他人の話を疑わない人たち

仕事柄なのか、これまでの人生で叩き込まれたからなのか、私の性格に依るところなのか分からないけれど、"他人の発言や行動は真っ先に鵜呑みにせず疑うこと、受け入れるにはそれなりの根拠や証拠が必要だ"というスタンスで生きているので、そうでない人と関わると「根拠も何も提示していない私の話を鵜呑みにしたの?」と驚く瞬間がかなりある。鵜呑みにしたその根拠ってなに?と聞きたくなるのだが多分たいてい特に考えもせず受け入れられている感じがする。怖い。

 

例えば私がネットで調べた情報のスクショをLINEに載せて、「お店でイベントやってるらしいよ〜 行こ!」みたいなことを言うとそのイベントがやってるかどうか調べもせずに了解するような(良い例が思いつかない…)、体調の悪い人に対して「病気にはこの食べ物がいいらしいから食べるといいよ」と言ったら鵜呑みにして食べてくれるみたいな、そういう人が普通にいてすごく怖い。

 

キュレーションサイト、特に医療のことに関しては少し前にWELQの件で散々騒がれたけど、インターネットに住んでいない人はきっと騒動を知らない。

 

そして何の根拠も添えずに提示した情報を鵜呑みにして、それがフェイクだったと知ったときに不機嫌になったり怒る人が本当に怖い。自分で真偽を調べてないくせに怒るのは怖すぎる。

 

この場末のブログを読んでいるようなインターネットの住人は知らないかもしれないけど、いるんだよ、本当に、他人が出す情報の真偽を少しも精査しないで鵜呑みにして嘘だと知ると怒る人。怖すぎる。怖すぎる!!!!!助けて!!!!!!!

 

話が逸れていく気配があるんだけど、私の観測範囲では、人は(極端かもしれないけれど)インターネットに住んでいる人と住んでいない人に分けることができて、インターネットに住んでいない人もインターネットは使うけどその使い方がライトというか、明らかに私との使い方とは違うのを感じる。

 

 

 

私の観測範囲にいるインターネットに住んでいない人はインスタグラムをメインで利用している。食べたもの、行った場所、インスタ映えの壁人間コンテスト、そういうおしゃれなやつをおしゃれに加工しておしゃれなポエムと共にアップする、みたいな感じで、王様のブランチがターゲットにしてるのはこういう人々なのかな?みたいに勝手に思ってしまう。これがマジョリティなのか、?本当に?いつの間に…?

 

 

今の時代インターネットと生活を切り離すのは難しいものだし、インターネットリテラシーが低いことは悪だと言いたいわけではなくて、私もインターネットリテラシーが高いかと言われるとそうではないのかもしれないけど、見ていて危なっかしいというか、「大量RTされているツイートが全て真実だと思うなよ、というかそれ5年前のパクツイだからな、お前はパクツイだから何?みたいな顔をするのかもしれないけど………」みたいなこう微妙な感情が出てくる。

 

なんかどっかで見た、これまでのインターネット利用方法は自分で調べに行く形だったけれど、最近は調べずとも情報が入ってくるような形になっている、みたいなやつで、これまでのように能動的に調べる習慣づけができてる人は今もそれが継続されている一方で、そういう習慣づけがない最近の人たち(…)は受動的に情報を摂取しているから自ら調べることなんて少ないのかもしれない。だから他人が調べた情報、とりわけ友人・知人の間柄の人が提示した情報ならなおさらすんなり受け入れてしまうのかもしれない。

 

先日会社の同期にプロテインを飲んでいるという話をした際に「え〜私も飲もっかな、何飲んでるの?銘柄おしえて!」と言われたことがあった。

プロテインにはいくつか種類があって、筋肉をつけたいのか置き換えダイエットをして痩せたいのか目的によって飲むものは変わるんだよ」という話をしてもあまり届いていないようで、「どうして私の飲んでるやつが知りたいの?」と聞くと「知っている人が飲んでいるほうが安心できるじゃん」と言われた。

 

私としてはそれがすごく新鮮で、「今までお前は他人の真似ばっかりしてやがるな!真似するな!自分の意思を持った選択をしろ!!」と思っていたけど、どんな科学的な根拠よりも友人・知人を安心材料として情報を摂取する、それが自分の意思である、みたいな感覚、あるっちゃあるけど私にはそこまでない気がする。

 

私が時間をかけて調べて選び取ったものをいとも簡単に真似されてしまうと、盗まれたみたいな気持ちになって、あらゆる選択肢の中からどうしてこれを選んだのかその理由を理解してないくせに…となるけど、この気持ちは理解できる人とそうでない人がいるのだろうと思う。

 

ともかく文頭に書いた、根拠も何も提示していない情報を鵜呑みにする人というのは、理論的な根拠とか科学的な説明よりも、それを話している"人"を根拠にしているのかな、という仮定に落ち着きました。おしまい。

感情は邪魔

仕事をしている間に発生する感情はことごとく邪魔。他人から向けられる嫌味を始めとしたお気持ちに対して、感情を玉ねぎの皮のように剥き始めてはささくれ立って仕事以外の時間も気になってずっといじってると途端に血が滲み始めておしまいになる。

 

 

新しいプロジェクトもこのお気持ちの先輩とやることになるのだが、このまえのミーティングで「僕はみなさんに『頼まれたからやる』んじゃなくて『自分から何をやるべきか判断できるようになってほしい』んです」と話していて思わず笑っちゃった。

バカにするのもいい加減にしろよ。可能な限り判断して先回りして仕事してるのにプロジェクトの実情を把握しないで、頼まれたレビュー等の依頼をいつまで経っても見なかった半年前のお前、いつまで経っても成果物がレビューされなかったりメールの返信がなかったりでメンバーのモチベーションが著しく下がってその挙句納期ギリギリにダメ出ししてきたお前、お前が22時まで残業してるのはお前の勝手だが、私までそこに引きずりこまれる必要性はないはず。仕事を効率的に捌けない人のせいで私の生産性を下げられる謂れはないはず。

 

 

こちらの利根川の先輩の方は、「仕事を効率的にできるようになったからといって生産性が上がっているわではない」という話をしていて、やっぱりこの人のことが好きだと思った。

RPAとかAIで仕事を機械がやってくれるようになればそれまで時間がかかっていた作業も短い時間でできるようになるけど、短くなった分その時間で他の仕事をしないと生産性があがったことにはならないのだという話、当然のことだよね。

 

この二人の先輩には色々無茶振りをされているんだけど、利根川の先輩のほうは、なぜこの作業が必要か説明をしてくれるし、ある程度放任してくれて責任は取るという態度を取ってくれているので納得感を持って、また問題解決しようという意識を持って作業に取り組める。

お気持ちの先輩は「これやっておいて」で終わり。認識のすり合わせをしようにもその人が忙しすぎて(仕事を捌くのが遅すぎて)レスポンスが悪いから先に作業に取り掛かって返信が届き次第軌道修正をしている。つらい。この人のもとで動くときいつもこのプロジェクトはブラックだと思うのでつらい。

 

仕事の話は終わり。

 

 

恋愛も感情が邪魔。

先日ようやく好きな人は独身でも恋人がいるわけでもないと分かり、またこちらからあなたとの関係性はセフレではないという話をした、が、付き合っているのかどうかは分からない。

いくつか前の記事で恋人ができたような投稿をしたがあれは私の願望であって推定的な恋人であった。実は違うのかもしれない。…というかこれまで告白されて付き合ったことなんかあったか?なかったな、だから「恋愛にマイペースな人が好きなんですか?」と人に言われるのだ、儀式が嫌いだから、儀式に伴ってこれまでの関係性が破壊されるのが苦手だから逃げているだけなのだ本当は。誰かから告白されたことはある、学校の人気のない渡り廊下に呼び出されたり、LINEで長文の愛の言葉で殴られたり、教えてもいないFacebookメッセンジャーで「心から愛しているんです」とメッセージが飛んできたり、正気か???とそのときは思ってその人たちとは何もなかった。私の何を知っているんだ、何も知らないくせに勝手な好きになるな、と思っていた。

 

仕事が忙しくて会えないだろうと分かっていて「次会うの12月になりそうですか?」とあえて聞くこと、「悲しくなると分かっていてあえて聞きました」と言ってしまうこと、付き合ってるのかなんなのか本当は問い質したいけど仕事が忙しいときに感情で殴られてもかったるいだけだろうなと分かっていること、色々感情が出てきてそのせいで他人に迷惑をかけるのはどうかという気持ちとたまにはワガママ言わないと相手の都合のいいように使われる、聞き分けの良い子が過ぎると人間として消費されるだけだという経験もあるからこういうことが本当に下手!アドバイスをください!好きで仕事をしている人との付き合い方を!

 

感情が出てこないように最近は勉強をしている。勉強はいい、家事や掃除もいいけど終わりがある。来週は試験を受けるのでそれまでとりあえずは頑張りたい。

 

紅茶

仕事に浸かっている。

 

今参加しているプロジェクトがもうすぐサービスインをするので、その準備に明け暮れている。たびたび発生するトラブルに瞳を暗くさせながらも、その度に人を頼れるようになってきたと感じる。

仕事であまり関わりのなかった人たち。

噂ではどういった技術に長けているという話は聞くけど、実際にプロジェクトで一緒にならない限りはその恩恵を受けることはできないだろうと思っていた。けど、話しかけやすくてしょうもない人に聞いて問題が解決しないより、自分に圧力がかかるとしても問題解決のために話しかけにくい人にエイヤッと頼みにいくほうが断然近道なのだ。話が通じる人と仕事をしたほうが早い、何事も。

 

 

恋人は今日の夜に日本を発ち海外出張へ行く。

しばらく会っていないが、これからまたしばらく会えなくなる。

9つ年齢の離れたその人はちょうど働き盛りで、中堅で、会社にとってはよく使える駒だ。

 

LINE越しで会話をすることは、私にとってすごく難しくて、言いたいことを言おうとするとどうしても文章が長くなる。

 

以前他人に言われた、「より文章量の多い方が好意を持っている」という呪いが今も解けずに、高校生のときに付き合っていた24歳の社会人が車で迎えに来てくれるのを長いこと小田原駅で待っていたような気持ちが思い出される。「好きな相手を待たせたくなくて目的地に早く着く、待たされる側がいつだって損をする」

 

高校生のころは休日なのに制服を着させられて、連れて行かれる先がモーテルだったから今思い出しても虚しい気持ちになるが、今は懸命に言葉を尽くすことで虚しい気持ちにはならない。

 

「分からなくていいよ」と嫌味がましく言ってしまったときでも、「分かりたいんだよ」とストレートに言葉を返してくる人が眩しい。

分かるはずないだろう、私の気持ちなど、私だってお前の気持ちは分からない、9歳も年齢が違う、私が生まれる前に積み重ねた人生はどうやったって埋められない、その時代の音楽を聴けたとしても人々の熱量や同じ時代のムーブメントを知らない、分からない、知っていたからといって、私が早くに生まれたからといって今よりもっと上手くやれたとは思えない、他人同士は決して分かり合えない、ただ、9つ離れた駅に留まっている人、そこにいるから好きになれたんだろうなとも思う。

 

すでにある程度確立された人生。

どんな言葉をかけても影響はあまり受けない。

自分の中での選択がすでに決まっている。

決まったものを変えられることに抵抗を覚えること。

安定、精神の安定、富の安定、生活の安定、仕事の安定。

 

私がどんなに何を言っても、その人の感情が動くわけではなく、「あなたが嫌がるならこういうことはしないでおこう」という気持ちとは物理的に分離された、いつもとは違う道を選ぶだけ、ただその違う道を選ぶということを覚えているということが私にとっては尊いのだと思う、多分。

 

好きなもの、嫌いなもの、どこへ行ったか、どんな言葉をかけ、どんなことを言われたか、そういったひとつひとつを自然に覚えておくこと。執着して忘れない、手放さないのとは違う。

 

話が通じる人と仕事をしたほうが早い、それはそうなんだけど、話が通じない人にいかに言葉を尽くすか、みたいなことになっていて、だからと言って会社の先輩のツイッターに書かれてた「質問すれば全部丁寧に答えてもらえるとでも思ってるのかな」みたいなナイフに妙に感心しながら死んでしまうときもあって、言葉を尽くす 程度 が難しいなと思っている。

 

 

 

 

24歳エンジニアが資生堂のメイクレッスンに行ってきた

よなかです。社会人2年目です。普段はサーバや仮想PCの運用などをしています。これからそういったお仕事的な要素は一切出てきません。今日は化粧の話をします。

化粧は取り立てて好きというわけではないですが、他人に好かれたいので興味はあります。まあ化粧がよくできたところで他人に好かれる保証はないですし、そもそも性格が終わってるので何もかもダメということもあります。ただ、可能であるなら自分の顔面を美しくはしたいと常々思っていました。今日は化粧の話をします。

 

高い化粧品を買っても使いこなせないようでは意味がない。自分の顔のバランスや肌質を知らないことにはどのような化粧品が自分には必要なのか、合っているのか分からない。

 

もうそろそろツイッターで雑に大量RTされているコスメオタクの化粧品情報に惑わされている場合ではないし、インスタグラムの「それはお前のもともとの素材がいいからこそ成せる業だろ」みたいな写真をひたすらスクロールして見ている場合ではないし、アットコスメの尋常ではない検索のしにくさのせいで自分とは違う年齢や肌質の人の口コミにいちいち時間をかけている場合ではない。

 

ので 資生堂のメイクレッスンに行ってきた。

自分に合ったメイクを教えてもらうために。

 

90分 1万5000円。

この値段設定は高いわけではないと、終わった今だからこそ思う。本当にいい買い物をした。

 

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↑銀座にあるSHISEIDO THE STORE。このビルの4階でメイクレッスンを行う。

 

感想

  • 顔面が変わって嬉しい
  • 目標設定(どのようなメイクをしたいか)→現状分析(自分の顔のバランスや今のメイクがどうか)→フィット&ギャップ(理想の顔になるために、今の顔には何が必要か)という進め方で、納得感を持って受講することができた
  • 普段のメイクの方法を客観的に見てもらうことで得られるアドバイスがとても参考になる。例えば、私の顔のパーツを分析するともともとかわいらしい顔立ちにも関わらず、眉毛を水平に描くことでもっとかわいらしさが強調されること、大人っぽく見せるには少しキリッとした印象になるように眉山を描くこと、太く描くだけでもかわいらしい印象は減ること等
  • 「どのような顔が優れていて、どのようなメイクが悪いというわけではない」という徹底した態度が、現状の多様性やそれぞれの人が持つ理想の多様性を肯定しているように感じられて好感を持てた。
  • ただ教えてもらうだけ、ただ化粧をしてもらうだけではなくて、自分の手を動かして、そのフィードバックがすぐにもらえるのが嬉しい
  • 教えてくださる方がたくさん褒めてくれるのでモチベーションがあがる
  • デパコスでありがちな押し売り的なビジネス的な要素がほとんど見えないので、「買わなければいけないのか…」というプレッシャーがなく、いつも疑問に思ってたことをどんどん質問できる雰囲気・環境というところが"私のためにやってくれている感"があって超最高

 

今日の目的

  • 自分の顔やメイクの仕方を人に見てもらってフィードバックをもらう
  • 乾燥肌でもツヤ感のあるメイクをしたい
  • もともと童顔でメイクもピンク系が多いからか人から可愛いと言われたことはあるが、大人っぽいとは言われたことがないので、大人っぽいメイクができるようになりたい
  • 昼頃になるとメイクがくたびれてしまうので化粧直しの方法とベースメイクの方法を教えてもらいたい
  • アイシャドウ、だいたい4色セットのものはどれか1色余るけどそれって私の使い方がおかしいのか何なのかちゃんと教えてほしい

メイクレッスンの内容

目標設定&現状分析
  • 自分のなりたい顔や普段使っているメイク道具を紙に書く。普段の化粧の状態で写真を撮る。メイクを落としてもらいながら相談事について話しつつお互いの関係性を作る。すっぴんの状態で写真を撮る。
  • ゴールデンバランスという日本人の平均的な顔をもとに自分の顔のバランスを知る。私の場合は顔の長さが短いこと、目と目の感覚が広いこと、口が低いこと、口幅が狭いことなどからかわいらしく見える顔立ちをしているという分析結果だった。「だから顔を長く見せるようにして、目と目の間を狭くして、口をあげるメイクをすることで大人っぽく見えるようになります」もうこの時点でものすっごい楽しい。理論的に"分かる"化粧、すごく楽しい!!!!!

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↑ 1.00(±0.02)がゴールデンバランスらしい。私の場合は鼻位置と眉位置だけは1.00。

 

  • 「目と目の感覚成績悪いですね〜!」と言うとすかさず「悪いとかではないんですよ、ただこの数値だとかわいらしく見えてしまうというだけの話です」というようなことを言ってくださる。すごい。

 

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↑顔の長さと輪郭によって顔立ちを分析してくれる。私はかわいらしい顔立ち判定。ですよね〜。それがコンプレックスでした。

 
フィット&ギャップ

ついに化粧が始まるのだが、このメイクレッスンの特徴は、半分はメンターさんが、もう半分は本人がやるということ。よくデパコスでBA(ビューティーアドバイザー)さんにやってもらっただけではBAさんの技術は盗めるはずもなく、教えてもらったとおりにやってみても「再現できない〜!なんで!?!?」となることが多かったので、実践形式はとりあえずその場では再現できている。しかも「ここはもう少し色を足しても大丈夫ですよ」とか「右に比べて左の眉のほうが高いので低く描くとバランス取れますよ」とフィードバックをれもらえるので勉強になる。

自分の顔のこと、こんなに知らなかったのか!と思う。

 

これから私の顔に関するアドバイスを書いても他人には何も意味がないので誰にでも共通して注意できそうな部分だけピックアップして書いていきます。私が知っていたことも知らなかったこともいろいろある。

 

  1. ベースメイク。ファンデーションは顔全体にまんべんなく塗るのではなく、頬やひたいなど近く見えるところにはしっかり塗ること、サイドはうすくのびすだけでいい、遠近感を出すことで顔に立体感が出る。
  2. 眉。目尻のちょうど上あたりを眉山にして眉尻から眉を描いていく。
  3. 目。ビューラーは根元からしっかりやることが長持ちの秘訣。よく睫毛は3段階でビューラーをしていくって言うけど、ビューラーの上の部分というか挟む部分の上側(伝え方が難しい)を支点にして全体的にカールさせていくことが大事。でもとにかく根元。アイシャドウはアイホールを意識する。涙袋は下まぶた全体につけるのではなく2/3にのみつけると立体感が出る。
  4. 口。口の端は指で伸ばすくらいが、塗りすぎ感がなくちょうどいい。
  5. 頬。チークとハイライトを入れる角度によって顔が横長に見えるか縦長に見えるか違う

 

最後に

マジで顔が恐ろしいくらいに変わる。すごい。ヤバイ。「え、自分、美人じゃね?」って思う。感動した。プロってすごい。私の化粧にはまだまだ伸び代があります。

 

私は二重なんだけど、アイラインをガッツリ引くことによって二重の良さが生かしきれてなかった。大人っぽい化粧って私でもできるんだ〜〜〜〜!!!!!理想の色っぽい自分、つくれました!

 

メイクが終わったあとも今日使った化粧品の品番や他に質問があれば答えてくれる。メイクをした後の写真を撮ってもらっていかに最初と変わったのかちゃんと分かる。何をどういうふうにした結果、どこが変わったのかがちゃんと分かる仕組み。そういうところもすごくよかった。納得。納得した!目的としていた部分もほぼほぼ達成されました。マジで解決、今まで間違ってやってたこと、色々あった。

 

まあどうしても化粧というのは一回染み付いた方法を手直しする作業というのが疎かになってしまいがちで、出社前の朝の化粧なんかは"美しい顔を作る"というよりも"化粧をしたという事実を作りたい"からしているようなもので、改善する機会などこれまでほとんどなかった。

 

アイシャドウをいつもと違うメーカーのものを買ったり、化粧水を変えてみたり、道具を変えるだけで、道具の使い方はあまり変えてこなかったと気づいた。

間違った使い方はそのままなのに、どんなに道具を高級品に変えたところで何の意味もない。

 

誰とも知らないYoutuberの動画を見ながら「なるほどこれが正しいやり方か」とYoutuberと私の顔の違いを考えることもせず鵜呑みにしてきた部分もある。

 

人それぞれ顔が違うんだから当然化粧のやりかたも人それぞれで、改善する機会は自分で作るしかないし、今回たまたま予約ができて、良い経験をさせていただいた。こういった自分に時間を割いてくれるサービスに対してお金を払うべきだという感覚は大事にしていきたい。

 

資生堂のメイクレッスンは予約がなかなか難しくて、教えてくださった方からは「一回で予約できたのはすごいですよ!久しぶりに聞きました」と言われたほどだったけど、興味のある方は是非行ってみてください。行ったら感想を教えてくださると嬉しいです。女同士でこういう話をするとめちゃくちゃ盛り上がるからね。超〜〜たのしかった!!!!

 

PERSONAL BEAUTY SESSION [個室での美容レッスン] | SHISEIDO THE STORE | 資生堂

私が参加したのはゴールデンバランスメイクアップレッスンというものです。

 

100

中学生のとき、HTMLで作成したホームページに100個好きなものをリストアップするというのが周りで流行っていて、ご多聞に漏れず私も好きなことをリストアップしていたのだけれど、結局100個に満たないまま好きなことをリストアップする作業に飽きてしまった記憶がある。

あれは好きな人やものやことを一つずつ数えて文字にすることが目的で、その先に何があるようなものでもなく、ただなんとなく好きなこと集めをするのは何か素敵なことのように思えていた。

まあなんとなくそれに近いことをずっとやりたいなあとは思っていて、それなら100個(別に100個に限らなくてもいいのだが)自分の今後の目標みたいなものを文字にしてみようと思い立ちました。

好きなものをリストアップするだけではそのあと振り返ることもせずそこにPDCAは発生しないけど、目標なら目標なりに達成したときはそのときの気持ちやこれからのことを、未達のときは反省や難しかったことを振り返ることがりできると思ったので。

 

よく聞いているラジオで毎月新しいことに挑戦するという目標を立てて実践しているすごい人がいて、そういう、自分にあえて負荷をかける作業みたいなのを能動的にしないと、ただ老いさらばえるのみ、という感じがしたし、実行するかしないかはともかくとして、自分が今やりたいことやりたくないことを文字に残しておくことで、価値観の変化があった数年後の私が振り返って何か楽しめるのではないかと思っています。

 

学生のときの夏休みの自由研究をやらなければいけなかったときの気持ちみたいな、あの自由が苦しくて手が動かなくなってしまう感覚が近頃は感じなくなった。何をするべきかを自分で明確にできるようになったということもあるし、仕事も何をするべきかあらかじめ分かっていることが多いからだと思う。あの自由が苦しい感覚はどうしたらまた味わえるのだろう。

 

まあただの思いつきなのでどうせ数ヶ月後には忘れていることだろうがとりあえずやってみる。

 

みんなもやってみたら楽しいと思う。

 

 

  1. コーヒーを淹れる

    9/16にお気に入りの喫茶店で豆を挽いてもらった。手渡してもらう際に「保存する場合は冷凍庫で」と店主に言われた。その日は観劇の予定があったので一日中 挽いてもらったコロンビアを持ち歩いていたが、いい匂いがしすぎるので困った。翌日にコーヒーを初めて淹れた。誕生日プレゼントに、といただいたハリオのドリップコーヒーのセット。まだまだスピードや温度調節が下手なのか自分の納得できる味には到達できてない。

  2. コーヒーを挽く
  3. ナイトブラを買う
  4. 脇の脱毛を終了させる
  5. メイクアップレッスンに行く
  6. gleeを見終える

    ついにSeason 6まで観終えた(9/16完了)

    さすがにSeason 6ともなると話がダラけてくるのだけれど、初めて最後まで見た海外ドラマだった。もともと大して洋楽に興味はなかったけれど、登場人物の心情に合わせて歌われる音楽は時折胸を打つものがあった。ブリトニーとサンタナはもとより、ダウン症の少女であるベッキーと、その友人のように接するスー先生の関係性がとても好きだった。Born This Wayの回が印象的に残っている。

  7. 映画を年間100本観る

    9/26時点、家で92本、映画館で11本。

  8. 月に1度は映画館に行く
  9. 2017年度繰越分の有給を消化する
  10. 海外旅行をする
  11. 服の代謝を意識する(よく捨て よく買う)
  12. テーブルに物を置かない
  13. 床に物を置かない
  14. 充電ケーブルの整理をする
  15. 寝具・睡眠にコストをかける
  16. 歯にコストをかける
  17. 2018年度中に会ったことのないインターネットの人10人会う
  18. 得意料理を3つ見つける
  19.  

人生の手綱を親に握られることについて

親元で暮らしていたときの私は、「やりたい!」と思ったことをやらせてもらっていたほうだと思う。学校の友人たちと比べると、ピアノ、水泳、ビーズといった習い事や、旅行や展示やイベントごとによく連れて行ってもらった。

 

今月19年目に突入するクラシックバレエだって、私の記憶にはないが私自身がやりたいと言ったから見学と体験レッスンに連れて行ってもらえた。それで今月24歳になる私は今も同じ先生のもとでバレエを習っている。

 

我ながらよく続いたなと思うし、これだけは自信を持って自慢できることの一つ。上手いかどうかはさておき、幼稚園生から社会人になるまで一度も長期的な休みを取ることなく継続的に踊り続けてきた。これからも身体が壊れるまで踊れたらいいなと思う。

 

ただ、子どものころの不満の一つは、"親を含む大人がお金をくれないこと"だった。

お年玉は親と祖母と叔母と近所のおじさん、合わせて4人からもらっていたが、年末年始に親の実家に帰るということはなく他の親戚からもらうことはなく、年明け早々の自分がいかにお年玉をもらったかというお年玉マウンティング大会には相当気分を悪くしたものだった。

 

夏休みや冬休みの長期休暇だって帰省などしないからお小遣いをもらうことはなかった。

日常的にお小遣いをもらい始めたのは高校生のころからで、5000円を毎月もらっていた。大学生のときは1万円。

 

話の本題とはズレるけど、大学4年生の3月にお小遣いとしてもらった1万円札を私は未だに使えないまま財布にしまっている。どうしてもこの1万円札が使えないのだ。同等の価値のある他の1万円札では意味がない、私が社会人になる前の、最後の3月に母親から手渡された1万円札を、どうしても手放すことができない。

 

母親が勝手に私の銀行口座からお金を抜いて使っていた事件が発覚したときも、「あなたなら許してくれると思った」と申し訳なさそうに言った母親に対して、「同じ額のお金を返せばいいっていう問題じゃない!この銀行口座には今はもう死んでしまった(母方の)おばあちゃんがくれたお年玉だって入っていたのに!貸してって言ってくれたら貸したかもしれないのにどうして貸しての一言が娘である私に言えないんだ」と激怒した記憶がある。今思い出しても泣けてくる。

 

もちろん銀行口座に預けている時点でATMから引き出したお金はポチ袋に入っていたときのように三つ折りの跡が入っているわけでもなんでもなく、ただ同等の価値があるお金がATMから吐き出されるだけなのだが、そうじゃなくて、私のお金を、土足で踏み込んで勝手に使って勝手に返すなと、そういう、なんていうか親も完璧ではないと理解したこと、理解させられたこと、キューブリックの『時計じかけのオレンジ』のように眼球を拘束されて目を背けられない状況下で強制的に理解させられたことが何よりつらいことだった。

 

本題に戻る

 

高校生のころにはもうアルバイトを始めて自分で使えるお金を手にしていたから少しは苦しい思いをせずに済み始めていたけれども、親による「◯◯しないとバレエ辞めさせるわよ!」という、あの脅迫がとても苦手だった。

脅迫。

 

勉強しないと、片付けしないと、早く寝ないと、いい子にしていないと、親の機嫌を取り損ねると、私はバレエを辞めさせられるんだという、その恐怖が本当に本当に嫌いだった。

 

子どものころは、親に自分の人生の手綱を握られていた。

 

経済的に自立していないから、親に頼るほかないのだ、小・中学生は働くことができないから。ああいう取引の仕方はフェアではないと思う。そんな言い方するなんて卑怯だと思う。

私が「◯◯してくれないなら自殺する」と言っても本気で取り合わないから余計に腹が立つ。

万が一、自分が親になるとしても絶対にこんな言い方はしたくないと思う。絶対に嫌だ。

 

今のバレエのスタジオにも、親からの脅迫で苦しんでいる子がいて、「模試で高得点を取らないと、成績がオールAでないと、バレエを辞めさせる」と言われて必死に勉強をしていて、頼むから早く時が過ぎて自分で稼げるような年齢になってくれと祈るほかない。

 

門限もあるから学校帰りに遊ぶこともできない、ゲームセンターもプリクラもコンビニもカフェもショッピングセンターのフードコートも何も知らない。何も知らないまま、ただひたすらに勉強に勤しんでいる。その間にバレエもやっている。

 

その子としては勉強なんかやりたくなくて、良い学校に入ることもさして興味はない、ただ私はバレエをやりたいと思っているらしいがそれを親が許さないという、そういう状況らしくて、見ていてつらい。それでも親の期待に応えようとしながら自分の好きなバレエを続けられるようひたむきに努力しているその姿が眩しくて仕方ない。彼女の人生に幸あれ。

 

対照的に、親からは学校に関するプレッシャーを受けずにのびのびと生活しているマイペースガールもスタジオにいる。

 

 

マイペースガールは最近おしゃれに目覚めたのか髪を染め、ピアスを開け、口紅を塗り、まつエクをつけ、ひたすら鏡とにらめっこをして、自分の今後の学校の成績なんかひとつも考えてないみたいな態度で、ブランドのロゴが入った偽物でもブランド品を持っている気分になれるお気楽な性格で、みんなから愛される。

 

スタジオの中でもとりわけ対照的な二人で、マイペースガールは「あんなにバレエ的な身体の条件が良くて、しかも頭が良くて本当に羨ましい」と言い、真面目ガールは「おしゃれができて、バイトができて、友達と自由に遊べる時間があって羨ましい、勉強はしたくない、親は嫌いだ」と涙ぐむ。

 

今日マイペースガールと会ったときに、「あの子はこんな頭の悪い私にも、親のことを話すときに涙ぐんでる」と言っていて心が締め付けられる思いだった。

勉強せずとも、脅迫をされずとも自分のやりたいことができる子はいいなと、羨ましく思ってるんだと思うと泣きそうになった。

 

「でも、こんな頭の悪い私ができるのは、あの子が普段買ってもらえないようなものをプレゼントするくらいしかできない」

 

そうやって笑っていたマイペースガールの姿が本当に眩しくて、全くタイプの異なる二人の関係性が見えて、今日話せてよかったなと思った。

 

今度誕生日だから普段買ってもらえないものをプレゼントをするのだと言っていた。親から没収されない程度の、彼女が喜ぶであろうプレゼントを考えるというその行為自体も尊くて、マイペースガールなかなかやるじゃんと見直してしまった。

みんなから愛される理由の一つはここにあるんだと思った。

 

人生の手綱を親に握られている子どもが、外で築く関係性によって救済されるパターンはたくさんあって、私だってバレエの先生のアドバイスのおかげで、高校生のときからレッスン代の全てを自分で払うことでバレエに関する口出しを一切禁止した。

「もうバレエに関するお金は自分で払うので、何も口出ししないでください、お金を払ってないのに口出しされる謂れはないから、今後一切何も言わないでほしい」と自分で手綱を断ち切ったことで今の自分がある。

 

周りの友人たちから救済されるパターンもあるし、もうそこは運と人間関係によるんだろうけど、親からの脅迫によって子どもの人生の選択肢が狭められることが、私は何よりも我慢ならないので、こうして長々と文章を書いたのでした。

 

今子どもを育てている人、まだ実家暮らしで親からの脅迫を受けている人、一人暮らし始めて物理的に親と距離が取れている人、色々いるんだろうけど、わりとそういうことで苦しんでいる子どもは近くにたくさんいるので、何か支えになってあげたいなと思うのでした。

恋人のこと

先日より恋人がいるようないないような感じになり、読み返しても浮かれすぎているのに、これで来週別れたりしたらちょっと面白い。

 

ツイッターでその人のことばかり書きたくなるので、ブログに書き留めてそれなりの文字数になったら公開しようと思っているやつ。公開したということはそれなりの文字数になったということです。

 

 

◼️7/12(木)

 

◼️7/13(金)

 

◼️7/14(土)

 

◼️7/15(日) 朝

桜木町のホテルで目が覚めて、意識もはっきりしてきた頃に言われた。

「今朝の夢思い出した」

「どんなの?」

「ホテルのスリッパを片方はふたつ履いててもう片方はひとつだけ履いてて、きみに『バランス悪いよ』って言われる夢」

「なにそれ(笑)」

変な夢を見るひとだと思った。

そのあとすっぴんの私を見て芦田愛菜に似ていると言った。ベッドに転がりながら王様のブランチを見た。『ガタカ』のトレイラーを見せたら恋人が一瞬寝た。

 

◼️7/16(月)

 

◼️7/17(火)

 

◼️7/18(水) 夜

誕生日プレゼントを買った旨LINEしたら半日ほど返信が来なくなり不安になる。誕生日はもう嬉しくない年齢だと言っていたし、私がプレゼントをネットで買ったことに対して少し気分が悪くなってるのかもしれないと思っている。

 

初めて何かを贈るし何が欲しいかも分からない、ただ食事が好きで料理もこだわりを持ってやる人なので、インターネットのひとに勧められた高級なお醤油にした。

コーヒーが好きだし日本酒も好きなので、コーヒー豆かコーヒーに合うもの、お酒が進むおつまみ。それでいて常温保存ができて日持ちがすること、帰るときに荷物にならないくらいの重さのもの。

塩はこのまえもらったと言っていた、ポン酢は鍋の季節でもないので微妙、柚子胡椒も使う場面が限られている、甘いものはあまり得意ではない、コーヒー豆は好みがあるし家にコーヒーミルがあるのかどうか聞いてない。ので、醤油にした。お刺身を食べるときとかに使ってくれたらいい。

 

◼️7/19(木) 夕

返信が来た。

「プレゼント買ってもらって申し訳ない」って書いてあったけど「申し訳なくないから、そういう大事なことはもっと早く言ってください!」と返した。でも私だって自分の誕生日を自己申告して祝ってもらおうと思えるほど図太い人間ではない。彼は私の誕生日を「8月の中旬」としか知らない。それでいい、今は。

 

仕事の用事で外出をした。

道を歩いていると彼が"勤めるであろう"会社のロゴマークが入った車を何台か見かけた。営業車なのだと思う。

勤めるであろう会社という表現をするのは、私が彼の勤めている会社を知らないからだけど、従業員数、規模感、事業所の場所などを鑑みるに恐らくあの会社としか思えない。

今日向こうはたまたま私の会社の近くに用があったみたいだけど、私は外出をして彼の会社の車を見ていた。すれ違った。

 

◼️7/19(木) 夜

このまえの三連休のときに一緒に桜木町のホテルに泊まったのだが、寝てるときや電話してるときに勝手に写真を撮り、それを思い出したときに見返している。別に誰に似てるわけでもないけど、こう、見ていて安心する顔だなと思う。ちゃんと許可を取って写真を撮りたいのだけれど、なんとなく撮られるのが嫌いな気配があるので、言い出せずにいる。

 

◼️7/19(木) 夜の2

好きな人はときどき腕を噛んでくる。

別に噛まれることは嫌ではないのでそのままにしている。

噛んでるときの目が好きだ。

歯型はついてないけどふとしたときに噛まれた感覚が思い出されて腕をさすってしまう。

 

このまえ『羆嵐』という小説を読んだが、ヒグマに太ももを食いちぎられ骨がむき出しになった子どもがその内に息耐える描写があった。

ヒグマが骨を噛み砕く音が聞こえる小説。

 

私の腕を噛む音は聞こえないけど。

 

◼️7/21(土)

 

◼️7/22(日)

 

◼️7/25(水)

 

◼️7/26(木) 朝

思えば自分のことを大事にしてくれる人を初めて大事に思えている気がする。

 

今までは好きな人に好かれるとその人のことを好きじゃなくなる、なぜなら私のことを好きになるなんてどうかしているから、という理由でいざ付き合うという段になってはすでにその人のことを、好きじゃなくなっていた。

つまりは片想い期間が一番楽しくて、振り向いてもらえた瞬間には熱が冷めていた。

自己肯定感の低さに起因するそれは、一生幸せになれないという確信をもたらしていた。

 

でも、今は好きな人に「会いたい」って言われると嬉しくて、私も会いたいと思っているのでなおさら嬉しい。完全に浮かれている。

そういった自己肯定感の低さを少しずつ矯正してくれたのが、前の記事の人なのだが、好きな人も好きな人で「自分に自信がないよね、たまには肯定してくれる人がいてもいいんじゃない?」とわりと知り合ったばかりのときに言ってくれたのが何よりの救いだった。

私の自信の低さを分かってくれている人は、私が少し褒めたくらいじゃ大して効果がないことも分かっていて、少し大げさなくらいに褒めてくれる。何より否定しないで話を聞いてくれている。

 

◼️7/26(木) 昼

 

◼️7/30(月)

 

 

はい