人に何かを教えるということ

バイト先に新しい子が入ってきた。

新人で後輩ではあるけど年上で、でも大学の学年は下の女の子。はっきりいって経歴が謎である。

 

いつもバイト先に新人が来ると、何から教えていいのやら分からなくなった挙句人見知りを発動してコミュニケーション不全に陥ったりするんだけど、さっき閉店間際にパートさんに、「私いつも新しい子が入ってくるとどうやって接したらいいのか分かんないんですよね〜、◯◯さんどうやってます?」って尋ねたら、「よなかさんはいつも新人の指導に当たってるよね」って言われて、そうか、私は毎回毎回新人にいろはのいを教えるところ、前提の前提を教えるところに遭遇してるなと思ったのでした。

 

バイトでも勉強でも大概は初歩的なやり方や解き方の基礎が分かってきたらもうそのあとは作業なり公式なりを覚えていけば応用ができるようになるものだけど、その「何も分からない状態」から「少し分かる状態」、0から1の階段にのぼるまでが結構しんどい。1から2に行くまで、2から3に行くまではこなしていけるのに、0から1に行くのが本当につらくて挫折したりもする。私の場合はアコースティックギターのFが抑えられなくてやや挫けて最近はもう何も弾けなくなりました。ツライ。

 

塾講師をやってたときに、初めて九九を勉強するという小学生、まずそもそもかけ算の必要性があまり感じられない(なぜなら時間をかければ足し算で答えが得られるから)という子に、これは「勉強だからやらなきゃいけないんだよ」って言うよりかは、「いちいち足し算やって時間かけてるのは超ダサいし、かけ算ができたほうがテストも早く終わるしかっこいいよ」みたいな言い方をして、あとはお風呂の中でもママに自慢するでもいいから呪文のように唱えてたら勝手に覚えるからずっと歌ってたらいいんじゃない?ってな感じで、その翌週には「七の段言えるようになった!」とドヤ顔でやってくる生徒が本当に可愛いものだった。かけ算くらいでドヤるな、logの計算ができるようになってからドヤってください。

 

で、まあバイトの都合上覚えなければならないこと、学習の都合上やらなきゃいけないこと、を新人や生徒が何かを習うにあたって、また教える側の人間がどうやってフォローを入れたらその子がうまく成長してくれるか、みたいなのを偉そうに考えるのが大好きなんですよ、私は。

 

バイト先でパートさんに「半年前に入ってきたあの子、一時期よなかさんそっくりの接客するからよなかさんがいるのかと思っちゃったのよ〜!あなたがちゃんと教えてるからそうなったのね」と言われて嬉しいやら恥ずかしいやらこそばゆい感じになった。

一時期私そっくりの接客をしていたけれども、今はちゃんと自分のやり方で接客をしているよ、という文脈が読み取れたのでそれもまた半年前に入ってきた彼女の成長が感じられて、それは私が教えた教えてないに関わらず、人の変化を見るのは良いことだなあと思うのでした。

 

子ども(特に幼稚園〜小学校低学年)に何かを教えるのはもう一種の洗脳で、理論で説明してもダメなところがあるんだけど、バイト先で出会う高校生以上の人たちには、「何でこの作業が必要なのか」とその人たちが納得できるように教えたほうが身につくような気がしてる。「このお店ではこういうルールだからこうやってね!」よりは「こっちのほうが効率的で、締め作業の短縮にもなるしあわよくば早く帰れるから、この作業はやったほうがいい」って伝えたほうが命令っぽくなくて、「早く帰りたいよね」っていう共感を持ってして仕事を覚えてくれる感じがあって良いような気がしてる。でも、それが全然うまくいってなくて、本当は陰で何か悪口とか言われてたらめっちゃつらい。

 

視野が狭くて当然だし仕事ができなくて当然だし色々指導されて当然なんだけど、それでも「(人の手を借りていたとしても)自分でやった!」っていう達成感と成功体験的なものでモチベーションをこれ以上下げさせないような、せめて「あの先輩にグチグチ言われるのがストレスだから出勤がつらい」、みたいなことにならないように、「仕事ダルいけどお金のためだし仕方ない」みたいなくらいでいいからお店に来てほしいなって思う。

 

先日ツイッターリツイートで回ってきた、「なぜ子どもはゲームにはまるのか」というツイートには、「ゲームは親と違って、昨日怒られなかったことが今日は怒られた、というのがない。頑張ってプレイしたらクリアできるという正当性にはまる」みたいな話になるほど〜と思ったし、ある種 勉強も会社で働くというのもゲーム感覚でこなしていったほうが楽な部分はあると思う。

 

「昨日できなかったことが今日はできるようになってる、その変化に気づいたらたくさん褒めましょう」って塾講師をやってるときには言われた。

 

叱るときは「厳しく・短く・後を引かず」って教えられた。

 

私の家庭では母も父も「なんでこんなことするんだ!この前だってあんなことして…」と今回の件とは別件の過去のことまで持ち出されてグチグチ言うタイプだったんだけど、「それは子どもに悪影響しかありません、怒られないように生きる癖がついて失敗を恐れるようになります、人目を憚って生きていくようになります」みたいなことを言われて、やっと、塾講師のバイトをやって、私の親は子どもの育て方が下手だったのかもしれない、と思ったのでした。

 

「怒ること」と「叱ること」は私としてはかなり違うもので、怒る人は怒りたいから怒ってるのであって「こんなことやっちゃいけない!」って理由も説明せずルールを強いるような、その人を自分のいいように動かしたいだけの発言に思えるしこれにはあまり指導や学習の意味合いはこめられてないような気がする。

 

一方で叱るというのは、「これはいけないことだからやってはいけない なぜなら」ってその理由まで教える印象がある。

 

この前読んだアンガーマネジメントの本には、「怒っている人がどんなに正論を言っていたとしても、他人は共感できない」と書いてあって、ああ確かに、それには覚えがあるなと思った。どんなに正しいことを言ってても、めっちゃ怒ってる人だと、お前に怒られる言われはねえし、正論だったとしてもムリなもんはムリ!!ってだいぶ拒絶反応が出るような気がする。

 

話は変わるけど、私は接客してて、「肉まん」とだけ言ってくる客、「肉まんがどうした!?なんなの!?くださいってもう4文字言えないわけ!?!?!?」ってなるし、イヤホンをつけたままレジにくる客に「口パクで何も言わないでお会計してやろうか!!私がAIなら何も思わなかったのかもしれないが普通に失礼なのでは!?!?!?」ってなるし、横入りして並ぶ客に「お前は人生でずっと横入りしてるようだからそんな不幸せそうなツラしてんだよ!!!!!!横入りしてることにさえ気づけない哀れな知能!!!!!!」って思うし、すぐキレちゃうから、何かスイッチが入った瞬間に、自分に不利に物事が動いた瞬間にワアアアッて怒るようなことはなくしたい。それを綴るためのブログ、そのためのツイッター

 

私はひたすらに父親が母親を怒って、体調が悪くとも心配するような一言かけず仕事に行って、「誰のおかげで飯が食えてると思ってんだ」と100万年くらい前の台詞を恥ずかしげもなく言い放ち、母が車をぶつけたときにはどこか怪我してないか気にすることもなく「お前は不注意がすぎる」と3時間くらい説教してたし、なんかそういう悲惨な状況を見てきたからこそ、親を踏襲しないで生きようと思うし、怒る人は普通に損だと思うし、人に何かを教えるにつけもっとうまくやれることはたくさんあるよな、と思ったので今日はブログを書きました。おわり。