生活をしなければならない感と譲れないもの

いま自分が何を悩んでいるかというと、特に何も悩んではいないのだけれども、一人暮らしを始めたことによる生活をしなければならない感、(たとえば洗濯、たとえばお弁当箱や水筒を洗わなければいけないこと、三食きちんとたべなければいけないことなどを生活をしなければならない感と指す)、が労働を人質に取られているから強制的に義務になっている状態がなんとなく心身ともに疲弊する原因になっているように思う。

 

本当なら労働などしたくないし、生活をしなければならない感など幻であって、先輩のようにフケがついたまま出社するかとも可能だし、食事をしなくとも洗濯をしなくともお弁当を作らなくても全く何も問題はない。

 

何も問題はないし、自分に強制してるわけでもなく、同期が手作りごはんをインスタグラムにあげて自意識を保っているように私もインスタグラムに花の写真をあげたりもした、誰にも強制はされていない。「素敵な生活をしてるのね」、と少しは思われたい、「機能不全家庭に育ったあなたは社会人一年目にして頑張って一人暮らししてるのね」と思われたいのはもうすごくすごくある。

 

ただ実際は、退勤後に最寄りのスーパーに寄ってピーナッツチョコを一袋買ってそれを一夜にして空にしてしまうような、チョコボールを箱買いして一週間で食べきってしまうような、ベビーフットをしたがために自分の足の皮がべろべろにめくれてそれが部屋に散乱してしまうため1日に5回は掃除機をかけているような、お風呂に入らないまま眠りについて昨日の前髪ケープをシャンプーで落としてまたコテで前髪を巻いてケープをかけている、疲れているとアダルトビデオを探す能力も低くなって、質の悪い性欲処理に明け暮れて翌日ぐったりしながら会社に行ったりするようなそんな生活が本当のこと。

 

コスメデコルテのクレンジングやシャネルのパウダーとか、お金をかければ手に入るものは楽に快楽を得られるから便利、時間もお金もないけど簡易性な快楽は疲れないから、「最近の女の子は強烈にイクということを知らないよね」と誰かが言っていて確かにその通りのような気がしたけど、そんな感じで便利に世の中を生きている。

 

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会社の人事は本当に良くも悪くも人柄の良い人を探すのが上手だと思う。悪くも人柄が良いというのは、残業代がもらえなくともお客様のために仕事をするとか、相手を蹴落としてまでのし上がろうという気持ちがないことであったり、メリハリがなくダラダラと働き善意だけで成り立っている生産性のないザ・日本的企業に染まっているということ。良い面は、私の所属する事業部は、OJTコーチと新人の相性がすごく良いこと。コーチにとっても教育しやすく、新人にとっても価値観が合わない人間だから仕方がないわみたいな諦めがあまり発生しない。

 

先日他事業部の偉い人にプレゼンのレビューをしてもらったときに、「プレゼンの内容は良いんだけど、それでじゃああなたは何がしたいの?何をしていきたいのか、自分の意思を表明して」と言われて困ってしまった。

 

私が新人だからか、そもそもの人間性が問題なのか分からないけど、4月から社会人になって「こうしていくぞ!」とか「こうなっていきたい」みたいなビジョンが本当に全くない。お金のために取得したい資格や、できるのであれば年収をあげてそれなりの生活をしたいとか、そういうのはあるけど、自分がこの会社でどういう評価をされたいのかという感情がない。

 

秀島史香さんの本で、「誰にどんなふうに見られたいのか決まればそれに反する行動はしなくなる」と書いてあった。「常に上機嫌な人に見られたいのであれば些細なことで怒りはしないだろう」と。「私が目指している人間はこんなことできっと怒らない」、そんな考え方できる日がいつか来るのかな。

 

みなさんはどんなふうに見られたいとか、そういうのって持っていますか。

 

人の目を気にしているわりに、人からどう見られたいか戦略がない。

 

本当の私は早食いで早歩きだけど、誰かといると緊張して遅食いで遅歩きになる。そんなこと自分が分かってればいいだけの話で、「マイペースだよね」と言われても、「あなたには私がマイペースに見えるんだふーん」で終わらせられたらいい。

 

書いてて気づいたけど、「こういうふうに見られたい」はないけど、「こういうふうに見られたくない」というのはある、一人暮らしの部屋を決めるときもそうだった。「希望はないけど、この条件に合致しないの嫌だ」と消去法で生きてきている。

 

いつでも検索結果3000件を全部眺めて良さそうなのをお気に入りに入れて決選投票をするような人生。

希望や願望が言語化できる形として、ない。

 

 

仕事だってみんながみんなこれをやりたいと思って働いているわけではないだろうし、嫌なことがたくさん、やりたくないことがたくさんある中で折り合いをつけて生きていると思う。

折り合いをつけることばかりうまくなって、これだけは譲れないというのが一つあれば上々だと思う。「全部やりたくないけど仕方ないからやるか」から「これをやらせてもらえるんだったら、仕方ない他の嫌な作業もやりますか」レベルに引き上げを図りたい。

 

たとえば人に愛されたいとか、わかんないけど。

 

これがやりたいみたいな意思がないから、生活をしなければならない感に追われてダラダラしてるんだろうな。なんとかしたいです。