厩務員

 

「生きててよかったなって思うときってどんなとき?」

運転席からそんな質問をされたとき私は咄嗟に答えることができなかった。戸惑いを隠すようにして助手席から景色を見る。眼前には海が広がっていて、太陽に照らされたそれはきらきらと光っていた。
生きててよかったなと日常生活で感じたことなど一回も無い。

「行きたい会社から内定もらったときかな」と最近一番嬉しかったことを答えてみたけれど、彼は「そういうのじゃなくて」と言ってくる。おそらくは外的要因ではなく内的要因から来る「生きててよかった」を尋ねている。改めて考えてみてもそんなふうに感じる瞬間が何も浮かんでこないのでその旨を正直に告げると「色々あるでしょ、たとえば…」と例を挙げていたが、どうしても私にはそれが「生きててよかった」と感じるほどの代物には思えなかった。

久しぶりにドライブをする。運転してくれている人は普段は厩務員(きゅうむいん)の仕事をしている伊勢谷友介似の人。かっこいい。厩務員とは競馬の馬を育てる人のことで、「人間も馬も接し方は同じ」と言うのが口癖でそう言われるたびに「人間と馬は違うでしょ」という気持ちになるが黙っておく。

先日、内定祝いということで温泉旅行に連れてってもらった。熱海のほうに行くのは幼少期以来のことだったのでとても楽しみにしていた。
私の家の最寄り駅まで迎えにきてくれて、助手席に乗り込んだ瞬間「あっ白かぶりだ、白を着る人間は心が汚れてるって言うからね~」と私の着ているYシャツと彼が着ているポロシャツを指して笑っていた。「夏なんだから余計白なんて一番着やすい色じゃん」と言ってもいやいやと口角をあげながら否定してくるのがおかしくてつい笑ってしまった。

平日に行ったため、海沿いを走る熱海ビーチラインは車の数も多くなく、しかもこれ以上ないくらいの快晴だったので海がすごくきれいに見えた。釣りをしている人や海岸を均しているブルドーザー、あと船。

途中お昼ご飯で食べた鱧天冷やし蕎麦南高梅が本当においしかった…。

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旅館に行く前にコンビニに寄ったんだけど、伊勢谷がやたら買い込むので「そんなにいらないでしょ~」とカゴの中をのぞきこみながら言ったら「夜は長いんだから」と弾む声で答えてたのがかわいかった。私だって今回の旅行はすごく楽しみにしていて、旅館がもう目前ということもあってかめちゃくちゃにワクワクした。跳びあがりそうになるくらいには楽しみだった。

旅館に着いて、露天付き客室と部屋から見える景色に感激した。仲居さんが「あちらに見えるのが初島でこちらは大島です」と説明してくれている間も飽きることなく景色を見て早速温泉に入って、もうその時点で幸福感がすごかった。最高でした…。

夜ご飯がこれ。

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美味しいに決まってるんだわ。カサゴの丸焼きとか鮎の塩焼きとかデザートもおいしくて、ボリュームもすごくて食べるのが大変だった。

 

 

 
担当してくれた仲居さんが私たちの年齢を聞いてきたり、裏でこういうこと話してたんですよ、とかこれおいしいから食べて、ってすごい言ってくる人だったのがなんというか物珍しくていっそここまで近い距離感で接してくれると潔くて好きだなと思ってしまうのでした。ご飯がおいしすぎた。おつくりおいしかった。

 夜ご飯を食べ終わったあと、仲居さんともう一人男の人が布団を敷きにきてくれたんだけど、その手際のよさについ見とれてしまった。ああいうときどうしていればいいのか分からなかったので突っ立ってその様子を眺めていたんだけど本当にささっと布団を敷いて「ごゆっくり」と頭を下げて下がった仲居さんが、さっきまでガンガン話してきた人とは思えなくておもしろかった。あとやたら用意してくれたお水がおいしくてめちゃくちゃ飲んだ。「水素水なんじゃないの?」「やめて!」

電気を消して悩み事やら恋愛のことなどを話していたら気持ちが暗くなってしまったので二人でスマホを覗き込みながらお笑いの動画を見た。
「さっきも言ったけど、おいしいご飯たべて温泉入って笑って、ってこういうときに生きててよかったな~って思うんだよね」という言葉を聞いて初めて私にもこれが「生きててよかったと思う瞬間なのか」と感じた。内定もらったときより全然嬉しいし幸福でしかなかった。どうしようもなく幸せで泣きそうになるほど充足していてこのまま今日が終わらなければいいのにと思う気持ちがこれか、と思った。
結局深夜までごろごろしていて「先に寝たほうが負けね」と言いつつ二人して同じようなタイミングで寝てしまったのでどっちも負け。

朝ごはんも魚介類がたくさん出てきて、これまたボリュームがすごくて、それでもなんとなく良い感じの満腹感でふしぎだった。
「おれは何事も楽しみたい人間なんだよ」「いまの自分の中身だけ持って大学生に戻りたい」「すぐ検索するより、あから順に探していったほうが答えが見つかったときの達成感があるでしょ」「『他人だから違う』を理解できない人のことを理解できない」「冷たい人間だと思う?」
色んなことを言っていた。どことなく孤独を感じさせながらも人生を楽しんでいる彼のことがとても魅力的に見えた。
また熱海ビーチラインを通って現実に戻ってきて、別れ際に電気グルーヴの『電気ビリビリ』が流れていたのがやけに印象に残っている。



 

外資系IT企業の社員

先日某大手外資系IT企業の社員さんと会った。
就職活動が終わり暇を持て余す私は、以下のサイトを利用して知らない人と会っている。
CoffeeMeeting[コーヒーミーティング]

Matcher(マッチャー)| OB訪問の新しい形

 

コーヒーミーティングはOB訪問と出会い系サイトの間という感じのサイトだが基本的にあんまり盛り上っていないのでいつ見ても常連の顔しか見えない。ただ、コーヒーミーティングというだけあって大抵の場合は喫茶店やレストランで食事をしながら話をできるのだと思うし(どこでどのようにして会うかは当事者にゆだねられているので「大抵の場合」とした)、おいしいご飯屋さんの開拓と知らない人と知らない話ができるというのが一石二鳥で気に入っている。

一方MatcherはOB訪問に特化しているので出会い系サイトのようになるかもしれないという恐れはコーヒーミーティングより大分薄れる。就活生とOBのどちらかに登録し、OBが提示する「就活相談に乗るので○○してください」という看板にワンクリックで会いたい人と会うことができる。双務的な感じが気に入っている。また、OBは所属している(所属していた)企業の名前を実名出して登録しているので、就活で話を聞きたい社員も見つけやすい。

先日会ったその社員さん(仮にMさんとしておく)とはコーヒーミーティングを通じて会ったのだけれど、「就活生はあんまりこういうOB訪問のためのツールってそもそも使わないよね」と言っていたし、私だって就活を終えてから使い始めているので、Matcherはともかくコーヒーミーティングはあんまり儲かってなさそう。アプリが使いにくすぎる。でも便利ではある。流行ってほしい。

 *

さて、私は基本的に顔も見たことがない、声も聞いたことがない、どんな人なのか知らないという完全の見知らぬ人と会うことや話すことが好きである。中学生のときからジャニオタのオフ会に参加したり電話したり年賀状を交換したりしていたし、高校のときはGRANRODEOのライブで隣の立見席にいた女の人に「すごい良いライブでしたね、よかったらメアド交換して感想メールしませんか?」みたいな気持ち悪いことを行ったこともある。mixiで知り合った男と付き合ったりした。一昨年は坂本真綾のライブに初めて行き、感動のあまり号泣していたら隣のかわいいお姉さんがティッシュを差し出してくれその優しさにまた涙し、次の年に一緒にライブに参加しすっかりお友達となったりもした。
ツイッターを通じて出会った人もたくさんいたし、北海道に旅行したときは北海道在住の子におすすめの土産物を教えてもらい、関西旅行のときは関西在住の人たちとご飯を食べた。恋愛もした。最近は定期的に会ってディズニーに行ったり遊びにいくお友達もいるし、大学に友達が全然いないのに全然さみしくない。オタクじゃないけどオフ会だけが出会いの場なわけではない。
初めて会った人にいきなりホテルにつれていかれそうになったこともあるし、出会い系サイトで気持ち悪い人に会ったこともあるけど、良くも悪くも簡単に知らない人と出会えるインターネットはとても便利だ。

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外資系IT企業の社員さんであるMさんは、子どもを溺愛していて休みの日に家族で行ったときのことを目を細めて話すので、こっちまで胸のあたりがぽかぽかになった。
「自分の顔そっくりの子どもが生意気なことを言うからむかつくんだよね」と言いながらも顔は笑っていて、愛しさしかなかった。「そんな生意気な子どもだけど甘えん坊だから今度のお泊り会が少し不安なんだ」と笑う顔が今思いだしても泣きそうになるくらい素敵だった。Mさんはあんまり一人称を使わないことに少し経ってから気づいた。「僕」とも「俺」とも言わない。嫌味なく自分の話をして、開示して、惹き付けるところが大変に魅力的だった。話すことも脚色されてない、素朴な日常のおもしろいことを淡々と話すので聞いてて何より癒された。「平日に水族館に行ったら遠足で来た大勢の小学生たちとバッティングしちゃって全然近くで見られなかったんだ」とか「東京タワーの水族館は暗いからやめておけ」とか、「上野動物園にはあんまり行きたくない」とか鴨川シーワールドに行きかけて断念した話とか、聞いてて「それはすごいですね!」って褒めなきゃいけないようなビッグイベントの話をしないので話していてとても落ち着けた。あとは「あなたはどうなんですか?」って聞いてこない、適切な距離を保って接してくれるのも嬉しかった。


こうやって人と会って話すと、その人の特徴みたいなのがつかめるし、自分の立ち居振る舞いの反省になるのでとても勉強になる。私は「そうですよねそうですよね!」とか同じ言葉を二回繰り返しすぎているような気がする。バカっぽいので直したい。

バレエの先生

「バレエの魅力って何?」と尋ねられるといつも答えることがある。

バレエというのは『白鳥の湖』にしろ『ドン・キホーテ』にしろ『ロミオとジュリエット』にしろ、だいたいは振り付けがすでに決まっている。コンテンポラリーではなくクラシックであるなら、昔から踊られてきた「型」がある。音楽だって決まっている。
ただ、「振り付けや音楽が同じなら誰が踊っても同じだろう」というのは誤った認識であって、逆に、異なることもいくつも挙げられる。演奏家と踊り手と指導者、共に練習する人々、踊る舞台、観客など…。
これは料理と一緒で、同じオムライスだって違うレストランで食べれば違う味がするし、その日の気分によって感じることも違うと思う。だいたいのレシピは同じにしても、一緒に食べる相手、作る人、場所、雰囲気などで感じることは大きく変わってくる。
バレエも同じ。同じ振り付け、同じ音楽だとしても踊る人や観る人が違うだけで感じ方は変わってくる。そこがバレエの魅力なんだ、と私はいつも答えている。

16年間お世話になっているバレエの先生が以前「バレエのコンクールは芸術から離れてスポーツ化してるよね。コンクールは点数勝負だから、体が柔らかけりゃ、脚を高くあげりゃ、たくさん回ればいいっていうのは違うと思う。その人に合った脚のあげ方や踊り方があるしね。高い点数をもらうためのレッスンっていうのは私は違うと思う」と言っていたことが非常に印象に残っている。

スケートや絵画や小説などあらゆる芸術に関することについて争うことが悪だとは思わない。けれども、賞を取るためだけにやるのはいかがなものかという気持ちもある。
確かに何事も点数化したほうが、どの人が高得点でどの人が高得点じゃないのかひと目で分かるし便利ではある。ただ、点数をつける側だって人間なわけで、高得点=優秀であるとしても、その芸術を鑑賞する人の好き嫌いには関係はない。

テクニックが上手で身体が柔らかく表現力もある踊り手より、下手でも目を輝かせながら踊る人のほうがよっぽど魅力的に見える。人の心を動かすのはやはり人の心である。

「全然評価されないけど私は好きだな」という物事を好きで居続けることの難しさ。
メディアで評価されているもの=みんなが好きなものというふうに認識が均されて、自分自身が好きなものを見つけるためには非常に能動性が求められている時代。評価されないものは平気で淘汰されていく。

別になんでもかんでも点数化されるわけじゃないんだから、好きなようにやればいい。
「自分の踊りたいように踊っていいんだよ、振り付けをやるだけじゃなくて、自分で表現していかなきゃ」
そういうふうにバレエの先生が言っていたことは、コンクールのためでも点数のためでもなく、その子自身の成長のために言っていたことだと思う。

 *

バレエの先生は、昔は「なんで自分のことなのにスケジュール分からないの?」と怒るような、小学生に手帳を持たせるように言ったり、バレエノートをつけるように言う人だった。
「座ってないで立ってウォーミングアップして、やる気あるの?言われる前にやってて」「髪の毛は自分で結んできなさい」「振り付けの変更点は自分で覚えておきなさい」「教室に入ってきたらまず挨拶をしなさい」
今思えば至極当然のようなことだけど、私は子どもながらに「子どもに要求するレベルが高すぎる」と思っていた。今は結婚をし出産をしたからか厳しい面は少し薄れたけど、根本は変わっていないし、バレエを通して生徒の自立性を育んでいる。

私が親と喧嘩をしバレエを辞めなさいと言われたとき、「あなたが辞めるかもしれないってことを考えたら全然寝られなかった」と目を腫らし、「どうしても辞めるなら仕方がないし、それで納得するのならいい。でもここまで続けてきたのにもったいないじゃん。バレエを嫌いになったわけじゃないでしょう、私のこと嫌いになった?違うなら、週に一回でも、半年に一回でもいいから続けてほしい」と泣いてくれ、自分も同じような過去があったことを体育座りで話してくれた、あのいつもの厳しさからは考えられないほどに、あどけない少女のような、あの姿は忘れることはできない。

家に帰って「私は自分のお金でバレエを続けるからあなたたちに私のやることを口出しする権利はない。だからバレエを続けさせてください」と支離滅裂な土下座をしたことも今は懐かしい。

コンクールに出場する年に、通常レッスンをサボってコンクールのレッスンの時間にスタジオに行ったらすごい剣幕で怒られたこともある。「通常レッスンの時間に他の子たちと一緒にバーレッスンを受ければその分コンクールの練習に時間を裂けるのに、なんでお前は通常レッスンの時間に来ないんだ」と怒られた。
お金は払ってるんだから別にいいじゃん、と思っていたけど、どんなにたくさん練習を重ねても上手い子たちに追いつけないからこそ時間を有効に使えという説教で、そのときにこの先生は私のコンクール出場に本気なんだなと感じた。

16年もお世話になれば様々な喜怒哀楽を共有しているわけで、大人しい性格の私を「もっと前に出て自身持って踊りなさい」と言ってくれる先生がいなければ今の自分はいなかったと思う。

できないことをできるように注意してくれるだけじゃなくて、できてることももっと良くできるように注意してくれる人の存在が、どれだけ貴重か身につまされている。

夜中遊行


高校生のときに『夢中遊行症』というメルマガを配信していた。アニメや漫画のキャラクター&読み手(ヒロイン)との恋愛を描いた小説を書いていた。当時はガラケーが主流だったので、今現在こんなにもスマホが普及し、LINEの台頭によりメールを利用する機会が激減する日が来るなんて思いもしなかった。私自身がスマホを使うようになってからメルマガは配信する回数が減り、私が利用していた『メルモ』というメルマガ配信サービスで『夢中遊行症』と検索し確認したところ今は廃刊状態になっていた。
ただ、未だにどこの誰かも分からぬような読者のメールボックスに自分の配信したメルマガが残っているかもしれないという可能性が、少しくすぐったいような気持ちにさせる。

人並みの恋愛経験などないくせに恋愛を描き、他の人が書くような「読んでいて胸キュンする文章」なんて書けたためしがなかったように思う。淡々と文章を書いて自己満足を垂れ流していた、あの高校時代が一番文章を書く時間と想像力と感受性の鋭さがあった気がする。今それらの全てが死んだわけではなく、ときおり顔を出す瞬間がある。

そんなときにこのブログを利用しようと思う。
tumblrCaO+H2O というブログがあるけれども、どうしても使い勝手が悪いのでしぶしぶ移行…するかどうか検討している。
tumblrに投稿した最新記事、よかったら読んでください。

17年卒の就職活動が終了しました



夜中が明け方に向かう、未明にかけて出会った人のこと、見たことを書いていきたい。