寂しさの責任

2/22(月)

『問題のあるレストラン』を観終わった。

裁判の帰りにはおいしいものを食べようと風間俊介が言うシーンでパートナーが泣いていたのが印象的だった。我々にとってのご飯。ときどき喧嘩をするけれど、おいしいご飯を食べて、温泉に入って、旅行に行って、一緒に寝る生活。これが私たちの愛の形です。おいしいご飯を食べたいという執着が、少なからず私たち夫婦の縁を繋げています。

 

承認欲求が高まってインスタのストーリーに投稿をしましたが、他人からコメントが来て怖くなってしまった。踏み付けにされている と思ったが、それは認知の歪みだった。私の幸せを踏み付けにして、そのコメントをしてきたひとの幸せのほうが勝っていると言われているような感覚になり、そういう自分の歪みが怖かった。「私はあなたの幸せを真似してもっと幸せになります」と言われているように思えた。そっとインスタの「親しい友達」リストから外した。最初から別に親しいわけでもなかった。承認欲求のためにリストに入れていただけだった。おしまい。

 

先週私が感情をおさえられなくなった際のツイートを、リツイートした全く見知らぬひと、言及したひとたちの一週間分のツイートを読んだあと、改めて私に対する言及を読み、やはり戻れないなと思った。全然怖くて全然ムリ、ツイッター、ムリです。一通り連携を外して、はい、という感じ。普通にフォロワーにリツイートされる時点で怖かったのに、見知らぬ他人にツイートが呪いっぽい(要約)と言われたことが呪いになって刺さったまま抜けない。感情の赴くまま書いてるんだからその整理されていない様子、校正されてなさについて指摘されてもンなもん知らねーよ、自分の中で整理をつけられないバカは書いちゃダメですか?、整理のために書いてるんですけど、は?って感じでした。それならオープンのアカウントで書くなって話でした、はい。ということをオープンのブログで書いてる時点でダメなのですが、大して読者もいない(謎に執着されてアクセス数が爆増するときはある)ので、暫定的にはここに書いていく。

 

賞味期限が12日過ぎた牛乳は変な味がした。バレンタインも終わったのにクッキーの大量生産をする祝日の前の夜。坂元裕二の『またここか』を読んで救われる気持ちになる。

 

 

今日、会社の後輩に「確認してほしい」と14時に言われたことをあえて18時に確認して返信するという意地悪をしてしまった。仕事が忙しかったのは確かだけど、もっと優しくすること、もっと早くに返信することもできたけど、あえて後回しにした。後輩に対して、もっと自分の意思で動け、と思ってしまった。後輩育成が苦手である。業務は教えられるけど、その立ち居振る舞いまで育てられない、そこまでは私の対応範囲じゃなくて本人の素質のような気もしているから尚更かったるい。

 

たとえば、ディズニーランドに行ったとき。「何のアトラクションに乗りたい?」と聞いた相手が「なんでもいい」と返してきたときに、「えー私もなんでもいい〜」とあえて返事するような、そういう類の意地悪の感情だった。なんでもいいってなんだよ、どんなアトラクションがあるのか分からないならそう言えばいいし、分からないなりに激しいやつ、かわいいやつ、ジェットコースター、メリーゴーラウンド、何か言えばいいのに何にも考えずに、考えるコストをケチって、他人任せにして「なんでもいい」と言ってくるやつにムカつく感情。

些細な判断さえ委ねてこられると、疲れる。

 

 

『あちこちオードリー』のCreepy Nutsゲスト回がよかった。DJ松永の顔つきが一年前と変わったね、とパートナーと話した。Creepy Nutsが初めて武道館に立ったとき、松永がずっと泣き倒しだったエピソードがよくて、ひとつひとつ、「俺らが出会った時に作った曲」「2人で同居した時に初めて聴いたデモ」「初めて飯食えるようになったときの曲」、そういうのを思い出して泣いてしまったという松永の話を聞いて泣きそうになってしまった。はあ、オードリーとCreepy Nutsの関係性が好きだよ。

 

あと、驚愕映像100連発みたいなYoutube動画を3時間見て少しだけ話すようなテレビ、誰が見たくて放送されてるんだろうとずっと思ってたし、そういう仕事をさせられる芸能人もかわいそうだと思っていたけれど、スタッフもスタッフでみんながみんなやりたくてやってるわけじゃない、と若林が言っていてよかった。「今回こんなでごめんね」と話すスタッフがいる現場だと、そんなこと言わせちゃいけないと思って頑張るんだと。動画を見るだけでも面白い切り口で言えることはあるはずなのに、スタッフにそんなこと言わせちゃいけないって思って頑張るんだって。よい話だったなー。

 

オードリーといえば、先日のオールナイトニッポンで、春日がビデオカメラをゲットして娘や妻、愛犬を撮ってはその動画を見てグチグチ言いながら酒を飲んでいるという話をしていてよかった。娘が予防接種でギャン泣きしてる様子を撮影している際、あまりに胸が痛くてかわいそうで医者が敵に見えたと。春日は、娘が誕生する前から姪っ子の授業参観や運動会で泣いたりしていて、私はそのエピソードがとても好きだった。ちいさな子どもが頑張っている様子に胸がいっぱいになって泣いてしまう春日がとても好きです。あちこちオードリーも好きだけど、日向坂でにこにこしながらアイドルを見守る様子も大好きです。

 

 

2/23(火)

私が気持ちよくなるような言葉をかけてくれる他人が、私が嫌っているひとの悪口を言い始めたのを聞いたとき、「ああ、私も同じように悪口を言われているのだろうな」と思う。いとも簡単に手のひら返して、あっという間に仲良くしなくても構わない関係性になれる。ということをお風呂に入りながら考えていた。

 

仲が良いふりをしながら、相手が気持ちよくなるような言葉をかけながら、別の人にはすぐさま悪口を言えるようにしていること、すごく気持ち悪いと思う。私が落ち込んだとき、その落ち込んだ原因を聞いた彼女は「それはあなたは悪くない、<任意の理由(私が話した内容の復唱)>で<任意の行動(私が話した内容の復唱)>を取ったんでしょう、それはあなたは悪くなくて、"あっち"のほうが悪いよ」と私を肯定して、"あっち"を否定する、否定するというか下げる。私としては"あっち"とも仲良くしていたわけだから、それを否定されるのはイヤなのだけれど、そのときばかりは落ち込んでいることもあって肯定されると心強く思ってしまう。そうだよね、私間違ってないよねと思ってしまう。慰めてくれるのは分かるけど、何も知らないあなたがなぜ私を肯定する?何もえらくない、むしろ私に落ち度があったかもしれないのに、なぜ?自己肯定感が低いとか、そういう話だけじゃないと思う。

 

なんだろう、ずっと居心地悪くて気持ちが悪いと思っていた。なんで彼女は目の前の相手を肯定するために、周りの人間のことを貶すのだろうか。このまえ一緒に食事とか行ってたし、オンライン飲み会とかもやってた仲なのに、なぜそんな簡単にその相手のことを悪く言えてしまうんだろう?と不思議に思う。それが社会でのコミュニケーションというのならば、私はまったくもってそういうことはやりたくないし、できないです。

仲良くしたくないと内心思っている相手と仲良くすることも、本当は仲良しなのに別のところでその相手のことを悪く言うことも、どっちもできない。気持ち悪い。

 

燃え殻さんの『相談の森』という本を読んでいる。「大学の卒業式で仲良く話せる友人がいなかったんだけど、無理してでも友達は作ったほうがよかったのか?」という相談に対して、「いつもは友達欲しいと思ってなかったでしょう、それなのに卒業式で話せる友人がいなくて寂しかったんでしょう、卒業式で仲良く思い出を振り返って涙したり笑いあうひとたちは、都合のいい関係性だけじゃなくて相手に合わせたり面倒を背負って成り立った関係性で繋がっているんですよ、都合良いときに仲良くする関係はインターネットだけにしたら?」みたいなことが書かれていて刺さった。

 

相談の森

相談の森

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 卒業式の時に周りの楽しそうに名残惜しそうにするグループを目の当たりにして、ふと淋しくなったんだと思います。でもきっとあなたは、日常ではそれほど友だちがいなくても大丈夫だったんじゃないですか? 自分の好きなように時間が使えて、好きな時に好きなことをするのは誰からも邪魔されることがなくてラクだったんじゃないですか? 

 

 卒業式の時に楽しそうにしていた人たちは、相手に合わせることだったり、相手に合わせてもらえるように先回りすることだったりの面倒をちゃんと引き受けて、それを当たり前の日常にした人たちです。お互いがちょっとずつちゃんと人生を共有したからこそ晴れて卒業式、その関係性が一旦幕を下ろすことに涙したり、笑って振り返ったりの時間が持てたんだと思います。

 

 都合のいい相手と都合のいい時だけ話すなんていうのはSNSだけにした方が人生のためです。都合のいい相手と都合のいいまま付き合ったり別れても、ぼんやり何だか親に申し訳無い気持ちになるだけです。ボクがそれです。ほぼため息で身体が構成されています。まだ20代のあなたならボクと違って引き返せます。こっちにこないでください。

 

正直、インターネットの都合の良さが楽で、ひとりでいたい気持ちも強く、相手に合わせるとか面倒だな……というのが本当のところ。いま仲良くしている数少ない友人たちに対しては、特段気を遣ったり遣われることもなく、面倒がないから友人を続けられている。

ディズニーランドに一緒に行っても時間を決めてひとり行動をするという関係性がベストだった。ひとり行動ができる、というのはある種の能力でもあるし、そういう能力と強度がある他人が一緒にいて楽だと私は思う。

社会でうまくやっていく気もないくせに友人が少ないことを嘆いては寂しがる。友人ができたらできたで面倒くさがるのに。寂しさの責任は自分にある。ひとりが好きなんだから仕方ない。そこは受け入れていくしかない気がする。

代わりの生活

 

2/16(水)

 

問い合わせ対応が終わらない。客からの止まらない質問にめげてきた、分からないことを次々と聞いてこないでほしい、パンクしそうになる。誰か代わってほしい、助けてほしい、でも他の人も他の仕事で忙しいし……。きっとつらいと感じていることを知ってほしいんだろうなと思う。私のつらさを知ってほしい、と思うことをやめたい。抱え込む以外のやり方で。

 

昨日はあまりに身体が限界で初めて漢方アロママッサージに行った。腰が痛くて痛くて仕方がなかった。施術してくれた方に、セルライトがひどいと言われた。おしりや太ももに詰まってるから腰が痛くなるんだとゴリゴリやられた。東洋医学でいう五臓の「肺」が悪いのでそれに効く漢方を使ってもらった。結果、すこし身体は楽になった気がするが、揉み返しがひどい。かなしい。本当は気功整体に行きたいのだけれど、今の家からは遠く、また電話予約をしなければいけないことがつらくて億劫になっている。

 

セルライト、昔は気にしてなかったし何がセルフマッサージだよ〜と思っていたけれど真剣に考えねばならない。ひとに勧められMelvitaのオイルを使っているけど、いかんせん握力がないのがつらい。セルライトを駆逐するための握力がない。すぐ疲れちゃうの、どうにかしてくれ。ハンドクリームさえまだ要らない人間だけれど、少しずつ老いが始まっている。アンチエイジングケアも含め、店じまいの準備をしなければいけない。

 

パートナーとセックスする夢を見た。

セックスしたいです。

ピルを飲むの、やめてもいいですか?

怖くて聞けない。

パートナーを恐れているわけではなく、

自分のアイデンティティの崩壊みたいなものを恐れている。

 

 

2/18(木)

会社のデスクに磁石ではりつけるタイプのゴミ箱が盗まれた。トイレに行くついでに大きいごみ収集場所にゴミを捨てに行って、そのまま磁石タイプのゴミ箱を放置していたものの15〜20分くらいで無くなってしまった。社員証でピッと入るフロア内に放置していたので、うちの事業部内の誰かが盗んだことになる。

 

『問題のあるレストラン』の傘泥棒の話を思い出した。

 

傘立てにね、ビニール傘が並んでるの。

最初に傘泥棒が来て、そのうちの1本を盗ん
で差して帰っていくの。

その後、別の人が来て、傘を差して帰っていくの。

でもそれはその人の傘じゃない。

その人の傘は盗まれた後だから。

その次の人も気づかずに別の傘を差して帰る。

その次の人も、その次の人も、別の傘を差して帰る。

そうして、最後の人は、もう1本も傘が残ってないの。

傘を持ってきたのに、雨に濡れて家に帰るの。

私、思うの。2番目3番目に来た人たちはわざとじゃないけど、でも、やっぱり傘泥棒だと思う。

責任があるとは言わない。謝れとは言
わない。

でも、その傘が、本当に自分のものかどうか、確認すべきだったと思う。

濡れて帰った人のことを、想像すべきだったと思う。

 

私の、私に所有権はないけど、会社で利用していいとされている私のデスクにずっとはりつけていたゴミ箱がなくなって、しかも同じ事業部のひとに、と思うと結構ガツーーンとショックを受けてしまい、仕事が手につかなくなってしまった。同じ事業部の備品とかに詳しいひとに、帰りしな「私のゴミ箱が盗まれたんですけど……!!!他に余ってるゴミ箱とか知らないですか!!!」と聞いてみたらあっさり使ってない席のゴミ箱を使っていいよと言われて嬉しかった。

こういうことは、騒いでみるもんだ。アピールが大事。歳を重ねるにつれあんなに苦手だった""図々しさ""を習得している。何の成果もないくせにアピールだけは一丁前にしやがって、アピールのおかげで周りから評価されてる人間のことをメチャクチャに嫌っていたものだけれど、そういうのとは少し違う(と思いたい)、良い意味での図々しいアピール、生き抜く強さです。

 

↓も同じ話。

 

 

ゴミ箱盗まれた事件の帰り、最寄駅で盛大にぶつかられたから思い切りぶつかり返した。本当は振り返って相手のリアクションを見たかったけど見れなかった。首根っこつかまれて今登っていらこの階段から引きずり下ろされたら、殴られたらどうしようという恐怖があった。

相手は小柄な女性だった。駅で人間を避けられなくなるくらい、何か嫌なことがあったんだろうか。ぶつかる側も痛いだろう、それなのになぜ、と思う 一方で、いつも、ぶつかられたらぶつかり返す、避けなかったら私も避けない、

舌打ちされたらもっと大きい音で舌打ちする、そういう振る舞いをしてしまう。以前好きだった人間に「そういう自分が傷つくようなことをやめな」と言われたけど、いまだにやめられません。

 

そんなこんなでつらい気持ちで家に帰ったらパートナーが少し元気になっており青色申告の準備をしていた。テレビに目を向けたら花江夏樹さんがゴチに出ていて可愛らしかった。笑顔が可愛い。1位になっててよかった。束の間の癒しでした。

 

ゴチのあと、「もししんどかったら仕事辞めてもいいんだよ」と20歳年上のパートナーに言ったら、「辞めたら今の生活を続けられなくなる」と返された。親が死んでも休めないような職場、そんなの辞めればいいと思った。生活レベルを下げてでも、私が養う形でも、そんな仕事辞めてしまえと思った。年間50日も休みがないような職場で、しかもその休みがレースで潰されることもあって、代休もなくて、それで親の忌引休暇さえ取れないなんておかしいだろ、絶対に絶対におかしいだろ、親の死に目に会える思うな、ではない、会えないことは絶対におかしいだろ、なんで親が死んでるのに仕事してるんだよ、そんなに仕事が大事かよ、と思ってつらくなって私が泣いてしまった。私がもっと年収3000万とかあれば、私が彼を養ってあげられたのに、なんで、こんなに何もしてあげられないんだと不甲斐なくて仕方がなかった。

 

2/19(金)

企業型確定拠出年金とつみたてNISAの見直しを行なった。前者は3%、後者は8%利益が出ている状況だった。株式と債券、国際と国内と、バランスを振り分けて設定する意味がやっとわかった(遅い)のでそのように設定しなおした。SBIとか三井住友信託のサイトの見方がやっとわかってきた。うれしい。iDecoも始めようかと思うけど、60歳まで取り出せないというのがネックになっている。

 

松たか子さんの『みんなひとり』を聴いてドバドバ泣く15時。この歌をカラオケでパートナーに贈りたい。

 

わけもなくふさぎ プチうつな自分が 嫌いになる日も
あなたの笑顔の 大きな力に 励まされるんだ
どんな強い人も 弱さを隠してる 外には出せない傷抱えながら
みんなひとりぼっち それを知るからなお
あなたの大事さがわかるよ
心の片すみで 気にかけてくれてる 恋よりも強い味方

 

生まれる時ひとり 最期もまたひとり
だから生きてるあいだだけは
小さなぬくもりや ふとした 優しさを
求めずにはいられない

 

ひとしきり松たか子で泣いたあと、iDecoについて調べたら企業型確定拠出年金をやっているうちの会社ではiDecoはできないようだった。マジかよ。ただ、マッチング拠出という制度があり、会社から毎月自動的に掛け金として投入される金額とは別に、自分の意思を持って掛け金を設定できるようだった。これはいいなと思った、のちほど調べて設定しようと思う。

 

本日も問い合わせ対応は終わらないまま終業を迎えた。

 

松たか子さんは来期から坂元裕二さん脚本のドラマが決定しており、最高の最高にうれしくてうれしくて、仕事から帰ってきたパートナーにすぐさま報告したけど反応が薄くてシュンとしてしまった。たのしみです、これで生き延びられる。

 

 

 

明日は花屋とドレスの試着に行く予定だけれど、パートナーの精神が一週間終わったままで、無事行けるのか心配である。先日のピザ事件の前後で職場で色々あり精神がおしまいになっている彼。「明日行けそう?無理だったら延期してもらうよう連絡するからね」と言うと、大丈夫だと言う。昨晩も同じことを聞いて同じ回答があった。何の根拠もなく大丈夫だと言っているように聞こえてイライラした。前回フォトウェディングの打ち合わせに行ったときも、精神が終わっていて打ち合わせも帰る電車もぼんやりと放心状態で、だんまりで、それがまた明日も起こるのかと思うと不安で仕方がなかった。実は今週そのことばかり考えて呼吸が浅くなって涙が何度も出た。このまえの放心状態を思い出すと、明日も、撮影当日も、同じようなことになる気がして、怖かった。そういうことを伝えた。そしたら「今のまま延期するよりも、明日花屋と衣装の試着に行くことで気分転換になるだろうから行こう」というような内容を言われた。「不安な思いをさせてごめん」とも言われた。

 

そのあとも色々話した。

今週、パートナーに幾度となく「無理しないで」と言ってきた。でも、彼にとっては「無理しないでって言われることさえ責められてるように感じる」とのことだった。放心状態の理由を教えてくれず、つらそうに見えるから「無理しないで」と言っていたけど、それがむしろ追い詰めていた。

 

そうやって無自覚に追い詰めてしまう私に何の価値が、何の意味があるのだろうか。放心状態の理由も教えられないような相手に何の意味が?何の意味もないような気がする。「意味ないなんてことはない、ひとりだったらもっとしんどかったと思う」と彼は言う。「いつか聞こうと思っていたけど、おれがいる意味って何かある?」と返ってくる。

 

「もっと一人の時間がほしいとか、ジェンダーとかフェミニズムに関する理解が違って、この作品は一緒に見れないなとか、あの話題は避けようとか思うこともあるけど、でも仕事から帰ってきて大事な人がいることはありがたい」と言った。

 

「さっきから泣いているのはおれに不満があるってこと?」

「そうじゃなくて、何にもしてあげられない自分が不甲斐ないから。あといくらでもひどいこと言おうと思えば言える自分が嫌で」

「それって俺の不満とか?」

「違くて、毎回同じことで悩んでる、同じことで悩むなら躱し方だってあるだろうに、また同じことで悩んでるんだなとか、具体的な改善しないんだなとか、そういうことを思ってしまう」
「しんどいひとにそんなこと、もしあなたの立場だったら、しんどいひとにそんなこと言うかな」

 

「生活レベルを下げてでも心身の健康を大事にしてほしいと思っている。でも仕事辞めていいって言ったけどあんまり意味なかった。」

「おれにはこの仕事しかできない、社会性とか人間性とかに問題があるから、今はなんとか誤魔化してやっているけど、続けるしかない」

 

そうやって、いつも自分の社会性とか人間性を改善する気もないくせに、仕事がつらいと言ってるのが腹が立つ。でも、なんかそういう自分の優しさが足りないところ、モラハラっぽい自分の醜さがかなしい。つらい、おれってだめだなあってボンヤリしてる暇があるなら、具体的に改善策を、改善できるかどうかは別として、考えたほうが自分的に楽になれるんじゃないのかなって思う。他人が変わってくれることなんてない、だから自分が変わるか、環境を変えるか、大雑把にいうならその二択を選ぶしかないんじゃないのか。大人になってから早々人間は変わるもんじゃないけれど、でも、今からやれることはあるじゃん、って思ってしまう。具体性が何もない、実現可能性が何もない、同じことでまた悩むの、しんどいだろうと思うんだけどな。

もしかして、あなたに今必要なのは適切な医療ではないですか?

 


「俺である意味ってあるのかなって聞いたとき、その回答を聞いて、他の人でもいいように思えた」と言われた。仕事から帰ってきて大事な人がいることはありがたい、そりゃそうだろう、あなたじゃなかったら他のひと、代替可能性なんてあるに決まってる。それでも私はあなたを選んだ。そのことに意味があるんじゃないの。他のひとでも、代わりは利くけど、でもあなたでないといけないのは、あなたがあなただからである。それをいかにして伝えればいいんだろう。

 

 

しばらくして彼はお風呂に行ったので、私は家出がてらメルカリの発送をすべくコンビニで120円切手を買った。店員さんが日本人ではなかったけれど、「すぐ使いますか?」って糊を貸してくれた。ありがとう。

 

そのあと、そういえば先日大きい地震があったなと思い出し、スーパーに備蓄用の食品を買いに行った。米、レトルト、缶詰など。もともと一人暮らしを始めた際に母が託してくれた非常用持出袋があり、その中には水や包まるもの、温かくなるもの、ロープ、手袋などが入っていたのでその袋の中に食料を補充した。充実感。ロープを見ただけでああ今日も死にたかったなと思い出すくせに、いざというときの食料の備蓄。企業型確定拠出年金とか、つみたてNISAとかもそうだけど、死にたいくせに何生きる予定を立ててるの?って思うときがある。本当に死にたいならそんなことしない。

彼は先日の地震のとき、「ふたりなら大丈夫だよ」と言っていた。その具体性の無さが気になる。気持ち的にはそう思っていたとしても、具体的な対策がないと大丈夫にならないだろうがよ。私は具体的な、物理的な備えをして安心したいのに、何がどう大丈夫なのか教えてくれよ頼むから。

 

プチ家出後、先週届いた南インド屋さんのスパイスレッスンのキットを使って、ダルフライとエッグブルジをいきなり作った。すでに22時半を回っていた。泣き腫らしたからからの身体にししとうとスパイスの辛さがしみしみに染み

た。

明日、無事花屋とドレスの試着に行けるのでしょうか、乞うご期待。

 

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分かってもらいたいと思わない関係

昨日の続き。彼に自分の気持ちを伝えたあとぐったりしてしまい、自室でぼんやりしていると「明日夜中から雨だよ、洗濯物」と言われた。ひとしきりぐったりしたあと、洗濯物を取り込んだ。ついでに彼の部屋にバレンタインの袋を置いていった。彼は寝ていたし直接渡すのも気まずかったから、手作りのフロランタンとクッキー、あとはミッシェル・ブランのチョコを入れた紙袋を適当に机に置いておいた。ホワイトデーのお返しは市販のチョコと手作りのご飯を要求している。

 

しばらくして彼が起きてわざわざありがとうを言いに部屋に来てくれた。先程取り込んだ洗濯物は、まだ乾いていないにもかかわらず私にはもう部屋干しする気力も体力もなかったためそのままベッドにハンガーごと置いていた、それを見かねて彼が洗濯物を部屋干ししてくれた、大丈夫だよと言っても「まだ乾いてないから」と言い、丁寧に干してくれた。優しいひとだなと思う。

 

今日は一緒に寝ない。

 

月曜日は出社しようと思っていて、6時40分に起きたのになんかだめだった。

 

高校の卒業式の夢を見た。窓側の左から2列目2行目の席、クラスでややいじめられ気味だったオグラくんの隣で、私の前にはタカハシくんがいた。「私の席ってここだっけ?」と聞いても誰も私の席など覚えてくれていないし、卒業式前だからどこに座ってもいいよねという感じだった。卒業式のあと、私の高校の卒業式は随分と昔のことだったのでは、というかオグラくんもタカハシくんも中学の同級生で高校の同級生じゃなかったじゃん、と思った。

 

仕事、とある問い合わせ対応が終わらない。私はお客様からの問い合わせを製品ベンダーに質問するという、対応の仲介役をやっているわけだが、製品ベンダーは大変だろうなと思う。いつも誠実に回答をくれて頭が下がります。日本語が通じる、何で困っているかを汲み取ってくれるとそれだけで嬉しくなる。早く解決するといいな。日本語が通じなくて、情報を渡してこないくせに、至急回答願いますとか言ってくるひとがきらいだ。そのボールの宛先は、生身の人間なんだぞ。

 

今日は一日中すごい雨だった。家に私の食料はなく、仕事終わりにコンビニでも行くかと思っていたら、パートナーがオリジン弁当の山賊焼き弁当を買ってきてくれた。こういうのを愛と呼ぶのだと思う。相手のことを思って行動する能力、私は本当に欠如している。お弁当、おいしかったな。

 

 

今日は一緒に寝よう、と言われた。

今日は一緒に寝る。

 

clubhouse、招待をしてもらったはいいものの、怖くて話す気になれない。「フォローしてるひとが部屋を作りました!参加しましょう!」みたいな通知が来て、いざアプリを開くと、「部屋に参加している人:2人 話している人:2人」と表示され、仮に私が参加したら話さなければならないのだろうか…‥と思い悩んで参加できない。

結局、インターネットストーキングツールと化し、元恋人や会社のひとを調べ尽くしている。すぐツイッターやインスタグラム、LINEと同じID、同じアイコンでアカウントを作り、SNSの連携を気軽に行うのは特定を早めるだけなので危険ですよ、と思う。

セフレだった既婚者は身体によさそうな健康食品の会社で社内ラジオをやっているらしい、フォロワーを辿っていくと、元恋人にたどり着く。世界が狭い、というか好きになる男の傾向が偏っていただけかもね。まあいいんです、彼らが私の預かり知らぬところで元気に生きているのであれば。ちなみに(?)マルチをやっていた元々々恋人は京都と横浜でノマドをやっているらしい。相変わらずインスタグラムで無断転載の画像と共に意識高い系の投稿を続けていた。朝井リョウの『何者』をいの一番に読みやがれ。

 

clubhouseで話したいなーと思うひと、2年ほど絶縁しているインターネットの(元)友人で、あいつとだったら楽しく喋れるのになーと思う。

今日の『ジェーン・スー 生活は踊る』の相談コーナーで、20代の方から「結婚、引っ越しを機に学生時代の友人と疎遠になって悲しい」というようなおたよりが採用されていた。特に理由はないけど疎遠になる友人たちっているよね、それでも縁があれば5年後10年後「元気してる?」と連絡がきてまた仲良くやれるもんだよ、ただその「元気してる?」の連絡役が、自分にはできるのか、無理ならやらなくていいけど、そういうまとめ役というか引っ張り上げてくれるひとの存在は大事だよ、というような回答だった。

 

私はその役ができるのだろうか、なかなか勇気と体力がいる役回りだよなと思う。試しに相手にLINEスタンプをプレゼントできるか試してみる、これは相手にブロックされているかどうか確認する手法で、私は彼女からブロックされている。何度目かの確認。

 

話したい相手、私と同じくらいの分量で話してくれるひと、なかなかいない。バレエの発表会に来てくれる元インターネットのひとのこと、一度会う約束をしたのに私の仕事が忙しすぎて結局会えないままになっているインターネットのひと、大好きなんだけどな、話したい、話したいと思っています。インターネットじゃなくて、普通に現実でも構わない。

 

別に友人がいなくても死にゃあしない。だけど、だけどなんなんですか?自分、死にゃあしないけど、何?っていう。友人がほしい、という表現はいまいち違う気がする。話せる相手がいたら人生もっと楽しかったかもしれないなー、って感じ。それを友人がほしい、と言うんですよ、とイマジナリー猫が囁いてくる。

 

ツイッターに書くことを数日やめてみて、リプライをくれるひとやブログを読んだよと反応してくれるひと、ありがたい。仲良くしたい、したいけどなんでこんなに億劫なんだろう。だるい。

 

お笑い芸人のオードリーのことが大好きなのですが、以前若林さんがインスタのストーリーで、「結婚して変わったことは何ですか?」という質問に、「1日に話す言葉の量です」と返信していたのがすごく心に残っている。私も結婚して1日に話す言葉や量がものすごく増えた。最初は実家にいるときのようで鬱陶しく思う気持ちもあったけど、おそらく話し相手がいるだけでずいぶん寂しさが紛れている。これがひとりになったらもっと一生懸命に話し相手を探すと思う。

 

また、若林さんは結婚した際、パートナーのことを「(価値観が合うとかじゃなくて)自分のことを分かってもらいたいっていうふうに、不思議と思わないんですよ」とも言っていて、思わず泣いてしまった。分かってもらいたいと思わない、そういう相手。ただ一緒にいるだけでいいと思える相手。こういうのも、愛と呼ぶのだと思う。

 

ソファに寝転がって文章書いてないで今すぐ行動しろよ!って思う。そういう自分のところが嫌いだな。

 

ピザとバレンタイン

土曜の夜に地震があった。私たちはピザをたらふく食べたあとの夜だった。長く大きい揺れに思わずテレビをつけ、まあこんなもんかとテレビを消した。「ふたりなら大丈夫だよ」と彼は言った。「人間死ぬときは死ぬし」とも言った。「死ぬときは一緒に死ぬ」と私は言った。どちらかがひとり残されるのがいやだ。彼は私より20歳も年上なので何事もなければ私が残される側なのだと思うたびにかなしい。

 

父親が死んだという内容のnoteを読んだ。遺体安置所で父と対面する様子が書かれていた。そのときふと、私の大事なひとが亡くなって遺体安置所で対面したとき、私はいつもご飯を食べる前のように、スマホで遺体の写真を撮ってしまうような気がしていきなり怖くなった。この最後に会ったときの顔をパシャっと撮っていつでも見返せるように、それってアリなのだろうか。死者に対する冒涜なのだろうか。人間相手じゃなくてもいい、これから飼いたいと思っている猫が死んだとき、どこかに埋める前に写真を撮るのだろうか。撮らねばならないという病。自分の記憶をはなから諦めている。

 

『問題のあるレストラン』で山梨の道の駅なるさわが出てきて懐かしかった。そこが道の駅なるさわだということは後から調べて分かったことだが、映像を見た瞬間に「ここに行ったことがある」と思った。何でも調べれば出てくる時代、ありがたい。行ったことがある、というのはあたかも主体的に意思を持ってその土地に行ったかのような表現で、正しくは「(親に)連れて行ってもらったことがある」だった。清里でおいしいジャムを食べ、牧場に行き、ソフトクリームを食べた。その道中に立ち寄る道の駅、景色がよく建物も美しく、楽しかった記憶がいきなり思い出された。

 

先の通り懐かしいこと思い出したので、母親のインスタグラムをネットストーキング的に確認したところ、製菓学校に通う妹が今年はバレンタインに本格的なチョコレートを作っていることを知った。私は無印良品のキットを利用してフロランタンとクッキーを作った。少しかなしい、惨めな気持ちになる。

 

また、先月は妹の成人式で、私が成人式のときに買ってもらった白地に金の模様が入った帯をつけていた。と思ったら全然違った。妹は妹の、振袖と帯を身に纏っていた。でも、私も妹も、黒の振袖に白と金の帯を選んでおり、よく似ていた。妹が私に寄せているのかどうか知らないけど、他の選択肢もある中で同じような色を選ぶことが嬉しかった。私がまだ実家にいた大学生のころ、たまたま妹とおそろいのローリーズファームのマフラーを買ってしまったことがあり、去年か一昨年会ったときもその同じマフラーをふたりでつけていてウケた。

 

 

昨日食べたピザ、3枚目が少し余っていたので起き抜けにひと切れ食べた。いつもピザを頼むときは3枚頼んで3枚目はお腹いっぱいで少し残す。翌日パートナーが残りを全て食べてしまうので、仕事帰りに帰ってきても私の分の残りピザは無い。それなのに今日は「残りのピザ食べなさい」とパートナーに言われた。いつもは何も言わずに食べてしまうくせに。「もういらなくなっちゃったの?」と聞くと頷いていた。私は彼の残飯処理係なのかよ、と少しの怒りと少しの悲しみが出てきてしまい、ぴえん状態になった。いつも残ってれば私だって食べたいと思っているのに、ピザの箱はゴミ袋に捨てられていて、悲しかったのだ。以前から少し気になっていたことが今日明確になる、目を逸らしていた悲しみにようやく気づく、そういうことが多い。パートナーも今朝からなんとなく不調のようで、ふたりしてぴえんである。

ツイッターで週明けから爆弾低気圧だという情報を見て、何もかも気圧のせいだなと思うように意識に力を入れている。それと私は来週から生理なのでそのせいでおかしくなっている気配もある。引き続き、私は無印良品のキットでクッキーを作る。

 

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作った。

 

お風呂に入ろうと思ったらパートナーが仕事から帰ってきて、「何か言いたいことがあるなら言って」と手を洗いながら言ってきた。彼もピザのことでつらくなっていることに気づいている。

いつも3枚目の残りは全て食べてしまうくせに、今日に限って自分は要らないからと私に食べるよう促してくるのが悲しかった、今まで残りは全部食べてもらって構わないと思っていたけれど、実はそれは違っていて、本当は私の分も残しておいてほしかったし、全部食べるなら一度聞いてほしかった、公平に 一緒に買ってるはずなのに、譲り受けるような、上から下に食べていいよと許可を出されるような、残飯処理をさせられるような感じがして嫌だった、そういうようなことを伝えた。彼は、昨日から精神的に不調だったし、昨日の時点で彼自身の分を全て食べ終えていて、残ってるのは私の分だから食べて、という意味で言ったという。今までだって私の分も残っていたはずなのに全部食べてたじゃん、その理論は通らないよ、と思ったが言えなかった。「言い方がいけなかったね、今度は最初から半分にしておくのがいいのかもしれないね、もしくはおれが多く食べるならその分多くお金を払ったほうがいいかもね、そのへんルーズにならずに気をつける」というようなことも言っていた。「お金の話ではないよ」とは言えた、けど「お金のこともあると思う」と返された。

 

違うんだよ、私は、私の意思を無いことにされて、何かが損なわれることが嫌なんだよ。

 

母親に預金を勝手に使い込まれていたとき。

一言言ってくれれば私はお金を貸してあげたのに。

 

一緒に行く予定だったのに、相手の都合で勝手にキャンセルされたとき。

勝手に、ではない、一応会話上私の許可は取ってくれた。「ごめんなさい、〇〇が△△で今から行かなければならなくなった、次回埋め合わせはします」と。仮に私が許さなかったら相手は行かなかったのだろうか?あれは許さざるを得ない状況だった。許すことは、私の本意ではなかった。蔑ろにされていると思った。

 

ピザ、たかがピザも、「残りは全部食べていい?」と聞いてくれれば、残しておいてほしい、とか食べてしまって構わないよとか返せた。でも、何も聞かれなかった。

 

私の意思を無いものにしないでほしかった。

そういうことで自分は怒り悲しくなるんだと理解していく、傾向を知り積み重ねていく作業。

ある程度対策は打てると思う。相手に聞かれるよりも前に主張をしておくとか。

口座を使い込まれるとかは、まあ思ってもみないことなので防ぎようがなかったかもしれないけど………。

 

 

 

 

仲良くしたかった

 

 

 

『問題のあるレストラン』をパートナーと観ている。2015年の作品。まだツイフェミとかまんさんとかいう言葉がインターネットにそこまで普及してない時代の作品。フェミニズムに関する問題がなかったわけじゃないけれど、多くのひとが目を向けなかった、見て見ないふりをする風潮だったから無かったことにされていた女の話、女の問題。今はフェミという言葉が変なふうに理解されておかしくなってるけど、存在を知られるより前と比べて少しは進歩なんですかね、分からないけどさ。

 

私が一番大事に思っているドラマ作品の『カルテット』の脚本家、坂元裕二さんがこの作品を書いている。坂元裕二、この作品書くの早すぎるよ〜〜〜

 

 

昨日、ツイッターに書いたことをまとめて消した。私の書いたことが全然知らないひとに全然筋違いの方向に理解されて普通に怖くなって消した。フォロワーがもっとたくさんいたら承認欲求が満たされていいだろうなと思っていたのに、ただの一匹に言及されただけですぐ逃げた、すぐ被害者ぶって死にたいとか言った。そもそも最近ツイッターに書きたいと思うこと、書かざるを得ない状況が減っていた。でも、どうしても書かざるを得ない気持ちが昨日の夜はあった。確かにあの夜精神がおかしくなっていたのかもしれないけど、でもそれでもあの言葉は私の一部だった。それでも怖くて消した、自分の気持ちを無いものにした。

 

うるせえ黙ってろ第三者、ていうか私が仲良いと勝手に距離を近く思ってた人間が、あっさりとツイッターリツイートを使う状況がまず怖くてビビっちゃった。そのひとの気持ちの一部を切り取って言及して誤った方向に理解されるのを助長して、あー怖かった。こんなのにいちいちビビってたら何にも言えなくなるって、でもメチャクチャ怖い、今更私インターネット向いてない?

 

 *

 

ジェンダー論、私が大学生に入って一番に受講した講義。「おれはお前がどうして大学に行きたいのかも知らない、おれは金づるなのか」と怒鳴られ、土下座をして通わせてもらった大学、父親ような、外で稼いでいることを理由に自分こそが権力者だと言わんばかりのその態度がおかしいと思うから、この思いが間違っていないことを確認するために私は大学に行く、法律を学ぶ、法律を知っていればいつか何かのときに有利に立てるかもしれない、それでジェンダーと法律を学んだ。『リボンの騎士』『少女革命ウテナ』『ベルサイユのばら』など、男装麗人について卒論を書くつもりでゼミで色々やっていたけど、卒論を書かなくても単位が足りたのでそのまま書かずに卒業した。

 

 

お母さん食堂の件が炎上したとき、パートナーと話していたら「じゃあお父さん食堂でいいよ」と突然大きい声を出されてから、フェミニズムに関する話題を避けている。雑な理解だ、何にも分かってない、かと言って説得したり説明するコストを払うのはサボりたい、勝手にアップデートしてほしいのが本当のところ。「教育して叱ってくれ」なんてそんなのすごく恵まれた状況。年始の逃げ恥のスペシャルを見せたら絶対にムリだと思ってひとりのときに見た。ひとつひとつ、避けて通っている。

 

 

『問題のあるレストラン』、男性に対して主人公の真木よう子さん演じるたま子が「私は、あなたと、仲良くしたかったんです。一緒にいい仕事がしたかったんですよ」と言うシーンでありえないほど泣いた。女のこと軽んじて 憎みながら 性的消費をして 少しでも盾突いたら「女って怖い」と壁を作って。

 

私や他の女性社員のことを、まるで言うことの聞かない自分の持ち物のようにして、憎んでいました。

 

あれが嫌だ、これが嫌だ

セクハラだ、パワハラだ。
傷ついた、傷ついた。
えっ? 何なんだよ? この傷つきました世代は。ここにはね、真面目に一生懸命働く善良なスタッフしかいないんだよ。これ以上被害者気取りで、言いがかりつけるんだ

 

女にだって意思はあるのに、それを無かったかのように色んな手段で無効化して、壁作ってるくせにハラスメントして、たま子が「こっち(女性側)の誤解じゃなくて、そっち(男性側)の誤解なんです」と、私たちだけの問題じゃなくてあなたたちの問題でもあるんだと言ってのける様にわんわん泣いた。おまえらも考えろ、おまえらが考えろ。なんでそんなに他人事でいられるんだよ。

「私は、あなたと、仲良くしたかったんです。一緒にいい仕事がしたかったんですよ」って、そういう世の中になっていけばいいと思った。理想的すぎますか?そっち側の生きづらさもこっち側のしんどさも全てひっくるめて、前よりはマシ程度になってくれたらいいのにな。

 

女友達に、「ちゃんとフェミニズムとかジェンダーについて考えているよなかちゃんはすごくカッコいいよ」と言われることにいつも違和感を感じていた。おまえの問題でもあるのに、なんでそんなに他人事みたいな態度なの、って。男性に理解されないより、同性の人間に言われることが何よりキツかった。助けてよ、って他人に縋ろうとしてしまう甘え、甘えだから仕方ない、諦めよって。色々言いたいことがあるのに言えなくて 何だよお前その態度おかしいだろって思ってるのに仲良くしてて だからつらいんだと思う。でも、彼女なりの生き方があって、私みたいにいちいち怒らずに済んでるんだからそっちのほうがいいよねとも思う。他人が波にのまれて溺れる様子を目撃してるのに、タピオカかスタバ啜りながら自分の前髪気にしてる感じに近い。何?

 

え?なんで皆さん水着着ないんですか?私いっつも心に水着着てますよ。おしりとか触られても全然何も言わないですよ。おしり触られても何にも感じない教習所卒業したんで。その服男受け悪いよ、とかいわれても、ああ~すいません気をつけます、って返せる教習所卒業したんで。

痩せろーとかヤラせろーとか言われても笑って誤魔化せる教習所も出ました。免許証お財布にパンパンです。

痴漢されたらスカートを履いてる方が悪いんです。好きじゃない男の人に誘われて断るのは偉そうな勘違い女なのでダメです。セクハラされたら先方は温もりが欲しかっただけなので許しましょう。悪気はないのでこっちはスルーして受け入れるのが正解です。

どうしてしずかちゃんはいつもだめな男と偉そうな金持ちの男と暴力ふるう男とばかり仲良くしているか分かりますか?どうしていつもお風呂場覗かれてもすぐに機嫌直すか分かりますか?どうして女友達がいないか分かりますか?彼女も免許証、いっぱい持ってるんだと思います。

 

目を逸らしていること、見て見ぬふりしていること、無かったことにしないでって思う。『カルテット』のサンキューパセリの話。

 

食べてもたべなくてもいいの。ここにパセリがいることを忘れちゃわないで

 

自分の感情も、他人の感情も、無かったことにしないで、忘れちゃわないで、元気がないなら少し忘れても目を逸らしてもいいけど、最終的にすっかり忘れて思い出さないときもあるかもしれないけど、でも、って思っちゃう。

 

私がドラマを観てわんわん泣く隣でパートナーはよしよし撫でてくれティッシュを渡してくれる。同じ作品を見ているけど、きっと思ってることは全然違う。ウゼ〜って思ってるのかもしれないし違うかもしれない。まあ途中でやめようとか言わずに付き合ってくれることを嬉しく思ってるよという感じ。彼と『花束みたいな恋をした』を一緒に観てから、いつ恋も観たし、坂元裕二祭りが開催されています、我が家。

 

ご褒美の時間

今日は洗い物をしないと決めた。

 

夜ご飯にはお好み焼きを食べた。昼ご飯にもお好み焼きを食べた。

去年の今頃はまだ一人暮らしをしていて毎日の夜ご飯はパスタと決まっていた。塩分が多いし自作のペペロンチーノ(具無し)には飽きてきたので同棲を始めてからパスタソースをよく使うようになった。青の洞窟がおいしすぎて「おいしい、おいしい」と何度も言いながら食べていたらパートナーに笑われた。それでもやっぱりパスタには飽きて、キムチを作ったりポテトサラダを作ったりお好み焼きを作ったり、とりあえず私は洗い物を増やしたくないし料理を作るのが面倒なので一度に大量生産してそれを少しずつ消費する、同じものを食べ続けるスタイルを取ってしまう。

 

今はなんとなく精神が落ちていて、ちょっとしたことで涙が出てしまう。

食べるのにも元気がいる。ああ生きるのってなんて面倒くさいんだ。

 

 

結局私は本気で誰かに見捨てられたことがない。

疎遠になったあとも気にかけてくれるひとたちばかり。

でも、そういうひとたちに対してとどめを刺して、自らの手で突き放してしまう。

冷静に考えてあのときのあなたの行いは許されるものではない、現に私の痛みはまだ癒えていない、痛くて痛くてたまらないんだよ、今もあなたは私に優しくしてくれるけど、それで私が喜ぶと思った?過去を忘れたわけじゃないよね、過去の罪を許されたくて、気持ちよくなりたくて私に優しくしてるんですか?ねえ、あなたの言い分を聞かせてよ、ああやっぱり間違ってるね、インターネットのひとたちはどう思うかな?やっぱり私の味方してくれるよ、かわいそうだってね、私に幸せになってほしいってね、勝手に言ってくれるんだよ、それに救われるときもあれば全然うれしくないときもある。

 

ときどき気圧とか季節とかで精神がおかしくなるけど、精神がおかしくなった私も私なんだよ。誰に許可されるでも認可されるでもなく、私の存在は私が決めるんだよ。

 

 

   *

 

 

『梨泰院クラス』を観ている。しゃらくさい物語なんですよ、胸糞悪いシーンもすごく多い。1話1時間以上あって、16話もある。単純に韓国ドラマは長すぎる。

なんでこんなにいらいらしながら見てしまうのかというと、主人公の志の高さに胸を打たれるんですね、こんな志が高くて信念を貫いて生きている人間なんてフィクションでしかありえない、そう思いたい、現実にいたらきっと私は打ちのめされて死んでしまうだろう、本気でそう思いながら見ている。

 

フィクションから現実が正されていくってことが往々にしてあるじゃないですか、こんなの理想論だ、フィクションだ、夢物語だって一蹴されても、みんなが同じ思いなら現実だって変わっていく。その可能性を私は捨てたくない。私は本気です。こういう世の中だったらいいなあって思う、世の中っていうか、私の生き方として、何かひとつでも志があれば頑張れたのかなあって過去形で思う。でももう疲れ切ってるの、現実に、仕事に、人間関係に。どうしたらうまく生きられるんだろう。

 

全然感情移入できない人間たちの胸糞悪い物語、でも、主人公に片想いをしているチョ・イソっていう女の子の恋の行方も気になるから仕方なく見ている。

主人公は別の女の子が好きで、チョ・イソはずっと主人公に片想いし続けてるんですよ、でまた主人公が悪い男で膝枕してあげたり頭撫でたり寝てたら上着かけてくれたりするヤツなんです。そういう思わせぶりな行動をする主人公は、ちゃんと物語の中で「そんな思わせぶりな行動をしてもイソを苦しめるだけだからやめてください」って言われてる。それでもイソはたった一回彼に膝枕してもらったこと、そのときに初めて主人公の内面、志を持ったきっかけを自分だけに話してくれた思い出を噛みしめながらずっと主人公のそばにいる。あれは自分にとってのご褒美だったと泣いているように見えて、なんだかすごく身に覚えのある感情で、イソのことがすごく好きになった。

 

 

 

   *

 

 

挫けずに、前向きに生きていきたい。

あんまり怒らないで、泣きもしないで健やかに毎日眠れたらいい。

 

今の自分の欲望。

韓国語を習いたい。スパイスレッスンに申し込みたい。ワンダヴィジョンが観たい(ディズニープラスには入りたくない)。フォトウェディング用のヘッドドレスとピアスがほしい。モスグリーンのネイルポリッシュがほしい。ビオレのぬれた肌に使うボディ乳液がほしい。ジェルネイルのキットがほしい。オカムラのオフィスチェアがほしい。

 

自分の容量に合わせて、欲望の大きさをトリミングして、破綻しないよう細心の注意を払っている。

 

雨宮まみさんの『東京を生きる』という本に、本当に欲しいなら、何も我慢せず手に入れればいい、それなのにお金がないからとか置く場所がないから使う機会が多くないからと何かと理由をつけて手に入れる機会を自ら手放している、そういうのがしんどいというようなことが書かれていた。私は欲しいと思ってから買うまでにすごく時間がかかるタイプだけれど、今年は少しでも欲の瞬発力を上げられたらいいな。別に死ぬわけじゃないし、欲しいと思うならすぐさま買ってしまっていいんです、好きになれるかどうかってやっぱりタイミングがあるからね。2010年代後半、大人になってから『池袋ウエストゲートパーク』読んでもそんなに面白いと感じなかったし。

 

タイミング、逃さないように!

 

 

『サイコだけど大丈夫』を観た

 

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パートナーと同棲を始めて来月で一年になる。

この一年の間に何度も喧嘩をしたし、何度も傷つき傷つけられ、そのたびに言葉を尽くして仲直りをしてきた。パートナーの母親に、「この子の何がそんなによかったのか」と聞かれたときは、「喧嘩をしても、その度に話し合いをして仲直りができたことが一番の決め手。今まで付き合ってきたひととはそんなことできなかった。喧嘩したらそれで関係性がおしまいになってしまうから、喧嘩しないように怒らせないように気をつけて生きてきた」というようなこと伝えた。本心だった。

ふたりの間に何があっても、立て直せることができるのであれば、今後も関係性は続けていけるだろう、そう思ってパートナーと結婚した。

 

『サイコだけど大丈夫』のムン・ガンテとコ・ムニョン、そしてガンテの兄のムン・サンテは最初は喧嘩などしていなかった。それは、仲が良いというわけでもなんでもなくて、ただその関係性が無かっただけである。

 

ガンテは幼少期から、ASD(自閉症スペクトラム障害)の兄サンテの世話をして生きてきた。母からもサンテの世話役を期待されていた。ガンテは「自分は兄さんのものじゃない」と思いながら、ときには「兄さんなんか死んでしまえ」と願いながら、それでもサンテと共に生きてきた。そのためサンテを優先して生きる癖がついていて、感情的になることなど決してしない。

 

一方、欲しいものは「欲しい」と我慢することを知らず、感情の制御が効かないコ・ムニョンは怒鳴りながら車を運転し、叫び、思うままに生きている。父は入院生活をしており、母は死んだ。幼少期は支配的な母に従順に生きており、友人も少なく孤独だった。

ムニョンの母は、ムニョンの一番大切なものを奪うことで、自分に従わせるよう厳しく躾けた。

ムニョンは唯一の友人であるジュリと仲良くしたいがために、他の友人たちを奪いジュリを孤独にさせた。母のやり方しか知らないムニョンはそうすればジュリは私の元に来るだろうと思った。けれどジュリはムニョンの元には戻らなかった。ムニョンは孤独な女性だ。

 

物語が進むにつれ、ガンテは感情的になるし、ムニョンは人間のあたたかさを知るようになる。サンテと3人で食事をし、共に眠る。生活をするようになる。

 

『サイコだけど大丈夫』は、「カッとなる前に3つ数えてから行動しろ」「つらいなら自分の幸せだけを考えて」「自分は自分のものである」というメッセージを繰り返し伝えてくる作品だ。

 

具合が悪いときは赤ちゃんになっていい

 

あまりに身に覚えがありすぎて、サンテのこの台詞を聞いたときにどっと涙が溢れた。私は他の誰にも見せたことのないような甘え方をパートナーにはしてしまう。赤ちゃんになってもいいと心から思える場所や思える相手の存在がかろうじて私を生かしているだけだと、本当にそう思う。つらいときにパートナーがそばにいてくれるだけで心が軽くなって、救われる。

 

どんなに大切な人でも喧嘩したときや相手を許さないとき「お前なんか死んじまえ」って思ってしまうときがあること自体を肯定してくれるような作品だった。死んじまえと思ってしまうその感情は大切に持っておきなさい、と肯定してくれる作品だった。だからといって他人を傷つけていいわけではないけれど、甘えてもいいのだと優しく慰めてくれた。

 

「過去に縛られたひとがいたらその紐を切ってあげて」というようなメッセージも要所要所で出てきて、そのために人は寄り添って生きていくのだよなあと思った。

逃げ恥の百合ちゃんが「自分に呪いをかけないで。そんな恐ろしい呪いからは、さっさと逃げてしまいなさい」と言っていたけれど、ひとりではどうしても呪いから逃げられないときがあって、それを断ち切る他人がいてくれること、そのことの尊さを痛感した。

 

むかし、むかし、気持ちを隠してばかりの子犬がいました。
木の下に繋がれていて性格はとても明るく、春の日の犬と呼ばれていました。
ところが昼間は楽しそうに遊んでいても、夜になるとクーン、クーンと人知れず泣くのでした。
本当は春の日の犬は、首ヒモを切って野原を走り回りたい思っていました。
でも、それができないので、悲しそうに泣いていたのです。
ある日、心が春の日の犬に囁くように訊ねました。
どうして君はヒモを切って逃げないの?
すると犬は言いました、余りにも長く繋がれていたから、切り方を忘れちゃった。

(『サイコだけど大丈夫』 7話より引用)

 

最後に私の好きな台詞たちを引用しておしまいにします。

 

ムニョン、むやみに順位をつけるべきじゃない。誰かを好きで大事で心配する気持ちは、比べられない。

 

必要な時に現れればそれが運命の人だと。

僕には君が必要だ。