人身事故現場で人々が「頑張れ」と叫んでいるのを見た

水曜日は定時退社日なので、水曜日である今日はさっさと会社を出ることにした。10月に入ったとはいえまだまだ蒸し暑い日が続く、半袖にカーディガンでちょうどいいくらいの気温の日だった。

 

8月は残業時間が45時間を超え、9月も44.5時間くらいだった。会社員生活3年目、今まで20時間、多くて30時間くらいの残業で毎月凌いでいたのに最近どうも忙しい。それでも今日はまだ18時台なのに電車に乗ってる!すごい!と感動しながら目的地に向かった。

 

今日はオリンパスプラザにカメラを受け取りにいく予定だった。愛用しているミラーレスカメラのWi-Fiが起動しなくなってしまい、先週修理に出していたのだ。

 

事の発端は、この前の三連休、恋人は出張に行ってしまったので寂しさを紛らわすために一人遊びをするしかなく、下北沢を徘徊する前に腹拵えで寄った渋谷の喫茶店。隣に座った常連らしいおじさまとしばらくカメラの話で盛り上がった。「昔のPENはハーフフィルムカメラだったから普通は35mmフィルム36枚のところ72枚撮れるんだよ」「なるほどそれは画期的ですね」

よく分からない話がほとんどだったけれど、おじさまの話ぶりからしオリンパスNikon、Cannon、パナソニックとどのカメラメーカーについても相当詳しい人だというのがよく分かった。

 

「新しいことを教えてもらってるんだ」と店員さんに得意気な顔をするおじさまは、煙管を吹かしながら「そのカメラは携帯に写真を飛ばせるやつなのか?何秒くらいでいくの?」と覗き込んできたので実際に見せてあげようと操作していたところ、Wi-Fiが利かなくなっていることに気づいた。それで修理に出した。今度またあの喫茶店に行って、カメラが直った旨おじさまに報告したい。修理から戻ってきてピカピカになったカメラを横目にまた話をしたい。

 

オリンパスプラザに行ったところ、カメラを預けるときに担当してくれた女性の方が、今日も担当をしてくれた。巡り合わせが成功したみたいですこしうれしい。「研修中」と書かれた帯を腕に巻いて、鈴の鳴るような声でわたわたしながらも丁寧に接客をしてくれるひと。前回は気がつかなかったが、白く細い腕に真っ赤なハートマークが土台の皮の腕時計をつけていて、調べたところ楽天で3000円くらいで買ったものだなとあとで勝手にブランドまで特定した。当分はカメラを修理に出す予定もないし、オリンパスプラザを訪れる予定もないので、あの女性とはもう二度と会わないかもしれないけれど、クレジットカードのスキャンがうまくいかなくて慌てている様子や、スキャンがうまくいってほっと笑みをこぼす様子や、まだ研修中だからか決済のダブルチェックを他の男性社員に頼んでいるところ、丁寧にカメラを包んでくれるところなどなど妙にその方の動きに注目してしまった。

 

オリンパスプラザを後にして、この前カメラを預けるときにも寄ったパン屋で、今日はチョコレートパンとオニオンパンとしょうが昆布パンを買った。噛むと小麦の味がする、ハードめのパンを売っている小さなパン屋さん。あとは家でコーヒーを入れて余り物のサラダと合わせれば今日の夜ご飯は完璧だと思っていた。

 

帰る矢先、私が駅のホームに足を踏み入れた瞬間、ホーム中に警報が鳴り響き始めた。どうやら隣のホームで人身事故が起きたらしい。よく分からないがとりあえず電車が来るのを待とう。そう思いながらホームを歩いていると、隣のホームの電車の下に肌色が見えたような気がした。あれは人間の太もものような気がする、と思いながらも、人身事故の現場に遭遇したことのない私としては、粉々になった人間の肉であったり粉砕された洋服であったり血まみれになった線路の石とかが視界に入らなくてよかったと思った。何もよくはないのだが…。

 

5分もすれば電車は来るだろうと思っていたけれど、隣のホームの人身事故の影響で電車が止まってしまった。しばらく待つか、どうするか、と考えていたところ「がんばれーー!!!」という女の人の声が聞こえた。救助活動が始まったのか、私がいる側のホームでは人々が野次馬のように押し寄せてしゃがみながら電車の下にいる人間の様子を伺っていた。「がんばれーー!!!」と叫ぶ声が何度も聞こえる。電車は運転見合わせをするので乗客は一旦降りるようアナウンスがされ始めた。一斉に降り始める人たち、それでも降りない人はいるもので、空いた席に椅子取りゲームのように次々と人間が座っていく。

 

お前が座ったその椅子の下に、人間が下敷きになっている。それなのに座って帰りたいがためにお前は椅子に座っている。向かいのホームでは、頑張れと叫んでいる人がいるのに、椅子を座ってスマホをいじって知らないふりをしている。

 

良い悪いの判別はできないし、もし現場に居合わせたとしても私たちができることは何もない。頑張れと声をかけたところで何が変わるわけでもないかもしれない。それでも、と思ってしまった。何もできないけれど、と心の中で思った。

 

東京で働き続ける限り、人身事故の現場に居合わせても何も気にしないふうにスマホをいじれるようになってしまうんだろうか、そんなに奴隷船に乗って会社で社畜をするようになってしまうのだろうか、気を紛らわすためにスマホでパズルゲームをやるような人に、とりあえず写真を撮って人の顔が特定できる状態のままインターネットに流してしまうように。

 

埒が明かないので別のルートから帰ろうとホームから階段に向かう途中、先ほどまで人間の太ももが見えていた電車のあたりにブルーシートが引かれていた。相変わらずこちらのホームでは人々が野次馬のようにその様子を見ていて、頑張れと叫んでいる人もいる。

 

なんていうか、その一連の人間の様子、たとえば野次馬のように押し寄せる人、素知らぬふりで椅子に座っている人、騒々しい駅のアナウンス、落ち着いているようで一斉に人間が何かを発信し始めている様子(そのときちょうどツイッターは落ちていて使えなかった)、あらゆる人間の動きを見てしまって、よく分からないけど涙が出てきてしまった。東日本大震災のときもそうだった。何が何やらよく分からないけれど、ヤバいということだけは分かる、そんな状況下で意味も分からず涙がこみ上げて止まらなくなる。一刻も早く立ち去らないと私は負の感情を背負い過ぎてしまう。精神が侵食されてしまう。そう思って混雑に巻き込まれながらも別のルートから帰ることにした。

 

「当駅で人身事故が発生しました。ご迷惑をおかけして申し訳ございません」というアナウンスがしきりに流れていた。いつも人身事故による遅延や運休に巻き込まれると苛立ったり憂鬱な気持ちになったりしたけど、今日は、誰も謝らなくていいという気持ちしかなかった。

 

あと、人身事故が起きたとき、私が泣いて駅で動けなくなっているとき、ツイッターが使える状況だったら私は迷わずにツイートをしていたと思う。抱えきれないから、発信せずにはいられなかったと思う。でもそれができなかったので書き殴るようにして久しぶりのブログを書いている。本当なら1か月前にできた恋人のことを書きたいと思っていた。遅延やら間隔調整やらで動かなくなってしまった満員電車の中でこれを書いている。帰ったらおいしいパンを食べて早めに眠りたい。あのひとが、無事でありますように。