ドアノブは一つだけ

 

隣にいるってなんて贅沢なんだろう、と思う。

昨日Threadsに「隣にいるだけでいい」みたいなことを書いたけど、そんなの"だけ"じゃないんだよな。現に今私の隣には誰もいないのだから。

 

インターネットの話。

 

なんか、機種変するときに新しいスマホと古いスマホを隣に並べれば勝手にデータがそのまま移行するような、新しいスマホなのに今まで使ってたのと何の変化も不自由もなくそっくりそのまま使えるような便利さを、人間関係にも適応してそれってどうなん?と思う。

 

人間関係もデータみたいに移行して、場所が変わっても関係性は変わらない、本当かよ?

変わるよ、同じ人間でも、場所が変われば、ほんの少しのきっかけ一つでボタンを掛け違えたかのように、ドミノ倒しになって何もかも変わっちゃう可能性だってあると思う。生身の人間も人間関係もデータじゃないんだから、そっくりそのまま移行できるわけないだろ。今まで通り仲良くできる可能性なんて全然ない。でもそれは別に悪いことでもなんでもない。

 

MastodonとかThreadsとかMisskeyとかBlueskyとかTruth Socialとか、みんな行き場を求めて彷徨って、とりあえずアカウントだけ取得して、みんなが合流するのを待ってる。

それなのにみんなうっすらTwitterのことが嫌いな状態でもなおツイートはしている。あれ何なの?もう破局が確定してるのにサンクコストがあるから別れを切り出せない恋愛関係みたいで気持ち悪い。一回浮気したんだからまた浮気するだろうなって思いながら関係性を続けるみたいな、そういううっすらとした嫌悪感、白々しさみたいなものを感じる。先日のAPI制限がそれを加速させた。

 

生きている限りどんどん荷物が増えていくな。

私はアカウントを作って、逃げ場所を増やして自分の荷物を増やしていく感じがすごく苦手だよ。何かを入れるためには何かを捨てねばならないんじゃないの。

 

今日も感想いろいろ

 

 

岡田惠和『日曜の夜ぐらいは…』最終話

 

ダメなんだけどな こういうの

楽しいの ダメなんだけどな

楽しいことあると キツいから

キツいの耐えられなくなるから

私は キツいだけのほうが楽なんだよ

 

キツいことだけ続くのであれば耐えられる。

そのうち耐性ができるし、昨日のキツいことと今日のキツいことの差分なんてたかが知れている。でも、たった一つでも幸せなことがあると、キツいことと幸せなことの差分がデカすぎて、足元が揺らぐんだよね。キツさへの耐性がなくなってしまう。

それがものすごく怖い。幸せになるのが怖い。

幸せになっても、その幸せは永遠には続かないのだから、キツさが訪れたときに自分がダメになってしまいそうで怖い。分かるよ。

 

この台詞は1話のおだいりさまの台詞で、最終回では回想シーンとして挿入されていた。おだいりさまが周りの人たちとどんどん幸せになっていく中、ついに自分たちのカフェをオープンする日、カフェの内側から扉を開いて外の世界を見る、そのときに恐怖が湧いてくる。もしお客さんが全然いなかったらどうしよう、カフェがうまくいかなかったらどうしよう、今までで十分すぎるほど幸せだったのだからこのあと落ちるのは当然なのではないか……。

 

扉を開けるのを躊躇っていると優良ケンタが「大丈夫ですか?開けましょうか?」って言ってくれる。あの台詞はね、別に優良ケンタは本当に俺が開けましょうか?って言ってるわけじゃないんだと思う。おだいりさまたちが安心して扉を開けられるよう、勇気を分けてあげているというか、俺もあなたと一緒にドアノブを握っていますよ みたいな、彼女たちの背中を押す台詞に私には聞こえたな。

 

ドアノブは一つしかない。自分の手で開けなきゃいけない。

頭では分かっていても、それはすごく勇気がいることだよなあ。

「ドアは 自分たちで開けようと思います」と言えたのは、おだいりさまが幸せ耐性がついたからというわけではないし、外の世界が劇的に良くなったからというわけでもなくて、外の世界が最悪であろうと、どんなことがあろうと、絶対に味方でいてくれる人がそばにいてくれると信じているから言えたんだろうなと思う。

 

***

 

なんかね、これから落ちると分かってるのにジェットコースターから降りられない恐怖って、あるよね。大人になると、未来がある程度パターン化されて、大体こうなるだろうなって自分でも予想できるようになる。これはうまくいくだろうなっていうポジティブなパターンも、これは失敗するだろうなっていうネガティブなパターンも、両方。

なんか、このまえ人と話してて思ったのは、これはうまくいくだろうなっていうポジティブなパターンも何かつらいんだと思うのよ。

予定調和にもううんざり。素直に楽しめない、素直に喜べない、だってうまくいくって分かりきってるんだから、そこに予定外・予想外なんてどこにもない。驚き?新鮮さ?そんなものはどこにもない。

そのうち、予想・仮説と結果の間にある過程に着目して楽しむ遊びばかりやりこんじゃってる。しかもその遊びにももう飽きている。

これは仮説の通りにうまくいった、それはなぜか、こういう理由だから、次はどうしようか、これを試してみよう、うまくいかなかった、それはなぜか、こういう理由だから、これを一生繰り返していて、ハムスターが回し車で一生同じところをぐるぐる走ってるのと同じ気分になるんだよ。どうせ同じ海にたどり着くのなら、どの道を選択しても同じじゃね?みたいな、きっと海にたどり着くまでの過程に喜怒哀楽いろいろあるんだろうけど結局最後は一緒じゃん、みたいな。

それなら何も見えないほうがいいじゃんって思うときもある。

なんなんだろうね、これは。死ぬまで一生続くんだろうか。

 

キャサリン・ハードウィックトワイライト〜初恋〜

 

トワイライト~初恋~

トワイライト~初恋~

  • クリステン・スチュワート
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今更トワイライトシリーズを見始めている。

ロバート・パティンソンは本当に佇まいが格好いい。

 

吸血鬼と人間の恋愛映画で、一緒にいるために尋常ではない我慢と努力をしている二人の物語だった。ロバート・パティンソンクリステン・スチュワートもずっと眉間に皺を寄せていて、好きな人同士一緒にいるのに、大笑いしたり大泣きしたりせず、ただただずっと苦しそうだった。

自他の境界線を踏み越える/踏み越えないという話を延々とやっていた。


好意とか性欲ではなく怒りとか暴力性をもって性行為という手段で発散しようとしていて、壊したいほど相手のことを愛してるのに、壊さないように薄氷を踏む思いで相手のことを大事にして、どんどん自分の首は絞まっていって、それでも一緒にいるために苦しむことを受け入れて、気が狂いそうになる中 自分を制御するっていう、なんか、苦しんで生きていきたいっていう人たちの話だった。

ああいう殴り合いの喧嘩みたいな人間関係、好きだな。

どんなに好きでどんなに一緒にいても分かり合えないから、「なんで分かってくれないんだよ!」って怒っても、「そんなの分かるわけないだろ!」って怒り返すみたいな、そんな感じ。

でも別にそれは不幸じゃなくて、本望だよ、それの何が悪いの?って感じで、迫力で周囲を黙らせて……あれくらいの強さがほしいね。

 

森山至貴『10代から知っておきたい あなたを閉じこめる「ずるい言葉」』

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今はこの本を読んでいる。

 

これまでパートナーから「そんな些細なことで?」「そんな些細なことで怒られるんだったらおれはもう何も言えないよ」「そのとき言ってくれればよかったのに」「お互いつらいんだからお互い様だよね」と言われてきた。これまで言われてきた言葉、言ってきた言葉がこの本には載っている。

 

「もっと早く言ってくれればよかったのに」 と思ってしまうことを、私は悪いことだとは思っていません。「手助けしたい」からこそそう思うわけですからね。でも、「もっと早く言ってくれればよかったのに」という言葉を、いままさに困っている人にぶつけてしまうとなると話は別です。 「困っていると言えないから困っている」ことを見過ごし、「困っているなら困っていると言えるはずだ」という前提を相手に押しつけることで、結果として、「早く言わなかったあなたが悪い」 というメッセージを相手に伝えてしまうからです。 ただでさえ困っているのに、さらに責められているように感じてしまったら、手助けを求めるのは難しくなるでしょう。

 

他人の傷つきやつらさを「そんな些細なことで」などと自分の基準で勝手に判断をしないこと。自分では到底分からない痛みでも、目の前の相手は痛がっているんだから痛いんだろうと想像し続けること。傷ついていると認めてもらえないことがさらに傷つきを引き起こすこと。

 

助けてほしいだなんて一言も言っていないのに、頼られたからには助けなければいけないと勝手に他人のつらさを背負ってどうにかしようとした結果どうにもできなくて、他人のつらさを無いことにしたり否定する人がいるらしいということ。

「悪気がなかった」ことを許してもらうための理由として持ち出す人がいるということ。

 

最近はトーンポリシングやマイクロアグレッション、ガスライティング、シーライオニングなどに興味があります。

 

その他

今日気づいたんだけど、エレベーターの外側のドアって、動かずにずっとそこにあるんだね。エレベーターのドアって内側のドアと外側のドアの二重構造になっているということを今日初めて知った。建物の1階にも2階にも3階にも4階にも外側のドアは動かずにそこにあるっていうこと、今まで考えたことがなくて今日初めて思い至った。あ、このドアってずっとここにいて、開閉だけしてるんだ、上下移動はしていないんだ、って思った。それだけ。

 

***

 

困難や悲しみに遭遇したとしても乗り越えられる人だって世の中にはいるのに、この困難や悲しみは到底乗り越えられるものではないと勝手に判断して、人のことを同情の眼差しで見つめ続けるのって暴力性がすごいよね。

「つらかったですよね」「しんどかったですよね」と言われたいのはそこじゃない。というか別にそんなこと他人に言われなくてもどうでもいい。乗り越えられちゃうんだから。もうつらくないこと、もうしんどくないことに同情されるのはすごく疲れる。

本当は、乗り越えられるようになってしまったその背景を抱きしめてほしいのに、人はそれには気づかないし目もくれない。強くならざるを得なかった背景にこそ、困難や悲しみが隠れているのにね。