友人

先週はずっと死にたかった。ODの方法を調べていた。薬を何錠飲めば死ねるのか、どの薬であれば手っ取り早く入手できるのか調べていた。また、ひたすらに映画や音楽を摂取して自分に関係のないことを考えていないと、自分の人生がバグっていることに向き合わなければならなくて、そんなこと無理で、今すぐ自殺したくて仕方なくて、休日出勤の翌日の月曜日は朝起きた瞬間に『もう今日は会社に行けないな』ということが分かってじゃがりこを食事としてベッドの上で過ごした。毎日泣いて過ごした結果目が腫れて二重幅が過去最高記録を更新し、アイシャドウがよく映える当社比2割増し程度の容姿となった。

 

 

晦日に小学生のころからの幼馴染が家に来て、一緒に紅白を始めとした年越し番組を見ていた。彼女からは「お前は自ら幸せになろうとしていない、大事にされようとしていない」と言われて確かに昔から自分を安売りしてきたと思うし、私が何か自らつらい思いをしにいくたび心配をされている。幼馴染である彼女は同棲をするべく関西へ行ってしまった、もうなかなか会うことはできない、その気になれば会えるしインターネットにいるからそこまで心配ではないけど、気軽に会える友人が減るというのは、なんというか、話し相手が減るということは、私のために怒ってくれる人がいなくなるということは、毎年美しい花を手にバレエの発表会に来てくれる彼女の存在は、いかに大切であるか、今さら痛感するのでした。幸せになってほしい。

 

そして、私はというと自ら幸せになろうとアクションを起こした結果、急につらくなってしまった。これだから幸せになろうとするのは怖い。自分を安売りしたほうが寂しかったりつらい思いをすることがない、なぜなら自分を安売りしたのは自分だからと納得させられるから、それでよかったし、そういうふうに生きていく予定だった。魔が差した。幸せになれるとでも思っていたのか。

文章そのものが感傷的すぎる。

 

 

ありがたい。直近で会っていただいたすもとさん、ゆずこさん、ぱじゃまじぇーぴーさん、ありがとうございました。

 

 

将来のことを考えると本当に怖くなる。このままずっと働き続けるのかと思うと目眩がする。あまりに長すぎる。お金だけがほしい。そのお金を使って何をしたいか具体的にやりたいことがあるわけではないが、お金をたくさん持っていることで安心したい。

 

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ぱじゃまじぇーぴーさんには会って話したいことがあった。自分のことを話して聞いてもらわないとおかしくなってしまいそうだった。これまで電車に乗ったりケーキを食べたり映画を見たりバレエを観にきてもらったり何回か会ったことはあるけど、面と向かってまともに話したのは初めてだった。インターネット越しではないコミュニケーションだった。

 

 

店では人生に焦ってる女が男のつまらない話を聞いて大袈裟にリアクションをしていた。身体を前のめりにしたり、首を斜めに傾けてみたり、反応のバリエーションがやけに多い、私もそういうテクニックは習得したいけどどこで覚えるんだろう、モチベーションは?セックス?徳を積めば人生報われるの精神で女としての媚びを覚えるの?、男のオナニーを補助する役割、相手に気持ちよくなってもらうためのポーズ、中身のない会話、冷めていく食事、一ミリも動かないその前髪はケープで固めすぎていて、あえて身体のラインと胸に視線が誘導されるような仕組みになっている。仕組みづくりって大事だよね、仕事も何事もそう。

ぱじゃまじぇーぴーさんがその男女に視線をやっている様子、表情や態度に感情があらわれている様子がめちゃくちゃよかった。すごく楽しかったな、特にご飯はおいしいわけではなかったけど、みんな恋愛とかセックスとか妊娠とか出産とかで駆動している、社会に毒されすぎて自分自身の意思って本当にあるのかな、結婚して出産することこそが女の一番の幸せ!みたいな人間がまだこの世に生存していることに本当に驚く。社会圧に気が狂いそうになるときもあるけど、私はただ漠然と生きていて、今日この日が平穏に終わればいい、この一週間平和に過ごせればいいとだけ思っているし、死にたいくせに会社に行って仕事だけはした。

 

 

人との縁が切れることに関して異様に恐怖を感じるこの執着というものは、いずれ衰えていくのかな。それまでは感情の赴くままに、あなたと会えなくなるのが物凄く怖いんですということを感じていいし伝えてもいいのかもしれない。

 

 

インターネットの人と会ったり、久しぶりの研修で会社の同期と会って話すだけでかなり精神が復活した。私に必要なのは恋人でもセフレでもなく友人なのでは?と気づきつつある。