好きな人と付き合ってなかった

今年に入って「私たちの関係性のステータスは何ですか?」と確認作業をしたところ、私は好きな人と付き合ってなかったことが判明した。

 

やっぱりな、という気持ちが半分くらいあった。事実インターネットで好きな人の話をするときは"好きな人"と書いていて、恋人とは一度たりとも言ったことがない。頭の中では分かっていた、明確にした途端に大量の血が出た。

「既婚者じゃないですよね?」「恋人いるわけじゃないですよね?」「私はあなたとの関係をセフレ関係だとは思っていないですよ」と折を見て石橋を叩くように確認作業をしていたけれど、やっぱり付き合っていなかった。

 

 

 

この記事でも書いたけど、幼馴染に「お前は自ら幸せになろうとしていない、大事にされようとしていない」と言われたことをきっかけに自分で幸せは掴みにいかなければならないのかと思い、確認作業をしたところ結局好きな人とはおしまいになったのでした。

 

米津玄師の『LOSER』という曲に、「愛されたいならそう言おうぜ」という歌詞があり、それに励まされていたが、返信が来てからはこの曲を聴けなくなった。

 

前から私が好きと言えば向こうはあえて「大事に思ってる」と言葉を選んで返してきていた。好きな人が証拠となる言葉を残さないよう慎重に選んでいることを私は知っていた。

 

急に人との縁が切れること、急に誰かと会えなくなることが怖いと泣いたことがあり、そのときに初めて素顔を見た気がすると言われた。セフレでもなんでもいいから、急に連絡が取れなくなったり会えなくなるのは勘弁してくれとずっと前から伝えていた。好きな人は優しい目をしていたがどこか他人事のような、その気持ちは理解できないというような様子で私の頭を撫でていた。

 

幼馴染にこういうことを言われたんだよと先の話をしたところ、向こうから「都合よく使ってるつもりはないけどな」と返され、その会話の次の次くらいで「私たちの関係性のステータスは何ですか?」と聞いた。

一緒にご飯を食べる、映画を見る、水族館に行く、手を繋ぐ、キスをする、セックスをする、一緒に眠る、一緒に出勤する、そういうことを繰り返しても私たちの関係性には特に名前がなかった。たしかに仕事が忙しくて2週間に1度、1ヶ月に1度しか会えないときもあったが基本的に毎日連絡は取り合っていたように思う。頻度が障壁というわけではない。

 

「付き合うとなったらもっとちゃんとしなきゃいけないし、今は仕事が忙しいし、転勤するかもしれないから付き合うのは正直厳しいと思う。曖昧なままがダメなら距離を置いたほうがいいと思う」というメッセージを何度も読み返した。転勤の話など聞いたことがなく、仕事が忙しいからというのも理由にならない、ようはお前がどうしたいのか、ただそれだけだろという気持ちだった。お前はお前の人生をどうしたいんだよ。ちゃんと自分の口で話せよ。

都合よく使ってるつもりがないと言うその口で、私のことを甘やかして抱くくせに、ずるくないですか?みたいなことを感情に任せて伝えたとして、返信が来るのは一週間もあとのことだった。名前のない関係性があって、そこには付き合ってもいないがセックスはする、セフレではない他人と手を繋ぎデートをするという行為が積み込まれていても何も不思議ではないのに、名前のある関係性そのものに縛られまくっている。

「毎回会うのは楽しくて、決めなくてはと思ってはいたけどズルズルとここまで来てしまった、都合よく使うというのならここでも"付き合ってるよ"と言う」と、自分が誠実に考えた結果がこれだと示されてしまうと、その答えもなんとも好きな人らしくて、やっぱ好きだな〜と思った。

 

おすすめの映画として『リトル・ミス・サンシャイン』を挙げるところや、自分の快適さのためにはお金を惜しまない、たとえば満員電車が嫌だからロマンスカーやタクシーを使うようなところ、ご飯を作っているところを見るのが好きでカウンター席を予約するところ、私がお酒を飲めない一方で好きな人は日本酒が好きで日本酒がたくさんあるような居酒屋や割烹料理屋に連れていってくれたこと、自分のことが一番に好きで大事なんだということを隠さず、自分は人が嫌いだということも隠さないところが好きだった。

 

好きでした。過去形にして無理やりせりふを終わらせればやっと、エンドロールが始まってくれる。

 

朝井リョウの『少女は卒業しない』からの引用。無理やり過去形にしないと好意が執着に変容して自分の人生がまたおかしくなる。

 

このまえの夏のことを思い出す。

私のバレエの発表会に誘ったところ最初は行くと言っていたのに急な会議が入って来れなくなったと言われたことがあった。やっぱり来ないな、という、その『やっぱり』という気持ちをあのときから抱いていた。「今度埋め合わせしてね」と言っても、別に好きな人は仕事が好きで、仕事をしている自分のことが好きで、有給を使って人混みの多いディズニーランドに行ってくれないであろうことは分かっていた。私ではなく私の友達が怒ってくれたのは本当に救われる思いだった。

 

「関係性は曖昧なままのほうが楽しいですよ」とインターネットの人に言われて、そうだよね、とも思っていたんだけど、幼馴染の言葉に背中を押される形で行動してよかったかなと思う。時間を無駄にせず生きたほうがいい、結果的にステータスを聞いてよかったなという気持ちがある。  

 

好きな人にはお菓子ばかり食べてないで野菜をちゃんと食べなさいと口うるさく言われていた。野菜を食べたと報告すると褒めてくれるのが嬉しくて野菜を摂るようになった。好きな人は料理をする人だったし、私も日頃からお弁当を持って会社に行き、人並みに料理をするので誕生日プレゼントとして高級なオリーブオイルをもらった。昨日はそのオリーブオイル使ってパスタを作った。イギリス土産でもらった紅茶、中国土産でもらったハンドクリーム、まだ全然残ってるけど私はふつうにそれらをこれからも使うのだと思う。一生なくならなければいいのにな、と思いながら使う。

 

好きな人と出会えてよかったという気持ちしかないし、まあまたどこかで会えたらいいなと思うし、勝手に幸せになってくれよと思う。

 

 

これに尽きる。既婚者のことが好きだったときは今よりもっと自分を都合よく他人に使わせて消費されていたし、好きすぎて会話とかセックスとかも録音してた。そういうことがなくなったのだから随分な進歩だと思う。

 

とはいえ私はまだ冷静さを欠いている状態で、度々思い出して心臓がグッと掴まれてしんどいときもありますので、皆様におかれましてはこの件に関してマジレスや慰めなどはしないでください。ただ私をどこか遊びなりなんなり外へ連れ出していただければと思います。

私はつぎの日曜日に人と山に行く!

それをすごく楽しみにして生きてる。