私の行ける街

私の行ける街が減った。

 

平日は会社と家の往復で、土日はバレエばかりしているし、特に仲の良い友達と遊ぶところはいつも大抵場所が決まっていて、でもそういうことじゃない。

 

今の私の行動範囲を、過去の私が狭めている。

 

例えば、付き合っていた人と泊まった旅館や、手を繋いで歩いた水族館とか、好きな人と泊まったホテルや、たまたま時間が空いたからといって訪れたショッピングモールや映画館、いつも会うときに使っていた駅、連れていってくれたラーメン屋、そういった場所たちが、会社と家の往復の間にあって、ときどき友達と遊びに行く際に通り過ぎる駅だったりして、胸が変な風に締め付けられる。

 

今、ひとりでそういった場所に降り立つとして、私は自分の足でちゃんと立っていられるのだろうか、という気持ちになる。

 

思い出ばかりが反芻されて現実を直視できない。

 

いつも駅ビルの前でスマホをいじりながら誰かを待っていて、もうすぐ来るだろうなという気配を感じながらも顔をあげないでいたこと。きっと見つけてくれるだろうという気持ちが私の中にはあって、そういう過去の行いが今の自分を苦しめている。

 

待ち合わせのときに自分から相手を探そうという意思のない、きっと見つけてくれるだろうという待ってるだけの人が大嫌いだけど、それでも好きな人を待っている間は自分もそういうことをしてしまう。

 

これからバレエで使うシューズを買いに行く。

そのお店は、好きな人と過ごしたホテルの近くにある。どうしても躊躇ってしまうし、泣き喚いて今すぐ連絡しようと思うけど、過去に縋ってるみたいだし、自分の過去は、自分の思い出は、自分で背負っていかなければならないとも思う。

 

いつか時が解決してくれることなのかもしれない、他に付き合う人ができたとしても、他に好きな人ができたとしても、過去に苦しんでいた私を楽にしてくれた人、楽にしてくれた場所のことを忘れることはきっとできないんだと思う。

 

どこかの駅に降り立つたびに、「ここであの人を待っていたな」とか「信号を待つことさえも惜しくて、車の停まっている場所まで早足で行ったな」とか「『もうすぐつく』って連絡にすごく喜んでいたんだな」とか思う。

 

一人暮らしをするための部屋探し、住む場所探しをしているんだけど、そういう思い出の場所が私にはたくさんあって、好きな人と過ごした好きな駅の名前が無機質な音声として電車内に流れるだけでつらくなるから、あわよくば今行けば会えたりするんじゃないかとか、せめてすれ違ってあの人が元気に過ごしていることを確認だけできたらいいなとか、欲望ばっかりになって狂いそうになるから、誰かと生活をしたり、生活じゃないことをしたり、そのことはそのときだけのものじゃないんだなと思った。

 

好きな人がどこかで元気に暮らしていることを願っています。私もなるべく元気に暮らしていきたい、できれば自立という形で。

 

努力の方向性を変えられるよう親は子どもに対してアクションを起こさなければいけないんじゃないかという話

 

週一で通っているバレエのスタジオには中学一年生の女の子がいる。

その子が「来週と再来週休みます」と先生に伝えていたので理由を聞いたところ、「今度テストがあってその勉強をしなくちゃならないので」と言う。

「学校の成績悪いと親にバレエをやめさせられちゃうんです」と言うほど親は子どもの勉強的教育に熱心で、その一方で「親は私の大事な習い事であるバレエを遊びだと思ってる」とも言う。習い事も教育の一種だと私は思うんだけど、どうしても良い高校に入って、良い大学に入って、良い会社に入ってほしいという親の願いが強く、中学一年生の今から塾に週に何回か通っているとのこと。ここで言う"良い学校"は偏差値が高いこと、"良い会社"というのは大企業で年収がそれなりであることを指す。

これは別に誰が悪者であるとかそういう話じゃない。

彼女は家にいるときも勉強をしていると言っていた。
学校や塾の宿題だけでなくいつも予習や復習としていると。
私が中学生のころは教科書なんか学校に置きべんしてたし、家に教科書を持って帰っていないんだから予習も復習も全然やるわけがなかった。だからといって勉強ができなかったわけではないと思うし、高校も県内では中の上か上の下くらいの公立に行くことができた。運がよかったんだと思う。

「家で勉強している間、親は何してるの?」
「寝てる」

「勉強することは好き?」
「好きじゃない」

「でも、バレエは好きだから、今度の発表会で遊びじゃないってことを言うために練習頑張ってるんです」

涙ぐみながら言っていた。

私はそう力強く宣言する彼女の横顔を見ながら、本当に頑張ってほしいと思った。


この前までTBSで『下克上受験』というドラマが放送されていて、子どもなんか全然好きそうじゃない深キョンがいつもの演技でお母さん役をやっているというところが個人的にはわりと好きだったんだけど、あの作品の内容は子どもの受験に向けて、塾に通わせるのではなく父親が仕事をやめて付きっきりで勉強を教えて、受験合格を目指すという話だった。

仕事をやめて参考書を大量購入して付きっきりで子どもに勉強を教えるくらいの覚悟が、受験には必要なんじゃないかなと思う。何もかもかなぐり捨てて親がしてあげられること、それくらいの熱意とかエネルギーとか。別に塾に通うことの良し悪しとかの話じゃなくて、子どもが勉強しているときに親が寝ていること、まあ別に子どものノートを見て丸付けをしろとか添削をしろとかいう話でもないんだけど、なんか、そういう彼女が勉強を強いられているという境遇にいることそれ自体が私はなんとなく悲しかった。


子どもに不足のない人生、"良い人生"を歩んでほしいと思って、親は、「よかれと思って」子どもを塾に通わせる。「よかれと思って」やっていることだからなおさら、タチが悪くて、一概に親を悪者にできないところが家族に関する話のつらいことだと思う。


三浦しをんの『まほろ駅前多田便利軒』で出てきた由良(ゆら)という小学四年生の男の子も彼女と同じように受験のために塾に通わされている子で、その送り迎えは「他の親に対する見栄」、つまり塾に通わせるお金があってかつ毎回送り迎えもできる余裕があるというプライドの誇示、ただ実際問題として送り迎えができないから多田便利軒が借り出されるわけなんだけど、決してあの小説に出てくる親は子どもを心配して防犯上何かあったら大変だから送り迎えをしてほしいと頼んできたわけではなく、周りの親に対して体裁を整えるための依頼だったと記憶している。それを子どもも自覚して了承済みだった。だからこそ親のいない自宅で何度も『フランダースの犬』を見て「この話の良いところはネロに親がいないところ」と断言する。


私も小学生くらいのころからバレエとか習い事のたびに送迎をしてもらっていた。親の「よかれと思って」に甘えていた。でも、ときには叱られていつもは車で送ってもらっている道をいつもの3倍くらいの時間で泣きながら歩いて必死に習い事に行ったりもした。それくらい私は習い事が好きで、どうしても家にいたくないときがあったからこそ必死に歩いて目的地まで歩いた。

いつも車で通っている道を自分の脚で歩いてみて初めて、いつもは目に入らなかったパチンコ屋さんの看板とかマンションの名前とかそこらへんの植木とか家の外で飼われている犬とかに気がついた。いつもの道が全然景色を変えて自分の目に入ってきた。
そういう経験が大事なんじゃないかなと思ってるわけ、私は。

ちょっと不審者っぽい人に遭遇して怖かったとか、自分の脚で時間をかけて歩いたからこそいつもの送迎のありがたみが分かるとか、そういう、逆説的に物事の大事さを実感していくみたいな、ことであってほしいわけ。


怖い思いをしてみないと親の愛情なんか全然気づかないわけ、どんなに「あなたのためを思って」と言われても、その背景を頭では分かっていたとしても、体験していないからイメージがわかない。そういうのじゃ良くないと思うのね、籠の中に入れられた鳥みたいに外の世界を知らないまんまで大人になったときに、いつか大人がいなくなってしまったときに自衛する方法を知っているのといないのとじゃ全然違うと思うわけ。

全然違うと思うんだよ本当に。

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つらくなってきたので、いらすとやの犬の画像でも見て元気になりたい(唐突)。



で、その子は家にいる間は勉強してるからテレビはほとんど見てないとも言っていて。
今がどうかは知らないけど、私が小学生とか中学生のときは、クラスメイトとの共通の話題はテレビが一番主なものとして眼前にあって、テレビの話題についていけないと会話の中に混じれないみたいなことがあったような気がする。別にテレビだけが一番じゃないけど、狭い世界ではどうしても昨日見た『学校へ行こう!』でやってたゲームを早速友達とやってみて大ウケするみたいな、今でいうとブルゾンちえみとかサンシャイン池崎とかの話で盛り上ったりするんじゃないのかな。

そうなってくると、勉強の話だけでなく、クラスになじめるなじめないという話も出てくるわけで、なんか、親が子どもの将来を案じて前々から勉強の習慣づけをさせるというのは良いことである一方で、それよりも、将来の子どもの姿ではなくて、たった今目の前にいる子どもを見てあげてほしいというのが私の気持ち。


22歳になってよく思うのは、過干渉で親切で「よかれと思って」色んなことをしてくれる親だけど、本当に助けてほしいときには助けてくれなかったなと思う。
私が「クラスのあの子が馬になって○○ちゃんに乗られてた!」とか今日あった楽しい出来事を話してるだけなのに、担任にチクられて学級会が開かれるなんてことがしばしばあった。
友達が「めがね貸して」と言ってきたので貸してあげたという話を親にしただけなのに、翌日には「めがねをかけている人にとってはめがねは身体の一部だからむやみに借りるのはやめましょう」という学級会が開かれたりする。地獄か。
でも、親はよかれと思ってやってるんだから仕方ない。「めがねを取られているあなたがかわいそうでかわいそうで仕方なかったのよ」と言っていた。私が私の意思に基づいて友達に貸しただけのそれを奪われたとかいうふうにストーリーを歪曲して受け取ってしまうことそれ自体も悲しくて、私が楽しいと感じている出来事、楽しいと感じることさえダメなことなのか当時は本当によくわからなかった。




私の家は幸いなことに親に「宿題やりなさい!」とか「明日の準備しなさい!」とかは言われたけど、「良い大学に入らなきゃだめよ」とか「大企業に就職しなさい」とかは全く言われたことがなくて、家庭環境が悪いと自負しているわりにそこだけは救いだったなと思う。


今日の彼女の様子を母親にしていたところ、母親が、「親だって子どものためを思って色々言っているんだけども、それがどうしても嫌な場合は、何度も親を説得し続けなきゃいけないと思うんだよね。外の人には言えて親に言えないなら、ある程度仕方がないんじゃないかと思う」と言っていて、なんかそれ聞いて私は泣いた。

言い出しづらい環境を作り出しているのが親だとしても自分だとしても互いによるものだとしても、擦り合わせをしろと、親に自分の意思を見せ続けなければいけないということを話していて、それはめちゃくちゃ難しいことだけど、正しいことだと思った。


周りの人は「偏差値の高い○○高校を受験するんです、そのために勉強をしているんです」と言うと「えらいねえ」って絶対言う。
その言葉の中には「そこまで勉強して何か得るものがあるのかな」と懐疑的であったり「うちの子はそこまで勉強させられないな」という劣等感であったり心の底から「そんなに頑張ってえらいなあ」とか、色んな意味が含まれているんだと思うけど、子どもはそうやって「えらいねえ」と周りに連発されることで、「親が敷いたレールが良い道なんだ」と学んでいく。

別に人生の選択に良い悪いとかないし、本来なら自分の生きたいように生きることができたらそれが一番なんだけど、小学生とか中学生とかまだアルバイトができずに親に手綱を握られている状態で、「成績悪いならあなたの好きな習い事をやめさせるから」と言われてしまえばそりゃあ勉強するしかなくなるわけで。

そういうのって卑怯なんだよね、本当におかしいと思う、本人の意思なんか聞かないでこの道を進んでいってくださいと示していくのは。
そして、子どもだからなおさら「頑張って勉強すれば努力が実って志望校に合格するはず!」と思いがちなのも良くないと思っていて。

私の好きな言葉でビートたけしの「努力すれば夢が叶うなんて事はない。 努力とは宝くじを買うようなもので 当たり券を買うことではない。」という言葉があって、なんていうか私が言いたいのはこれだけ!
今だからこそ思うことだけど、別に努力したからって何か見返りがくるわけでも褒められるわけでもなんでもなくて、成功するのは一握りだから、努力に期待しちゃいけないんだよって私は思う。努力しないで成功した人を憎んだり嫉妬したりするのもおかしいんだよって思う。どれだけ勉強に時間を割いたからといって成果が出るわけではなくて、メリハリバランスを取ることがそこには必要で、ただ「勉強している時間」が何かの免罪符になるわけでもなんでもない。


ただ、親として子どもに何かできるとしたら、子どもが何かしらの壁にぶち当たっている、何度も失敗をしているときに、その方向性を変えるよう声かけをすることくらいなんじゃないかなと思う。
大人は「何度も同じ間違いをするときは、やり方そのものが間違っているんだ、それならやり方を変えてみよう」という発想ができるんだけど、子どもだとそういうことができないかもしれない。「今回はこれでうまくいかなかったけど、じゃあ別にこんな方法があってそれをやってみたらどう?」と提案すること、そういうサポートの仕方が大事なんじゃないかなと思う。

あとは何か間違いを起こしたときとかに頭ごなしに叱りつけるんじゃなくて「どうしてこういうことをやったの?」と聞くとか。「どうして?」と子どもに尋ねるのは教育上良いって何かで読んだ。実際は知らないけど、「どうして」を深堀りして考える習慣をつけるのは大事なことのような気がする。その「どうして」を自分の口で説明できるようになることも大事だと思う。

まあ、子どものいない私が言うのもなんだけど。

安心毛布にくるまって寝たら毎日血だらけの話

私が大事な人と会えない間、何してたか知ってる。
あなたの働いている場所、一緒に働いている人、一緒に生きていく人、生きてきた人のことをインターネットで調べてたわけ。ネットストーカーとして暗躍してたわけ。

「最近Facebook更新してないよね」

人がそこで息をしているという破片をインターネットで拾い集めてやっと安心して眠れるようになる。私あなたのことはよく知らないけど、あなたのよく知らない同じ部署のあいつの趣味のことよく知ってるんだ。犬が好きで年甲斐もなくパーティーに参加してそれで満足してるんだよ。2011年の3月12日に「東北に住んでる従兄弟と連絡が取れません」とツイートをしてからもうずっと更新してない誰だか知らない同じ会社の人のことだって知ってるんだ。知ったところでそれは何の切り札にもならないんだけど、私の安心毛布だからどうか奪わないでほしい。

安心毛布は内側にルブタンのスタッズみたいなとげとげがたくさんついてて、あったかく眠れる一方で目を閉じながらもずっと咳をしているみたいな感じがする。
自傷なのは分かってても、価値があったりなかったりすることは度外視してゴミも全部かき集めて情報に埋もれて落ち着いていたい。

スクロールしても永遠に見終わることのできないツイッターのアカウントがあれば、iPhoneのナイトモードをオンにして暗闇の中ひたすらに親指をすべらせ続けられるのに、そういうのはないからフォロワーを辿って終わりのある作業をしてる。もう更新のなくなったアカウントでさえ何か繋がりがあるんじゃないかと思って非公開リストにいれてコレクションしてる。しょうもない。

 

 

 

 
卒業式でゼミが一緒だった友達と写真を撮った。そのあとLINEで写真の交換をして終わった。もう二度と会わないかもしれないけど別に泣くほどつらいわけじゃなかった。学校で会ったときは楽しくおしゃべりをしたけど何が好きでどんな人と付き合ってるのかなんて知らなかったし学校の外で会うこともほとんどなかった。


バイトの最終出勤日に、その日出勤じゃない人がわざわざお店に来てくれてさよならを言いに来てくれたこと。その人たちはこれからもあのお店で変わらず働き続けるんだろうし、私が出向けばきっと嫌な顔をせず受け入れてくれると思う。頑張れば会えないわけじゃないということそのものが私を安心させてくれる。


バレエのスタジオから一人の女の子が辞めるらしい。お姉ちゃんがもともと通っていたスタジオに移動するから妹であるその女の子はあっさりと今の場所からいなくなってしまうらしい。

私の母とバレエの先生が些細なことで大きな喧嘩をしたときに、母は「もうバレエ辞めなさい、あの先生のところではやらせません」と私に言った。客観的に見て明らかに母が人に迷惑をかけたことが発端である喧嘩だったため、高校生だった私はバレエの先生や他の保護者に頭を下げてまわった。「うちの母が迷惑をかけてごめんなさい」と頭を下げた。母は更年期障害の出始めだったんだと思う、それを受け入れられないでいたし、私も母の変化がつらくて責め立てたこともあった。だから、だからというわけじゃないけど色々仕方がなかった。
先生に、「もうバレエ続けられないかもしれないんです、どうしよう」という話をしたときに、先生は泣いた。初めて先生の泣き顔を見た。これまでどういう家庭で育ってきたのか、お父さんはどんな人でお母さんはこんな人だったという話をしてくれた。独立して教室を始めてから、たった5歳の私に出会ったこと。スタジオが移転してもずっとついてきてくれたことが嬉しかったと話してくれたこと。今まで色んな人が先生のもとを去ったけど、そのたびにたくさん泣いて眠れない夜がたくさんあったこと。私が辞めるかもしれないという話を聞いて、今日も全然眠れなかったんだと話してくれたこと。

人が、どこかからいなくなることで悲しむのはわりと残された人のほうで、いまどき誰もが携帯を持っていて、頑張れば連絡が取れること、連絡先を知っているという事実がどれだけ自分を安心させてくれているか分からない。

頑張れば連絡が取れるのに、その少し踏み出す力が出なくて、それとか私がこれから働き始めたときに土日はちゃんと休みたいから人と会うよりも家で過ごすことを選択してしまうようになったり、色々あって今まで関わってきた人たちがもう交わらない人たちになってしまったりする。



坂本真綾は「この星が平らなら二人出逢えてなかった/お互いを遠ざけるように走っていた/スピードを緩めずに/今はどんなに離れても/廻る季節の途中に/また向かい合うのだろう」と歌い、

鈴村健一は「みえないリングにとらわれてる世界のなかで/君と僕が同じ道たどってる軌跡」とか「鞄の中ちゃんと整理して/持っていけない荷物別れ告げて/さあ踏み出そう 寂しいけど」とか歌ってた。

彼ら夫婦の、生きてきた道が本当に羨ましくて、人はそれぞれの道を歩んで、交差したり離れたりして別れも確かにあってどんどん荷物は増えていくけど大きい荷物は自分で持って、持っていけないものにはお別れをして、そういう生き方を私もしていきたいと思う。

昔の人に会いにいくときに、今まできた道を戻るんじゃなくて、これからの道を進んだ先で会いたいと思う。

私は人の気持ちが変わっていくのを見るのが好きで、人が変わっていくのを見るのが好きだから、それに良いも悪いもないし、人の生きてきた道を知るような、そういう変遷はすてきじゃないですか。

「一ヶ月前に会ったAと今会ってるAは 確かに過去は内包してるけど確実にぴったり重なるわけないのよ なぜなら時間が経ってるから その間会ってない期間があるから、だからそのときに 変化したことに関して変化を押しもどすような退行させるような発言ってあんまよくないと思うわけ」という話をした。

人との別れに慣れることはできないけど、別れのつらさに耐える練習をしないと、そのうちおかしくなってしまう。誰かがどこかで生きてる破片を収集しても、何にもならないんだってこと、ちゃんと分かってるのにな。



2017年3月23日

卒業した。大学からも、アルバイト先からも。

 

一か月前までは行く気のなかった卒業式は、袴を着たいという気持ちもなく友達も多くない私がわざわざ卒業式に出たところで何か記念になるのか疑問だったけど、付き添ってくれた親は私が卒業式に参加すること、留年もせず難なく単位を取得してストレートで卒業すること、そして自分が付き添っていいということ、娘の晴れ姿を見れるということを喜んでいたので、多分記念にはなったと思う。

卒業式というのは当事者よりも当事者の周りにいる人々のほうが感じるものは多いような気がする。

 

振袖を着ました。

 

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帯がすごい。

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「厳しく指導してくれた先生方、ここまで育ててくれた保護者の皆さまありがとう」というような答辞を、1、2年のときの英語の授業で一緒だったクラスの真面目くんが任されており、なんだか遠いところにいるんだなきみは、と思った。

田舎から出てきた野暮ったい青年が、恋愛なんか知らない、勉強もイマイチなくせに真面目に頑張ってるような、授業終わりには教授のもとへ話を聞きに行っているような青年が、いま多くの卒業生や先生や保護者の前で堂々と答辞を読んでいる姿を見て私は大学で結局何もできなかったんじゃないかと思う。英語の授業を取らなくなってから取っている授業がたびたび重なることはあれど全然喋ることはなかった。すれ違っても何もしなかった。教職を取っていて教育実習に行って先生になりたいという夢を懸命に追いかけていることなんか知らなかった。

 

私は、確か3年の前期まではフル単で、卒業までに落とした単位は2つだけで、4年生前期の就活時期にはほぼ卒業要件単位を取得しており、ここ半年は授業を取らずひたすらにアルバイトと習い事をして過ごした。

 

大学の授業はジェンダー論と社会学民事訴訟法と民法が消費者法と会社法が面白かった。

生身の人間が社会で生きていることを実感できる法律がすごく好きだった。

 

「女が外で働いても男と比べて給与が少ないのであれば私的領域で家事をこなし、稼げる方の男が外で働いて、それで2人で生活すれば合理的ですよね」みたいなことをコメントシートに書いたらジェンダー論の教授から「あなたは結婚を合理的なものでしか見てませんね」みたいなこと言われたの思い出してる。恋愛工学の問題点について無理やり話してもらったのもよかった。

 

「人柄や好感度は気にしないで、むしろ言ってることに矛盾しないかってことのほうが大事なんですよ、嘘をつくってことは大変なことなんです」

 

「親と縁を切る 幸せになるための鉄則です」

 

「法律の条文を絶望的に理解できない学生さんがときどきいますが、それは人の悪意を知らないからなんだと私は思います。人間として幸せな環境に育ったから私はいいなと思う、頭が良い悪いではない、人の悪意を知っているかどうかです。」

 

大学で習った学問そのものよりも、教授の価値観、実感のこもった言葉の方が鮮明に覚えている。

 

1年生にも容赦しない厳しくて辛辣な民法の教授のゼミナールのテーマソングが中島みゆきの『ファイト!』だったときは本当に震えた。

「私は、『冷たい水の中をふるえながらのぼってゆけ』という歌詞が好きなんだ』と話しているその姿に胸打たれたのをよく覚えている。

 

大学在学中に学外の人によく会った。インターネットの人にも、会社の人にも、インターン先の人にも、芸能人にも、たくさんの大人とたくさんの子どもにも会った。

アルバイトは塾講師・メロンパンアイスクリーム屋の店員・郵便局の年賀状仕分け人・バレエの先生・不動産屋の営業・中華惣菜の店員とか色々バイトした。一昨年は掛け持ちをしていたので還付申告をしてお金が戻ってきたりした、通帳に税務署から振込みがありましたって書いてあるの面白くて笑った。

 

今日は、アルバイトの最終日で、今までどおりに働いていたら一番お世話になったパートさんが出勤日でもないのにプレゼントを渡しにきてくれて本当に嬉しかった。「また寂しくなったらお店に来てね、またお話しましょう」と言ってお別れをした。

アルバイト先で一番話が合って、愚痴を聞いてもらったパートさんも来てくれてまたプレゼントをもらった。その人には「でもやっぱり寂しいわ」「素敵な会社ライフを!あといい人見つけてね」って言われた。

店長には「シフト協力してくれてありがとね、本当助かった。オープニングから働いてくれてありがとう」と言われた。

 

もらったプレゼント

 

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多分、今までで一番働きやすくて居心地がよくてやりがいのある職場だったと思う。学生バイトもパートさんもてきぱきしてて、仕事を先回りしてやってくれる人もいればそうじゃない人もいたけど、それで結局バランスが取れていて、パートさんに色々愚痴を聞いてもらいながら、社員のダメなところを言い合いながらも楽しく働けたと思う。楽しかったなあ。時給もよくて家から近くてシフトも入りやすくて適度に仕事がハードで、売上目標という数字が目の前にあると頑張ろうと思える自分がいるということを発見できたこと、よかったと思う。

もともと老人嫌いを克服するために、老人がたくさん来そうなお店で働こうと決めたのが一昨年の9月ぐらい。それから他店で研修を受けてオープニングスタッフとして死ぬほど人が並んでいるレジを捌くのが本当に大変で、こりゃ時給に見合う仕事をしなきゃいけないんだなとひどく納得した。この高時給はこのハードな仕事の上に成り立っているんだなと思った。

後輩の指導、自分ができる仕事の幅を増やすこと、お客さんに商品を買ってもらえるように言葉を選ぶこと、常連さんの顔を覚えて何をいつも買っていくのか覚えること、新商品に目がないお客さんと何気なく店先でお喋りするのがこんなにも楽しいこと。色々経験ができたのは本当によかった。

 

大学の卒業式よりもむしろアルバイトからの卒業のほうがなんだか感慨深くて、今まであんなに仲良くしていた職場の人たちとなかなか会えなくなるんだと思うと寂しくて、いつでも厨房で些細なことで笑ってたのに、それが終わるなんて少し信じられなくて悲しい。

 

あと数日で四月になるけど、社会人になる自覚なんて全然なくて、それでも踏ん張っていかなきゃならないので、ヤバイときには助けてね、という感じ。これから満員電車に乗って通勤しなくちゃならないのが一番の苦痛。頑張って生きたい。

人に何かを教えるということ

バイト先に新しい子が入ってきた。

新人で後輩ではあるけど年上で、でも大学の学年は下の女の子。はっきりいって経歴が謎である。

 

いつもバイト先に新人が来ると、何から教えていいのやら分からなくなった挙句人見知りを発動してコミュニケーション不全に陥ったりするんだけど、さっき閉店間際にパートさんに、「私いつも新しい子が入ってくるとどうやって接したらいいのか分かんないんですよね〜、◯◯さんどうやってます?」って尋ねたら、「よなかさんはいつも新人の指導に当たってるよね」って言われて、そうか、私は毎回毎回新人にいろはのいを教えるところ、前提の前提を教えるところに遭遇してるなと思ったのでした。

 

バイトでも勉強でも大概は初歩的なやり方や解き方の基礎が分かってきたらもうそのあとは作業なり公式なりを覚えていけば応用ができるようになるものだけど、その「何も分からない状態」から「少し分かる状態」、0から1の階段にのぼるまでが結構しんどい。1から2に行くまで、2から3に行くまではこなしていけるのに、0から1に行くのが本当につらくて挫折したりもする。私の場合はアコースティックギターのFが抑えられなくてやや挫けて最近はもう何も弾けなくなりました。ツライ。

 

塾講師をやってたときに、初めて九九を勉強するという小学生、まずそもそもかけ算の必要性があまり感じられない(なぜなら時間をかければ足し算で答えが得られるから)という子に、これは「勉強だからやらなきゃいけないんだよ」って言うよりかは、「いちいち足し算やって時間かけてるのは超ダサいし、かけ算ができたほうがテストも早く終わるしかっこいいよ」みたいな言い方をして、あとはお風呂の中でもママに自慢するでもいいから呪文のように唱えてたら勝手に覚えるからずっと歌ってたらいいんじゃない?ってな感じで、その翌週には「七の段言えるようになった!」とドヤ顔でやってくる生徒が本当に可愛いものだった。かけ算くらいでドヤるな、logの計算ができるようになってからドヤってください。

 

で、まあバイトの都合上覚えなければならないこと、学習の都合上やらなきゃいけないこと、を新人や生徒が何かを習うにあたって、また教える側の人間がどうやってフォローを入れたらその子がうまく成長してくれるか、みたいなのを偉そうに考えるのが大好きなんですよ、私は。

 

バイト先でパートさんに「半年前に入ってきたあの子、一時期よなかさんそっくりの接客するからよなかさんがいるのかと思っちゃったのよ〜!あなたがちゃんと教えてるからそうなったのね」と言われて嬉しいやら恥ずかしいやらこそばゆい感じになった。

一時期私そっくりの接客をしていたけれども、今はちゃんと自分のやり方で接客をしているよ、という文脈が読み取れたのでそれもまた半年前に入ってきた彼女の成長が感じられて、それは私が教えた教えてないに関わらず、人の変化を見るのは良いことだなあと思うのでした。

 

子ども(特に幼稚園〜小学校低学年)に何かを教えるのはもう一種の洗脳で、理論で説明してもダメなところがあるんだけど、バイト先で出会う高校生以上の人たちには、「何でこの作業が必要なのか」とその人たちが納得できるように教えたほうが身につくような気がしてる。「このお店ではこういうルールだからこうやってね!」よりは「こっちのほうが効率的で、締め作業の短縮にもなるしあわよくば早く帰れるから、この作業はやったほうがいい」って伝えたほうが命令っぽくなくて、「早く帰りたいよね」っていう共感を持ってして仕事を覚えてくれる感じがあって良いような気がしてる。でも、それが全然うまくいってなくて、本当は陰で何か悪口とか言われてたらめっちゃつらい。

 

視野が狭くて当然だし仕事ができなくて当然だし色々指導されて当然なんだけど、それでも「(人の手を借りていたとしても)自分でやった!」っていう達成感と成功体験的なものでモチベーションをこれ以上下げさせないような、せめて「あの先輩にグチグチ言われるのがストレスだから出勤がつらい」、みたいなことにならないように、「仕事ダルいけどお金のためだし仕方ない」みたいなくらいでいいからお店に来てほしいなって思う。

 

先日ツイッターリツイートで回ってきた、「なぜ子どもはゲームにはまるのか」というツイートには、「ゲームは親と違って、昨日怒られなかったことが今日は怒られた、というのがない。頑張ってプレイしたらクリアできるという正当性にはまる」みたいな話になるほど〜と思ったし、ある種 勉強も会社で働くというのもゲーム感覚でこなしていったほうが楽な部分はあると思う。

 

「昨日できなかったことが今日はできるようになってる、その変化に気づいたらたくさん褒めましょう」って塾講師をやってるときには言われた。

 

叱るときは「厳しく・短く・後を引かず」って教えられた。

 

私の家庭では母も父も「なんでこんなことするんだ!この前だってあんなことして…」と今回の件とは別件の過去のことまで持ち出されてグチグチ言うタイプだったんだけど、「それは子どもに悪影響しかありません、怒られないように生きる癖がついて失敗を恐れるようになります、人目を憚って生きていくようになります」みたいなことを言われて、やっと、塾講師のバイトをやって、私の親は子どもの育て方が下手だったのかもしれない、と思ったのでした。

 

「怒ること」と「叱ること」は私としてはかなり違うもので、怒る人は怒りたいから怒ってるのであって「こんなことやっちゃいけない!」って理由も説明せずルールを強いるような、その人を自分のいいように動かしたいだけの発言に思えるしこれにはあまり指導や学習の意味合いはこめられてないような気がする。

 

一方で叱るというのは、「これはいけないことだからやってはいけない なぜなら」ってその理由まで教える印象がある。

 

この前読んだアンガーマネジメントの本には、「怒っている人がどんなに正論を言っていたとしても、他人は共感できない」と書いてあって、ああ確かに、それには覚えがあるなと思った。どんなに正しいことを言ってても、めっちゃ怒ってる人だと、お前に怒られる言われはねえし、正論だったとしてもムリなもんはムリ!!ってだいぶ拒絶反応が出るような気がする。

 

話は変わるけど、私は接客してて、「肉まん」とだけ言ってくる客、「肉まんがどうした!?なんなの!?くださいってもう4文字言えないわけ!?!?!?」ってなるし、イヤホンをつけたままレジにくる客に「口パクで何も言わないでお会計してやろうか!!私がAIなら何も思わなかったのかもしれないが普通に失礼なのでは!?!?!?」ってなるし、横入りして並ぶ客に「お前は人生でずっと横入りしてるようだからそんな不幸せそうなツラしてんだよ!!!!!!横入りしてることにさえ気づけない哀れな知能!!!!!!」って思うし、すぐキレちゃうから、何かスイッチが入った瞬間に、自分に不利に物事が動いた瞬間にワアアアッて怒るようなことはなくしたい。それを綴るためのブログ、そのためのツイッター

 

私はひたすらに父親が母親を怒って、体調が悪くとも心配するような一言かけず仕事に行って、「誰のおかげで飯が食えてると思ってんだ」と100万年くらい前の台詞を恥ずかしげもなく言い放ち、母が車をぶつけたときにはどこか怪我してないか気にすることもなく「お前は不注意がすぎる」と3時間くらい説教してたし、なんかそういう悲惨な状況を見てきたからこそ、親を踏襲しないで生きようと思うし、怒る人は普通に損だと思うし、人に何かを教えるにつけもっとうまくやれることはたくさんあるよな、と思ったので今日はブログを書きました。おわり。

 

 

 

 

「なんでもいい」問題について

関係をつなぎとめておくためにあえて他人にかける負荷みたいなものについて考えていました。

自分とは明らかに違う性質を持った人と遭遇すると、どうやって対応したらいいのか分からなくなるときがある。
まくしたてるように喋るとか、意味不明な知識をひけらかすような人々はコミュニケーションとして成立していなくとも、こちらが適当に相槌を打ってればなんとかなる。なぜならその人は話を聞いてもらいたいのではなくて単に自分が話したいだけなのだから。

私がどうしても困ってしまうのは何も意見を言わない人で、「ご飯何がいい?」と尋ねると「なんでもいい」と返事をするような人で、まあ私も昔付き合ってた人に「ご飯何食べたい?」って聞かれると嫌がらせのために「なんでもいい」と答えていたんだけど、「ご飯何食べたい?」って聞かれると そもそもご飯を食べるかどうかの選択肢が立ち上がってきて食欲失せるしいっそ「駄菓子と寿司どっちがいい?」と聞いてほしいと思っていたりもして、私が困っている「なんでもいい」という返事に関してわりかし私自身が相手への質問の投げ方が悪いというのもある。

おそらくは「なんでもいい」と返事をしがちな人に対しては具体的な選択肢で選ばせる方法を取ったほうが相手の負担が少なく選びやすいような気がしている。「なんでもいい」って人はそもそもの前提として選択肢が見えてないから選べないってことだと思うから、具体例をあげたほうがイメージしやすいんだと思う。

ネットの記事で「カレーとラーメンどっちが食べたい?」と質問された時点ですでに「食事をするかどうか」「食事をしない」という考えはなくなってしまう、みたいなのを読んだことがあって、そう思うと「ご飯何食べたい?」と質問をされると店探しの相談が面倒くさすぎて「なんでもいいし寧ろ食べたくない」という思考になってしまう自分の気持ちもなんとなく分かるような気がする。

 
自分は本当に色んなことに怒っていてすごく怖いんですけど、まあこの2015年のツイートにもまあ共感できるはできるんですよね。なんか、分からないことに遭遇したときにもちろん自分で考える作業は必要なんだけど、それで延々と悩み考えてたら人生が終わってしまうから、具体的に、例えば何時までに自分一人で考えてみてそれでも分からなかったらどこがどのように分からないのか詳細に示して人に頼りに行こう、みたいな時間を自分で設定しておくのってきっと、ダラダラ夏休みの課題を先延ばしにしておくみたいなことよりはずっと楽だと思う。



去年小学校のときからの友達3人とディズニーシーに行ったときに、「次どのアトラクション乗る?」「ご飯はどこで食べる?」みたいな話にほとんど「なんでもいい」と答える子がいて、せっかくお金払って時間かけて来てるのになんでそんなに全部がなんでもいいんだよ!と内心イライラして、ディズニーに詳しくないのならガイドを見るとかスマホで調べるとか友達に聞くとかすりゃいいのにそれもしないで「なんでもいい」って平然と答えやがって、結局他の子たちで相談して決めたようにアトラクションとか回っていたんだけ、そうすると変に罪悪感がわいてきて「なんでもいいとは言っていたけど、内心不満に思われてたらいやだな」という感じになり、すごく苦しかった。

で、「世の中にマジで自分の意見がない人がいて、全部の質問を「なんでもいい」って答えるんだけど、それってなんなの なんでそれで生きていけるのかな なんでもいいっていって生きてくほうがつらそう」ってツイートをしたときに、「辛くはない。むしろ楽。」「必要な時、必要な相手にだけ言います」ってリプライをもらって、「なんでもいい」っていう人は決して自分の意見がないわけじゃなくてあえて言ってないんだという気づきがあった。

「好きでもない人にdisられるのが我慢ならない。」とも言われて、別にあなたの意見が却下されたからってあなたのことをdisってるわけじゃなくて、何かを決めるときに相談して決めたい、お互いの意見を知った上で選択したいっていうのが私にはあるから、なんていうか、そういう人もいるんだな、傷つけられている気持ちになる人もいるんだなと思った。お互いの意見を擦り合わせた結果よりよい選択ができるのかもしれないなら、そりゃ意見交換したいと思うじゃない!?!?!?!?!



あと別の話だけど、最近知り合いに映画に誘われて、「今やってるあの映画このあと観にいきませんか?」って聞かれたときに、なんとなく答えづらくなったのはイエスかノーで答えなくちゃいけないからで、選択肢の幅が曖昧で広すぎることと選択肢が狭すぎることで相手に負担をかけてしまうことって往々にしてあるなあと思うのでした。

コミュニケーションに関してもそうだけど、何かしら失敗したときって多分やり慣れてないかそのやり方自体が間違ってるかのどっちかだから、なんで間違えたかちゃんと考えないでたまたまこうなってしまったって偶然を装うのが私はすごくいやで、なんでこうなったのが原因をちゃんと考えないまま人と別れてまた新しい人と同じように失敗デートを繰り返すみたいなことはしたくないんですよね。

だからそういった意味も含めてツイッターで自分で文章をツイートしながらあのときはああだったのかもしれないとか、もしかしたら相手はこういう気持ちで言ってくれていたのかもしれないと自分の感情なり何なりをフラットにしていく作業ってきっと必要で、面と向かってだと人は他人に厳しいことを言えない、それは別に利害関係のある人たちではないから、ただ善意で、なんとなく気が合うから、一緒にいて楽しいから友達をやってくれているだけであって、親切にあなたのこういうところがよくないと思うなんて教えてくれる人は友達でさえ案外少ない。自分で気づいていかなくちゃいけない。

 

 この前知人が開いてくれた飲み会に参加して、当初は10人以上来るはずだった人が当日になって5人しか集まらなかったときに感じたことなんだけど、やっぱり多くの人に参加ほしいならそれなりの負荷ないしは付加価値をつけたほうが良いと思っていて、それは「欠席したら自分に不利に物事が動く」とか「もうお店でコース料理予約しちゃってて欠席したら他の人が自分の分のお金を払ってくれることになってて申し訳ない」とかそういう人に迷惑をかけるかもしれないから行っておこうとか参加することで被る被害を少なくしなくちゃみたいな人の心理を手綱にかけておく作業っていうのは意外と必要なんだなと思っている。

 
私は日本人的な飲み会の風潮なんか大嫌いなんですけど、人に「新卒は数字を出せてないんだから飲み会に行って可愛げを見せなきゃダメなんだよ」って言われたことがすごく刺さっていて、そういう、参加すれば何かしら自分をアピールできるっていうのはメリットだしだからこそ参加しておこうってなる心理がすごく分かるし、だからこそ居酒屋のゴミみたいな味のする料理を食べながら人とコミュニケーションする時間ってのがあるんだと思う。

もちろん「参加すれば得られる知識や人脈」とか「無料で食べられる美味しいご飯」とかをエサに、それをメリットとして参加を誘導することはできるけど、付加価値つけることができないなら負荷かけたほうが良いと思いました。

参加した人にだけ知らされること、不参加の人には知らされなかったこと、って差別化しておかないと、参加不参加問わずみんな平等に情報を共有するってなるとそりゃ参加する意味なんかなくなっちゃうと思う。



「あなたの好きにしていいよ」「なんでもいいよ」って言われると、ポンと与えられた自由がはたして私に対しての優しさなのか、そう言ってる相手がただ単に何かを決めることを面倒くさがっているのか興味がないのかなんなのか分からなくなってきて、それって全然優しさじゃなくない!?!?!?!って思うわけですよ。優しさという名の怠慢なわけでしょ、なんでもしていいよって選択肢をゆだねてるつもりでも全くそうじゃなくて選択する負担をこっちに丸投げしてるだけでしょ、それを優しさだとかいって誤魔化すのはやめてください!!!!!!!!!っていうのが今日の言いたいことでした。



「父親との関係に悩んでいる」について、ラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』書き起こし

今日は、『ジェーン・スー 生活は踊る』というラジオ番組の相談コーナーの書き起こしをします。TBSラジオpodcast配信を終了した代わりにTBSラジオクラウドをスタートして(ストリーミング配信のためWi-fi環境のない出先で聞くのが難しい)、最近またラジオクラウドという新しいサービスを始めてまたオフラインでもラジオが聞ける!と飛び跳ねていたところで、聞いた2016年8月25日の『ジェーン・スー 生活は踊る』の中の、「お悩み解消コーナー 相談は踊る」のお悩みです。
中学2年生の男性から「父親との関係に悩んでいる」という相談についてジェーン・スーさんと蓮見考之アナウンサーが回答していました。

radiocloud.jp

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蓮見考之:それでは通算663件目のお悩み、今日は匿名希望、中学二年生の男子からです。「こんにちは。『相談は踊る』のときから毎週拝聴しています。『生活は踊る』のほうはラジオクラウドですが、毎日楽しみにしています。今、僕は中学二年生で父と二人暮らしです。母は僕を産んだときになくなり、32歳と30歳の兄が二人おりますが、二人とも実家を離れて結婚し家庭を築いています。相談したいことは、父との関係についてです。小さい頃から父と二人で暮らしてきて感じるのは、兄たちよりも愛情を注がれていないということです。というより、正直に言うと嫌われているような気がするのです。なぜ、そう思うようになったかというと、ずっと母は僕が幼いときに亡くなったと聞かされていたのですが、小学四年生の時にたまたま戸籍謄本を見てしまい、母の命日が僕の産まれた日と同じだと知りました。母は高齢出産で僕を産んだせいで亡くなったんだと思います。兄たちからは、父が母をすごく大切に思っていたと聞いていたので、自分が母を殺したと知ったときはすごくショックでした。そのあとで、父が今まで参観日や運動会に全く来てくれなかったのも、仕事が忙しかったから、という理由ではなく、僕のことが嫌いだからなのではないかと思うようになりました。ちなみに、父も兄も家にいないときに見たので、僕が母の命日を知っていることは知らないと思います。母の話は父があまり話したがらなくてタブーのようになっています。今は父の仕事が中学生になってから、さらに忙しくなったので、あまり顔を合わせることはありません。おそらくこのままの関係だと良くないと思いますが、何をどうしたらいいのか分かりません。もう中学生なのに親に好かれたいと悩むのはおかしいかもしれませんが、真剣に悩んでいます。スーさんはお父様と昔あまり仲が良くなかったという話をラジオでされてて、ずっと相談したいと思っていました。周りに相談できる人もいなくて困っています。よろしくお願いします」と。

ジェーン・スー:んー、中学二年生の男の子、つらいね。色々一人で思い悩んじゃって、メールありがとうございました。これねえ、…結構歳が離れていらっしゃるんですねお兄さんたちと。32歳と30歳のお兄さん。中学二年生って多分14歳?だから、お兄さんが16歳と18歳のときに生まれた。ねえだから親子ほどとは言いませんけど、かなり歳の離れたお兄さんで、ということはお父さんも多分同世代の学校のお友達よりはちょっと年上なのかな。

蓮見考之:可能性はありますね、ええ。

ジェーン・スー:そうですよね。仕事はお忙しいということで。これねえあのお母さんが、自分を産んだせいで亡くなったかどうかって、聞いてないから分かんないっていうのもまず一つ冷静にはあるのと、たとえ、じゃあそれがきっかけだったとしても、お母さんの多分意思もあったはずだから、そこには。

蓮見考之:うん

ジェーン・スー:産む方の意思として、この子を産む、自分の命にリスクがあったとしても、っていう決断をしたのか、もしかしたらそんなこと全く分かんないで、出産をしたあとに何かしら体調を崩されて突然、命が終わってしまったのかもしれないし、とにかく、自分が殺したって言い方はやめよう。

蓮見考之:それはね。

ジェーン・スー:ないから。

蓮見考之:それは、絶対言っちゃダメ。

ジェーン・スー:そうそう。

蓮見考之:言っちゃダメだし、殺してないよね。

ジェーン・スー:殺してないから。そうそうそう。で、多分このね、匿名希望の男の子の頭の中には、「どうしますか、あなたの命が危険ですよ、この子を産みますかどうしますか」とか色々ストーリーができちゃってるのかもしれないんですけど、

蓮見考之:はい。

ジェーン・スー:聞いてみないと分からないので、これはただどのタイミングで聞くかですよね。

蓮見考之:そうですよね。まあご本人の感覚ではおそらくお父様もお兄様も自分がそのことを知ったという事実は知らないと思うと。うーん。

ジェーン・スー:うん。参観日や運動会に来てくれなかったのは嫌いだから、いや嫌いだからもない。嫌いだからも多分ない。よっぽどあなたがお父さんに嫌がらせとかをしてない限り、嫌いだからも多分ない。

蓮見考之:はい。

ジェーン・スー:なぜならやっぱり一緒に住んでて、忙しいのはね、多分学校のこととか色々あるからお父さんもまだちょっと稼がなきゃいけないとこもあるんだと思うし、あとまあ男の子と二人でどうやって、こうなんていうんだろう、対応していいのか分からないみたいのもあるのかもしれないねえ。

蓮見考之:そうですよねえ。ただでさえ夫婦二人揃っていてもですよ、男の子三人をまず育てるということ自体が難しいし、仮にお母様が、この相談者の中学二年生の男の子が産まれた際に亡くなって、奥様がいらっしゃらない状態だとしたらもう16年ぶり18年ぶりの子育てですよ。

ジェーン・スー:そうだ。

蓮見考之:それをお父さんが、一手に引き受けているんですよね。ですから本当に、それどころじゃなく無我夢中でやってこられたっていうお父さんのご苦労がきっとあるということは、それはどうか察して、

ジェーン・スー:いや、うんと、どうだろうな、あの、それ察する必要は子どもはないと思うのよ。あの、そこを察してくんになっちゃうと、アレなんで、もうちょっと構ってくれよっていうのを思ってて、その、「中学生なのに親に好かれたいと悩むのはおかしいかもしれませんが」、そんなことないですよ。

蓮見考之:そんなことはないですよね。

ジェーン・スー:40なって50なったってみんな親に好かれたいっていう気持ちはあるし、てか誰かに嫌われたいなんて思ってる人はいないから、察しすぎるのもさ、またちょっとお兄ちゃんとかに一回話してみるのはいいと思うよ、うん。

蓮見考之:そうですね。

ジェーン・スー:実家を離れて、多分結婚してご家庭を築いていらっしゃるので、ちょっと実家のことを弟さんのことは、あの疎遠とは言わないけど、なんだろ少し距離を感じてるかもしれないけど、お父さんにはお父さんの事情があったんだっていうことで、察して自分が我慢する必要はないと思うんですけど、ただ、嫌われてるわけではないということを知るのはね。

蓮見考之:そうですね。

ジェーン・スー:早いほうがいいですよね。お父さんにね、手紙を書くとちょっとね重くなると思うんで、あの顔合わせる時間もあまりないということですから、交換日記みたなのやってみたら?少しずつ今日学校でこんなことありましたとか、暑くなってきたけどお父さん体に気をつけてねとか、一言書いてお父さんの帰ってきたときに読むテーブルの上に置いておくとか。で、お父さんも何かよかったら何か一言書いてくださいって顔を合わせるコミュニケーションじゃなくてもう、一言書いてもらうのはいいんじゃないかなあ。私は親とそんなことやってないけど、あの、うちは母親死んじゃったので、あとから、で、そこからゼロからだったので。あれっ親だと思ってたけど母親っていうショックアブソーバーがなくなったらこの人のこと何にもしらないっていうところから始まったので、ちょっとこの方とは状況が違うところではあるんですが、ただ、親は親でどうしたらいいのか分からないっていうところあるっぽいですね。あとね残念ながらもうすごい、多分中学二年ぐらいのときに私も気づいたことだと思うんですけど、残念ながら親って完璧じゃないんですよ、ジャスト人間なんですよねえ。だから辻褄が合わなかったりとか、もう無茶苦茶言ったりとかこうまあしゃあない、こういう風にしか私のことを愛せないんだこの人はっていう風に思ってからは大分楽になったので、でもそれを分かるためにはやっぱりどうしてもコミュニケーションが必要だったなと思うんで、一言交換日記をちょっと私はオススメしたいかな。

蓮見考之:この、愛情の注がれ方っていうのはこの方はどういうものを求めているんですかね。

ジェーン・スー:多分自分のほう向いてほしいんでしょう。まず普通に顔を見て話すとか、「お前どうしてる?」とか「学校どうなんだ?」みたいなことだったり、あと授業参観に来るとか運動会に来るとかいわゆる言い方悪いですけど、あの母親が生きてたら母親が担当すると思ってたこと、そう、お兄ちゃん二人のときは多分お母さんがそれやってくれてたのよ。

蓮見考之:はい。

ジェーン・スー:だからお父さんは、そこの部分まで自分がやらなきゃいけないっていう自覚が、あんまないのかもしれない。だけどそういうのがなくて寂しいですっていうのは恥ずかしいかもしれないけど、かけんのはむしろ中学生のうちっていう気もしなくもない。高校行ったらまたこじらして、これねうまく早くしたほうがいいんだよね、なんでかっていうと、両方大人になっていくと、もう、歩み寄れなくなってくるじゃないですか。難しくなるでしょう。

蓮見考之:うん。

ジェーン・スー:中学二年生で親に好かれたいのは普通。で、嫌われてるんじゃなくてお兄ちゃん二人のときはお母さんと二人で育ててたから、多分その、中学二年生の匿名希望さんが欲しがってるところが多分お母さんが与えてたんだと思うな。うん。そこはあったかも私は、母親が死んで父親と。なんでこれこういうことしてくれないんだろうって、あっそれは母親がすると父親がずっと思ってたことなんだなあって。

蓮見考之:へえ。

ジェーン・スー:どうですか蓮見さん今、お子さんと二人と蓮見さんだけになったとしたら。

蓮見考之:まあ(愛を)注ぎたくても注げないぐらいテンパるでしょうね。一人じゃ私何もできませんから、多分。

ジェーン・スー:そんなことない。

蓮見考之
:いや、でもほんとでも、少なくとも、二人で今生活してますよ、本当に嫌いだったら、

ジェーン・スー:嫌いはまずない。

蓮見考之:ね。

ジェーン・スー:絶対ない。

蓮見考之:うん。

ジェーン・スー:嫌いはないですね。それは全然考えなくていいです。多分お父さんテンパってる。

蓮見考之:うん。

ジェーン・スー:なぜなら、お父さんも人だから。

蓮見考之:そうですよねえ。

ジェーン・スー:完璧じゃないんですよ。今の気持ちこれ私たちにメールしてくれてすごくありがたいんですが、ちょっとずつでいいからお父さんとかお兄さんとかに出してあげてください。「そうかあの子には母親の愛情っていうのが注がれないからその分俺たちがなんとかしなきゃいけなかったのか」っていうことを、お兄さんお父さんが気づいてくれるためにはその第一歩を、匿名希望さんが踏み出す必要があるかなと思ったりもします。

蓮見考之:そうですね。まあお墓参りとかも、ご家族揃って、行ってみるとかね。

ジェーン・スー:それいいですね。いかがでしょうか。メールありがとうございました。嫌われてないよ、殺してないよ。

(書き起こし終わり)

 *

これ、バイト終わって帰ってる途中で聞いてたんですが、バカかって思うくらい涙が出た。
普段から家庭環境で自分自身が悩んでいることもあって、こういう他人の家庭がどうなっているのかって知る機会が少ないからこそ余計に、垣間見れた瞬間に無茶苦茶抉られたりして、その中でもこれは聞いてほしいと思ったので書き起こししてみました。

あとこれは宣伝ですが、以前書き起こした、ミッツ・マングローブオールナイトニッポンGOLDの、渋谷区の条例について、セクマイについてのミッツさんの見解が興味深かったのでよかったら読んでください。

ミッツ・マングローブオールナイトニッポンGOLD 2015年4月1日

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