その場にいるのに、いないものとして扱われることがつらい

夫とレストランで食事をし、テーブルでお会計をしようと伝票をもらう。

すると、伝票は必ずと言っていいほど夫に手渡されます。

 

またあるとき、夫と私、そして不動産屋さんの三人でテーブルを囲い、

賃貸の契約を結ぼうとするとき。

不動産屋さんは夫にばかり話しかけ、私のほうをあまり見てくれませんでした。

当然夫が契約者になるのだと不動産屋さんは頭の中で思い、夫に契約書を差し出します。

これまで不動産屋とメールでやりとりをしてきたのは私なのに。

 

 

こういったときに、私は疎外感を感じます。

その場に居合わせているのに、私ひとりが孤独を感じています。

夫と第三者のひと(不動産屋さんや店員さんなど)は全くの無意識です。

彼らには、傷つける意図も悪意も何もないですが、ただただ私が蚊帳の外にされているような感じがして、胸が少し痛みます。

 

 

先日、現在住んでいるマンションの立ち退きにあたり、管理会社の方と打ち合わせをしました。

その管理会社の方は、夫にも私にも平等に話しかけてくれ、目も合わせてくれました。

それにもかかわらず私は疎外感を感じました。

なぜか。

理由はふたつあって、

ひとつめは、夫は、管理会社 対 夫(自分)という構図で会話をしており、私はあくまで夫のフォローをする役回りだったからです。夫が疑問点を管理会社の方に質問し、話が混線してきたところで、私が道筋を整理するような発言をする。打ち合わせのあと、「フォローしてくれてありがとう」と夫は言いました。管理会社 対 夫という構図の、夫の一歩後ろに私がいるような感じがしました。

 

ふたつめは、夫が私のほうを向いてくれなかったことにあります。「ほかに気になったところある?」「これはどう思う?」などの声掛けはなく、夫は夫の疑問を管理会社の方にぶつけ、私のほうをあまり見てくれませんでした。二人宛てに渡された資料も、当然のように夫が受け取り、折りたたんで、家に持ち帰ってきました。

 

なんだかそういう、ほんの些細なところが、後からじわじわじわじわ効いてきて、つらくなってしまいます。

 

夫と管理会社の方だけで会話が進行していて、私もたまに疑問点を管理会社の方に投げかけてみますが、結局のところ対管理会社のやりとりになってしまい、本来あるはずの夫と私の関係性みたいなものがぶっつり切れているように感じます。

 

ただ、夫と私がふたりきりになると、ちゃんとその関係性は復活し、双方向のやりとりに戻るのです。

 

明日、弁護士に立ち退きに関する相談をしにいくのですが、また同じようなことになるのではないかと怖くなり、泣いてしまいました。

弁護士を探したのは私、弁護士に問い合わせたのも実際にやりとりをしたのも私、弁護士に相談する質問の草案を作ったのも私。

にもかかわらず、明日になれば夫と私と弁護士の三人の会話は、いつの間にか夫と弁護士の会話になり、私が蚊帳の外に、いないものとして扱われてしまうんじゃないだろうか。

 

この話をしたところ、夫は、「おれは二人のときだと普通にやりとりできるけれど、三人になるとうまく会話ができないのかもしれない」というようなことを言っていた。

三人での会話が苦手なのかもしれない。なるほど。

また、「自分がいないものとして扱われたときに、自分は感じるだろうか考えてた」とも言っていました。もうこれだけで正直十分ではある。私のつらさを蔑ろにすることなく、話を聞いてくれ、私の立場になって物事をイメージして考えてくれるだけで十分。

 

 

ただ、私たちには男女という性差があり、さらに、20歳という年齢差があります。

 

社会から私たち夫婦がどう見られるかというと、夫のほうが、力関係的に強いと見られるのではないか。夫婦は平等であるはずなのに、他人は無意識のうちに夫のほうが偉い、ご主人だから偉い、そういう謎の刷り込みが発動して、いつもいつも当然のように男を立てようと夫のもとに伝票が手渡される。

 

実際には私の方が稼いでいるのに。

私の方がお店や不動産や弁護士や何もかも調べて率先して問い合わせているのに。

それなのに女性で20歳年下というだけで、自然と視界から見えないものとして扱われる。

 

「それは人によるでしょう」

それはそう。

でも、実際に上述したようなことがあった。

みんながみんな私たち夫婦を平等に扱ってくれるわけではない。

 

だからこそ、夫には私の腕を引いて、妻である私の存在が第三者からも見えるように声を上げてほしいと願ってしまう。

男性であり、20歳年上であるというだけで、優遇されることや受ける恩恵に自覚的であってほしい。

私のことをフォローしてほしいと言っているわけではない。私は私の足で自立して生きていけるし、ちゃんと意見も言える。

でも、その、自分が当然のことのように受けているサービスが何であるのか、その裏で無視されているひと、蔑ろにされているひと、蚊帳の外で疎外感を感じているひとがいることを知っておいてほしいと思う。

 

別に誰も悪意を持ってるわけじゃない。

でも、誰しもが刷り込みやこれまでに培ってきた価値観があり、結果的にやんわりとした無視を生み出していることもある。

 

少し話がそれるけれどジェンダーフェミニズムに関する話をすると、

「女はそういうことを声高に言うよな」と以前夫に言われたことがある。

自分がどれだけ優遇された立場にいるか無自覚で、なんて乱暴な言葉なんだろうと思った。

「お母さん食堂がダメならお父さん食堂にすればいいだろ」

「レディースデーがあるのにメンズデーがないのはおかしい」

女性専用車両があるなら男性専用車両も作らないと不平等だ」

「おまえが会社の同僚にセクハラされたからって、おれはどうしろというわけ?おれが加害者を殺せばいいの?」←ヤバ発言

こういう、ジェンダーフェミニズムに関する理解が浅い夫だけれど、その夫と生きていこうと決めたは私自身である。

夫が生きてきた時代はまだ男性が外で働き、女性は主婦として子育てをするのが当たり前だった時代だから……などと時代のせいにすることもできるけれど、だからといって私は夫の言葉に屈するような人間でもないので、ひたすらに言葉をかけ続けるしかないのだろうと思う。

 

夫や妻や恋人やパートナーに加えて第三者がいるような状況において、あなたのパートナーはあなたのことを気にかけてくれていますか。

ナチュラルに無視されたり、いないものとして扱われてつらいときはないですか。

そういうことが聞きたくて、この記事を書きました。

 

おそらく、男性側が蚊帳の外だと感じるときの代表例として挙げられるのは、幼稚園や保育園といった、子どもに関する場所なのかなと思う。

幼稚園や保育園ではやはりママというのが圧倒的に立場が強いイメージがあるというか、先生対ママの会話になってしまい、パパは蚊帳の外として扱われてしまうことがあるんじゃないかなと思う。

そういう、その場にいるのに、いないものとして扱われるのはつらいよねという話でした。