?」「べらんめえだと戻りすぎ、江戸だから!」と話して、主人公のあまりの昭和っぷりにドン引きしてしまった。何も感情移入ができなかった。大声を出して、女は結婚!男は就職!と 周りの人間を自分の古臭い固定観念に従わせようとするくせに、自分は避妊せず しかも最初はお腹の子どもを認知しようともせず、そういうところに腹が立って、恥ずかしくて結構観ているのがつらかった。

また、満島ひかりは職場の年上男性と不倫をしている役柄で、「好きになっちゃったから仕方ないじゃん!」というようなセリフがあるのだけれど、私は「確かにそうだよなあ 好きになっちゃったら仕方ないよなあ」と思っていたら、パートナーは「好きになるのは仕方がないけど、行動しちゃうのがだめでしょ 離婚してからならまだしも 妻や子どもがどう思うか」と言っていてなるほどなーと思った。私は、パートナーと他の誰かが不倫することは想定していなくて、私が既婚者のことを好きになってしまう想像をしていた、だから好きになってしまったら仕方がないよなあと思ったけど、パートナーは不倫をされた側の立場に立っていた。

 

3/1(月)

昨日の夜はよつばと!の最新刊を読んだ。私の地元の海が出てきてうれしくてパートナーに報告した。頭を撫でてくれた。別に地元に愛着があるわけでもなんでもないけれど、あの精緻な絵で地元が描かれていることがとてもうれしかった。存在を他者から認められている感じがした。私の地元、この世に存在したんだ、って思った。

 

よつば、いよいよ小学生になるらしい。幼稚園や保育園には行かないまま、小学生になるようだが、それって現代日本でアリなのだろうか?よくわからない。ランドセルも絵の具もミキサーも買ってもらえて羨ましい。私はドラム式洗濯機と食洗機とお掃除ロボットとアクションカメラがほしいです。全てやり終えたあとの大人が欲しがるものシリーズ。本当はセボンスターが無限に欲しい、ミッフィーのぬいぐるみやリサとガスパールのぬいぐるみが欲しい。とりあえず休暇がほしい、ただ眠り続けるだけの休暇。

 

 

お昼すぎ、「おやつの時間ですよ」とパートナーがフレンチトーストを作ってくれた。我が家には料理ブームが少しだけ来ている。フレンチトースト、自分で作るよりパートナーに作ってもらうほうがおいしかった。人に作ってもらったほうがおいしい食べ物ってあるよね、オムライスとか、卵料理?

 

寒いのでパートナーにしがみつく日々。体温の高い彼がうらやましい。このあたたかさがいつか消えたら私はどうやって暖を取ればいいのだろう。あたたかさだけではない、手を近づければ眠っていても磁石のように反応して握ってくれる大きな手のひら。ジョジョの奇妙な冒険吉良吉影のように手首を切り落として、体温もそのままに保存しておきたい、ぬいぐるみのように寂しくなったら抱きつけるように、腕ごとでもいいから、なんなら生きているうちに型を取って、中にあずきでも入れておいてレンジでチンすればほかほかになるみたいな腕、保存できないですか?気持ち悪いですか?何ですか?

 

キスがしたくて顔を近づけても簡単に応えてくれないのが私のパートナー。もがもが動いているとふいにキスしてくれたり、こう、振り返りざまの一瞬の隙にしてくれたり、それで嬉しくてデレデレしながら笑うのが私の日常。

生活時間帯が異なるため、朝も昼も夜も一緒にごはんを食べることさえままならないけど、ひとまずは一年ほど共に生活ができてよかったなあと思っている。最近『マルコム&マリー』を観て、パートナーが「ありがたみを忘れるなってこと。あたりまえに思うなってこと」と話していた。

寂しさの責任

2/22(月)

『問題のあるレストラン』を観終わった。

裁判の帰りにはおいしいものを食べようと風間俊介が言うシーンでパートナーが泣いていたのが印象的だった。我々にとってのご飯。ときどき喧嘩をするけれど、おいしいご飯を食べて、温泉に入って、旅行に行って、一緒に寝る生活。これが私たちの愛の形です。おいしいご飯を食べたいという執着が、少なからず私たち夫婦の縁を繋げています。

 

承認欲求が高まってインスタのストーリーに投稿をしましたが、他人からコメントが来て怖くなってしまった。踏み付けにされている と思ったが、それは認知の歪みだった。私の幸せを踏み付けにして、そのコメントをしてきたひとの幸せのほうが勝っていると言われているような感覚になり、そういう自分の歪みが怖かった。「私はあなたの幸せを真似してもっと幸せになります」と言われているように思えた。そっとインスタの「親しい友達」リストから外した。最初から別に親しいわけでもなかった。承認欲求のためにリストに入れていただけだった。おしまい。

 

先週私が感情をおさえられなくなった際のツイートを、リツイートした全く見知らぬひと、言及したひとたちの一週間分のツイートを読んだあと、改めて私に対する言及を読み、やはり戻れないなと思った。全然怖くて全然ムリ、ツイッター、ムリです。一通り連携を外して、はい、という感じ。普通にフォロワーにリツイートされる時点で怖かったのに、見知らぬ他人にツイートが呪いっぽい(要約)と言われたことが呪いになって刺さったまま抜けない。感情の赴くまま書いてるんだからその整理されていない様子、校正されてなさについて指摘されてもンなもん知らねーよ、自分の中で整理をつけられないバカは書いちゃダメですか?、整理のために書いてるんですけど、は?って感じでした。それならオープンのアカウントで書くなって話でした、はい。ということをオープンのブログで書いてる時点でダメなのですが、大して読者もいない(謎に執着されてアクセス数が爆増するときはある)ので、暫定的にはここに書いていく。

 

賞味期限が12日過ぎた牛乳は変な味がした。バレンタインも終わったのにクッキーの大量生産をする祝日の前の夜。坂元裕二の『またここか』を読んで救われる気持ちになる。

 

 

今日、会社の後輩に「確認してほしい」と14時に言われたことをあえて18時に確認して返信するという意地悪をしてしまった。仕事が忙しかったのは確かだけど、もっと優しくすること、もっと早くに返信することもできたけど、あえて後回しにした。後輩に対して、もっと自分の意思で動け、と思ってしまった。後輩育成が苦手である。業務は教えられるけど、その立ち居振る舞いまで育てられない、そこまでは私の対応範囲じゃなくて本人の素質のような気もしているから尚更かったるい。

 

たとえば、ディズニーランドに行ったとき。「何のアトラクションに乗りたい?」と聞いた相手が「なんでもいい」と返してきたときに、「えー私もなんでもいい〜」とあえて返事するような、そういう類の意地悪の感情だった。なんでもいいってなんだよ、どんなアトラクションがあるのか分からないならそう言えばいいし、分からないなりに激しいやつ、かわいいやつ、ジェットコースター、メリーゴーラウンド、何か言えばいいのに何にも考えずに、考えるコストをケチって、他人任せにして「なんでもいい」と言ってくるやつにムカつく感情。

些細な判断さえ委ねてこられると、疲れる。

 

 

『あちこちオードリー』のCreepy Nutsゲスト回がよかった。DJ松永の顔つきが一年前と変わったね、とパートナーと話した。Creepy Nutsが初めて武道館に立ったとき、松永がずっと泣き倒しだったエピソードがよくて、ひとつひとつ、「俺らが出会った時に作った曲」「2人で同居した時に初めて聴いたデモ」「初めて飯食えるようになったときの曲」、そういうのを思い出して泣いてしまったという松永の話を聞いて泣きそうになってしまった。はあ、オードリーとCreepy Nutsの関係性が好きだよ。

 

あと、驚愕映像100連発みたいなYoutube動画を3時間見て少しだけ話すようなテレビ、誰が見たくて放送されてるんだろうとずっと思ってたし、そういう仕事をさせられる芸能人もかわいそうだと思っていたけれど、スタッフもスタッフでみんながみんなやりたくてやってるわけじゃない、と若林が言っていてよかった。「今回こんなでごめんね」と話すスタッフがいる現場だと、そんなこと言わせちゃいけないと思って頑張るんだと。動画を見るだけでも面白い切り口で言えることはあるはずなのに、スタッフにそんなこと言わせちゃいけないって思って頑張るんだって。よい話だったなー。

 

オードリーといえば、先日のオールナイトニッポンで、春日がビデオカメラをゲットして娘や妻、愛犬を撮ってはその動画を見てグチグチ言いながら酒を飲んでいるという話をしていてよかった。娘が予防接種でギャン泣きしてる様子を撮影している際、あまりに胸が痛くてかわいそうで医者が敵に見えたと。春日は、娘が誕生する前から姪っ子の授業参観や運動会で泣いたりしていて、私はそのエピソードがとても好きだった。ちいさな子どもが頑張っている様子に胸がいっぱいになって泣いてしまう春日がとても好きです。あちこちオードリーも好きだけど、日向坂でにこにこしながらアイドルを見守る様子も大好きです。

 

 

2/23(火)

私が気持ちよくなるような言葉をかけてくれる他人が、私が嫌っているひとの悪口を言い始めたのを聞いたとき、「ああ、私も同じように悪口を言われているのだろうな」と思う。いとも簡単に手のひら返して、あっという間に仲良くしなくても構わない関係性になれる。ということをお風呂に入りながら考えていた。

 

仲が良いふりをしながら、相手が気持ちよくなるような言葉をかけながら、別の人にはすぐさま悪口を言えるようにしていること、すごく気持ち悪いと思う。私が落ち込んだとき、その落ち込んだ原因を聞いた彼女は「それはあなたは悪くない、<任意の理由(私が話した内容の復唱)>で<任意の行動(私が話した内容の復唱)>を取ったんでしょう、それはあなたは悪くなくて、"あっち"のほうが悪いよ」と私を肯定して、"あっち"を否定する、否定するというか下げる。私としては"あっち"とも仲良くしていたわけだから、それを否定されるのはイヤなのだけれど、そのときばかりは落ち込んでいることもあって肯定されると心強く思ってしまう。そうだよね、私間違ってないよねと思ってしまう。慰めてくれるのは分かるけど、何も知らないあなたがなぜ私を肯定する?何もえらくない、むしろ私に落ち度があったかもしれないのに、なぜ?自己肯定感が低いとか、そういう話だけじゃないと思う。

 

なんだろう、ずっと居心地悪くて気持ちが悪いと思っていた。なんで彼女は目の前の相手を肯定するために、周りの人間のことを貶すのだろうか。このまえ一緒に食事とか行ってたし、オンライン飲み会とかもやってた仲なのに、なぜそんな簡単にその相手のことを悪く言えてしまうんだろう?と不思議に思う。それが社会でのコミュニケーションというのならば、私はまったくもってそういうことはやりたくないし、できないです。

仲良くしたくないと内心思っている相手と仲良くすることも、本当は仲良しなのに別のところでその相手のことを悪く言うことも、どっちもできない。気持ち悪い。

 

燃え殻さんの『相談の森』という本を読んでいる。「大学の卒業式で仲良く話せる友人がいなかったんだけど、無理してでも友達は作ったほうがよかったのか?」という相談に対して、「いつもは友達欲しいと思ってなかったでしょう、それなのに卒業式で話せる友人がいなくて寂しかったんでしょう、卒業式で仲良く思い出を振り返って涙したり笑いあうひとたちは、都合のいい関係性だけじゃなくて相手に合わせたり面倒を背負って成り立った関係性で繋がっているんですよ、都合良いときに仲良くする関係はインターネットだけにしたら?」みたいなことが書かれていて刺さった。

 

相談の森

相談の森

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 卒業式の時に周りの楽しそうに名残惜しそうにするグループを目の当たりにして、ふと淋しくなったんだと思います。でもきっとあなたは、日常ではそれほど友だちがいなくても大丈夫だったんじゃないですか? 自分の好きなように時間が使えて、好きな時に好きなことをするのは誰からも邪魔されることがなくてラクだったんじゃないですか? 

 

 卒業式の時に楽しそうにしていた人たちは、相手に合わせることだったり、相手に合わせてもらえるように先回りすることだったりの面倒をちゃんと引き受けて、それを当たり前の日常にした人たちです。お互いがちょっとずつちゃんと人生を共有したからこそ晴れて卒業式、その関係性が一旦幕を下ろすことに涙したり、笑って振り返ったりの時間が持てたんだと思います。

 

 都合のいい相手と都合のいい時だけ話すなんていうのはSNSだけにした方が人生のためです。都合のいい相手と都合のいいまま付き合ったり別れても、ぼんやり何だか親に申し訳無い気持ちになるだけです。ボクがそれです。ほぼため息で身体が構成されています。まだ20代のあなたならボクと違って引き返せます。こっちにこないでください。

 

正直、インターネットの都合の良さが楽で、ひとりでいたい気持ちも強く、相手に合わせるとか面倒だな……というのが本当のところ。いま仲良くしている数少ない友人たちに対しては、特段気を遣ったり遣われることもなく、面倒がないから友人を続けられている。

ディズニーランドに一緒に行っても時間を決めてひとり行動をするという関係性がベストだった。ひとり行動ができる、というのはある種の能力でもあるし、そういう能力と強度がある他人が一緒にいて楽だと私は思う。

社会でうまくやっていく気もないくせに友人が少ないことを嘆いては寂しがる。友人ができたらできたで面倒くさがるのに。寂しさの責任は自分にある。ひとりが好きなんだから仕方ない。そこは受け入れていくしかない気がする。

代わりの生活

 

2/16(水)

 

問い合わせ対応が終わらない。客からの止まらない質問にめげてきた、分からないことを次々と聞いてこないでほしい、パンクしそうになる。誰か代わってほしい、助けてほしい、でも他の人も他の仕事で忙しいし……。きっとつらいと感じていることを知ってほしいんだろうなと思う。私のつらさを知ってほしい、と思うことをやめたい。抱え込む以外のやり方で。

 

昨日はあまりに身体が限界で初めて漢方アロママッサージに行った。腰が痛くて痛くて仕方がなかった。施術してくれた方に、セルライトがひどいと言われた。おしりや太ももに詰まってるから腰が痛くなるんだとゴリゴリやられた。東洋医学でいう五臓の「肺」が悪いのでそれに効く漢方を使ってもらった。結果、すこし身体は楽になった気がするが、揉み返しがひどい。かなしい。本当は気功整体に行きたいのだけれど、今の家からは遠く、また電話予約をしなければいけないことがつらくて億劫になっている。

 

セルライト、昔は気にしてなかったし何がセルフマッサージだよ〜と思っていたけれど真剣に考えねばならない。ひとに勧められMelvitaのオイルを使っているけど、いかんせん握力がないのがつらい。セルライトを駆逐するための握力がない。すぐ疲れちゃうの、どうにかしてくれ。ハンドクリームさえまだ要らない人間だけれど、少しずつ老いが始まっている。アンチエイジングケアも含め、店じまいの準備をしなければいけない。

 

パートナーとセックスする夢を見た。

セックスしたいです。

ピルを飲むの、やめてもいいですか?

怖くて聞けない。

パートナーを恐れているわけではなく、

自分のアイデンティティの崩壊みたいなものを恐れている。

 

 

2/18(木)

会社のデスクに磁石ではりつけるタイプのゴミ箱が盗まれた。トイレに行くついでに大きいごみ収集場所にゴミを捨てに行って、そのまま磁石タイプのゴミ箱を放置していたものの15〜20分くらいで無くなってしまった。社員証でピッと入るフロア内に放置していたので、うちの事業部内の誰かが盗んだことになる。

 

『問題のあるレストラン』の傘泥棒の話を思い出した。

 

傘立てにね、ビニール傘が並んでるの。

最初に傘泥棒が来て、そのうちの1本を盗ん
で差して帰っていくの。

その後、別の人が来て、傘を差して帰っていくの。

でもそれはその人の傘じゃない。

その人の傘は盗まれた後だから。

その次の人も気づかずに別の傘を差して帰る。

その次の人も、その次の人も、別の傘を差して帰る。

そうして、最後の人は、もう1本も傘が残ってないの。

傘を持ってきたのに、雨に濡れて家に帰るの。

私、思うの。2番目3番目に来た人たちはわざとじゃないけど、でも、やっぱり傘泥棒だと思う。

責任があるとは言わない。謝れとは言
わない。

でも、その傘が、本当に自分のものかどうか、確認すべきだったと思う。

濡れて帰った人のことを、想像すべきだったと思う。

 

私の、私に所有権はないけど、会社で利用していいとされている私のデスクにずっとはりつけていたゴミ箱がなくなって、しかも同じ事業部のひとに、と思うと結構ガツーーンとショックを受けてしまい、仕事が手につかなくなってしまった。同じ事業部の備品とかに詳しいひとに、帰りしな「私のゴミ箱が盗まれたんですけど……!!!他に余ってるゴミ箱とか知らないですか!!!」と聞いてみたらあっさり使ってない席のゴミ箱を使っていいよと言われて嬉しかった。

こういうことは、騒いでみるもんだ。アピールが大事。歳を重ねるにつれあんなに苦手だった""図々しさ""を習得している。何の成果もないくせにアピールだけは一丁前にしやがって、アピールのおかげで周りから評価されてる人間のことをメチャクチャに嫌っていたものだけれど、そういうのとは少し違う(と思いたい)、良い意味での図々しいアピール、生き抜く強さです。

 

↓も同じ話。

 

 

ゴミ箱盗まれた事件の帰り、最寄駅で盛大にぶつかられたから思い切りぶつかり返した。本当は振り返って相手のリアクションを見たかったけど見れなかった。首根っこつかまれて今登っていらこの階段から引きずり下ろされたら、殴られたらどうしようという恐怖があった。

相手は小柄な女性だった。駅で人間を避けられなくなるくらい、何か嫌なことがあったんだろうか。ぶつかる側も痛いだろう、それなのになぜ、と思う 一方で、いつも、ぶつかられたらぶつかり返す、避けなかったら私も避けない、

舌打ちされたらもっと大きい音で舌打ちする、そういう振る舞いをしてしまう。以前好きだった人間に「そういう自分が傷つくようなことをやめな」と言われたけど、いまだにやめられません。

 

そんなこんなでつらい気持ちで家に帰ったらパートナーが少し元気になっており青色申告の準備をしていた。テレビに目を向けたら花江夏樹さんがゴチに出ていて可愛らしかった。笑顔が可愛い。1位になっててよかった。束の間の癒しでした。

 

ゴチのあと、「もししんどかったら仕事辞めてもいいんだよ」と20歳年上のパートナーに言ったら、「辞めたら今の生活を続けられなくなる」と返された。親が死んでも休めないような職場、そんなの辞めればいいと思った。生活レベルを下げてでも、私が養う形でも、そんな仕事辞めてしまえと思った。年間50日も休みがないような職場で、しかもその休みがレースで潰されることもあって、代休もなくて、それで親の忌引休暇さえ取れないなんておかしいだろ、絶対に絶対におかしいだろ、親の死に目に会える思うな、ではない、会えないことは絶対におかしいだろ、なんで親が死んでるのに仕事してるんだよ、そんなに仕事が大事かよ、と思ってつらくなって私が泣いてしまった。私がもっと年収3000万とかあれば、私が彼を養ってあげられたのに、なんで、こんなに何もしてあげられないんだと不甲斐なくて仕方がなかった。

 

2/19(金)

企業型確定拠出年金とつみたてNISAの見直しを行なった。前者は3%、後者は8%利益が出ている状況だった。株式と債券、国際と国内と、バランスを振り分けて設定する意味がやっとわかった(遅い)のでそのように設定しなおした。SBIとか三井住友信託のサイトの見方がやっとわかってきた。うれしい。iDecoも始めようかと思うけど、60歳まで取り出せないというのがネックになっている。

 

松たか子さんの『みんなひとり』を聴いてドバドバ泣く15時。この歌をカラオケでパートナーに贈りたい。

 

わけもなくふさぎ プチうつな自分が 嫌いになる日も
あなたの笑顔の 大きな力に 励まされるんだ
どんな強い人も 弱さを隠してる 外には出せない傷抱えながら
みんなひとりぼっち それを知るからなお
あなたの大事さがわかるよ
心の片すみで 気にかけてくれてる 恋よりも強い味方

 

生まれる時ひとり 最期もまたひとり
だから生きてるあいだだけは
小さなぬくもりや ふとした 優しさを
求めずにはいられない

 

ひとしきり松たか子で泣いたあと、iDecoについて調べたら企業型確定拠出年金をやっているうちの会社ではiDecoはできないようだった。マジかよ。ただ、マッチング拠出という制度があり、会社から毎月自動的に掛け金として投入される金額とは別に、自分の意思を持って掛け金を設定できるようだった。これはいいなと思った、のちほど調べて設定しようと思う。

 

本日も問い合わせ対応は終わらないまま終業を迎えた。

 

松たか子さんは来期から坂元裕二さん脚本のドラマが決定しており、最高の最高にうれしくてうれしくて、仕事から帰ってきたパートナーにすぐさま報告したけど反応が薄くてシュンとしてしまった。たのしみです、これで生き延びられる。

 

 

 

明日は花屋とドレスの試着に行く予定だけれど、パートナーの精神が一週間終わったままで、無事行けるのか心配である。先日のピザ事件の前後で職場で色々あり精神がおしまいになっている彼。「明日行けそう?無理だったら延期してもらうよう連絡するからね」と言うと、大丈夫だと言う。昨晩も同じことを聞いて同じ回答があった。何の根拠もなく大丈夫だと言っているように聞こえてイライラした。前回フォトウェディングの打ち合わせに行ったときも、精神が終わっていて打ち合わせも帰る電車もぼんやりと放心状態で、だんまりで、それがまた明日も起こるのかと思うと不安で仕方がなかった。実は今週そのことばかり考えて呼吸が浅くなって涙が何度も出た。このまえの放心状態を思い出すと、明日も、撮影当日も、同じようなことになる気がして、怖かった。そういうことを伝えた。そしたら「今のまま延期するよりも、明日花屋と衣装の試着に行くことで気分転換になるだろうから行こう」というような内容を言われた。「不安な思いをさせてごめん」とも言われた。

 

そのあとも色々話した。

今週、パートナーに幾度となく「無理しないで」と言ってきた。でも、彼にとっては「無理しないでって言われることさえ責められてるように感じる」とのことだった。放心状態の理由を教えてくれず、つらそうに見えるから「無理しないで」と言っていたけど、それがむしろ追い詰めていた。

 

そうやって無自覚に追い詰めてしまう私に何の価値が、何の意味があるのだろうか。放心状態の理由も教えられないような相手に何の意味が?何の意味もないような気がする。「意味ないなんてことはない、ひとりだったらもっとしんどかったと思う」と彼は言う。「いつか聞こうと思っていたけど、おれがいる意味って何かある?」と返ってくる。

 

「もっと一人の時間がほしいとか、ジェンダーとかフェミニズムに関する理解が違って、この作品は一緒に見れないなとか、あの話題は避けようとか思うこともあるけど、でも仕事から帰ってきて大事な人がいることはありがたい」と言った。

 

「さっきから泣いているのはおれに不満があるってこと?」

「そうじゃなくて、何にもしてあげられない自分が不甲斐ないから。あといくらでもひどいこと言おうと思えば言える自分が嫌で」

「それって俺の不満とか?」

「違くて、毎回同じことで悩んでる、同じことで悩むなら躱し方だってあるだろうに、また同じことで悩んでるんだなとか、具体的な改善しないんだなとか、そういうことを思ってしまう」
「しんどいひとにそんなこと、もしあなたの立場だったら、しんどいひとにそんなこと言うかな」

 

「生活レベルを下げてでも心身の健康を大事にしてほしいと思っている。でも仕事辞めていいって言ったけどあんまり意味なかった。」

「おれにはこの仕事しかできない、社会性とか人間性とかに問題があるから、今はなんとか誤魔化してやっているけど、続けるしかない」

 

そうやって、いつも自分の社会性とか人間性を改善する気もないくせに、仕事がつらいと言ってるのが腹が立つ。でも、なんかそういう自分の優しさが足りないところ、モラハラっぽい自分の醜さがかなしい。つらい、おれってだめだなあってボンヤリしてる暇があるなら、具体的に改善策を、改善できるかどうかは別として、考えたほうが自分的に楽になれるんじゃないのかなって思う。他人が変わってくれることなんてない、だから自分が変わるか、環境を変えるか、大雑把にいうならその二択を選ぶしかないんじゃないのか。大人になってから早々人間は変わるもんじゃないけれど、でも、今からやれることはあるじゃん、って思ってしまう。具体性が何もない、実現可能性が何もない、同じことでまた悩むの、しんどいだろうと思うんだけどな。

もしかして、あなたに今必要なのは適切な医療ではないですか?

 


「俺である意味ってあるのかなって聞いたとき、その回答を聞いて、他の人でもいいように思えた」と言われた。仕事から帰ってきて大事な人がいることはありがたい、そりゃそうだろう、あなたじゃなかったら他のひと、代替可能性なんてあるに決まってる。それでも私はあなたを選んだ。そのことに意味があるんじゃないの。他のひとでも、代わりは利くけど、でもあなたでないといけないのは、あなたがあなただからである。それをいかにして伝えればいいんだろう。

 

 

しばらくして彼はお風呂に行ったので、私は家出がてらメルカリの発送をすべくコンビニで120円切手を買った。店員さんが日本人ではなかったけれど、「すぐ使いますか?」って糊を貸してくれた。ありがとう。

 

そのあと、そういえば先日大きい地震があったなと思い出し、スーパーに備蓄用の食品を買いに行った。米、レトルト、缶詰など。もともと一人暮らしを始めた際に母が託してくれた非常用持出袋があり、その中には水や包まるもの、温かくなるもの、ロープ、手袋などが入っていたのでその袋の中に食料を補充した。充実感。ロープを見ただけでああ今日も死にたかったなと思い出すくせに、いざというときの食料の備蓄。企業型確定拠出年金とか、つみたてNISAとかもそうだけど、死にたいくせに何生きる予定を立ててるの?って思うときがある。本当に死にたいならそんなことしない。

彼は先日の地震のとき、「ふたりなら大丈夫だよ」と言っていた。その具体性の無さが気になる。気持ち的にはそう思っていたとしても、具体的な対策がないと大丈夫にならないだろうがよ。私は具体的な、物理的な備えをして安心したいのに、何がどう大丈夫なのか教えてくれよ頼むから。

 

プチ家出後、先週届いた南インド屋さんのスパイスレッスンのキットを使って、ダルフライとエッグブルジをいきなり作った。すでに22時半を回っていた。泣き腫らしたからからの身体にししとうとスパイスの辛さがしみしみに染み

た。

明日、無事花屋とドレスの試着に行けるのでしょうか、乞うご期待。

 

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