平日

 

人との会話に飢えている気がする。
一人暮らしを始めて数ヶ月。ずっと前から住んでいたみたいな顔をしてスーパーで20%引きのベーコンを買ってスクランブルエッグと一緒に食べている(夜ご飯)。

ネットで頼んだはずの再配達が来なかったり、近所ではハーゲンダッツは199円で売っているのにコンビニでは270円くらいしている、社内でセクハラ被害に遭っているから「どうかアイツ宛ての電話ではありませんように」と祈りながら電話対応をしている。

 

問題は加害者だけではなく、問題を問題として扱ってこなかった周りの人間にもある。
人は仕事をしているふりをしているだけで、その実なにもうみだしていないということが往々にしてある。
人が死に、妊娠している。

 

昨日はラジオを聞きながら爆笑していたのに、今日はベッドでボンヤリしているだけで22時を過ぎた。今週は金曜日が祝日だから頑張れるだろうと思うのに、何がつらいというわけでもないのに疲れていて、それをラジオや音楽やインターネットで一時的に癒しているにすぎない、AVを見ながら変なタイミングで達したわりに翌朝はけだるさが残っている、ずっと食べたいと思っていたジャンクフードを食べたはずなのに満たされている感覚は薄い。

布団の上の髪の毛、床に散乱したペットボトル、テーブルに置かれている再配達の紙。

人生をどう生きていきたいとか、自分はこうやって幸福になりたいという目標はないけど、自分の時間を自分の思うように使いたい、自分で決めた忙しいスケジュールを漏れなく遂行できるような元気がほしい、元気がないけど深夜にアイスを3本も食べたりする。

海に行きたい。

私に価値を見出す人間、それは若さであったり女という性別であったり、趣味、話し方、容姿、性格、別になんでもいいし相手にとって私という人間が何かしらの利用価値があるのならそれでいいんだけど、そういう他人と海に行って何をするでもなく生きていたい。生きていたいなあという気持ちが強くて泣いている。

私はきれいな写真は撮れないし、ハイブランドの化粧品を買うお金もないし、良い喫茶店や良い洋服や良い場所も知らないけど、自宅近くの商店街や、いつも使う電車の読書率が高いことや、スーパーの店員さんの愛想がすごく朗らかであることはよく知っていると思う。

言語化できるイベントが発生したことによる、感情のゆらぎ、たとえば冠婚葬祭、そういうことは何もない。

ひたすらにプロ野球を見ながらずっとつらい、胃袋に鉛を落とされたみたいになって、人間はこうやって生きているんだなと、親、学校、練習、食事、好きな人、好きなこと、睡眠、仕事、運、天気、季節、電車、みたいなことを思っている。
1塁と3塁にチームメイトがいる、試合はノーボール・2ストライク・2アウト、これで自分が打たなかったら、打てなかったらチームに点が入らないままその回は終わる。

 

これまでの誰かの努力、これまでの誰かの声援、これまでの自分の練習、これからの自分の人生、これから、

誰か一緒にご飯でも行きましょう。