社会人3年目になった。最近は精神的に負荷のかかる仕事も増えてきて、色々ヘマをやらかしながらもなんとか働いている。
情報処理試験(今年はSCを受験しました)の翌日、数分のスピーチと客先での業務報告をした。
「いい仕切りだったんじゃないですか」って言われてヤッタ〜!ってなった! 初めて客先で最初から最後まで報告しました えらいっ 緊張した
— 赤埜よなか (@_ynk) 2019年4月22日
仕事しながらこれについて考えてたけど、話しているのを聞いている人が頷いてくれたりリアクション取ってくれたりすると安心する気がする
— 赤埜よなか (@_ynk) 2019年4月23日
頷いてくれる人を見ると安心する。私の話を聞いた上で「わかるわかる」という態度を取ってくれている。そう思わせるためには理論的に誰もが「わかる」話をしなければならないんだけど、そのための準備をすれば緊張しないという学びがあった。準備の前に相手がどんな人であるか、どういうことを知りたがる傾向にある人なのか知る必要がある。
仕事、10年以上続いてるプロジェクトで規模が大きいシステムとなると色々理解するまでに時間がかかる。これまでのお客さんとの関係性や経緯を知らないから、ただ事実を知っただけではストーリーとして頭の中でイメージができない。それが最近では段々と人と関わって仲良くなる中で細切れに聞いたエピソードをつなぎ合わせてストーリーとして理解し始めてきた。
一年目のときから「何のためにこの作業をしているんだっけ」という目的の振り返りは意識してやってきていて、ずっと作業と目的は近い位置で1対1の関係にあった。それが作業範囲が増えてスキルが上がって他人と仲良くなる中で、作業(とその目的)対プロジェクトの経緯も見えるようになってきた。これは遠い位置で繋がってる。当時は必要だったけど今は必要のない作業、それを減らしていきたい、減らすために交渉をしていきたい。
仕事、他人と仲良くなる必要性はないのだが 仲良くなるとズケズケ言えるなと気付いている 3年目にしてようやく経験が少しついてきて状況も見えるようになって仲良くなって最近ズケズケ言いすぎてる気がする
— 赤埜よなか (@_ynk) 2019年4月23日
このまえ障害が起きたときの話。
人間が作ったシステムというものを運用するのが人間である以上、障害は避けられないけど、その障害対応をする人が一人になったらどれだけら心細いかお前に分かるか、という文脈でお客さんは怒ってたんだけど、そういう、血の通った人が、こういう人がお客さんで良かったと心の底から思った
— 赤埜よなか (@_ynk) 2019年4月24日
そうやって怒られるまで客先に行った私含めメンバー全員そういう意識がなくてハッとした、「◯◯さん(マネージャー)も来たの?」って開口一番言われて、あっ マネージャーが報告会に来るよりも 障害対応をする人のそばにマネージャーがいるということがどれだけ安心に繋がるか そこで初めて気づいた
— 赤埜よなか (@_ynk) 2019年4月24日
そのお客さんは「仕組みがおかしいと思うなら言ってほしい、昔お願いした依頼事項もいま形骸化してるならやめていきたい、ウチが飲めばやらなくて済む無駄なことをやめたい、皆さんにラクをしてもらいたい、だから要望を言ってほしい」とずっと言ってて 運用ってこういうことだよねって 思う
— 赤埜よなか (@_ynk) 2019年4月24日
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障害や負荷のかかる業務を終えてGWに突入した。『アベンジャーズ/エンドゲーム』を観た。
映画たくさん見てるオタクと会うと 「あれは何のオマージュで何を意識して取られてるカメラワークだ」とかなんとか考察し出すし私も理解はできるんだけど、それでしか物事を話せなくなるの危険だと思うし、声オタやってたときに友人に「声優でアニメ見てないから」と言い捨てられたのを思い出す
— 赤埜よなか (@_ynk) 2019年4月27日
映画見てるときはちゃんと物語を感じて泣いたり笑ったりしてるのに それが刹那的なものになってしまって 見終わったあとはオマージュとかいきさつとか経歴とかの話しかできなくなりそいで怖い 人と話してると感情が遅延しがちだからちゃんと文章にしたい
— 赤埜よなか (@_ynk) 2019年4月27日
エンドゲームよかったです 美しくてよかった 多くの人々の働きかけによってできた作品がエンドゲームなんだと思うと なんていうか感慨深くて 作品そのものが キャラクターだけでなくスタッフの人生 名刺代わりになっているというか どの作品にも無駄はなかったんだなと 思う
— 赤埜よなか (@_ynk) 2019年4月27日
映画館でもらったフライヤーを手で持ったままスタジオ行ったらバレエの先生に「映画観に行ってきたの?ひとりで?友達?そう よかった よなかは一人で行きそうだから ラーメン屋とか牛丼屋とかひとりで行きそう」と女性性で殴られたのでこれになった pic.twitter.com/98pmvpj9xy
— 赤埜よなか (@_ynk) 2019年4月27日
二次創作でキャラクターの感情を推測して補完したあとに公式を見て「やっぱりきみはそういうところあるよね…!」と気持ちよくなるムーブ、別にいいけど なんか キャラクターに対するレイプだよなと思うわけ お前が勝手に推測した感情を使ってキャラでオナニーしてるだけってなる
— 赤埜よなか (@_ynk) 2019年4月27日
IWを見るためにこれまでのマーベル作品を一気に観た人間ですが、エンドゲームをリアルタイムで観れたよかったと思う。シリーズを観る前は「なんかアメリカのヒーローの映画ですよね、やたら作品数の多いアクションムービーですよね、面白いんですか?」って感じだった。でもこれまでの作品を全て観ているからこそ胸が震えるくらい感動するものがあって、作品自体がよかったなというのに加えて製作に関わった人たちの人生を思わずにはいられなかった。
観終わったあとに、要素の話で盛り上がるオタク。私は声の大きい人間のことをとても恐ろしい生き物のように感じていますが、さらに要素の話ばかりしているのを聞くとげんなりするというか、ちゃんとお前が感じたことを言語化して聞かせてほしいと思う。私は感情が遅延してくるから会話の中で言いたいことを言えないことが多々あって、あとで脳内ダダ漏れの文章を書くわけですが、要素の話、枠の話ばかりしている、分かるけどね、でもお前はどこで泣いたの?何に感動したの?そういうのをちゃんと聞けるようになりたい。ちゃんと話せるようになりたい。それでお前はどこで泣いたの?
人と共感しあうために要素の話だけしてるの本当にいやだな お前がどう感じたかをちゃんと教えてくれよ
— 赤埜よなか (@_ynk) 2019年4月28日
人と共感しあうためだけに作品を摂取しているのではない。
映画の内容としては、私はなんであのとき肩が震えるくらい泣いたんだろう、なんでこのロキのことが好きなんだろう、って考えるほど泣けた。作品自体でもう完結してるわけだからもうあまり言うことがない。ロキとgotgのみんなについてはふせったーで書いたので読んでください。
エンドゲーム、○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○。追記が本番です #avengers #avengersendgame https://t.co/Ve6w5QCZXA
— 赤埜よなか (@_ynk) 2019年4月27日
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エンドゲーム見てバレエのレッスン受けて実家に帰った。母親に送り迎えしてもらった。時間がなくてコージーコーナーで適当に買った焼き菓子を申し訳程度のお土産として持っていった。あまりに雑すぎたので次回はちゃんとした手土産を持っていきたい、私の住む街の喫茶店にあるコーヒーはとてもおいしいので珈琲豆を買っていきたい。実家のコーヒーメーカーが新しいのに変わっていたし。
夜はカレーをリクエストしたのでカレーを作ってくれていた。カレーの肉、一人で作るときは安い肉を買ってしまうけど、ちゃんとした牛肉を買ったほうがいいという学びがあった。おいしかった。カレー用のお皿があるというのもおいしく食べられる理由の一つなんだと思った。一人暮らしに際してコップを持って行ってしまったので実家には私用のコップがなく、クリスマスのときにシャンメリーを飲む用のグラスで牛乳を飲んだ。ちぐはぐしていた。
そのあとクソ寒い夜なのにデザートにハーゲンダッツの紅茶味をみんなで食べた。柳宗理のスプーンで食べるハーゲンダッツはおいしい。妹が「ハーゲンダッツを少し柔らかくして食べる人の神経が理解できない」と言っててよかった。彼女は今年から製菓の専門学生になりました。
実家に帰るの嫌だったけど いざ帰ってみたら私の好きなカレー作ってくれるしハーゲンダッツくれるしチョコくれるし話聞いてくれるし洗剤くれるし米要る?って聞いてくれる 布団が薄くて凍えてるけどゴミ屋敷であること以外概ね大丈夫
— 赤埜よなか (@_ynk) 2019年4月27日
母親にたけのこご飯1合もらった
— 赤埜よなか (@_ynk) 2019年4月28日
母親からチョコとたけのこご飯をもらい、妹からはディズニー土産のラスクをもらった。洗剤ももらったし、実家、とても豊かであった。父親は相変わらず会話に入らず(入れず)偉そうにしていた。
家、6歳離れた妹が風呂場で寝たので私が風呂入れなかった(本当は実家の広い風呂でくつろぐのを楽しみにしていた)んだけど、朝妹から「風呂マジでゴメン」って雑に言われてわりとどうでもよくなった
— 赤埜よなか (@_ynk) 2019年4月28日
実家、無限にしゃべることがあった 一人暮らし始めて映画をたくさん見るようになったこと 今期の面白いドラマ アベンジャーズは見たほうがいいということ これまで作ったお弁当のこと よつばとのこと 大奥のこと 会社のセクハラのこと コーヒーメーカーが変わったこと 街で潰れたお店のこと
— 赤埜よなか (@_ynk) 2019年4月28日
私は実家に住んでいたとき精神がおかしくなるくらい親をコントロールしようとしていた。片付けられない母親、家父長制度を未だにやってる父親、服従するしかない母親と私と妹、女であること、二世帯住宅であること、何もかもが地獄でおしまいだった。それなりに豊かで楽しい日々もあったし親に良くしてもらっていたのは確かだけど、あの空間にあの人達と暮らしていたら私は死ぬという確信があった。
今回一年ぶりくらいに実家に帰って、しかも一人暮らしを始めてから初めて実家に泊まった。昔の私はあんな薄い布団で寝ていたのかとびっくりした。寒かった。汚い部屋だった。
でも一泊二日、時間でいうと14時間くらい滞在して、昔みたいに感情に任せてぶちギレずに、会話ができた。怒らなかった、不快にならなかったというのがどれだけすごいか伝わりづらいだろうけど、すごかった、それは私がエンドゲームを見て消耗してるからという理由もあれど、母親と私で適切に距離が取れたというのが正確な気がする。
怒らなかった、食事を終えたあとに「お皿持っていくよ」と奴隷体質の気配りを見せる母親に対して「自分で台所に持って行くからいいです」と言えた。「米要る?」って言われたときに「私は3合を15日に分けて食べるので要らない」と言えた。「洗剤は要る?」「要る」、「チョコはみんなで分けよう」「ありがとう、これどこのお店のやつ?」「◯◯っていうおいしいお店のやつだよ」、「荷物重いだろうから送って行くよ」「ありがとう」「ちょっとトイレ行きたいから少し待ってて」「わかった」
素直になるということ、いらないものはいらないと言う、何かをしてくれたらありがとうと言う。親との距離が近すぎて昔の私ができなかったこと、あらゆる初歩的なコミュニケーションをやっとまともにできた気がした。家に話す人がいるという幸福感があった。みんななんでこんなに優しくしてくれるんだろう?って思った。ただただ私が久しぶりに帰ってきた娘だからという理由だけで親切にしてくれて嬉しかった。良いGWになるといいな、平成最後だし。