優しい無視

習い事。

お金を親に出してもらっている子どものうちは、ありがたみはそこまで感じてなかったけれど、そのうち親がお金を出していることを良いことに「<任意の理由>であるなら辞めさせるよ!」と頻繁に脅してきて、理不尽だなと思いながらも従うのが常だった。

 

私は5歳からバレエを習っていて、親は、勉強、他の習い事、親の機嫌、私の態度、何もかもを脅迫の材料に使ってことあるごとにバレエを辞めさせようとしてきた。脅迫されるたびに大人しく従う(ポーズ)しか生きる道が残されておらず、親の庇護下でないと生存できない子どもという立場がものすごく憎かった。こんな生活から早く抜け出したいと、小学生〜中学生のころはよく思っていた。

 

高校生になっても脅迫は続き、その破綻して理論的ではない脅迫に我慢の限界がきて、「これからは私のお金でバレエを続けますので、口出しは一切しないでください」と親に宣言をした。最初はお年玉を切り崩しながら、次にショッピングモールのパン屋でアルバイトを始め、毎年の発表会に出るだけで10万は余裕でなくなってしまうことを初めて知った。高校生は平日学校終わりにアルバイトに行き、22時くらいには退勤しなければならないのでそもそも働ける時間が限られていた。高校生の身分では全然お金が貯まらなくて、コツコツ貯めたお金で初めて出た発表会はすごく達成感があった。こんなにお金がかかっているのだから頑張らなければならない、月謝を払っているから一回でも休んだらもったいない。あのときの自分は本当にえらかったなあと思う。

 

今日、バレエの先生から「あなたはやりたいって意思があったから続けられたしえらかったよね」と言われ、思わず泣いてしまうかと思った。日頃の行いから関係ないことでもいきなり結びつけられて辞めさせるよ!って言われてたことも先生は分かった上で言ってくれていた。

 

昔、本当に辞めさせられるかもしれないというときに、先生が私ひとりと話す時間を作ってくれて、「色々辞めていった子はいたけれど、あなたが辞めたくないと思っているのならば、辞めてほしくない」と言ってくれたときの、何が何でも私はバレエを続けたい、先生と一緒にいたい、先生のレッスンを受けたいと奮い立つような強い強い感情、今も鮮明に思い出せる。

 

子どものころ、私はバレエをやりたいと本当にそんな意思はあったんだろうか、と考えても今はもう思い出せない。バレエが好きとか嫌いとかいう感情はなくて、バレエをやるのが当たり前、無いのはおかしいという感覚だったと思う。声が小さくて引っ込み思案で発言なんて全然できない子どもだったけれど、バレエであれば表現できるし ちゃんと先生は見ていてくれておかしかったら指導をしてくれたしよくできたら褒めてくれた。そういう居場所を失いたくないと思っていた、多分。

 

周りの子たちは進学や受験勉強、スタジオの移転などを理由に次々にバレエを辞めていった。いま、5歳のころから一緒に続けている仲間はひとりもいない。続ける中で知り合ったひとたちと一緒にレッスンを受けている。20年以上バレエをやっている。同じ先生に毎週指導してもらって、お互い20歳も年を重ねたのかと思うと不思議な感じがする。親よりも先生のほうが好きだ。いなくなったら困る。

 

 

今日、小学生の生徒のひとりがあまりやる気が無くて伸び悩んでいるという話を聞いた。周りの子たちはやる気に満ち溢れていて活発だからどんどんスキルアップをしているけれど、その子だけどうしても暗い顔をして踊るのだという。両親は「辞めたいなら辞めてもいいんだよ、休みたいときに休めばいいんだよ」という甘やかしのスタンスらしく、それって本人を尊重しているようでいてあまり真剣に向き合っていないのでは?と思ってしまった。

欲しいと思う物は何でも買い与えられ、嫌なものは親が避けてくれて、思い通りに生きることができる、親を思うままに動かせられるお姫さま。裕福だけど豊かじゃない、しかもそれに親も子も気づけていない。置かれている環境自体に問題があるのにそれが当たり前になっているから問題に気づけない。外で子どもが厳しい指導を受けている様子を親が見て「かわいそうだ、そんなにきつく言わなくていいのに、かわいそうにヨシヨシ」という感じで、子どもも子どもですぐに泣く。別の子の親は「厳しくて細かいレッスンの積み重ねで結果があるんだね、よくがんばったね、あなたの糧になっているんだよ」とポジティブに言っている一方で、「つらいなら辞めてもいいんだよ」ってそれは本当に子どもに向き合っているんですか?「厳しいことを言われても私はバレエを続けたいんだ!」と子どもに意思があればいいけど、なかなか子どもに意思を求めるのって酷だと思う。意思、無いことのほうが多いと思う。甘やかしの親は、子どもに意思があれば喜んで金を出すだろうし本人を尊重するというていで従うだろうけど、どうすれば意思って育つんだろうと考えてしまった。

 

私の場合は親の理不尽な行動や言動に振り回されるのが嫌すぎて反発する形で自我というか意思が芽生えたと思うけど、その子のように親が甘やかしてくれるパターンって何をトリガーに育つのだろう。

 

「辞めたいなら辞めてもいいんだよ、休みたいときに休めばいいんだよ」って親なら子どもが辞めたいと思っているか続けたいと思っているか、少しくらいは分かるんじゃないのかなと思う。家を出るとき、帰ってきたとき、その表情を見ても分からないものなのだろうか。子どもの気持ちを決めつけたり、気持ちを無視して強制させるのは違うけど、気持ちを形にする、輪郭を与えてやるくらいのフォローはできるような気がしてしまう。私が親じゃないからそう思うのだろうか。気持ちから意思を決めていく。そういったこともせずに、子どもを尊重するふりで自分の子どもを知ろうともしない、優しい無視を決め込んで、ぶつかりあうこともない。そっちのほうが疲れないだろうけどちょっと怖い気がする。

その子がやる気がないことよりも、置かれた環境のことが心配になってしまって、どうにか救いあげたくなってしまう。小学生じゃまだ自分の気持ちがどういう形をしていて、その理由が何かとか、整理できないこともあるだろうから、なんかこう、きっかけがあるといいなと思う。