好きな人と付き合ってなかった

今年に入って「私たちの関係性のステータスは何ですか?」と確認作業をしたところ、私は好きな人と付き合ってなかったことが判明した。

 

やっぱりな、という気持ちが半分くらいあった。事実インターネットで好きな人の話をするときは"好きな人"と書いていて、恋人とは一度たりとも言ったことがない。頭の中では分かっていた、明確にした途端に大量の血が出た。

「既婚者じゃないですよね?」「恋人いるわけじゃないですよね?」「私はあなたとの関係をセフレ関係だとは思っていないですよ」と折を見て石橋を叩くように確認作業をしていたけれど、やっぱり付き合っていなかった。

 

 

 

この記事でも書いたけど、幼馴染に「お前は自ら幸せになろうとしていない、大事にされようとしていない」と言われたことをきっかけに自分で幸せは掴みにいかなければならないのかと思い、確認作業をしたところ結局好きな人とはおしまいになったのでした。

 

米津玄師の『LOSER』という曲に、「愛されたいならそう言おうぜ」という歌詞があり、それに励まされていたが、返信が来てからはこの曲を聴けなくなった。

 

前から私が好きと言えば向こうはあえて「大事に思ってる」と言葉を選んで返してきていた。好きな人が証拠となる言葉を残さないよう慎重に選んでいることを私は知っていた。

 

急に人との縁が切れること、急に誰かと会えなくなることが怖いと泣いたことがあり、そのときに初めて素顔を見た気がすると言われた。セフレでもなんでもいいから、急に連絡が取れなくなったり会えなくなるのは勘弁してくれとずっと前から伝えていた。好きな人は優しい目をしていたがどこか他人事のような、その気持ちは理解できないというような様子で私の頭を撫でていた。

 

幼馴染にこういうことを言われたんだよと先の話をしたところ、向こうから「都合よく使ってるつもりはないけどな」と返され、その会話の次の次くらいで「私たちの関係性のステータスは何ですか?」と聞いた。

一緒にご飯を食べる、映画を見る、水族館に行く、手を繋ぐ、キスをする、セックスをする、一緒に眠る、一緒に出勤する、そういうことを繰り返しても私たちの関係性には特に名前がなかった。たしかに仕事が忙しくて2週間に1度、1ヶ月に1度しか会えないときもあったが基本的に毎日連絡は取り合っていたように思う。頻度が障壁というわけではない。

 

「付き合うとなったらもっとちゃんとしなきゃいけないし、今は仕事が忙しいし、転勤するかもしれないから付き合うのは正直厳しいと思う。曖昧なままがダメなら距離を置いたほうがいいと思う」というメッセージを何度も読み返した。転勤の話など聞いたことがなく、仕事が忙しいからというのも理由にならない、ようはお前がどうしたいのか、ただそれだけだろという気持ちだった。お前はお前の人生をどうしたいんだよ。ちゃんと自分の口で話せよ。

都合よく使ってるつもりがないと言うその口で、私のことを甘やかして抱くくせに、ずるくないですか?みたいなことを感情に任せて伝えたとして、返信が来るのは一週間もあとのことだった。名前のない関係性があって、そこには付き合ってもいないがセックスはする、セフレではない他人と手を繋ぎデートをするという行為が積み込まれていても何も不思議ではないのに、名前のある関係性そのものに縛られまくっている。

「毎回会うのは楽しくて、決めなくてはと思ってはいたけどズルズルとここまで来てしまった、都合よく使うというのならここでも"付き合ってるよ"と言う」と、自分が誠実に考えた結果がこれだと示されてしまうと、その答えもなんとも好きな人らしくて、やっぱ好きだな〜と思った。

 

おすすめの映画として『リトル・ミス・サンシャイン』を挙げるところや、自分の快適さのためにはお金を惜しまない、たとえば満員電車が嫌だからロマンスカーやタクシーを使うようなところ、ご飯を作っているところを見るのが好きでカウンター席を予約するところ、私がお酒を飲めない一方で好きな人は日本酒が好きで日本酒がたくさんあるような居酒屋や割烹料理屋に連れていってくれたこと、自分のことが一番に好きで大事なんだということを隠さず、自分は人が嫌いだということも隠さないところが好きだった。

 

好きでした。過去形にして無理やりせりふを終わらせればやっと、エンドロールが始まってくれる。

 

朝井リョウの『少女は卒業しない』からの引用。無理やり過去形にしないと好意が執着に変容して自分の人生がまたおかしくなる。

 

このまえの夏のことを思い出す。

私のバレエの発表会に誘ったところ最初は行くと言っていたのに急な会議が入って来れなくなったと言われたことがあった。やっぱり来ないな、という、その『やっぱり』という気持ちをあのときから抱いていた。「今度埋め合わせしてね」と言っても、別に好きな人は仕事が好きで、仕事をしている自分のことが好きで、有給を使って人混みの多いディズニーランドに行ってくれないであろうことは分かっていた。私ではなく私の友達が怒ってくれたのは本当に救われる思いだった。

 

「関係性は曖昧なままのほうが楽しいですよ」とインターネットの人に言われて、そうだよね、とも思っていたんだけど、幼馴染の言葉に背中を押される形で行動してよかったかなと思う。時間を無駄にせず生きたほうがいい、結果的にステータスを聞いてよかったなという気持ちがある。  

 

好きな人にはお菓子ばかり食べてないで野菜をちゃんと食べなさいと口うるさく言われていた。野菜を食べたと報告すると褒めてくれるのが嬉しくて野菜を摂るようになった。好きな人は料理をする人だったし、私も日頃からお弁当を持って会社に行き、人並みに料理をするので誕生日プレゼントとして高級なオリーブオイルをもらった。昨日はそのオリーブオイル使ってパスタを作った。イギリス土産でもらった紅茶、中国土産でもらったハンドクリーム、まだ全然残ってるけど私はふつうにそれらをこれからも使うのだと思う。一生なくならなければいいのにな、と思いながら使う。

 

好きな人と出会えてよかったという気持ちしかないし、まあまたどこかで会えたらいいなと思うし、勝手に幸せになってくれよと思う。

 

 

これに尽きる。既婚者のことが好きだったときは今よりもっと自分を都合よく他人に使わせて消費されていたし、好きすぎて会話とかセックスとかも録音してた。そういうことがなくなったのだから随分な進歩だと思う。

 

とはいえ私はまだ冷静さを欠いている状態で、度々思い出して心臓がグッと掴まれてしんどいときもありますので、皆様におかれましてはこの件に関してマジレスや慰めなどはしないでください。ただ私をどこか遊びなりなんなり外へ連れ出していただければと思います。

私はつぎの日曜日に人と山に行く!

それをすごく楽しみにして生きてる。

友人

先週はずっと死にたかった。ODの方法を調べていた。薬を何錠飲めば死ねるのか、どの薬であれば手っ取り早く入手できるのか調べていた。また、ひたすらに映画や音楽を摂取して自分に関係のないことを考えていないと、自分の人生がバグっていることに向き合わなければならなくて、そんなこと無理で、今すぐ自殺したくて仕方なくて、休日出勤の翌日の月曜日は朝起きた瞬間に『もう今日は会社に行けないな』ということが分かってじゃがりこを食事としてベッドの上で過ごした。毎日泣いて過ごした結果目が腫れて二重幅が過去最高記録を更新し、アイシャドウがよく映える当社比2割増し程度の容姿となった。

 

 

晦日に小学生のころからの幼馴染が家に来て、一緒に紅白を始めとした年越し番組を見ていた。彼女からは「お前は自ら幸せになろうとしていない、大事にされようとしていない」と言われて確かに昔から自分を安売りしてきたと思うし、私が何か自らつらい思いをしにいくたび心配をされている。幼馴染である彼女は同棲をするべく関西へ行ってしまった、もうなかなか会うことはできない、その気になれば会えるしインターネットにいるからそこまで心配ではないけど、気軽に会える友人が減るというのは、なんというか、話し相手が減るということは、私のために怒ってくれる人がいなくなるということは、毎年美しい花を手にバレエの発表会に来てくれる彼女の存在は、いかに大切であるか、今さら痛感するのでした。幸せになってほしい。

 

そして、私はというと自ら幸せになろうとアクションを起こした結果、急につらくなってしまった。これだから幸せになろうとするのは怖い。自分を安売りしたほうが寂しかったりつらい思いをすることがない、なぜなら自分を安売りしたのは自分だからと納得させられるから、それでよかったし、そういうふうに生きていく予定だった。魔が差した。幸せになれるとでも思っていたのか。

文章そのものが感傷的すぎる。

 

 

ありがたい。直近で会っていただいたすもとさん、ゆずこさん、ぱじゃまじぇーぴーさん、ありがとうございました。

 

 

将来のことを考えると本当に怖くなる。このままずっと働き続けるのかと思うと目眩がする。あまりに長すぎる。お金だけがほしい。そのお金を使って何をしたいか具体的にやりたいことがあるわけではないが、お金をたくさん持っていることで安心したい。

 

***

 

 

ぱじゃまじぇーぴーさんには会って話したいことがあった。自分のことを話して聞いてもらわないとおかしくなってしまいそうだった。これまで電車に乗ったりケーキを食べたり映画を見たりバレエを観にきてもらったり何回か会ったことはあるけど、面と向かってまともに話したのは初めてだった。インターネット越しではないコミュニケーションだった。

 

 

店では人生に焦ってる女が男のつまらない話を聞いて大袈裟にリアクションをしていた。身体を前のめりにしたり、首を斜めに傾けてみたり、反応のバリエーションがやけに多い、私もそういうテクニックは習得したいけどどこで覚えるんだろう、モチベーションは?セックス?徳を積めば人生報われるの精神で女としての媚びを覚えるの?、男のオナニーを補助する役割、相手に気持ちよくなってもらうためのポーズ、中身のない会話、冷めていく食事、一ミリも動かないその前髪はケープで固めすぎていて、あえて身体のラインと胸に視線が誘導されるような仕組みになっている。仕組みづくりって大事だよね、仕事も何事もそう。

ぱじゃまじぇーぴーさんがその男女に視線をやっている様子、表情や態度に感情があらわれている様子がめちゃくちゃよかった。すごく楽しかったな、特にご飯はおいしいわけではなかったけど、みんな恋愛とかセックスとか妊娠とか出産とかで駆動している、社会に毒されすぎて自分自身の意思って本当にあるのかな、結婚して出産することこそが女の一番の幸せ!みたいな人間がまだこの世に生存していることに本当に驚く。社会圧に気が狂いそうになるときもあるけど、私はただ漠然と生きていて、今日この日が平穏に終わればいい、この一週間平和に過ごせればいいとだけ思っているし、死にたいくせに会社に行って仕事だけはした。

 

 

人との縁が切れることに関して異様に恐怖を感じるこの執着というものは、いずれ衰えていくのかな。それまでは感情の赴くままに、あなたと会えなくなるのが物凄く怖いんですということを感じていいし伝えてもいいのかもしれない。

 

 

インターネットの人と会ったり、久しぶりの研修で会社の同期と会って話すだけでかなり精神が復活した。私に必要なのは恋人でもセフレでもなく友人なのでは?と気づきつつある。

感情の露出度

一人暮らしを始めたのは2017年の夏のことだった。22歳で始めた生活も今はなんとなくちゃんとしている風で、実際はちゃんとしていないことも多くあるのだけれど、お弁当をほとんど毎日作って出勤していることと週1ペースでバレエを続けていることだけはえらいと思う、よく頑張っている。その調子で。

年末年始は特に理由もなく悲しくなり泣いて過ごしていた。大晦日、私の家で紅白とジャニーズカウントダウンを小学校のころからの幼馴染と見たこと、ジャニーズWESTのライブに行ったこと、それだけが唯一充実した出来事だった。泣き腫らした目で化粧をしたところここ最近で一番の二重幅を記録し、顔がうつくしく作れた、嬉しかった。

一人暮らしを始めて2度目のお正月、今年も実家には帰らなかった。母からは年賀状が届いていた。

 

感情の露出度について

 

私は実家にいた頃、テレビを見ながら笑っては「うるさい」と言われ、泣いては「鬱陶しい」と言われ、怒ってはそれ以上の怒りを持ってして大声で殴られてきた。だから家では極力感情は出さず、インターネットに吐き出してきた。もちろん友人としょうもない話をして声を出して笑うこともあるし、映画館で感動すれば涙を流すし、正しく感情は私の身体に備わってはいるのだけれど、家では、親のいるところではあまり感情を見せないようにしていた。

併せて自分の意見も基本的には否定的、というか何を言っても届かない節があったので、一人で自己完結できる欲求は自分で処理するとして、親にやってもらいたいことは言い出せないことのほうが多かった。

 

一人暮らしを始めるにあたって各種家電を買うため家電量販店に行くときにどういう経緯で忘れたけど母親が一緒に来た。(なんかこういうの最後だし家電選んだあとご飯でも行くか的なノリで声をかけたんだと思う)。

商品を選び、じゃあ発送日やオプション、金額について話しましょうという流れになったとき、店員にすぐさま「値引きしてくれればねえ」と母親が口にした。私の過去の経験上、ある程度店員との会話を持って、お店側が利益を出さなければいけないのは百も承知で自分にはこういう事情があって家電をまとめて買うので少しでいいから値引きしてほしい、みたいたな、こう、流れが必要だと思っていて、それを母親が急にメチャクチャに壊すからその場で泣き出しそうになったことがあった。お金を出すのはお前じゃない、私が払う、なぜなら私の生活に必要な家電だから、なのにどうして付き添いで来た母親が値引きをクソなタイミングで言い出してその場をぶっ壊すんだよと思って気が狂いそうになった。これも最後、きっと数年後に懐かしく思う日が来るかもしれないと思ったけどブログに書いてる今も全然普通に懐かしさよりも怒りが出てくる。親への期待値が高すぎるからいけないんだ、あらかじめこういうことは言わないでくれと伝えてなかった私が悪いから仕方がないと思った。

 

遡って大学生時代。

私の自室にはドアがなかった。自殺防止のため、自室にはドアがなかった。しかもその部屋の広さが学習机と布団とキーボード(昔ピアノを習っていた)をいれたらもう何も入らないし足の踏み場もないような広さだった。なので私は布団で化粧をするしご飯を食べる、階段がすぐ隣にあるドアのない自室で、死なないか時折部屋を覗かれながら、曇りガラスでエアコンとドアのない部屋で生きていた。夏は尋常ではなく暑く熱中症になるため、寝る前はグラスに氷をたくさんいれて眠りにつくまで氷を噛んで保冷剤を手に持っていた。それでも頭が痛くなる、体調がおかしくなる、これでは学業に支障を来すというか普通に生命の危険がある、だからエアコンをつけてほしい、そう意見を伝えても別に何も改善はされなかった。左手に学習机、右手にキーボード、その間に敷かれた布団、転がると机とキーボードに見下ろされてひどく息が苦しい、曇りガラスで外の様子も見えない、なのにドアがないから家族という他人から死んでないか確認される。親が勝手にセックスして生まれてきた人間だけど、一応心臓は動いてるし熱中症で体調が悪いのに状況が改善せずとも何か声をかけてくれてもいいようなものを特に何もなかったので死んでもいいと思ってる節がある。それはどうかな。

 

なんだこの2つのエピソード。善処しましょう。

 

感情の露出度が高い人間を見ると、恵まれた環境のもとで育ったんだなと思う。感情を露出しても受け止めてくれる人間がすぐそばにいたこと、それは代えの利かない幸福だし、私だってたしかに感情を出せる外の人間関係だってあったけど、それでも、何かしらの感情を抱くことを否定されたこと(まだ思ったことを口にするな、は理解できるけど)、そう感じることはおかしいんだからやめろ、その感情は間違っている、間違った感情を抱くお前はおかしい、みたいなそういう当たり方を、大声で怒鳴られたことなんてないだろと思う。親がもういいと言うまで何時間も正座させられて、自分は悪くないのに土下座させられて、ティッシュの箱を投げつけられて、そういうことの一つ一つが私の感情の露出度を下げていった。

 

感情を出して良いことなんか何一つなかった。

 

今になって他人から「お前は何を考えているのか分からない、口にしないと伝わらないんだから口にしろ、私はちゃんと口にしたよね?」みたいな怒られ方をした。

分かる、分かるよ言いたいことは、口にしてないのに分かってもらおうなんざ思ってないし、口にしたところで分かってもらえるとも思ってないけど、そういう強要のさせられ方というか、そういう言い方というか、これまで露出度を下げていたのに無理やり上げろと言われても無理な話で、というか私は普通に感情や自分の意見を出してるつもりなのですが…みたいになって困る。

最近私が何か口に出せないせいで人間関係が壊れ出しているが、まあ一生のうちにそういう時期もあるでしょうと思っている。人間関係は誰が悪いとかではなく服のサイズが合わなくなるように自然と合わなくなるときがくる。それが今というだけの話、ただもう少し露出度あげられたらいいなとは思うけど、少しずつ。

 

そういえば好きな人から「最初は何考えてるか分からなかったけど、最近分かってきた、感情が滲み出てるよね」と言われて嬉しかった。

少なくともインターネットに散々感情は書いてきたわけだし、適切に感情は組み込まれているのでそう言われてすごく嬉しかった。

私にも感情はあります。

 

 

日付が変わる前に寝たい

特に書きたいこともないが年末。

あと2営業日ということだけが私を生かしてくれている。惰性での出社、やや定時での退勤。どこかお店を見てから帰るというほどの元気はなく、毎日のお風呂(具体的に言えばコンタクトレンズを外して化粧を落とすこと)に時間がかかりすぎてしまい、その間をスナック菓子とインターネットで埋め立てている。埋立地って、いいですよね。うめたてち。

惰性でのスクロール、最近のニュースは知らない。みなさん『チコちゃんに叱られる!』は見たことありますか?私はありません。ボーっと生きてんじゃねーよ!ボーっと生きるって、どういうことを指しているのでしょうか。直接的に他人が原因の人生設計をしていること?私の嫌いな内面のない女のこと?もうそんなやつのことは勝手にさせておきたい、今年限りでおしまいにしよう、何もかも。

 

 

 

熱っぽい。

 

2018年下期のプライベートは内面のない女に人生をパクられたり、感情の女から感情で殴られたりした。

 

もしも彼らが君の 何かを盗んだとして
それはくだらないものだよ
返して貰うまでもない筈
何故なら価値は 生命に従って付いている

 

椎名林檎は『ありあまる富』でこのように歌っていることですし、他人は勝手にさせておけばいいという気持ちだけが強まる。師走なので普通にやることがたくさんあるし、いちいちプライベートなコミュニケーションに対する返事が面倒くさい。

ちなみにこの曲、松本潤がフィリピン人と日本人のハーフを演じていた謎のTBSドラマの主題歌だったんだけど、あれはなんだったんだろうか。2009年の作品、中学3年生のときなのにわりと記憶がある。

 

仕事では、他人を頼ることを覚えた。

お願いをする、頼ること、私の中ですごくハードルが高くて、毎回大縄跳びに入るタイミングを見計らっている気持ちになる。言い出すタイミングが掴めなくて自分の首が絞まっていく。でも、エイヤッで言ってみるとすんなりOK出ることがほとんどで、な〜〜んだと思う。それでも誰かに頼ること、他人に時間を作ってもらうことが本当に苦手。ただオペミスしないのが絶対だし、効率的にも品質的にも他人を頼ったほうが早いというのがかなり強い。生産性と効率性は違う。

「仕事はゲームだからゲームのやり方を知っていたほうが勝てるよ」とたびたびジェーン・スーさんが言うのを聞いて確かにそうだよなと頷く日々。しいたけ占いは今年は「孤独な獅子座から脱却し他人を頼ることを覚えろ、無計画を楽しめ」ということがしきりに書かれており、なんとなくその通りだった気がする。

 

忘年会を始めとした会社の飲み会が大の苦手なくせに、観てよかった映画は?「ジョン・ファブローのシェフ」最近の趣味は?「おいしいご飯を食べること」 気になっていることは?「料理の科学について」と脳内で勝手に質問を作っては回答をしている。春が近づくと歓迎会なんてやらないくせに「カラオケでは松たか子を歌うぞ」というエア設定だけが嵩んで行く。暇かよ。

 

今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします。おいしいご飯を食べたいので暇があれば声をかけてください。

他人の話を疑わない人たち

仕事柄なのか、これまでの人生で叩き込まれたからなのか、私の性格に依るところなのか分からないけれど、"他人の発言や行動は真っ先に鵜呑みにせず疑うこと、受け入れるにはそれなりの根拠や証拠が必要だ"というスタンスで生きているので、そうでない人と関わると「根拠も何も提示していない私の話を鵜呑みにしたの?」と驚く瞬間がかなりある。鵜呑みにしたその根拠ってなに?と聞きたくなるのだが多分たいてい特に考えもせず受け入れられている感じがする。怖い。

 

例えば私がネットで調べた情報のスクショをLINEに載せて、「お店でイベントやってるらしいよ〜 行こ!」みたいなことを言うとそのイベントがやってるかどうか調べもせずに了解するような(良い例が思いつかない…)、体調の悪い人に対して「病気にはこの食べ物がいいらしいから食べるといいよ」と言ったら鵜呑みにして食べてくれるみたいな、そういう人が普通にいてすごく怖い。

 

キュレーションサイト、特に医療のことに関しては少し前にWELQの件で散々騒がれたけど、インターネットに住んでいない人はきっと騒動を知らない。

 

そして何の根拠も添えずに提示した情報を鵜呑みにして、それがフェイクだったと知ったときに不機嫌になったり怒る人が本当に怖い。自分で真偽を調べてないくせに怒るのは怖すぎる。

 

この場末のブログを読んでいるようなインターネットの住人は知らないかもしれないけど、いるんだよ、本当に、他人が出す情報の真偽を少しも精査しないで鵜呑みにして嘘だと知ると怒る人。怖すぎる。怖すぎる!!!!!助けて!!!!!!!

 

話が逸れていく気配があるんだけど、私の観測範囲では、人は(極端かもしれないけれど)インターネットに住んでいる人と住んでいない人に分けることができて、インターネットに住んでいない人もインターネットは使うけどその使い方がライトというか、明らかに私との使い方とは違うのを感じる。

 

 

 

私の観測範囲にいるインターネットに住んでいない人はインスタグラムをメインで利用している。食べたもの、行った場所、インスタ映えの壁人間コンテスト、そういうおしゃれなやつをおしゃれに加工しておしゃれなポエムと共にアップする、みたいな感じで、王様のブランチがターゲットにしてるのはこういう人々なのかな?みたいに勝手に思ってしまう。これがマジョリティなのか、?本当に?いつの間に…?

 

 

今の時代インターネットと生活を切り離すのは難しいものだし、インターネットリテラシーが低いことは悪だと言いたいわけではなくて、私もインターネットリテラシーが高いかと言われるとそうではないのかもしれないけど、見ていて危なっかしいというか、「大量RTされているツイートが全て真実だと思うなよ、というかそれ5年前のパクツイだからな、お前はパクツイだから何?みたいな顔をするのかもしれないけど………」みたいなこう微妙な感情が出てくる。

 

なんかどっかで見た、これまでのインターネット利用方法は自分で調べに行く形だったけれど、最近は調べずとも情報が入ってくるような形になっている、みたいなやつで、これまでのように能動的に調べる習慣づけができてる人は今もそれが継続されている一方で、そういう習慣づけがない最近の人たち(…)は受動的に情報を摂取しているから自ら調べることなんて少ないのかもしれない。だから他人が調べた情報、とりわけ友人・知人の間柄の人が提示した情報ならなおさらすんなり受け入れてしまうのかもしれない。

 

先日会社の同期にプロテインを飲んでいるという話をした際に「え〜私も飲もっかな、何飲んでるの?銘柄おしえて!」と言われたことがあった。

プロテインにはいくつか種類があって、筋肉をつけたいのか置き換えダイエットをして痩せたいのか目的によって飲むものは変わるんだよ」という話をしてもあまり届いていないようで、「どうして私の飲んでるやつが知りたいの?」と聞くと「知っている人が飲んでいるほうが安心できるじゃん」と言われた。

 

私としてはそれがすごく新鮮で、「今までお前は他人の真似ばっかりしてやがるな!真似するな!自分の意思を持った選択をしろ!!」と思っていたけど、どんな科学的な根拠よりも友人・知人を安心材料として情報を摂取する、それが自分の意思である、みたいな感覚、あるっちゃあるけど私にはそこまでない気がする。

 

私が時間をかけて調べて選び取ったものをいとも簡単に真似されてしまうと、盗まれたみたいな気持ちになって、あらゆる選択肢の中からどうしてこれを選んだのかその理由を理解してないくせに…となるけど、この気持ちは理解できる人とそうでない人がいるのだろうと思う。

 

ともかく文頭に書いた、根拠も何も提示していない情報を鵜呑みにする人というのは、理論的な根拠とか科学的な説明よりも、それを話している"人"を根拠にしているのかな、という仮定に落ち着きました。おしまい。

感情は邪魔

仕事をしている間に発生する感情はことごとく邪魔。他人から向けられる嫌味を始めとしたお気持ちに対して、感情を玉ねぎの皮のように剥き始めてはささくれ立って仕事以外の時間も気になってずっといじってると途端に血が滲み始めておしまいになる。

 

 

新しいプロジェクトもこのお気持ちの先輩とやることになるのだが、このまえのミーティングで「僕はみなさんに『頼まれたからやる』んじゃなくて『自分から何をやるべきか判断できるようになってほしい』んです」と話していて思わず笑っちゃった。

バカにするのもいい加減にしろよ。可能な限り判断して先回りして仕事してるのにプロジェクトの実情を把握しないで、頼まれたレビュー等の依頼をいつまで経っても見なかった半年前のお前、いつまで経っても成果物がレビューされなかったりメールの返信がなかったりでメンバーのモチベーションが著しく下がってその挙句納期ギリギリにダメ出ししてきたお前、お前が22時まで残業してるのはお前の勝手だが、私までそこに引きずりこまれる必要性はないはず。仕事を効率的に捌けない人のせいで私の生産性を下げられる謂れはないはず。

 

 

こちらの利根川の先輩の方は、「仕事を効率的にできるようになったからといって生産性が上がっているわではない」という話をしていて、やっぱりこの人のことが好きだと思った。

RPAとかAIで仕事を機械がやってくれるようになればそれまで時間がかかっていた作業も短い時間でできるようになるけど、短くなった分その時間で他の仕事をしないと生産性があがったことにはならないのだという話、当然のことだよね。

 

この二人の先輩には色々無茶振りをされているんだけど、利根川の先輩のほうは、なぜこの作業が必要か説明をしてくれるし、ある程度放任してくれて責任は取るという態度を取ってくれているので納得感を持って、また問題解決しようという意識を持って作業に取り組める。

お気持ちの先輩は「これやっておいて」で終わり。認識のすり合わせをしようにもその人が忙しすぎて(仕事を捌くのが遅すぎて)レスポンスが悪いから先に作業に取り掛かって返信が届き次第軌道修正をしている。つらい。この人のもとで動くときいつもこのプロジェクトはブラックだと思うのでつらい。

 

仕事の話は終わり。

 

 

恋愛も感情が邪魔。

先日ようやく好きな人は独身でも恋人がいるわけでもないと分かり、またこちらからあなたとの関係性はセフレではないという話をした、が、付き合っているのかどうかは分からない。

いくつか前の記事で恋人ができたような投稿をしたがあれは私の願望であって推定的な恋人であった。実は違うのかもしれない。…というかこれまで告白されて付き合ったことなんかあったか?なかったな、だから「恋愛にマイペースな人が好きなんですか?」と人に言われるのだ、儀式が嫌いだから、儀式に伴ってこれまでの関係性が破壊されるのが苦手だから逃げているだけなのだ本当は。誰かから告白されたことはある、学校の人気のない渡り廊下に呼び出されたり、LINEで長文の愛の言葉で殴られたり、教えてもいないFacebookメッセンジャーで「心から愛しているんです」とメッセージが飛んできたり、正気か???とそのときは思ってその人たちとは何もなかった。私の何を知っているんだ、何も知らないくせに勝手な好きになるな、と思っていた。

 

仕事が忙しくて会えないだろうと分かっていて「次会うの12月になりそうですか?」とあえて聞くこと、「悲しくなると分かっていてあえて聞きました」と言ってしまうこと、付き合ってるのかなんなのか本当は問い質したいけど仕事が忙しいときに感情で殴られてもかったるいだけだろうなと分かっていること、色々感情が出てきてそのせいで他人に迷惑をかけるのはどうかという気持ちとたまにはワガママ言わないと相手の都合のいいように使われる、聞き分けの良い子が過ぎると人間として消費されるだけだという経験もあるからこういうことが本当に下手!アドバイスをください!好きで仕事をしている人との付き合い方を!

 

感情が出てこないように最近は勉強をしている。勉強はいい、家事や掃除もいいけど終わりがある。来週は試験を受けるのでそれまでとりあえずは頑張りたい。

 

紅茶

仕事に浸かっている。

 

今参加しているプロジェクトがもうすぐサービスインをするので、その準備に明け暮れている。たびたび発生するトラブルに瞳を暗くさせながらも、その度に人を頼れるようになってきたと感じる。

仕事であまり関わりのなかった人たち。

噂ではどういった技術に長けているという話は聞くけど、実際にプロジェクトで一緒にならない限りはその恩恵を受けることはできないだろうと思っていた。けど、話しかけやすくてしょうもない人に聞いて問題が解決しないより、自分に圧力がかかるとしても問題解決のために話しかけにくい人にエイヤッと頼みにいくほうが断然近道なのだ。話が通じる人と仕事をしたほうが早い、何事も。

 

 

恋人は今日の夜に日本を発ち海外出張へ行く。

しばらく会っていないが、これからまたしばらく会えなくなる。

9つ年齢の離れたその人はちょうど働き盛りで、中堅で、会社にとってはよく使える駒だ。

 

LINE越しで会話をすることは、私にとってすごく難しくて、言いたいことを言おうとするとどうしても文章が長くなる。

 

以前他人に言われた、「より文章量の多い方が好意を持っている」という呪いが今も解けずに、高校生のときに付き合っていた24歳の社会人が車で迎えに来てくれるのを長いこと小田原駅で待っていたような気持ちが思い出される。「好きな相手を待たせたくなくて目的地に早く着く、待たされる側がいつだって損をする」

 

高校生のころは休日なのに制服を着させられて、連れて行かれる先がモーテルだったから今思い出しても虚しい気持ちになるが、今は懸命に言葉を尽くすことで虚しい気持ちにはならない。

 

「分からなくていいよ」と嫌味がましく言ってしまったときでも、「分かりたいんだよ」とストレートに言葉を返してくる人が眩しい。

分かるはずないだろう、私の気持ちなど、私だってお前の気持ちは分からない、9歳も年齢が違う、私が生まれる前に積み重ねた人生はどうやったって埋められない、その時代の音楽を聴けたとしても人々の熱量や同じ時代のムーブメントを知らない、分からない、知っていたからといって、私が早くに生まれたからといって今よりもっと上手くやれたとは思えない、他人同士は決して分かり合えない、ただ、9つ離れた駅に留まっている人、そこにいるから好きになれたんだろうなとも思う。

 

すでにある程度確立された人生。

どんな言葉をかけても影響はあまり受けない。

自分の中での選択がすでに決まっている。

決まったものを変えられることに抵抗を覚えること。

安定、精神の安定、富の安定、生活の安定、仕事の安定。

 

私がどんなに何を言っても、その人の感情が動くわけではなく、「あなたが嫌がるならこういうことはしないでおこう」という気持ちとは物理的に分離された、いつもとは違う道を選ぶだけ、ただその違う道を選ぶということを覚えているということが私にとっては尊いのだと思う、多分。

 

好きなもの、嫌いなもの、どこへ行ったか、どんな言葉をかけ、どんなことを言われたか、そういったひとつひとつを自然に覚えておくこと。執着して忘れない、手放さないのとは違う。

 

話が通じる人と仕事をしたほうが早い、それはそうなんだけど、話が通じない人にいかに言葉を尽くすか、みたいなことになっていて、だからと言って会社の先輩のツイッターに書かれてた「質問すれば全部丁寧に答えてもらえるとでも思ってるのかな」みたいなナイフに妙に感心しながら死んでしまうときもあって、言葉を尽くす 程度 が難しいなと思っている。