他人の話を疑わない人たち

仕事柄なのか、これまでの人生で叩き込まれたからなのか、私の性格に依るところなのか分からないけれど、"他人の発言や行動は真っ先に鵜呑みにせず疑うこと、受け入れるにはそれなりの根拠や証拠が必要だ"というスタンスで生きているので、そうでない人と関わると「根拠も何も提示していない私の話を鵜呑みにしたの?」と驚く瞬間がかなりある。鵜呑みにしたその根拠ってなに?と聞きたくなるのだが多分たいてい特に考えもせず受け入れられている感じがする。怖い。

 

例えば私がネットで調べた情報のスクショをLINEに載せて、「お店でイベントやってるらしいよ〜 行こ!」みたいなことを言うとそのイベントがやってるかどうか調べもせずに了解するような(良い例が思いつかない…)、体調の悪い人に対して「病気にはこの食べ物がいいらしいから食べるといいよ」と言ったら鵜呑みにして食べてくれるみたいな、そういう人が普通にいてすごく怖い。

 

キュレーションサイト、特に医療のことに関しては少し前にWELQの件で散々騒がれたけど、インターネットに住んでいない人はきっと騒動を知らない。

 

そして何の根拠も添えずに提示した情報を鵜呑みにして、それがフェイクだったと知ったときに不機嫌になったり怒る人が本当に怖い。自分で真偽を調べてないくせに怒るのは怖すぎる。

 

この場末のブログを読んでいるようなインターネットの住人は知らないかもしれないけど、いるんだよ、本当に、他人が出す情報の真偽を少しも精査しないで鵜呑みにして嘘だと知ると怒る人。怖すぎる。怖すぎる!!!!!助けて!!!!!!!

 

話が逸れていく気配があるんだけど、私の観測範囲では、人は(極端かもしれないけれど)インターネットに住んでいる人と住んでいない人に分けることができて、インターネットに住んでいない人もインターネットは使うけどその使い方がライトというか、明らかに私との使い方とは違うのを感じる。

 

 

 

私の観測範囲にいるインターネットに住んでいない人はインスタグラムをメインで利用している。食べたもの、行った場所、インスタ映えの壁人間コンテスト、そういうおしゃれなやつをおしゃれに加工しておしゃれなポエムと共にアップする、みたいな感じで、王様のブランチがターゲットにしてるのはこういう人々なのかな?みたいに勝手に思ってしまう。これがマジョリティなのか、?本当に?いつの間に…?

 

 

今の時代インターネットと生活を切り離すのは難しいものだし、インターネットリテラシーが低いことは悪だと言いたいわけではなくて、私もインターネットリテラシーが高いかと言われるとそうではないのかもしれないけど、見ていて危なっかしいというか、「大量RTされているツイートが全て真実だと思うなよ、というかそれ5年前のパクツイだからな、お前はパクツイだから何?みたいな顔をするのかもしれないけど………」みたいなこう微妙な感情が出てくる。

 

なんかどっかで見た、これまでのインターネット利用方法は自分で調べに行く形だったけれど、最近は調べずとも情報が入ってくるような形になっている、みたいなやつで、これまでのように能動的に調べる習慣づけができてる人は今もそれが継続されている一方で、そういう習慣づけがない最近の人たち(…)は受動的に情報を摂取しているから自ら調べることなんて少ないのかもしれない。だから他人が調べた情報、とりわけ友人・知人の間柄の人が提示した情報ならなおさらすんなり受け入れてしまうのかもしれない。

 

先日会社の同期にプロテインを飲んでいるという話をした際に「え〜私も飲もっかな、何飲んでるの?銘柄おしえて!」と言われたことがあった。

プロテインにはいくつか種類があって、筋肉をつけたいのか置き換えダイエットをして痩せたいのか目的によって飲むものは変わるんだよ」という話をしてもあまり届いていないようで、「どうして私の飲んでるやつが知りたいの?」と聞くと「知っている人が飲んでいるほうが安心できるじゃん」と言われた。

 

私としてはそれがすごく新鮮で、「今までお前は他人の真似ばっかりしてやがるな!真似するな!自分の意思を持った選択をしろ!!」と思っていたけど、どんな科学的な根拠よりも友人・知人を安心材料として情報を摂取する、それが自分の意思である、みたいな感覚、あるっちゃあるけど私にはそこまでない気がする。

 

私が時間をかけて調べて選び取ったものをいとも簡単に真似されてしまうと、盗まれたみたいな気持ちになって、あらゆる選択肢の中からどうしてこれを選んだのかその理由を理解してないくせに…となるけど、この気持ちは理解できる人とそうでない人がいるのだろうと思う。

 

ともかく文頭に書いた、根拠も何も提示していない情報を鵜呑みにする人というのは、理論的な根拠とか科学的な説明よりも、それを話している"人"を根拠にしているのかな、という仮定に落ち着きました。おしまい。