感情の露出度

一人暮らしを始めたのは2017年の夏のことだった。22歳で始めた生活も今はなんとなくちゃんとしている風で、実際はちゃんとしていないことも多くあるのだけれど、お弁当をほとんど毎日作って出勤していることと週1ペースでバレエを続けていることだけはえらいと思う、よく頑張っている。その調子で。

年末年始は特に理由もなく悲しくなり泣いて過ごしていた。大晦日、私の家で紅白とジャニーズカウントダウンを小学校のころからの幼馴染と見たこと、ジャニーズWESTのライブに行ったこと、それだけが唯一充実した出来事だった。泣き腫らした目で化粧をしたところここ最近で一番の二重幅を記録し、顔がうつくしく作れた、嬉しかった。

一人暮らしを始めて2度目のお正月、今年も実家には帰らなかった。母からは年賀状が届いていた。

 

感情の露出度について

 

私は実家にいた頃、テレビを見ながら笑っては「うるさい」と言われ、泣いては「鬱陶しい」と言われ、怒ってはそれ以上の怒りを持ってして大声で殴られてきた。だから家では極力感情は出さず、インターネットに吐き出してきた。もちろん友人としょうもない話をして声を出して笑うこともあるし、映画館で感動すれば涙を流すし、正しく感情は私の身体に備わってはいるのだけれど、家では、親のいるところではあまり感情を見せないようにしていた。

併せて自分の意見も基本的には否定的、というか何を言っても届かない節があったので、一人で自己完結できる欲求は自分で処理するとして、親にやってもらいたいことは言い出せないことのほうが多かった。

 

一人暮らしを始めるにあたって各種家電を買うため家電量販店に行くときにどういう経緯で忘れたけど母親が一緒に来た。(なんかこういうの最後だし家電選んだあとご飯でも行くか的なノリで声をかけたんだと思う)。

商品を選び、じゃあ発送日やオプション、金額について話しましょうという流れになったとき、店員にすぐさま「値引きしてくれればねえ」と母親が口にした。私の過去の経験上、ある程度店員との会話を持って、お店側が利益を出さなければいけないのは百も承知で自分にはこういう事情があって家電をまとめて買うので少しでいいから値引きしてほしい、みたいたな、こう、流れが必要だと思っていて、それを母親が急にメチャクチャに壊すからその場で泣き出しそうになったことがあった。お金を出すのはお前じゃない、私が払う、なぜなら私の生活に必要な家電だから、なのにどうして付き添いで来た母親が値引きをクソなタイミングで言い出してその場をぶっ壊すんだよと思って気が狂いそうになった。これも最後、きっと数年後に懐かしく思う日が来るかもしれないと思ったけどブログに書いてる今も全然普通に懐かしさよりも怒りが出てくる。親への期待値が高すぎるからいけないんだ、あらかじめこういうことは言わないでくれと伝えてなかった私が悪いから仕方がないと思った。

 

遡って大学生時代。

私の自室にはドアがなかった。自殺防止のため、自室にはドアがなかった。しかもその部屋の広さが学習机と布団とキーボード(昔ピアノを習っていた)をいれたらもう何も入らないし足の踏み場もないような広さだった。なので私は布団で化粧をするしご飯を食べる、階段がすぐ隣にあるドアのない自室で、死なないか時折部屋を覗かれながら、曇りガラスでエアコンとドアのない部屋で生きていた。夏は尋常ではなく暑く熱中症になるため、寝る前はグラスに氷をたくさんいれて眠りにつくまで氷を噛んで保冷剤を手に持っていた。それでも頭が痛くなる、体調がおかしくなる、これでは学業に支障を来すというか普通に生命の危険がある、だからエアコンをつけてほしい、そう意見を伝えても別に何も改善はされなかった。左手に学習机、右手にキーボード、その間に敷かれた布団、転がると机とキーボードに見下ろされてひどく息が苦しい、曇りガラスで外の様子も見えない、なのにドアがないから家族という他人から死んでないか確認される。親が勝手にセックスして生まれてきた人間だけど、一応心臓は動いてるし熱中症で体調が悪いのに状況が改善せずとも何か声をかけてくれてもいいようなものを特に何もなかったので死んでもいいと思ってる節がある。それはどうかな。

 

なんだこの2つのエピソード。善処しましょう。

 

感情の露出度が高い人間を見ると、恵まれた環境のもとで育ったんだなと思う。感情を露出しても受け止めてくれる人間がすぐそばにいたこと、それは代えの利かない幸福だし、私だってたしかに感情を出せる外の人間関係だってあったけど、それでも、何かしらの感情を抱くことを否定されたこと(まだ思ったことを口にするな、は理解できるけど)、そう感じることはおかしいんだからやめろ、その感情は間違っている、間違った感情を抱くお前はおかしい、みたいなそういう当たり方を、大声で怒鳴られたことなんてないだろと思う。親がもういいと言うまで何時間も正座させられて、自分は悪くないのに土下座させられて、ティッシュの箱を投げつけられて、そういうことの一つ一つが私の感情の露出度を下げていった。

 

感情を出して良いことなんか何一つなかった。

 

今になって他人から「お前は何を考えているのか分からない、口にしないと伝わらないんだから口にしろ、私はちゃんと口にしたよね?」みたいな怒られ方をした。

分かる、分かるよ言いたいことは、口にしてないのに分かってもらおうなんざ思ってないし、口にしたところで分かってもらえるとも思ってないけど、そういう強要のさせられ方というか、そういう言い方というか、これまで露出度を下げていたのに無理やり上げろと言われても無理な話で、というか私は普通に感情や自分の意見を出してるつもりなのですが…みたいになって困る。

最近私が何か口に出せないせいで人間関係が壊れ出しているが、まあ一生のうちにそういう時期もあるでしょうと思っている。人間関係は誰が悪いとかではなく服のサイズが合わなくなるように自然と合わなくなるときがくる。それが今というだけの話、ただもう少し露出度あげられたらいいなとは思うけど、少しずつ。

 

そういえば好きな人から「最初は何考えてるか分からなかったけど、最近分かってきた、感情が滲み出てるよね」と言われて嬉しかった。

少なくともインターネットに散々感情は書いてきたわけだし、適切に感情は組み込まれているのでそう言われてすごく嬉しかった。

私にも感情はあります。