バレエの先生

「バレエの魅力って何?」と尋ねられるといつも答えることがある。

バレエというのは『白鳥の湖』にしろ『ドン・キホーテ』にしろ『ロミオとジュリエット』にしろ、だいたいは振り付けがすでに決まっている。コンテンポラリーではなくクラシックであるなら、昔から踊られてきた「型」がある。音楽だって決まっている。
ただ、「振り付けや音楽が同じなら誰が踊っても同じだろう」というのは誤った認識であって、逆に、異なることもいくつも挙げられる。演奏家と踊り手と指導者、共に練習する人々、踊る舞台、観客など…。
これは料理と一緒で、同じオムライスだって違うレストランで食べれば違う味がするし、その日の気分によって感じることも違うと思う。だいたいのレシピは同じにしても、一緒に食べる相手、作る人、場所、雰囲気などで感じることは大きく変わってくる。
バレエも同じ。同じ振り付け、同じ音楽だとしても踊る人や観る人が違うだけで感じ方は変わってくる。そこがバレエの魅力なんだ、と私はいつも答えている。

16年間お世話になっているバレエの先生が以前「バレエのコンクールは芸術から離れてスポーツ化してるよね。コンクールは点数勝負だから、体が柔らかけりゃ、脚を高くあげりゃ、たくさん回ればいいっていうのは違うと思う。その人に合った脚のあげ方や踊り方があるしね。高い点数をもらうためのレッスンっていうのは私は違うと思う」と言っていたことが非常に印象に残っている。

スケートや絵画や小説などあらゆる芸術に関することについて争うことが悪だとは思わない。けれども、賞を取るためだけにやるのはいかがなものかという気持ちもある。
確かに何事も点数化したほうが、どの人が高得点でどの人が高得点じゃないのかひと目で分かるし便利ではある。ただ、点数をつける側だって人間なわけで、高得点=優秀であるとしても、その芸術を鑑賞する人の好き嫌いには関係はない。

テクニックが上手で身体が柔らかく表現力もある踊り手より、下手でも目を輝かせながら踊る人のほうがよっぽど魅力的に見える。人の心を動かすのはやはり人の心である。

「全然評価されないけど私は好きだな」という物事を好きで居続けることの難しさ。
メディアで評価されているもの=みんなが好きなものというふうに認識が均されて、自分自身が好きなものを見つけるためには非常に能動性が求められている時代。評価されないものは平気で淘汰されていく。

別になんでもかんでも点数化されるわけじゃないんだから、好きなようにやればいい。
「自分の踊りたいように踊っていいんだよ、振り付けをやるだけじゃなくて、自分で表現していかなきゃ」
そういうふうにバレエの先生が言っていたことは、コンクールのためでも点数のためでもなく、その子自身の成長のために言っていたことだと思う。

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バレエの先生は、昔は「なんで自分のことなのにスケジュール分からないの?」と怒るような、小学生に手帳を持たせるように言ったり、バレエノートをつけるように言う人だった。
「座ってないで立ってウォーミングアップして、やる気あるの?言われる前にやってて」「髪の毛は自分で結んできなさい」「振り付けの変更点は自分で覚えておきなさい」「教室に入ってきたらまず挨拶をしなさい」
今思えば至極当然のようなことだけど、私は子どもながらに「子どもに要求するレベルが高すぎる」と思っていた。今は結婚をし出産をしたからか厳しい面は少し薄れたけど、根本は変わっていないし、バレエを通して生徒の自立性を育んでいる。

私が親と喧嘩をしバレエを辞めなさいと言われたとき、「あなたが辞めるかもしれないってことを考えたら全然寝られなかった」と目を腫らし、「どうしても辞めるなら仕方がないし、それで納得するのならいい。でもここまで続けてきたのにもったいないじゃん。バレエを嫌いになったわけじゃないでしょう、私のこと嫌いになった?違うなら、週に一回でも、半年に一回でもいいから続けてほしい」と泣いてくれ、自分も同じような過去があったことを体育座りで話してくれた、あのいつもの厳しさからは考えられないほどに、あどけない少女のような、あの姿は忘れることはできない。

家に帰って「私は自分のお金でバレエを続けるからあなたたちに私のやることを口出しする権利はない。だからバレエを続けさせてください」と支離滅裂な土下座をしたことも今は懐かしい。

コンクールに出場する年に、通常レッスンをサボってコンクールのレッスンの時間にスタジオに行ったらすごい剣幕で怒られたこともある。「通常レッスンの時間に他の子たちと一緒にバーレッスンを受ければその分コンクールの練習に時間を裂けるのに、なんでお前は通常レッスンの時間に来ないんだ」と怒られた。
お金は払ってるんだから別にいいじゃん、と思っていたけど、どんなにたくさん練習を重ねても上手い子たちに追いつけないからこそ時間を有効に使えという説教で、そのときにこの先生は私のコンクール出場に本気なんだなと感じた。

16年もお世話になれば様々な喜怒哀楽を共有しているわけで、大人しい性格の私を「もっと前に出て自身持って踊りなさい」と言ってくれる先生がいなければ今の自分はいなかったと思う。

できないことをできるように注意してくれるだけじゃなくて、できてることももっと良くできるように注意してくれる人の存在が、どれだけ貴重か身につまされている。