『アベンジャーズ/エンドゲーム』を観た

社会人3年目になった。最近は精神的に負荷のかかる仕事も増えてきて、色々ヘマをやらかしながらもなんとか働いている。

 

情報処理試験(今年はSCを受験しました)の翌日、数分のスピーチと客先での業務報告をした。

 

頷いてくれる人を見ると安心する。私の話を聞いた上で「わかるわかる」という態度を取ってくれている。そう思わせるためには理論的に誰もが「わかる」話をしなければならないんだけど、そのための準備をすれば緊張しないという学びがあった。準備の前に相手がどんな人であるか、どういうことを知りたがる傾向にある人なのか知る必要がある。

 

仕事、10年以上続いてるプロジェクトで規模が大きいシステムとなると色々理解するまでに時間がかかる。これまでのお客さんとの関係性や経緯を知らないから、ただ事実を知っただけではストーリーとして頭の中でイメージができない。それが最近では段々と人と関わって仲良くなる中で細切れに聞いたエピソードをつなぎ合わせてストーリーとして理解し始めてきた。

 

一年目のときから「何のためにこの作業をしているんだっけ」という目的の振り返りは意識してやってきていて、ずっと作業と目的は近い位置で1対1の関係にあった。それが作業範囲が増えてスキルが上がって他人と仲良くなる中で、作業(とその目的)対プロジェクトの経緯も見えるようになってきた。これは遠い位置で繋がってる。当時は必要だったけど今は必要のない作業、それを減らしていきたい、減らすために交渉をしていきたい。

 

 

このまえ障害が起きたときの話。

 

 

 

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障害や負荷のかかる業務を終えてGWに突入した。『アベンジャーズ/エンドゲーム』を観た。

 

 

IWを見るためにこれまでのマーベル作品を一気に観た人間ですが、エンドゲームをリアルタイムで観れたよかったと思う。シリーズを観る前は「なんかアメリカのヒーローの映画ですよね、やたら作品数の多いアクションムービーですよね、面白いんですか?」って感じだった。でもこれまでの作品を全て観ているからこそ胸が震えるくらい感動するものがあって、作品自体がよかったなというのに加えて製作に関わった人たちの人生を思わずにはいられなかった。

 

観終わったあとに、要素の話で盛り上がるオタク。私は声の大きい人間のことをとても恐ろしい生き物のように感じていますが、さらに要素の話ばかりしているのを聞くとげんなりするというか、ちゃんとお前が感じたことを言語化して聞かせてほしいと思う。私は感情が遅延してくるから会話の中で言いたいことを言えないことが多々あって、あとで脳内ダダ漏れの文章を書くわけですが、要素の話、枠の話ばかりしている、分かるけどね、でもお前はどこで泣いたの?何に感動したの?そういうのをちゃんと聞けるようになりたい。ちゃんと話せるようになりたい。それでお前はどこで泣いたの?

 

 

人と共感しあうためだけに作品を摂取しているのではない。

 

映画の内容としては、私はなんであのとき肩が震えるくらい泣いたんだろう、なんでこのロキのことが好きなんだろう、って考えるほど泣けた。作品自体でもう完結してるわけだからもうあまり言うことがない。ロキとgotgのみんなについてはふせったーで書いたので読んでください。

 

 

 

エンドゲーム見てバレエのレッスン受けて実家に帰った。母親に送り迎えしてもらった。時間がなくてコージーコーナーで適当に買った焼き菓子を申し訳程度のお土産として持っていった。あまりに雑すぎたので次回はちゃんとした手土産を持っていきたい、私の住む街の喫茶店にあるコーヒーはとてもおいしいので珈琲豆を買っていきたい。実家のコーヒーメーカーが新しいのに変わっていたし。

 

夜はカレーをリクエストしたのでカレーを作ってくれていた。カレーの肉、一人で作るときは安い肉を買ってしまうけど、ちゃんとした牛肉を買ったほうがいいという学びがあった。おいしかった。カレー用のお皿があるというのもおいしく食べられる理由の一つなんだと思った。一人暮らしに際してコップを持って行ってしまったので実家には私用のコップがなく、クリスマスのときにシャンメリーを飲む用のグラスで牛乳を飲んだ。ちぐはぐしていた。

 

そのあとクソ寒い夜なのにデザートにハーゲンダッツの紅茶味をみんなで食べた。柳宗理のスプーンで食べるハーゲンダッツはおいしい。妹が「ハーゲンダッツを少し柔らかくして食べる人の神経が理解できない」と言っててよかった。彼女は今年から製菓の専門学生になりました。

 

 

母親からチョコとたけのこご飯をもらい、妹からはディズニー土産のラスクをもらった。洗剤ももらったし、実家、とても豊かであった。父親は相変わらず会話に入らず(入れず)偉そうにしていた。

 

 

私は実家に住んでいたとき精神がおかしくなるくらい親をコントロールしようとしていた。片付けられない母親、家父長制度を未だにやってる父親、服従するしかない母親と私と妹、女であること、二世帯住宅であること、何もかもが地獄でおしまいだった。それなりに豊かで楽しい日々もあったし親に良くしてもらっていたのは確かだけど、あの空間にあの人達と暮らしていたら私は死ぬという確信があった。

 

今回一年ぶりくらいに実家に帰って、しかも一人暮らしを始めてから初めて実家に泊まった。昔の私はあんな薄い布団で寝ていたのかとびっくりした。寒かった。汚い部屋だった。

 

でも一泊二日、時間でいうと14時間くらい滞在して、昔みたいに感情に任せてぶちギレずに、会話ができた。怒らなかった、不快にならなかったというのがどれだけすごいか伝わりづらいだろうけど、すごかった、それは私がエンドゲームを見て消耗してるからという理由もあれど、母親と私で適切に距離が取れたというのが正確な気がする。

 

怒らなかった、食事を終えたあとに「お皿持っていくよ」と奴隷体質の気配りを見せる母親に対して「自分で台所に持って行くからいいです」と言えた。「米要る?」って言われたときに「私は3合を15日に分けて食べるので要らない」と言えた。「洗剤は要る?」「要る」、「チョコはみんなで分けよう」「ありがとう、これどこのお店のやつ?」「◯◯っていうおいしいお店のやつだよ」、「荷物重いだろうから送って行くよ」「ありがとう」「ちょっとトイレ行きたいから少し待ってて」「わかった」

 

素直になるということ、いらないものはいらないと言う、何かをしてくれたらありがとうと言う。親との距離が近すぎて昔の私ができなかったこと、あらゆる初歩的なコミュニケーションをやっとまともにできた気がした。家に話す人がいるという幸福感があった。みんななんでこんなに優しくしてくれるんだろう?って思った。ただただ私が久しぶりに帰ってきた娘だからという理由だけで親切にしてくれて嬉しかった。良いGWになるといいな、平成最後だし。

THE YELLOW MONKEYを観た

厩務員の伊勢谷はよく私を助手席に乗せて車を走らせてくれた。ときに煙草を吸いながら、ときに私の身体を触りながら、車の運転をしていた。伊勢谷友介に似た目鼻立ちがはっきりしている派手な顔の男だった。彼の大きな身長でも横になれるくらい大きくて広々とした車、釣りをするためだと言っていたがもっぱら女とセックスするための車だった。

 

2016年の9月ごろ、千葉の温泉に連れて行ってもらった際、My Little Loverの『白いカイト』やTHE YELLOW MONKEYの『LOVE LOVE SHOW』を伊勢谷はカーステレオから流していた。伊勢谷は当時35歳で私は22歳だったので、伊勢谷が好んで聞く音楽のその世代観みたいなものはあまりよく分からなかった。ただ私は他人が好んで聞く音楽や映画をとにかく記録して同じように摂取することが趣味なので、家に帰ったあとイエモンを調べてよく聞くようになった。高校生のころに一度『FOUR SEASONS』は聞いてはいたけどイマイチハマらなかったことを思い出す。

 

FOUR SEASONS

FOUR SEASONS

 

 

 

ということでイエモンの世界最速先行試聴会に参加するため日本武道館に行ってきた。桜が満開で、九段下を降りてから桜の門をくぐりつつ辿りついた武道館は、明日も仕事があることを一瞬忘れさせてくれた。

 

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無料のイベントにたまたま当たっただけなので、「世界最速先行試聴会ってなんだよ?謎イベントすぎるだろ」っていうのが正直なところで、ただ大勢の知らない人間と狭くて硬い椅子に座ってCD音源を聞くイベントなんてすごくシュールだなと思っていた。

が、オープニングの映像が流れて真っ白の幕が落ちたと思ったら1曲目からすぐそこに4人がいた。初めてイエモンを見た。試聴会と言いつつガッツリライブやんけ、ライブなのかよ、武道館で無料でライブをやっていただけるのかよ、神か???????となった。

 

ネットでバズってたDHCの速攻ブルーベリーを飲んでおけばよかったが、飲まなくても高身長の4人が最高の演奏をしているのがよく見えて、バックの照明も本当に美しくて、『砂の塔』で真っ赤に染まったり、真っ白になったり、真っ黒になったり、シンプルな光の使い方が彼ら全員の美しさを際立たせている感じがしてとてもよかった。

 

いかんせん世界最速先行試聴会なので、全く聞いたことのない曲ばかりだったけれど、なんとなくで身体を動かしてノッているだけで楽しかった。ただただ試されていた。生で聞かされて何を感じるのか試されていた。曲名がわからない初めて聞く曲の中で、照明の光が曲の世界観を表しているのは明らかで、そのステージ全体を含めてとても美しかったなと思う。

 

いつもライブに行くとアーティストを凝視しては涙を流し、黄色い声で推しの名前を叫ぶというのが多かったけど、メンバーが見ている客席や、照明の様子、映像を撮っているスタッフなど目移りしながらその全体の雰囲気を楽しめたなという印象がある。

 

私は両生類の歌と膨らんで〜膨らんで〜バルンバルーンの歌が好きでした。早くアルバム聴きたい。

 

眞鍋かをりのことをたびたび思い出してニヤついた。吉井和哉、既婚者ってマジかよ。マジ?あの色気の人間が結婚して誰かと生活を営んでいるって現実の話なのかよ、すげーな。

 

 

近年ライブや演劇鑑賞からかなり離れていて、ライブ感をそこまで重視しなくなっていたけど、たまに行くのも良いものだと思った。何より「この仕事が終われば…!」と楽しみをもってして自分を延命させられる、終わったあとも余韻で少しは命が保つ、その感じがよかった。

 

今回は別に重い感情の話とかはなく、ただただイエモンを生でみられてよかったですという話。

 

怒りをすぐに伝えられる人になりたいの話

人生の強度。相手に対して直接怒りをぶつけることができずにヘラヘラと笑っている。そのとき何気なく言ったつもりの自分の言葉がいつの間にかカッターナイフに変わって私の手首はザクザク刻まれていく。

「全然大丈夫ですよ」

反射で言ってはあとから泣いている。謝られたらそれは許すしかなくなる、全然大丈夫ではない、大丈夫ではないがそう言うしかない、不愉快だと伝えたところで状況は何も変わらない。何も変わらないかもしれないが精神衛生的に「は?(死ねば?)」くらい言えるようになれたら私の呪いも10年は保たないだろうと思う。

負の感情を反芻し続けられる特技が金になってほしい。

 

✳︎

金曜日の精神がおしまいになった夜に書いた文章の供養

 

電車で真顔になりながら泣きそうになること、どうして私はあのとき怒れなかったんだ、充電の切れるBluetoothイヤホン、何が「物事には優先順位がありますから」?、大して面白い話をできない自分、「それめっちゃいいですね」、この土日は楽しみな予定があるけど今日やるべきことはたくさんあった、(相手の言葉の類義語を言い直して共感するそぶりを見せる、笑ってるけど果たして楽しいと思ってるのか?、今のうちに洗濯をしないときっと月曜日に生乾きの服を触る羽目になる、笑っておけばいいおざなりなコミュニケーション、感情のやり場がないからとりあえず芽ひじき5gをボウルにいれて戻す、下着を手洗いしたのち洗濯をする、ダンボールのゴミをノーブラ・ノーパン・ファーコートで出しにいく、化粧を落とし風呂に入る、裸のまま動けなくなる、涙は出ないが悲しい気がする、気がするけどここで泣いても何もならない、好きな人は悲しさが続く物語は見ていられないと言っていた、シートマスクをつけてトイストーリー3を見る、おもちゃは怖い、ボディクリームを塗る、ほうれん草を茹でる、坂本真綾の音楽を聴く、油揚げとひじきを炒める、泣きながら歌う、しめじと小松菜を茹でてごま油と醤油で和える、前髪が伸びて前が見えない、先日作ったローストポークを楊枝で食べる、卵2つでオムレツを作る、なくなりかけのケチャップが気の抜けた音を出す、これは私か?私の人生か?人生の強度がないから、自分の意思がないから、適当に生きてるからこんな大してうまくいかない、おおよそ踏み台にされていく人生が?損を受け入れる役回りが?怒りっぽい性格で物事を論理的に考えられず反射や立ち位置で選ぶ言葉を変えていく私が?これからもずっと生き続けるのか?と考え始めると今すぐ死にたくなってしまう。

 

供養終わり ひどい文章。

✳︎

 

「なんで怒ってるのか言えないなら不機嫌になる資格ないよ」と言われて関係性がおしまいになったことがある。

だいたい私の人間関係がおしまいになるパターンはこれで、相手の行動を受けて何かしら自分が明らかに不愉快に感じたときに、あなたのその行動が嫌だったと伝えられず、かといって機嫌よくい続けることもできず、だんまりになって、相手も私が何に対して怒ってるのか分からず、あとからLINEなどでこういう理由で怒ってたごめんと謝って、次からは言うように心がける、とかいう会話になればいい方で、だいたいは別に修復はせずに関係性が終了になる。

 

私の場合、感情が先にくるわりに、何に対して自分が怒ってるのか整理することができず、数時間後にやっと言語化できるようになる。「不愉快になる前に言ってほしい」と言われてもそれができないからだんまりになってしまう、ヘラヘラしながら全然大丈夫ですよと言っている。

 

反射で怒る人よりは波風の立たない人生かもしれないけど、精神衛生は最悪だし、私みたいな人間は他人からナメられがちでつけいる隙が多い。

 

言語化できないなりに「は?」とか「えー?」とか反対の意思を少しでも出せるようになれたらいいなと思う。それめっちゃいいですね、みたいな雑な同調をやめたい。あんまり人との会話において自分の意見とかは発生しないので適当な笑いや同調で誤魔化してしまう。立場で言葉を発している。

「次おいしいごはんを奢ってくださいね」と笑って誤魔化してあとで泣くのをやめたい。

 

 

 

直近だと、中華料理を平気で残しながら「中華は残すのがマナーなんだよ」と金を払えばそれでいいだろと言わんばかりの態度だった人間や、てめえが行きましょうか言い出したわりに30分ほど並んだあとに「男に会いに行くのでキャンセルさせてくれ」と言ってきた人間や、私が支払おうと出したカードを下げさせてまで自分のカードの還元を得ようとしていた人間に対して怒れなかった。弱い。

 

なんならセクハラしてきた同期に対しても直接怒れなかった。さすがにそのときは会社のコンプライアンス部に報告しましたが。

 

 

感情が遅延してくるというか、感情を何かしらの箱に入れたり枠にとどめたりして成形するのがとてつもなく下手。

別に相手に言ったところで何も変わらないだろと思って自分の精神が一生病んでいる。カッとなっているその場で自分が理論的な話ができるわけでもなく、話したとして論破されたらおしまい、そして相手を不愉快にさせるのもなと黙って気を遣っているつもりでめちゃくちゃ自分の感情を察してくれというアピールをしている。面倒くさい人間すぎる。早く人生終わってほしい気持ちが強い。

 

 

『キャプテン・マーベル』を観た

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木曜日の祝日はなかなか不思議な感じがする。明日会社に行くだけでまた休み。同じチームのメンバー2人は有給を取り4連休にするそうだ。私は先日ディズニーランドに行くため有給を使ったので休まない。とりあえず明日は物理的に出社はする。精神は布団に置いていく。

 

今年に入ってから仲良くしている岸くん(仮名)というひとがいる。今日はその岸くんと遊ぶ予定だったのだけれど諸事情あって会えなくなった。もとから映画を観る予定だったので、あらかじめ席は予約していた。発券するときは二枚出てきた。見終わった今も切られていないチケットが手元にある。これはどうしたらいいんだろうか、彼に何も言わずに手渡すのは嫌がらせっぽいし、半券は取っておくたちの私はきっとすぐには捨てられない。次おいしいご飯に連れて行ってね、のチケットとして持っておこうかなと思う。

 

109シネマズの会員なので早めに予約をすればリクライニング付きの座席で見ることもできるのだけれど、祝日ということもあってか予約開始日の朝にはもう埋まっていた。「リクライニング付きの座席に岸くんを座らせてあげたかった!だからTodoistにも入れておいたのに!わすれてた!はやく座席予約しなきゃ!」と思い出した通勤途中の朝、エスカレーターに乗りながら手早くスマホで2席えらぶ。大抵1人でレイトショーに行くので、不思議な感じだった。

 

リクライニング付きシート近くのど真ん中、かつて好きだったひとと映画に行くときは向こうが予約してくれて偶数の席のチケットを渡してくれた。なぜか彼がえらぶ偶数の席はとても見やすい場所で「おれは奇数が好きだから」とよく分からないことを言っていたが彼なりの配慮がとても好きだった。

 

 

本来であれば岸くんには偶数の席を渡すつもりでいた、ど真ん中の席だから見やすいだろうと思って、私がかつてそうしてもらったように岸くんにも同じことをしたかった。でも来れなくなってしまったので私は奇数の席で映画を観た。

 

祝日のため人が多い映画館で私の隣だけが空席のような気がして寂しい。「ちゃんとマーベルの過去作予習してね」と言うと「別に予習しなくても面白く見られるようにできてるでしよ」と返されて、「そうだろうけど予習したほうがもっと面白いから!マイティ・ソーとかGotG見て!」と絶対に『キャプテン・マーベル』を観るにあたりマイティ・ソーやGotGは見なくてもいいと観る前から明らかに分かっていたことだがロキ推しの女オタクなので言っていた。

私はオタク気質ではない人のことを好きになることが多い。良い作品に出会ったらスタッフを調べたりキャストの過去作を見たりバラエティにゲスト出演してるときの動画を見まくったりしない、詳しくなくてもいい、沼にハマることのないさっぱりした人が好きだ。私がオタク気質なのでバランスは取れていると思う。

 

それで『キャプテン・マーベル』の話。

(ネタバレ含む)

 

 

力強い映画だったなと思う。女が元気を出すための映画として『プラダを着た悪魔』とか『ホリデイ』とかってよくピックアップされるとは思うんだけど、そういうのじゃなくて、過去にとらわれず、社会にとらわれず、他人の目にとらわれず、自分の足でしっかり立たなければならない、あんたには立派な足がついてるじゃないか(©️荒川弘鋼の錬金術師』)という感じで、私は観たあとものすごく元気になりました。今日は風は強いものの春っぽかったのでライダースジャケットを着て外に出たのだけれど、それも相まって「私は今無敵だ!強い!!」と拳を握りしめてガシガシ街を歩いた。最高かよ。『オーシャンズ8』を観たときは颯爽と街を闊歩して髪をサラッとやって目線を投げてはニヤっと笑う、みたいな感じだったけど、今日はもう完全に無敵だった。

 

女のエンパワメントの物語、私は誰にも左右されず自分の人生について自分で決める、やりたいことをやる、正しいと思った道を選ぶ、決して「やりたいことをやってもいいんだ、行きたい方向へ進んでいいんだと分かった」という他人からの承認に基づいた理解ではなくて、誰にも左右されずにやりたいことをやるぞ!!!!という映画だったような気がする。主役のブリー・ラーソン、意思に基づいた目をしていて格好いい。

 

GotG、特にvol.2が好きなので、同じ船に乗り込めば人種や性別は何も関係なくみな家族であると言わんばかりの他人同士の関係性が深まるシーンにとても弱い。

 

 

相手の事情も何もかもを知らないから戦争になってしまう、だけどひとつでも知ることがあれば歩み寄れる余地があるのだとわかる、他人のことを完璧に理解することはできないけど、理解できないなりに理解し合おうとし続けたい、そうやって生きていきたいと思う。チートの主人公とその周りにいる人々が分かりきったことを何度も何度も力強く伝えてくれた。

 

アベンジャーズ/エンドゲーム』を控えている中、『キャプテン・マーベル』を見ないと次の展開がわからなくなるか?というと別にそんなことはないのだけれど、フューリー(本作はCGの若返りメイクがすごかった)の背景にあるものとか、これからキャロルは出てきてまたチートになるのかな?とか色々楽しみは増えた気がする。なぜなら前作の『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』は鬱エンドだったから。希望が少しでも見えるだけでいくらか心が軽くなる。祝日の木曜、人が多い中で観たということも含めて良かったなという感想です。

 

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強風のなか桜が咲いていました。

 

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映画を観たあとガシガシと力強く歩きながらお気に入りの喫茶店に行って、フレジエとコスタリカをいただきました。コスタリカ、初めて飲んだ気がするけどすっきりして大人っぽい味だった。マンデリンとかエチオピアとかコロンビアを飲みがちだけど、いちごの甘酸っぱさやケーキ自体の甘さととてもマッチしていた。そしてなんといっても初めて出してもらったカップ!この喫茶店には色々な種類のカップがあって来るたびにどのような模様のカップが運ばれてくるのか楽しみなのだけれどはじめてのやつ!カエルの!カエルが!かわいい!!

 

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岸くんの誕生日が近くあるので、この大好きな喫茶店でケーキを予約してもいいなと画策中。

 

最近精神に余裕があるので本を読んだり勉強したりしている。この調子で2019年度を迎えたいです。おわり。

好きな人と付き合ってなかった

今年に入って「私たちの関係性のステータスは何ですか?」と確認作業をしたところ、私は好きな人と付き合ってなかったことが判明した。

 

やっぱりな、という気持ちが半分くらいあった。事実インターネットで好きな人の話をするときは"好きな人"と書いていて、恋人とは一度たりとも言ったことがない。頭の中では分かっていた、明確にした途端に大量の血が出た。

「既婚者じゃないですよね?」「恋人いるわけじゃないですよね?」「私はあなたとの関係をセフレ関係だとは思っていないですよ」と折を見て石橋を叩くように確認作業をしていたけれど、やっぱり付き合っていなかった。

 

 

 

この記事でも書いたけど、幼馴染に「お前は自ら幸せになろうとしていない、大事にされようとしていない」と言われたことをきっかけに自分で幸せは掴みにいかなければならないのかと思い、確認作業をしたところ結局好きな人とはおしまいになったのでした。

 

米津玄師の『LOSER』という曲に、「愛されたいならそう言おうぜ」という歌詞があり、それに励まされていたが、返信が来てからはこの曲を聴けなくなった。

 

前から私が好きと言えば向こうはあえて「大事に思ってる」と言葉を選んで返してきていた。好きな人が証拠となる言葉を残さないよう慎重に選んでいることを私は知っていた。

 

急に人との縁が切れること、急に誰かと会えなくなることが怖いと泣いたことがあり、そのときに初めて素顔を見た気がすると言われた。セフレでもなんでもいいから、急に連絡が取れなくなったり会えなくなるのは勘弁してくれとずっと前から伝えていた。好きな人は優しい目をしていたがどこか他人事のような、その気持ちは理解できないというような様子で私の頭を撫でていた。

 

幼馴染にこういうことを言われたんだよと先の話をしたところ、向こうから「都合よく使ってるつもりはないけどな」と返され、その会話の次の次くらいで「私たちの関係性のステータスは何ですか?」と聞いた。

一緒にご飯を食べる、映画を見る、水族館に行く、手を繋ぐ、キスをする、セックスをする、一緒に眠る、一緒に出勤する、そういうことを繰り返しても私たちの関係性には特に名前がなかった。たしかに仕事が忙しくて2週間に1度、1ヶ月に1度しか会えないときもあったが基本的に毎日連絡は取り合っていたように思う。頻度が障壁というわけではない。

 

「付き合うとなったらもっとちゃんとしなきゃいけないし、今は仕事が忙しいし、転勤するかもしれないから付き合うのは正直厳しいと思う。曖昧なままがダメなら距離を置いたほうがいいと思う」というメッセージを何度も読み返した。転勤の話など聞いたことがなく、仕事が忙しいからというのも理由にならない、ようはお前がどうしたいのか、ただそれだけだろという気持ちだった。お前はお前の人生をどうしたいんだよ。ちゃんと自分の口で話せよ。

都合よく使ってるつもりがないと言うその口で、私のことを甘やかして抱くくせに、ずるくないですか?みたいなことを感情に任せて伝えたとして、返信が来るのは一週間もあとのことだった。名前のない関係性があって、そこには付き合ってもいないがセックスはする、セフレではない他人と手を繋ぎデートをするという行為が積み込まれていても何も不思議ではないのに、名前のある関係性そのものに縛られまくっている。

「毎回会うのは楽しくて、決めなくてはと思ってはいたけどズルズルとここまで来てしまった、都合よく使うというのならここでも"付き合ってるよ"と言う」と、自分が誠実に考えた結果がこれだと示されてしまうと、その答えもなんとも好きな人らしくて、やっぱ好きだな〜と思った。

 

おすすめの映画として『リトル・ミス・サンシャイン』を挙げるところや、自分の快適さのためにはお金を惜しまない、たとえば満員電車が嫌だからロマンスカーやタクシーを使うようなところ、ご飯を作っているところを見るのが好きでカウンター席を予約するところ、私がお酒を飲めない一方で好きな人は日本酒が好きで日本酒がたくさんあるような居酒屋や割烹料理屋に連れていってくれたこと、自分のことが一番に好きで大事なんだということを隠さず、自分は人が嫌いだということも隠さないところが好きだった。

 

好きでした。過去形にして無理やりせりふを終わらせればやっと、エンドロールが始まってくれる。

 

朝井リョウの『少女は卒業しない』からの引用。無理やり過去形にしないと好意が執着に変容して自分の人生がまたおかしくなる。

 

このまえの夏のことを思い出す。

私のバレエの発表会に誘ったところ最初は行くと言っていたのに急な会議が入って来れなくなったと言われたことがあった。やっぱり来ないな、という、その『やっぱり』という気持ちをあのときから抱いていた。「今度埋め合わせしてね」と言っても、別に好きな人は仕事が好きで、仕事をしている自分のことが好きで、有給を使って人混みの多いディズニーランドに行ってくれないであろうことは分かっていた。私ではなく私の友達が怒ってくれたのは本当に救われる思いだった。

 

「関係性は曖昧なままのほうが楽しいですよ」とインターネットの人に言われて、そうだよね、とも思っていたんだけど、幼馴染の言葉に背中を押される形で行動してよかったかなと思う。時間を無駄にせず生きたほうがいい、結果的にステータスを聞いてよかったなという気持ちがある。  

 

好きな人にはお菓子ばかり食べてないで野菜をちゃんと食べなさいと口うるさく言われていた。野菜を食べたと報告すると褒めてくれるのが嬉しくて野菜を摂るようになった。好きな人は料理をする人だったし、私も日頃からお弁当を持って会社に行き、人並みに料理をするので誕生日プレゼントとして高級なオリーブオイルをもらった。昨日はそのオリーブオイル使ってパスタを作った。イギリス土産でもらった紅茶、中国土産でもらったハンドクリーム、まだ全然残ってるけど私はふつうにそれらをこれからも使うのだと思う。一生なくならなければいいのにな、と思いながら使う。

 

好きな人と出会えてよかったという気持ちしかないし、まあまたどこかで会えたらいいなと思うし、勝手に幸せになってくれよと思う。

 

 

これに尽きる。既婚者のことが好きだったときは今よりもっと自分を都合よく他人に使わせて消費されていたし、好きすぎて会話とかセックスとかも録音してた。そういうことがなくなったのだから随分な進歩だと思う。

 

とはいえ私はまだ冷静さを欠いている状態で、度々思い出して心臓がグッと掴まれてしんどいときもありますので、皆様におかれましてはこの件に関してマジレスや慰めなどはしないでください。ただ私をどこか遊びなりなんなり外へ連れ出していただければと思います。

私はつぎの日曜日に人と山に行く!

それをすごく楽しみにして生きてる。

友人

先週はずっと死にたかった。ODの方法を調べていた。薬を何錠飲めば死ねるのか、どの薬であれば手っ取り早く入手できるのか調べていた。また、ひたすらに映画や音楽を摂取して自分に関係のないことを考えていないと、自分の人生がバグっていることに向き合わなければならなくて、そんなこと無理で、今すぐ自殺したくて仕方なくて、休日出勤の翌日の月曜日は朝起きた瞬間に『もう今日は会社に行けないな』ということが分かってじゃがりこを食事としてベッドの上で過ごした。毎日泣いて過ごした結果目が腫れて二重幅が過去最高記録を更新し、アイシャドウがよく映える当社比2割増し程度の容姿となった。

 

 

晦日に小学生のころからの幼馴染が家に来て、一緒に紅白を始めとした年越し番組を見ていた。彼女からは「お前は自ら幸せになろうとしていない、大事にされようとしていない」と言われて確かに昔から自分を安売りしてきたと思うし、私が何か自らつらい思いをしにいくたび心配をされている。幼馴染である彼女は同棲をするべく関西へ行ってしまった、もうなかなか会うことはできない、その気になれば会えるしインターネットにいるからそこまで心配ではないけど、気軽に会える友人が減るというのは、なんというか、話し相手が減るということは、私のために怒ってくれる人がいなくなるということは、毎年美しい花を手にバレエの発表会に来てくれる彼女の存在は、いかに大切であるか、今さら痛感するのでした。幸せになってほしい。

 

そして、私はというと自ら幸せになろうとアクションを起こした結果、急につらくなってしまった。これだから幸せになろうとするのは怖い。自分を安売りしたほうが寂しかったりつらい思いをすることがない、なぜなら自分を安売りしたのは自分だからと納得させられるから、それでよかったし、そういうふうに生きていく予定だった。魔が差した。幸せになれるとでも思っていたのか。

文章そのものが感傷的すぎる。

 

 

ありがたい。直近で会っていただいたすもとさん、ゆずこさん、ぱじゃまじぇーぴーさん、ありがとうございました。

 

 

将来のことを考えると本当に怖くなる。このままずっと働き続けるのかと思うと目眩がする。あまりに長すぎる。お金だけがほしい。そのお金を使って何をしたいか具体的にやりたいことがあるわけではないが、お金をたくさん持っていることで安心したい。

 

***

 

 

ぱじゃまじぇーぴーさんには会って話したいことがあった。自分のことを話して聞いてもらわないとおかしくなってしまいそうだった。これまで電車に乗ったりケーキを食べたり映画を見たりバレエを観にきてもらったり何回か会ったことはあるけど、面と向かってまともに話したのは初めてだった。インターネット越しではないコミュニケーションだった。

 

 

店では人生に焦ってる女が男のつまらない話を聞いて大袈裟にリアクションをしていた。身体を前のめりにしたり、首を斜めに傾けてみたり、反応のバリエーションがやけに多い、私もそういうテクニックは習得したいけどどこで覚えるんだろう、モチベーションは?セックス?徳を積めば人生報われるの精神で女としての媚びを覚えるの?、男のオナニーを補助する役割、相手に気持ちよくなってもらうためのポーズ、中身のない会話、冷めていく食事、一ミリも動かないその前髪はケープで固めすぎていて、あえて身体のラインと胸に視線が誘導されるような仕組みになっている。仕組みづくりって大事だよね、仕事も何事もそう。

ぱじゃまじぇーぴーさんがその男女に視線をやっている様子、表情や態度に感情があらわれている様子がめちゃくちゃよかった。すごく楽しかったな、特にご飯はおいしいわけではなかったけど、みんな恋愛とかセックスとか妊娠とか出産とかで駆動している、社会に毒されすぎて自分自身の意思って本当にあるのかな、結婚して出産することこそが女の一番の幸せ!みたいな人間がまだこの世に生存していることに本当に驚く。社会圧に気が狂いそうになるときもあるけど、私はただ漠然と生きていて、今日この日が平穏に終わればいい、この一週間平和に過ごせればいいとだけ思っているし、死にたいくせに会社に行って仕事だけはした。

 

 

人との縁が切れることに関して異様に恐怖を感じるこの執着というものは、いずれ衰えていくのかな。それまでは感情の赴くままに、あなたと会えなくなるのが物凄く怖いんですということを感じていいし伝えてもいいのかもしれない。

 

 

インターネットの人と会ったり、久しぶりの研修で会社の同期と会って話すだけでかなり精神が復活した。私に必要なのは恋人でもセフレでもなく友人なのでは?と気づきつつある。

感情の露出度

一人暮らしを始めたのは2017年の夏のことだった。22歳で始めた生活も今はなんとなくちゃんとしている風で、実際はちゃんとしていないことも多くあるのだけれど、お弁当をほとんど毎日作って出勤していることと週1ペースでバレエを続けていることだけはえらいと思う、よく頑張っている。その調子で。

年末年始は特に理由もなく悲しくなり泣いて過ごしていた。大晦日、私の家で紅白とジャニーズカウントダウンを小学校のころからの幼馴染と見たこと、ジャニーズWESTのライブに行ったこと、それだけが唯一充実した出来事だった。泣き腫らした目で化粧をしたところここ最近で一番の二重幅を記録し、顔がうつくしく作れた、嬉しかった。

一人暮らしを始めて2度目のお正月、今年も実家には帰らなかった。母からは年賀状が届いていた。

 

感情の露出度について

 

私は実家にいた頃、テレビを見ながら笑っては「うるさい」と言われ、泣いては「鬱陶しい」と言われ、怒ってはそれ以上の怒りを持ってして大声で殴られてきた。だから家では極力感情は出さず、インターネットに吐き出してきた。もちろん友人としょうもない話をして声を出して笑うこともあるし、映画館で感動すれば涙を流すし、正しく感情は私の身体に備わってはいるのだけれど、家では、親のいるところではあまり感情を見せないようにしていた。

併せて自分の意見も基本的には否定的、というか何を言っても届かない節があったので、一人で自己完結できる欲求は自分で処理するとして、親にやってもらいたいことは言い出せないことのほうが多かった。

 

一人暮らしを始めるにあたって各種家電を買うため家電量販店に行くときにどういう経緯で忘れたけど母親が一緒に来た。(なんかこういうの最後だし家電選んだあとご飯でも行くか的なノリで声をかけたんだと思う)。

商品を選び、じゃあ発送日やオプション、金額について話しましょうという流れになったとき、店員にすぐさま「値引きしてくれればねえ」と母親が口にした。私の過去の経験上、ある程度店員との会話を持って、お店側が利益を出さなければいけないのは百も承知で自分にはこういう事情があって家電をまとめて買うので少しでいいから値引きしてほしい、みたいたな、こう、流れが必要だと思っていて、それを母親が急にメチャクチャに壊すからその場で泣き出しそうになったことがあった。お金を出すのはお前じゃない、私が払う、なぜなら私の生活に必要な家電だから、なのにどうして付き添いで来た母親が値引きをクソなタイミングで言い出してその場をぶっ壊すんだよと思って気が狂いそうになった。これも最後、きっと数年後に懐かしく思う日が来るかもしれないと思ったけどブログに書いてる今も全然普通に懐かしさよりも怒りが出てくる。親への期待値が高すぎるからいけないんだ、あらかじめこういうことは言わないでくれと伝えてなかった私が悪いから仕方がないと思った。

 

遡って大学生時代。

私の自室にはドアがなかった。自殺防止のため、自室にはドアがなかった。しかもその部屋の広さが学習机と布団とキーボード(昔ピアノを習っていた)をいれたらもう何も入らないし足の踏み場もないような広さだった。なので私は布団で化粧をするしご飯を食べる、階段がすぐ隣にあるドアのない自室で、死なないか時折部屋を覗かれながら、曇りガラスでエアコンとドアのない部屋で生きていた。夏は尋常ではなく暑く熱中症になるため、寝る前はグラスに氷をたくさんいれて眠りにつくまで氷を噛んで保冷剤を手に持っていた。それでも頭が痛くなる、体調がおかしくなる、これでは学業に支障を来すというか普通に生命の危険がある、だからエアコンをつけてほしい、そう意見を伝えても別に何も改善はされなかった。左手に学習机、右手にキーボード、その間に敷かれた布団、転がると机とキーボードに見下ろされてひどく息が苦しい、曇りガラスで外の様子も見えない、なのにドアがないから家族という他人から死んでないか確認される。親が勝手にセックスして生まれてきた人間だけど、一応心臓は動いてるし熱中症で体調が悪いのに状況が改善せずとも何か声をかけてくれてもいいようなものを特に何もなかったので死んでもいいと思ってる節がある。それはどうかな。

 

なんだこの2つのエピソード。善処しましょう。

 

感情の露出度が高い人間を見ると、恵まれた環境のもとで育ったんだなと思う。感情を露出しても受け止めてくれる人間がすぐそばにいたこと、それは代えの利かない幸福だし、私だってたしかに感情を出せる外の人間関係だってあったけど、それでも、何かしらの感情を抱くことを否定されたこと(まだ思ったことを口にするな、は理解できるけど)、そう感じることはおかしいんだからやめろ、その感情は間違っている、間違った感情を抱くお前はおかしい、みたいなそういう当たり方を、大声で怒鳴られたことなんてないだろと思う。親がもういいと言うまで何時間も正座させられて、自分は悪くないのに土下座させられて、ティッシュの箱を投げつけられて、そういうことの一つ一つが私の感情の露出度を下げていった。

 

感情を出して良いことなんか何一つなかった。

 

今になって他人から「お前は何を考えているのか分からない、口にしないと伝わらないんだから口にしろ、私はちゃんと口にしたよね?」みたいな怒られ方をした。

分かる、分かるよ言いたいことは、口にしてないのに分かってもらおうなんざ思ってないし、口にしたところで分かってもらえるとも思ってないけど、そういう強要のさせられ方というか、そういう言い方というか、これまで露出度を下げていたのに無理やり上げろと言われても無理な話で、というか私は普通に感情や自分の意見を出してるつもりなのですが…みたいになって困る。

最近私が何か口に出せないせいで人間関係が壊れ出しているが、まあ一生のうちにそういう時期もあるでしょうと思っている。人間関係は誰が悪いとかではなく服のサイズが合わなくなるように自然と合わなくなるときがくる。それが今というだけの話、ただもう少し露出度あげられたらいいなとは思うけど、少しずつ。

 

そういえば好きな人から「最初は何考えてるか分からなかったけど、最近分かってきた、感情が滲み出てるよね」と言われて嬉しかった。

少なくともインターネットに散々感情は書いてきたわけだし、適切に感情は組み込まれているのでそう言われてすごく嬉しかった。

私にも感情はあります。