春は松たか子の『明日、春が来たら』を歌って夏はaikoの『恋のスーパーボール』で、秋は平井堅の『Precious Junk』、冬は椎名林檎『群青日和』、同期たちとの研修が終わったら『みんなひとり』を歌って、配属先での歓迎会ではともさかりえの『カプチーノ』を歌います
— 赤埜よなか (@_ynk) 2016年12月21日
入社前の私はキメ顔でこう言った(CV.斧乃木余接)。しかし会社関係の人間とカラオケなど一度も行かなかった。オリジナルのセットリストを組んでCD-Rに焼いてた時代と自分は何も変わってない。
スーツを着て入社式に出席したのがちょうど一年前の話。
2017年度(2018/03/31)と新年度(2018/04/01)との境界線については、初めて会ったインターネットの人の初めて行った家で曖昧になりつつある人間と世界をスクリーン越しにボンヤリ眺めていたらそのまま白線を踏み超えていた。
別に年度が変わったからといって何が変わるわけでもなく、会社の異動通知とかを見てふ〜んとなった3分後には勤怠登録を普段通り行うみたいな、そういう確実に何か昨日とは違う部分があるけど根本的に何も変わってない部分も残っているという混沌の中にたまたま年度明けがあるだけなんだろうと思う。
別に年度が変わったくらいで人は何も変わらずに酩酊している。
すぐ謝る人、謝らないでいいから改善してよ すぐ謝れるんだからすぐ改善できるでしよ おかしいだろ本当に
— 赤埜よなか (@_ynk) 2018年1月24日
ネガティブなのは別にいいけど、それを表明することで他人に動いてもらおうとか、心配とか考慮してもらおうとか本当に鬱陶しいんだよな
— 赤埜よなか (@_ynk) 2018年3月27日
「自分ダメなやつなんですよ」とか「上司が最悪だ」とか口に出してるだけで何も変わらない人。言う暇あるんだったら、何か自分で行動起こせばいいし、変わること変わらないこと変えられないこと色々あるだろうけど、それでも表明していけばいいんじゃないの?となる。ただどうしても組織に属する以上は限界があるのはわかっているし、以前は自己主張してたけど消耗するのに疲れて諦める人とかもいるんだろうとは思う。変えたい歯車が必須のものなら周りの変えてもいい歯車変えれば?というだけの話。結局組み合わせ次第みたいなことが往々にしてある。
会社の上の立場にいるような人は確かに仕事ができるわけだけど、良くも悪くも 言い逃れできる証拠作りをするのがうまいというか、下の人間に指示指導をしてくれているように見えて それはあとあと問題が起きても「だから事前に言っておいたよね」と言える エビデンス作りをしているんだなあと思う
— 赤埜よなか (@_ynk) 2018年3月30日
優しく指導してくれてるけど その優しい指導が最終的に自分の利益にも繋がるように仕事ができる人は動くんだなあ
— 赤埜よなか (@_ynk) 2018年3月30日
「これは、私に向けられた言葉ではない」と偉い人からの指摘メールを見て思った。
たしかに私宛てのメールではあるけど、この人は私のことなど見向きもせずどこか先の方を見据えて、自分の損得を丁寧に勘定した結果私にメールを送っているんだと思った。
社会的に自分の価値を上げるために行う他人への善意。
それが透けて見えた途端にふっと冷静になって、言葉では頷いているようなリアクションをしていても実はそうではない、自分で選び取ったものを淡々と遂行していくような冷たさはいつでも必要だと思った。
どの業務にも問題とか課題があって それに対してハッキリとした答えを出せる方がレアケースであって、その都度条件付きでOK出されてるだけなんだなっていう、みんな他人事みたいに見て見ぬ振りをしてるけどそれで世の中なんとなくうまく回ってるんだな それが距離の取り方というやつなのか
— 赤埜よなか (@_ynk) 2018年3月30日
私は解決できるものなら早めに解決したほうがいいでしょって思うけど、さして解決しなくてもリスクは高くないような重要度の低いタスクに関しては、コストをかけることが損になるのかな
— 赤埜よなか (@_ynk) 2018年3月30日
冷たさの話。
何か問題や課題やリスクのある事象があったときに、誰もがそれについて認識はしているのに誰もが動かない状況というのがままある。重要度や緊急性の切り分けもせずにただ、問題が在るだけ。
そういう状況が私はとても苦手で早くどうにかしたい、現段階の暫定的な対策でいいから方向性を決めたいと思う。けど、一年会社で働いてみて思ったのは、やりとりとして対策を立てたという事実がなくともなんとなく話さなくても「これはまあ後でいいよね」の共通認識ができていればそれが正となるんだということだった。人との距離の取り方と同じように、事象との距離の取り方もある。
距離の取り方を見誤って失敗した例。
仕事中に「普通」って言葉を振りかざされると苦しくて声をあげて泣き出しそうになるね
— 赤埜よなか (@_ynk) 2018年3月30日
「普通は問題課題があったら業務はできないでしょう」と上司に言われた。普通ってなんだよ。
人事考課の目標だか業績だかのレビューで言われた。
普通はそうだとしても例外がないわけではないんだよ、みたいな、たしかに「問題課題を◯割解決する」みたいな甘えた目標立ててる自分が悪いんだけど、じゃあ今存在してるうちのチームのプロジェクトって何の問題課題もなくてやってるんですか?みたいな、その暫定対策っていつ解決するんですか?暫定対策の上に漬物石を置いて長期的に放置しておけば恒久策ってできあがるんですか?みたいなことになった。
上司はきっと私が「問題課題を全て解決する」と目標を立てた上で達成できなかったとしても、提案をしたとかそういうアクションを評価してくれようとしているんだと頭ではわかっているんだけど、普通ってなんだよみたいな、そこでグッと足が地面にめり込んでしまって、膝をついて泣き出しそうになるのでした。
もう新社会人の枠から卒業した。
とりあえず週5で働くことができた。
一人暮らしを始めて自炊もしてる。
働き始めても自分が会いたいと思う人には会うことができてる。
18年以上バレエも休まず続けてポジションもキープしてる。
大して何が変わったかは分からないけど、一年間社会で生き延びただけでも上々なんじゃないかなと思う。
電車が走り始めてすぐの 朝6時代の電車の中で松たか子の『明日、春が来たら』を聴きながら書いた。
明日の白線を踏み越えた今日、先日の強風によって桜の花びらはだいぶ散り始めているけど、新年度は春を迎えている。