『アベンジャーズ/エンドゲーム』を観た

社会人3年目になった。最近は精神的に負荷のかかる仕事も増えてきて、色々ヘマをやらかしながらもなんとか働いている。

 

情報処理試験(今年はSCを受験しました)の翌日、数分のスピーチと客先での業務報告をした。

 

頷いてくれる人を見ると安心する。私の話を聞いた上で「わかるわかる」という態度を取ってくれている。そう思わせるためには理論的に誰もが「わかる」話をしなければならないんだけど、そのための準備をすれば緊張しないという学びがあった。準備の前に相手がどんな人であるか、どういうことを知りたがる傾向にある人なのか知る必要がある。

 

仕事、10年以上続いてるプロジェクトで規模が大きいシステムとなると色々理解するまでに時間がかかる。これまでのお客さんとの関係性や経緯を知らないから、ただ事実を知っただけではストーリーとして頭の中でイメージができない。それが最近では段々と人と関わって仲良くなる中で細切れに聞いたエピソードをつなぎ合わせてストーリーとして理解し始めてきた。

 

一年目のときから「何のためにこの作業をしているんだっけ」という目的の振り返りは意識してやってきていて、ずっと作業と目的は近い位置で1対1の関係にあった。それが作業範囲が増えてスキルが上がって他人と仲良くなる中で、作業(とその目的)対プロジェクトの経緯も見えるようになってきた。これは遠い位置で繋がってる。当時は必要だったけど今は必要のない作業、それを減らしていきたい、減らすために交渉をしていきたい。

 

 

このまえ障害が起きたときの話。

 

 

 

f:id:aknyonaka:20190428193353j:image

 

障害や負荷のかかる業務を終えてGWに突入した。『アベンジャーズ/エンドゲーム』を観た。

 

 

IWを見るためにこれまでのマーベル作品を一気に観た人間ですが、エンドゲームをリアルタイムで観れたよかったと思う。シリーズを観る前は「なんかアメリカのヒーローの映画ですよね、やたら作品数の多いアクションムービーですよね、面白いんですか?」って感じだった。でもこれまでの作品を全て観ているからこそ胸が震えるくらい感動するものがあって、作品自体がよかったなというのに加えて製作に関わった人たちの人生を思わずにはいられなかった。

 

観終わったあとに、要素の話で盛り上がるオタク。私は声の大きい人間のことをとても恐ろしい生き物のように感じていますが、さらに要素の話ばかりしているのを聞くとげんなりするというか、ちゃんとお前が感じたことを言語化して聞かせてほしいと思う。私は感情が遅延してくるから会話の中で言いたいことを言えないことが多々あって、あとで脳内ダダ漏れの文章を書くわけですが、要素の話、枠の話ばかりしている、分かるけどね、でもお前はどこで泣いたの?何に感動したの?そういうのをちゃんと聞けるようになりたい。ちゃんと話せるようになりたい。それでお前はどこで泣いたの?

 

 

人と共感しあうためだけに作品を摂取しているのではない。

 

映画の内容としては、私はなんであのとき肩が震えるくらい泣いたんだろう、なんでこのロキのことが好きなんだろう、って考えるほど泣けた。作品自体でもう完結してるわけだからもうあまり言うことがない。ロキとgotgのみんなについてはふせったーで書いたので読んでください。

 

 

 

エンドゲーム見てバレエのレッスン受けて実家に帰った。母親に送り迎えしてもらった。時間がなくてコージーコーナーで適当に買った焼き菓子を申し訳程度のお土産として持っていった。あまりに雑すぎたので次回はちゃんとした手土産を持っていきたい、私の住む街の喫茶店にあるコーヒーはとてもおいしいので珈琲豆を買っていきたい。実家のコーヒーメーカーが新しいのに変わっていたし。

 

夜はカレーをリクエストしたのでカレーを作ってくれていた。カレーの肉、一人で作るときは安い肉を買ってしまうけど、ちゃんとした牛肉を買ったほうがいいという学びがあった。おいしかった。カレー用のお皿があるというのもおいしく食べられる理由の一つなんだと思った。一人暮らしに際してコップを持って行ってしまったので実家には私用のコップがなく、クリスマスのときにシャンメリーを飲む用のグラスで牛乳を飲んだ。ちぐはぐしていた。

 

そのあとクソ寒い夜なのにデザートにハーゲンダッツの紅茶味をみんなで食べた。柳宗理のスプーンで食べるハーゲンダッツはおいしい。妹が「ハーゲンダッツを少し柔らかくして食べる人の神経が理解できない」と言っててよかった。彼女は今年から製菓の専門学生になりました。

 

 

母親からチョコとたけのこご飯をもらい、妹からはディズニー土産のラスクをもらった。洗剤ももらったし、実家、とても豊かであった。父親は相変わらず会話に入らず(入れず)偉そうにしていた。

 

 

私は実家に住んでいたとき精神がおかしくなるくらい親をコントロールしようとしていた。片付けられない母親、家父長制度を未だにやってる父親、服従するしかない母親と私と妹、女であること、二世帯住宅であること、何もかもが地獄でおしまいだった。それなりに豊かで楽しい日々もあったし親に良くしてもらっていたのは確かだけど、あの空間にあの人達と暮らしていたら私は死ぬという確信があった。

 

今回一年ぶりくらいに実家に帰って、しかも一人暮らしを始めてから初めて実家に泊まった。昔の私はあんな薄い布団で寝ていたのかとびっくりした。寒かった。汚い部屋だった。

 

でも一泊二日、時間でいうと14時間くらい滞在して、昔みたいに感情に任せてぶちギレずに、会話ができた。怒らなかった、不快にならなかったというのがどれだけすごいか伝わりづらいだろうけど、すごかった、それは私がエンドゲームを見て消耗してるからという理由もあれど、母親と私で適切に距離が取れたというのが正確な気がする。

 

怒らなかった、食事を終えたあとに「お皿持っていくよ」と奴隷体質の気配りを見せる母親に対して「自分で台所に持って行くからいいです」と言えた。「米要る?」って言われたときに「私は3合を15日に分けて食べるので要らない」と言えた。「洗剤は要る?」「要る」、「チョコはみんなで分けよう」「ありがとう、これどこのお店のやつ?」「◯◯っていうおいしいお店のやつだよ」、「荷物重いだろうから送って行くよ」「ありがとう」「ちょっとトイレ行きたいから少し待ってて」「わかった」

 

素直になるということ、いらないものはいらないと言う、何かをしてくれたらありがとうと言う。親との距離が近すぎて昔の私ができなかったこと、あらゆる初歩的なコミュニケーションをやっとまともにできた気がした。家に話す人がいるという幸福感があった。みんななんでこんなに優しくしてくれるんだろう?って思った。ただただ私が久しぶりに帰ってきた娘だからという理由だけで親切にしてくれて嬉しかった。良いGWになるといいな、平成最後だし。