紅茶

仕事に浸かっている。

 

今参加しているプロジェクトがもうすぐサービスインをするので、その準備に明け暮れている。たびたび発生するトラブルに瞳を暗くさせながらも、その度に人を頼れるようになってきたと感じる。

仕事であまり関わりのなかった人たち。

噂ではどういった技術に長けているという話は聞くけど、実際にプロジェクトで一緒にならない限りはその恩恵を受けることはできないだろうと思っていた。けど、話しかけやすくてしょうもない人に聞いて問題が解決しないより、自分に圧力がかかるとしても問題解決のために話しかけにくい人にエイヤッと頼みにいくほうが断然近道なのだ。話が通じる人と仕事をしたほうが早い、何事も。

 

 

恋人は今日の夜に日本を発ち海外出張へ行く。

しばらく会っていないが、これからまたしばらく会えなくなる。

9つ年齢の離れたその人はちょうど働き盛りで、中堅で、会社にとってはよく使える駒だ。

 

LINE越しで会話をすることは、私にとってすごく難しくて、言いたいことを言おうとするとどうしても文章が長くなる。

 

以前他人に言われた、「より文章量の多い方が好意を持っている」という呪いが今も解けずに、高校生のときに付き合っていた24歳の社会人が車で迎えに来てくれるのを長いこと小田原駅で待っていたような気持ちが思い出される。「好きな相手を待たせたくなくて目的地に早く着く、待たされる側がいつだって損をする」

 

高校生のころは休日なのに制服を着させられて、連れて行かれる先がモーテルだったから今思い出しても虚しい気持ちになるが、今は懸命に言葉を尽くすことで虚しい気持ちにはならない。

 

「分からなくていいよ」と嫌味がましく言ってしまったときでも、「分かりたいんだよ」とストレートに言葉を返してくる人が眩しい。

分かるはずないだろう、私の気持ちなど、私だってお前の気持ちは分からない、9歳も年齢が違う、私が生まれる前に積み重ねた人生はどうやったって埋められない、その時代の音楽を聴けたとしても人々の熱量や同じ時代のムーブメントを知らない、分からない、知っていたからといって、私が早くに生まれたからといって今よりもっと上手くやれたとは思えない、他人同士は決して分かり合えない、ただ、9つ離れた駅に留まっている人、そこにいるから好きになれたんだろうなとも思う。

 

すでにある程度確立された人生。

どんな言葉をかけても影響はあまり受けない。

自分の中での選択がすでに決まっている。

決まったものを変えられることに抵抗を覚えること。

安定、精神の安定、富の安定、生活の安定、仕事の安定。

 

私がどんなに何を言っても、その人の感情が動くわけではなく、「あなたが嫌がるならこういうことはしないでおこう」という気持ちとは物理的に分離された、いつもとは違う道を選ぶだけ、ただその違う道を選ぶということを覚えているということが私にとっては尊いのだと思う、多分。

 

好きなもの、嫌いなもの、どこへ行ったか、どんな言葉をかけ、どんなことを言われたか、そういったひとつひとつを自然に覚えておくこと。執着して忘れない、手放さないのとは違う。

 

話が通じる人と仕事をしたほうが早い、それはそうなんだけど、話が通じない人にいかに言葉を尽くすか、みたいなことになっていて、だからと言って会社の先輩のツイッターに書かれてた「質問すれば全部丁寧に答えてもらえるとでも思ってるのかな」みたいなナイフに妙に感心しながら死んでしまうときもあって、言葉を尽くす 程度 が難しいなと思っている。