喧嘩のあとの話

先週些細なことで喧嘩をした。

今日は喧嘩についてパートナーと話した。

その記録。

 

Twitter に書こうとしたけどお気持ち長文ツイートで読むひとを不快にさせるな〜と思いブログのほうにシフト……。読みたくないひとは読まないでください。

 

 

私の主張

  1. いつも喧嘩になったときにごめんよりも先に「おれそんなに悪いことした?」と言われる。それが余計に私のつらさに追い打ちをかけること

  2. 「そんなこと言ってない」「そんなことやってない」と言ったことやったことをすっぽり忘れられる。発言は認めた上で 「そういう意図はなかった つい言ってしまった」と言う主張なら理解する。

  3. 感情が制御できなくなるのはいい、私だって制御できなくなるときがある。ただそのときの態度が、店員に対して高圧的になる、大きい音を立ててドアを閉める等だから、喧嘩に関係ない店員や近隣住民まで巻き込んいることを自覚してほしい。私は自分のつらさを整理するために一人になりたいときがある。それをして「あからさまに不機嫌になって」と言われるが、私はそんなにすぐ気持ちを切り替えてニコニコできる人間ではない。一人になって立て直したいときがある。それを知っておいてくれると嬉しい。責めても怒ってもなんでもいいから一人にさせてほしい。(彼は感情の制御が利かないとき「おれはつらさを我慢してるのに、それなのにお前は態度に出している」と思っているとのこと。恐らくこれが"おれだってつらい!"発言に繋がるのだろう。我慢してると言うけど、現状大きい音を出したりと我慢できてるとは私の目には見えないが。)

  4. 上記の3について以前話した際に、「不機嫌な客の対応をするのも仕事のうちだろ」とパートナーは言っていたけれど、仕事以前に、相手は生身の人間である

  5. 「おまえが認めたい多様性しか認めたくないんだな!」と喧嘩の際に言われるがそれはつまり『おれは頑張ってるけどうまくできない、うまくできないおれを認めろ』という主張だと認識している。

  6. 「お互いつらくてお互い様なんだからチャラにしようよ」と言うけど、私はつらさにつらさをぶつけてもチャラになんかならないと思っている。仮にチャラになるんだとしたら、上記5の主張なんか知らねえよってなる。チャラだと主張するくせに「おれのつらさは認めろ」「うまくできないおれを認めろ」というのはおかしい。そうではなくて「こう言われてつらかった、だから今度からこうしてほしい」「今回はここまで頑張れたけど、途中でうまくできなかった」と互いのつらさを話して直していけるのならそれがいい

 

「おれはつらさを我慢してるのに、それなのにお前は態度に出している」と彼が思っていることが分かってなんだか腑に落ちた。だから「おれだってつらい!」発言になるんだね、きっと。別につらさを我慢しろなんて一言も言ってないからつらさは出せばいい、私のいやなところ、許さないところ、嫌いなところ、むかつくところ、全部言えばいい。

 

ただそのときに大きい音を立てて不機嫌な自分を他人に分かってもらおうとしたりするのは赤ちゃんだからやめてほしい。おまえには言葉があるだろう、言語化することを諦めてすぐ大きい音とか出すな、すぐに言語化できないなら距離を置いて一人になって整理する時間をつくろう、整理できたときに冷静に話そう。一人になりたい相手を責めるような真似はしない。それでいい。それでよくないか?