押し付けられたものを殺したい

首の高さにゴールテープが貼られていて、いつもの速度で帰り道を歩いていると、 いつの間にかゴールテープもといロープが首に巻きついていて足が地面から浮いている。宙に浮きながら歩いて家に帰る。ここ最近ずっと首が苦しくてどうしようもない。

 

振りかざされる愛、受け止められない容器、他人から押し付けられたペットに対して「可愛い、私なんかに世話をさせてくれてありがとう!」と笑顔で言い放ち、ドアを閉めた瞬間に膝から崩れ落ちる思いでいる。呼吸さえまともにできずに蹲るしかない。 

 

気軽に頼み事をできる奴隷的な隣人として、内心見下されている気配がする。この小さくあたたかい命など手のひらで握り潰せば簡単に死ぬのに、どうしてつらい思いをしてまでそれらを保護しなければいけないのか何も必要性を感じない。けど殺して捨てる選択もせず、ただそこに横たわっていてときどき視界に入るからストレスになる。なぜあえて私の住処に自分の痕跡を残していくのか、それを世話するのは私なんだよ、そういう役割、女だからですか?私だからですか?ナメられるの?率先してやりたがるように見られているの?私が抱える負担って、誰が対価をくれるんですか。

 

 

容姿に恵まれているなんて生まれて一度も思ったことがない。ちょうどよく頭が悪く、ちょうどよく精神が弱い、攻撃的で不安定な部分も生きづらさの象徴としてちょうどよい。細くもなく太くもなくちょうどよく抱き心地の良い体型をしていて性欲も満たせて便利。

 

誰でも受け入れるふりをしながら、他人を丁寧にラベリングして、丁寧に見下している、丁寧に弱いものとして扱い、保護し、これまでの弱い生き物にもそうしてきたように同じベストプラクティスで殴ってみる。そうやって寛大な自分、弱い生き物を育成する自分に酔っているだけ、感謝されたいだけ、あの子は昔むかし暗いトンネルの中にいたけれど、今は外に出て幸せそうにしていて良かったと遠く離れたところで言ってそれで満足か。

 

***

 

電車のボックス席に座っていると隣におじさんが座ってきて、Bluetoothスマホをうまく接続できていないのか盛大に音漏れをしている。ボリュームの下げ方さえ知らないのか、何食わぬ顔で鞄にスマホを閉まっているが、スマホから音漏れをしているのでめちゃくちゃ耳障りだ。AirPodsから音楽は流れていないのに、腕を組み指先でリズムを取っていて大変不愉快。耐えきれず、わざとらしく頭を抱え背中を丸めるとおじさんが再度スマホを取り出して音量を下げる素振りを見せた。 5分後には結局音漏れしたままのスマホを鞄に閉まって音楽を聴いているふりをしている、私は目頭を押さえ頭を抱えるふりをする。向かいに座る男性もチラチラ視線で「音漏れしてますよ」とポーズを取っているが声をかけるには至らない。うるさい。お願いだから静かにしておいてくれ。

 

宇多田ヒカルの『Play A Love Song』を聞いている。『初恋』に収録されている『あなた』は大事な曲だから、うかつに再生されないよう注意してiPhoneを操作する。押し寄せる感情をしゃくりあげると涙が止まらなくなり久し振りに泣きながら帰る夜となる。今日も首は締まっていて、外の音もあまりよく聞こえないし、ゆっくりにしか歩けない、なぜなら宙に浮いているから、仕方がない。

 

今朝、研修会場では同期からの「最近買って良かったデパコス何?」との一言で牽制のし合いが始まった。「クレドのアイシャドウが良かったよ」となんとか口にしたところで「Youtuberが紹介してたやつだ〜(笑)」と返されて心底どうでもいい。その質問は私の回答を踏み台にして自分が答えたいだけの形式的な質問で、お前が使っているクラランスのリップオイルのことはどうでもいい、デパコスなどどうせたまにしか買わないくせに、何を偉そうに牽制を始めているのか。そこに大層な価値があるとでも思っているのか。

 

朝から他人に牽制する元気のあるその口元が旦那の前で甘く溶けるときがあるのか、どうでもいい、気持ち悪い。睡眠障害の話とか「今日は夜ご飯何作る予定?」とか「いま付き合ってる人とは結婚できそうなの?」とかお前の人生がどれだけ素晴らしいものか私にはその価値が1ミリたりとも理解はできない、する気もない。牽制しないと保っていられない幸福など興味ない。勝手に言ってろ

 

 

ときどき過激なことを言って笑いを取る。「そういうところがあなただよね」というレッテルを貼られることの楽さに胡座をかく。勝手に私のことを決めつけて好き勝手言われてもそれは結局私の演出の結果。もっと知性や色気のある手の届かないアクターに軌道修正することは今さら可能なんでしょうか。ツイッターで感情を書くだけでふぁぼられて「私はいま知性も色気もあり幸福です」とマウンティングを取られるのに、そいつの喉元を掻き切る元気もないのに、妄想ばかり先行して血まみれなんですよね。鉄分は常に足りていない。

 

***

 

今日のピークは食べ方を褒められたことだった。

 


食事のタイミング、あまり意識していなかったけれど、これまで会ってきた人はタイミング良く食べていたのだなと気づく。

あたたかい命はあたたかいうちに食べてしまった方がきっと美味いだろう、冷めた残飯処理を微笑み浮かべて喜んでやるような女、それはそれで楽そう。なんでもいいし、どうでもいいし、みんな勝手にしてほしい。

 

付き合ってたけど好きではなかった

 

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一緒にいても会話が多いほうではなかった。沈黙になるとお互いにスマホをいじりだして、テレビに対して笑ったり突っ込んだりして会話がない状況を誤魔化していた。実家もこんな感じだった。テレビに顔を向けて会話をしている、なので私は人の目を見て話す方法をよく知らない。そして、「会話をせずともお互いのことが分かる」、なんてそんな領域には足を踏み入れてもいなかったし、お互いのことを何も知らないままデートの回数だけは重ねていった。

付き合っているのだから私はこの人のことが好きに違いないと思っていた。

 

 

好きな人と付き合ってなかったと判明したあとに出会ったのが岸くんという人間だった。彼は私の2歳年上で、今までそういう関係性になった人間の中では2番目くらいに年齢が近かった(1番は中学生のとき塾が一緒だった颯くん)。

 

そういう関係、というのはまともではない恋愛関係も含んでいて、その中でも岸くんとはまともな恋愛関係だった気がする。恋愛関係というか恋人という既存の枠の中にうまく入れていただけというか、facebookのステータスを交際中にしていただけというか、ただただ形として恋人がいることを他人に見せられた。

 

それが私にとっては貴重な体験だった。

そう思えるほどまともではない恋愛関係ばかりの人生だったから。

 

私と誰かの関係性を他人に見せたい、アピールしたい、他人に知っておいてもらうことで関係性を強力なものにしたかった。

 

***

 

私は大学生のころやたらと出会い系サイトにハマっていて、初めて会った人とセックスすることを厭わなかったし、自ら若い女として男に消費されることを望んでいた。それくらい実家に帰ることがつらく、私のことを愛してもいないただの性欲目的の他人からでさえ抱きしめられると涙が出るほど幸せだった。

 

そんな人間が、岸くんと出会ってからというもの、頻繁に互いの家を行き来することになり、「手料理を食べたい」とねだられ、一緒にディズニーに行ってくれるとなると、これまでやりたくてもやれなかった"普通のお付き合い"が実現されていくようでとても嬉しかった。私もこういう普通のデートがしたかったんだ、友人のインスタグラムを見ては嫉妬する日々からいい加減卒業したいという思いが強かった。(本当か?)

 

 

こういう感情・執着は一度口に含んで舐めだすと美味しくてずっと飲み込めない。

  

 

岸くんはブランド物をくれそうな人間だった。

 

精神が邪悪。

 

***

 

岸くんは出会った当初から配慮の人で、寒くない?痛くない?喉乾いた?休憩する?とよく確認をしてくれた。そんな人これまでいなかった。エスコートをしてくれる人はいたけど、それは私が女だからであって、私自身に対しての配慮ではなかったような気がする。私の身体を使って自慰をするような人ばかり、またはそんなつもりはなくても私が我慢してることを言い出せず勝手につらくなって終わった。岸くんと私は明らかに育ちや性格、価値観が異なる人間同士だったので頻繁に違和感を感じることもあったが、その都度、ないしは後からでも私は違和感を感じたと表明するようにしていた。

 

***

 

違和感の話。

 

例えば、「活動休止前の嵐のライブチケットが当たった!」と言うと「めっちゃすごいじゃん!ヤフオク出したい(笑)」と言われたり、「ディズニーシーの餃子ドッグ美味しいんだよ!写真見て!」「えっ芋虫みたいで美味しくなさそう」、私の行きつけの喫茶店に連れて行って支払いの際にカードを出したところ、自分がPayPayの残金を使い切りたいからと私のカードを下げさせた挙句支払いに手間取り店員が困った顔をしていた。

 

 

カウンター席しかなく予約しないと入れないような人気店。彼が行きたいと言うから私が予約をしたのに(行きたいというなら自分で予約くらいしろ!)、注文したものが出てくるまでiPhoneで野球を見ていることもあった。そのときは不快に思いつつも直接言うことができなくて、少し経ってからやっぱり私はあのときすごく嫌な気持ちになったんだとキレてしまった。

 

そのときは、「きみが嫌ならやめる」と言われたけれど、そうではなくて、食事を作ってくれている人、サービスを提供してくれているお店の人に失礼なのだということは自分で気づくべきだと思ってあまり強くは言えなかった。そういうデリカシーのなさ、失礼さ、というものにあまりに無頓着だった。そして私は周りの目を気にしすぎていた。マナーとか常識とかを押し付けすぎだったのかな。マナーとは一体何だろう。

 

文字にしてみると「いや、普通にデリカシーのない人なのでは?」と思うのだけれど、好きだったから、自分がすり減るのことに痛みを感じつつもその場では笑っていた。少し前のブログでも書いたけど、感情が遅延してくるタイプなのでその場ですぐ言うことなんてできない。あとから不快感を表明するばかりだった。

 

彼が私に抱いていた違和感についてももっとちゃんと知りたかった。

 

不機嫌になられても何がいけなかったのか分からないときがあるからちゃんと言葉で言ってくれと言われたこと。

 

岸くんと付き合いだしたのは彼がフリーで働き出したころで、私が一人3000円~くらいするお店にばかり行きたいと言うと、「今は仕事を頑張りたいし、お金を使いたくない時期なんだよね」と言われたこと。なのでショッピングモールの中にあるようなお店で食事をした。お金を稼いで貯蓄がたくさんあることと、お金を節約して貯蓄がたくさんあることは違うんだと思った。

 

***

 

価値観が合わない話。

 

結局食事の価値観が合う人と食事に行くのが良いという学びがあった。

例の好きだけど付き合ってなかった人から、外食は美味しいということを学んだ。

私はお酒が飲めないけれど、日本酒がたくさんあるような小料理屋で食べるご飯がとても美味しいということを知ってしまった。本当に野毛は最高。

 

岸くんとショッピングモールの中に入っているオムライス屋さんに行って、びっくりするくらい味がしなくて食べることが死ぬほど苦痛だった日もあった。お金はいくらでも出すから美味しいご飯を食べたい、それだけ。奢ってもらいたいとかない、寧ろ全然出す。だけど、先も書いたようにお店の中で食べログ開いて「ここが3.3か〜」発言はつらい。

 

 

 

 絶望を知らない、そして他人の悪意を知らない人間だったように思う。

 

おしまいのきっかけは、彼が待ち合わせ時間に早く着きすぎることだった。

 

 

強い女友達ばかりと付き合っていると口調も強くなりがちなんだけど(突然の言い訳)、上記ツイートのような「は!?」という反応は怖いと言われた。

インターネットの人からは『そんな言い方したらビクッとするに決まってんだろ』、『「言われてた予定よりも早く到着されると私も色々予定してたのに狂っちゃうから次からオンタイムで行動して」的な風に伝えるか「わかった。じゃあ私は17時まで予定あるから時間つぶしてて」と伝える』とアドバイス(?)を受けた。

 

なるほどと思い、2回目は「私にも予定があるし、急に言われても迎えにいけないから、次からはもっと早くに言って」と伝えた。そうすると「電車乗るときには連絡したんだけど」「早く会いたいから急いだつもりだったんだけど」と言われてズーンとなってしまった。そもそもお互いの家がまあまあ近いから電車に乗るときに連絡したところで遅いし、早く会いたいからと言われてしまうともう何も言えない。

 

そこで気づく。私はこの人のことが好きじゃないかもしれない。

 

なんだかんだその日も私の家に来て仲直り的な場が設けられたが、私が迎えに行った際の態度が溜息だの「疲れた」だの言ってたらしく、それを責められた。「じゃあもう一緒にいるときは溜息もつかないし疲れたなんて言わないから」と面倒くさい女に成り下がると「うん」と頷くだけだった。「これでいい?」「もうこの話はおしまい!」と場が終了してから、男は私の頭を撫で抱きしめキスをしようとしてきたのがとても気持ち悪かった。

 

 

おかしくて仕方がなかった。なんでこの状況で性欲を他人に翳せるんだよ。それで、私がなんか一言言ったくらいで簡単に身を引くの、なんなんだよそれ。お前には私をねじ伏せるくらいの力があるんだから力づくで抱くこともできたのに、それをせずさっと身を引くところが嫌だった。そういう優しさみたいなものが、すごく居心地悪かった。セックスを受け入れない私がまるで悪いみたいな、好きではないと気づかされているような気がしたから。

それで沈黙のスマホいじりの時間だけが過ぎて岸くんは帰った。おしまい。

 

その後、他の男の人に「喧嘩したあと仲直りするためにどうしてますか?」と聞いたら「そりゃセックスだろ」と返されて少し泣いた。

 

***

 

ところで、岸くんはマルチをやっていた。マルチではないと言いつつマルチだった(多分)。私の家で実験を見せられ「感想は?」と聞かれ何も言えなかった。怖かった。

 

ボディーソープと塩(汗か海水というテイだった気がする)を混ぜ、市販のは塩と混ざると固まって塩化ビニールになるから、普段利用しているボディソープは身体に悪いんだよと言われる。

肌は弱酸性なのに市販の石鹸はアルカリ性だから身体によくないんだよ、うちの商品だけ弱酸性だから安全なんだよと私の腕をリトマス試験紙にして実験を見せられる。

常在菌が、活性炭素が、真皮が、ターンオーバーが、など色々言われたけどよく分からなかった。突っ込まれることを前提としていない、習得した売り文句。話し方がすごく上手だった。

 

私は何年間も化粧をして自分の肌に合った化粧品というのを探してきたけど、お前普段化粧しないくせにファンデーションとか何とか言うな、というのが純粋な感想だった。

 

私は過去にアムウェイに勧誘されてすごく怖い思いをしたから、正直いまの段階で信じることはできないと伝えても、「商品は本当に良いものだから少しずつ分かってくれたら嬉しい!」と返される。その明るさというか純粋さが怖い。

 

上記のような実験を通して客が商品を買い、リピートし続ける限りは何もしなくても自分にインセンティブが入ると言っていた。言いたいことは分かるけど、その売り方って変だよね?。怖くて検索する手を止められず、色々な記事を漁るうちに、結局マルチで儲け続けることは難しいから、いつか大損するなり破綻するなり人間関係が全て立ち消えるなどしていつか終わりは来るのだろうと思った。その終わりの先に続く道がプラスであれマイナスであれ終わりは来るし、私はただの他人。

 

 

マルチ、目を覚ますためには時間と誠実さでやっていくしかないんだと人に言われて、私はそれに耐えられるのか?耐える意味があるのか?根気強く接した先に報われる何かがあるのか?と結局自分のことばかりを考えていた。なんとなく岸くんは悪い人間ではないので伸びしろがある気がしていたし30代になったらもっと魅力的な人間になるような気がする。一年後くらいに近況を聞きたいくらいの距離感に今はいる。

 

 

 

悪い人間ではないと思う理由はこういうところにあって、良くも悪くも先入観や偏見がないところがすごくよかった。今まで年上の人間とばかり関係を繋いできたからもうすでに固まってしまって動かない価値観や、何も不思議と思わない純粋な差別意識とか、そういうところが少ないのがよかった。

 

ただ供養のつもりで6000文字書いていたけれど、1ヶ月経ってもいないのに過去形で書けることに驚いた。もう私の中で過去のことになっているんだと気づけた。

 

好きではない部分もあったけど、好きだった部分も確かにあった。

でもあのとき「私はこの人のことが好きじゃないかもしれない」と思い至った瞬間も確かにあった。

 

今週のお題「2019年上半期」



 

あじさい日和

金曜日。

紫陽花を見にいった。よく晴れた一日だった。

 

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経緯は昨日書いた。

大好きなディズニーの年パスを今年は買わず、ほかの場所で写真を撮る一年にしたいという話。

 

なので、早速撮ってきた。

 

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調べたところ、紫陽花は土が酸性かアルカリ性かによって色が変わるらしい。雑に言うと、酸性の場合は青く、アルカリ性の場合は赤くなる。土が酸性ということは、アルミニウムを吸収しやすく、紫陽花の中にあるアントシアニンのデルフィニジンとアルミニウムが結びついて青くなるとインターネットに書いてありました。よく分からないがこういうことを勉強したい。

意図的に土にアルカリ性の物質を混ぜて色を変えることもできるらしい。

 


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金曜日に見た中でも一番に好きな紫陽花。小さな花が集まってブーケのようになっているのがとても可愛いと思う。

 

紫陽花には花束の集まりみたいなやつと、折り紙で作ったみたいなやつと、つぶつぶがギュッてしてるやつなどがいて、絶対に私が子どものときより品種増えたでしょって思った。品種改良が進み紫陽花に多様性が生まれている。というか、紫陽花にたくさん種類があることを知らなかった。私が紫陽花を見たのは高校生か大学生くらいにインターネットの人と長谷寺に行ったときくらいで、なんだかあそこはあまり好きになれなかった。

 


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「天使のほっぺ」という名の紫陽花。真っ白ながくに薄付きの桃色が控えめで可愛い。日本人が好きそう。

 


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紫陽花、見にいったこと自体は本当に良くて、最高の一日になったなと思ったんだけど、平日ひとりで行ったせいか知らない男に後をつけられ話しかけられインスタグラムのアカウントを交換させられた。花を見てるだけでナンパされる人生ってつらい。私の好きにさせてほしい。

 

「写真どんな感じか見せてくれませんか?」

「インスタ交換しましょう」

「晴れてきたのできれいに撮れますよ」

「さっき見せた紫陽花あっちのほうにありますよ、よかったら案内しましょうか?」

「このあともう少しいる感じですか?僕はそろそろ帰ろうかなと、うーんどうしようかな」

 

完全に具合が悪かった。私が写真を撮ってる背後に男がいるのが気配でわかる。視界の端にいる、話しかけようとタイミングを見計らっている、すり抜けようとしても何かしら声をかけられる、怖い、何もしないでくれ、私の精神をレイプしないでくれ、もう何も喋らず私のことを視界に入れず今すぐ立ち去ってくれとお祈りをするようにシャッターを切った。「首から下げてるお前のFUJIFILMのカメラを掴んで地面に叩きつけストラップで首を絞めてやろうか」という思いで必死に紫陽花だけを見るようにしていた。無理だった。

 

断りきれずインスタのアカウントを交換したが、最近フェイクで作ったビジネスアカウントがあって本当に助かった。過去の私グッジョブ。インスタのアカウントを教えるなどしないとそのまま「お茶しませんか」とでも言いたそうな雰囲気だった。もう何も話したくなかったからアカウントを教えることで全てを留保した。ふざけるのもいい加減にしろ。

 

向こうはカメラを持ってるわけだし、私もスカートを履いてるわけで、いつのまにか盗撮されててインターネットに晒されるかもしれないと自意識過剰な精神になったので、次ひとりで行くときはパンツスタイルで身体を隠していこうと思った。無防備でいるからレイプされるんだろうと言われる、男に媚びているから話しかけられたんだろと言われる、違う、何もかも全てが間違っている。

 

ディズニーではこんなことなかった。ディズニーオタクは自分がどれだけ良い写真を撮るかに必死で、たくさんぬいぐるみバッジをつけてアピールしたり小物を取り出してキャラクターに好かれようとしたりするだけで、何もこっちに危害は加えてこなかった。みんな良くも悪くも自分の都合の良い世界だけを見ている。

 

ただひたすらに写真撮っている最中に性的消費をされたくないと思った。私は女ではあるが一個人として尊重されるべきで、厚底サンダルでスカート履いていたとしても男に媚びてるとか思わないでほしい、暑かったから涼しい格好で外を歩きたいだけです。

 


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和紙で作ったような紫陽花。

 

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今まで写真を撮っていると 人間の眼の精度に敵うものはないと思っていたけど、最近写真の腕が上達したのか 自分の肉眼で見ているものを その色や明るさで写真を撮れるようになってきました。


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写真は楽しい。花は美しい。

誰にも邪魔されず無心で撮っていたい。

人とすれ違うたびに「すみません」と声をかけられるのがなんだかよかった。花のことを話している人もいたし、近所の文化会館で開催される催し物について話している人もいた、カップルで来て自撮りばかりしている人もいたし、手に触れられる距離にあるのになぜか望遠レンズで撮っている人もいた。ディズニー以外で写真を撮る体験がなかなか良かった。ナンパを除いて。

 

 

紫陽花を撮った動画はツイッターに載せたのでよかったら見てください。

 

お題「カメラ」

ホスピタリティは地獄

今年はディズニーの年パスを買わないと決めた。去年初めてディズニーランドの年パスを買ってからというもの10回以上はディズニーランドに通ったし、香港ディズニーデビューもして、散々ディズニーランドを楽しんだ一年だった。

 

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私はグリーティングやパレード、ショーの写真を撮るのが好きなタイプのオタクで(ディズニーオタクには、キャラオタク、フェイスオタク(キャラオタの中でもプリンセスなど実際の顔が見えているキャラクターが好きなオタクのこと)、ダンサーオタク、アトラクションオタク、バックヒストリーオタクなど、あらゆるオタクがいる)、仕事やプライベートで精神がおしまいになるたびにディズニーランドに通って精神を回復してもらった。ドナルドやデイジー、ニック、プリンセスにハグをしてもらったり、全力で踊るダンサーの笑顔を写真に収めることが何より私の幸せだった。それは今でも変わらない。

 

しかし、それでも年パス更新を躊躇ったのは色々理由があって、ひとつはオタクの増加と過激化だった。

 

わりとインターネットで騒がれていたミッキーの顔が変更になった件では、変更前の旧フェイスのミッキーに直接「(今の顔で会うのは)これで最後だから、今の顔が好きだから、もう来ません」と涙ながらに宣言する人がいたり、ミッキーの顔を変えないで!と署名活動をオリエンタルランド社に対して行う人がいて、2018年のドナルドの誕生日にウッドチャックというグリーティング施設が600分待ちになるなど異常な混雑を見せ、また、その際のキャストの対応もDオタ界隈では話題になっていたような気がする。2017年にスタージェットがクローズになる際にはラスゲス(最後にアトラクションに乗る人)になりたいがために、案内終了したはずの列に割り込む人もいた。双子コーデが流行り出したあたりからのオタクとしては、年を重ねるごとに民度がおしまいになっているのを感じるし、その一方でキャストが足りてないんだなと思うことも多くなった。

 

人手不足が常態化しており電車に乗るとよくアルバイト募集の広告を見る。

夢の国で働ける、輝かしい職場であればアルバイト採用でいいだろうと言わんばかりの頑なな広告で、見るたびうんざりする。ツイッターでは東北のほうでもアルバイト募集の広告が打たれていると聞いた。どれだけ人が足りてないんだよ。

 

人が足りてないからか、ツイッターなどで真偽不明のまま情報がすぐに回るようになったからか、キャストがハピエストサプライズを友人にあげていたとか誕生日のシールをメルカリに出していたとか、先日のグーフィーのトレイル(グリーティング施設)クローズでは、「待ち時間あげておけば人来ないよ」と言っているキャストがいた!など、もうツイッターはチクりの場所となっている。

 

また、キャストの行動だけでなく、頭のおかしいゲスト(先に述べたスタージェットのラスゲスの件や、ドリーミングアップでやたらベイマックスのヒロに黄色い声を上げるオタクの動画や、トゥーンタウンの箱やうさたまの車に乗って写真を撮る若者たち)であったり、サービスの低下(先日のバケーションパッケージ限定のワイン飲み比べセットと謳いながら実は一般にも売られると情報を後出しにした件や、レストランでのプラスチック皿ではなく紙皿での提供変更(これは良し悪しだが)、量は減るのに値段は上がる食事、熱中症対策に塩まで提供してくれる店(これも良し悪し))など、色々あって、こう、いやそれはおかしいだろ!っていう否定的な気持ちよりも、ホスピタリティという名の過剰サービスの提供を減らしたらいいのでは?という思いと、夢の国だから何でも許されるだろう思考もいい加減やめたほうがみんなハッピーになるのにな、という思いで、結局思いやりだのおもてなしだのが地獄を生産し続けている気がした。

 

香港ディズニーに行ったときは、外のどこか別のお店と同じようにキャストは接客をしていたし、それで困ることは何もなかった。夢を提供するというよりも普通にただの労働場所としてディズニーに出勤している気がした。舞浜が異様に親切なのか几帳面なのか分からないが、香港で肌で感じたその雑さが良かった。

 

もらっている賃金に値する労働力を提供すればいいだけだと思うし、過剰に働くから人が減って人手不足になる、マニュアル化されていないから属人化が進む業務内容。もちろん毎日多く訪れるゲストの安全を守るために厳しすぎるチェックやテストを繰り返しているのは承知の上で、効率化とか従業員満足って疎かになってないですか?って思う。

 

ディズニーが嫌いになったわけではなく、むしろこれからも楽しみなことがたくさんある。ソアリンもオープンするし、新エリアも工事が進んで完成に近づきつつあるし、夏は大好きだった城前ショーが復活し、アウト・オブ・シャドウランドが終わりソング・オブ・ミラージュが始まる、シーのハロウィーンも変わるみたいだし去年見て衝撃を受けたスプーキー "Boo!"パレードも楽しみ、あれは本当に最高、神、毎日見たい。

 

友人が撮ってくれた、ディズニーにいるときの私の表情は本当にいつもとは考えられないくらい楽しそうに笑っていて、私って本当にディズニーが好きなんだなと思う。めちゃくちゃいい笑顔をしている。いろんな人と行ってみたい。

 

まあこれまで書いてこなかったけど、私も私の人生があって、ディズニー以外の趣味というか、写真の腕を上達するためにディズニー外で写真を撮るようにしたいと思っている。それなので、今年一年は様子見としたら年パスを買わずに他に目を向けてみようかな、という次第。

 

自分の整理のために、あらためて書いてみると色々思ってることがあるんだなという気づきがある。

 

ディズニーリゾートが得意です、私。

 

オタクであることに変わりはないので、行く機会があれば、どの順番で回ればいいかなどコースの相談は気軽にしてください!おおよそ間違いなく楽しめる予定を立てられるかと思う。それだけは自信がある。

 

明日は今日のことを書く予定。書きたい。ブログの習慣化を目指したい。

今日は紫陽花を見に行き、実写版アラジンを観ました。そのときの写真を一枚。きれい。

 

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『アベンジャーズ/エンドゲーム』を観た

社会人3年目になった。最近は精神的に負荷のかかる仕事も増えてきて、色々ヘマをやらかしながらもなんとか働いている。

 

情報処理試験(今年はSCを受験しました)の翌日、数分のスピーチと客先での業務報告をした。

 

頷いてくれる人を見ると安心する。私の話を聞いた上で「わかるわかる」という態度を取ってくれている。そう思わせるためには理論的に誰もが「わかる」話をしなければならないんだけど、そのための準備をすれば緊張しないという学びがあった。準備の前に相手がどんな人であるか、どういうことを知りたがる傾向にある人なのか知る必要がある。

 

仕事、10年以上続いてるプロジェクトで規模が大きいシステムとなると色々理解するまでに時間がかかる。これまでのお客さんとの関係性や経緯を知らないから、ただ事実を知っただけではストーリーとして頭の中でイメージができない。それが最近では段々と人と関わって仲良くなる中で細切れに聞いたエピソードをつなぎ合わせてストーリーとして理解し始めてきた。

 

一年目のときから「何のためにこの作業をしているんだっけ」という目的の振り返りは意識してやってきていて、ずっと作業と目的は近い位置で1対1の関係にあった。それが作業範囲が増えてスキルが上がって他人と仲良くなる中で、作業(とその目的)対プロジェクトの経緯も見えるようになってきた。これは遠い位置で繋がってる。当時は必要だったけど今は必要のない作業、それを減らしていきたい、減らすために交渉をしていきたい。

 

 

このまえ障害が起きたときの話。

 

 

 

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障害や負荷のかかる業務を終えてGWに突入した。『アベンジャーズ/エンドゲーム』を観た。

 

 

IWを見るためにこれまでのマーベル作品を一気に観た人間ですが、エンドゲームをリアルタイムで観れたよかったと思う。シリーズを観る前は「なんかアメリカのヒーローの映画ですよね、やたら作品数の多いアクションムービーですよね、面白いんですか?」って感じだった。でもこれまでの作品を全て観ているからこそ胸が震えるくらい感動するものがあって、作品自体がよかったなというのに加えて製作に関わった人たちの人生を思わずにはいられなかった。

 

観終わったあとに、要素の話で盛り上がるオタク。私は声の大きい人間のことをとても恐ろしい生き物のように感じていますが、さらに要素の話ばかりしているのを聞くとげんなりするというか、ちゃんとお前が感じたことを言語化して聞かせてほしいと思う。私は感情が遅延してくるから会話の中で言いたいことを言えないことが多々あって、あとで脳内ダダ漏れの文章を書くわけですが、要素の話、枠の話ばかりしている、分かるけどね、でもお前はどこで泣いたの?何に感動したの?そういうのをちゃんと聞けるようになりたい。ちゃんと話せるようになりたい。それでお前はどこで泣いたの?

 

 

人と共感しあうためだけに作品を摂取しているのではない。

 

映画の内容としては、私はなんであのとき肩が震えるくらい泣いたんだろう、なんでこのロキのことが好きなんだろう、って考えるほど泣けた。作品自体でもう完結してるわけだからもうあまり言うことがない。ロキとgotgのみんなについてはふせったーで書いたので読んでください。

 

 

 

エンドゲーム見てバレエのレッスン受けて実家に帰った。母親に送り迎えしてもらった。時間がなくてコージーコーナーで適当に買った焼き菓子を申し訳程度のお土産として持っていった。あまりに雑すぎたので次回はちゃんとした手土産を持っていきたい、私の住む街の喫茶店にあるコーヒーはとてもおいしいので珈琲豆を買っていきたい。実家のコーヒーメーカーが新しいのに変わっていたし。

 

夜はカレーをリクエストしたのでカレーを作ってくれていた。カレーの肉、一人で作るときは安い肉を買ってしまうけど、ちゃんとした牛肉を買ったほうがいいという学びがあった。おいしかった。カレー用のお皿があるというのもおいしく食べられる理由の一つなんだと思った。一人暮らしに際してコップを持って行ってしまったので実家には私用のコップがなく、クリスマスのときにシャンメリーを飲む用のグラスで牛乳を飲んだ。ちぐはぐしていた。

 

そのあとクソ寒い夜なのにデザートにハーゲンダッツの紅茶味をみんなで食べた。柳宗理のスプーンで食べるハーゲンダッツはおいしい。妹が「ハーゲンダッツを少し柔らかくして食べる人の神経が理解できない」と言っててよかった。彼女は今年から製菓の専門学生になりました。

 

 

母親からチョコとたけのこご飯をもらい、妹からはディズニー土産のラスクをもらった。洗剤ももらったし、実家、とても豊かであった。父親は相変わらず会話に入らず(入れず)偉そうにしていた。

 

 

私は実家に住んでいたとき精神がおかしくなるくらい親をコントロールしようとしていた。片付けられない母親、家父長制度を未だにやってる父親、服従するしかない母親と私と妹、女であること、二世帯住宅であること、何もかもが地獄でおしまいだった。それなりに豊かで楽しい日々もあったし親に良くしてもらっていたのは確かだけど、あの空間にあの人達と暮らしていたら私は死ぬという確信があった。

 

今回一年ぶりくらいに実家に帰って、しかも一人暮らしを始めてから初めて実家に泊まった。昔の私はあんな薄い布団で寝ていたのかとびっくりした。寒かった。汚い部屋だった。

 

でも一泊二日、時間でいうと14時間くらい滞在して、昔みたいに感情に任せてぶちギレずに、会話ができた。怒らなかった、不快にならなかったというのがどれだけすごいか伝わりづらいだろうけど、すごかった、それは私がエンドゲームを見て消耗してるからという理由もあれど、母親と私で適切に距離が取れたというのが正確な気がする。

 

怒らなかった、食事を終えたあとに「お皿持っていくよ」と奴隷体質の気配りを見せる母親に対して「自分で台所に持って行くからいいです」と言えた。「米要る?」って言われたときに「私は3合を15日に分けて食べるので要らない」と言えた。「洗剤は要る?」「要る」、「チョコはみんなで分けよう」「ありがとう、これどこのお店のやつ?」「◯◯っていうおいしいお店のやつだよ」、「荷物重いだろうから送って行くよ」「ありがとう」「ちょっとトイレ行きたいから少し待ってて」「わかった」

 

素直になるということ、いらないものはいらないと言う、何かをしてくれたらありがとうと言う。親との距離が近すぎて昔の私ができなかったこと、あらゆる初歩的なコミュニケーションをやっとまともにできた気がした。家に話す人がいるという幸福感があった。みんななんでこんなに優しくしてくれるんだろう?って思った。ただただ私が久しぶりに帰ってきた娘だからという理由だけで親切にしてくれて嬉しかった。良いGWになるといいな、平成最後だし。

THE YELLOW MONKEYを観た

厩務員の伊勢谷はよく私を助手席に乗せて車を走らせてくれた。ときに煙草を吸いながら、ときに私の身体を触りながら、車の運転をしていた。伊勢谷友介に似た目鼻立ちがはっきりしている派手な顔の男だった。彼の大きな身長でも横になれるくらい大きくて広々とした車、釣りをするためだと言っていたがもっぱら女とセックスするための車だった。

 

2016年の9月ごろ、千葉の温泉に連れて行ってもらった際、My Little Loverの『白いカイト』やTHE YELLOW MONKEYの『LOVE LOVE SHOW』を伊勢谷はカーステレオから流していた。伊勢谷は当時35歳で私は22歳だったので、伊勢谷が好んで聞く音楽のその世代観みたいなものはあまりよく分からなかった。ただ私は他人が好んで聞く音楽や映画をとにかく記録して同じように摂取することが趣味なので、家に帰ったあとイエモンを調べてよく聞くようになった。高校生のころに一度『FOUR SEASONS』は聞いてはいたけどイマイチハマらなかったことを思い出す。

 

FOUR SEASONS

FOUR SEASONS

 

 

 

ということでイエモンの世界最速先行試聴会に参加するため日本武道館に行ってきた。桜が満開で、九段下を降りてから桜の門をくぐりつつ辿りついた武道館は、明日も仕事があることを一瞬忘れさせてくれた。

 

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無料のイベントにたまたま当たっただけなので、「世界最速先行試聴会ってなんだよ?謎イベントすぎるだろ」っていうのが正直なところで、ただ大勢の知らない人間と狭くて硬い椅子に座ってCD音源を聞くイベントなんてすごくシュールだなと思っていた。

が、オープニングの映像が流れて真っ白の幕が落ちたと思ったら1曲目からすぐそこに4人がいた。初めてイエモンを見た。試聴会と言いつつガッツリライブやんけ、ライブなのかよ、武道館で無料でライブをやっていただけるのかよ、神か???????となった。

 

ネットでバズってたDHCの速攻ブルーベリーを飲んでおけばよかったが、飲まなくても高身長の4人が最高の演奏をしているのがよく見えて、バックの照明も本当に美しくて、『砂の塔』で真っ赤に染まったり、真っ白になったり、真っ黒になったり、シンプルな光の使い方が彼ら全員の美しさを際立たせている感じがしてとてもよかった。

 

いかんせん世界最速先行試聴会なので、全く聞いたことのない曲ばかりだったけれど、なんとなくで身体を動かしてノッているだけで楽しかった。ただただ試されていた。生で聞かされて何を感じるのか試されていた。曲名がわからない初めて聞く曲の中で、照明の光が曲の世界観を表しているのは明らかで、そのステージ全体を含めてとても美しかったなと思う。

 

いつもライブに行くとアーティストを凝視しては涙を流し、黄色い声で推しの名前を叫ぶというのが多かったけど、メンバーが見ている客席や、照明の様子、映像を撮っているスタッフなど目移りしながらその全体の雰囲気を楽しめたなという印象がある。

 

私は両生類の歌と膨らんで〜膨らんで〜バルンバルーンの歌が好きでした。早くアルバム聴きたい。

 

眞鍋かをりのことをたびたび思い出してニヤついた。吉井和哉、既婚者ってマジかよ。マジ?あの色気の人間が結婚して誰かと生活を営んでいるって現実の話なのかよ、すげーな。

 

 

近年ライブや演劇鑑賞からかなり離れていて、ライブ感をそこまで重視しなくなっていたけど、たまに行くのも良いものだと思った。何より「この仕事が終われば…!」と楽しみをもってして自分を延命させられる、終わったあとも余韻で少しは命が保つ、その感じがよかった。

 

今回は別に重い感情の話とかはなく、ただただイエモンを生でみられてよかったですという話。

 

怒りをすぐに伝えられる人になりたいの話

人生の強度。相手に対して直接怒りをぶつけることができずにヘラヘラと笑っている。そのとき何気なく言ったつもりの自分の言葉がいつの間にかカッターナイフに変わって私の手首はザクザク刻まれていく。

「全然大丈夫ですよ」

反射で言ってはあとから泣いている。謝られたらそれは許すしかなくなる、全然大丈夫ではない、大丈夫ではないがそう言うしかない、不愉快だと伝えたところで状況は何も変わらない。何も変わらないかもしれないが精神衛生的に「は?(死ねば?)」くらい言えるようになれたら私の呪いも10年は保たないだろうと思う。

負の感情を反芻し続けられる特技が金になってほしい。

 

✳︎

金曜日の精神がおしまいになった夜に書いた文章の供養

 

電車で真顔になりながら泣きそうになること、どうして私はあのとき怒れなかったんだ、充電の切れるBluetoothイヤホン、何が「物事には優先順位がありますから」?、大して面白い話をできない自分、「それめっちゃいいですね」、この土日は楽しみな予定があるけど今日やるべきことはたくさんあった、(相手の言葉の類義語を言い直して共感するそぶりを見せる、笑ってるけど果たして楽しいと思ってるのか?、今のうちに洗濯をしないときっと月曜日に生乾きの服を触る羽目になる、笑っておけばいいおざなりなコミュニケーション、感情のやり場がないからとりあえず芽ひじき5gをボウルにいれて戻す、下着を手洗いしたのち洗濯をする、ダンボールのゴミをノーブラ・ノーパン・ファーコートで出しにいく、化粧を落とし風呂に入る、裸のまま動けなくなる、涙は出ないが悲しい気がする、気がするけどここで泣いても何もならない、好きな人は悲しさが続く物語は見ていられないと言っていた、シートマスクをつけてトイストーリー3を見る、おもちゃは怖い、ボディクリームを塗る、ほうれん草を茹でる、坂本真綾の音楽を聴く、油揚げとひじきを炒める、泣きながら歌う、しめじと小松菜を茹でてごま油と醤油で和える、前髪が伸びて前が見えない、先日作ったローストポークを楊枝で食べる、卵2つでオムレツを作る、なくなりかけのケチャップが気の抜けた音を出す、これは私か?私の人生か?人生の強度がないから、自分の意思がないから、適当に生きてるからこんな大してうまくいかない、おおよそ踏み台にされていく人生が?損を受け入れる役回りが?怒りっぽい性格で物事を論理的に考えられず反射や立ち位置で選ぶ言葉を変えていく私が?これからもずっと生き続けるのか?と考え始めると今すぐ死にたくなってしまう。

 

供養終わり ひどい文章。

✳︎

 

「なんで怒ってるのか言えないなら不機嫌になる資格ないよ」と言われて関係性がおしまいになったことがある。

だいたい私の人間関係がおしまいになるパターンはこれで、相手の行動を受けて何かしら自分が明らかに不愉快に感じたときに、あなたのその行動が嫌だったと伝えられず、かといって機嫌よくい続けることもできず、だんまりになって、相手も私が何に対して怒ってるのか分からず、あとからLINEなどでこういう理由で怒ってたごめんと謝って、次からは言うように心がける、とかいう会話になればいい方で、だいたいは別に修復はせずに関係性が終了になる。

 

私の場合、感情が先にくるわりに、何に対して自分が怒ってるのか整理することができず、数時間後にやっと言語化できるようになる。「不愉快になる前に言ってほしい」と言われてもそれができないからだんまりになってしまう、ヘラヘラしながら全然大丈夫ですよと言っている。

 

反射で怒る人よりは波風の立たない人生かもしれないけど、精神衛生は最悪だし、私みたいな人間は他人からナメられがちでつけいる隙が多い。

 

言語化できないなりに「は?」とか「えー?」とか反対の意思を少しでも出せるようになれたらいいなと思う。それめっちゃいいですね、みたいな雑な同調をやめたい。あんまり人との会話において自分の意見とかは発生しないので適当な笑いや同調で誤魔化してしまう。立場で言葉を発している。

「次おいしいごはんを奢ってくださいね」と笑って誤魔化してあとで泣くのをやめたい。

 

 

 

直近だと、中華料理を平気で残しながら「中華は残すのがマナーなんだよ」と金を払えばそれでいいだろと言わんばかりの態度だった人間や、てめえが行きましょうか言い出したわりに30分ほど並んだあとに「男に会いに行くのでキャンセルさせてくれ」と言ってきた人間や、私が支払おうと出したカードを下げさせてまで自分のカードの還元を得ようとしていた人間に対して怒れなかった。弱い。

 

なんならセクハラしてきた同期に対しても直接怒れなかった。さすがにそのときは会社のコンプライアンス部に報告しましたが。

 

 

感情が遅延してくるというか、感情を何かしらの箱に入れたり枠にとどめたりして成形するのがとてつもなく下手。

別に相手に言ったところで何も変わらないだろと思って自分の精神が一生病んでいる。カッとなっているその場で自分が理論的な話ができるわけでもなく、話したとして論破されたらおしまい、そして相手を不愉快にさせるのもなと黙って気を遣っているつもりでめちゃくちゃ自分の感情を察してくれというアピールをしている。面倒くさい人間すぎる。早く人生終わってほしい気持ちが強い。