終わらせることが苦手

何かを終わらせることがとても苦手だ。

誰かが死んだと知ることもとても苦手だ。

 

何かが終わり誰かが死ぬことを想像して不安になることが私はとても得意だ。

 

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先日バレエの発表会があった。

半年間ほど練習をしてきた成果を他人に見てもらった。毎年夏に舞台に立つということは、幼稚園生のころから変わっていない。早いときは冬から練習が始まり、春が過ぎ夏が来れば舞台に立つ。化粧をして、衣装を着て、肌が焼けるように熱い照明に照らされ、人の呼吸する波が見える客席に向かって、踊る。

 

今年は一瞬で終わってしまったので少し味気ない気がしたが、去年『白鳥の湖』を盛大にやったので、足りない感覚があるのだと思う。いま足が物凄くむくんでいる。

 

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本番前の楽屋で友人と話していたことが、思いがけず私にとって大事なことだったのでここに書き残しておく。

 

ひとつの作品として観客に感動を与えるための配役、「この子は村娘が得意だから」という理由だけで何年も連続で同じ子どもに村娘の役を与え続けると、その子どもは他の役柄を演じることができなくなる。そういうお教室がどこかにある。けれど、私の先生は違う。オーロラ姫もキトリも海賊も妖精も白鳥もパドフィアンセも踊ってきた、踊らせてもらってきた、あらゆるチャンスを与えてもらってきた。

 

作品という成果物を見てもらうために日々練習を頑張っているのではなくて、自分の踊りたい演目を勝手に踊ってそれをたまたま見てもらう機会がある、というのが、発表会のための配役に苦しむことなく楽しく続けられる理由だと思うし、今の教室はそのようになっていると思う。それってすごく恵まれた環境だよね、という話をしていた。

 

以前、バレエの先生から「あなたに主役をやらせるのはそれが務まると思ってるからなんだから、自信持ってやりなさい」と言われたときに、すごく救われた気がしたのを今でも思い出す。あなたにならできる、だから声をかけている、迷惑をかけてでも自信を持って楽しんで踊ればいい、と先生は色んな人に言っている。「私なんかで大丈夫だろうか」と不安になるときは、この言葉を思い出して、声をかけてくれた先生の期待を裏切らないためにも頑張ってみようと思える。人の扱いがすごく上手な先生だと思う。

 

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来年の発表会は、バレエを20年続けてきた中でも一番大きなチャンスを掴んだので、まだ今年の発表会が終わったばかりだけれど、これから猛練習しないといけない。ストイックだと言われるけど自分ではそんな自覚はなく、私がどんなに練習をしても追いつけないほど上手な人が周りにいて、その人たちに置いていかれないように必死なだけ。というか、身体を動かしていないと落ち着かないだけだと思う。

 

本番当日の話に戻る。

 

 

 

「子どもたちがいきいきしている」と他のお教室にも通う人が話していた。本番直前なのに袖で踊りまわっていること、自分の演目でもないのに友達の練習を見て振り付けを覚えて踊ってしまう元気さがあること、踊り終わったあとに「ちょっと失敗しちゃったけど楽しかった!」と言い切れる素直さがあること。

 

「他のお教室だと先生に叱られて大人しく萎縮してしまう子どもが多いけれど、ここは違うよね」とその人は話していて、確かに子どもは無限に喋ってるし無限に踊ってるし何か萎縮してる様子はあまり見たことないなと思った。これもまた恵まれた環境だと思う。

 

 

 

こんな、恵まれた環境でずっとバレエを続けていきたいと思う。

 

「いつまでも楽しく踊れることを祈っています」と花束に添えられた母親からのメッセージを見て、そうだね、と思った。

 

楽しく踊り続けるために何が必要なのか、考え始めると途端に不安が押し寄せてきて胸がひゅうひゅうする。呪いであり、祈りだ。母親にとっても、私にとっても。

 

教えてくれる先生も、踊り続けたいと思う私も、毎年観にきてくれる母親も、みんな老いていつか死ぬ。そうしたら私はどうやって生きていけばいいのか分からなくて頭がおかしくなりそうになる。意外と人はすぐには死なないらしいけど、確実に老いる。それだけはどうしようもできない。

 

誰もいなくならないでほしいと思うのに、終わることばかり考えてしまうのは悪い癖だ。

 

身体が硬くなる、振り付けの覚えが悪くなる、仕事が忙しくなる、働きながらレッスンを受けるという時間作りをする体力がなくなっていく。その中で若い世代がどんどん上達して世代交代の波にさらわれる。私より若く恵まれた条件の身体を持つ人間に太刀打ちできるはずがない。過去の自分より上手に踊るためには、自分の周りに降りかかる老いとうまく付き合いながら、耐えず鍛錬するしかない。怖い、そんなことできるのかな。

 

 

いつか、「もうこれで踊るのはやめにしよう」と決断できる日が来るのか、と考えると、来ない気がする。今まで20年続けてきて、そんな決断ができた試しがないからここまで来てしまっている。

 

 

「20年も続けてることがあるなんてすごいね」と言われても、それの何がすごいのか私には分からない。やめられなかっただけ、やめる選択肢を選べなかっただけ、かといって、やめないという選択肢を選んできたつもりはなく、何も選択せずにいたらここに辿り着いていた。

 

何かが終わることに関して、終わらせることに関して、とにかく耐性がないので、いつも終わるときは大抵何らかの外的要因がある。私が踊らなくなる、その外的要因。

 

 

人間関係が終わることに関してこんな感じなんだから、バレエに対しても、踊れなくとも何らかの方法で関われるように縁を繋ぎ続けていくんだろうな。まだその方法は分からないけれど。