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安心毛布にくるまって寝たら毎日血だらけの話

私が大事な人と会えない間、何してたか知ってる。
あなたの働いている場所、一緒に働いている人、一緒に生きていく人、生きてきた人のことをインターネットで調べてたわけ。ネットストーカーとして暗躍してたわけ。

「最近Facebook更新してないよね」

人がそこで息をしているという破片をインターネットで拾い集めてやっと安心して眠れるようになる。私あなたのことはよく知らないけど、あなたのよく知らない同じ部署のあいつの趣味のことよく知ってるんだ。犬が好きで年甲斐もなくパーティーに参加してそれで満足してるんだよ。2011年の3月12日に「東北に住んでる従兄弟と連絡が取れません」とツイートをしてからもうずっと更新してない誰だか知らない同じ会社の人のことだって知ってるんだ。知ったところでそれは何の切り札にもならないんだけど、私の安心毛布だからどうか奪わないでほしい。

安心毛布は内側にルブタンのスタッズみたいなとげとげがたくさんついてて、あったかく眠れる一方で目を閉じながらもずっと咳をしているみたいな感じがする。
自傷なのは分かってても、価値があったりなかったりすることは度外視してゴミも全部かき集めて情報に埋もれて落ち着いていたい。

スクロールしても永遠に見終わることのできないツイッターのアカウントがあれば、iPhoneのナイトモードをオンにして暗闇の中ひたすらに親指をすべらせ続けられるのに、そういうのはないからフォロワーを辿って終わりのある作業をしてる。もう更新のなくなったアカウントでさえ何か繋がりがあるんじゃないかと思って非公開リストにいれてコレクションしてる。しょうもない。

 

 

 

 
卒業式でゼミが一緒だった友達と写真を撮った。そのあとLINEで写真の交換をして終わった。もう二度と会わないかもしれないけど別に泣くほどつらいわけじゃなかった。学校で会ったときは楽しくおしゃべりをしたけど何が好きでどんな人と付き合ってるのかなんて知らなかったし学校の外で会うこともほとんどなかった。


バイトの最終出勤日に、その日出勤じゃない人がわざわざお店に来てくれてさよならを言いに来てくれたこと。その人たちはこれからもあのお店で変わらず働き続けるんだろうし、私が出向けばきっと嫌な顔をせず受け入れてくれると思う。頑張れば会えないわけじゃないということそのものが私を安心させてくれる。


バレエのスタジオから一人の女の子が辞めるらしい。お姉ちゃんがもともと通っていたスタジオに移動するから妹であるその女の子はあっさりと今の場所からいなくなってしまうらしい。

私の母とバレエの先生が些細なことで大きな喧嘩をしたときに、母は「もうバレエ辞めなさい、あの先生のところではやらせません」と私に言った。客観的に見て明らかに母が人に迷惑をかけたことが発端である喧嘩だったため、高校生だった私はバレエの先生や他の保護者に頭を下げてまわった。「うちの母が迷惑をかけてごめんなさい」と頭を下げた。母は更年期障害の出始めだったんだと思う、それを受け入れられないでいたし、私も母の変化がつらくて責め立てたこともあった。だから、だからというわけじゃないけど色々仕方がなかった。
先生に、「もうバレエ続けられないかもしれないんです、どうしよう」という話をしたときに、先生は泣いた。初めて先生の泣き顔を見た。これまでどういう家庭で育ってきたのか、お父さんはどんな人でお母さんはこんな人だったという話をしてくれた。独立して教室を始めてから、たった5歳の私に出会ったこと。スタジオが移転してもずっとついてきてくれたことが嬉しかったと話してくれたこと。今まで色んな人が先生のもとを去ったけど、そのたびにたくさん泣いて眠れない夜がたくさんあったこと。私が辞めるかもしれないという話を聞いて、今日も全然眠れなかったんだと話してくれたこと。

人が、どこかからいなくなることで悲しむのはわりと残された人のほうで、いまどき誰もが携帯を持っていて、頑張れば連絡が取れること、連絡先を知っているという事実がどれだけ自分を安心させてくれているか分からない。

頑張れば連絡が取れるのに、その少し踏み出す力が出なくて、それとか私がこれから働き始めたときに土日はちゃんと休みたいから人と会うよりも家で過ごすことを選択してしまうようになったり、色々あって今まで関わってきた人たちがもう交わらない人たちになってしまったりする。



坂本真綾は「この星が平らなら二人出逢えてなかった/お互いを遠ざけるように走っていた/スピードを緩めずに/今はどんなに離れても/廻る季節の途中に/また向かい合うのだろう」と歌い、

鈴村健一は「みえないリングにとらわれてる世界のなかで/君と僕が同じ道たどってる軌跡」とか「鞄の中ちゃんと整理して/持っていけない荷物別れ告げて/さあ踏み出そう 寂しいけど」とか歌ってた。

彼ら夫婦の、生きてきた道が本当に羨ましくて、人はそれぞれの道を歩んで、交差したり離れたりして別れも確かにあってどんどん荷物は増えていくけど大きい荷物は自分で持って、持っていけないものにはお別れをして、そういう生き方を私もしていきたいと思う。

昔の人に会いにいくときに、今まできた道を戻るんじゃなくて、これからの道を進んだ先で会いたいと思う。

私は人の気持ちが変わっていくのを見るのが好きで、人が変わっていくのを見るのが好きだから、それに良いも悪いもないし、人の生きてきた道を知るような、そういう変遷はすてきじゃないですか。

「一ヶ月前に会ったAと今会ってるAは 確かに過去は内包してるけど確実にぴったり重なるわけないのよ なぜなら時間が経ってるから その間会ってない期間があるから、だからそのときに 変化したことに関して変化を押しもどすような退行させるような発言ってあんまよくないと思うわけ」という話をした。

人との別れに慣れることはできないけど、別れのつらさに耐える練習をしないと、そのうちおかしくなってしまう。誰かがどこかで生きてる破片を収集しても、何にもならないんだってこと、ちゃんと分かってるのにな。



2017年3月23日

卒業した。大学からも、アルバイト先からも。

 

一か月前までは行く気のなかった卒業式は、袴を着たいという気持ちもなく友達も多くない私がわざわざ卒業式に出たところで何か記念になるのか疑問だったけど、付き添ってくれた親は私が卒業式に参加すること、留年もせず難なく単位を取得してストレートで卒業すること、そして自分が付き添っていいということ、娘の晴れ姿を見れるということを喜んでいたので、多分記念にはなったと思う。

卒業式というのは当事者よりも当事者の周りにいる人々のほうが感じるものは多いような気がする。

 

振袖を着ました。

 

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帯がすごい。

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「厳しく指導してくれた先生方、ここまで育ててくれた保護者の皆さまありがとう」というような答辞を、1、2年のときの英語の授業で一緒だったクラスの真面目くんが任されており、なんだか遠いところにいるんだなきみは、と思った。

田舎から出てきた野暮ったい青年が、恋愛なんか知らない、勉強もイマイチなくせに真面目に頑張ってるような、授業終わりには教授のもとへ話を聞きに行っているような青年が、いま多くの卒業生や先生や保護者の前で堂々と答辞を読んでいる姿を見て私は大学で結局何もできなかったんじゃないかと思う。英語の授業を取らなくなってから取っている授業がたびたび重なることはあれど全然喋ることはなかった。すれ違っても何もしなかった。教職を取っていて教育実習に行って先生になりたいという夢を懸命に追いかけていることなんか知らなかった。

 

私は、確か3年の前期まではフル単で、卒業までに落とした単位は2つだけで、4年生前期の就活時期にはほぼ卒業要件単位を取得しており、ここ半年は授業を取らずひたすらにアルバイトと習い事をして過ごした。

 

大学の授業はジェンダー論と社会学民事訴訟法と民法が消費者法と会社法が面白かった。

生身の人間が社会で生きていることを実感できる法律がすごく好きだった。

 

「女が外で働いても男と比べて給与が少ないのであれば私的領域で家事をこなし、稼げる方の男が外で働いて、それで2人で生活すれば合理的ですよね」みたいなことをコメントシートに書いたらジェンダー論の教授から「あなたは結婚を合理的なものでしか見てませんね」みたいなこと言われたの思い出してる。恋愛工学の問題点について無理やり話してもらったのもよかった。

 

「人柄や好感度は気にしないで、むしろ言ってることに矛盾しないかってことのほうが大事なんですよ、嘘をつくってことは大変なことなんです」

 

「親と縁を切る 幸せになるための鉄則です」

 

「法律の条文を絶望的に理解できない学生さんがときどきいますが、それは人の悪意を知らないからなんだと私は思います。人間として幸せな環境に育ったから私はいいなと思う、頭が良い悪いではない、人の悪意を知っているかどうかです。」

 

大学で習った学問そのものよりも、教授の価値観、実感のこもった言葉の方が鮮明に覚えている。

 

1年生にも容赦しない厳しくて辛辣な民法の教授のゼミナールのテーマソングが中島みゆきの『ファイト!』だったときは本当に震えた。

「私は、『冷たい水の中をふるえながらのぼってゆけ』という歌詞が好きなんだ』と話しているその姿に胸打たれたのをよく覚えている。

 

大学在学中に学外の人によく会った。インターネットの人にも、会社の人にも、インターン先の人にも、芸能人にも、たくさんの大人とたくさんの子どもにも会った。

アルバイトは塾講師・メロンパンアイスクリーム屋の店員・郵便局の年賀状仕分け人・バレエの先生・不動産屋の営業・中華惣菜の店員とか色々バイトした。一昨年は掛け持ちをしていたので還付申告をしてお金が戻ってきたりした、通帳に税務署から振込みがありましたって書いてあるの面白くて笑った。

 

今日は、アルバイトの最終日で、今までどおりに働いていたら一番お世話になったパートさんが出勤日でもないのにプレゼントを渡しにきてくれて本当に嬉しかった。「また寂しくなったらお店に来てね、またお話しましょう」と言ってお別れをした。

アルバイト先で一番話が合って、愚痴を聞いてもらったパートさんも来てくれてまたプレゼントをもらった。その人には「でもやっぱり寂しいわ」「素敵な会社ライフを!あといい人見つけてね」って言われた。

店長には「シフト協力してくれてありがとね、本当助かった。オープニングから働いてくれてありがとう」と言われた。

 

もらったプレゼント

 

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多分、今までで一番働きやすくて居心地がよくてやりがいのある職場だったと思う。学生バイトもパートさんもてきぱきしてて、仕事を先回りしてやってくれる人もいればそうじゃない人もいたけど、それで結局バランスが取れていて、パートさんに色々愚痴を聞いてもらいながら、社員のダメなところを言い合いながらも楽しく働けたと思う。楽しかったなあ。時給もよくて家から近くてシフトも入りやすくて適度に仕事がハードで、売上目標という数字が目の前にあると頑張ろうと思える自分がいるということを発見できたこと、よかったと思う。

もともと老人嫌いを克服するために、老人がたくさん来そうなお店で働こうと決めたのが一昨年の9月ぐらい。それから他店で研修を受けてオープニングスタッフとして死ぬほど人が並んでいるレジを捌くのが本当に大変で、こりゃ時給に見合う仕事をしなきゃいけないんだなとひどく納得した。この高時給はこのハードな仕事の上に成り立っているんだなと思った。

後輩の指導、自分ができる仕事の幅を増やすこと、お客さんに商品を買ってもらえるように言葉を選ぶこと、常連さんの顔を覚えて何をいつも買っていくのか覚えること、新商品に目がないお客さんと何気なく店先でお喋りするのがこんなにも楽しいこと。色々経験ができたのは本当によかった。

 

大学の卒業式よりもむしろアルバイトからの卒業のほうがなんだか感慨深くて、今まであんなに仲良くしていた職場の人たちとなかなか会えなくなるんだと思うと寂しくて、いつでも厨房で些細なことで笑ってたのに、それが終わるなんて少し信じられなくて悲しい。

 

あと数日で四月になるけど、社会人になる自覚なんて全然なくて、それでも踏ん張っていかなきゃならないので、ヤバイときには助けてね、という感じ。これから満員電車に乗って通勤しなくちゃならないのが一番の苦痛。頑張って生きたい。

人に何かを教えるということ

バイト先に新しい子が入ってきた。

新人で後輩ではあるけど年上で、でも大学の学年は下の女の子。はっきりいって経歴が謎である。

 

いつもバイト先に新人が来ると、何から教えていいのやら分からなくなった挙句人見知りを発動してコミュニケーション不全に陥ったりするんだけど、さっき閉店間際にパートさんに、「私いつも新しい子が入ってくるとどうやって接したらいいのか分かんないんですよね〜、◯◯さんどうやってます?」って尋ねたら、「よなかさんはいつも新人の指導に当たってるよね」って言われて、そうか、私は毎回毎回新人にいろはのいを教えるところ、前提の前提を教えるところに遭遇してるなと思ったのでした。

 

バイトでも勉強でも大概は初歩的なやり方や解き方の基礎が分かってきたらもうそのあとは作業なり公式なりを覚えていけば応用ができるようになるものだけど、その「何も分からない状態」から「少し分かる状態」、0から1の階段にのぼるまでが結構しんどい。1から2に行くまで、2から3に行くまではこなしていけるのに、0から1に行くのが本当につらくて挫折したりもする。私の場合はアコースティックギターのFが抑えられなくてやや挫けて最近はもう何も弾けなくなりました。ツライ。

 

塾講師をやってたときに、初めて九九を勉強するという小学生、まずそもそもかけ算の必要性があまり感じられない(なぜなら時間をかければ足し算で答えが得られるから)という子に、これは「勉強だからやらなきゃいけないんだよ」って言うよりかは、「いちいち足し算やって時間かけてるのは超ダサいし、かけ算ができたほうがテストも早く終わるしかっこいいよ」みたいな言い方をして、あとはお風呂の中でもママに自慢するでもいいから呪文のように唱えてたら勝手に覚えるからずっと歌ってたらいいんじゃない?ってな感じで、その翌週には「七の段言えるようになった!」とドヤ顔でやってくる生徒が本当に可愛いものだった。かけ算くらいでドヤるな、logの計算ができるようになってからドヤってください。

 

で、まあバイトの都合上覚えなければならないこと、学習の都合上やらなきゃいけないこと、を新人や生徒が何かを習うにあたって、また教える側の人間がどうやってフォローを入れたらその子がうまく成長してくれるか、みたいなのを偉そうに考えるのが大好きなんですよ、私は。

 

バイト先でパートさんに「半年前に入ってきたあの子、一時期よなかさんそっくりの接客するからよなかさんがいるのかと思っちゃったのよ〜!あなたがちゃんと教えてるからそうなったのね」と言われて嬉しいやら恥ずかしいやらこそばゆい感じになった。

一時期私そっくりの接客をしていたけれども、今はちゃんと自分のやり方で接客をしているよ、という文脈が読み取れたのでそれもまた半年前に入ってきた彼女の成長が感じられて、それは私が教えた教えてないに関わらず、人の変化を見るのは良いことだなあと思うのでした。

 

子ども(特に幼稚園〜小学校低学年)に何かを教えるのはもう一種の洗脳で、理論で説明してもダメなところがあるんだけど、バイト先で出会う高校生以上の人たちには、「何でこの作業が必要なのか」とその人たちが納得できるように教えたほうが身につくような気がしてる。「このお店ではこういうルールだからこうやってね!」よりは「こっちのほうが効率的で、締め作業の短縮にもなるしあわよくば早く帰れるから、この作業はやったほうがいい」って伝えたほうが命令っぽくなくて、「早く帰りたいよね」っていう共感を持ってして仕事を覚えてくれる感じがあって良いような気がしてる。でも、それが全然うまくいってなくて、本当は陰で何か悪口とか言われてたらめっちゃつらい。

 

視野が狭くて当然だし仕事ができなくて当然だし色々指導されて当然なんだけど、それでも「(人の手を借りていたとしても)自分でやった!」っていう達成感と成功体験的なものでモチベーションをこれ以上下げさせないような、せめて「あの先輩にグチグチ言われるのがストレスだから出勤がつらい」、みたいなことにならないように、「仕事ダルいけどお金のためだし仕方ない」みたいなくらいでいいからお店に来てほしいなって思う。

 

先日ツイッターリツイートで回ってきた、「なぜ子どもはゲームにはまるのか」というツイートには、「ゲームは親と違って、昨日怒られなかったことが今日は怒られた、というのがない。頑張ってプレイしたらクリアできるという正当性にはまる」みたいな話になるほど〜と思ったし、ある種 勉強も会社で働くというのもゲーム感覚でこなしていったほうが楽な部分はあると思う。

 

「昨日できなかったことが今日はできるようになってる、その変化に気づいたらたくさん褒めましょう」って塾講師をやってるときには言われた。

 

叱るときは「厳しく・短く・後を引かず」って教えられた。

 

私の家庭では母も父も「なんでこんなことするんだ!この前だってあんなことして…」と今回の件とは別件の過去のことまで持ち出されてグチグチ言うタイプだったんだけど、「それは子どもに悪影響しかありません、怒られないように生きる癖がついて失敗を恐れるようになります、人目を憚って生きていくようになります」みたいなことを言われて、やっと、塾講師のバイトをやって、私の親は子どもの育て方が下手だったのかもしれない、と思ったのでした。

 

「怒ること」と「叱ること」は私としてはかなり違うもので、怒る人は怒りたいから怒ってるのであって「こんなことやっちゃいけない!」って理由も説明せずルールを強いるような、その人を自分のいいように動かしたいだけの発言に思えるしこれにはあまり指導や学習の意味合いはこめられてないような気がする。

 

一方で叱るというのは、「これはいけないことだからやってはいけない なぜなら」ってその理由まで教える印象がある。

 

この前読んだアンガーマネジメントの本には、「怒っている人がどんなに正論を言っていたとしても、他人は共感できない」と書いてあって、ああ確かに、それには覚えがあるなと思った。どんなに正しいことを言ってても、めっちゃ怒ってる人だと、お前に怒られる言われはねえし、正論だったとしてもムリなもんはムリ!!ってだいぶ拒絶反応が出るような気がする。

 

話は変わるけど、私は接客してて、「肉まん」とだけ言ってくる客、「肉まんがどうした!?なんなの!?くださいってもう4文字言えないわけ!?!?!?」ってなるし、イヤホンをつけたままレジにくる客に「口パクで何も言わないでお会計してやろうか!!私がAIなら何も思わなかったのかもしれないが普通に失礼なのでは!?!?!?」ってなるし、横入りして並ぶ客に「お前は人生でずっと横入りしてるようだからそんな不幸せそうなツラしてんだよ!!!!!!横入りしてることにさえ気づけない哀れな知能!!!!!!」って思うし、すぐキレちゃうから、何かスイッチが入った瞬間に、自分に不利に物事が動いた瞬間にワアアアッて怒るようなことはなくしたい。それを綴るためのブログ、そのためのツイッター

 

私はひたすらに父親が母親を怒って、体調が悪くとも心配するような一言かけず仕事に行って、「誰のおかげで飯が食えてると思ってんだ」と100万年くらい前の台詞を恥ずかしげもなく言い放ち、母が車をぶつけたときにはどこか怪我してないか気にすることもなく「お前は不注意がすぎる」と3時間くらい説教してたし、なんかそういう悲惨な状況を見てきたからこそ、親を踏襲しないで生きようと思うし、怒る人は普通に損だと思うし、人に何かを教えるにつけもっとうまくやれることはたくさんあるよな、と思ったので今日はブログを書きました。おわり。

 

 

 

 

「なんでもいい」問題について

関係をつなぎとめておくためにあえて他人にかける負荷みたいなものについて考えていました。

自分とは明らかに違う性質を持った人と遭遇すると、どうやって対応したらいいのか分からなくなるときがある。
まくしたてるように喋るとか、意味不明な知識をひけらかすような人々はコミュニケーションとして成立していなくとも、こちらが適当に相槌を打ってればなんとかなる。なぜならその人は話を聞いてもらいたいのではなくて単に自分が話したいだけなのだから。

私がどうしても困ってしまうのは何も意見を言わない人で、「ご飯何がいい?」と尋ねると「なんでもいい」と返事をするような人で、まあ私も昔付き合ってた人に「ご飯何食べたい?」って聞かれると嫌がらせのために「なんでもいい」と答えていたんだけど、「ご飯何食べたい?」って聞かれると そもそもご飯を食べるかどうかの選択肢が立ち上がってきて食欲失せるしいっそ「駄菓子と寿司どっちがいい?」と聞いてほしいと思っていたりもして、私が困っている「なんでもいい」という返事に関してわりかし私自身が相手への質問の投げ方が悪いというのもある。

おそらくは「なんでもいい」と返事をしがちな人に対しては具体的な選択肢で選ばせる方法を取ったほうが相手の負担が少なく選びやすいような気がしている。「なんでもいい」って人はそもそもの前提として選択肢が見えてないから選べないってことだと思うから、具体例をあげたほうがイメージしやすいんだと思う。

ネットの記事で「カレーとラーメンどっちが食べたい?」と質問された時点ですでに「食事をするかどうか」「食事をしない」という考えはなくなってしまう、みたいなのを読んだことがあって、そう思うと「ご飯何食べたい?」と質問をされると店探しの相談が面倒くさすぎて「なんでもいいし寧ろ食べたくない」という思考になってしまう自分の気持ちもなんとなく分かるような気がする。

 
自分は本当に色んなことに怒っていてすごく怖いんですけど、まあこの2015年のツイートにもまあ共感できるはできるんですよね。なんか、分からないことに遭遇したときにもちろん自分で考える作業は必要なんだけど、それで延々と悩み考えてたら人生が終わってしまうから、具体的に、例えば何時までに自分一人で考えてみてそれでも分からなかったらどこがどのように分からないのか詳細に示して人に頼りに行こう、みたいな時間を自分で設定しておくのってきっと、ダラダラ夏休みの課題を先延ばしにしておくみたいなことよりはずっと楽だと思う。



去年小学校のときからの友達3人とディズニーシーに行ったときに、「次どのアトラクション乗る?」「ご飯はどこで食べる?」みたいな話にほとんど「なんでもいい」と答える子がいて、せっかくお金払って時間かけて来てるのになんでそんなに全部がなんでもいいんだよ!と内心イライラして、ディズニーに詳しくないのならガイドを見るとかスマホで調べるとか友達に聞くとかすりゃいいのにそれもしないで「なんでもいい」って平然と答えやがって、結局他の子たちで相談して決めたようにアトラクションとか回っていたんだけ、そうすると変に罪悪感がわいてきて「なんでもいいとは言っていたけど、内心不満に思われてたらいやだな」という感じになり、すごく苦しかった。

で、「世の中にマジで自分の意見がない人がいて、全部の質問を「なんでもいい」って答えるんだけど、それってなんなの なんでそれで生きていけるのかな なんでもいいっていって生きてくほうがつらそう」ってツイートをしたときに、「辛くはない。むしろ楽。」「必要な時、必要な相手にだけ言います」ってリプライをもらって、「なんでもいい」っていう人は決して自分の意見がないわけじゃなくてあえて言ってないんだという気づきがあった。

「好きでもない人にdisられるのが我慢ならない。」とも言われて、別にあなたの意見が却下されたからってあなたのことをdisってるわけじゃなくて、何かを決めるときに相談して決めたい、お互いの意見を知った上で選択したいっていうのが私にはあるから、なんていうか、そういう人もいるんだな、傷つけられている気持ちになる人もいるんだなと思った。お互いの意見を擦り合わせた結果よりよい選択ができるのかもしれないなら、そりゃ意見交換したいと思うじゃない!?!?!?!?!



あと別の話だけど、最近知り合いに映画に誘われて、「今やってるあの映画このあと観にいきませんか?」って聞かれたときに、なんとなく答えづらくなったのはイエスかノーで答えなくちゃいけないからで、選択肢の幅が曖昧で広すぎることと選択肢が狭すぎることで相手に負担をかけてしまうことって往々にしてあるなあと思うのでした。

コミュニケーションに関してもそうだけど、何かしら失敗したときって多分やり慣れてないかそのやり方自体が間違ってるかのどっちかだから、なんで間違えたかちゃんと考えないでたまたまこうなってしまったって偶然を装うのが私はすごくいやで、なんでこうなったのが原因をちゃんと考えないまま人と別れてまた新しい人と同じように失敗デートを繰り返すみたいなことはしたくないんですよね。

だからそういった意味も含めてツイッターで自分で文章をツイートしながらあのときはああだったのかもしれないとか、もしかしたら相手はこういう気持ちで言ってくれていたのかもしれないと自分の感情なり何なりをフラットにしていく作業ってきっと必要で、面と向かってだと人は他人に厳しいことを言えない、それは別に利害関係のある人たちではないから、ただ善意で、なんとなく気が合うから、一緒にいて楽しいから友達をやってくれているだけであって、親切にあなたのこういうところがよくないと思うなんて教えてくれる人は友達でさえ案外少ない。自分で気づいていかなくちゃいけない。

 

 この前知人が開いてくれた飲み会に参加して、当初は10人以上来るはずだった人が当日になって5人しか集まらなかったときに感じたことなんだけど、やっぱり多くの人に参加ほしいならそれなりの負荷ないしは付加価値をつけたほうが良いと思っていて、それは「欠席したら自分に不利に物事が動く」とか「もうお店でコース料理予約しちゃってて欠席したら他の人が自分の分のお金を払ってくれることになってて申し訳ない」とかそういう人に迷惑をかけるかもしれないから行っておこうとか参加することで被る被害を少なくしなくちゃみたいな人の心理を手綱にかけておく作業っていうのは意外と必要なんだなと思っている。

 
私は日本人的な飲み会の風潮なんか大嫌いなんですけど、人に「新卒は数字を出せてないんだから飲み会に行って可愛げを見せなきゃダメなんだよ」って言われたことがすごく刺さっていて、そういう、参加すれば何かしら自分をアピールできるっていうのはメリットだしだからこそ参加しておこうってなる心理がすごく分かるし、だからこそ居酒屋のゴミみたいな味のする料理を食べながら人とコミュニケーションする時間ってのがあるんだと思う。

もちろん「参加すれば得られる知識や人脈」とか「無料で食べられる美味しいご飯」とかをエサに、それをメリットとして参加を誘導することはできるけど、付加価値つけることができないなら負荷かけたほうが良いと思いました。

参加した人にだけ知らされること、不参加の人には知らされなかったこと、って差別化しておかないと、参加不参加問わずみんな平等に情報を共有するってなるとそりゃ参加する意味なんかなくなっちゃうと思う。



「あなたの好きにしていいよ」「なんでもいいよ」って言われると、ポンと与えられた自由がはたして私に対しての優しさなのか、そう言ってる相手がただ単に何かを決めることを面倒くさがっているのか興味がないのかなんなのか分からなくなってきて、それって全然優しさじゃなくない!?!?!?!って思うわけですよ。優しさという名の怠慢なわけでしょ、なんでもしていいよって選択肢をゆだねてるつもりでも全くそうじゃなくて選択する負担をこっちに丸投げしてるだけでしょ、それを優しさだとかいって誤魔化すのはやめてください!!!!!!!!!っていうのが今日の言いたいことでした。



「父親との関係に悩んでいる」について、ラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』書き起こし

今日は、『ジェーン・スー 生活は踊る』というラジオ番組の相談コーナーの書き起こしをします。TBSラジオpodcast配信を終了した代わりにTBSラジオクラウドをスタートして(ストリーミング配信のためWi-fi環境のない出先で聞くのが難しい)、最近またラジオクラウドという新しいサービスを始めてまたオフラインでもラジオが聞ける!と飛び跳ねていたところで、聞いた2016年8月25日の『ジェーン・スー 生活は踊る』の中の、「お悩み解消コーナー 相談は踊る」のお悩みです。
中学2年生の男性から「父親との関係に悩んでいる」という相談についてジェーン・スーさんと蓮見考之アナウンサーが回答していました。

radiocloud.jp

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蓮見考之:それでは通算663件目のお悩み、今日は匿名希望、中学二年生の男子からです。「こんにちは。『相談は踊る』のときから毎週拝聴しています。『生活は踊る』のほうはラジオクラウドですが、毎日楽しみにしています。今、僕は中学二年生で父と二人暮らしです。母は僕を産んだときになくなり、32歳と30歳の兄が二人おりますが、二人とも実家を離れて結婚し家庭を築いています。相談したいことは、父との関係についてです。小さい頃から父と二人で暮らしてきて感じるのは、兄たちよりも愛情を注がれていないということです。というより、正直に言うと嫌われているような気がするのです。なぜ、そう思うようになったかというと、ずっと母は僕が幼いときに亡くなったと聞かされていたのですが、小学四年生の時にたまたま戸籍謄本を見てしまい、母の命日が僕の産まれた日と同じだと知りました。母は高齢出産で僕を産んだせいで亡くなったんだと思います。兄たちからは、父が母をすごく大切に思っていたと聞いていたので、自分が母を殺したと知ったときはすごくショックでした。そのあとで、父が今まで参観日や運動会に全く来てくれなかったのも、仕事が忙しかったから、という理由ではなく、僕のことが嫌いだからなのではないかと思うようになりました。ちなみに、父も兄も家にいないときに見たので、僕が母の命日を知っていることは知らないと思います。母の話は父があまり話したがらなくてタブーのようになっています。今は父の仕事が中学生になってから、さらに忙しくなったので、あまり顔を合わせることはありません。おそらくこのままの関係だと良くないと思いますが、何をどうしたらいいのか分かりません。もう中学生なのに親に好かれたいと悩むのはおかしいかもしれませんが、真剣に悩んでいます。スーさんはお父様と昔あまり仲が良くなかったという話をラジオでされてて、ずっと相談したいと思っていました。周りに相談できる人もいなくて困っています。よろしくお願いします」と。

ジェーン・スー:んー、中学二年生の男の子、つらいね。色々一人で思い悩んじゃって、メールありがとうございました。これねえ、…結構歳が離れていらっしゃるんですねお兄さんたちと。32歳と30歳のお兄さん。中学二年生って多分14歳?だから、お兄さんが16歳と18歳のときに生まれた。ねえだから親子ほどとは言いませんけど、かなり歳の離れたお兄さんで、ということはお父さんも多分同世代の学校のお友達よりはちょっと年上なのかな。

蓮見考之:可能性はありますね、ええ。

ジェーン・スー:そうですよね。仕事はお忙しいということで。これねえあのお母さんが、自分を産んだせいで亡くなったかどうかって、聞いてないから分かんないっていうのもまず一つ冷静にはあるのと、たとえ、じゃあそれがきっかけだったとしても、お母さんの多分意思もあったはずだから、そこには。

蓮見考之:うん

ジェーン・スー:産む方の意思として、この子を産む、自分の命にリスクがあったとしても、っていう決断をしたのか、もしかしたらそんなこと全く分かんないで、出産をしたあとに何かしら体調を崩されて突然、命が終わってしまったのかもしれないし、とにかく、自分が殺したって言い方はやめよう。

蓮見考之:それはね。

ジェーン・スー:ないから。

蓮見考之:それは、絶対言っちゃダメ。

ジェーン・スー:そうそう。

蓮見考之:言っちゃダメだし、殺してないよね。

ジェーン・スー:殺してないから。そうそうそう。で、多分このね、匿名希望の男の子の頭の中には、「どうしますか、あなたの命が危険ですよ、この子を産みますかどうしますか」とか色々ストーリーができちゃってるのかもしれないんですけど、

蓮見考之:はい。

ジェーン・スー:聞いてみないと分からないので、これはただどのタイミングで聞くかですよね。

蓮見考之:そうですよね。まあご本人の感覚ではおそらくお父様もお兄様も自分がそのことを知ったという事実は知らないと思うと。うーん。

ジェーン・スー:うん。参観日や運動会に来てくれなかったのは嫌いだから、いや嫌いだからもない。嫌いだからも多分ない。よっぽどあなたがお父さんに嫌がらせとかをしてない限り、嫌いだからも多分ない。

蓮見考之:はい。

ジェーン・スー:なぜならやっぱり一緒に住んでて、忙しいのはね、多分学校のこととか色々あるからお父さんもまだちょっと稼がなきゃいけないとこもあるんだと思うし、あとまあ男の子と二人でどうやって、こうなんていうんだろう、対応していいのか分からないみたいのもあるのかもしれないねえ。

蓮見考之:そうですよねえ。ただでさえ夫婦二人揃っていてもですよ、男の子三人をまず育てるということ自体が難しいし、仮にお母様が、この相談者の中学二年生の男の子が産まれた際に亡くなって、奥様がいらっしゃらない状態だとしたらもう16年ぶり18年ぶりの子育てですよ。

ジェーン・スー:そうだ。

蓮見考之:それをお父さんが、一手に引き受けているんですよね。ですから本当に、それどころじゃなく無我夢中でやってこられたっていうお父さんのご苦労がきっとあるということは、それはどうか察して、

ジェーン・スー:いや、うんと、どうだろうな、あの、それ察する必要は子どもはないと思うのよ。あの、そこを察してくんになっちゃうと、アレなんで、もうちょっと構ってくれよっていうのを思ってて、その、「中学生なのに親に好かれたいと悩むのはおかしいかもしれませんが」、そんなことないですよ。

蓮見考之:そんなことはないですよね。

ジェーン・スー:40なって50なったってみんな親に好かれたいっていう気持ちはあるし、てか誰かに嫌われたいなんて思ってる人はいないから、察しすぎるのもさ、またちょっとお兄ちゃんとかに一回話してみるのはいいと思うよ、うん。

蓮見考之:そうですね。

ジェーン・スー:実家を離れて、多分結婚してご家庭を築いていらっしゃるので、ちょっと実家のことを弟さんのことは、あの疎遠とは言わないけど、なんだろ少し距離を感じてるかもしれないけど、お父さんにはお父さんの事情があったんだっていうことで、察して自分が我慢する必要はないと思うんですけど、ただ、嫌われてるわけではないということを知るのはね。

蓮見考之:そうですね。

ジェーン・スー:早いほうがいいですよね。お父さんにね、手紙を書くとちょっとね重くなると思うんで、あの顔合わせる時間もあまりないということですから、交換日記みたなのやってみたら?少しずつ今日学校でこんなことありましたとか、暑くなってきたけどお父さん体に気をつけてねとか、一言書いてお父さんの帰ってきたときに読むテーブルの上に置いておくとか。で、お父さんも何かよかったら何か一言書いてくださいって顔を合わせるコミュニケーションじゃなくてもう、一言書いてもらうのはいいんじゃないかなあ。私は親とそんなことやってないけど、あの、うちは母親死んじゃったので、あとから、で、そこからゼロからだったので。あれっ親だと思ってたけど母親っていうショックアブソーバーがなくなったらこの人のこと何にもしらないっていうところから始まったので、ちょっとこの方とは状況が違うところではあるんですが、ただ、親は親でどうしたらいいのか分からないっていうところあるっぽいですね。あとね残念ながらもうすごい、多分中学二年ぐらいのときに私も気づいたことだと思うんですけど、残念ながら親って完璧じゃないんですよ、ジャスト人間なんですよねえ。だから辻褄が合わなかったりとか、もう無茶苦茶言ったりとかこうまあしゃあない、こういう風にしか私のことを愛せないんだこの人はっていう風に思ってからは大分楽になったので、でもそれを分かるためにはやっぱりどうしてもコミュニケーションが必要だったなと思うんで、一言交換日記をちょっと私はオススメしたいかな。

蓮見考之:この、愛情の注がれ方っていうのはこの方はどういうものを求めているんですかね。

ジェーン・スー:多分自分のほう向いてほしいんでしょう。まず普通に顔を見て話すとか、「お前どうしてる?」とか「学校どうなんだ?」みたいなことだったり、あと授業参観に来るとか運動会に来るとかいわゆる言い方悪いですけど、あの母親が生きてたら母親が担当すると思ってたこと、そう、お兄ちゃん二人のときは多分お母さんがそれやってくれてたのよ。

蓮見考之:はい。

ジェーン・スー:だからお父さんは、そこの部分まで自分がやらなきゃいけないっていう自覚が、あんまないのかもしれない。だけどそういうのがなくて寂しいですっていうのは恥ずかしいかもしれないけど、かけんのはむしろ中学生のうちっていう気もしなくもない。高校行ったらまたこじらして、これねうまく早くしたほうがいいんだよね、なんでかっていうと、両方大人になっていくと、もう、歩み寄れなくなってくるじゃないですか。難しくなるでしょう。

蓮見考之:うん。

ジェーン・スー:中学二年生で親に好かれたいのは普通。で、嫌われてるんじゃなくてお兄ちゃん二人のときはお母さんと二人で育ててたから、多分その、中学二年生の匿名希望さんが欲しがってるところが多分お母さんが与えてたんだと思うな。うん。そこはあったかも私は、母親が死んで父親と。なんでこれこういうことしてくれないんだろうって、あっそれは母親がすると父親がずっと思ってたことなんだなあって。

蓮見考之:へえ。

ジェーン・スー:どうですか蓮見さん今、お子さんと二人と蓮見さんだけになったとしたら。

蓮見考之:まあ(愛を)注ぎたくても注げないぐらいテンパるでしょうね。一人じゃ私何もできませんから、多分。

ジェーン・スー:そんなことない。

蓮見考之
:いや、でもほんとでも、少なくとも、二人で今生活してますよ、本当に嫌いだったら、

ジェーン・スー:嫌いはまずない。

蓮見考之:ね。

ジェーン・スー:絶対ない。

蓮見考之:うん。

ジェーン・スー:嫌いはないですね。それは全然考えなくていいです。多分お父さんテンパってる。

蓮見考之:うん。

ジェーン・スー:なぜなら、お父さんも人だから。

蓮見考之:そうですよねえ。

ジェーン・スー:完璧じゃないんですよ。今の気持ちこれ私たちにメールしてくれてすごくありがたいんですが、ちょっとずつでいいからお父さんとかお兄さんとかに出してあげてください。「そうかあの子には母親の愛情っていうのが注がれないからその分俺たちがなんとかしなきゃいけなかったのか」っていうことを、お兄さんお父さんが気づいてくれるためにはその第一歩を、匿名希望さんが踏み出す必要があるかなと思ったりもします。

蓮見考之:そうですね。まあお墓参りとかも、ご家族揃って、行ってみるとかね。

ジェーン・スー:それいいですね。いかがでしょうか。メールありがとうございました。嫌われてないよ、殺してないよ。

(書き起こし終わり)

 *

これ、バイト終わって帰ってる途中で聞いてたんですが、バカかって思うくらい涙が出た。
普段から家庭環境で自分自身が悩んでいることもあって、こういう他人の家庭がどうなっているのかって知る機会が少ないからこそ余計に、垣間見れた瞬間に無茶苦茶抉られたりして、その中でもこれは聞いてほしいと思ったので書き起こししてみました。

あとこれは宣伝ですが、以前書き起こした、ミッツ・マングローブオールナイトニッポンGOLDの、渋谷区の条例について、セクマイについてのミッツさんの見解が興味深かったのでよかったら読んでください。

ミッツ・マングローブオールナイトニッポンGOLD 2015年4月1日

http://tmblr.co/Z0lU3t1hdwDir

2016年のよかった15の本と映画とドラマの話

年の瀬ですね。
今回は今年読んでよかった本と観てよかった映画・ドラマの話をします。
本は漫画や小説や自己啓発本すべてあわせて91冊。
映画は映画館以外で観たものも含めて31本。
ドラマは過去作含めて10本。
アニメは『響け!ユーフォニアム1』『響け!ユーフォニアム2』『ユーリ!!! on ICE』くらいしか観なかった。ユーフォニアムはいいぞ。
演劇は劇団aunしか観なかった、コンサートは嵐のみ。

オタクは何かにつけて自分ランキングや自分リストをつけたがる生き物なので、私も一年のまとめということでやります。
ちなみに2015年のまとめはこれです。

2016年1月9日 2015年を振り返ってみよう


ちなみに今年の途中まではtumblrで日記書いてましたね、はてなブログに移行した2016年でした。

 

書籍編

君たちに明日はない垣根涼介

就職活動時期前後に読んでいたシリーズ作品で全部で4作品あります。
これから毎日働かなければならない、それ以前に自分の行きたい会社から内定を勝ち取らなければならない、大学を出て新卒で会社に入るなんてそんなレールに敷かれた人生でいいのか、どこの業界に行きたいのか、そういうプレッシャーや迷いの中で壊れそうになりながらも読んでいた記憶があります。

主人公は、どこかの会社がリストラをしなければいけないという状況に借り出されます。リストラ対象者を面接し、「いま退職をすればこれだけお金がもらえますし、あなたのキャリアを考えればほかでも十分やっていけるのだから転職をおすすめしますよ」みたいなことを説明する、そして対象者が退職するのか、そのまま会社に残って働くのか、人生の岐路に立たされた人たちを描いた作品です。

 

今の世の中、リスクはどこにでも転がっている。いい学校を出て新卒で入った企業でも、一生勤められる保証なんてどこにもない。今の仕事をしていると、なおさらそう思う。不安なのは分かる。でも、ぜんぶが全部安全なチョイスなんてありえない。だったらある程度リスクは承知で、より納得のいく環境を選ぶしかない

 

 

面接室の前まできて、きっかり一時になるまでノックをためらっていた女性。いい女だ、と思う。その律儀さが、とてもいい。だから仕事も出来る。結局仕事とは、人間性なのだ。

 

 

あなたがもしリストラ対象者として面接を受けなければならないとき、どうするでしょうか。さっさと今の会社に見切りをつけて転職するか、すでに結婚している共働き状態の人は専業主婦(主夫)になるか、起業するか、それともこれから給与が下がってボーナスも雀の涙ほどしか出ないときでも情熱を持って仕事に打ち込めますか。

世の中には色んな働き方をしている人がいて、色んな考えを持つ、色んな世代の人たちがいるから諍いが起きるし、昔は売れていた商品がもう全然売れなくてどうしようもないという状況が往々にしてある。働く人たちに読んでもらって感想を聞きたい本です。

 

君たちに明日はない (新潮文庫)

君たちに明日はない (新潮文庫)

 

 

 『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』吉田尚記

私は喋るのが上手ではありません。なので人との会話も得意ではありません。
身の回りに話すのが上手な人、いつも面白い話をして笑わせてくれる人がいて、その人たちと一緒にいるととても楽しい気持ちになれる一方で自分のコンプレックスを爪楊枝で刺されているような、そんな気持ちにもなりました。

会話は個人戦ではなく団体戦だから、共にゴールに向かったほうがいい、相手が下手なパスを打ってきたとしても修正可能なら自分で受け止めてあげたほうがいい。

自分のことに興味を持って、いろいろと訊いてくれる人。驚いたり笑ったり、話が転がってタイクツしない人。そういう人とコミュニケーションをとっていると人は確実に楽になれるんですね。

 

話が上手な人は相手を主人公に話を展開する、下手な人は自分を主人公に話をする、というようなことを聞いたことがあるけれども、体感的にもその通りで、この人に話を聞いてもらいたい!相談したい!ってことが続くと人の縁は途切れないような気がします。私は人と会うと回復するタイプの人間です。誰かを楽にする手伝いをすることで人と会うことができるのなら相手に興味を持って、それと、会話は別に頑張らなきゃいけないことじゃないんだなと思えた一冊でした。去年から今年にかけて私と接してくれた、私を楽にしてくれた人のことを思い出してなぜか大号泣しながら読んだ記憶があります。

 

 『陸王』池井戸潤

住む街の図書館、隣町の図書館など色々調べたけどどこも予約300件待ちとかでどんだけ池井戸潤は読まれている作家なんだ…と驚いた本。なんとか大学の図書館で借りて、2週間後の返却日までにこの分厚い600ページ近い本を読まなければと結構頑張ったら1週間くらいで読めてしまった話。それだけ読者を引き込む作品だったし、やっぱ予約300件なだけあるな!さすが池井戸潤だな!という感じの作品でした。

去年の冬~今年の頭あたりに『下町ロケット』がドラマで放送されており、そこで初めて池井戸潤作品に触れ、原作2冊と『空飛ぶタイヤ』と『民王』を読み、そして今回の『陸王』でした。

あらすじは足袋の老舗がスポーツシューズを作る話。シューズを作るにも金がかかるし銀行がお金を貸してくれるのか問題が出てきたり(池井戸潤作品はいつも銀行がお金を貸してくれない)、利益しか考えないで選手を無碍に扱う人が出てきたり、そこらへんはいつもの池井戸潤作品だけれども、なんだか読後感がいつもと違ったような気がする。

三浦しをんの『風が強く吹いている』やあさのあつこの『ランナー』シリーズが好きなので、走りのシーンは本当に感動した。孤独のなかひたむきに走る人間の様子は涙なしには見られない。会社とか成績とかお金とかそういうのを全部かなぐり捨てて、結局人と人とを繋ぐのは「あなたに喜んでもらいたいから、あなたのために全力を尽くします」という気持ちなんだと思います。そういう気持ちに触れて大事なのはやっぱりお金じゃなかったなと、そういうことを私たちは何度も忘れてしまうから、何度も何度も同じような話をおとぎ話のように繰り返してもらわないと私は困る。

陸王

陸王

 

 

 『ふがいない僕は空を見た窪美澄

最近ハマってる作家、窪美澄
『よるのふくらみ』や『晴天の迷いクジラ』なども読んでますが、これはその中でも人に勧めたい作品でした。
窪美澄の小説は、兄弟で同じ女の子を好きになっちゃって名実ともに穴兄弟になってしまってその噂を商店街中にばらまかれ苦悩する話とか、パチスロ依存で離婚したシングルマザーの話とか、ブスがストーカーと結婚したらセックスレスになって男子高校生ひっかけてコスプレ台本付きセックスをしたりするんですけど、話にリアリティがありすぎてちょっともうびっくりする。

今読んでる『水やりはいつも深夜だけど』は結婚と出産をすると家族のメインが子どもになってしまうこともあってセックスレスになる、「ときめきがなくなる」と書いてあって、浮気に走ろうとする男の人とかも出てくるんですけど、そういうありそうな大人の小説は窪美澄を読んでおけば間違いないです。家庭環境で悩んでいる人、悩んでいた人とかに勧めたい一冊。

ふがいない僕は空を見た (新潮文庫)

ふがいない僕は空を見た (新潮文庫)

 

 

 『ガール』奥田英朗

「そうですよ。育児を一切理由にしない平井さんは、立派なんですよ」
孝子は曖昧に笑って返したものの、同性としてちゃんとわかっていた。女は、育児を持ち出せば周囲がひれ伏すことを知っている。独身時代、そういういやな女をたくさん見てきた。だから自分はそういう真似をしたくない。


奥田英朗は女性を描くのがとても上手だと思う。既婚者・子持ちで働いている女の人と、自分にしか時間もお金もかける相手がいない独身女性では考え方が違うこと、よく分かっている。結婚して子どももいるけど独身女性の肌つやのほうが良い、なぜならあの子はエステに行ってネイルもしてもらっている、化粧だってブランド品だろうな。でもこちとら家に帰ればかわいい子どもがいるんじゃ!という。

短編集なので読みやすいし、ライトに働くことってなんだっけ、を教えてくれる作品。文体にクセがないのも良いと思う。30代のキャリアウーマンのお話。

 

ガール (講談社文庫)

ガール (講談社文庫)

 

 

映画編

今年は『シン・ゴジラ』や『君の名は。』など映画のヒット作が多かったですね。
個人的にはアクションムービーをよく観ました。『ボーン』シリーズとか、『アウトロー』シリーズとか。完全に人に勧められて新作を映画館で楽しむための予習として頑張って観てたんですけど、結構楽しかった。映画館で観る機会も多かった気がします。4DXデビューもしました。

ズートピア』リッチ・ムーアほか

 これはもう随分とドハマりしたからか今更語ることがないといっちゃあなんだけども、やっぱりディズニーは隙のない作品を作るなと思いました。
肉食動物と草食動物、強いものと弱いものという分け方や差別をせず多様性を認めていこうというポリコレに配慮された作品。

劇中で、ハエがたかってるキャラクターに対して、ちゃんと接してるというか、「あなたその髪早く洗ったほうがいいですよ」とは言わないところ、ナマケモノに対して「早くしてよ」という言い方じゃなくて「私たちすごく急いでるの」っていうその相手を否定しない感じが良かった。

あとニックが超超かっこいい。最高ニック。早く日本のディズニーランドにも来てほしい。

 

『ローグ・ワン』ギャレス・エドワーズ

 今までスター・ウォーズシリーズを観たことがなく、付け焼刃的にエピソード4561を観て、SWファンと公開初日に観にいきました。
スター・ウォーズ エピソード4とエピソード3の間に時間軸があるということで、ディズニーランドのスターツアーズと全く時間軸が同じだし早くアトラクションリニューアルいないかなと思っている次第です。

このタイミングでキャリー・フィッシャーが亡くなってしまったことはとても悲しくて、色々言いたいことはあるんだけど、うまくまとまらなりませんでした。

それで、教科書には載ってない行間を読むような物語が『ローグ・ワン』だったわけで、「そういう話があったんだよ実はさ」という知られざる過去を観客に託してくれる作品でした。

フォースという万物を操るエネルギー体を、当然のことながら観客は使えないわけだけれども、『ローグ・ワン』はその解釈をすごく拡大解釈していた。フォースを使えなくてもフォースを信じていい、宗教や道しるべとして自分の精神的な支えとしてフォースと共に在れと口にしていいんだということを提示してくれた作品でした。

たくさん死者を出した戦いの中でもその死には確かに意味があったこと、顔も見たことがない、よく知りもしない人が果たした功績のおかげで救われた人がいること、エピソード3とエピソード4を繋ぐ橋渡し的存在がいることを今作で知ることができるからこそ、他のスター・ウォーズもより楽しめるようになるんだと思います。

アクションはもう超CGでこれこそ4DXで観たら2時間ずっとスターツアーズに乗ってる気分になれて最高なんじゃないかなと思うので時間があったら行きたい。


 『ジャック・リーチャー』エドワード・ズウィック

 なんかもう疲れてきた。この記事読む人ってどれくらいいるのか知りませんけど今午前4時なのでだいぶダレてきました。

アウトロー』を大して楽しめなかった人間なので心配していたけれども、今作は大丈夫だった。同じ釜の飯を食って行動を共にする男と女と少女がいれば擬似家族ができてしまう、そういう話に俺は弱い。

シリアスな話ながらも笑うポイントが結構あるのも観やすくて良い。
真面目な顔してとぼけたことを言ってる人がたくさんいた(ような気がする)

ジャック・リーチャーと行動を共にする女の人が「私が女だから子守をしろっていうの?」と言い放つシーンがある一方で、「殺された部下にも人生があった、家庭があった、まだ小さい子どもがいる部下も、妊娠中の妻を持つ部下も、殺されたのよ」と人間の良心に訴えてくるシーン、非常に女性的な仕事だと思ったし、彼女は女として扱われることを嫌いながらも女としての武器をちゃんと利用してるのが個人的にグッとくるポイントでした。

 『007 スペクター』サム・メンデス

ダニエル・クレイグが超かっこいい!ボンドかっこいい!ボンドガールいやらしい!スーツが超かっこいい!ドレスがめっちゃきれい!街並みもすごいきれい!と、『ボーン』シリーズを観て勢いづいてついに007を観るようになりました。圧倒的成長。

お金のかかったものがバンバン壊れたり汚れていく様を観るのがすごい楽しい。
ボンドガールのレア・セドゥが最高。あとサブで出てくるQことベン・ウィショーが良い。

ダニエル・クレイグ版の007は毎回「このオープニングは何なんだろうか…?」と思ってしまう。あの音楽とあの映像を観てどうすればいいのか分からなくて手持ち無沙汰になる。

あと007シリーズ全部観たい!ってツイートしたら「苦行ですよ」とリプライが来て笑ってしまったことを思い出す。

 

 『ベイマックス』ドン・ホール

このまえテレビで放送されていたので観た。
放映当時すごい流行ってたけど、流行ものを避ける傾向があるので映画館では観なかった作品で、今回テレビで観てまあまあ後悔した。

頭の良い主人公が金儲けのためだけに自分の頭脳を使ってたのが最終的には誰かを助ける方向にシフトするところからしてまず良い。

ベイマックス、CMで見る限りその正体が何なのか全く分からなかったんですけどケアロボットでした。身体的にも精神的にも人をケアするロボット。SFですね。ベイマックス、お前みたいな存在がいてほしい。私はベイマックスがそばにいないから毎日布団から抜け出せないんだと思います。

SFではありがちな(ように思える)、高度な技術やロボットを人間が作ってしまうと、いつか人間が手につけられないくらい暴走をしてしまうというのがツキモノですが、マスターのケアのためなら人でも殺す、手段を選ばない形で ときには他の誰かを犠牲にしながらでも大切な人をケアするというのは正義なのかどうなのかという話もあり、話としてはシンプルなことを2時間かけてやっていたと思います。

 

ドラマ編

ランチの女王大森美香ほか

竹内結子は超最高というのが分かるドラマ。
人が食べ物をおいしそうに食べているというだけで観ている人たちが幸せになる。
音楽も脚本もキャストも全部最高。

ランチの女王 DVD-BOX

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『偽装の夫婦』遊川和彦

家庭環境に問題がある人間なので、家庭環境をテーマにしたドラマを見ると死ぬほど泣いてしまうんだけれども、『偽装の夫婦』は『逃げ恥』とはまた別の切り口で家族とは何かを問い直してくれる作品だった。この作品も多様性を描いていて、ゲイ、レズ、シングルマザー、近親相姦、そして契約結婚と、色々出てくる。

 

家族は選べないけど、友達は選べるのよ

 

私たちには違いよりも共通点がいっぱいあるの。些細な違いにこだわって相手を責めるようなこと、もうやめたら?


わりとストレートな台詞で観ている側に偏見で人を殴るのをやめたらどうなんだよ、他人同士で幸せ比べをしたって何の意味もないんだよ、と訴えてくれる作品。

「偽装の夫婦」 [Blu-ray]

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『重版出来!』野木亜紀子

出版業界で頑張る人たちのお話。
ドラマというよりは演劇のようで、だからこそ毎回毎回生の大声を聞くごとに号泣してしまうのでした。

日々良いことを積み重ねていけばいつか自分が望むものが得られる。
全体的に運とか奇跡が舞い込んできて成功する話じゃなくて、ほんの些細な日ごろの行いがめぐりめぐって結果として奇跡を生んだっていう話なので、日ごろの行いがよくない人はいつか失敗して挫折を味わうし、挫折を経験してもなお行動し続ける地道な作業の末に成功が待っているという、登場人物の行動と結果に因果関係が視聴者にも理解できる形で提示されてるの分かりやすくてよかったです。

出版業界、漫画でデビューできる人がほんの人握りであること、漫画家としてやっていきたいと願って何年も何十年も時間を費やしている人がいること、どんなにたくさんの時間を費やしてもその努力が必ずしも実るわけではないこと、凡人は天才にはなれないこと、そういうことを目の当たりにするドラマでした。

重版出来!  DVD-BOX

重版出来! DVD-BOX

 

 

逃げるは恥だが役に立つ』野木亜紀子

もれなく私もハマっていたクチ。無限に星野源の『恋』を聞いたクールでした。

 このドラマの何が良かったって、人間の生き方の多様性を差別なく描いていたところですね。男が外で働き、女が家で家事をすることの在り方について、それを当然とせず見直していくところに感動しました。
メインの2人だけでなく、年の差カップル、同性愛、シングルマザーなど色々な立場の人が出てくることで、どの人にも感情移入できるがゆえに、つらくなる部分も多くありました。

以前、大学のゼミで「家事に賃金を支払うべきか否か」という議論をしたことがありますが、そういうこともドラマで映像にしてもらうとメリットとデメリットが分かって良いなという新しい体験がありました。

 

『家売るオンナ』大石静

 人の生き方の多様性を認めた上で、既存の策ではない、新しい策で仕事をする、誰かの生きるお手伝いをする、そのための部屋探しをするという働く女の人の話。

 
以上のように、ニートは外に出て働かなければならない!という風潮というか

プレッシャーを切り捨てて、ニートニートのままで生きていく方法はないのかと模索していく回で私は心を打たれてしまいました。

ビジネスと人の心を天秤にかけるのではなくて どちらも尊重しながら丁寧に 働くとはどういうことか 自分の仕事は何かを考え直す話であり、自分の狭い価値観のせいで人を振り回すな、加えて仕事でも成果を出すためにはどうしたらいいのかという話。

家売るオンナ Blu-ray BOX

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 終わりに

 今年は多様性がテーマの作品を目にする機会が多かったように思います。
単なるラブストーリーやお仕事頑張る系ではなく、会社で働いて家では家事をする、友達とご飯をしたり好きな人とデートをする、そういった日々の生活の中でどうやって折り合いをつけて生きていくのか、世の中には意外と生きることに関して大変な人がいるんだけれども、そういうときあなただったらどうアクションを起こしますかという問題提起の、だけどそれが強烈ではない感じのものが多かった気がする。私が好んで見聞きしてるだけかもしれないけれど。

読書メーターはこちら。

http://bookmeter.com/u/82971

 

ブクログはこちら。

http://booklog.jp/users/aknynk

 
なのでよかったら見てください。
長文読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

束の間

例えば今私がストーカー被害に遭っているということを示唆的に話したとして、具体的な救済や精神的なフォローをしてくれる人がほとんどいないのはおそらく私の人望のなさとかよりも、私が他者に期待しすぎているということでもなく、社会や周りの人々がそこまで一人の人に踏み込まないで人生を生きていて、それが結局巡り巡って「やさしい」みたいな言葉で片付けられてしまうこと、自分の手で丸くこねてステンレスのバットのすみに置いておくことが最善だと思っている節があるという、そういうことに起因しているんだと思う。

 

はてな匿名ダイアリーで「3週間の休みをもらった夫が、専業主婦である我が妻の働かなさに愕然とした」みたいなエントリーを読んでいて、「亭主元気で留守がいい」ってあのフレーズを思い出してその通りだと頷いていた大学1年生の頃を思い出した。

 

先日人と会ったときに「やっぱり同期同士が仲が良いとその代の成績良いよ。仲悪い人たち同士だと数字あがらない」というような話を聞いて、そりゃ仲が良ければコミュニケーション取るし、より先手先手に気を遣って行動するから前に進むスピードもあがるよなと思ったのでした。

 

一昨日バイト先の後輩に告白された。

それまで仲良く話していたし仕事も気がきく良い子なのでわりかし構っていたのだけれども、根本として仕事場で恋愛をするようなタイプではない私はその告白をYESと言ってもNOと言ってもおそらくは今後働きづらくなるだろうなということは頭で理解していたつもりだった。

けど今日実際に飲食店のあの狭いフロアで一緒に働いて、こんなに連携が取れなくなるものなんだとは思わなかった。「夏休みの課題は7月中に終わらせてあとは遊びたい」「仕事を終わらせてなるべく早く帰りたい」系の私にしてみれば、とにもかくにも告白されたことに動揺せず、感情を持ち込まずさっさと仕事をこなしたいのに、相手も、私もなんとなく気まずさがあって今までより遅い退勤になった。

 

先の人が言っていたのは、同期同士で悪口を言い合うようなやつらは仕事も思うようにできないことが多い、みたいな文脈で話をしていたような気がするけど、今回の件でその人の言葉に個人的解釈として良くも悪くも幅が出てしまったことになる。

 

仕事場に恋愛を持ち込みたくないし、例えば飲食店のアルバイトとかじゃなくて、会社の部署Aと部署Bの人間が付き合うとかならまだ距離感があるし理解も追いつくんだけど、同じクラスで付き合うなみたいな、あまりに距離感が近すぎるとちょっと自分の中で受け入れられないものがあってかなり引いてしまった。どっちに転んでも気まずくなるんだからそもそもやらなければいいだろみたいな考えはないのだろうかと思ってしまった。

 

彼が告白する時点で余程の自信があったのかは知らないけど、フラれたときの可能性やリスクヘッジはどれくらい行っていたのかなと思うとやや懐疑的になるというか、20歳超えてさすがにそういう恋愛の仕方は子どもっぽすぎるでしょうと呆れる部分もあった。

 

好意が見え隠れすると、他人の感情の機微にあまり敏感でない人間でも「ああこの人は私のことが好きだな」と分かるものだし、その「分かり」でさえも負担になるということを知らない人が多いのかもしれない。

「フラれたけど片想いはしてもいいですか?」とズルイ質問を投げかけて、許可をされたいだけ。自分で決めればいいだけのことを相手に承認してもらって保つみたいな方法、他人からの承認を得たというだけで付加価値をつけてしまうみたいな行いは醜いからやめてほしい。そのあとも既読スルーしてるのに延々とLINEを送りつけてきて、そういう行為が相手の言う「片想い」だったんだと気付いたときすでに遅しで、なんとかもう二度と会いたくもないのに今日も頑張ってバイトしてきた。人に言葉を送ることそのものが負担になるケースもあるんだと気付いてくれる日がいつか来たらいい。ブロックしたけど。

 

話は戻って機能不全の夫婦の話。

本当はもっと簡単に解決できるようなことでも、コミュニケーション不足でダメになってしまうケースが多すぎる。「察してもらえる」だとか「分かってもらえる」だとかは相手に期待をかけすぎているからやめたほうがいいと思うという一方で、人間たまには褒めてもらえないと生きがいがなくなってしまうというか、褒めてもらえないこの行為に意味なんてあるのだろうか的思考に陥って、作業がおざなりになってくる。

 

いつか父親に「あなたはあまりに自分の妻のことを叱りつけすぎる。褒めもしなければ敬いもしない。家事をやっているのが当たり前だと言って、誰が稼いでやってお前たちを食わしてやってるんだと図に乗りすぎている」という旨意見したときがあって、その翌日からなぜか父親はここ数百年はやってこなかったというような手つきで皿洗いをしていた。

 

父親の態度から滲み出ている「皿洗いをしてあげている」感に腹が立ち、母親も「なんで洗ったものをあそこに置いたままなんだろう」と今更皿洗いをやられても逆に迷惑というか、そこは私のテリトリーだからやらなくていいよという顔をしていたのを思い出す。

圧倒的コミュニケーション不足を感じる光景だった。

 

「いつもご飯作ってくれてありがとう」とかは言えないにしても、「今日のご飯おいしいね」くらいテレビに目を向けながらでもさらっと言ってくれたら勝手に喜べる仕様に女(主語が大きい)は設定されているし、「今日のご飯味薄いな」と言いながらタバスコだの七味だの醤油だのをバカスカかけたゲテモノを食べたその口をぼんやり開きながら皿洗いをされても困るというか、その姿勢は誠実ではないと私は思うのです。

 

具体的な行動で示すよりも、3秒くらいで終わる発話のほうが効果的な場合があって、会話を発端に行動が明示されていけばそれはそれでいいのかもしれないんだけど、先回りして、人間が物理的に楽になる方法といえばコレ!家事!からの皿洗いだったのだろうなと思うと諸々が悲哀に満ち溢れてくる。

 

今期は『逃げるは恥だが役に立つ』をもれなく楽しく見ていたけれども、あのドラマで描かれていない沈黙の部分ってきっとたくさんあるはずなんですよね。ドラマという便宜上みくりと津崎の間にはまあまあ絶え間なく会話があったし会話がないときには非言語のコミュニケーションをしていた。ハグをしたりキスをしたり手を握ったり、その一挙手一投足に視聴者は発狂するわけですが、本音としてはどこか気持ち悪さを拭えないまま最終回を迎えてしまったわけです。

 

津崎が「(我々の関係性やあなた自身の突飛な行動は)最初から普通じゃありませんでしたよ」みたいなことを言うシーンが最終回にあったはずなんですけど、あの「普通じゃない」発言の一方で、視聴者はあのドラマを見ながら共感する部分も結構あったはずで。

 

確かに主婦の行う「家事」というのは仕事なんだから給料を支払ったほうがいいのかもしれない、という気づきを与えてくれただけでなく、必ずしも恋愛の延長線上に結婚があるわけではないというメッセージも示していたように私の目にはうつった(多分)。

 

パートナーが塞ぎ込んでいるときにいかにその檻を外してやれるか、もしくはパートナーを檻から助け出してやれるか、石田ゆり子演じる百合ちゃんが「自分に呪いをかけないで」と言っていたのは、あの女を武器に生きている感じのガールだけでなく、百合ちゃん自身にも、みくりにも津崎にも風見にも、そして視聴者にも向けられていることで、過去に他者から言われた言葉をフラッシュバックするごとに自分で自分の首を絞めるような真似はしないで、自分の価値を勝手に決めつけて生きるようなことはしないで、視野を狭めたまま生きるよりももっと楽ではないかもしれないけどつらくない生き方はあるんだという、あえて「同じ土俵に立たない」ことで無駄に自分を消費しない術を持った生き方もありだし、そうじゃない生き方もありだし、年齢とか立場とか諸々の呪詛に縛られすぎないほうが良い、という、お話。

 

25日空いてるので誰かご飯誘ってください。